かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

喜多条忠

ロンリー・ウルフ / 沢田研二

1979_10_ロンリーウルフ_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「ロンリー・ウルフ」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     ロンリー・ウルフ
・アーティスト   沢田研二
・作詞       喜多条忠
・作曲       大野克夫
・編曲       後藤次利
・リリース日    1979年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  18位
・売り上げ枚数   8.9万枚

もうね、いつものマクラ言葉になってますが、「久しぶり」の1曲セレクトです。
毎度毎度、間が空いてしまってあいスミマセンと頭を下げたくなってしまいます。
相変わらずリアル仕事が忙しくて、なかなか筆が上がらない状態が続いてまして。。。
暫くは長ーい目で見ていただけるとありがたいです。

さて、長い間仕事をしてくると何もかもが上手く行く事もあれば、逆に全く上手く行かない事もありますわな。
ヒット曲も同じで、どんな大物アーティストでも、いつもいつも大ヒットするわけぢゃない。

まあ、最近は楽曲内容にかかわらず、どの曲もミリオンセラーを続けている某アーティスト見たいな方たちもいるみたいですが。。。

こと、昔、楽曲志向が高かったころは、超一線級のアーティストでも楽曲によっては、コケてしまうこともあったわけです。

今回はそんな1曲を

沢田研二「ロンリー・ウルフ」

いやいや久っさびさのジュリーですな。1曲セレクトで書くのいつ以来だろう?

この曲、覚えている方どのくらいいるでしょうねぇ。 
なんせ、人気全盛の頃、突然ベストテン入りを外した曲なんでね。
しかも、臨発ならいざしらず、ローテーションの定期リリースでしたからねぇ。

時期的には、今から41年前、1979年の今頃の曲だったんですけどね。
曲順から言うと、「OH!ギャル」と「TOKIO」の間のシングルですね。

さすがにジュリー第3期のオープニンングと言うべき「TOKIO」を知らないという方は少ないでしょうけど、もしかすると「OH!ギャル」は知らない方もいるかなぁ。
まあ、死角っちゃ死角なのかもしれないけど、ジュリーが化粧した、ゲイぢゃねーのかと言われた曲で、ベストテン入りも果たし、売り上げ的にも27万枚ほど売れてましたんでね。

・・ということで、ヒット曲とヒット曲に挟まれた本当に「谷間」のシングルなんだよね、この「ロンリー・ウルフ」っていうのは。

突然ベストテン入りも果たせず、売り上げも10万枚にも届かず。。という塩梅でしたから。

・・・・なんて、さぞかし当時から知ってましたよ〜・・・風に書いてるワタシも、正直、「ザ・ベストテン」しか情報がなかった、ヒット当時は知らなかったんだけどね。。

いや、もしかするとラジオかなんかで聴いていたかもしれない。でも、記憶に残るほど聴き込んでなかったのは事実ですね。

意識して聴いたのは、83年に買った「沢田研二大全集」みたいなカセットに収録されていたのを聴いてからなんだよね。
もちろん、そのころは、「あ〜あの売れなかった曲」くらいの認識はあったんだけど。

でも、売れなかったから「駄曲」だったのか・・と言えば、さにあらず。
それまでのアウトローなジュリーを彷彿とさせるような佳曲だ。
むしろ、軽いタッチのポップスだった前曲の「OH!ギャル」よりも、ジュリーらしい曲だなと感じたな。

静寂感のある少し重め曲調は、秋というリリース時期にもマッチしていたし、そういう意味では前年の「LOVE(抱きしめたい)」に近い曲調ではある。
シングルとして「尖って」いないのかというと、これまたそうではなく、それなりの尖りがあり、シングルタイプの曲でもある。

ぢや、なんで、売れなかったのか?

