かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

大村雅朗

大村雅朗25th Memorial Super Live 2日目(9/24)

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大村雅朗25th Memorial Super Live 1日目(9/23) からの続き


東日本では台風15号崩れの大雨で、静岡を中心に大きな被害があったとニュースでは伝えている。
たしかに前日、福岡に来る時の新幹線、静岡〜名古屋にかけて、真っ黒な雲が空一面を覆いどしゃ降りだった。 ただ幸いにワタシが通過した時間は、まだ新幹線には影響がなく定刻通り博多に着くことができたんだけども。 
ワタシが乗ってきた「のぞみ」は、博多到着後、そのまま東京に折り返しだったんだけども、影響あっただろうなぁ・・・・。

おーっと、話題がずれた。。。   

兎も角・・・ 9/24(土)   福岡はいい天気。 さてライブが始まる夕方まで何をしよう。。。所在に困る。  そのまま夕方までホテルでボーッとしててもいい・・・。 いや、そんな気分にもなれず。

初めは、鹿児島まで行って桜島でも見るかとか、糸島に足を延ばして黄昏るか・・とか考えたんだけどもいずれも、そうする気にもなれず、 とりあえず、大宰府天満宮にお参りして、福岡市内を散策するか・・と外出。

結局、大宰府の後、大濠公園周辺を散策し、大濠公園の池周辺のベンチで黄昏て、夕方まで時間をつぶす。

それでもまだ時間があるので、 地下鉄の中州川端駅からキャナルシティまで川端通商店街を散策。 はじめて福岡の「庶民的」な暮らしを垣間見たような気がする。 こういう所を歩くと、本当の町の良さが分かりますね。 

大都会であるのに、東京のようなとげとげした緊張感がなく、街中の雰囲気が初めてきたのに妙に落ち着く。
さっきまでいた大濠公園もそうだけども、本当の福岡を見たようで・・・。芯から福岡が好きになりそうだ。


キャナルシティ劇場に着く。 席は昨日と同じ。1階B列24番。
ステージが目の前のあの席だ。 昨日1度経験しているホールということもあり、昨日よりは気分的に落ち着いており、周りを見渡す余裕もあった。

周りを見渡せば、ほとんど、昨日とお客さんのメンツが変わらない。やはり周りは2日通し券方々ばかりのようだ。
わたしの隣の席も、昨日と同じお姉さんで軽く会釈。 

昨日は気が付かなかったんだけども、レコード会社の福岡支社の方々、ラジオなどのメディア関係者など、お客さんには業界関係者が多かったようだ。
この日のトークで分かったことだけども、 大村雅朗氏の実家のお兄さんや、 ソニーエンターテイメント元取締役の白川隆三氏も、お客さんとして来ていたようだ。

その他NHK福岡放送局も取材に入っていたし。。。
ワタシの周りも、業界の方と思しき方々が多数。 隣の席のお姉さんもそのようだ。

そういえば、前日のライブ終了後、階段の踊り場で、渡辺美里さんがインタビューを受けていたところを目撃したしね。

やはり、少なくとも福岡の業界回りでは注目されたライブだったようだ。


そんな中、昨日より1時間早く、17時丁度 ステージスタート。
17時きっかりにステージがスタートしたのは、今日はネット配信が入っていたということもあったんだろう。

オープニングは、昨日同様、砂原"まりん"良徳氏による 大村雅朗氏アレンジ曲"Mash Up" (メドレー)。

使用曲は
・天使のウインク(松田聖子)
・Be my J-Girl (吉川晃司)
・水のルージュ  (小泉今日子)
・メインテーマ (薬師丸ひろ子)
・みずいろの雨 (八神純子)
・君はクロール (渡辺美里)
・My Revolution (渡辺美里) 

昨日のオープニングは、硬派な曲のメドレーであったが、今日は一転してソフトな曲でまとめたイメージ。

そして昨日同様、司会役の佐橋佳幸氏、亀田誠治氏が上手、下手からの登場。
MC内容も昨日とほぼ同じ。 うん、漫才師みたいだね・・・ということで。。。。

まずは、大沢誉志幸氏が登場。
いきなり、氏の代名詞ともいえる「そして僕は途方に暮れる」。

昨日の八神純子さん同様、オープニングからいきなりの代表曲ということで、いやがおうにも会場のボルテージが上がる。

・e-Escape  
・晴れのちBLUE BOY (沢田研二カバー)
・ラ・ヴィアンローズ (吉川晃司カバー)
・CONFUSION  

と立て続けに4曲。
「晴れのちBLUE BOY」「ラ・ヴィアンローズ」とカバー曲が含まれていたのと、絶対にやると思った「その気×××」が回避されたのには、すこし拍子抜けの感も無きにしも非ず。
それでも、ジュリーよりも、ブラックで強烈なビートの「晴れのちBLUE BOY」は圧巻でしたわ。
さすがは、「晴れのちBLUE BOY」の作曲者。

ここで、ジュリーを初め、大沢誉志幸氏、 槇原敬之氏、 はたまた、現在に続く、トライセラトップス、BUMP OF CHICKENを世に出し続けてきた、名プロデューサー、木崎賢治氏が登場。

木崎賢治、大澤誉志幸、佐橋佳幸、亀田誠治 4氏による大村雅朗氏についてのトークを展開。
・・・そこに 木崎氏繋がりということで、槇原敬之氏が、パイプ椅子をひきづって「乱入」(!?)      5氏による大村雅朗氏にまつわるトーク。

大澤誉志幸氏と大村雅朗氏といったら、やはり「そして僕は途方に暮れる」。
この曲も、昨日書いた「櫻の園」同様、元々は別の方に書いた曲だったけども、採用されずにお蔵入りになっていた曲という事。
で、大澤誉志幸氏のアルバム曲が1曲足りないんで、なんかいい曲ない? ってことで、この曲を引っ張り出してきたとの事。
ただ、 元々は、タイトルも歌詞もアレンジも、全然違ったようですね。もっとフォーキーな曲だったとの事。
 それでは、大澤のイメージに合わないんで、歌詞を銀色夏生さんに改めて依頼。アレンジも、大村雅朗氏に改めて依頼したところ、現在の、ニューウェイヴな「そして僕は途方に暮れる」が誕生したようだ。
この曲、世間一般では、ポリスの「見つめていたい」を下敷きにしたアレンジということになっているけど、それは間違い。 本当はトンプソン・ツインズの「Hold Me Now」が正解・・と、木崎氏、大澤誉志幸氏、お二人の弁。

ちなみに、ジュリーの「晴れのちBLUE BOY」は、初め、ジュリーからこのメロディは歌えない、とクレームがあったとの事。
そいで、徹夜してメロディを変えたら、 このメロディはヤダ・・・と文句を言われたとのことで。。。
時間がないんでしょうがないんで、しぶしぶ元のメロディで歌ってもらったのが、今の「晴れのちBLUE BOY」になったようですね。

やはり、昭和のスーパースター、ジュリー。 当時まだ駆け出しだった大澤氏は、大分、気を使ったようですね。

ただ、「おまえにチェックイン」のイントロの♪ チュルル 〜 ♪っていうコーラス
あれは、大澤氏本人 伊藤銀二氏 佐野元春氏、沢田研二氏本人でやったらしいんだけども、はるか向こうにいたはずのジュリーの声が一番デカかった・・・と、さすがのジュリーの声量には脱帽でしたわ。
佐野元春氏が、あのコーラスに加わっていたのか・・というのは、ちょっと驚きだったけども。。。。
(・・・と思ったらWikipediaにも出てましたね。。。。)

続いて、 マッキーだけ居残り、 砂原まりん氏(マニピュレーター)、佐橋佳幸氏(G)  山本拓夫氏(Sax)による 大村雅朗氏アレンジ曲セッション

・モニカ(吉川晃司カバー)
・Rain  (大江千里カバー)
・Lovin' you  (渡辺美里カバー)

まあ、正直、マッキーによる「吉川晃司」は、アレ・・・・でしたけど   それでも、バックは、オリジナルそのままに再現してくれたんで、気分は、オリジナルの「モニカ」を味わせてくれましたわ。

いやいや、考えようによっては、マッキー、もう二度とライブで「モニカ」歌わないだろうから、それを見られただけでも貴重な体験だったかもな。。

蛇足だけども、ワシの真正面に、まりん氏、その間にマッキーを挟んで一直線上になったんだけども、なんだ、この昭和44年生まれラインは・・・と思ったのは、ワタシだけ・・・だよな。


「Rain」「Lovin' you」は、昨日、渡辺美里さんもカバーしたし、「Lovin' you」は美里さん本人の歌唱が聴けだけども、 マッキーが大好きな曲ということで敢えてカバー。

渡辺美里さんもカバーしたように大江千里さんの「Rain」と大村様朗氏という組み合わせは、現役のミュージシャンにとっても忘れられない1曲になっているようですね。
秦基博を初め多くのミュージシャンに未だにカバーされているのも頷けますわ。

美里さんとは、別アレンジで、マッキー本人がアレンジし、アルバム「Listen To The Music」に収録した「Rain」だったようで、「モニカ」とは異なり、マッキーらしさを感じた1曲となりましたわ。
(うーむ、この部分は、大村雅朗氏からは離れていたんだが・・・・)

こう見ると、大江千里さんも、大村雅朗'Sチルドレンとして、このライブに参加できればねえ・・と思ってしまったりしましたが。。。。


続いて ゲストの川崎鷹也氏登場。 
正直、現在27才の川崎鷹也氏は、大村雅朗氏世代ではない。 ただ、やはり親が大村世代として、八神純子さんや佐野元春さんを聴いており、そういう影響はあるということで、いわば「ジュニア時代」の代表として選ばれたようだ。

フルバンドを従え、

・SOMEDAY (佐野元春カバー)
・パープルタウン〜You Oughta Know By Now〜 (八神純子カバー)

2曲を熱唱。
個人的には、マッキーの「モニカ」同様、 やはり「持ち歌」ではないということもあり、歌いきれてないところがあり、正直アレ・・・でしたが 、周りの方々には評判が良かったようですね。

個人的には、バックバンドの演奏がよかったですね。
「SOMEDAY」のドラム、レコードアレンジと全く同じオカズ(フィルイン)、叩き方だったんで、オリジナルの佐野元春氏も山木さんのドラムだったっけね・・と勘違いしたくらい。
(オリジナルは、島村英二氏だったようですが。。。)

これは、前日の渡辺美里さんの「My Revolution」でも同じような錯覚を感じたなぁ。
今剛氏のギターのフレーズ、レコードと全く同じだったんで、オリジナルも今剛氏だったんだ・・・とその場では思っちゃったんだけども、実際は松原正樹氏だったようですね。

