かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

小室哲哉

50/50(フィフティ・フィフティ) / 中山美穂

1987_08_フィフティフィフティ_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「50/50(フィフティ・フィフティ)」中山美穂です。

まずはデータどぇす!

・タイトル     50/50(フィフティ・フィフティ)
・アーティスト  中山美穂
・作詞       田口俊
・作曲       小室哲哉
・編曲       船山基紀
・リリース日   1987年7月7日
・発売元     キング
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 21.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年7月20日〜9月14日付

昔のビデオを見てると、意外なヒトが映ってるって事、たまにあるんだよなぁ。
そそそ、今は超一線で活躍しているアーティストなのに、その当時は全然無名で、しかも画面の端っこに映ってるとかね。
 
え? だからなんだって? ハイハイハイ、実は、今日セレクトしてきた曲の「前振り」なんですねぇ。

中山美穂「50/50(フィフティ・フィフティ)」

でも、この曲に今超一線で活躍してるアーティストなんて居たっけ?
ま、確かに、作曲が小室哲哉だったりするし、それが意外っちゃ、意外かもしれないけど。。。

実はね、この間、この曲がランクインしてた頃の「ザ・ベストテン」のビデオを見てて、「あれっ?」って思ったんだよね。

この曲のバックバンドでベース弾いてるヒト、どっかで見た事あるぞ・・・・。

いや、見間違える訳がない。 なんとなんとドリカムの中村正人氏なんだよね。
ベースの弾き方が、今と全く変わらないのよ。

そそそ、知ってるヒトは以前から知ってると思うけど、中村正人氏って、ドリカムを結成する前はフリーのセッションアーティストで、この曲の頃はミポリンのバックバンドに居たんだよね。

1987年といったら、まだ、ドリカムの影も形も無い頃ですわ。いや、正確に言えば、この曲の数か月後にドリカムの前身ユニットを結成することになるんだけど・・・。
 
もちろん、当時は、そんなこと全く知らなかったし、中村氏も全く無名だったんで、全然気にしないでこの曲を聴いてたけどなぁ。

まあ、↑で書いたように小室哲哉が作曲した・・・って方が話題になってたもんね。 正確に言えば、この曲の丁度1年前の86年夏のシングル「JINGI愛してもらいます」も小室なんだけどさ、やっぱ「Get Wild」で大ブレイクしたすぐ後のタイミングだったんで、「JINGI〜」よりは、話題性があったような気がするなぁ。
 その影響もあったのか、ミポリンにしては比較的、長期間ベストテン入りしたロングヒットになったんだよな、この曲。

 TMとか90年代の小室サウンドに馴染んでるヒトにとっては、あんまり小室っぽい感じ無いかもしれないけど・・・。
まあ、この曲の場合、小室がタッチしているのは作曲だけで、アレンジは船山基紀氏だったりするんでね。
YAMAHA、ROLAND系のシンセが多かった小室に対して、船山氏はなんと言ってもフェアライトなヒトだったからなぁ。その辺のサウンドの違いは大きかったんだよね。

ただ、この曲はシンセを使いながらも、全体的にカリブ海をイメージした中南米系のサウンドがね、ミポリンとしては新鮮だったのは確かだな。スティールパンをサンプリングしたシンセのサウンドは、軽快かつ軽ーい曲で、如何にも夏向けって感じだったしな。

50/50って書いてフィフティ・フィフティって読ませるタイトルもなんか新鮮味があって面白かったしな。





はいはいはい、ミポリンの右ななめ後ろで、ベースを弾いてる中村正人氏です。
そそそ、やっぱり、ベースの弾き方とかリズムの取り方が、今と全く変わらないんだよな。独特の風貌なんだよね。 意外にノリノリで弾いてたりして

↑の動画は、すぐ消されそうなんで、もう一つリンク



こちらも消されそうだが。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ムーンライトダンス / 渡辺美里

1989_06_ムーンライトダンス_渡辺美里


今回の1曲セレクトは、「ムーンライトダンス」渡辺美里です。

まずはデータです。

・タイトル   ムーンライトダンス
・アーティスト 渡辺美里
・作詞     渡辺美里
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1989年6月1日
・発売元    エピックソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  18.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1989年6月12日〜6月26日付

今年は梅雨入りが遅いわりには、蒸しっと来る日があるなぁ。 今日なんかはまさにそんな感じ。
午前中は割と涼しかったけども、午後、晴れてきたらいきなりムシムシしてきた。。。

まあ、千葉特有の蒸し暑さというかね。 40数年前、福島から千葉に越して来た時の夏は、この特有の蒸し暑さにやられてしまったわけで。。 以来、ずっと慣れないんだけどね。。。

でも、こういう不快という特有な季節だからなんですかね。 この季節特有の蒸しっとしたイメージが湧く曲に時々引っ掛かりする。

今回はそんな曲を一つ

渡辺美里さんの「ムーンライトダンス」。

この曲は89年6月1日にリリースされた13枚目のシングル。

全体的にややきつめのリバーブがかかり、ウエットに満ちた1曲。それが恰もこの季節の靄っとした蒸し暑さにリンクする。

「ムーンライトダンス」というくらいだから、月の光の下でのダンスを表現しているんだろうけど、少なくとも、冬の研ぎ澄まされたクリアな月の光の下で・・・というイメージではない。
かといって、春先の「朧月夜」のようなイメージでもない。

梅雨の雨雲が切れた、蒸し暑いよどんだ空気の中、靄っとかすんだ夜空に浮かんだ月の光。
個人的に、この曲からイメージはそんな感じですね。

まあ、ヒットした時期が時期なんで、こういうイメージがついてしまったのかもしれない。真冬にヒットしていたら、もっと違うイメージだったかもしれない。
まあ、ヒット曲の運命なんでしょうね、これも。

この曲がリリースされた1989年は、2年目の「浪人」だった年だ。
いやね、ここでは再三カミングアウトしてるけども、高校時代全然勉強しなかったんで。。。浪人して初めて受験勉強を始めたくらいなんで。。。  人よりも遅れているのよ。

でも、さすがに2年目ともなると、おしりに火が付いた状態だったわ。あの年の今頃は、めっちゃ勉強してたもの。恐らくこれまでの人生の中で本気で勉強したんじゃないか‥ってくらい真面目にやってたな。友達付き合いがあると絶対に遊んじゃうんで、あの年は一切、外部からもシャットアウトしてなりを潜めてたし。。。

そんな訳もあって、音楽・・ことヒット曲からは、意識的に距離を置いていた頃だ。 

もっとも、オリコンの定期購読は続けていたし、ベストテンも「最終回」がアナウンスされたけども見続けていた。 そのくらいだったかなぁ。音楽と接点を持っていたのは。。。

そんなわけで、あの年の丁度今頃は、ヒット曲の動きには、あまり敏感ではなかった。

まあ、あの頃オリコンウイークリーでのチャートの動きについて、毎週かなり詳細な分析されていたんでね。とりあえずトレンド的な動きは把握できたけども、それと、実際の曲がリンクしていないっちゅうね。。。

この「ムーンライトダンス 」もそんな時期に、たしか「ベストテン」で初めて聴いたような気がするな。

正直言えば、個人的に、それまで渡辺美里さんの曲って、あんまり引っかからなかったのよ。もちろん「My Revolution」別格だったし、「悲しいね」なんかはいいなとは思ったけども。
その他の曲は、今一つスルーだった。

まあ、個人的な好み、生理的なところだと思うんだけども、美里さんのまっすぐな歌唱と、バックのポップなメロディのマッチングが、個人的には余り引っかからなかったんだよな。

でも「My Revolution」 「悲しいね」は引っかかったわけで。。個人的には小室哲哉氏と美里さんのコラボっというのは、しっくり感じたのかもしれないな。
うん、両曲とも小室氏の作品だったしね。

