かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

大瀧詠一

幸せな結末 / 大瀧詠一

1998_01_幸せな結末_大瀧詠一


今回の1曲セレクトは、「幸せな結末」大瀧詠一です。

まずはデータです。

・タイトル    幸せな結末
・アーティスト  大瀧詠一
・作詞      多幸福
・作曲      大瀧詠一
・編曲      井上鑑
・リリース日   1997年11月12日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   97.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1997年11月24日〜1998年1月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」主題歌

先日、佐野元春氏の「約束の橋」で、70年代、80年代の「大御所」アーティストのドラマ主題歌で取り上げられねがれは、この辺から下火になる ・・と感じで書いた。
まあ、確かに頻度としては、90年代頭から92年くらいまでに比べると落ちた印象が強いんだけどね。
実際は、それ以後も90年代後半まで続いたわけで。

その「とどめ」として出てきたのが、このヒトのこの曲だったんじゃないのかなぁ。

大瀧詠一「幸せな結末」

最後の「大物」として、やっとドラマの主題歌で出てきたか・・・なんて、思った方も多いんじゃないんですかねぇ。

wikipediaを見ると、当時の大物ドラマプロデューサー、亀山千広氏から、大瀧氏へなんども、依頼をしていたものの、ずっと断られ続けた ・・とあるんで、ずっと前からオファーはされていたようなんだけどね。

まあ、70代〜80年代にかけて、テレビには出なかったアーティストも含め、超大物アーティストが次々とドラマ主題歌に抜擢されていく中で、 大物中でもさらに大物である大瀧氏にオファーが行かないわけもないわけで。

でもまあ、大瀧氏も当初は断り続けていたようなんだけどね。亀山氏の粘り強い交渉と、その他諸事情が整い、ここに実現したわけでね。

当時、ドラマ主題歌に大瀧氏の「新曲」・・ということを知ったとき、正直、個人的には複雑な心境だったな。

まず、大瀧氏の「新曲」が聴けるということ。 なんせ、待って待って待ち続けてましたから。。。
この曲の前にリリースされたシングルは、1985年11月の「フィヨルドの少女」まで遡るわけで。

中学2年(1983年)のちょうど今頃、親友だった「お寺」の息子のI君に強制的に聴かされた「A LONG VACATION」のカセットを強制的に聴かさせた。

衝撃的だったのよ。  なんだ、この音楽は。その頃主に聴いていた「ヒットチャート系」とは全然違う。 あの頃自分の中で求めていた「音楽」がすべて詰め込まれていたような気がして。

強制的に聴かされたカセットを、今度は、ワタシから「強制的」に借りてダビングしたな。
丁度、AIWAの「ダブルカセット」ラジカセを購入したときで、カセットからカセットへダビングしたのが、「A LONG VACATION」。

依頼、ワタシゃ、大瀧フリークになったのよ。

当然「EACH TIME」のLPも、 85年の「フィヨルドの少女」のシングルも聴き倒したな。

当時のマスコミ的な流れだと、次のアルバムは88年、その次は91年・・か?  とか言われていたわけで。。

でも、88年も 91年も 何の音沙汰もなし。 そろそろと次のアルバムの準備期間か? などの質問にも、まだ「EACH TIME」の整理期間 などとはぐらかされるばっかりで、ニューアルバムどころか新曲の声も一向に出てこないし。。。

もう、大瀧氏の新曲は永遠に出ないかもしれない。。。 なんて諦めに変わったりして。

そのうち、90年代の新たなアーティストが台頭する中で、大瀧氏については、ほとんど忘れかけていたんだよね、ワタシも。


そんな折に、突然ふっと湧いてきた「新曲」の情報。
やっと来たか・・と思ったのは言うまでもなかったのよ。

・・と同時に、一体どういう曲になるんだろう? 90年代の「NEW」大瀧詠一氏を見せてくれるのか、という期待があった。

反面、「ロングバケーション」の焼き直しだったらやだな・・っていう不安もあった。
時に90年代も後半。 すっかり70年代、80年代の匂いも一掃されていた頃だったからさ。
ここに「ロングバケーション」が来られても、時代錯誤のような気もしたのよ。