そのくらい、今回バックバンドの皆さんは、忠実にオリジナルアレンジを再現していたんだということが分かったりして。。。。さすがは超一流ミュージシャンの皆さんだ・・・と再認識させられましたわ。。。


引き続いて、南佳孝氏登場。
軽く、大村雅朗氏へのはなむけの言葉を交わし、「スタンダード・ナンバー」。
言わずと知れた、薬師丸ひろ子さん「メイン・テーマ」の同曲別バージョンですわ。
ちなみに、アレンジはいずれも、大村雅朗氏によるもの。
件の「風の譜」〜福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗〜では、アーティストによって、それぞれのアーティストに合わせたアレンジということで、使用されたこの曲だけども。

ホンネのところはどうなんだろう?  同じ薬師丸ひろ子さんでは、件の「セーラー服と機関銃」の時に、作曲者の来生たかお氏が「夢の途中」という同曲、異タイトルを大ヒットさせていた・・という前例もあるわけで。。
「メインテーマ」も同じ路線を狙ったんじゃないか・・・とも思えたりするワタシだったりするんだけども。。。

ただ、図らずも、前日の、八神純子さんや ばんばひろふみさん同様、 これまでテレビの画面越しに、長年見てきたアーティストの曲を、生で、しかも目の前で聴けるというのは、感慨ひとしおですわ。

南佳孝氏は もう1曲 「ストライプの雨の彼方」という、映画「メインテーマ」で薬師丸ひろ子さんの相手役に抜擢された、野村宏伸氏主演のアニメ「ボビーに首ったけ」の挿入曲「ボビーにRock'n Rol」のB面だった曲を披露。

めっちゃマイナーな曲や・・・。

ワタシも知らなかった曲だけども、考えてみれば、南佳孝氏と大村雅朗氏って、接点がありそうで、実際はそれほど接点があったわけではないんだよね。

なので、こういう選曲になったんだろう。

南佳孝氏の場合は、むしろ、この日もゲストに出演された、松本隆氏との繋がりが大きいということで。。。

この後、 松本隆氏が再登場。 南佳孝氏、 佐橋佳幸、亀田誠治 4氏による 大村雅朗氏にまつわるトーク。
ここに、またまた、マッキーが乱入(!?)  どうも、松本隆氏の京都の住まいの近所にマッキーが引っ越したらしく、ご近所付き合いの仲になっているらしい。

なるほど、今回ライブにマッキーがブッキングされた意味が、分かりましたよ。
件の川崎鷹也氏も、おそらくは、昨年の松本隆トリビュートからの繋がりが強いようだし、どうも、今回のライブ、大村雅朗氏のメモリアルという名目ではあるけども、大村雅朗氏と松本隆氏を中心としたライブという意味合いの方が強かったようですね。

トークの後、またまた、マッキーは居残り。

マッキーの大好きな1曲といい、自らリアレンジバージョンを手掛けた松田聖子さんの「櫻の園」を熱唱。

なるほど、昨日、松田聖子さんの一連の曲をカバーした中川翔子さんが、この曲を回避した意味が分かりましたわ。

オーラスは、「SWEET MEMORIRS」。

うーむ、なんで、この曲は誰が歌っても、こう、トリ肌が立つんだろうねぇ。 もちろん、オリジナルの松田聖子さんに歌ってほしかったのはやまやまなんだけども・・・。
マッキーの歌唱も良かったですよ。




以上を持って 「大村雅朗25th Memorial Super Live」は無事終了。
2日間にわたり、大村雅朗氏にまつわる数々アーティストの熱唱、バッグバンドの一流の演奏を堪能。
さらには、松本隆氏、木崎賢治氏によるトークを直に聞くことができ、素晴らしいライブだったと思いますわ。

なにより大村雅朗氏ならではの一流のアレンジ、サウンドですね。

トークにも、何度か出てきたけど、大村氏は、常に「今」を求めていたという事。
「(その音は)「今」じゃないんだよね〜」というのが口癖だったという事。

このコトバを聴いてハッとしましたわ。

そうだ、最近の音楽に欠けているのは、コレなんだ・・ということ。
2022年ならば、2022年の「音」を求めている音楽関係者が、少ないんじゃないか・・ということ。

だから、大村氏のアレンジした曲を聴くと、1984年ならば1984年。 1986年ならば1986年の時代を感じられるんだ。

どうして、昭和ばかり振り返るんだろう? ・・・という、最近、個人的に感じてる不満の糸口を感じたような気がする。

70年代から90年代にかけて、確かにあの時代日本には勢いがあった。だから過去を振り返る必要もなかった。
確かにそうだ。 けど、あの時代、大村氏のような「今」の音を求めている音楽人がいたからこそ、過去を振り返る必要もなかったし、あの頃の音楽って進化し続けられた・・・・そんな気がするんだよね。

いまの音楽界に必要なのは、大村氏のような「今」のサウンド、音楽を追い求めるヒトなんじゃないのか・・・と。

それに改めて気づかせてくれただけでも、 今回のライブに参加した意義があった。


もし、大村氏がまだ存命だったら、その後の日本の音楽界はどうなっていただろう?
少なくとも、今と同じになっていたとは思えない。

トークでも話が出たけど、、もし、宇多田ヒカルを大村氏がプロデュースしていたら、どうなっていただろう?  絶対にもっと違ったアプローチになっていたはずですわ。 

大村氏をアニキと慕っていた、小室哲哉氏はどうなっていただろう?  もしかすると、あんなに急激に時代に取り残されなかったかもしれない。

それは、「現在」の音楽にしても同じことで、少なくとも日本の音楽がここまで「小さく」なることは無かったんじゃないかと思うんだよね。もっと「韓国」の音楽と対等に渡り合えたかもしれない。

それを思うと、つくづく惜しい方が早逝されてしまった。日本の音楽業界には大きな損失だったということを、改めて感じさせてくれましたわ。


最後に、締めのあいさつで司会役の佐橋佳幸氏、亀田誠治氏から、東京、大阪ではやらないんですか・・というお叱りを受けた・・ということをカミングアウト。
ただ、恐らく・・というか今のところは予定はないです・・というコメント。
でも、もし、やったらスミマセン・・・とのこと。 

でも、個人的にはやって欲しくないなぁ。
このイベントは、大村氏の生まれ故郷、福岡でやるからこそ意義があると思うし。。。
それに、東京、大阪に、キャナルシティのように、少し格式が高くて、しかも中規模な適当なホールも、あまりないような気もするし。。。

・・とはいうものの、今回、参加できなかった大江千里氏の大村作品も本人の歌唱で見たいし、松田聖子さんの大村作品も本人の歌唱で聴きたいし・・・。
なにより、今回、聴けなかった他のアーティストの作品も聴いてみたい・・という希望はあったりするんだけどね。

30th Memorial Live ・・・企画してくれないですかねぇ。。。。 





大村雅朗25th Memorial Super Live  2日目(9/24)セットリスト

・オープニング
▼砂原"まりん"
良徳DJ
大村雅朗アレンジ曲mash up(メドレー)
1  天使のウインク(松田聖子    1985年 20thシングル)
2. Be my J-Girl (吉川晃司   1984年 1stアルバム「パラシュートが落ちた夏」より )
3. 水のルージュ  (小泉今日子 1987年 22ndシングル)
4. メインテーマ (薬師丸ひろ子   1984年 3rdシングル)
5. みずいろの雨 (八神純子  1978年 5thシングル)
6. 君はクロール (渡辺美里  1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)
7. My Revolution (渡辺美里   1986年 4thシングル TBS系ドラマ「セーラー服通り」主題歌)


▼大澤誉志幸
8.   そして僕は途方に暮れる(1984年 5thシングル  日清カップヌードルCM曲)
9.   e-Escape (1983年 2ndシングル)
10.   晴れのちBLUE BOY  (沢田研二カバー 1983年 39thシングル)
11. ラ・ヴィアンローズ (吉川晃司カバー 1984年 3rdシングル)
12. CONFUSION   (1984年 3rdアルバム「CONFUSION」より)

▼槇原敬之
13.  モニカ (吉川晃司カバー 1984年 1stシングル)
14.   Rain     (大江千里カバー 1988年 7thアルバム「1234」より
      ※槇原敬之自身カバーアルバム 1998年「Listen To The Music」より)
15.  Lovin' you  (渡辺美里カバー 1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)

▼川崎鷹也
16 SOMEDAY  (佐野元春カバー 1981年 4thシングル)
17.   パーブルタウン
〜You Oughta Know By Now〜 (八神純子カバー  1980年 9thシングル)

▼南佳孝
18.   スタンダード・ナンバー(1984年 17thシングル  全日空「'84 青春ブランド沖縄」CM曲 )
19.   ストライプの雨の彼方(野村宏伸カバー 1985年 シングル「ボビーにRock'n Rol」B面)

▼槇原敬之
20,   櫻の園 (松田聖子カバー 1999年 32ndアルバム「永遠の少女」より)
21,   SWEET MEMORIES  (松田聖子カバー 1983年  14thシングル サントリー缶ビールCM曲)




大村雅朗25th Memorial Super Live 1日目(9/23)


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偶然の出会いがあるとしたら、今回のライブ参戦も偶然の出会いなんだろうなぁ。

最近、radikoプレミアムで、全国各地ラジオ局のランキング番組を聴いてるんだけどね。
土曜日は、KBC(九州朝日放送)の「サタデーカウントダウン」(通称、サタカン)を聴いてるのね。

で、7月のある土曜日、いつもようにサタカンを聴きながら、持ち帰りの仕事をしていたら、
今年は大村雅朗氏没後25周年で、メモリアルライブを福岡で開催するとの告知CMが耳に飛び込んできまして。。。

すぐさまネットで調べたら

↓ この告知サイトが・・・。




ライブ開催はともかくとして、大村雅朗氏にまつわる出演者が豪華

9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝

その上 バックバンドも豪華

山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)

さらにトークゲストも至極豪華

松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

会場は、キャナルシティホール   

調べてみたら、キャパが1150人程度と必ずしも大きなホールではない。

これは、すぐにチケット売りきれてしまうかもしれん。参戦するかどうか、考えている余裕なし・・・・と判断して、2日通しで2万5千円也・・と、安くなかったけどその場でチケット購入を即決してしまったワタシ。。。。