この辺も不思議でね。 
これもカミングアウトだけども、正直90年代の小室ブームの頃の曲って、やっぱり、今一つなのよ、個人的には。

でも、80年代の小室氏の曲は、なんかいいんだよね。 あ、これはTMは別にして。 うん、他の人に提供した曲でという意味ですね。TMに比べると、音的に素直だし変な仕掛けもないしね。

「悲しいね」以来、小室氏の作品となった、この「ムーンライトダンス」もご多分に漏れず、個人的には引っかかった。

↑に書いたように「靄の中に浮かんだ月の光」っていう、やや怪しげな絵のイメージが浮かぶし。
絵が浮かぶということは、この曲に引っかかった年いう証拠でもあるしね。






個人的に、この曲のキモは、サビ前のフレーズにあるんじゃないのかなぁ・・なんて思うのよね。
Aメロは、アーフタクトから入る小室氏独特のシンコペーション的なメロディライン。
そのままサビに入るかと思ったら、サビ前の

♪ Old Fashined Love Song for you  〜 ♪ っていうフレーズで、いきなりメロディのリズムが変わるじゃん。

初めてこの曲を聴いたときは正直びっくりした。まったく予想もしてなかったので。
個人的にはこのメロディ進行にやられたような気がするんだよなぁ、この曲については。

まあ、いずれにしても、全体的には↑で書いたような蒸し暑い、靄っとかすんだ夜空に浮かんだ月の光。というイメージではあるんですけどね。



よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

by myself / hitomi

1996_09_by myself_hitomi


今回の1曲セレクトは、「by myself」hitomiです。

まずはデータです。

・タイトル   by myself
・アーティスト hitomi
・作詞     hitomi
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1996年8月7日
・発売元    エイベックストラックス
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  29.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「もう我慢できない!」エンディングテーマ曲

本来はメロディラインや曲想は、あんまりおもしろいとは思わないんだけども、バックで使用されている、あるひとつの楽器のフレーズ一つでグッと引き立つっていう曲がある。

まあ、そういう曲はしょっちゅうあるわけではないけど、長年ヒット曲を聴いてくると、たまたまそういう曲にも出くわすっていうレベルではあるけど。。

今回引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですね。

hitomi   「by meself」

この曲は、hitomi7枚目のシングル。1996年の秋口。丁度いまごろがヒットのピークだった曲ですね。
今から丁度25年前にある。

いやいや、そう書くと、すでにだいぶ前の曲になりますね。 
毎度毎度、書いてるような気がするけど、90年代の特に後半になると、つい最近っていうイメージが未だにあるんだけども、実際振り返ってみると、かなり時間が経っているんだよね。

なぜ、特に90年代の曲って、時間経過が経たないんだろう? っていうのは、ずっと不思議にも思えるんだけども、結局さ、音楽の形態があの当時と大きく変わってないからなんだろうね。

あの当時もMVは存在していたわけで、あの当時のMVの多くは、いまやYou tubeでも見れるし。TVの音楽番組のVTRだって、最近とほぼ変わらない画質で見れるわけでさ。

曲想だって、そう大きくは変わっていないようにも思えるしさ。。。

多くのメディアを通して当時の曲を見ても聴いても、今と大きな変化はないんだよね。

これが昭和の曲だったら、ちょっと様相が変わるじゃん。MVは無かったし、TVの歌番組の画質だって今とは大分違う。

何よりも音楽そのものの雰囲気も違うしね。

だから、「あー、大分時間が経ったよなあ」・・・という頭になれるんだと思いますね。

恐らく、今の若いコたちに「昭和歌謡」が刺さっているのは、そういうところが大きいんだろうな。
文化、音楽形態が今とは違うっていう所がさ。

まあ、これは、あくまでワタシの「年代」的に感じる事なんで、今の若いコたちは、また違った感じ方があるんだろうけどさ。



・・・・ととと、話が脱線しましたね。

hitomiの「by mysef」。 この曲は今思うと偶然耳にした・・・ような印象があるなぁ。

あの当時、個人的に「今」の音楽との接点は、オリコンウイークリーとby fmの「パワーカウントダウンHOT30」だけだったんだよね。

既に社会人3年目で、土日も仕事ってことも多くなってきていたんで、土曜日OAだった、パワカンも聴けないことが多くなってきていた。

あの当時、今のradikoみたいな機能があればなぁ・・・とは、思うけどさあ。

兎も角も、そんなわけで、この当時になると、ヒットチャート上位の曲も、毎週すべてくまなく聴いて、すべての曲を把握できていたわけではなく、かなり「抜け」が出来ていたことも事実ですね。

そんなこともあって、hitomiの一連の曲も、すべて聴けてたわけじゃない。だから、未だに耳にした事がない曲も多いですよ。
この「by myself」も、パワカンの上位にランクインした週、たまたま聴くことが出来、たまたま
耳にしたものだったと思う。

そしたら、耳に刺さった・・・。  と。

まず、この曲がそれまで持ってたhitomiのイメージとは、かなり違ったこと。

個人的には、hitomiというと、この前年1995年の「CANDY GIRL」であり、「GO TO THE TOP」っていうイメージだったのね。

「CANDY GIRL」は、あの時代特有の小悪魔的ギャル。「GO TO THE TOP」は、もっと時代をさかのぼったような、80年代アイドル歌謡的。

いずれにしても、このヒトはアイドルだと思ってたわけよ。

でも、この曲では、1年前の「ギャル」な雰囲気がまるでない、大人のシンガーに変身していたからさ。

少しジャズの香りがする、大人のミディアムポップス。 

どころからともなく吹いてくる、やさしい秋口の風のような。そう。1996年の秋口というと、この曲のイメージが強いんだよなぁ。

一番、効果的だったのは、Bメロからバックに入ってくるフルートだろうな。 少し気だるいフルートの音色が、曲をアンニュイに、そしてよりシックに引き立ててくれている。

だけどさ、フルートっていう楽器は不思議な音色なんだよね。 

普通は清楚なイメージ強い。 やっぱり、フルートと清楚なお嬢様っていうイメージがぴったりするからなのかなぁ。

でも、例えば寺尾聰氏の「ダイヤルM」のようなヘビーでダークな音色にもなるし、この曲のようなアンニュイな雰囲気にもなる。

吹き方次第で、いろんな表情に変えられる不思議な楽器でもあるんですよ。

小室氏とフルートって、どうも、結び付かないし、どういう意図で、フルートを持ってきたんだろう・・・っていうのは分からないけど、この選択は効果的だったし、正解だったと思う。

個人的には小室氏の曲には、あんまりシンパシイを感じないんだけども、そういう意味でもこの曲は良かったと思う。

そんな曲ではあったから、オリコン最高7位という、この当時のhitomi最高順位だったのは納得でしたね。 ただ売り上げが前作「In The Future」の35万枚から、6万枚ほど下がったのは、ちょっと納得しがったけど。。。
まあ、「CANDY GIRL」の流れを汲み、ダンサブルな「In The Future」とは、180度変わった曲調。いわば冒険的な曲でもあったわけで、売り上げ枚数が下がるのも折り紙済みだったのかもしれけないけど。。。

それにしても、小室氏の場合、安室のように全力投入した楽曲よりも、このhitomiとか、アイドルに提供した曲の方が、力が抜け、すっきりとしていい曲が多いような気がするんだよね。

全力投球した曲はどうもくどい曲が多くてさあ。。。。。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

SWEET 19 BLUES / 安室奈美恵

1996_09_SWEET 19 BLUES_安室奈美恵



今回の1曲セレクトは、「SWEET 19 BLUES 」安室奈美恵です。

まずはデータです。

・タイトル     SWEET 19 BLUES
・アーティスト   安室奈美恵
・作詞       小室哲哉
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1996年8月21日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  45.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1996年9月2日〜10月14日付
・タイアップ:映画「That's カンニング!史上最大の作戦?」エンディングテーマ