で、曲を聴いて、その不安は的中したな。 まったく「ロングバケーション」の再現だったから。
これは、亀山氏の意向でもあった様なんだけど。。。

BUT、そんな個人的な見立てとはウラハラに、売り上げ97万枚と、大瀧氏のシングルとしては、ダントツの売り上げを記録。

そもそも、シングルでオリコンのベストテン入りしたのも、この曲が初めてだったし。。。

まあ、あの当時、飛ぶ鳥落とす勢いだったキムタク主演の「月9」の主題歌だったわけで、大ヒットは約束されていたわけなんだけども、それにしてもミリオンセラー近くの売り上げっていうのは、正直、個人的には複雑な気分だったな。

メディアミックスでCDが売れるっていうのは、決して悪いことではないと思ってたし、今でも思ってるんだけどね。
でも、これは、あくまでニューカマーアーティストがブレイクする。そのきっかけとしてのメディアミックスなら・・って思うのよ。個人的には。

果たして、大瀧氏ほどの大物が、ドラマの主題歌としてメディアミックスが必要だったのか・・・というのは、やっぱ引っかかっていたし、そういう曲が、いとも簡単にミリオン近くまで売れるっていうヒットの風潮にも引っかかった。

佐野元春氏が「約束の橋」の時に、「ドラマの主題歌になんないとみんな聴いてくれないのか?」と疑問を呈したコトバが、甦ってきたりして。。。

待望の新曲が聴けたのは、うれしかった。けども、そんな理由から、もろ手を挙げて賞賛は出来なかったんだよな。 以来、この曲を聴くと、いつもどこかに、何かが引っ掛かったような違和感を感じたりしてね。




↑で、なんだかんだ書いても、今となっては、1998年の今頃の曲って頭になっているのは自分の中でちゃんと昇華してるんだろうな。 1998年の今頃って当時の仕事でも色々ツライことが多かったのよ。そういう時期の曲って好き嫌い抜きにして、印象に残りますね。


ちなみに、この曲がヒットしていた、ちょうどこの頃、個人的にはインターネットを始めたんだよね。
1997年12月の暮れだったな。
年末年始休暇を利用して、自宅PCとネット回線を繋いだの覚えてるわ。
TCP/IPとか手動で設定しなきゃならないところかあって、接続するまで結構苦労したんだよな。
あの頃OSは、まだWindows95、回線はISDN、今みたいに常時接続は高くて個人では無理だったからダイヤルアップでしたね。 もちろんテレホーダイで。
日中は、直近のアクセスポイントまで3分10円の通信料がかかるから、接続は23時から翌日8時の通信料が一律になるテレホーダイタイム。
でも、考えることはみんな一緒で、23時になるとたちまち接続が重くなったりしてね。。。

仕事でネットを使うのを含めて、IT系の人たちに宵っ張りが多いのは、この頃のテレホーダイの慣習の名残だよなぁ。。。

いずれにしても、ネットに接続したことで、自分のサイトのランキング集計も、全部PC上で集計ができるようになったわけで。。今に続く環境が整った頃ですね。

それまでは、すべて紙媒体を利用して集計してたんで。。。。

でも、ネットにつないだことによって、あの当時の仕事を辞めようと思い始めたんだよな。


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フィヨルドの少女 / 大滝詠一

1985_11_フィヨルドの少女_大滝詠一






今回の1曲セレクトは、「フィヨルドの少女」大滝詠一です。

 まずはデータです。

・タイトル    フィヨルドの少女
・アーティスト  大滝詠一
・作詞      松本隆
・作曲      大滝詠一
・編曲      大滝詠一
・リリース日   1985年11月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 31位
・売上げ枚数   2.6万枚

今日は本当は「昔」の曲をセレクトするのをお休みして、「最近」の気になった曲を書こうと思ってたの。
でも、いざ書こうと思うと、なかなか筆が進みませんで。。。
フェイント気味で、急遽、昔の曲をセレクトしちゃいました。

・・・ということで、大滝詠一大先生のこの曲を持ってきましたわ。

 フィヨルドの少女。

どうもね、こう、精神的に焦る時には、ゆったりした気分にさせてくれる曲が聴きたくなるんだよね。
 まあ、だからといって、この「フィヨルドの少女」でもあるまいというわけだけど、なぜか、この曲、今日1日、頭に浮かんで離れないんだよなぁ。

 この曲は、大滝詠一としては、珍しく「シングル」としてリリースされた曲なんだけど、もともとは、84年にリリースされたアルバム「EACH TIME」ように書かれた曲のようでして、ただ、「EACH TIME」では、なぜか収録がボツになりまして、「お蔵入り」になっていた曲のようですね。