程なくして、指定された席は  1階 B列24番

ぬおー、なんと、前から2列目ではないか〜 。。。 ライブ参戦を始めて以来、こんな前の席が当たったのは初めてだわ。。。。これは参戦するしかないっ・・・・。

・・・と、9/23(金) 千葉からはるばるやってきましたよ福岡。

福岡は何年ぶりだろ? 1999年の夏、夏休みで出雲から山陰線経由で福岡まできたのは覚えているが・・・・。もしかすると、それ以来23年ぶりかもしれん。

あの時からも、すっかり変貌した博多駅前にちょっと戸惑う。。。
駅前のホテルにチェックインし、すぐさま、会場のキャナルシティ劇場へ

博多駅から、徒歩10分程度ということだったけども、案の定、道に迷う。。。。 
23年前には、たしか、まだキャナルシティは無かったはず。。。。
やっとのことで到着してみると、キャナルシティのビルの複雑なこと。。。よくまあ、こだに複雑な建物を建てたものよのう・・・と思いながら、何とかキャナルシティ劇場に到着。

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久しぶりの福岡、おまけに初めての「ハコ」なので、道に迷うことを想定して、早めに動いて正解だったわ。


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早速、指定された 1階B列24番の席に着く。

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うわっ、ステージ近っ
1階2列目という事で、想定はしていたけども、予想以上にステージが近い。 下手したら、アーティストの唾が飛んできそうなくらい。。。

キャナルシティ劇場。 ↑でも書いたように、当然ながら初めての「ハコ」。 
1階 2階合わせて、1150席のキャパということで見た目、必ずしも大きくはない。 
ここんところ、5000人収容の東京国際フォーラムホールAなどの大ホールに慣れていただけに余計かもしれないけども、地方都市の市民会館の大ホールよりも規模は小さめ。渋谷のO-EASTなど中規模のライブハウスくらいの大きさと言ったら分かりやすいだろうかね。

まあ、もともと劇団四季公演用のホールとして作られただけあって、この程度の規模のキャパになったんだろう。

ただ、規模がそれほど大きくないだけに臨場感は感じられるだろうと思う。
入口の看板にあるように「福岡屈指のエンターテイナーシアター」というのも自信の表れだろうね。

実際、開演まで会場に流れていた、大村雅朗氏が手掛けた曲々の音質も、素晴らしいものだった。
これは期待できそう。

定刻の18時丁度。開演。

ゲストDJの砂原"まりん"良徳氏によるオープニング、
大村雅朗アレンジ曲メドレー からステージがスタート。

メドレー使用曲
No No サーキュレーション(吉川晃司)
晴れのちBLUE BOY(沢田研二)
その気×××(大沢誉志幸)
SOMEDAY(佐野元春)
そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸)

記憶している曲としては、この辺りではあるけど・・・・
キチンと記録していたわけではないので、もしかすると違っていたかもしれない。。。
(その場合は、申し訳ありません。。。)

うーむ、こうしてみると、「渡辺プロ系」な曲による硬派な曲メドレーだったな。。。。

いずれにしても、太くかつクリアな音質のサウンドが、会場いっぱいに響く。

うわぁ〜、これだけでも楽しめるわ・・・と感じたところで、今回ライブの司会役の
佐橋佳幸氏、亀田誠治氏が それぞれステージ 上手、下手から登場。
まあ、ミュージシャンでいて、もともと弁が立つお二人、司会役としては適役だった思う。
楽器持つまえにマイク持ったのは初めて・・・とか、そもそも上手、下手からの登場は、漫才師みたいやな・・・といった「マクラ」で会場を沸かせたところで、八神純子さん登場!

佐橋佳幸氏、亀田誠治氏と、大村氏の思い出話でひと時盛り上がり

・みずいろの雨
・ポーラースター
・Mr.ブルー〜私の地球〜

と、八神純子さんの楽曲の中でも大村雅朗氏アレンジの代表的な3曲を立て続けに披露。
八神さんのボーカルは、40数年前のヒット当時とまったく変わらない。

加えて、今回のライブは、大村雅朗氏のアレンジを忠実に再現するというコンセプトに加え、なにせ、超一流のバックバンドということもあって、レコードアレンジと、ほとんど遜色がないサウンド。

一気にヒット当時の空気に引きずり込まれ、あのころの映像が脳内フラッシュバックする。

「みずいろの雨」をベストテンで初めて聴いて、ヒット曲にのめりこんだことは勿論の事が一気にフラッシュバック。
それと、八神さんの代名詞となったねサンバホイッスルですね。
以前、1曲セレクトでも書いたけど、ワタシ、あのサンバホイッスルが好きでね。わざわざヤマハに行って、同じサンバホイッスル買ってもらったことあるもの。

リハーサルでは、サンバホイッスル無かったらしいんだけども、本番ではやってくれたこと。

次の「ポーラースター」には涙してしまったわ。

1979年夏 この曲がベストテン入りの兆しを見せていた8月。はじめて博多に来た。
折からのブルートレインブーム。ワタシもどうしてもブルートレインに乗りたくてね。
兎に角、チケットは連日満席の上に折からの夏休みということでチケットが取れなくてさ。親に無理言って、やっとのことでキャンセル待ちの切符を取ってもらって乗った「あさかぜ」。
あれで、はるばる博多までやってきたんだった。 

「ポーラースター」と「博多」となると、否が応でも、あの時のブルートレイン車内とか、博多の中州のネオンサインの光景がフラッシュバックしてくる。

43年の時を超えて、いま、また博多に居る自分を思うと、なんか涙が出てきちゃったりしてね。。。


そして、「
Mr.ブルー〜私の地球〜」。これは、「ポーラースター」の次の年、1980年夏、NHKで放送された「パノラマ太陽系」の主題歌だった曲。

「ポーラースター」もそうだけども、丁度、個人的に「宇宙」に興味を持っていた時期で、だから、どちらの曲も、本当に好きだったんだよね。

どちらの曲も、壮大なアレンジが、それこそ、広大で深い宇宙を彷彿させていたし。

そういう意味では、大村雅朗氏の最初の音楽性を認識した曲だったかもしれない。

・・・ということで、印象に深い2曲だったしね。

ただ、八神純子さんは、この3曲が感動的で、おなかがいっぱいなっちゃってさ、ワタシ。。。。
この他、2曲披露してくれたんだけども、その記憶が飛んじゃってるんだよね。。。

記憶にあるのは、ラストの「DAWN」で最後にいつまでも天を仰いている八神さんの姿。
恰も、天国の大村さんに向かっているような表情が印象的だったな。

※実際はもう1曲は「明日に向かって行け」
(1979年 2ndアルバム「素顔の私」より) だったようです。


続いて、ばんばひろふみさん 登場。
短いMCのあと ソロとしてのばんばさんの 初めての大ヒット曲でもあり代表曲でもある「SACHIKO」。
この曲も生で、しかも目の前で聴ける日が来るとはね。

やはり43年前、「ベストテン」の画面越しで聴いてた身としては、感慨ひとしおですわ。

この曲、レコーディング当日には、まだアレンジができていなかったとか。
御馴染みの、あのイントロは、レコーディング当日、ピアノのハネケン(羽田健太郎)氏がその場で作ったそうだ。 いやいや、実際に聴いてみないと、まだまた知らなかった事実があるもんですね。

ただし声がねぇ・・・・。出なくなってましたね。 ほとんど歌唱らしい歌唱になっていなかったのは残念。

ばんばさんは、もう1曲。「SACHIKO」の大ヒットで、ロスでのアルバム制作が出来たという話から、そのロス録音、大村雅朗氏プロデュース、1980年リリースアルバム「COAST」から「TENDERNESS」という曲を披露。

つづいては、ゲストコーナーとして
中川翔子さん登場。
松田聖子さんのナンバーを披露。

・天使のウインク
・ハートのイアリング

中川さんのアイドルオタクぶりは、承知の上だったし、だから、恐らく聖子さんのカバー演るんだろうなとは予想が付いていたけど、その通りでしたね。

あとは、どの曲をやるのか・・という所だったけど、シングルではあるけども、意外と「シブい」ところからの選曲だったなという印象。
もっと「代表曲」的な大ヒットナンバーをやるものとも思っていたし。。。
まあ、聖子さんナンバーを歌っている中川さんはテレビでも見たことがあるし、だから、全く違和感なく聴けましたね。

「ハートのイアリング」の後は、 松本隆氏を交えてのトーク。

もちろん、松本隆 大村雅朗といえば、数々の聖子さんの曲が中心になるわけだから、聖子さんの話が中心。
大村さんが亡くなった後の「櫻の園」の話題にもなった。

「櫻の園」は、もともと別の歌詞が付いていて、他の人のために作った曲だったこと。 その曲がボツ
になってしまったため、お蔵入りになっていた事。
ただメロディラインは良かったので、どうにかメロディは生かしたいと寝かせておいたところに、松田聖子さんの「永遠の少女」の企画が持ち上がって、新たに書いた歌詞が「櫻の園」になった事etc etc。。。

確か一昨年に放送された「風の譜」〜福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗〜によれば、「櫻の園」は別の人のために作った曲がお蔵入りになってしまい、その曲を寝かせておいたということは語られていたけど、、「別の詞」が付いていたというのは、今回、新たに語られた事実ではないのかな? 
松本隆氏本人から出た話なので事実だと思うんだけども、松本氏曰く、もともと付いていた歌詞はツマらないものだったらしい。

ただ、その他は「大村雅朗の奇跡」(DU BOOKS)や、「風の譜」で語られた内容と被る話題が大半で、あまりここだけのサプライズ的な話題がなかったのは残念。

もっとも、書籍やテレビの画面越しではなく、直に松本隆氏の話をこれらの話を語られたこと自体が新鮮だし、現実味を感じましたが。。。。


そして、中川さんの歌唱でもう1曲、聖子さんのカバー。

「セイシェルの夕陽」

この曲は、「
風の譜」では中島愛さんがカバーされた曲ですが、今回出演したミュージシャンたちからも、この曲が聖子さんの曲の中では一番好きという声が多かったようだ。
むろん、作詞した松本隆氏も同意見。

ただ、トークでも話題になった「櫻の園」や、これは絶対にやるだろうとおもっていた「SWEET MEMORIES」をやらなかったのは、意外だったな。
(これらの曲は、次の日槇原敬之氏がカバー)


そして、1日目のトリ、渡辺美里さん登場。
1曲目が「BELIEVE」だったのは、ちょっと意外だったが・・・。

「BELIEVE」の歌唱の後、司会の
佐橋佳幸、亀田誠治を交えての、大村雅朗氏の思い出話。
美里さんとしては、やはり、「My Revolution」での大村雅朗氏との出会いは強烈だったようだ。どうしても、この曲の制作秘話になりますね。

・君はクロール
・Lovin' you
・Rain (大江千里カバー)
・My Revolution

と立てつづけに4曲。

兎も角、八神さんに負けず劣らず、圧巻の歌唱力を見せてくれましたわ。 さすがに現役バリバリのシンガーという所ですね。

アルバム「Lovin' you」からの選曲が多かったのは、大村雅朗氏がサウンドプロデュースしたアルバムということが大きいんだろうけども、このアルバムには、今回のバックバンドメンバーである、ドラム 
山木秀夫氏、ギター 今剛氏、佐橋佳幸氏もスタジオーミュージシャンとして参加していたというのもあるんだろうな。