安室奈美恵さん引退前日の夜に何を思う。。。

うわっ、キザ! なんて、書いてる自分でも痒くなる詩人的な書きだしにしてしまいましたが・・・。
ついに明日で引退ですね。 今頃は引退ライブも最後の佳境に入ってるくらい いや、このトピックスをネットにアップするくらいには終了している頃かもしれない。

平成時代最大のディーバが、平成最後の晩夏に引退する。 
激動の平成って言う時代もこれで終わるんだな・・・っていうの感情はいやがおうにもこみ上げてきちゃいますね。

これだけのディーパの引退・・・振り返ってみると、暫くは無かったような気がする。 
美空ひばりさんの逝去という大きな時代の変化から始まった、平成のゲ―ノー史ではあるけど、その間、超大物と呼ばれる歌姫が、まだ余力を残しての引退っていうのは無かったんだよね。

考えてみれば、あの山口百恵さん以来かもしれないな。 松田聖子さんが結婚を機に一度、活動休止とはなった。 あのまま芸能界から完全引退していけば、それ以来と言う事になるだろうけど、すぐに復帰しちゃったしね。だから、山口百恵さん以来と言う事になるだろうね。

引退ライブと言う形で、完全引退・・というのも、山口百恵さんと同じになる。

ただ、あの時、百恵さん引退発言から、ラストコンサートまでの異様な盛り上がりを考えると、今回の安室さんは、ここまで思ったよりは意外にあっさりとこの日を迎えたな・・・という印象が強い。

たしかに今日になってNHKのニュースで取り上げられたり、ワイドショーでも話題になったり。 そうそう、ラストコンサートツアーのDVDの売り上げは、初日でミリオンセラーという前代未聞の記録を作ったというところはあった。

けど通常のヒットチャートでも、例えば旧譜の盛り上がりが思ったほどでもなかったし。。

その辺が百恵さんの時とは、ちょっと違うな・・・って言う印象。

いや、もっと言えば、あのキャンディーズが引退爆弾宣言から後楽園ラストコンサートに向かっての異様とも思えるほどの盛り上がりを間近に見て来ていた世代から見ると、案外にあっさりとこの日を迎えたな・・・っていう感覚になっちゃうんだよね。

この辺りは、やはり昭和って言う時代と、平成って言う時代性の違いが端的に表れて来ているんでしょうか。
熱烈のファンの周辺では、百恵さんやキャンディーズの引退時よりも盛り上がっているのかもしれない。けど、それ以外では、クールに受け止めてるって感じでしょうかね。

その証拠に、アムロ世代よりも1世代上のワタシの周辺の音楽好きの方々からは、安室の引退について言及しているヒトが誰も居ないし・・・。 昭和の時代ではちょっと考えられなかったですからねぇ、こういうことは。



でも、やっぱ、今日と言う日に安室の曲を引っ張ってこないのは、やっぱり「モグリ」だよな・・・って言う思いがありーの、安室の曲を引っ張って来ました。

「SWEET 19 BLUES」


この曲は、今から22年前、1996年のちょうど今頃ヒットのピークだった曲ですわ。

ワイドショーなんか見ると、この曲をBGMとして取り上げられていることも多いし、安室の初期の代表的な曲として扱われることも多い。

・・・だから、さぞかし売り上げも凄かったんだろうな・・・なんて思われがちなんだけど。。。

↑のデータをみて、なんかの間違いなんぢゃない なんて思われることも多いかもしれない。

・・・けど、間違いぢゃ無いのよ〜。 クレーム入れないでね。

この曲の前3曲のシングルは、いずれもミリオンだったし、、逆に後の2枚もミリオン、しかも1枚 「CAN YOU CELEBRATE?」はダブルミリオンだった訳でさ。

だから、この曲だけ、ポツンと売り上げが落ち込んでる訳ですわ。

まあ、普通に見れば、なんかの間違いちゃないか・・と思われるのも当然なんだけど、 この曲は、もともとこの年の7月にリリースされた 「アルバム」の「SWEET 19 BLUES」のリード曲であり、 シングルとしてはあくまで、このアルバムからのシングルカットと言う形でリリースされたんだよね。

・・というわけで、多くの方は、この「シングル」を購入する前にアルバムを購入されていた訳で、わざわざシングルを購入した方は少なかった・・・というわけで、この曲だけ売り上げが落ち込んでいる訳ですわ。

まあ、シングルカットの場合は、殆どのアーティストの殆どの曲では、こういう売り上げになるのは見えてる訳で、この曲だけの傾向と言う訳ではない。

逆に言えば、それでもオリコンで2位、売り上げが45万枚もあったと言う事の方が驚きではあるし、それは、当時のワタシもそう感じてたな。

ちなみにアルバムの「SWEET 19 BLUES」は、売り上げ枚数336万枚。 アホか・・って言うくらい売れましたよね。

 

最初にも書いたように平成最大のディーバと言ってもよい安室さんだけど、これまで「1曲セレクト」で取り上げた安室さんの曲は驚くほど少ない。
まあ、これは、安室さんの曲を書くときに常套句のように書いてる事だけど・・・。 いつも書いてるように、特に「TK化」された96年以降、個人的にヒット当時安室さんの曲を聴いて無かったからに他ならない。

・・・なんて書くとほとんど「非国民」的に映るかもしれない。特にワタシより1世代下の、「アムラー」な世代なヒトにとっては考えられない事かもしれない。

でも、そうだったんだよね。

どうもね、ワタシらの世代の音楽ではないように映ったんだよな。
95年まではさ、音楽のマーケットの中心だったからさ、ワタシらの世代は。 だからワタシらの世代が聴いてて気持ちいい曲が多かったんだよ。

でもさ、96年ともなると、ちょっと音楽マーケットの中心から外れたんだよね、ワタシらの世代は。 27才っていういまでいう「アラサー」な年齢になってきてたし。

そしたら急に、聴いてて「ちょっと違うな」・・・って聴いてて気持ちいいとは思えない曲が急に増えてきたんだよな。それがワタシのとっての1996年って言う年だった。 

この「SWEET 19 BLUES」って曲。 ぱっと聴き、特に新しい音楽じゃ無いんだよ。 もろR&Bじゃん。 しかも60年代の、もろブラックソウル的なサウンドですよね。和田アキ子さんが好きそうな。

だからね、音的にはワタシが聴いも抵抗は無い・・ようなところでもあるんだけど・・・。

でも、ダメだったんだよなぁ、当時。

邦楽というよりも、もろ洋楽的だったっていのうも、生理的にちょっと違ったのかもしれない。 やっぱさ、洋楽的にもどこか和テイストな香りがする方が安心する世代だからさ。

それよりも何よりも、当時「19才」だった彼女が、 ここまで歌えるんだぞ・・・って言う姿勢にちょっと末恐ろしいものを感じてた・・・っていうのが、本音だったかもしれないなぁ。



よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村

I'm proud / 華原朋美

1996_03_I'm Proud_華原朋美


今回の1曲セレクトは、「I'm proud」華原朋美です。

まずはデータでっす。

・タイトル     I'm proud
・アーティスト   華原朋美
・作詞       小室哲哉
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1996年3月6日
・発売元      パイオニアLDC
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  139.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1996年3月18日〜5月20日付
・タイアップ:東京ビューティーセンターCM曲

うーむ、どうもこの「1曲セレクト」は90年代後半以降は「鬼門」なんだよなぁ〜。。。
うん、いやね、ブログのアクセス数の事なんですけどね。
一昨日、ジュディマリの「散歩道」を書いたんだけども、さっぱりアクセス数が上がらない。。。