 いやいや、そういう曲を引っ張り出してきたことに感謝。
うん、お蔵入りにしておくのがもったいないの曲だもの。

・・・・といっても、何分、最高位31位。しかも1985年の曲なんで知らないヒトが圧倒的だとは思うんだけど・・・。
 そうそう、サウンド的には、大滝大先生の「さらばシベリア鉄道」をメジャー調にしたって感じのもろ北欧サウンド。

 えーと、これでも浮かんでこないっていう方は、10年前にヒットした修二と彰の「青春アミーゴ」をうーーーんと濃くしたようなサウンドって言えば、イメージつきますかねぇ。。。
あ、余計に分かんない 

 
ま、兎に角、ジャケ写の真っ白な大雪原をバックにした壮大な景色が広がるようなイメージの曲ですよね。

 もうそれだけで充分。

 詩は、はっぴいえんど以来の朋友、松本隆氏ですが、はっきりいって、大滝詠一氏のときの松本隆氏の詩って、意外と馬鹿げてるんだよね。
 うーん、なっていったらいいのかな、松田聖子に書いている時みたいな「松本隆印」っていうブランドイメージがまるで感じないんですよ。

 ま、そこは気心知れたなかなわけで、シャニムな気持ちで書いているんではないのかもしれないけど・・・。
 それと、大滝氏のサウンドが圧倒的に強くて、詩が霞むんヂャうのかもしれないけど・・・。

 それにしても個人的には、大滝大先生のこの壮大な北欧サウンド プラス、フィスペクターな60代サウンドが大好きなんだよねぇ。
 今のJ-POPの土台になっている部分がほとんど網羅されているんだもんね。
 単純に、リゾート気分にもされてくれるし。うん、癒し系だよね、いまでいうならば。

 それにしても、いつになったら、ニューアルバムを出すんでしょう? ・・・・とずーーーーっと大滝センセイのニューアルバムのリリースを待ち望んでおりましたが、結局84年の「EACH TIME」以来、ニューアルバムリリースの気配すらなくお亡くなりになられてしまったのが、何とも残念ですねぇ。
 当時のペースで言えば、88年、92年、96年・・・・にニューアルバムリリースのはずだったんですが。。。
それでも、90年代にドラマの主題歌として「新曲」が聴けただけ良かったのかな。。。。



今から30年前の、しかもオリコン最高31位の曲の動画なんて落ちてないよなぁ・・・なんておもったら、意外とあったんでリンクしちゃいました。


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風立ちぬ / 松田聖子

1981_10_風立ちぬ_松田聖子






今回の1曲セレクトは、「風立ちぬ」松田聖子です。

 まずはデータです。

・タイトル    風立ちぬ
・アーティスト  松田聖子
・作詞      松本隆
・作曲      大滝詠一
・編曲      多羅尾伴内
・リリース日   1981年10月7日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.9万枚 
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1981年10月19日〜12月14日付
・タイアップ:江崎グリコ「ポッキー」CM曲


 今回の1曲セレクトは、松田聖子で行こう!・・・と最初から考えていたの。この間、中森明菜も書いたしね。
 ただ、引っ張ってきた「風立ちぬ」で行こうか、それとも82年の「野ばらのエチュード」で行こうか・・・チョット迷った。

 うん、どっちでもよかったんだよね。ヒット時期は被ってるし。どっちも「ポッキー」のCM曲だったし・・・(←選ぶ基準にならないか・・)

 でも、このところ、82年の曲は、結構書いてるので、今回は81年の「風立ちぬ」を持ってきましたわ。

 この曲は、ヒットしてる時期に初めて自分で買ったシングルかもしれない・・。あ、チャゲアスの「万里の河」の方が先だったかな。

 でも、今、家にある音源としては、かなーり古い音源ですね。一緒に田原俊彦の「グットラックLOVE」も買ったんだ。計1400円。
 あのころの、シングル1枚、700円はきつかったよなぁ。何分、小学生だったし・・・。34年前の700円だからねぇ。今の貨幣価値にしても、今のシングル以上の感覚があったと思う。
 当時、ワタシのこづかい、確か500円だったよ、一月。だから、本来はレコードなんて買えなかったんだけど、なんかで「特別ボーナス」もらったんだね。・・・で、なきゃ、1度に2枚のシングルなんて買えなかったよ。

