かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

小柳ルミ子

瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子

1972_05_瀬戸の花嫁_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは、「瀬戸の花嫁」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル     瀬戸の花嫁
・アーティスト   小柳ルミ子
・作詞       山上路夫
・作曲       平尾昌晃
・編曲       森岡賢一郎
・リリース日    1972年4月10日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    74.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年4月24日〜7月24日付

この1曲セレクトは、私の独断と偏見で書く曲をセレクトしているわけで、基本的にはリクエストされた曲を書いてはいないんだけども、今回引っ張ってきた曲は、じつは、ちょっと前にFacebookで、高校時代の友達からリクエストされてた曲なんだよね。

うーむ、リクエストにこたえる形で、引っ張ってきた曲は、昔、mixi時代に元同僚からのリクエストで書いた、風見慎吾の「僕笑っちゃいます」以来かもしれん

両者とも「女性」からリクエストなんだけどさ、 女性にはすこぶる優しい・・・・うーんにゃ「弱い」ワタシデス。

だからねぇ、今後も、もしかすると女性からのリクエストには応えちゃうかもなぁ〜。
野郎からのリクエストは・・・勘弁だけど。。。。


その曲は 小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」。

1972年4月10日リリース。デビュー4作目のシングルは、デビュー曲「わたしの城下町」以来のオリコン1位獲得。売り上げ74.1万枚は「わたしの城下町」に次ぐ売り上げ枚数と、誰でも認める、小柳ルミ子さんの代表曲ですわ。

兎も角、70年代、この曲歌ってる、おじさん、おばさんって多かったよなぁ。
特に地方に行くほど、この曲ってよく聴いたような印象が強いなぁ。

ウチは、母方のおじいさんが、福島・鏡石町の地主農家の出で、子供の頃は良く遊びに行ってたんだけどさ、宴会が始まると、きまって、この曲を歌う、おじさん、おばさんがいたんだよねぇ。


だからか、どうも、この曲と言うと、田舎のおじさん、おばさんの曲っていう印象が強い。

最近、またシティポップスが流行ってきているけど、それらの曲に対しての完全なアンチテーゼに位置する曲っていうのかなぁ。
地方の大人のための曲と言うイメージがあったんだよね、悪く言えば。

いやだからこそ、日本の広く息づいている、心の中の1曲ということも出来るのだが。。。

でもさ、当時、子供の頃は、特にオヤジは向こうの曲の方が好きだったから、車の中でかかっている曲といえばいつも向こうの曲だったし、 だから、ワタシも「日本の心」的な歌謡曲よりは、外国の匂いのする曲の方が好きだった。

むしろ、田舎の匂いの強いこの曲のような歌謡曲は拒絶していたところがあったかもしれないな。

だから、長年この曲との接点はなかったんだよね。

たださあ、この曲オリコンで1位を取っていたということが分かってからは、ちょっと不思議な感覚があったけどさ。

80年代にオリコンに触れた当時は、オリコン1位って絶対的な曲っていうイメージがあったんだよね。寺尾聡氏の「ルビーの指環」とかさ。 
当時は、この「瀬戸の花嫁」って曲は、田舎臭いかっこ悪い曲っていう頭があったからさ、不思議だったね。 
「えーこの曲が1位だったの?」ってさ。 全く実感がわかなかったよなぁ。

でも、大人になって冷静に考えたら、やっぱ「日本人の心の唄」のような曲に勝る曲っていうのはないんだよな。

特に、70年代前半って、そういう日本人の心に刺さるような歌謡曲が多かったわけだし。 そういう歌謡曲がまだまだ強い時代だったんだよね。

昔、ソース顔、 ショーユ顔っていうのが流行ったけど、まさに、まだまだ「醤油」風味の曲の方が強かったのよ。

向こうの匂いが強いっていう筒美京平氏だって、70年代前半は、まだまだ醤油風味の歌謡曲的な曲が多かったですしね。 前回書いた、いしだあゆみさんの「あなたならどうする」とか、朝丘雪路さんの「雨がやんだら」なんてのは、もろそうだったわけだし。

特に平尾昌晃氏のメロディラインっていうのは、和テイストが強かったんだよね。70年代、平尾氏の曲が時代を席巻していたのも、当時の日本人の心をつかむような歌謡曲だったからなんだろうなぁ。