まあ、90年代後半ともなると、世代交代といいますか、ワタシらの世代も20代後半〜30代になり、ヒット曲の中心から離れた方も多いからねぇ。
やっぱ、90年代前半までなんだよね、ワタシらの世代は。
90年代後半以降は、他の方もたくさん書いてるし、ワタシじゃ無くても・・・とも思えるしな。。。
そう考えると、90年代後半の曲でアクセスが減るのもしゃーない・・・か。

いや〜〜 、やっぱし悔しいわい こうなったら、また90年代後半で行くもんね。。。

華原朋美「I'm proud」。

もうね、半分ヤケクソ。 当時、キライだった曲を持ってきちゃいました。。。

・・・なんて書くからアクセス数減るんだよな。 
態度が人を動かす・・・っちゅうこともあるからなぁ。。

でもねぇ、当時キライだったって言うのは事実でして、だから、今回のトピにはクレーム来るだろうなぁ。。。っていうのを覚悟の上で進めようかしらね。

なんで、当時この曲がキライだったか。

・・・なんて言われると、よく分かんないんだよね。 っちゅうか、結局のところ理解できなかったんだよね、この曲。もっと簡単に言えば、生理的に合わなかったのよ。

ここでは、前々から何回か書いてきたけど、基本的に小室氏の曲って生理的に合わないんだよなぁ。うん、これはこの曲に限らず、TMの頃からずっとそう。

TMが「Get Wild」でブレイクしてきた時から、よく分かんなかったもの。

たしかに表面聴きはかっこいいんだけど、深いところまでのめりこめないんだよね。だから、どうしても表向きだけ・・・って思えちゃうのよ。

ただ、90年代に入って、trfの時は、まずまずしっくりと聴けた。小室氏でもポップなイメージだったんで、あればあれで良かったと思うし。

でもねぇ、この曲のちょっと前に安室のプロデュースも始めたでしょ、小室氏。 それでまた違和感ありありだったんだよね個人的に。まあ、これまでどこに違和感ありなの? って言われると上手く説明できないんだけどね。兎も角生理的にってところでさ。

そこに来て、この曲だったからなぁ。

まあ、華原朋美って言うヒトを当時認めてなかったのもある。 だってウタヘタだったんだもん。
ってかくと、これまたクレームだろうなぁ、ウタ上手いって思えるヒトもいるかもしれないし、確かに最近の華原さんは、この当時に比べると格段にウタ上手くなったと思う。
ただ、個人的に、当時のこのヒトの、特に語尾の音程のピッチにねぇ、どうにも耐えられなかったのね。やっぱりどうしてもピッチが狂ってるとしか思えなかったのよ
そんな華原さんを「最高のサンプリング素材」って称賛してる小室氏っていうのもよく分かんなかったですよ。

で、そこまでならまだしも、それで売れちゃうわけでしょ。 この曲140万近くだもんなぁ売り上げ。  いや、これが個人的には追い打ちでしたねぇ、まったく理解できなかった。

ヒット曲の世界が分かんなくなってきちゃった・・・世間の感覚と自分のヒット曲感にズレを感じてきたって思えたのが、この曲を聴いてからだったと思うな。

うん、前回のジュディマリのと時も、98年は殆どヒット曲聴いてなかったって書いたけど、この「I'm proud」がその始まりだったんだよね。 ただ、96年当時は、それでもエイベックス系以外では、まだ個人的に引っかかる曲も多かったんでそれなりには聴いてたんだけど・・・。

そそそ、「キー」はエイベックス系なんだよね。 どうも生理的に合わなかったっていうのは。
簡単に言えばデジタルよりアナログ、シンセの無機質な音より生楽器の音色って言うヒトなんだよね、個人的には。まあ、エイベックスさんについては、音だけでなく売り方自体にもカチンと来てたところもあったんだけど。。。

当時はこっちもケツが青い20代だったし、感情的な部分も多々あったんだけどさ。言ってみれば食わず嫌いっちゅうのかな。

あれから20年以上も経った訳で、コチラも当時よりは丸くなったからねぇ、ギャップを埋めつつ当時の曲を少しずつ再度掘り返し始めたこの頃だったりもするんだよね。



まあ、今回はいろいろと書いちゃいましたが、とりあえず、最近ではこの曲は、理解出来るようになってきたかな。超大げさなストリングス中心のオーケストレーションが小室氏らしくなくて良い。きちんと聴けばとっかかりやすい曲ではあるんだよね。
ただ、この曲以降の華原さん曲は未だに理解できないんけど・・・。。。

ちなみに、この曲、華原さん最大のヒットだったけど、オリコンでは1位とって無いのよね。ちょうどリリース日がB'zの「ミエナイチカラ」とバッティッングしたからな。
この曲がキライキライって言っていたワタシにとっては、当時それが唯一の救いだったかも。。
・・・といいつつ、売り上げはこっちの「I'm proud」の方が上だったりして。。。

あ゛、だけども、なんやかんや言うてもワタシのランキングでは1位取ってんだよな。。。。うーむなんともはや。。。


よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村

a walk in the park / 安室奈美恵

1997_01_a walk in the park_安室奈美恵


今回の1曲セレクトは、「a walk in the park」安室奈美恵です。

まずはデータです。

・タイトル    a walk in the park
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1996年11月27日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  106.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1996年12月9日〜1997年2月10日付
・タイアップ:日立マクセル「maxell UD2」CM曲

先週のサプライズの一つで言ったら、金曜日。小室氏の突然な「引退」宣言でしょうかねぇ。
一体何なのよ・・・って感じだったし。
本人曰く「不倫疑惑」のケジメと言う事も理由の一つということなんだけどさ、これについては、別途Facebookに「友達」向けに書いて不評だったんで、ここでは割愛するけど・・・

もう一つの理由としては、「才能の枯渇」という点。 まあ、これについては分からないでもないんだけどね。
そりゃ、まあ、90年代あれだけ「馬車馬のごとく」作品を発表すれば、誰でも枯渇するってもんですわ。

本人曰く、「時代はもう小室哲哉を必要としなくなったんじゃないか」というのも引退の理由の一つらしいけど。
まあ、自分の曲が受けない時は、たれでもそう思うもんだよね。
90年代のあの飛ぶ鳥を落とす勢いの小室氏から考えれば、そんな事を考えるなんで想像も出来ない事だけど・・・。

同じ日本のヒットメーカーの巨人、筒美京平氏の昔のインタビュー記事にもこうある。

「ぼくのカラーじゃないヒトが元気な時ってある。でも、そう言う時って、元気なヒトの一生懸命マネをする訳。そうしているうちに、また自分のカラーが時代に必要とされてくる時がする訳」

つまりさ時代は常に動いている訳で、小室カラーが必要とされない時期もある。そりゃ時代と折り合わなくなる時期もあるのよ。

でも、そんな時元気なヒトに近づこうと頑張ってみる。 そうしているうちに、また時代は自分に近づいて事があるんだよ。

・・・って事。

恐らくこれは、70年代後半から終盤かけてニューミュージック全盛の頃、歌謡ポップス側である、さしもの筒美氏も苦戦していた頃と、80年代、見事なV字回復を見せた頃の事を振り返っての意見なんだけけどね。

それを鑑みてみるとさ、なんで、もうちょっとカンパれなかったのかなぁ・・・なんて思うのよ。
上の筒美氏の例で言えば、今、時代に受け入れらけないと感じるなら、今時代のメインストリームの音楽に近づこうとしなかったんだろうって事。

まあ、ここが小室氏ならではの「プライド」なんだろうけどさ。
なにせこれまで、「自分の音楽」が時代を動かしていたわけでさ。なかにし礼氏のコトバを借りると、自分の音楽こそが「時代の巫女」だったわけじゃん。そのプライドを曲げてまで音楽はしたくない・・・って事。