 その代わり、大事に聴いてたよなぁ、1枚1枚を。ある種の宝物だったもんね、当時のレコードって。
 この感覚って、だんだん薄くなってきたきがするなぁ。CDになってコンパクトになったのはいいけど、「宝物」っていう感覚はなくなったし、ましてや「DL」なんかになっちゃうと、余計だわね。

 なんか、その辺が、消費社会に組み込まれて、音楽業界もどんどん「ビジネス化」してってるんだとは思うけど・・・。
 なんて、堅い話は、今回は抜きにして・・・。


 ヒットした時に買ったんだけど、実は、当時はあんまり好きじゃなかったんだよね、この曲。
 B面の「Look at me」がよくてさ、買ったようなものだったかなぁ。
資生堂「エクボ」のCMで使われてた曲。

 ♪ Look at me 私を見つめて 息もとまるくらいに〜 ♪

って曲、覚えてないですかねぇ。

 うーん、なんか当時は、A面目的でなくて、B面目的で買ってたレコードも結構あったかも。

まっちの「ギンギラギンにさりげなく」もB面が、ハウス「ロッカッキー」(懐かしいね)のCM曲で、それ目的で買った気がする。


「風立ちぬ」はさ、声が最悪なんだよね。このころ松田聖子って、ノドにポリープが出来て、声が出なくなってたじゃん。その最盛期でのレコーディングだったもんだから、まあ、兎に角、ひどい声なんですわ。

 たしかに、これがあったからこそ、後の、独特の甘いハスキー声な松田聖子が生まれたと思うんだけどね。
でも、それまでの透き通ったカナリーボイスは影を秘めることになるんだけど。。。

 それと、どうも、松田聖子と大滝詠一大先生の作り出す世界観が、イマイチ、フィットしてなかったような気もするんだよね、個人的に。

 大滝詠一氏を起用したのも、同じCBSソニーだったことと、この年のアルバム「ロングバケーション」の大ヒットで、大滝氏がノリにのってたこと、それと、作詞、松本隆氏の旧友(なにせ、元はっぴいえんど ですから)ってこともあって、ある意味、必然だったのかもしれないけど・・・。

 難しい曲なんだよね。大滝氏も自らいってたもんねぇ、「難しい曲作っちゃった」・・・って。
 だから最初は歌いがらなかった・・・ってふらふら

 まあ、どっから聴いても、フィルスペクターの音の壁サウンドだし、イントロ聴いただけでも、大滝氏だ・・・ってすぐにわかる曲調なんだけど・・・。

 でも、とりあえずは、出だしの

 ♪風たちぬ〜 いまぁわぁ 秋 今日から私は こころの旅人〜 ♪

の「いまぁわぁ」の声質が好きなんですよね。いやいや、だから、わざと変な書き方しちゃったんだけどさ。

 この部分がなかったら、あとは、どうでもいいかな・・・って、感じがしたなぁ。っていうか、この部分だけでレコード買ったっていっても過言じゃないかも・・・。あせあせ

 ただ、この曲聴くと、秋が来たよなぁ・・・っていうイメージはあるなぁ。この「風立ちぬ」を聴くと、紅葉で真っ赤や黄色、オレンジに染まった山のイメージを思い浮かべるな。

 実はさ、小学校5〜6年の時に1日おきに書かされてた「日記帳」が未だに残ってるんだ。
 ワタシ、ほんとに物もちいいわな、自分でも感心する・・・というか、断捨離が下手・・・っていうか・・・。

 その昭和56年(1981年)10月25日(日)の日記に、この曲を聴きながら、紅葉を見に「裏磐梯」へドライブへ行く・・・。なんてことが書いてある。
 丁度、紅葉の真っ盛りで、あの時の光景が、この曲聴くと浮かんでくるわけなんだよね。