もっとも、この曲は森岡賢一郎氏の和の匂いが強いアレンジの効果も多分にあったわけなんだけどさ。

それにしても、クラシックの家系に生まれ、若い時にはロカビリー三人男という、向こうの曲かぶれな平尾氏が、和テイストな歌謡曲で時代を築いたというのも、面白い話ではあるんだけども。。。

たださ、「和テイスト」といっても、リズム体を聴くとマンボのリズムのコンガの音色、 いやいや、それ以上にスチールギターが入っていたりして、全く予備知識もなく聴いていると、一体どこの国の曲なの? なんて思ったりも出来たりしてね。

歌謡曲ってさ、日本的なメロディラインをベースに、向こうの曲のいいところを自由に取り入れるところがいいところではあるんだよね。
良く言えば無国籍料理みたいなもの。 その節操の無さが実に日本ぽいのだけれど。。。





これは、1972年、第3回日本歌謡大賞にて この「瀬戸の花嫁」で大賞を獲った時のVTRですね。

そそそ、この曲で小柳ルミ子さんは「日本歌謡大賞」を獲ってるんですよ。

♪瀬戸ワンタン 日暮れ天丼〜♪ なんて気安く歌えないんだよね、本来ならば

このVTRには映ってないけど、1988年の「歌謡大賞特別企画」で放送されたときの話では、大賞を発表される数秒前にバックバンドの「ダン池田」と目が合った時、ダン池田氏が指で「〇」という合図を送って来て「もしかして」と思っていたそうだ。

まあ、デビュー2年目での大賞受賞という快挙ではあったけど、この曲の次の「京のにわか雨」でも連続オリコン1位という時代に乗っていたとしでもあり、大賞受賞も頷けるところか。

ちなみに、第1回の歌謡大賞の藤圭子さん(ヒッキーママ)も、デビュー2年目での大賞受賞ということで、レコード大賞と違って歌謡大賞は比較的デビューからの年数が浅くても、年齢が若くても大賞受賞もありえたんですよね。
それいえ、レコード大賞よりも「権威」と言う点では、若干下だったかもしれないけど。

1983年にトシちゃんが大賞を取ってしまったことで、それが余計あらわになってしまいましたが。。。。。


曲をキチンと聴きたいという方は ↓の動画にて




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わたしの城下町 / 小柳ルミ子

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今回の1曲セレクトは「わたしの城下町」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    わたしの城下町
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      安井かずみ
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1971年4月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  134.3万枚
ベストテンランクイン期間:1971年6月28日〜11月15日付

 ネットニュースでも話題になっていますが、作曲家の平尾昌晃氏が死去されたとのこと。
70年代を中心に数々のヒット曲を飛ばしたし、ゆえに、昭和を代表する大作曲家一人と言う事は間違いない訳で。作曲家別の売り上げを見ると、最も売り上げが高かったのは1974年で、この年の作家別売り上げランキングは、巨人・筒美京平氏の4連覇を阻止すべく、売り上げ1位を記録してたりする。

今回の1曲セレクトは、そんな平尾昌晃氏追悼と言う意味も込めて、セレクトすべきだよな・・・って言う思いが真っ先に頭を駆け巡りーの、本当は90年代の曲を持ってこようと思ってたんだけど、急遽変更・・・。

たださ、正直言うと平尾昌晃氏っていうと、個人的には「一世代前」の作曲家って言うイメージもあるんだよね。
まあ、リアルタイムとして自身と畑中葉子さんのデュエット「カナダからの手紙」があるけど、これは「冬」のヒットだしさ。

それに、筒美京平氏のような完全ポップス系というよりも、少々「和」のテイストがかった「歌謡曲」が多かったからさあ、完全な好みとはちょっとズレでるな・・・って言う思いもある。。
なので、意外と平尾氏の曲って個人的な持ち音源が少ないんだよね。

だからさあ、どの曲にすべーかな・・・と迷ったんだけど。。。

こういうときは、やっぱ直球勝負だよね・・・・。 とセレクトしてきた曲がこの曲。


小柳ルミ子「わたしの城下町」

うわっち、めちゃくちゃ「有名な曲」。 でもさグッドタイミングというか、46年前のちょうど「今頃」、オリコンで1位を獲得、これは書き頃だわ・・・と言うことで、持って来ました。。。。