大江千里氏の「Rain」を演ったのは、美里さん自身のお気に入りだったということもあるだろうけど、この日出演しなかった、やはり大村氏が手掛けたアーティストでもある、大江千里さんへの配慮もあったのかなぁ・・・。

蛇足だけども、個人的には「Teenage Walk」なんかもやって欲しかったなぁ・・なんて思ったりしてね。。。


・・・以上で、ライブ1日目は終了。
トークを含め2時間半のライブは、あっという間でしたね。

兎に角、手を伸ばせば届きそうな位置から見る、各アーティストの歌唱とトークは、もちろんの事、バックバンドの演奏力のすばらしさを十分に堪能できた、1日目でしたわ。

さて、2日目のライブも楽しみですな。。。 (続く)



●大村雅朗25th Memorial Super Live 1日目(9/23) (不完全)セットリスト

・オープニング
▼砂原"まりん"
良徳DJ
大村雅朗アレンジ曲mash up(メドレー)
1. No No サーキュレーション(吉川晃司  1984年 2ndアルバム「LA VIE EN ROSE」より )
2. 晴れのちBLUE BOY(沢田研二 1983年 39thシングル)
3. その気×××(大沢誉志幸  1984年 4thシングル 資生堂夏のキャンペーンソング )
4. SOMEDAY(佐野元春 1981年 4thシングル )
5. そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸  1984年 5thシングル  日清カップヌードルCM曲)

▼八神純子
6.
明日に向かって行け(1979年 2ndアルバム「素顔の私」より)
7. みずいろの雨 (1978年 5thシングル)
8. ポーラー・スター (1979年 7thシングル)
9. Mr.ブルー〜私の地球〜 (1980年 10thシングル NHK「パノラマ太陽系」主題歌)
10. DAWN (1979年 2ndアルバム「素顔の私」より)

▼ばんばひろふみ
11. SACHIKO (1979年 4thシングル)
12. Tenderness (1980年 3rdアルバム「COAST」より)

▼中川翔子
13. 天使のウインク (松田聖子カバー 1985年 20thシングル)
14. ハートのイアリング (
松田聖子カバー 1984年 19thシングル)
15. セイシェルの夕陽 (
松田聖子カバー 1983年 7thアルバム「ユートピア」より)

▼渡辺美里
16. BELIEVE (1986年 7thシングル)
17.
君はクロール (1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)
18. Lovin' you (1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)
19. Rain (大江千里カバー 1988年 7thアルバム「1234」より)
20. My Revolution (1986年 4thシングル TBS系ドラマ「セーラー服通り」主題歌)



ポーラー・スター / 八神純子


1979_08_ポーラースター_八神純子



今回の1曲セレクトは、八神純子の「ポーラー・スター」です。 

まずは、データから 

・タイトル     ポーラー・スター 
・アーティスト   八神純子
・作詞       八神純子 三浦徳子
・作曲       八神純子
・編曲       大村雅朗 
・リリース日  1979年7月25日 
・発売元     ディスコメイト 
・オリコン最高位 8位 
・売上げ枚数   24.5万枚 
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテン ランクイン期間:1979年8月30日〜10月18日放送分


9月に福岡のキャナル・シティホールで開催される、「大村雅朗 25th Memorial Super Live」




出演アーティスト 9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝
バックバンド 山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)
トークゲスト 松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

3連休だし、キャナルシティのキャパ数と、この出演者の面々を考えると、多分チケット取れないだろうな・・・と思っていたけど、思いがけなくチケットが獲れた。
うあ、思いがけない誤算。。・・・ということで、今、急ぎホテルを予約したり準備を始めていたりします。   
コロナの影響が出なければいいですけどね。。

個人的に楽しみなのは、やっぱり八神純子さんですかね〜。 ワシ、八神純子さん大好きなんだぁ。
あ、「大好きだった」って言ったほうがいいかな。。。 


そもそも、私が「この道」(ヒット曲道)に嵌ったきっかけは、「ザ・ベストテン」を見てしまったから・・というのは間違いないんだけども、中でも八神純子さんの「みずいろの雨」は、衝撃的だったよね。

当時、ベストテンのスタッフでも八神さんファンが多かったようで、八神さんが出演した時のセットの力の入れようが違ってたでしょ。そんな効果も曲を盛り上げていたし。

個人的には、ちょっと嵌り過ぎてさ。 当時、八神さんって、サンバホイッスルがトレードマークだったぢゃないですか。 私、当時、わざわざ地元のYAMAHAまで行って、同じもん買ってもらいましたもんね。わがまま言ってさ。 

大村氏がアレンジを手掛けた「みずいろの雨」は、有名すぎるくらい有名だし、今度のコンサートでは、当然やるだろうけど、他にも大村氏が手掛けた、初期の八神さんのヒット曲、やってくれないかなぁ・・・と期待しているところなんだけどね。


今回は、そんな「大村雅朗 25th Memorial Super Live」でもやって欲しいなぁ・・と思っている曲を一つ。

「ポーラー・スター」

・・・と書いて、ここのブログを深く見てくださっている方は、お気づきかと思うんだけども、
じつは、この曲過去に一度書いてるんだよね。

2005年にmixiで「1曲セレクト」を始めて、2曲目に書いたのが、この曲だったりして。。。
まあ、2曲目に書いた曲なんでブログの「最奥」に沈んでいて、よほど気を付いて見ていただかないと気が付かなかったと思うんだけども。。。

当初は、単純に自分が好きな曲を引っ張って来てたわけで、だから、それくらいこの曲、個人的には好きなんだよなぁ。

ただ、最初に書いてから17年経って、ちょっと書き直したいところも出てきたんで、今回、改めて、少し手を加えつつ、再編集という形で、引っ張っぱり出してきました。。

なお、当初2005年に書いた記事は、紛らわしいんで、これを機に削除してしまいましたので、もし、リンクしてた方がいたら(ってか、そんな方いるんかなぁ。。。。)、こちらに変更していただければと思います。


ワタシねぇ、「みずいろの雨」は別格として、初期の八神さんの曲の中では、この曲が一番好きなんだよね。

この曲こそ、八神純子ならではの特徴を、一番引き出した曲だよね、と個人的には思ってるからなんだけど。

 八神純子さんならではの特徴・・・やっぱり高音域とファルセットの伸びですよね。 

この曲、一番高い音はハイトーン。実音の2オクターブ上ですよ。ここまで出す人、女の人ではなかなかいないですもんね。 
 それと、曲のイメージですね。ポーラースター、ま、日本語で「北極星」ですわね。イメージは星空、宇宙なわけです。 そのイメージに曲が負けていないんですよね。 

いや、ほんとに自分も星空の下にいる気になってくる・・。絵が浮かんでくるんですよね。 

アレンジの大村雅朗氏の見事な仕事の賜物だと思います。 
コノ後、松田聖子など、トップアーティストのアレンジを手がけることになる、大村氏の初期の傑作といっても過言ぢゃないよね。

そもそも「ポーラー・スター」 っていう「題材」からして、イマいかったんだよね。

コノ年1979年って、宇宙、銀河がトレンドだったんですよ。同時期、アニメ「銀河鉄道999」が大ヒット。
もちろん、劇場映画版のテーマとなった、ゴダイゴの「銀河鉄道999」も、この曲と全く同時期に大ヒットしてたもんね。

また、秋には惑星探査機「ボイジャー」が木星に大接近と、いろいろな「宇宙ショー」が繰り広げられていましたよね。 

この宇宙ブームは、次の年1980年も続きまして、この「ポーラースター」が認められたのか、80年夏(ちょうど42年前の今頃ですね)のNHK特集「パノラマ太陽系」では、八神純子の「Mrブルー〜私の地球〜」が主題歌に抜擢されました。 
こちらは、80年秋にリリース。冬にかけて大ヒットしましたね。 

そう考えると、あの頃の八神さんは、宇宙づいていたよなぁ。

やっぱり、あの伸びる、きれいなハイトーンボイスが、宇宙の壮大さ、儚さを連想させるんだろうね。

それは、当然大村氏も重々汲み取っていたんでしょうね。これら「宇宙」に関連する曲のアレンジは、他の曲よりもレンジの幅が違うように感じるんだよね。

なんちゅうのかなぁ、宇宙の無限大の広がりと、その中のちっぽけな地球の、そのまたちっぼな存在である自分との対比 ・・・っていうのかなぁ。

まあ、ワタシごときが偉そうに、書く事でもないですけどね。。。

ただ、個人的には大ゼッサンな2曲ではあるんだけども、ことヒットとなると、件の「みずいろの雨」や「パープルタウン」ほどではなかった・・・っていうのがね。。。。

やっぱ、いい曲と大衆に支持される曲っていうのは、必ずしもイコールではないってことなんだよね。
あの当時から学んでましたね。


ちなみに、当時、私的にも天体ブームでして、安い天体望遠鏡片手に、夜な夜な天体観測をやってましたねぇ。金星、木星、土星・・などの惑星観測、その他、流星群観測とか、深い藍色の模造紙に星座の天球図を書いたり、夏休みの「自由研究」でやったよなぁー。 

ガッコのセンセには、「将来は天文学者」とか言われてましたが、ワタシの性格からして、今考えると、単に当時のトレンドに乗り遅れるのがいやだっただけじゃないか。。とも思ったりして・・。 

ただ、未だに自然科学は好きなんで、時間があったら、また、天体望遠鏡なぞ購入して天体観測やりたいねぇ。。。 千葉に来てからは全くやってないからなぁ・・。





「ザ・ベストテン」 から。
↑で、ベストテンでの八神さんのセットは、スタッフの力の入れようが違った・・・って書いたけど、これでもよくわかりますよねぇ。
レーザー光線を利用し星座をイメージしたセットは、当時からしたら最高水準でしたからね。

ちなみに、個人的には、この頃、すでにラジカセに曲の録音をしてたんで、ベストテンでのこのアレンジが、一番しっくり来るかな。 レコードよりは、すこしアグレッシヴで。。。

ただ、やっぱレコードアレンジのこの動画も捨てがたい




宇宙の壮大さ、儚さという点では、レコードアレンジのこのバージョンのほうが、何枚も上でしたからね。
もっとも、曲終わりのインストが、レコードではフェイドアウトなので、テレビでやると、この動画のように、「なんか不自然」・・・になっちゃうんだけども。。。

この動画は「コッキーポップ」でしょうかね? 違ってたらすみません。。。


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This Is a Boogie / 桜田淳子

1981_09_This Is a Boogie_桜田淳子



今回の1曲セレクトは、「This Is a Boogie」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル    This Is a Boogie
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      実川俊
・作曲      小田裕一郎
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 ランクインせず