同じ暗めの重いバラードではあるものの前年の「LOVE(抱きしめたい)」のような華がない。
本当に「重いだけ」のバラードなんだよ。
ジャケットのそれと同じでどこまでもモノクロのイメージ。確かにアウトローなジュリーを演出するにはこのイメージでも間違いではないのかもしれないけど、今一つ引っかかりないのは事実なんだよね。

加えて、致命的だったのは「時代の流れ」だろうなぁ。

1年前の78年までの時点では、アウトローというシチュエーションでも充分行けたんだろう。ただ、78年⇒79年の間に時代は大分動いていたんだよね。

勿論78年時点でもその流れは始まっていたけど、ヒットの主役は歌謡曲からニューミュージックへという変化。 それと79年は「JAPAN AS NO.1」と呼ばれた年。7月にSONY WALKMANが発売され、音楽も含め、世の中の意識もこの1年の間に大分変化してたんだよね。

つまりさ、アウトローっていうシチュエーションも78年は「カッコよかった」んだけども、79年ではアナクロだったわけですわ。

だからなのか、この頃のヒット曲と一緒に続けざまにこの曲を聴いてみると、この曲は明らかに浮いた感じがするんだよなぁ。
浮かんでくる絵面は79年の・・というよりも75年の・・・って感じがしてさ。

うん、この曲1曲単体で聴く分には充分かっこいいんですよ。 でも何曲かまとめて聴くとやっぱり時代錯誤的な感覚なんだよなぁ。

手元に月刊・明星付録の歌本「YOUNG SONG」1982年7月号がある。この号での連載企画「82年MUSIC PEOPLEインタビュー」にジュリーのインタビュー記事が掲載されているんだけど、そのなかに

「「TOKIO」は出すのが半年遅かった。その前に「ロンリー・ウルフ」をだして失敗するんですよ。それまでにある程度、売れるという事を経験したから、じゃあ、今度はスローな曲を歌って沢田も歌がうまいと思われたくて出したのが失敗」

と、ジュリー自ら、時代の変化に気が付き、この曲のリリースは失敗だったことを認めてたりする。

スローな曲を歌って、歌がうまいと認められたい・・というのことも、まあ、確かにわからなくもないですけどね。

ただ、じゃ、このインタビューのように「TOKIO」をもう半年早く出して、それでよかったのか・・というのも、個人的にはちょっと疑問ではあるな。

あれは、1980年1月1日リリースっていう、「軽薄短小」な80年代という時代のオープニングを飾ったからこそ、より価値が上がったような気もするし。。
79年後半とはいえ、70年代に「TOKIO」ではちょっと、時期が早かったんじゃないかと、今となっては思えたりね。

・・・ということは、あくまで「つなぎ」という意味も込めて、この「ロンリー・ウルフ」って曲のリリースも、もしかすると必然だったのかもしれないな。





うーん、確かに「モノクロ」のイメージではあるけど、今VTRを見ると男の色気が凄いね。いまは、こんな、ただ佇むだけで存在感のあるアーティストって少ないからなぁ。
バックは井上堯之バンドですね。 確かバックバンドはこの曲までで、この後「オールウェイズ」に変わったんじゃなかったっけな。
↑のように、この曲のイメージはアナクロだって感じたのは、多分に井上堯之のサウンドも関係しているんだろうね。
少し埃にまみれたような骨太でアウトローなサウンドは、紛れもなくかっこいいし、誰が何と言おうとも個人的にはジュリーには、このサウンドが一番しっくり来るんだけども。
如何せん、70年代という時代を彷彿させる音なんだよね。時代の流れには勝てなかった。
この曲をもって、ジュリーのバックバンドから引退⇒解散となるわけだけど、これはしょうがなかったんじゃないのかなぁ。


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風の駅 / 野口五郎

1977_11_風の駅_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「風の駅」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     風の駅
・アーティスト   野口五郎
・作詞       喜多条忠
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1977年10月25日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  25.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年11月14日〜12月26日付

ここのところ90年代中心に書いてきた1曲セレクトだけど、ちょこっと偏り気味なんで、今回は70年代へ遡ってみますか。。。

野口五郎 「風の駅」なんてどうでしょうかねぇ。

この曲と言って、真っ先に「ピン」と来た方は、「ザ・ベストテン」フリークですよねぇ。
そそそ、「ザ・ベストテン」が放送開始後、第1回目のチャート発表で、一番最初に登場したのが、この曲だったんですねぇ。
 つまりは、第1回ランク発表の時の、第10位がこの曲だったって事ですわね。 それが1978年1月19日放送分の事。

うむ、「ベストテン」フリークだったら、常識中の常識なんだけどね。

でもね、実際78年の1月第3週で、オリコンではどうだったのか・・・・というと、この曲、すでに40位にランクダウンしてたんですねぇ。
まあ、、ベストテンの場合、実際はランク発表の前週分のチャートを使用・・・ということは、1月19日放送分については、1月第2週のランクを使用していた訳だから、40位までは下がっていないまでも、オリコンでは1月第2週は、30位だったんだけどね。。。。

・・・となると、「え? なにこのランキングの差は・・・」って事になるだろうけどねぇ。

うむ、ベストテンの順位はレコード売り上げだけで決まるのではなく、その他、有線、ラジオ、ハガキリクエストの4要素の順位の総合ランクだったんでね。
 だから、レコード売り上げは如何に下がっていても、他の要素で補てん出来れば、おのずからランクは上になる仕組みだったんだよね。

ちなみに、この時の各要素の順位は、レコードの他、有線もラジオもベストテン外だったんだけども、ハガキリクエストだけは「4位」・・・とハガキリクエストが圧倒的に強かった事が分かるんだよね。

加えて、ベストテンって、放送開始当時は、4要素の中で、ハガキリクエストの得点比率が一番高かったからさ、だから、他の3要素でベストテン入りしていなくても、ハガキが強かったらベストテン入りも十分可能だったんだよね。

そんな恩恵もあって、レコード売り上げは既に下降線を辿っていたこの曲が、「ザ・ベストテン」ではベストテン入り出来たって訳なのよね。

五郎だけではなく、当時は秀樹もハガキが強かったからねぇ。 この「風の駅」がダウンしてすぐ後、秀樹の「ブーツを脱いで朝食を」がベストテンでは1位になってるんだけど、これは完璧にハガキリクエストの効果だったもんな。 なんせ、オリコンでは、この曲最高8位だったわけで。。。

まあ、この当時だけでなく、ベストテンが終わるまで、アイドル系は得てしてハガキリクエストが良かったんだけどもね。 ただ、これもだんだんエスカレートしてきて、ファンクラブぐるみでリクエスト・・・いわいる「組織票」の割合が酷くなって行ったんで、ハガキの得点比率は、年ごとに下がって行ったんだけどさ、「ベストテン」も。



ところで、肝心の曲の方だけど、正直言って、当時はよく分かんなかったんだよな、この曲。
まあ、この曲の頃は、個人的には、まだ「ベストテン」は見てなかったし、・・・・というか、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったし、だからリアルタイムでは聴いてなかったからねぇ。

後年、ベストテンとかで、第1回放送での最初のお客様・・・ってことで、この曲が流れているのを聴いてたくらいだからさ、よく分かんなかったのも当然なんだけど。。。

きちんと聴いたのは、「筒美京平BOX」に収録されていたのを聴いてからだから、かなり後になってからですねぇ。

あー、この曲が、ベストテンで最初にランクインされた曲か・・・なんて、ちょっと感激したような気がする。

ただ、それでもパッと聴きは、よく分かんなかったんだけどさ。

当時の野口五郎氏の曲って、言ってみれば、当時の「歌謡ポップス」の王道みたいなもんだったじゃん。「THAT'S 70'S」って感じでさ。
まあ、この曲の頃が、歌謡ポップスの完成度が一番高かった・・・と思うんだけどね。 この曲の頃、ヒットしてた曲は、どの曲も完成度が高いと思うわ。