 たださ、「標高が上がるにつれ雨が雪に変わってきた。峠(土湯峠 裏磐梯から福島市に至る峠 標高1272m)の積雪は2cm。チェーンが必要」って書いてある。。。

 あの頃・・・っていうか、34年前のことなんだけど、今ごろは、もう紅葉を通り越して冬支度だったんだねぇ。

 でも、今年は雪は、今のところ北海道までだよね。

 それ考えると、地球温暖化は、絶対にすするんでるよな・・・と実感しちゃうわねぇ。


 うん、書いて「今」を残すって事は、後々、大事なことですね。こう見ると。



この曲って言ったら、イメージは、この動画のような感じなんだよね。


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探偵物語 / 薬師丸ひろ子

1983_06_探偵物語_薬師丸ひろ子







今回の1曲セレクトは、「探偵物語」薬師丸ひろ子です。

まずはデータでっす〜。

・タイトル     探偵物語
・アーティスト   薬師丸ひろ子
・作詞       松本隆
・作曲       大滝詠一
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年5月25日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数    84.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1983年6月6日〜9月5日付
・タイアップ:映画「探偵物語」主題歌


 社会現象的なヒットっていうの、何年か1度にあるよね。まあ、だいたいとその時だけの現象で、後になってよくよく考えると、「なんで、あの曲が・・・・・?」っていうこともよくあるんだけどさ。

 今回、ひっぱってきた

 探偵物語 / 薬師丸ひろ子

なんかもそうぢゃないかなぁ? 

 たしかに、あの当時の、薬師丸ひろ子フィーバーはすごかったもんね。
 当然、角川映画「探偵物語」の主題歌だったわけで、主演も薬師丸ひろ子。相手役は松田優作。

 ま、松田優作のはまり役だよね。ただ、テレビでは松田優作主演だったけど、この映画では、薬師丸ひろ子がお邪魔虫で、主役をとっちゃったっていうかね。。。

 ただ、興行収入は好調で、当時の角川映画での新記録の28億の興行収入だったんですよね。
 併映は、原田知世の出世作となった「時をかける少女」。
 ま、当時の角川映画の2枚看板ですわね。

 この「時をかける少女」に関しては、また後日ということで・・。


 で、「探偵物語」

この曲に関して、「予約枚数」は当時の新記録と騒がれたり、実際、オリコンの初動セールスは、1983年6月6日付で、140,780枚。

 今の感覚だと、なんだ、普通じゃん・・・・なんだけど、当時とはレベルが違い、週間で10万枚以上なんてのは、年に1回あるかどうかという感じだったですからね。
 それを考えると、噂どおりの人気だよな・・という印象はあったな。

 たださ、当初、予約枚数から150万枚はカタイっていう噂もあったけど、これは、いとも簡単にくずれゃった。。。
 そうね、結局、初動セールスを、2週目以降上回ることができなかったんだよね。
 ま、今のように1週目ドカンと売れて、2週目以降、一気に崩れる・・・というパターンにはならなかったものの、2週目、8万枚、3週目 7万枚、 4週目 6万枚・・・・と週を追うたび斬減して行ったんだよねぇ、その結果も結局、累積セールスも84万枚と、「セーラー服と機関銃」(86万枚)にも届かない結果で終わったりして・・・・。
 なんか、尻つぼみな印象は拭えなかったなぁ、当時は。


 でもまぁ、曲を聴けば、たしかにこれが150万枚売れるような曲・・・でもなかったんだけどさ、冷静になって思えば。。
 
 詞は、松本印のブランド物。作曲は大滝詠一大先生・・というワタシなんかにゃ、到底文句がつけられないような作品ではあるんだけど、でも、退屈なんだよね〜。 

 なんかかったるいんですよ〜曲が。もともと、ゆったりめな流れの曲じゃないですか。そこに来て薬師丸のあの、オバさん声の正当なファルセット唱法と来たもんだから、余計スローペースに聴こえちゃって、それが退屈なんですよね〜。

 第一、なんで、これが「探偵物語」なの? っていう感じだったし。。。。。
 うーん、曲内容と「探偵物語」がマッチングしないんですよ〜。

 まあ、タネあかしをすると、もともと「探偵物語」って言う曲は「探偵物語」゛はなく、「海のスケッチ」という曲だったらしいですわね。
 で、C/Wに入ってる「すこしだけやさしく」が「探偵物語」だったそうな。これは、大滝詠一大先生のお言葉。
 でも、薬師丸ひろ子は、お気に召さなかったようでようで。。。。
急遽、「海のスケッチ」の詞を差し替えて「探偵物語」にしたそうですわ。

 うーん、個人的には「すこしだけやさしく」の方を「探偵物語」にしてほしかったなぁ。
 この曲の方が好き。明るいし、季節的にさわやかだし、「セーラー服と機関銃」とイメージが完全に「タブらない」じゃん。「探偵物語」の方は、マイナー調だし、ややイメージがダブるんですよ。その分、「またか」っていう気分にもなるし。。。保守的っていうイメージになっちゃうんだよね。冒険ではないですよね。