 結局さ、そこが「職業作家」の筒美京平氏と、「アーティスト」の小室氏との大きな違いなんだろうけどさ。

意地悪な言い方をすれば、時代を見極める柔軟な考えの筒美氏と、あくまで「自分の才能」にこだわる小室氏の違いって言うのかなぁ。
でも、そこで挫けて欲しくなかったよなぁ。まあ、これは第三者として言える意見なんだけどさぁ。

ちょっと考えを広ければ例えばアイドルへの曲提供なんかも出来た訳だし。 80年代はアイドルへの曲提供もしてた訳だしさ。
例えば「坂」グループに曲を提供してみるとかさ。やろうと思えば出来るわけじゃん。
どうしてそういう方向も模索しないで、引退というコトバを使ってしまったのか・・・っていうのは、やっぱ残念なんだよな。


あ〜、今回の1曲セレクト前置きがめちゃくちゃ長くなっちまった。。。  
小室氏への「提言」の場ぢやないよなぁ、1曲セレクト。

でもまあ、小室氏の引退をかけて、やっては、今回は小室氏の曲だろうな・・・ってことで、この曲を引っ張って来ましたわ。

安室奈美恵「a walk in the park」。

まあ、小室氏の音楽について、ここでは、これまでも何度も書いてるけど、個人的にはそんなに影響が無かったんだよね。引っかからなかったっていうのが正しいか。
このヒトのメロディって、感情むき出しっていう「喜怒哀楽」なところがあんまりないじゃん。 よく言えば「ドライ」。
無機質ってところだよね。
そこが個人的にはあんまり引っかからなかったんだと思う。

だから、当然、小室プロデュースになってからの安室さんの音楽も殆ど触手が伸びなかった。

うん、小室氏プロデュース以前、まだ「スーパーモンキーズ」の一員だった頃の安室さんには興味があったんだけどね。そそそ「TRY ME〜私を信じて〜」でブレイクしてきた頃の安室さん。

これは凄いヒトが出てきた・・・ってさ。 でも、そのすぐ後、東芝EMIからエイベックスに移籍して、小室氏プロデュースになったじゃん。 その途端に興味が無くなった・・・っちゅうかねぇ。。

あー、こんな書き方するから「敵」を作るんだよなぁ。 
でも、個人的な本音の部分であり、だから「天邪鬼」なんて言われるんだけどさ・・・。

いや、個人的に好きだった安室さんは、もっと「ストレート」なポップを歌う安室さんだったんだよな。
「TRY ME」なんてのはリズム体と複雑だけどユーロビートじゃん。ストレートなんですよノリが。いってみれは分かりやすい。 ココが良かったのよ。

でも、「TK」化されてからは分かんなくなったんだよな。
確かにエイベックスに移籍することで国民的なアーティストヘ大ブレイクしたことは間違いないんだけど・・・。

そんな安室さんの曲だったけど、エイベックスに移籍して以来、個人的に納得できたのが、今回の「a walk in the park」だったなぁ。

初めて聴いたのは、確か、ミュージックステーションだったかなぁ。

Aメロはいつもの小室節っぽくて、「あ、またか」・・・と思ったものの、2分音符を多用する、サビへのブリッジとなるBメロの ♪ 想いが届けば〜 ♪ のところから考えが変わったんだよな。

細かい譜割りが特徴的な小室メロディにあって、2分音符を多用するメロディって、あんまりなかったからさ。

で、そのまま、♪ A Walk in the Park〜♪っていうサビに入って行く。

この流れがね自然だっんたですよ。恐らくそんな所に反応したんだろうねぇ。

それにサビの♪ A Walk in the Park〜♪ ってところを中心に聴いてて絵が浮んで来るんだよな。 その浮かんでくる絵がね、シカゴの「Saturday in the park」だったりしてね。
つまりさあ、シカゴの「Saturday in the park」を彷彿させるくらいの自然な流れのポップスだったって事なんだよね。




ちなみに、97年の頭頃のミュージックステーションって「あ、これは」っていい意味で裏切られる曲に出会う事があったんだよな。 昔書いたけど河村隆一の「I love you」もそうだったもの。




ちなみ、この曲マクセルの「カセットテープ」のCM曲だったんだよね。
当時、音楽録音用メディアとしては「MD」が主流で「カセットテープ」なんて、すでに時代遅れの感じだったんだけどね。
そんなカセットのCMで使われていたのが、時代の「最先端」だった安室の曲っていうのも、なんかアンバランスな感じでしたよね。



よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村

COME ON EVRYBODY / TM NETWORK

1988_12_Come On Everybody_TM NETWORK


今回の1曲セレクトは、「COME ON EVERYBODY」TM NETWORKです。

まずはデータでする。
・タイトル    COME ON EVERYBODY
・アーティスト  TM NETWORK
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日    1988年11月17日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  20.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1988年12月5日〜12月19日付

えー、今回が今年2017年最後の「1曲セレクト」になりそうですね  
ハイ、これから桑田佳佑氏の年越しライブに行くもんで。。
えー、今年もたくさんの皆様にご覧いただき、ありがとうございました。来年も引き続き宜しくお願いします


・・・ということで、2017年の最後の1曲セレクトはどうしようか・・・と考えつつ。この曲を持って来ました。

TM NETWORK  「COME ON EVERYBODY」

まあ、個人的にはTMってそれほど熱狂的に聴いてた訳じゃない。この曲に至るまでも大分端折って聴いてたし、だから、いまだに音源持って無いシングルもだいぶあるしね。

ただ、なぜか、この曲の前の「SEVEN DAYS WAR」も、この「COME ON EVERYBODY」もしっかり音源持ってたりするんだよなぁ。

たしかに「SEVEN DAYS WAR」は良かった。というか聴きやすかったんだよね。
TMの曲で個人的に受け入れられるかどうかって言うのは、無機質すぎないかどうかってところなんだよなぁ。

結局のところ、サウンドのほぼ全てをシンセで操っているTMは基本、無機質なんだよね。音色に表情が少ないっちゅうか、広がる色彩が少ない。簡単に言えばデジタル。 
そんななかでも、多少アナログっぽいタッチの曲もあるんだよな。 それが「SEVEN DAYS WAR」。 

恐らくね、だから、個人的に安心して聴けんたんだと思う。

それに対して、この「COME ON EVERYBODY」は、デジタル度が高いんだよな。

でも、なぜか、受け入れらけたんだよなぁ。 サウンド的には恐らく拒否反応を起こしても良さそうなんだけどねぇ。

ちょっと前に、中山美穂さんの「Witches」の時も書いたんだけど、結局のところ目の前に迫った「大学受験」っていうのが大きかったんだよな、88年のこの時期は。
前の年1度受験に失敗してたからさあ、再度失敗出来ないって言うプレッシャーと、まだ自信が無いって言うプレッシャーで二重のプレッシャーだったんだよなぁ、29年前の「大晦日」は。

そんな重圧感が、いつもは拒否しそうな音楽も「受け入れ」に変わって行ったんだよね。 

なんか変な話なんだけど、でも、実際的にそうだったから、その辺が音楽の不思議さなんだよなぁ。

だからね、この曲でどこが良いのか、良くないのか・・・っていうのは、良く分かんないんですよ、未だに。
唯一言えるのは、メロディラインのキャッチーさなのかなぁ。若干中国音階的なヘンチクリンな展開なんだけど、逆にそこに引っかかったってのはあるんだよね。
中国音階風ではあるけど、中国臭はしない。あくまで無機質は無機質っていうのところが面白かったし。