その中で筒美京平氏の曲って、当時、個人的に最初に引っかかった曲は、もっと洋楽・・・というかバタ臭かったんだけどね。例えば、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」とか、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか。

でも、こと、野口五郎氏の筒美作品ってあんまり、そういうバタ臭さを感じなかったんだよな。
まあ、野口五郎氏の、いわいるビブラート唱法が、どうしても歌謡曲っぽさを感じさせちゃったしてたってのも大きいんだけどさ。

この曲もパッと聴き、まさにそんな感じだったからねぇ。 「あ、70年代」っていう引っかかりはあっても、でも、「あ、これは自分の時代の曲じゃない」っていうところも感じちゃったりしてね。

うん、「自分の時代」っていうのは、自分でリアルタイムで聴いた以降の音楽ってことですね。

でもね、それでも、パッと聴き、この曲がヒットしていた当時・・・だから、1977年の今頃ですね・・・の風景、匂いが、一瞬のうちに甦って来るんだから、ヒット曲って不思議なんだよな。うん、当時、まだ、ヒット曲なんて聴いてなかったっちゅうのにさ。


ただね、パッと聴き、あんまり引っかからなかったこの曲ではあるけども、聴きこんでくると、だんだん味が出てきたんだよなぁ。
 そもそも、イントロのストリングスの動きからして、「風の駅」っていうタイトルにピッタリしてるじゃん。
16分音符で動く、ストリングスのフレーズが、いかにも「風の中」の風景を現してるしさ。

でね、個人的に一番、「らしさ」を感じるのが、サビの部分のストリングスのハーモニーなんだよな。

うん、サビの♪ ただ 君の 髪の毛の香り〜 この指が覚えてるだけさ〜 ♪ でバックで流れているストリングスのハーモニー。

ま、単純に、「シロタマ」(全音符)で、ハーモニーを奏でてるだけなんだけど、このハーモニーが切ないんですよ。

そう、♪ 遠い風の音〜 ♪って歌詞にあるように、本当に遠くで鳴ってる風の音のように感じたりして。

この曲、歌詞の内容としては「過去」を振り返っている内容じゃん。そんな切なさが、このストリングスのハーモニーと重なるんだよね。

そんな仕掛けに、なるほど流石は筒美氏だな・・・なんて思わず納得しちゃうワタシだったりするんだよね。





ちなみに、この曲が、野口五郎氏としては、最後の売り上げ25万枚オーバーの曲だったんだよね。
↑は、「夜ヒット」だけど、こと、ベストテンは、売り上げが全体的に下降線に入った時にスタートだから、野口五郎氏としては、ちょっとタイミングが悪かったんですよね。
その辺、新御三家の他の人、郷ひろみ氏、西城秀樹氏と比べると、ちょっと可哀想だったかな。


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ハロー・グッパイ / 柏原よしえ

1981_12_ハローグッパイ_柏原よしえ






今回の1曲セレクトは「ハロー・グッパイ」柏原よしえ です。

まずはデータでーす。

・タイトル    ハロー・グッパイ
・アーティスト  柏原よしえ
・作詞      喜多条忠
・作曲      小泉まさみ
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1981年10月15日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   38.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1981年11月30日〜1982年1月25日付

 なんか、思いついてさ「よくわかる音楽著作権ビジネス」(安藤和宏 著)を読んでたら面白くてさ、1曲セレクトの書き出しがちょっと遅くなってしまいましたわ。

 うん、この本、実はかなり昔に仕事用に買ったんだけどね(一応、音楽著作権管理者資格を持っているのですヨ ワタクシ)、ずっと読みもしないでほったらかしにしてたんですよ。
 
 でさ、たまたまペラペラめくってたらなんか、はまっちゃったわけです。

 買った当初は、開いただけで頭痛くなったんだけど(なにせ用語が難しくて・・・)、実際、仕事として何年かたずさわってたら、今はスンナリ頭に入るようになってましたね。

 この本、仕事で音楽著作権とか原盤権がらみの仕事してるヒトにはバイブル的な存在なんですが、仕事として直接関係ない方でも音楽の仕事をしている方とか、音楽ビジネスを目指しているあるいは興味があるっていう方には面白いですよ。

 うん、この1冊あれば、わざわざ高いお金払って音楽著作権管理者資格取りにいかなくても、音楽著作権のビジネス的な知識は一通り実に付きますね。まあ、あくまでも知識としてだけど・・・。 実際は実務をやってみないと本質なところはなかなか分かりづらいんだけど・・・。
 

ハイ、で、著作権管理の一つに「カバー楽曲」っていうのもあるんだけど、そんなじゃ、今回はカバーの曲を持ってきましょうかね。

  ハロー・グッパイ   柏原よしえ

 うん、柏原よしえ、最初の大ヒット曲であり、まあ、実質この曲のブレイクがきっかけでこのあと第一線で活躍することが出来たっていう記念すべき曲だよね、柏原よしえにとっては。

 兎に角、このヒトは、デビューからここまでが今ひとつパッとしなかったからなぁ。 デビューは、この曲の前年1980年6月1日「NO.1」って言う曲。 ここから7枚目のシングルだもんね。「ハロー・グッパイ」って。

 まあ、あのころの「カバーブーム」のタイミングっていうのか、この曲のよさって言うのかねぇ。

 ちなみに、この曲、もともとはアグネスチャンのシングル「冬の日の帰り道」(1975年12月10日リリース 最高14位 12.3万枚)のB面だったのがオリジナル。
 そのあと讃岐裕子さんっていう当時のB級アイドルがカバー(1977年3月10日リリース 最高71位 1.9万枚)して、柏原よしえ・・・と、カバーとしては2回目だったんだよね。

 でも、もちろん、この柏原よしえのバージョンがダントツでしたねぇ、セールスは。


 うーん、ワタシ、アグネスチャン、讃岐裕子さんのバージョンは聴いた事ないんで・・・・って今はYou Tubeっていう便利なものがあるんでねぇ。。。

↓ アグネス・チャン



↓ 讃岐裕子


うーん、両者ともビミョー。。。
アレンジャーとしては、同じ竜崎孝路氏なんだけど、雰囲気的にはやっぱり、柏原よしえが一番あってたのかなぁ。

 この素直で落ち着いた、暖ったかい雰囲気の曲は、このヒトが一番シックリするもんね。

 うん、アグネスチャンは、どうしても、ワタシらの年代では、♪おっかのうえ ひなげしの花で〜♪っていうイメージが先行して、この曲はどーも想像が付かないし

 まあ、上で書いたように時期的なものもあっただろうしね。

 このあとも何度もカバーされているこの曲だけど、結局、これを超えるものは出てないしなぁ。


 昨日に引き続きだけど、1981年の今ごろ・・っていうと、真っ先にこの曲が浮かんでくるわたしです。


 蛇足だけど、柏原よしえ が 柏原芳恵に変わったのは、1982年10月1日だから、この曲から1年後ですねぇ。
 ・・・・なんて、わざわざ書くことでもないか。。。




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神田川 / かぐや姫

1973_12_神田川_かぐや姫






今回の1曲セレクトは、「神田川」かぐや姫です。

 まずはデータでーす。

・タイトル      神田川
・アーティスト    かぐや姫
・作詞        喜多条忠
・作曲        南こうせつ
・編曲        木田高介
・リリース日     1973年9月20日
・発売元       クラウン
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     86.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月8日〜12月31日付

 最近は、世代を超えたヒット曲ってほぼ「皆無」になっちゃいましたね。世代の断絶を意識しているわけじゃないだろうけどさ、あるターゲットにピンポイントにあたるヒットしかなくなった。
これねぇ、長くヒット曲を聴いてきてる者にとっては淋しい事ですね。昔はヒット曲は世代を超えた共通のモノだったんだけどねぇ。

 あのさ、実を言うと、今、ワタシが再認識を目指しているのは「ココ」なんですよね。 

年代を超えた楽曲の見直しっていうのかなぁ。

 結局さ、いい曲っちゅうもんは、世代を超えていいんだよね。
 だからさ、こういう、ヤング世代には「いい音楽の再紹介」を、ちょっと上のエルダー層には「なつかしいっ」って言ってもらえる曲を再度、掘り起こして提示する・・・っていう事をこの先もやって行きたいなぁと思っているんだよね。

 まあ、ワタシ的にも、そこそこ長い間ヒット曲見てきてるからさぁ、そろそろ若いコたちにも、こういういい曲があったねんって伝えたいし、逆にこれまで通り、同じ年代や、タイムリーに聴いてきた年代の方たちとは一緒に共有したいしね。

 さてさて、神田川ですが・・・・。

 まあ、この曲については、みなさん、ご存知だろうしなぁ、いまさら、ワタシのレビューもいらないかなぁとも思うんですが・・・。

 兎に角、この曲の大ヒットによって、「フォーク」っちゅうジャンルは完全にオーバーグラウンド的な存在になったって言えますよね。

 あ、オーバーグラウンドなんていう表現も死語かなぁ。要は今でいう「メジャー」ですね。
 反対の言葉として「アンダーグラウンド」、略して「アングラ」があるんだけど、これは、いまでいう「インディーズ」だよね。

 それまで、フォークは、商業は抜きにして・・・いわいるアングラが中心に成り立っていたわけだけど、まず、吉田拓郎がこれに風穴を開け、続いて井上陽水、そして、かぐや姫が、完全にフォークをオーバーグラウンドに押し上げたっていう、図式なんだよね。

 今でいえば、この人たちの功績によって、インディーズシーンで活躍していた人たちが一斉ににメジャーで大成功したってことだよね。

 で、そのなかでも影響があったのが、この「神田川」ということですわ。
 この曲の86.5万枚っていうセールスは、当時のフォーク系のシングルでは、圧倒的に群を抜いていますしね。

 まあ、それだけ当時のヤング、いまの団塊の世代には、絶大な影響を与えた曲だったわけですわ。

 まあ、この曲は同時の「ヤング」の生活観がそのまま曲に現れていたわけで、だから、ダイレクトに共感を得たんでしょうね。いわいる「四畳半フォーク」なんだけど。
 (でも実際歌詞では♪3畳一間の小さな下宿〜♪ なですけどね)

 いまでまは、ほとんど体験すること出来ない世界がそこにはあるわけで、これは、どの世代にとっても今ではノスタルジーなんですよね。
 この世知辛い世の中だからこそ、共感できるというか、一種憧れる部分があったりして、だから、今の若い世代にも共感される部分があるのかもなぁ。


 ちなみに、この曲、もともとはシングル曲ではないんだよね。もともとは、この73年7月にリリースされたアルバム「かぐや姫さあど」のB面の1曲目に収録されていた曲に過ぎなかったんですよ。
 うん、B面の1曲目っていうのが、如何にも時代を感じるでしょ

 ・・・で、そんな曲を自分たちがDJをしていたラジオ番組でOAしたところ、大反響で、急遽、73年9月20日に臨発扱いでシングルに切った曲だったんですよね。
 
 大反響っていうのは、当時のオリコンのチャートアクションにもされていて、73年9月20日リリースで、10月1日付ランキングでは早くも21位初登場。

 えー、最近のランキングしか知らない方には「ふーん」で終わっちゃうかもしれないけど、これは、当時としてはかなりの「ハイペース」なのですよ。
何せ「初登場1位」なんて、まだ1曲もなかった時代、それどころか「初登場10位」でさえ、ほとんどなかった時代ですから・・。