 ちなみに、「すこしだけやさしく」は、当時のTBS系「わくわく動物ランド」のエンディングテーマ曲。
 なんとなしに、この曲聴きたさに「わくわく動物ランド」をみてた気もする。。

↓ コレ



 でも、まあ、これは個人的に感じるところでさ、やっぱ2枚続けて80万枚オーバーっていうのは、当時としては、並みの人気ではなかったってことですわねぇ。

 これも、角川商法のなせるワザだったのかもしれないけど。。。

 あ、個人的に生理的にいまいっぽ入り込めないのは、角川商法っていうのもあったかもしれない。
 
 音楽(コンテンツ)は「商品」である

と、今に通じる考え方をはっきり商売に取り入れたのが、角川商法だったから。。。
 兎に角「売ればなんでもあり」と言う考えですね。

 どうも、この考えには、賛同できない部分が未だにあるんだよなぁ、ワタシは。。。
 だから、ついつい、マイナスイメージに考えたくなったりして、曲に関しても。。。




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DOWN TOWN /シュガーベイブ

1975_05_DOWN TOWN_シュガーベイヴ






今回の1曲セレクトは、「DOWN TOWN」シュガーベイブです。

 まずはデータです。

・タイトル    DOWNTOWN
・アーティスト  シュガーベイブ
・作詞      伊藤銀次
・作曲      山下達郎
・編曲      山下達郎
・リリース日   1975年4月25日
・発売元     エレック
・オリコン最高位 チャートインせず
・売上げ枚数   0枚

 さっきは、いつものごとく「唐突」に、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」なんて書いちゃったんだけど、べつに「昭和枯れすすき」をどうしても書きたくて書いたわけぢゃなくてさ、実は、この曲に繋げたかったの。
 ハイ、今回も1975年5月のヒットです。

 時代が楽曲に追いつかない・・・・ってことは、最近ではあまり聞かなくなってきたな。
 すでに「音楽」の形態自体は、ほぼ進化しつくしたような気もするし・・・。これからは、これまで培い、進化してきた音楽を如何に、うまく順列組み合わせして、「新しいような」音楽を作り上げていく・・・っていう時代になっていくだろうね。

 さてさて、70年代中盤、日本の音楽シーンは、大まかに言えば、まだまだ、「あちら」の音楽の域には、到底達していなかったわけで。。。そんな状況の中で、それでも「時代」の遥かに先を行くアーティストも居たんだよね。

 その多くは、まだまだ「商業的」に成功していたわけでもなく、いわいるアンダーグラウンド・・・今でいうインディーズね・・・なところで、ほんの一部のコアな「音楽ファン」の間だけで聴かれていたに過ぎなかったわけで・・・。

 今日の1曲セレクトは、そんな曲の「代表的」な曲を引っ張ってきますかね。

 DOWN TOWN /シュガーベイブ

「DOWN TOWN」っていったら、今でこそ、まあ、知ってるヒトも多いだろうな。結構いろいろカバーされてるし、山下達郎バージョンとして、CMとかにも使われていたしなぁ。

 しかしながら、オリジナルはジュガーベイブっていう、6人グループが歌っていたわけですよ。

 もちろん、その中に、当の山下達郎氏も含まれているわけなんだけど、その他、キーボードの大貫妙子、ギターの村松邦夫、伊藤銀次、ドラムの上原裕などなど、今でこそ、そうそうたる「大御所」アーティストたちで結成されていたりしたわけですわ。

 でも、当時は、まだ名もなき、ただの若造アーティストたち。

 その、ただの若造アーティストでも、やってる音楽は、当時の時代の流行を遥かに先行く音楽だったりして・・・。

 完璧に「洋楽」志向なんだよね。今聴くと、それはよく分かる。

 でも、当時は「邦楽」と「洋楽」は別物だったからなぁ。完全に間に壁が出来ている時代だったわけで・・・。
 しかも、「自称」洋楽ファンだったヒトの多くは、日本人が「真似事」してても、「ケッ」と毛嫌いするような時代。