たださ、それ以上にこの曲を聴いていつも感じるのは、29年前のあの重圧感と、あの時の勉強部屋の匂い。そそそ、石油ファンヒーターを焚いた時のあの匂い。 それをいつも感じちゃうんだよね。


ちなみに、1浪目だったこの年の受験にも失敗するんだけどね、結局。
まあ、言ってみればこの頃感じてたプレッシャーに押しつぶされたって事なんだけどさ。 
そんなプレッシャーをぶっとばし開き直った2浪目でリベンジが始まるんだけどさ。
うん、この時の一連の大学受験で学んだのは、最後は開き直りって事なんだよな。それは、今でも役に立ってるかなぁ。





っちゅうことで、あと数時間で今年の紅白が始まるけど、これは、88年の「紅白」の時の「COME ON EVERYBODY」。
個人的にはこの年の紅白は見てなかったんだけどね。 まあ、浪人っちゅう立場と、受験本番直前という立場もあって勉強してたんで・・・・っちゅう訳ぢゃなく  ウラ番組見てたんだよなこの年は。
 
尺が5分オーバーとは、大分思いきった事やったんだな、今時のTMは。 

当時紅白は今と違って21時〜23時45分だったから、1組は大体2分30秒っていうのが定番だったからさ。そこで5分以上っていうのは、かなりの高待遇ですぜ。

もう忘れちゃったけど、それじゃなきゃ「出ない」ってなったのかもな、この時のTM。

ちなみに、この時のギターは、現B'zの松本孝弘。 木根さんのギターは音がオフだからして。。。

小室氏のシンセの後ろに、「88」らしきPCのモニターが見えるけど、これも時代を感じるな。
当時としては、「時代の最先端」に見えたけど、今となってはアナクロっぽいもんなぁ。

そうそう、「昭和」が終わるのは、この1週間後。
・・というか、いつ終わってもおかしくないって言う状況だったもんね、この頃は。
そして、「平成」って言う時代もあと1年ちょっとで終わりなんですよね。




よろかったら、ポチッと押してね。
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

GOOD MORNING-CALL / 小泉今日子

1988_03_GOOD MORNING-CALL_小泉今日子


今回の1曲セレクトは、「GOOD MORNING-CALL」小泉今日子です。

まずはデータだよ〜ん。

・タイトル    GOOD MORNING-CALL
・アーティスト  小泉今日子
・作詞      小泉今日子
・作曲      小室哲哉
・編曲      清水信之
・リリース日   1988年3月9日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  17.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1988年3月21日〜4月25日付
・タイアップ:味の素「クノール・カップスープ」CM曲

CD売り上げが芳しくないと言われて久しい。逆にネット配信が「デフォルト」となりつつある訳でね。
「ヒットチャート」と言うところから見ても、CDセールスのみの「オリコン」よりも、配信の「レコチョク」のダウンロードチャートの方が、より「ヒットチャート」らしく感じるんだよな、最近は。

それだけ「配信」で音楽を買うってのが、普通になりつつある訳で、逆に言えばパッケージCDを買うっていうのは、特定のヒトたちだけになりつつあるって訳ですわな。

ま、それが良い傾向なのか、はたまた悪い傾向なのか・・・っていうことは、ここでは置いといて。。。

そう言うメディアの変化っていうのは、今に始まった事ではなく、昔からあった訳で。。。
そもそも「レコード」っていうシロモノが発明された昔から、そういうメディアの変化により音楽の聴き方が変わってきたってう歴史がある訳なんでね。

そんな中で、一番明確に「メディア」が変化したって実感できたのは、やっぱアナログレコードからCDへっていう変化の時だったろうな。
そそそ、80年代後半の頃だ。 ただね、いつか書いたような気がするんだけど、当初、CDは「アルバム」だけだったんだよね。
規格として、74分録音の12cmCDしかなく、プレイヤーもそれに対応したものしかなかった訳でさ。

まあ、既に、後の「シングルCD」を見据えた、8cmCD対応のプレイヤーもあったかもしれないけど、一般的に当初のプレイヤーは12cmCDしか対応してなかったのよ。

だからね、アルバムはCDで聴けるけど、シングルは依然「アナログ」でしか聴けない・・・っていう妙な時代が数年続いた訳さ。

BUT、CDプレイヤーの普及とともにアルバム売り上げは伸び始めた80年代後半に対して、シングルは落ち込む一方だったんだよね。 なにせ87年のシングル売り上げ1位だった、瀬川瑛子の「命くれない」が42万枚でしたから。。。
こんな「負」のスパイラルを止めるべく、シングルCDの発売が開始されたのが88年2月。
そそそ、ちょっと古いヒトには懐かしい「短冊形」パッケージの8cmCDですわな。

ただ、シングルCDが発売された当初は、大多数のプレイヤーは、当然それまでの12cmCDしか対応していなかった訳でさ。 苦肉の策として、8cmCDに「アダプター」を噛ませて、12cmにしてプレイヤーで聴く・・・なんて事をしてたよなぁ。

しかもこのアダプター、結構高くてさあ。本当は、それぞれ1枚1枚に噛ませておいた方が扱いが楽なんだけども、高いからさ、数枚だけアダプターを買ってきて、CD聴く時にとっかえひっかえ使ってりして。。。。
めちゃくちゃ煩わしかった事を覚えるなぁ。

・・・つか、未だにコレ売ってるんだな。。。

↓ コレ
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%82%AB-audio-technica-AT6621-CD%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/B0002ERE2G

チョットびっくり。。。

あ、でも、最近はすっかり8cmシングルCDも少なくなったんで、プレイヤー、8cmCDに対応しなくなったモノが増えて来ているって言うし、逆に需要も増えてるんでしょうね。

ま、兎も角も、このメディアの変化が大成功をおさめ、シングル売り上げは見事な「V字」復活。90年代のメガヒットの時代に向かって行くこととなる訳ですわ。

※蛇足だけど、この当時の「アナログ」レコードってめちゃくちゃ音がよくなってたんだよね。
後年、浅香唯の「Believe Again」(88年1月のリリース)をアナログレコードで購入して、この音質の良さにびっくりしたっけ。逆にCDの音質は概して悪かったんだよ。音位が高音域に偏っていて、キンキンとした音なんだよね、この頃のCDって。。。音量レベルも低いし。


・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんなシングルCDが発売された88年の「今頃」のヒットを持って来ますか。

キョンキョンの「GOOD MORNING-CALL」

うーむ、逆言えば「はぁ? なんで今頃、この曲なの?」とか言われそうな気もするんだけど。。。

個人的に、この曲当時、キライじゃなかったんだよな。
キョンキョン、初の「小室」作品ということで注目もされていたし、少なくとも前作の「キスを止めないで」よりも引っかかりがあった。

うーん、引っかかりがあった・・・っていうのは、ちょっと違うな。 シングルっぽい曲だと思った。

でも当時、この曲音源買わなかったんだよなぁ。 なぜだったのか? ・・・っていうのは、あれから29年、流石によくは覚えてないんだけど、たしか、上で書いたように「シングルCD」に関係していたような気がする。。。

そうだ、この曲あたりから、シングルもアナログからCDシングルに変えよう・・・って思ってたんだよな。

でもねえ、個人的に言えば、この頃並行して「大学受験」に失敗して、1年浪人生活を送ることとなりーの、CDどころじゃ無くなっちゃったわけなんだよな。(現に、この年は1枚もシングル買ってない)

それ以後、29年間、何の因果かこの曲の音源ずーっと、持ってなかったんよ。

・・ということは・・・、↑で、この曲「キライじゃない」って書いたけど、結局のところ好きでも無かったのかも。。。

考えてみれば、小室メロディって90年代以降の、いわいる「小室系」が確立されたころもあんまり引っかからなかったからなぁ。それは、80年代の時からずっとそうだったような気がする。
確かに、90年代の「小室系」の時代に比べて、80年代の小室作品は、今聴くとそれほど「らしさ」を感じる曲は少ないんだけどね。
 まあ、TM NETWORKは別として、ことアイドルの曲は、総じてサウンドも軽いし、メロディラインも軽い。それでも無機質な匂いはあったけどさ。