テレビとヒット曲っていうのは、切っても切り離せない関係にあると思うんだよね。
人気のテレビの歌番組に出演すれば、ヒットは約束されたものと言っても過言ではないし。
いや逆か。。。。ヒット間違いなし、あるいはヒットチャートで上位に上昇してきているからテレビに出てるのか。。。。

まあ、昔は、ベストテン方式のうち番組も多かったですが、基本はプロデューサーが出演アーティストを選択する、キャスティング方式が基本だったわけで、その中からヒットが生まれるということもあったわけですわ。

でも、そんな感じで、テレビの歌番組に出演したから・・ということで、少なくともオリコン左ページ入りが高確率で約束されたのって、それほど遠い昔からと言うわけでもないようにも思えるんだよね。

昔は、歌番組にしょっちゅう出てたよね、っていう曲でも、全くヒットしなかった曲も、意外とあったわけでさ。

今回の1曲セレクトは、そんな、「しょっちゅうテレビで聴いたよな」だけど、全くヒットしなかった曲を一つ。


桜田淳子さんの「This Is a Boogie」。

この曲、覚えている方、どのくらいいるかなぁ。 

1981年9月にリリースされた、淳子さんとしては36枚目のシングル。

桜田淳子さんと言えば、スター誕生出身、中3トリオとしてスター街道をまっしぐらだった、70年代のトップアイドルですわ。

なので、よもや、オリコンの100位にも入らなった曲なんか無いだろう・・・と思いきや、この曲、オリコン100位内に入らなかったんですねぇ。

正確に言えば、 この曲以降、ベスト100に入らなくなった・・・と言った方がいいのかな。
(もっとも、2曲前の「玉ねぎむいたら」もベスト100入りしなかったけど)

さしもの淳子さんも、時代が70年代から80年代に変わり、息切れだったんだろうね。

でも、そんな風に思えるのは、後年、オリコンチャートブックなる本を購入して、淳子さんの売り上げ推移を見たからなんだよなぁ。

うん、この曲がリリースされた1981年秋から冬にかけて、この曲、テレビでやたらと聴いたんだよね。
あの頃は、秋になると各局で音楽祭が開かれてたけど、各局の音楽祭では、必ずこの曲が歌われてた記憶があるなぁ。 そもそも、この年1981年の第32回紅白歌合戦でも、この曲が歌われていたし。

ま、そういう大きな歌番組以外でも、よく聴いたのよ。

だから、個人的には、そこそこヒットしていたものと思っていたんだよね。

個人的に、この頃オリコンの存在を知ったんだけども、まだオリコンチャート自体は購入してなかったんで、後年、オリコンチャートを買うようになってから、この曲がベスト100にも入ってなかったことを知るんだけども、あの当時の歌番組への出演頻度を考えると、まさか・・・だったんだよねぇ。

逆に言えば、「出し手側」としたら、それだけ期待して、大々的にプロモーションをかけていたんだろうね。
ってことは今だったら、よくわかるな。

それだけ期待していたのにもかかわらず、大衆的には、刺さらなかった・・・ということなんだろうなぁ。

でも、考えてみれば、テレビではよく聴いたけど、ヒットしなかった曲って、この頃は、他にもあったよなぁ。 例えば、由紀さおりさんの「両国橋」とかさあ。。。

そのほか、個人的によく覚えているのは、もう少し後だけど、以前1曲セレクトでも書いた、佐東由梨さんの「どうして!?」ですね。

そもそも、紅白で歌えば、オリコンでの上昇は、ほぼ約束されたようなもん・・・。

・・・と思えたりするんだけども、それは、あくまでも80年代後半以降のことでさ、最初に書いたように、この1981年頃は、たとえ、紅白で大々的に露出されたとしても、レコード売り上げが動かなかった曲も、まだまだあったわけなんですよ。

あれだけ、大体的に露出していながら、(少なくとも)オリコンTOP100にも入らなかったのか、理由は、よくわかんないんだけどさあ。

この「This Is a Boogie」にしても、曲自体は、悪くなかったと思う。
淳子さんにしては、珍しい、4ビートのスウィングジャズ風。ビッグバンドがよく合うような。 ・・・・というか、シングルでは、この手の「50'S」以前のオールドジャズ的な曲は初めてだったかもしれないな。

作曲は、小田裕一郎氏。 アレンジは、大村雅朗氏という、もろ、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」の布陣だけど、作曲の小田裕一郎氏がこの手のスウィング・ジャズっぽい曲を書くのも珍しいような感じがしましたね。

そもそも「青い珊瑚礁」とはえらい曲調が違うし・・・・。

あ、でも、後年だけど、トシちやんの「エル・オー・ヴイ・愛・N・G」にしてもノリはジャズっぽ方ったもんなぁ。この手も得意だったのかもしれない。

でも、ここまでスウィングした曲調になったのは、アレンジャーの大村雅朗氏の影響が大きかったんだろうな。

大村さんも、もともとブラスでサックスをやられた方なので、この手のスウィングした、ビッグバンド風のアレンジも得意だったろうし。。。

いや、もしかすると、小田氏と大村氏のコンビで「青い珊瑚礁」の成功があったんで、きっと、この曲もヒットするだろう・・ってことで、あの当時、大々的にプロモーションを打ったのかなぁ。。。

淳子さんも、松田聖子さんも、同じサンミュージックだったし。。。。

まあ、あくまでもうがった見方での想像ですが。。。。


当時12歳だったワタシも、まだ、この手のスウィング・ジャズに触れたことなかったこともあったんで、最初は変な曲なんて思ってたんだけどさ。

兎も角、テレビでやたらと流れていたんで、自然と消化されてはいたんだよね。

その後、個人的にブラスをやったりして、スウィングの曲もやったりしたわけで、そういうフィルターを通してみると、この曲がよく面白く感じたりしてね。 だからさ、この曲をきちんと理解できたのは、後年ですけどね。





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モニカ / 吉川晃司


1984_03_モニカ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「モニカ」吉川晃司です。

まずはデータでする。

・タイトル       モニカ
・アーティスト     吉川晃司
・作詞         三浦徳子
・作曲         NOBODY
・編曲         大村雅朗
・リリース日      1984年2月1日
・発売元        SMS
・オリコン最高位    4位
・売上げ枚数      33.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1984年3月19日〜5月28日付
・タイアップ:映画「すかんぴんウォーク」主題歌


少し前に、昔書いてたmixiの日記を読み返したら、このブログに、まだ「移植」していなかった1曲セレクトが何曲か見つかった・・・って書いたんだけども、実は、今回引っ張ってきた、この曲もそんな曲の一つなんだよねぇ。

吉川晃司「モニカ」

ここから読んだ方は、「え〜、なんで、こんな大ヒット曲まだ書いてなかったのぉ〜」と思われて当然・・・・ですよねぇ。。。。  

いや、ワタシもね当然、この曲は、すでにこのブログに移植していたものと思っていたの。。
(mixi時代に書いていた曲は、このブログを始めるときに移植してきてたんですよね)

どうも、どこかで漏れてしまったんだよなぁ。。。。

ちなみに、mixiには2006年4月、今から15年前に書いてんだけどね。
そのまま転記してもいいんだけども、この機に少し加筆しながら書いてみまする。


それにしても今日はいい天気ですわ。 外に出てみれば桜は満開だし、すっかり春ですね。 
もう、こう言う気候になるとソワソワですよ。
ただまだ3月なんだよね。 
3月でこの気候ねぇ。今年は暑くなるのかねぇ? 最近は、春、秋の季節が昔に比べたら異様に短くなっているような気もするんだけども、3月でこの気候であれば、今年の夏も暑くなるだろうね、きっと。

それはそうと この「モニカ」がヒットした1984年もそうだったんだよなぁ。この年の冬は異常なくらい寒かったのよ。で、逆に夏は猛暑。気候が猛烈に変わった典型的な年だったんだよね。

そんな1984年にリリースされた、「モニカ」。
ハイ、吉川晃司のデビュー曲です。
 
この曲は、そんな、さむーい冬の最中、1984年2月1日にリリースされたのですよ。

1984年の2月は、関東地方でも10年ぶりくらいに大雪が降った年で。ここ千葉でも一晩で40cmくらいの積雪になったんだよね。 それが一度だけではなく毎週のように積雪。 兎も角寒い2月だった・・ってこと、今でもよく覚えてますよ。

そんな中、この「モニカ」って曲は、ウエストコーストなテイストがいっぱいのストレートなロックポップな曲。完全なロックとはいえないけど、太陽の光をいっぱい浴びながら聴きたくなるような、軽快なロックでしたよねぇ。

近田春夫氏いわく、佐野元春氏をうーんと、素直にしたような曲調。

 ただね、ウエストコーストの太陽の光をいっぱいに浴びたような曲調だっただけに、最初はあんまり、動きがよくなかったんだよね。
そそそ、実際の気候は、めっちゃ寒かったからさ、当初は、どうも今ひとつピンとこなかったのも事実でしたね。

実際の気候と、ヒット曲傾向の関係って絶対あると思うのよ。 まあ、実際調べてみたわけぢゃないけど、長年の肌感覚として。
ネットを調べると、経済動向とヒット曲の傾向との相関関係を調べた方はいるみたいだけど。。。
誰か調べてみては

・・と話がずれた。。。

まあ、これがデビュー曲という新人ということで、知名度もなかったというのも、当初ヒット戦線に今一つ動かなかったのも事実だったろうし。。。
ナベプロのイチオシ大型新人であったとは思うけど、それほど、大々的なプロモーションは、最初はなかった・・・様な印象もあったなぁ。

曲に対する評価も最初は高くなかったんだよね。
近田氏も、月刊明星の「新曲激評」のコーナーでは、佐野元春のようで面白いが、まだ、固まっていない・・というなんとも歯切れの悪い評価。

 たしかに、まだ、このヒトならではの特徴ってなかったんだよね。強いて言えば、発音が悪かったって事ですかね〜。。。
 まあ、のちのち、これがこのヒトの持ち味になるわけだけど、あの当時は、字余りの発音不明瞭っていうアーティストは、ほとんどいなかったからねぇ。ほとんどサザンの桑田氏の専売特許みたいな感じだったし。
 だから、新人のくせに「生意気な」という雰囲気もあった様な気がする。今となって思い返せば。

 BUT、暖かくなるにつれて、評価がガラリと変わってきたんだよね。
やっぱり、太陽の下で聴くこの曲ってのが、一番しっくりくるわけで、本来の形に見えてくるんだろうなぁ。
曲のもつ温度感がさ、やっぱり、「初夏」のカラリとした空気感だもんねぇ。