 当然、シュガーベイブも時代には受けいられなかったわけでね。

 しかも、リリース元が、エレックレコード。

 うん、今までも何回か1曲セレクトで出てきたけど、当時の代表的なインディーズレーベルね。

 ただ、「代表的」なといっても、シュガーベイブがこの「DOWNTOWN」がリリースされる頃は、「経営不振」で、結局のところ、シュガーベイブは、このシングル「DOWN TOWN」と、同時リリースのアルバム「SONGS」をリリースした直後、「倒産」・・・。

 あえなく、シュガーベイブも解散の憂き目にあう。


 その後、メンバーの伊藤銀次氏と山下達郎氏、それと、エレック時代に所属していたナイアガラレーベルの御大、大滝詠一大先生と、76年に、「第1次」ナイアガラトライアングルを結成することになるんだけど・・・。

 まあ、兎に角、当時の大滝−細野の、いわいる、「はっぴいえんど」系人脈には、今では「大御所」になったアーティストがひしめいてましたからねぇ。。。坂本龍一氏も、その一人なわけで、第一次ナイアガラトライアングルにも、キーボードで参加してたりして・・・。

 「商業的」なことは抜きにして、当時の「時代」を遥か先行く音楽をやっていたわけですわ。

 でも、当時やってた音楽が間違っていなかったことは、後々の時代が証明してるかな。

 山下達郎氏がソロで大ヒットを飛ばすのは、それから5年後のことですわ。
 つまりさ、時代が山下達郎氏に追いつくまで、75年当時から5年もかかったって事だね。


 で、件の「DOWN TOWN」は、同じく1980年にEPOがカバー。81年に始まった、フジテレビ系の「ひょうきん族」のエンディング曲でお馴染みだったよね。

 そそそ、あの曲なのですよ。この曲は。

 ♪ DOWN TOWNへくりだそう〜 DOWN TOWNへくりだそう〜 ♪

って曲ですヨ。 もしかして、ここまで読んでもらって、ようやく、この曲が分かっていただけたかしら・・・ふらふら

 まあ、「ひょうきん族」⇒「土曜の夜」なんていう、つながりもあって、「土曜の夜」の今日、この曲を引っ張ってきたりもして・・・。

 ちなみに、EPOは、シュガーベイブのメンバーだった、大貫妙子人脈だったりするから、その関係で、カバーもされたんだろうね。


 ところで、この曲のオリジナルシングル用のマスターテープは、既にこの世には存在しないらしい。
 ・・・ということは、この曲のシングルを持ってる方は、かなり貴重なんだけど・・・、果たして、これ読んでる方に、もってらっしゃる方はいるでしょうかねぇ・・・。
 なんせ、ほとんど、売れてないシングルだしね。

・・・というわけで、当のシングルのジャケットもネット上に・・・あるわけないか・・・。(↑のジャケ写は、アルバム「SONGS」のものね)

 ウチには、この曲の音源自体はあるんだけど、これはアルバム用の新たなミックスなんだよねぇ。

 まあ、当時のエレックがそうそうに倒産しちゃったからなんだけどさ。
 ・・・・ということは、この曲は管理されてないの? 
・・・なんてことは、あるわけないか・・・。アルバムバージョン用のマスターテープはあるんだもんね。

 ちなみに、JASRACのデータベース見たら、フジパシが管理してたわ・・・。

で、この「DOWN TOWN」が収録されているアルバム「SONGS」のオリジナル盤がリリースされてから、今年で40年ということで、7月に「40周年スペシャルエディション」がリリースされる。
 山下達郎氏も、実質のデビューから40年も経つわけなんですねぇ。



しかしさ、こういう音源を聴くと、なんで、ワタシャ、あと15年早く生まれてこなかったんだろうなんて思いますねぇ。
 ま、確かに世代的に、70年代終盤のニューミュージック全盛期には、リアルタイムに間に合ったわけだけど、
日本のロック創世記もリアルタイムで体験してみたかったよなぁ。



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夢で逢えたら / 吉田美奈子

1976_03_夢で逢えたら_吉田美奈子






今回の1曲セレクトは、「夢で逢えたら」吉田美奈子です。

 まずはデータです。

・タイトル     夢で逢えたら
・アーティスト  吉田美奈子
・作詞       大滝詠一
・作曲       大滝詠一
・編曲       大滝詠一
・リリース日   1976年3月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 30位
・売上げ枚数   2.2万枚
※データは、この曲が収録されているアルバム「フラッパー」のものです。

 
 えー、今回の1曲は何にすべーな・・・と思いまして。。あせあせ
 って書いたら

 なに〜 この間、3月21日リリース曲はいっぱいある・・・って書いたじゃん

 なんて、声が聞こえてきそうなんですが・・・。あせあせ

 早くも挫けました。。。あせあせ

 う〜ん、だってさあ、おもだった曲は既に書いちゃったんだもん(←いいわけ)

 ・・・というわけで、なにか、「代替」の曲をと思いまして・・・。

 最初、別の曲にしようと思ったんだけど、何気にいろいろ物色してたら、ふーーっと、頭の隅から出てきた曲があったりして・・・。

 夢で逢えたら  /吉田美奈子

 いやー、今日は、ホントに「春」っぽい日だったし、こんな日は、メロウな曲でウツラウツラ眠りたい・・・って感じでナイスセレクトぢゃーない?

 なんて、自画自賛 ふらふら

 ふんにゃ、選曲屋なら、この程度の曲は選んでくるわね、普通ふらふら
今日のような、ウツラウツラと眠くなるような春の日だったら。。。あせあせ

 
 ところでさ、この曲ほど「カバー」されてる曲も珍しいよねぇ。一説によると、日本で最もカバーされている曲だそうで。。。

なになに? しらない?

うーん、タイトルは知らなくても

 ♪夢でもし逢えたら 素敵なことね〜 あなたに逢えるまで 眠り続けたい〜 ♪

って曲は知らないですか〜。 うーん、たいていどっかでは耳にしてると思うんだけどな。


 いやー、それにしても、あまりにもいっぱいカバーされているんで、一体、どのバージョンがオリジナルなんじゃ? 
 ・・・と思いたくなっちゃいますが、ハイ、今日引っ張ってきた、吉田美奈子さんのバージョンがオリジナルでっす。

 ふふん、もしかしたら、シリア・ポールさんのバージョンがオリジナルだと思ってた方も多いかな。

・・・ってワタシも長らく、そう思ってたんだけど。。。

 うん、でも、調べてみると、吉田美奈子さんがリリースしたのは1976年3月25日(おー、グッドタイミングexclamation)

シリア・ポールさんは、1年後の1977年6月なんだなぁ。

 あ、いま、調べたら、もともとは、アン・ルイスに書かれた曲だったんだけど、ボツになったんだね、アン・ルイスは。あせあせ


 それ以外は、正直言って収拾がつかない・・・と思ったらwikipediaに整理してあったわ。。。

もうひとつ、オマケに、こんなサイトがあった。。

 夢で逢えたら〜Perfect Collection〜

 そういえば、昔、松田聖子もニッポン放送で「夢で逢えたら」って番組やってたよなぁ。あれ? あれも日曜日ぢゃなかったっけ?

 ナイスタイミングexclamation あせあせ


 しかし、これだけ、カバーされたら、作詞、作曲の大滝詠一大先生は、さぞかし、「印税生活」で左団扇生活でしょう・・・

・・・と思いきや、大瀧大先生曰く、「たくさんカバーされたけど、一度も売れたことがない大笑いな曲」(月刊明星 付録「Young Song」1986年6月号より)なのだそうで、知名度の割には、あんまり儲かってないようです。

 とはいえ、その後1996年にラッツ&スターがカバーしたバージョンは、「初」のベストテン入りを記録しましたけどね。

 初リリースから20年しての「ベストテン入り曲」ってのも、珍しいですよ〜。

 まあ、それだけ、いつまでも色褪せない「普遍的」な曲っていうことですよ。
 これ、今現在、だれがカバーしても、それなりにあっちゃいそうだもんね。

そんな大瀧大先生も、鬼籍に入られてしまいましたね。
まさか、こんなに若くして居なくなってしまうとは、まったく想像もしてなかったことなんですが。。。
日本の音楽業界の痛手ですよ。今、これだけ音楽、とりわけ「ポップス」を研究し、知識も造詣も深い音楽家なんて、山下達郎氏しか居なくなっちゃったぢゃないですか。


ちなみに、ウチには、吉田美奈子さんバージョンのこの曲の音源がちゃっかりあったりする。。。

 あれれ? いつ、どっから買ったんだ? 

・・・と一瞬考えたりして・・・。

って、前にTSUTAYAで借りてきたんぢゃん・・・ふらふら





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