個人的に、あんまり引っかからなかったっていうのは、やっぱり、この「無機質」って言う部分何なんだろうな。

この曲の丁度1年前の87年春は「水のルージュ」を歌ってたキョンキョンだけど、この作品は作曲が筒美京平氏でアレンジが大村雅朗氏。
 同じ「シンセ」をフィーチャーしてる作品ではあるけど、より「有機的」なんだよね。 中身がきゅっと詰まっているって言う感じで。

対して、この「GOOD MORNING-CALL」は、軽い曲ではあるけども同時に中身もスカスカっていうイメージもあったんだよな。 その差だったのんだろうな、個人的に引っかかったのかそうじゃなかったのか・・・って言う差は。

ランキング的に見ると、オリコンでは最高2位だったこの曲。 ま、初登場(1988年3月21日付)の時が2位だった訳だけどもね。
でぇ、その時の1位は・・・・。そう、光GENJIのあの「パラダイス銀河」の「初登場」時だったわけですわ。
例の初登場売り上げ「338,690枚」って時。

今じゃ、某アイドルグループ「A」が、毎回初登場ミリオンセラーってなっているんで、全然インパクトを感じ無くなってるけど、当時はこの数字にはひっくり返る位びっくりしたな。 その時の2位が、この「GOOD MORNING-CALL」だったんんだよね。
まあ、リリース日が同じ「3月9日」てことで、必然的に初登場も同じになっちゃうんだけどね、それでも、1位のあまりのインパクトに、この曲、完全に霞んじゃった・・・っていう印象もあるんだよな。


あ、この曲とは直接関係ないけど、キョンキョンも、先日3月21日でデビュー35周年でしたわねぇ。
35年かあ、早いもんだよねぇ。 ま、流石に35年前の事を「まるで昨日のように・・・」なんては言わないけど、それにしてもあっという間だったよなぁ。
キョンキョンが35周年ということは、他の「花の」82年組、堀ちえみ、中森明菜、シブがき隊、早見優、松本伊代・・・みんな35周年って訳で。。。。
 ちなみに、35周年を記念して・・・かどうかは分かんないけど、キョンキョンも5月にデビュー曲の「私の16才」〜の全シングルを収録した「ベスト盤」をリリースするそうな。

とは言っても、キョンキョンってベスト盤リリースが好きで、これまで何回もベスト盤出してるんで、今さらねぇ・・・なんても思ったりするワタシだったりもするんだけども。。。

ちなみに、29年間音源持ってなかった・・っ書いたワタシですが、ちょっと前に、以前リリースした「ベスト盤」から音源をチョイスしたんでね、今は手元にあったりするんだけども。。。



あーら、かわしらしいキョンキョンですわ〜  Mステですね。
改めて曲を聴いてみると、例の「潮騒のメロディ」のコード進行って、この辺の曲を下敷きにしてるような気がするな。
もちろん、メロディラインは全く違うけど、Bメロあたりのコード進行から似たような光景が浮かんできたりするな。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

YOU ARE THE ONE / TK PRESENTS こねっと

1997_01_YOU ARE THE ONE_TK PRESENT こねっと


今回の1曲セレクトは、「YOU ARE THE ONE」TK PRESENTS こねっと どぇす。

まずはデータどぇす

・タイトル     YOU ARE THE ONE
・アーティスト   TK PRESENTS こねっと
・作詞       小室哲哉 MARC DJ KOO and hitomi
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1997年1月1日
・発売元      こねっとプラン事務局(クラウン)
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   122.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年1月13日〜2月17日付

えー、この間から、新年恒例()の「1月1日」リリースの曲を書いて来ましたが、そろそろお開き・・・のつもりでいたんだけどもね。
 でも、昨夜風呂入りながら、次、何書くべ・・・といろいろ思考していたら、まだ書いてなかった「1月1日」リリースの曲が浮かんできてしまった。。。

TK PRESENTS こねっと「YOU ARE THE ONE」

この曲、覚えてます?  まあ、アーティスト名から「小室哲哉」氏のプロジェクトだったよな・・・っつうのは一目瞭然なんだけども。。。
 そそそ、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンと題し、小室ファミリーが一同に会したコラボレーション企画の1枚ですわな。
まあ、日本版「ミニ」、「WE ARE THE WORLD」っていう感じですな。

この曲がねぇ、1月1日リリースだったんだよね。 さすがにそこまで覚えてた方も少ないだろうなぁ・・・。現に書いてるワタシも記憶の蚊帳の外だったんだけどさ。。

1997年というから、今から丁度20年前だよね。 というか、その方が衝撃だったりして。。97年から20年経つんだよな。。。 え? 早えーよなー・・・。って思う方も多いんじゃないんですかねぇ。

この曲上で書いたように、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンソングというくらいだから、当時は、まだインターネットもそれほど普及していなかった時代ですわ。
 総務省統計のインターネット普及率推移をみると、日本でのインターネット普及率は1997年末時点で、まだ人口比の9%強、実数としても1000万人にも達してなかったんだよね、当時のインターネットの普及率。

ネットと繋がっているのが、「デフォルト」の昨今からみると、ちょっと想像もつかないような状況だったわけだけど、実際にそうだったんだよな。
正直、こんな事書いてるワタシでさえ、この曲がリリースされた1997年1月の時点では、まだネットをやってない。
うん、この年の12月だからさ。ネットを始めたの。 だから、人口比で、ギリギリ1割程度普及した所から始めたって感じなのかな。(それでも某IT系D社に居た頃は、始めたのがかなり遅かった部類ですが。。。)

まあ、そもそも、ネットへのアクセス速度も、今からするとめちゃくちゃ「貧弱」だったんだけどもさ。 
なんせ、一番普及していたのが「28.8kbps」の「アナログモデム」だったからさあ。

覚えてます? モデムって。 そそそ、通常の電話回線はデジタルではなくアナログだったからさあ、当時は。パソコンと通信させるためにPCのデジタルをアナログに変換させる必要があったんだよね。そのためのデジアナコンバーターですわな。
 その通信速度が、当時一番普及してたので、28.8Kbps。 当然、音楽のやり取りや。ましてや動画のやり取りなんて出来ないくらいのよ。
1枚の「静止画」受信するのだって、まあ、イライラするくらい遅かったし。。。。

そんな状況、当時勤務してた会社での状況を知ってたんで、ワタシは、アナログモデムは使いたくなかったんだよね。 なので、当時「最速」だった、ISDN(64kbps)の普及を待つべく、個人的にネットを始めるのを、少し我慢していた時期でもあるんだよな。
そそそ、ISDN回線は、一般のアナログ回線とは別回線だったからさ、この回線が自宅周辺まで引っ張ってこられるまでは契約できなかったからさ。 それわまってたら、結局、この97年の末になっちゃったってわけで。。。


・・・・いやいや、曲とは全く関係ない個人的なネットの話になっちまった。。。。

と言うかね、20年前、この曲がヒットしていた最中は、この曲、全く認めてなかったんだよね。正直言って。。
いや、この曲だけではなく、いわいる「小室系」っていう音楽を認めていなかった・・・と言うのかなぁ。
・・・なんてはっきり書いちゃうと、「反論」が来ちゃうかもしれないけどさ。
まあ、それも覚悟の上で書くけどね。