 このあたりは、個人的にも納得なんだよなぁ。ワタシも初めのうちは、この曲、あんまりピンとこなかったのは事実だし。
 でも、今ごろの季節の空気の中で聴くといいんだよね。とくに今日のようにスカッと晴れた日にはあうのよ、この曲。

↑で1984年って、冬はめっちゃ寒かったけど、夏はめっちゃ暑かった・・と書いたけど、今考えると「春」は短く、あっという間に「初夏」になったようなイメージが強い。
だからなんだろうね、この年の「春ソング」って少なかったという印象もあるし。

まあ、いつかも書いたように、この頃になると季節先どりの曲がめちゃくちゃ多くなっててさ、4月には「夏の〜」「渚の〜」っという感じで、ヒット曲の世界は一気に夏モードに転換していたんだよね。

この年はさ、それにリンクするかのように4月に入ると一気に初夏めいてきてたんだよね。
だからなのか、1984年4月、5月のヒットってそんな初夏の風に似合う曲が多いんだよね。
それが、この「モニカ」って曲にも追い風になったんじゃないのかなぁ・・とも思ったりするのよ。

これが1年後の1985年だったら、ちょっと状況が違ったんじゃないのか・・とかさ。
1985年は4月になっても雨がちで肌寒い日が多かったからさ、印象が違ったと思いますね。



 


やっぱ、15年の月日は大きいよなぁ。あの頃と今の文章のノリってだいぶ違うんで、どうも今一つ、うまく加筆できなかったデスわ。 すみませぬ。。。。

ちなみに、この曲のサビの

♪ Thanks ThanKs Thanks Thanks モニカ〜  ♪ の部分

 同じ時期にブレイクしてきた、チェッカーズのフミヤ氏、曰く
かの「ザ・ベストテン」にて

♪ SEX SEX SEX SEX  もう二回〜 ♪ とのたもうておられました。(爆)

どうも、その印象が未だに強いんだよね、個人的に。。。。


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気分をかえて / 香坂みゆき

1981_08_気分を変えて_香坂みゆき


今回の1曲セレクトは、「気分をかえて / 香坂みゆき」です。

まずはデータです。

・タイトル     気分をかえて
・アーティスト   香坂みゆき
・作詞       山崎ハコ
・作曲       山崎ハコ
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1981年6月1日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 58位
・売上げ枚数  4.9万枚

うわっ、いつ以来の「1曲セレクト」だ  ってくらい久々なんで、どう書いていいか忘れちゃってるワタシがいたりして 
まあ、いつも半ばテキトーに書いてたりするんで 今回もテキトー精神で進めちゃったりしますか。。

個人的にヒット曲が好きなのね。ぢゃヒット曲ってなんぞや・・・っちゅうと、まあ、「売れてる」曲ですわね。簡単に言えばヒットチャートで上位に来てる曲。
 逆に言えば、売れない曲って好きじゃないんだよね。
なんでかっちゅうと、なんか独りよがりって感じがするしさぁ。少なくとも「商業」的にリリースするならば、売れないよりは売れた方がいいわけじゃん。 最近は売れなくてもいいから分かる人だけに聴いてもらえればいい・・・とか、普通に言うアーティストって結構いるじゃん。 なんか違うよなぁ・・・なんて思っちゃうんだよね。
少なくとも通常の商業ルートに乗せてリリースするなら、売れなくてもいい曲をリリースするのって、やっぱおかしいわけじゃん。売れなくてもいいなら自主的にシコシコリリースしてごく近しいヒトに聴いてもらえればいいわけでさ。

・・・なんて、また、クレームが来そうな言い回しになっちゃったりして。。。

まあ、ヒットしてる曲を聴くのが好きっていうのは、もう長年のクセですね。40年以上もそうやってヒット曲を追いかけて来ている「性(さが)」とでも言いますか。

だからね、ヒットしなかった曲っていうのは、未だに手元に音源が無い曲が圧倒的に多い。まあ、それまで追いかけてたらいくら金があっても追いつかないし、そもそも全曲じっくり聴いてる時間もないわけで。。。



たださあ、そうは言っても、売れなかった曲でも時々、引っかかっちゃう曲はあるんだよな。

今回もそんな売れなかったけども、当時引っかかった曲をひとつ。

香坂みゆき「気分をかえて」

この曲、最初に聴いてのってどこでなんだろ? 「8時だよ全員集合」だったか。。。
まあ、テレビで聴いたのは間違いないんだけど、いつどこでっていうのは、全く覚えてない。

でも、インパクトはあったんだよな。

香坂みゆきさんって、それまでは純粋に「アイドル」だったわけじゃん。 まあ、売れなかったけども。。

そそそ、このヒトと高見知佳さんと、石川ひとみさんと、倉田まり子さんって、なんか似たような境遇の人たちだよなぁ・・・なんて、80年当時は感じてたんだよなぁ。 このヒトたちよく「ドリフ大爆笑」に出てたじゃん。
で、ウタのコーナーになると、売れてない、いわいるB級アイドルが勢ぞろいって感じで、この人たちが出てたりしてさぁ。

まあ、石川ひとみさんは81年に「まちぶせ」で、その中から離脱した訳だけど、 香坂みゆきさんと高見知佳さんっていつまでたっても垢抜けないB級アイドルって感じだったんだよね。

・・・と思ってたら、いきなり香坂みゆきさんが、この「気分をかえて」で「硬派ロック」路線に変えてきたわけじゃん。

一体どうした事か。。。 当時12歳になったばかりのクソガキだったワタシでもそう感じたんだよなぁ。

それまで「みんなのアイドル」ってかんじだったのが、いきなり「大人」っぽい路線に行っちゃったんで、どう捉えたらいいのかって言うのもあったのかもしれないな。

まあ、一つ言える事は、81年頃は、いわいる「ツッパリブーム」で、みんな大人っぽく見られたがってたってのもあるんだよね。なんせ、あの三原順子さんだって、当時17才にゃ見えなかったしさ。どうみても5〜6才サバ読んでるでしょ・・・って感じだったじゃん。
そう言う時代の流れもあったんだろうね。

たださ、路線を変えた事で、香坂さんの「歌のうまさ」っていうのは、引き出されましたよね。
このヒト、こんなに「パンチ」の効いた歌唱力があったとは、それまではそんなに感じなかったもんなぁ。

元々は、山崎ハコさんの「1976年」リリース曲のカバー。 オリジナルは、もっと下世話なフォークロック・・そうやねぇ、後年の長渕剛氏が歌いそうなイメージの重い曲。

↓ コレ



これを大村雅朗マジックで、BLONDIEの「CALL ME」をちょいと拝借して本格ロックに昇華させたところが、如何にも1981年って言う時代性を感じさせたりしてね。

ちなみに、大村氏、この曲のBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにしたアレンジに旨みを感じたのか、1982年の佐東由梨「どうして!?」を経て、83年の河合奈保子「エスカレーション」に昇華させちゃったりしましたよね。

そうか・・・、81年当時、今一つ分からなかったこの曲が、今になって理解出来るっていうのは、結局は河合奈保子さんの「エスカレーション」を経た事で、この曲調が自分の中に消化したからなんだろうな、きっと。

まあ、その前に、81年当時は知らなかった、元曲のBLONDIEの「CALL ME」も今では自分の中に消化したからってのもあるけどさ。



改めて、今聴くと、如何にも80年代っていうサウンドだよね。
↑ではBLONDIEの「CALL ME」を下敷きにして河合奈保子「エスカレーション」に昇華させたって書いたけど、この感じ、80年代中盤くらいまでのアイドル系のマイナーチューンって、このサウンドが多かったんだよな。
そう言う意味では、80年代アイドルの基本系の1曲とも言えるかもな。

それにしても、最後の♪Bye Bye〜 ♪はインパクトの塊だよな。
これでも、売れなかったんだもんなぁ。
オリコン左ページにも行かなかったって言うのも、 ちょっと信じられないよなぁ。

ちなみに、高見知佳さん、香坂みゆきさん、共に1984年、化粧品のキャンペーンソングで自身最大のヒットを飛ばすことになる。 1980年当時の「売れない」2人を見てると、これもどこか因縁めいたところがあるなぁ。。


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時代遅れの恋人たち / 中村雅俊

1978_12_時代遅れの恋人たち_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「時代遅れの恋人たち」中村雅俊です。

まずはデータですよ〜

・タイトル     時代遅れの恋人たち
・アーティスト  中村雅俊
・作詞       山川啓介
・作曲       筒美京平
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1978年11月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」主題歌

私事なんだけど、先週知り合いが主催する「イントロクイズ」参加しましてね

↓ コレなんですけど
https://peatix.com/event/455948?fbclid=IwAR21C4P1k-sIGHo0Kre4tXxvAX2PbFFDb2YAs_fNeP4annMv2jInavc0gEA

「80年代 イントロ十番勝負」   

サザン

じつは、6月に別主催のチーム戦のイントロクイズにも出たんですけど、そんとき優勝したんですよ。
で、今回もその時の優勝メンバーで出ましょうよ・・・というお誘いがありまして。。

まあ、80年代縛りなら良いかな・・・と思いーの参加したんですが・・・

結果・・・・

なんとなんと、まさかまさかで「優勝」してしまいました  

今回は総勢100名の「歌謡曲・イントロクイズ」フリークが参加・・と言う本格的なイベント。 
今回も5人1組、20組でのチーム戦だったんですけどね。 6月で一度組んだ、気心の知れた仲間でチーム組んだのが良かったのか抜群のチームワーク功を奏したのか、予選、準決勝と圧倒的な強さを発揮
でも決勝戦は崖っぷちでした。
他の組にリーチをかけられ、絶体絶命の危機から、ワタシ以外のメンバーの猛烈な追い上げで劇的逆転優勝!... 盛り上がりましたねぇ!