 そのあと、

21位⇒4位⇒2位⇒1位 ・・・と登場4週目、10月22日付では早くも1位を獲得。これも、当時としては異例の速さででしたね。
 ここから、6週連続で1位獲得したあと、1度2位へ転落したあと1位返り咲き、計7週1位を獲得したりしてます。
 この当時、73年って第1次アイドルブームで1位の入れ替わりも結構激しかったんだけど、「神田川」は異例に1位ロングランだったんだよね。

 それだけ、この曲の当時の人気の高さが分かりますね。


 なにをともあれ、この曲によって、そのあとのヒット曲界の流れは随分変わっていきましたよねぇ。いよいよニューミュージックの台頭が始まるわけですよ。
 その「狼煙」にもなった曲っていえるだろうなぁ。




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暑中お見舞い申し上げます / キャンディーズ

1977_07_暑中お見舞い申し上げます_キャンディーズ







今回の1曲セレクトは、「暑中お見舞い申し上げます」キャンディーズです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     暑中お見舞い申し上げます
・アーティスト   キャンディーズ
・作詞       喜多条忠
・作曲       佐瀬寿一
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1977年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    29.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年7月11日〜8月29日付

 最近、ポカリスウェットのCMで、「暑中お見舞い申し上げます」が流れてるじゃん。
そそそ コレ ↓ 



これ何となくいいんだよな。キャンディーズの特徴を捉えてて。
吉田羊さんと、鈴木梨央っつうの? 子役のコ。 仮想親子としては、いい味出してるよ。

 そう言えば、ワタシがキャンディーズの「暑中お見舞い〜」当時、ちょうど、鈴木梨央さんくらいの頃じゃなかったかなぁ。
 となりの幼馴染の女の子が、よく、この曲歌ってたのを覚えてるわ。 

当時、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったワタシも、だから、この曲は良く覚えてたな。


・・・ということで、、今日の本題は、キャンディーズです。


 暑中お見舞い申し上げます。

 なんだけど、今日7月17日っていうのは、キャンディーズにとっては歴史的な日だ。

 そう、例の日比谷野音でのコンサート最中、関係者も全く知らないところでの、文字通りの電撃「解散宣言」を行った日だ。
 例の「普通の女の子にもどりたい」発言ですね。

 もちろん、先ほどの番組でもこの場面はかなり詳しく放映した。正直言って、ここまで、詳細に放映したのは当時以来なんぢゃないかなぁ。

ま、それはともかく、この大騒動の最中 「持ち歌」として通常歌っていたのが、この「暑中お見舞い申しあげます」だ。


 正直言って、この曲には、こんな「大騒動」を起すような予感なんざ、全く微塵の欠片もない、とっても、元気な曲だよね。

 折りしも、「ライバル」のピンクレディーも、「渚のシンドバッド」で同じように「夏」っぽい曲を歌ってたわけで、曲の面での雌雄対決としてもいい組み合わせだったんぢゃないかなぁ。

 そういう、「電撃解散」の予感を全くさせなかったから、余計、この「解散発言」劇は、衝撃的だったんだけどねぇ。

すべてが上り調子、いよいよこれからが本当の絶頂期って時の突然の引退宣言ということでも、衝撃的だったんだけど、まあ、これもアイドルとしての、本来のひとつの生き方でもあるんだよね。

 それまで、アイドルは、あくまで「大人社会」のお人形。
言葉悪く言うと金づる。 自己主張なんていらない、それどころかタブーだったわけぢゃない。
 
 それを、わかっていながらのあえて解散宣言というところが、価値があるんだよね。見方によっては。 アイドルの人権宣言。
 ここに70年代型アイドルの「型」の神話は崩れ去ったんではないかなぁ。そういういみでも今考えると画期的な行動だったわけだよね。

 ま、たしかに、あの当時は、そんなことを考えるひまもないくらいの騒ぎだったけだけどさ。。。。




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