 まあねぇ、ここまで大ヒットな曲となるとセレクトとは言わないだろうし、だから普通の「セレクター」な方は持ってこないだろうけどさぁ。うむ、セレクターとして恥ずかしいもんな。

But、ワタクシは持って来ますよー。

って言うくらい、誰でも知ってる曲だし、現に売り上げ130万枚強っていうミリオンセラーだもんね。
オリコンでは1971年7月26日〜10月11日付まで12週連続1位なんていう超ロングセラーだったりしてさ。
しかも、これが小柳ルミ子さんの「デビュー曲」だって言うんだからビックリだぁ。

ちなみに、デビュー曲としていきなりのミリオンセラー、ヤマハポプコン系などいわいる「一発屋」と世間で言われる、単発ヒットの方々には他にも居たりするんだけども、その他多数ヒットを持ちしかも長年第一線で活躍してるアーティストとすると、この後、81年のまっち先生の「スニーカーぶる〜す」まで無かったんじゃないかなぁ。

それだけ「スゴイ」ことなんだよね、デビュー曲ミリオンセラーっていうことは。

後に、天地真理さん、南沙織さんとともに「3人娘」として、70年代アイドルのトップバッターを切った小柳ルミ子さんだけど、こと売り上げ枚数だけを見ると、他の2人の比じゃなかったんだよね。

先日天地真理さんの「ひとりじゃないの」の時、70年代アイドルの売り上げは「50万枚」が壁って書いたんだけども、小柳ルミ子さんには、そんな壁なんて心配は全く無用だったわけよ。

その最大の要因は、やっぱ「曲調」なんだろうなぁ。うん「和」テイストの歌謡曲だったって事が良かったのよ。

・・・なんて書くと、80年代以降の「ポップス・ロック」優勢なヒット曲を聴いてきたワタシらの世代には信じられないけどさあ、結局、70年代、特に70年代前半っていうのは「歌謡曲」が絶対的な人気を持っていたって事。

結局さ、ポップス系を支持していたのは当時のティーンエイジャー。 それに対して、それ以上の世代は「歌謡曲」だったってことなんだよね。
 言うまでも無く、当時の歌謡曲の支持は、人口比として圧倒的だった訳さ。

だから歌謡曲路線でひとたび火が付けば、ミリオンセラーもいとわない「超大ヒット」になり得たって事なんですわな。
ま、これは、例えば、72年のぴんからトリオの「女のみち」が300万枚セールスとか、殿さまキングスの「おんなの操」が200万枚近いセールスだったとかを見ても分かる事なんだけどさ。

そんなこともありーの、この「わたしの城下町」がミリオンセラーとなったっていうのも、当時のヒット曲界の「趨勢」をみれば、ある意味では必至だったのかもしれないんだよな。
逆を言うと、この曲のミリオンヒット曲をきっかけに、「歌謡曲」のメガヒットの拡大が加速したとも言えるかもしれないけどさ。

まあ、それだけじゃなく、当時の「ワタナベプロ」の力が巨大だったとも言えるんだけどさ。
元ワタナベプロの「番頭」格だった松下治夫氏の「芸能王国渡辺プロの真実」によると、兎に角、小柳ルミ子さんは、ナベプロ総帥の渡辺晋氏の「お気に入り」だったとのこと。

そんな小柳さんのデビュー曲ということは、力の入れようもハンパじゃなかったと思うしさ。
アイドルというカテゴリーに入れながら、ポップスではなく「和テイスト」の歌謡曲路線だったのは、そんな渡辺晋氏の思い入れの部分が相当強かったからなんだよね。

そんなデビュー曲な訳だから、まあ売れないわけがない・・っていうのも確かにある。
なんせ、当時の渡辺プロの力があまりにも巨大だったため、この曲の翌年に日テレの「スター誕生」が生まれたっていうくらいだからさ。

ただし、等の小柳ルミさん本人は、この曲のような「歌謡曲路線」には抵抗があったよう。
なにせ当時19才のティーンエイジャーだったわけで、歌謡曲よりもポップスだよな・・・とも思うし、なにより宝塚音楽学校出身という経歴からして、もっと華やかなミュージカル風の曲が歌いたかったとのこと。

ま、そこは、巨人・渡辺晋氏のまえでは口が裂けても言えなかった訳でさ・・・。
後年、派手派手な路線に行ってしまったのは、この当時からのうっぷん晴らしもあったようですね。


ちなみに、当時、小柳ルミさんはワーナーパイオニア所属。
外資のワーナーが、なぜにこんなあからさまな歌謡曲路線? っていうのもちょっと不思議だったんだけどさ、ま、それは日本法人設立の際、渡辺プロが出資したからなんだわな。
ま、それは、ナベプロ「自身」のレーベル「SMS」が設立するまで続く訳だけど、当時のワーナーパイオニアが「歌謡曲」色が強かったのは、当初のそんな所からの「文化」が引き継がれていったんだろうね。



ウーム、ながながとした文章をかいたけど、この曲の「説明」は、この動画を見てもらうだけで十分かも。。。。


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来夢来人 / 小柳ルミ子

  1980_03_来夢来人_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは、「来夢来人」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    来夢来人
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      岡田冨美子
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1980年1月25日
・発売元     SMS
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数 13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

東京地方も桜の開花宣言がでましたねぇ。とは言うモノの、ここ数日肌寒い日が続いていたりして桜が咲いたなんて実感は無いんですけどね。
実際、ソメイヨシノが咲いてるの、今年はまだ見てないし。。。 ま、ソメイヨシノよりも早く咲く、河津桜とか彼岸桜は、咲いてましたけどねぇ。

ところで、桜の季節になると、卒業とか、そのまま「桜」の唄が、巷には流れだしますな。

いやいや、最近は桜=卒業ってイメージなんだな。 昔・・・っちゅうか、ワタシがガキの頃は、桜っつったら、「入学式」のイメージでしたけどねぇ。
まあ、これに関しては先日、新聞にもここ50年で、桜の開花時期がこれだけ早まった・・・っちゅう特集をやってましたけどね。

だけんど、最近の「桜」の唄って、どうして、同じようなイメージなんでしょうかねぇ。しっとりとしたバラードで・・っていう「相場」がほとんど決まっちゃってるじゃん。

これってどうなのよ? ・・・なんて思ったりしてるわたしなんですが・・・。

昔は、もっとワクワクした曲が多かったような気がするけどなぁ、春って言うキーワードの曲はさあ。


今回は、そんな昔の「桜ソング」をひとつ。

小柳ルミ子 「来夢来人」

え? なんでこの曲が「桜ソング」なのよ? ・・・なんてクレームの一つも来そうな気もしないでもないけど。。。

でも、サビの部分で ♪ 桜の 吹雪を浴びて 汽車ははしる〜 ♪

ってあるじゃん。  桜ソングなのよ、この曲。

ま、リリースからして、1月25日と、これから春に向けて・・・っていう「春」を意識した曲でもあるしね。

しかしねぇ、この曲、オリコンでは22位までしか行かなかった曲なんだけどねぇ。 今から37年も前で、しかもオリコン最高22位の曲なんて、覚えてるヒト少ないよな・・・ なんて、タカをくくっていたりしたんだけども、ネット上みると、結構、この曲レビュってるヒト多いんだなぁ。

いや、誰も書いてないと思ったんで、持ってきちゃったりしたんだけどさ。  

これだけ、レビュってるヒトがいるんだったら、ワタシが書くまでも無いか・・・とかも思ったりもするけど・・・でも、まあいいか。

この曲がリリースされた頃、ワタシゃ10才。小学4年生でしたねぇ。
小学4年生にしては、マセた曲を聴いてたな・・・なんて自分でも思ったりするんだけど。。。

でもね、この曲なぜか、よく記憶に残ってるんだよな。
クイズ「ドレミファドン」でよく聴いたような気がするんだよな。それから、「ドリフ大爆笑」とか。。

ま、ともかく当時の「ナベプロ」制作番組にはよく出てたよね、この曲の頃。

とは言うモノの、いくらマセガキだったとは言っても、やっぱ引っかからなかった曲も多かったのも事実だしね、ひっかかったって言う事は、やっぱ、引っかかった要素があったんだろうな。

まずはイントロからして、よかったもんね。 この曲のアレンジャーは、萩田氏ですが、久保田早紀「異邦人」のすぐ後がこの曲だったりもして、やっぱ脂が乗り切ってる頃だったんだろうな。

ま、それ以上に、この曲、作曲が筒美京平氏なんだよな。 それまでの小柳ルミ子さんといったら、平尾昌晃氏の専売特許的なところがあった訳で、だから、筒美京平氏は、シングルタイトル曲としては、この曲が初めてなんだけど、さすがに筒美氏。
たしかに、ベースは歌謡曲らしく、少し「和」を感じるけど、それだけじゃないんだよな。
いや、小柳ルミ子さんって、デビュー曲の「わたしの城下町」から「和」を感じる「歌手」だったわけじゃん。でも、この曲は、単に「和」を感じるだけじゃないんだよな。
「和」を感じながら、どこかに「洋」を感じるって言うのかなぁ。 
例えば「どら焼き」みたいなさ。あんこが入ってんで和菓子なんだけど、小麦粉の皮で焼いてるのは洋菓子風なわけじゃん。 そんなイメージなんだよな、この曲。

メロディの流れとしては、筒美氏お得意の「Cメロ」入りの展開。 そそそ、曲の最後の方で、それまで出てこなかったメロディ展開

♪ しっかりしているつもりだけれど〜 ♪ っていうところですね。

そんな少し複雑なメロディ展開なんだけれど、そこが逆に印象に残ったりしてね。

いや、でも、これが筒美氏の持ち味なんだよね。 複雑なメロディ展開と言っても、同時期にリリースされた西城秀樹「悲しき友情」の一筆書き的なメロディ展開に比べたら、まだまだましだしね。

それと筒美氏といったら、それまでは「アイドル」中心って言うイメージが強かった訳だけど、この曲、当たり・・・79年〜80年初頭にかけては、この曲のような「アダルト」なヒトへの曲提供にシフトしていた感が強いんだよね。

ま、前年、レコード大賞をとった、ジュディ・オングの「魅せられて」もそうだろうし、この曲の少し前には、梓みちよさんの「よろしかったら」って曲もスマュッシュヒットになってたりする。
 そそそ、梓みちよさんの「よろしかったら」も、この曲同様、和テイストに洋のイメージをミックスしたような新たなイメージの曲に仕上がっていたよなぁ。

それだけ、ヒット曲の主体はアイドルから「自作自演」のニューミュージックへって言う時代だったわけで、職業作家のヒトたちにとっては受難の期間だったのかもしれないけど。。。

それでも、楽曲のクオリティを落とすことなく、きっちりと印象的な曲を残しているって言うのはさすがなんですよね。
それが功を奏した訳で、当時、小柳ルミ子さんってヒット曲がでなくて四苦八苦してたんだけど、約3年ぶりの10万枚オーバーっていスマッシュヒット。
これもやっぱ筒美京平って言う天才的メロディーメーカーの功績なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりもするんだよね。


・・・などとウダウダ書きましたけど、個人的に一番印象的だったのは、実は「来夢来人」って言うタイトルかなぁ。

サビの ♪ 来る夢 来る人と書いて来夢来人(らいむらいと)〜 ♪ って言う歌詞は、なんとなくわざとらしい気もするんだけど、 「らいむらいと」っていう響きが新鮮だったんだよなぁ。

本来、最初に書いたように「春の唄」ってことで、桜のイメージの曲なんだろうけど、それ以前に「来夢来人(らいむらいと)」っていう響きが印象に残っちゃってねぇ。

らいむらいと って響きから、個人的には「ライム」色って言うかねぇ、淡い黄色のイメージがあったりしてね。

そそそ、丁度同時期に、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」で、 ♪ジンライムのように流れる お月さま〜♪ってあったじゃん。 そんな色感のイメージが、この曲にも感じるんだよなぁ。

だから・・・と言う訳でもないんだけど、「春唄」として、桜のイメージをもったのは、極々最近なんだよな、個人的に。ずーっと、長い間、「ライム色」っていうイメージだったんだよね。



恐らく「ドリフ大爆笑」からだと思うんだけど、まだ八重歯がある頃のルミ子さんですな。
うーむ、このころは既に八重歯は無いと思ってたんだけど、意外な発見だったなぁ。
ちなみに、この時、ルミ子さん27歳。

当時の印象からして、めちゃくちゃ「大人」の女に感じたけど、まだ20代だったんだよなぁ。
まあ、今、VTR見ると、「あ、若い」って思うけどさ。 
でも、ウタは、めちゃくちゃしっかりしてますよね。


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