僕ですか・・・僕ぁ、よかったのは準決の時だけですね。決勝戦は1問も答えられませんでしたよ〜。 優勝できたのはホント僕以外のメンバーのおかげですっ

分かる問題は何問かあったけど、悉く押し負けるんだよね。まだまだ未熟なワタシデス・・・。

と言っても、ワタシ的には特段、イントロクイズ対策はやっては居ないんだよね。
あくまで、昔の曲を頻繁に聴くくらいかなぁ。

とりあえず、60年代以降のヒット曲を、ヒット順に並べた音源をウォークマンに入れてあるからさあ。 それは、通勤時の帰りにほぼ毎日のように聴いてはいるんだけどね。 そのくらいですね。

ただ、今はあんまりやってないけど、昔、小学〜中学生の頃、明星の付録の歌本(Youn Song)とか月刊・歌謡曲の楽譜を見ながら曲聴くのが好きでさあ。 
その頃は自分で音源あんまり持ってないからラジオのベストテン番組を聴きながら譜面を見る訳ですよ。
で、出来るだけ曲の最初から譜面見たいからさ、イントロが出た瞬間、当該の曲ページを猛然と探すのよ。 そんな事をやってたら自然とイントロに強くなっちゃったんだよね。
中学生の頃は「ドレミファドン」のイントロクイズも回答者より先に大体分かっちゃってたし。。。25年くらい前にアーケードゲームで対戦型のイントロクイズがあったのよ。 それでも負けたこと無かったな。

とは言うものの、あれから30年近く経ってる訳で、流石にあの時に比べると頭の回転も反射神経も悪くなってるのは自覚としてあるんからさ。 
うん、瞬間的に曲としては分かるんだけども、曲名が出てこない・・とかさ
プラス、最近はクイズとして「イントロクイズ」専門に対策を立ててる方も多いんでね。
そんなわけで、今自分がどれだけ実力があるのか・・・って言うのは全く自身が無かったんだよね。
だから、今回の優勝はホント嬉しかったわ。 もっともワタシだけの実力ではないけどさ。



・・・ということで、今回の1曲セレクト、そんな「イントロ」のまつわる曲を持って来たい・・・っちゅうことで。。。

中村雅俊「時代遅れの恋人たち」

なんで、この曲がイントロクイズと関係あるの? ・・・って感じなんだけども。

いや、実はさあ、つい昨日なんだけども、買い物行く時に、いつものようにカーステで昔の曲を聴いてたのよ。
たまたま78年の今頃のヒットの並びだったんだけども・・・。 自分で曲順を並べたんで次はどの曲・・・って分かるはずなんだけども・・・・。
この曲のイントロが出た瞬間・・「あれ?」って考えちゃったんだよね。

そそそ、曲が分かんなかったの。 自分で入れた曲なのにねぇ。。。

ま、たしかに、曲がマンネリ化してきたんで、少し前に新たに曲を足したんだけどさ、その中にこの曲が含まれていた事を忘れてたんだよなぁ・・・。

いずれにしても、イントロが出た瞬間、曲が分かんなかった事で、「未熟」とか思っちゃったりして、引っ張ってきちゃいました。。。


あー、前振りが長っ

この曲は、日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌でしたねぇ。 

そそそ、中村雅俊氏主演の学園ドラマっすよ。 一時、柳沢慎吾がマネしてたよなぁ。

ワタシ、このドラマ好きだったぁ。 ・・・とは言っても、本放送の時はまだ小学3〜4年だったからさ、本放送では見てない。 後年、夕方4時ごろから頻繁に再放送してたじゃん。 「太陽にほえろ!」とかと繰り返しで。
そん時だよね、見てたのは。 中学生の頃だったかなぁ・・・。

なんか羨ましかった、青春してるんで。 高校生になったらこんな青春出来るんか なんて思っちゃりして。。

まあ、実際的に、あんな生徒思いの「熱い」先生なんて、そうそうは居ない訳でさ。。。

で、この曲は、そのオープニングテーマですね。

↓ コレ


オープニングフイルムでも気がついた方も多いと思うけど、いろんな「才能」が集まっているんですよね。
ドラマ脚本の畑嶺明氏は、後にTBS系ドラマの「うちの子にがきって」「毎度おさわがせします」の脚本で大ブレイク。
劇中曲 作曲の小六禮次郎氏は、後にNHK大河ドラマのオープニングテーマや、吹奏楽のオリジナル曲作曲を手掛けるなど、今や劇番作曲の大御所ですわ。


そんな今や大御所となられた才能の若かりし頃、てがけられたドラマってわけですね。


で、肝心の主題歌の「時代遅れの恋人たち」はというと・・・

詞は山川啓介氏。 まあ、これはなんとなくわかるんですけどね。 後年、火曜サスペンス劇場の件の「聖母たちのララバイ」など、日テレ系のドラマテーマ曲の詞を何本か書いてたし。

ただ、意外だったのは、作曲が筒美京平氏なんだよね。 いや、これは全くの意外だった。
ぱっと聴き、筒美京平氏っぽくないしさ。 時代的には、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」など一連のヒットの頃ですわ。
つまりは、あの頃の筒美氏の曲ってバタ臭かったんだよね。 この曲のように「汗飛び散る」っていう青春群像な曲のイメージは無かったからさ。

それ以上に意外だったのは、、アレンジが大村雅朗氏なんだよね。 そそそ、時期的には八神純子さんの「みずいろの雨」と同じ頃ですわ。
 つまりは、アレンジャーとして大ブレイクした、丁度そのこのろって言う訳なんだけども。。。 
だからなのか、後年、松田聖子さんや、一連のニューウェイブ系作品を手がけた80年代の、あの洗練されたイメージはまだない。
そもそも、大村氏の、こんなカントリーミュージック的なアレンジってのも、80年代の一連の大村作品からすると、想像つかないしなぁ。 ちょっと雑っぽいアレンジが初々しいっちゃ、初々しいんだけどね。
だから、近年までこの曲のアレンジが大村氏だったことは、全く気がついて無かったんだよね。

いずれにしても、ドラマのヒットもあって、この曲自体もそこそこのヒットとなりましたよね。オリコンでは最高18位ながらも、売り上げが約18万枚のスマッシュヒット。
累積の売り上げだけ見たら、瞬間的にベストテン入りしてもおかしくなかったですからね。


動画・・・どうもうまく貼れなかったんで、ようつベのサイトの直リンク
https://www.youtube.com/watch?v=_6qEYiRV8x4



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ラ・ヴィアンローズ / 吉川晃司

1984_10_ラ・ヴィアンローズ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「ラ・ヴィアンローズ」吉川晃司です。

まずはデータです。

・タイトル     ラ・ヴィアンローズ
・アーティスト   吉川晃司
・作詞       売野雅勇
・作曲       大沢誉志幸
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1984年9月10日
・発売元      SMS
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   19.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜10月29日付

苦手なタイプ曲がある。 
まあ、ここでもこれまでもチョポチョボと書いてきてるんだけど、少なくとも80年代で最近書いてる曲は「苦手」だった部類の曲って言うのかなぁ。 うん、当時好んで聴いてた80年代の曲はあら方、既に書いちゃったからさあ。
だから、当時苦手、あるいはレビュるのが難しい曲が残っちゃってるんだよな。

・・・と初めに言い訳がましく、書いといて・・・

今回セレクトしてきた曲は

吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」。

吉川、デビュー第3弾シングルですわな。 デビュー時の吉川は、キライじゃ無かったんだよ。ま、確かにフテブテシイ奴だな・・・なんてちょこっと鼻にはついてたけど。 でも、それと曲とは別の話でさ。

この曲の前の「サヨナラは八月のララバイ」なんてのは、好きだった。イントロの出だしのガラスの割れる音が派手だったし、何より無機的なイメージがある84年夏を象徴するような曲に感じてたし。

でも・・・、この曲は、正直言って、良く分かんなかったんだよね。 掴みどころが無いって言うのかなぁ。

ツルンとした抑揚の無いメロディラインっていうのか。 確かにそんな所は無機的な84年らしいメロディラインだったのかもしれない。

それにつけても、この曲は、掴めなかったんだよな。 作曲の大沢誉志幸氏も、非常に日本語が乗りづらいメロディと言っているのが象徴的なんだけど、まあ、それが、聴いてるこちらとしても掴みどころが無いように感じちゃったんだろうな。

まあ、肯定的に言えば洋楽的なメロディって言う事なんだろう。

いや、それが私個人としても、今一つ生理的に引っかかりきれなかったところなのかもしれない。

昨日の「人形の家」でも、洋楽のキャッチーな部分や、官能的な部分が凝縮されたのが歌謡ポップス、でも、それだけじゃ日本人には刺さりきれないわけで、日本人の「感性」をプラスしたメロディが歌謡ポップス・・・

つまりあんまりバタ臭いのではなく、バターに醤油をかけたような・・・そんな音楽が歌謡ポップス・・・って書いたんだけど。

たしかに、80年代初頭までは、その通りだったんだよね。如何に表向き「ロック」だぜ! っていうニューミュージック勢だって、結局のところメロディラインは、日本人好みの「和」の感性が入ったものだったわけで。

いや、それこそがワタシ個人としても「J-POP」の原点だったんだよね。

でもさ、80年代も中盤、事にこの84年くらいになって来ると、「醤油」をたらさずにダイレクトに「洋楽」的なメロディ、サウンドが増えてきたんだよ。

いわいるニューウェーブ系サウンドってやつですね。 硬質、かつ鋭角的無機質なサウンド。余計なリフや音は、極力排除されている。 それいえ、すっきりとした都会的なサウンド。 いわば当時の先鋭的な楽曲ですね。

BUT、いつもここでは書いてるように個人的には、ダサい、もっと土臭いサウンドと、ごちゃっと音で埋め尽くされているような曲が好みだったもんでさ。 そそそ。メロディとメロディに音の隙間があると許せない・・って感じで。

だから、同じ84年でも、大瀧詠一氏の「Each Time」のような、ウォール・オブ・サウンドの方が何倍も安心するし、メロディとメロディの合間を面白い音で埋めると提唱した筒美サウンドの方が、この当時でもしっくり来てたんだよな。

あ、この志向は、今でも基本は変わらない。まあ、当時よりはやっと慣れてきたって言うかねぇ、当時よりも音数が少ない曲が多いからさ今は、強制的にでも慣らされたって感じですわな。

いずれにしろ、だから、この84年当時は、この手のスッキリとした掴みどころのないサウンドには、引っかかりきれなかった訳なんだよね。

まあ、前曲の「サヨナラは八月のララバイ」も、サウンド的にはこの曲と大きな違いがあった訳じゃないんだけど、イントロの出足のガラスの割れる音と、サビの前のコード進行には引っかかったからなぁ。
そんな部分があったのか無かったのかだけの違いっちゃ、そうなんだけど。。。






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Somebody Loves You〜明日の恋人〜 / Babe

1987_08_Somebody Loves You_Babe


今回の1曲セレクトは、「Somebody Loves You〜明日の恋人〜」Babeです。

まずはデータでーす。

・タイトル     Somebody Loves You〜明日の恋人〜
・アーティスト    Babe
・作詞       さかたかずこ
・作曲       中崎英也
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1987年7月22日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   9.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月24日〜8月31日付

昨日今日と、週末は比較的過ごしやすかったな。 昨日は湿度も低くてカラッとしてたし・・・。夜なんか寒かったもんね。この夏の「酷暑」で、ここ暫く夜も布団かけないで、クーラーも26℃設定で一晩中点けっぱなしにしてたんだけど、昨夜はいつ以来だ? ってくらい久々にクーラー無しだったし、それでも寒くてタオルケットをかけて寝たもんな。
明日から8月下旬だけど、そろそろ「秋の気配」ってところなんでしょうかねぇ。 まあ、週明けは、また暑さがぶり返して来るような天気予報だけど・・・。

だけどさあ、8月も下旬になると、昔っから、そろそろ秋の気配を感じさせるようなヒット曲が出てくるよなぁ。

この間書いた稲垣潤一の「夏のクラクション」もそうだけど、他にも結構いろいろと「夏の終わり」を彷彿とさせる曲って多いですわな。

今回引っ張ってきた曲も、そんな「夏の終わり」を連想させる1曲かなぁ。

Babe「Somebody Loves You」。

この曲は、Babeにとってはデビュー3作目のシングル。 前作が大ヒットした「I Don't Know!」だったわけでさ。
「元気印」を標的にデビューしてきたし、「I Don't Know!」も、まさに元気印の塊のようなハジケタ曲だったからさ、この曲もその路線で来るんだろうな・・・なんて思ってたんだけどさ。

でも、実際のところは、そんな予想に反してミディアムテンポだったじゃん。 これは、意外だったんたよな、個人的には。
リリースも7月22日と夏本番だったからさあ。季節的にもさらに元気印がヒートアップしてくるものと思ってたからさあ。初めて曲を聴いた時は「え?」って感じだったのを覚えてるわぁ。

ただ、曲調が曲調だっただけに、夏本番的・・というよりは、夏に終わりに向けて・・・っていう印象は受けたけどな。

そんな印象もあってか、ヒットのピークは、意外と遅かったんだよな。ワタシのチャートでも、リリース直後はそれほど勢いは無かったんだよ、この曲。
ヒットのピークは8月の終わりだったもの。 リリースからピークまで1カ月ほどかかったって事になる。

確かに、人気が上り調子だった「I Don't Know!」でもヒットのピークまでは意外と時間を要した。 ただ、この時は人気上昇中って言うのが目に見えてたからなぁ。

でも、この「Somebody Loves You」の時は、それほど人気に上積みは感じなかった。
まあ、オリコンでは、Babeにとっての最高ランク獲得がこの曲だったりするけど、売り上げは下がったしね。

じゃ、なんでヒットノピークまで時間がかかったのか? っていうと、やっぱり曲調のせいだったんじゃないのかなぁ。

どう聴いても「夏真っ盛り」って言うイメージじゃ無かったしな。 稲垣潤一氏の「夏のクラクション」でも同じ事を書いたんだけど、夏の午後のイメージなんだよなぁ、同じように、夏の白っぽい午後の日差しを感じるんだよ、この曲。 夏休みの午後、シエスタでウトウトしてた時に感じた、カラっとした午後の日差しってところかなぁ。

この曲から感じる印象は。



元ネタは、Sheena Eastonの「9 to 5」ってところですかねぇ。 イントロなんかモロですよね。
まあ、それまでのユーロビート路線にくらべると、大分落ち着いたよね・・・って言う印象は強かったし、時代を遡ってくれた分、個人的には聴きやすかったってところはあるな。

ただ、ちょっと落ち着き過ぎたかなぁ・・・って言うキライはやっぱり、あったんだよね。 実際、↑でも書いたように人気の上積みは感じられなかったし、逆に言えば止まっちゃったようにも思えたし。。。。

まあ、実際、この曲を最後に「ザ・ベストテン」ではベストテン入りから遠ざかっちゃりしたしね。

結局は、「元気印」でしか行けなかったんだよね、Babeって。 幅が狭かったんだよな。 そこが短命に終わっちゃった一番の泣きどころだったんだよな、このヒトたちは。


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リトル・プリンセス / 岡田有希子

1984_07_リトル・プリンセス_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「リトル・プリンセス」岡田有希子です。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    リトル・プリンセス
・アーティスト  岡田有希子
・作詞       竹内まりや
・作曲      竹内まりや
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年7月18日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 ここんところ、ほとんど書いてなかった1曲セレクトなんで、↑のデータ項目の並びを忘れてしまってたワタシがいた ・・・なんてことはどーでもいい事でして。。。。
この間久しぶりに書いた、しまざき由理さんの「面影」はちょこっと「引き」が弱かったな。 まあ、ヒット当時50万枚の大ヒットと言っても今となっては知ってる人しか知らない・・・って感じの曲だから、しょうがないと言えばしょうがないか・・・

・・・・と言う事で、今回は「引き」が強いであろう・・・と思われる曲を引っ張って来ましたぞ。

岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」。

過去の「今の時期」のヒット曲をセレクトする・・・って言うコンセプトで書いてる1曲セレクトだけど、そのコンセプトからすると、この曲はちょこっと時期がずれてるんじゃね?

・・・・なんて指摘してくる人もいるかなぁ・・。 当時、オリコンでランキングをチェックしてたチャート小僧で、「細かい」所をついてくるような方はさ。

まあ、正確に言えば、84年7月リリースだったこの曲から、84年9月当時はオリコン的には既にランクも下降線に入ってた時期ではあるんだよね。だから厳密に言えば「ヒット」の時期から過ぎて来てた頃と言ってもいいかもしれない。

ただね、細かく・・・といっても「自分のチャート」だけど・・・を基準してみると、最高位を記録したのは、実は今頃だったんだよな。

つまりね、オリコンでは既にヒットの下降線に入っていたこの時期、他のチャート要素で総合的にはランクを上げていたんだよね。それが84年の今頃。

ただねぇ、どの要素でランクを上げていたのか・・・当時の各要素順位を記録した「紙」を廃棄してしまった今となってははっきりしないんだけどねぇ・・・・。まあ、当時アイドル系は概して有線が弱かったことは明白なんで、ラジオチャートが跳ね上がったのがこの時期だったんだと思うけど・・・。

レコード売り上げのチャートから遅れて、他のランク(この場合ラジオチャートね)が上がってくる・・・っていうチャート要素によってチャートの動きに「時間差」があった事・・・・実は、これが実際的な岡田有希子さんの人気バロメーターが当時、上がって来ていた事の表れだったんじゃないかなぁ。

 今も傾向は変わらないけど、レコード売り上げっていうのは、特にアイドルの場合、初動の動きが早いんですよ。っというのも、レコードの場合、初動は「固定ファン」が買うモノって相場が決まってるから。 ちょっと「浮動票」側に居るヒトは、初めレコード買うのは見送りますよね。
 他のメディア・・・例えば当時で言えば、ラジオだとかテレビで曲を聴いて、気に入ればレコードを買うっていう流れがあったんだよね。 つまりさ人気が上昇中のヒトの中には、ラジオチャートはレコード売り上げよりも動きが遅いこともあった。
岡田有希子さんの場合は、そのパターンだったんだよね。 その証拠に累積売り上げで10万枚に届かなかったこの曲だけど、次の「恋はじめまして」では、それまでの3枚のシングルで最高の売り上げを記録している。
つまりは、人気が右肩上がりだった訳ですわ、この時期。

 この時期、8月の「日本テレビ音楽祭」を皮切りに「賞レース」が始まっていたからさ、新人賞争いってことでテレビで歌う機会も増えてたっていうのも、「浮動票」をとりこんで人気バロメーターを上げるには大きかったかもしれないな。
ま、とは言ってもレコード売り上げが10万枚そこそこで止まっていたのは、ちょこっと解せなかったけどさ。


当時、岡田有希子さんの「対抗軸」として、菊池桃子さんがいた訳じゃない 
桃子さんが、この曲とほぼ同時期にリリースした、デビュー第2弾の「SUMMER EYES」がオリコンでベストテン入りしたのに対して、この曲は最高14位だったわけでさ。

この差はなんだろ? なんて思ってたなぁ。 

ビジュアル的からして「アイドルらしさ」って言うところで言えば、菊池桃子さんよりも岡田有希子さんだったからさあ。 正直言って解せなかった部分もあったなぁ。

でもよくよく考えてみれば、「下世話性」だったんじゃないかなぁ・・・。 あ、ちょっと分かりにくい表現か。。。
「シロート性」って言った方がいいのかなぁ。

時代は動いてきていたんだよね。 それまでの既存のアイドルらしさから、もっとシロート性の強い下世話なアイドルへ・・・っていう時代の動き。

それが、まだ捉え切れてなかったんだよな、当時のワタシは。 

80年代アイドルの、まさに時代の転換期だったんだよな、この時期が。

その時代転換期って言う動きが、急加速して表面化するのが次の85年なんだけどね。

そう言う点から言えば、岡田有希子って言うヒトは、今からして思えばちょっと遅れて出てきたアイドルだったんだよね。 うん、「正当派」な80年代アイドルとしてね。
この84年の前年の83年は「ニュー」アイドルの不作の年だった。 例えばさ83年にこのヒトが出て来ていたら、アイドル勢力は少し変わってたかも・・・なんて今となっては思ったりするな。
 
実際、このヒトのレコード売り上げの低さからみて、そう思えるんだよなぁ。 うん、このヒトの「正当派」としての80年代アイドルの「アイドル性」からみてさ、もっとレコード売れてしかるべきだと思ったもの。



これPVなんだけどさ、いつも思うんだけど当時のアイドル系のPVってどこで流してたんだろう? なんて思ったりさ。
当時、テレビ神奈川のミュートマ(ミュージック・トマト)など、PVを流すテレビ番組も出て来ては居たけど、アイドル系は流さなかったと思うし・・・。レコード店の店頭用だったのかなぁ。 
かすかな記憶だけど、新星堂の店頭のモニターではこの手のアイドル系もビデオも流れてたような気がするしな・・・。


ところで、↑でいろいろ書いちゃったけど、PV見ながら、改めてこの曲を聴くとさ、「プリンセス」っていうコンセプトは、岡田さんに良く合ってたと思う。

・・・けど、84年当時からしてみてもちょっとアナクロだったかなぁ・・・と。 

以前、何回も書いたけど、70年代アイドルは「ウンコしない」、「霞を食って生きてる」・・・などなどまさに「偶像」扱いだったけど、80年代はそこまで極端じゃなかったわけじゃん。 でも、この曲を聴いてるとコンセプト的に70年代アイドルに戻っちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて感じたな。

 それは、曲的にもそうで、竹内まりやさん的には、コニー・フランシスとかドリス・デイとか、60年代オールディーズのアメリカンポップスアイドルを意識してたんだろうな・・・とは思うモノの、実際的には70年代アイドル的な曲になっているのがインパクトに出て来ているかなぁ。

この辺のギャップは、次の「恋はじめまして」で、よりオールディーズっぽくなったことで解消されましたけどね。。

まあ、この辺は、この曲のアレンジャーだった大村氏と、「恋はじめまして」のアレンジャーだった萩田光雄氏の解釈の違いだったんだろうな。


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