最初のうち、うん95年くらいまで・・・具体的に言えば、 globeが「Departure」を出すまで・・・だから、96年1月か・・・までは、認めてたんだよな。

でも、96年に入って、どうも耳触りになってきたんだよなぁ。。。
まあ、ヒットチャートのほとんどが「小室系」に占領されつつあったこともあった。

個人的に、そういう「独占」的なチャートになるとダメなんだよね。突然「アンチ」になってしまうのよ。 90年代前半の「ビーイング」系の時もそうだったしさ。

やっぱりね、ヒットチャートたるもの、いろんな色合いのアーティストが種々雑多な状態で競い合うからこそ良いんだよね。
独占禁止法ではないけど、一人のプロデューサーで似たような音楽が並んでいるチャートってツマンナイのよ。
飽きちゃうんだよな。

そんなこともあって、96年くらいから少しひっと曲から距離を置くようになっていたんだけども、この「YOU ARE THE ONE」って曲を聴いて、それも決定的になっちゃったような感じだったんだよな。

モチーフを「WE ARE THE WORLD」に求めた事は良い。 でもさ、やるんだったら、もう少し、きっちりとやって欲しかったんだよな。

・・・あ、主語が抜けたね。。。

うん、最初に書いたように小室ファミリーのヒトたちが一同に会して、少しずつ、数フレーズずつ、リレーしてうたっていくんだけど、ほとんどのヒトが歌いきれてないんだよな。
 まあ、それぞれの方で「キー」が違うって事もあり、歌いきれない部分もあったんだろうけど、それにしても、なんか聴いてて痛々しいんだよね。

肝心の曲にしても、掴みどこがなく、淡々と流れて行くような感じだし。 

そう言う掴みどころがない曲が、小室ファミリーだからと言って、簡単にミリオンセラーになってしまうって言う現実に、やっぱり、なんかおかしいよな・・・っていうところは感じたんだよな。
96年頃からヒットチャートから距離を置き始めていたっていうのは、この部分も大きいかもしれない。

80年代のミリオンセラーが出ない時代、いや、それ以前に「ミリオンセラー」っていうものが特別だった時代からヒットチャートを見てきた者にとって、時代感のずれ・・・っちゅうのかなぁ。
ミリオンセラーになる曲って、他のヒット曲とは別の特別なものがあるように感じているんだよね。

曲が持つオーラっていうのかなぁ、普遍性っていうのかなぁ・・・うまいコトバが出てこないんだけども。。

この曲からは、そういう、それまでのミリオンセラーになる楽曲が持つ「オーラ」を感じなかったんですよ。
曲としては、あくまで「中途半端」さだけでさ、感じるのは。

それでいいのかなぁ・・・って言う疑問が、先に立っちゃうんだよね。 それがいやで、この時期、ヒット曲から距離を置いてたんだよな。
(単純に、個人的に好みの曲がヒット曲には無かったというのも大きいか。。。)

そんな感じで90年代終盤までのヒット曲には「疑問」を持つようになったワタシだけど、その本格的な始まりは、この曲から始まった・・・なんて言っても過言ぢゃないかもなぁ。


・・・と言ってもですよ、あれから20年経ちーの、いまや、ヒット曲クロニクル的見ても、「90年代後半」という歴史になったこの当時の曲を、「今」も毛嫌いしている訳ではないんだけどね。

曲として「中途半端」な時代として、この時代〜90年代後半〜は、それはそれで認めるようになったんでね。

だから、当時あれだけ絶対に認めない・・・なんて、音源を持つのも持ってのほか・・・って思ってたこの曲だけど、今は、音源手元にあるしなぁ。

とは言っても個人的な好みだから・・というよりは、ヒット曲の時代を語る上での「資料」って言う感じで音源があると言った方がいいんだけども。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

Get Wild / TM NETWORK

1987_06_Get Wild_TM NETWORK


今回の1曲セレクトは、「Get Wild」TM NETWORKです。

まずはデータです。

・タイトル    Get Wild
・アーティスト  TM NETWORK
・作詞      小室みつ子
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1987年4月8日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 23.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1987年5月25日〜7月20日付
・タイアップ:日本テレビ系アニメ「シティーハンター」エンディング曲

今回の1曲は完全に「うっかり」してた曲をセレクト。

TM NETWORK 「Get Wild」

いやいやいやいや、mixi時代を含めると何年1曲セレクト書いてるんだ って感じなんだけど、この曲、まだ書いてなかったんだよな。。。
うわっ、完全に失態  ・・・って思われてもしょうがないかなぁ。

TMっていったら、少なくとも私らよりも年下の方の年代の方には「カリスマ」的存在なアーティストだからなぁ。
今まで長い事、エンターテイメント系サイトの世界に居るけど、ずっとそうだったもの。もうね「ネ申」アーティストだよね、完全に。
 まあ、このヒトたちから日本のポップロックの曲調が変わっちゃったくらい、アーティスト面々にも多大な影響があったことは間違いないんだけども。

でもねえ、正直言うと、ワタシの中ではそんなに影響なかったんだよね、このヒトたちが出てきた事っていうのは。他のアーティストのブレイクと同じような感じで受け止めていたし。

たださ、ベストテンのスポットライトにこの「Get Wild」で出た時、「自動演奏」ってことで、スタジオいっぱいに楽器を配置して、PC88を中心に楽器を全て繋いだ状態で演奏したじゃん。
黒柳さんが、「まあ、大道具をしょってきて・・・」って驚いたっていう。これは、確かにインパクトがあった。
本来なら、あそこまで大がかりにしなくてもPCとシーケンサーさえあれば自動演奏は出来たんだけどね、今考えると完全に演出だったよね。
でも、まあ、なんて変わった人たちが出てきたもんだ・・・・なんてことは思ったな。 ただ、それくらいだったかなぁ

あ、↑で、PC88なんて書いちゃったけど、たしかPC88だったよなぁ。PC98じゃなかったような気がするんだよな。Macではなかったことは確か。以後のDTMの流れを見るとMacじゃなかったのは意外だけど。

でも、なんで、個人的に影響が無かったかと言えば、正直言って、シンセを中心としたいわいるDTMには、あんまり興味なかったからだろうなぁ。
 無機的で、冷たい感じがするでしょ。 実を言うと80年にY.M.Oがで出来た時は、そんなに衝撃は受けなかったんだよな。それと同じ感覚だったんだよなぁ。
 結局さ、形態はやや異なるかもしれないけど、基本的にはニューウェーヴ系統の一つだったからさ。以前から書いてるようにニューウェーヴ系って生理的に取っつきにくかったんだよね個人的に。
だから、あんまり引っかからなかったって言うのこともあるかなぁ。
 個人的には人間臭い、「有機的」な音楽が好きだったし、今でもそうなんだけどね。
同じ時期に長渕剛の「ろくなもんじゃねぇ」が出てたんだけど、個人的には、そっちの方が好きだったんだよな。人間臭いって言う点で。

あ、だからなんだよね、この曲、今まで1曲セレクトで書いて来なかったっていうのは。今までは、個人的にひっかかった曲を中心に書いてきたからなぁ。

今は? ・・・といえば、まあ、1987年って言う時代を形作った曲であることには間違いないし、87年を象徴する曲の一つって言う意味では、私の中でもこの曲は外せない曲になってるけどさ、でも、心の底から好きかって言うと、そこまでじゃない・・・って感じ・・・なのかなぁ。



そう言えば、この曲のMVってこんな感じだったよね。今見てて、想い出した。
それにしても、今、あらめて聴くと、同じDTMでも、今の水準から、かなり音はちゃちいよね。
そりゃそうか・・・PC88で制御してたくらいだからなぁ。。。それでも当時は先端の音って言う感じだったけどねぇ。
まあ、あれから29年経っている訳で、流石にテクノロジーは発展したよな。
ただ、それだけ使いこなしているアーティストって意外と居ないような気もするけど。少なくともヒットチャート系のトップアーティストではさ。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村
記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん