かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

吉田拓郎

イメージの詩 / よしだたくろう

1970_07_イメージの詩_よしだたくろう


今回の1曲セレクトは、「イメージの詩」よしだたくろうです。

まずはデータです。

・タイトル    イメージの詩
・アーティスト  よしだたくろう
・作詞      吉田拓郎
・作曲      吉田拓郎
・リリース日   1970年6月1日
・発売元     エレック
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚

東京五輪が開幕しましたね。これだけのビックイベントなわけで、本来ならば、今日あたりの1曲セレクトも「五輪」に引っ掛けた曲を持ってきたほうがいいんだろうな。。。

・・・・と思いつつ、それも、なんか当たり前だな。。。と思ったりする私が居たりして。。

ちょっと、心の葛藤を思いつつ、五輪とは全く関係ない曲を引っ張ってきましたわ。


よしだたくろう「イメージの詩」。

最近、さんまプロデュースの映画「漁港の肉子ちゃん」の主題歌として、若干10歳稲垣未來さんがカバー・・・なんてことで、にわかに再注目されてますね。

若干10歳の女の子が、50年も前の、しかもフレーズに収まり切れないほど字余りいっぱいのメッセージ・フォークを歌う。これが結構嵌ってるんだよ・・・。

なんて感じで、ネットをはじめテレビでも大分賞賛されてますね。

まあ、個人的には、その辺についてはノーコメントなんですけどね。若干10歳の女の子の歌唱だもの。まだまだ評価のしようがないしさ。

ただ、評価している人たちってワタシの世代の一回り上、 つまりは吉田拓郎フリーク世代に多いっていうのはよくわかるんだよね。

自分たちの「孫」と言える世代の女の子が、自分たちの世代のフォークの神様吉田拓郎氏の、しかも、今や知る人ぞ知る、シングルデビュー曲を歌うってことがウレシイんだろうな・・とか思ったりして。


ただ、そんな話題を抜きにしても、個人的にもちょっと注目していたのが、この吉田拓郎氏の「イメージの詩」ですわ。

この曲は、もともと吉田拓郎氏が、広島フォーク村に「年寄り」として在籍していた頃にリリースされたアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」に収録されていた曲ですわ。

そのアルバムから、当時、拓郎氏が所属していたエレックレコードが、拓郎氏の承諾も得ずに、無許可でシングルリリースしたのが、この「イメージの詩」。

でも、アルバムから編集しリリースされた音自体があまりにも雑で、後に改めて再録音してリリース。正式には、こちらのバージョンがデビューバージョンということになっていますね。

なので、シングルレコードとしては、アルバムから編集した旧盤と、新たに録音しなおした新盤が存在するらしい。

もっとも旧盤の方は、すぐに回収されてしまったようで、現在、世にはあまり出回っていないようだが。。。

ただ、バージョン的にはアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」に収録されているバージョンなので、、聴きたい方は、このアルバムから今でも聴くことはできますが。。。




あー、少し話がずれた。

で、今、個人的にこの曲には、少し注目してた・・・っていうのは、個人的には、この時代の曲をリアルタイムで聴いてなかったというのが大きい。

いや、生まれてなかったわけじゃないんですよ。

1970年6月と言えば、ワタシゃ、生後10か月。  さすがにリアルタイムじゃ聴けてないわけで。。。

でも、少なくともあの時代の空気は吸っていた訳でさ。
・・そんなこともあってか、あの時代の空気感を改めて感じてみたい・・なんて思っていたわけなんですよ。

少し前から、中津川のフォークジャンボリーについて堀り始めてたりしてたしさ。
現在に至る野外ロックフェスの祖ともいえる、このイベントについては、また改めて書こうと思いますが。

まあ、直接的な引き金となったのは、少し前に東京FMの村上春樹の「村上RADIO」で、拓郎の曲が流れていたことがきっかけだったりするんだけどさ。

その時流れてた曲がなんだったのか、ちょっと、ど忘れしちゃったんだけども、モロ、ボブ・ディランだった。

個人的にそれまで知っていた、拓郎氏・・・「結婚しようよ」であり、「旅の宿」であり・・・とは違っていたんだよね。

で、そんなボブ・ディランな吉田拓郎氏を少し掘っていたら、この「イメージの詩」にぶち当たったわけですわ。

いや、この曲の存在自体をそれまで知らなかったわけではない。
田家秀樹氏の「読むJ-POP」にも、その存在は書かれていたし。 でも、実際に耳にする機会は、ごくごく最近まで無かったわけなんだよね。

1970年6月といえば、時代背景的に、まだ70年安保での学生運動や過激派闘争がくすぶっていた頃だ。

この「イメージの詩」も、そんな、学生運動的な反戦フォークの匂いのする曲なのか思っていた。

いや、確かに ♪ これこそはと信じられるものが この世にあるだろうか〜 ♪

から始まる、この曲の歌詞を読む限りでは、まだそういうに匂いはする。

でも、メロディが、それまでのいわいる反戦フォークとは違うんだよね。

もろ、ボブディランと言ってしまえば、それまでだけど、匂いとか、感じる風とかが、それまでの反戦フォークとは明らかに違う。

そこには、それまでの日本のフォークにはなかった、新しい風を明らかに感じる。

ここではよく書いてるような気がするけど、1960年代と 1970年代、単なる数字上表記ではあるけど、不思議と、この時代の表記が分かる頃には、時代の転換点が来るようになってるんだよね。

そんな風に思えるほどの新たな風を感じるんですよ。この曲には。

まあ、確かに、フレーズに収まり切れないほどの字余りの歌詞には、美意識のかけらも感じないしさ、だから毛嫌いする人があるのもよく分かるんだけどね。

少し前だったら、ワタシも毛嫌いしてたかも。。。 そもそも、メロディ、サウンド重視のワタシなんで、歌詞重視のメッセージフォークって、あんまり得意じゃなかったし。。。。

ただ、そんな新しい風を感じるといっても、、1970年のこの時点では、まだ時代を動かすだけの力はなかったんだと思う。

それがムーヴメントとして時代の転換点まで昇華するのは、次の年1971年の第3回中津川フォークジャンボリーまで待たなくてはならない。



ところで、この「イメージの詩」のハイライトといえば、もともとの収録アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」にかけて、

♪ 古い船には 新しい水夫が乗り込んでいくだろう 古い船を 今 動かせるのは古い水夫じゃないだろう〜 ♪

・・・っていう一連のフレーズですよね。

これ、個人的に50を過ぎたころから、めちゃくちゃ感じたりしてるんだよね。

趣味においても、リアルな仕事においても。

リアルの仕事においては、いつまでもこのままのさばってていいのか、下の世代に道を譲るべきなんじゃないじゃないのか・・とか。

それに拍車をかけたのが、先日の松本隆氏の「もう僕には居場所はないよ」っていうネットニュースだったりしたんだけど。

時代の流れと世代交代ってあるわけで、時代の流れと共に若い世代に次の時代を託す、というのも必要と、最近、私もつくづく思うようになったんですよね。 いつまでも古い人間がでしゃばる時代じゃない。政治の世界を見ればよくわかるじゃん。
エンタメの世界もそうなんじゃないかと思う。 いつまでも過去に縛られていては新しい時代は訪れませんわ。

それを思ったときに、一番初めに浮かんできたのが、この「イメージの詩」の

♪古い船には 新しい水夫が乗り込んでいくだろう 古い船を 今 動かせるのは古い水夫じゃないだろう〜 ♪

っていう一説だったりしたんだよね。





これは、↑で書いた「旧盤」バージョンだそう。

これに対して、「新盤」バージョンは↓



むむっ、Youtube上以外では、再生無効にされてしまっている。。。。もし聴きたい方は「YouTubeで見る」をクリックしてみてくだされ。

とりあえず、こちらのバージョンの方が、現状では正式なデビュー曲と扱われているようですね。


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我が良き友よ / かまやつひろし

1975_03_我が良き友よ_かまやつひろし


今回の1曲セレクトは、「我が良き友よ」かまやつひろしです。

まずはデータです。

・タイトル     我が良き友よ
・アーティスト   かまやつひろし
・作詞       吉田拓郎
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1975年2月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   70.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年3月3日〜6月2日付

昭和の音楽人がまた一人旅立ってしまいましたね。
かまやつひろし氏。享年78歳

ここしばらく体調が悪いというニュースは聞いていましたが、まさか、こんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでした。人生80年といわれ、80歳以上のかたも珍しくない昨今では、78歳で逝ってしまうとはやはり若かったと思いますね。

ワタシ的には、グループサウンズの世代ではないし、70年代からヒット曲を見続けているとは言っても、フォーク世代ど真ん中と言う訳でもない。
少し上の世代の大御所・・・そんな存在に感じていました。

ここのところ一時代を築いた音楽人が、次々に旅立ってしまっていますね。
時代は移り変わっている・・・昭和は遠くなりにけり・・・・と最近よく言われている訳で、それでも、実際に「昭和」というあの頃、時代を作った音楽人が逝かれてしまうのは、どんなに頭では分かっていると言っても淋しいものです。


・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、やはりこの曲しかないですよね。

かまやつひろし「我が良き友よ」

かまやつ氏が亡くなってから、ここ数日、テレビ、ラジオでも頻繁に流れている、かまやつ氏の代表曲・

・・・・と言っていいのかな。

ともかく一番「売れた」曲。 

そんな曲でいいの? あんたセレクターでしょ? もっとテレビ、ラジオで流れない気が利いた曲は無いの?

とか言われそうだけど、良いんです、この曲で。

ここは、あくまで当時の「今」の時期ヒットした曲をターゲットにセレクトするっていうのを大前提としているわけで。。。

・・・・そうです、この「我が良き友よ」は「今の時期」のヒットしていた曲なのですね。

リリースは1975年2月5日。当時のオリコンチャートをひも解くと、それから約1か月後の1975年3月3日付でベストテン入りを果たしています。 しかも前週16位から3位と、いきなりのベスト3入り。

つまりは、42年前のまさに「今」の時期からヒット街道まっしぐらとなった訳ですね。 
最終的には3月最終週から4週連続で1位獲得。以後6月2日付まで、丸3ヵ月間、計14週間ベストテン内キープ。70万枚という大ヒット。
名実ともに、かまやつ氏の「代名詞」的な曲になった・・・・と巷では思われている訳ですが。。。

ただ、かまやつ氏本人側からとしてみれば、果たしてそうなのか・・・とも思えたりもして。

確かに「ソロ」としては、この曲は、かまつや氏にとっては、唯一のオリコン1位獲得曲であり、ゆえに「代表曲」というのは事実な訳だけども、なにより、ソロ以前に、ザ・スパイダースのギタリストであり、コンポーザーという確固たる経歴がある訳でね。
その後も40年にもわたるミュージシャン人生を見ると、この曲の大ヒットというのも、そんなミュージシャン人生の中の1ページだったのかもしれない。

そんな肩に力が入っていない飄々とした生き方。 個人的にはそう言うイメージがあるんですよね、かまやつ氏には。

「吉田拓郎氏がいいなぁと思った。自由で、自分が言いたい事を表現してる。これが本当の音楽ぢゃないか」

というかまやつ氏が語った趣旨の一節が田家秀樹氏の「読むJ-POP」にある。

スパイダース時代、G.Sの第一人者のグループということで、ヒット至上、スケジュールも管理され・・・という、管理管理の中で音楽をやっていたかまやつ氏にとっては、当時の吉田拓郎氏の自由奔放な音楽への関わり方が羨ましくもあったんでしょうね。

そんな羨望の中から、吉田拓郎氏との関わりが生まれ、自身もエレキからアコギに持ちかえ、フォークを歌っていく。 もともとジャズ一族の生まれであり、ジャズからポップス、ロックと流れて行っただけに、それまでのかまやつ氏には無かったフォークという歌への傾倒が始まる。

そんな中で、生まれたこの曲。 

だから・・・と言う訳でもないんだろうけど、作詞、作曲は、かまやつ氏本人ぢゃなく、吉田拓郎氏なんですよね。
本来、コンポーザーでもあるかまやつ氏が吉田拓郎氏の曲を歌う。
 コンポーザーであるヒトからみれば、他人の曲の歌うっていうのは勇気が居る事だろうし、場合によっては屈辱的な事でもあると思う。
本当に信頼したヒトの曲ぢゃないと出来ない。 そう言う意味では、かまやつ氏は、吉田拓郎ってヒトに心酔していたんでしょうね。

その始まりが、この曲の半年前にリリースされた「シンシア」。 当時のトップアイドル南沙織さんの事を歌った曲だけど、かまやつしが吉田拓郎と曲を歌いたくて、拓郎氏とコンタクトを取った曲と言われている。

その続きと言う位置づけであるこの曲でも、だから、コンポーザーとしてではなく、あくまで一人の「シンガー」として参加する事が出来たんじゃないかな。

そもそも、この曲自体「バンカラ」学生の歌であり、かまやつ氏のキャラではない訳でね。
自分に無いものをウタにする・・・コンポーザーにとっては難しい事ですよね。しかも、自分に無い部分が自分のベクトルがずれてればいるだけ難しさが増すわけで。。。

正直、この曲は、それまでの私生活を含め、音楽人生の中では体験した事が無いような内容だと思う、かまやつしにとって。
実際、この曲は吉田拓郎氏の大学生時代の私体験から書かれたものなんだけども。

そんなある種の異文化交流的なところ・・・というのが、大ヒットに繋がったのかもしれない。
それまでの経歴からしてみれば、限りなく洋楽的な立ち位置に居た、かまやつ氏が、日本の泥臭い文化な歌を歌っている訳だからさ。第三者からしてみれば「意外」性充分だもんね。



2006年の「吉田拓郎 in つま恋」での、かまやつ氏との共演。
そそそ1975年伝説の「つま恋」オールナイトライブから30年。ということもあり開催されたライブ。
「つま恋」が閉鎖された今日にあっては、これまた伝説的なライブですね。
うん、ワタシもこれ見に行ったんだよな。
野外ライブも数々見てきたワタシですが、自分よりも年上の、「お兄様」「お姉様」方が大半の野外ライブは、これが初めてでしたねぇ。そう意味でかなりのアウェー感を感じましたねぇ

もちろん、この場面も「生」で見てたんですが、個人的に「生」でライブを見たかまやつ氏は、結局はこの時が最初で最後になってしまいました。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。



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聖・少女 / 西城秀樹

1982_07_聖・少女_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「聖・少女」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     聖・少女
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       松本隆
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1982年6月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1982年7月12日〜19日、8月9日付

今日は雨降りの1日だったなぁ。今年は雨が少ない関東地方な訳で、1日中雨が降ってた土曜日っていうのも久しぶりって感じだったよなぁ。しかも肌寒い1日で・・・。まあ、梅雨っちゃ、梅雨らしい1日だったんかな。
 こう、1日どんよりとした薄暗く肌寒い梅雨の7月・・・というと、福島の田舎から千葉に出てきた時の事を思い出す。

あれ? 今日って7月9日だったっけ  そうか、気が付かないうちに35年目に突入したんだよな、福島から千葉に出て来て。。。 あれは、確か昭和57年(1982年)7月6日だったはず。
 やっぱり、今日のような「どん曇り」な1日だったよなぁ、雨は降ってなかったけど。

・・・とは言っても、まあ千葉に居る期間の方が、福島に居た頃よりも、すでに3倍近くなっちゃった私なんで、いまやすっかり千葉県民なんですが。。。。。


・・・・というわけで、今回は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃にヒットしてた曲を持って来ますか。

西城秀樹「聖・少女」。

うわっ、「知らないわ、こんな曲」・・・なんて言う方の方が多いよな、きっと。。。

まあ、そんな今となっては、完全に死角に入ってしまっているような曲ですわな。でも、これでもれっきとしたオリコンベストテンランクイン曲だったりするんだけどね

↑で、34年前の今頃ヒットしてた・・・って書いたんだけども、正確には7月第3週目・・・だから、今年で言えば週明けの週にベストテン入りして来たって感じだったんだけどさ。

当時、個人的にヒット曲の情報を仕入れてたのは、ラジオしかなくてさあ。
福島から千葉に出て来て、一番嬉しかったのは、ラジオで東京キー局の音楽番組が1日中聴けるようになったことかなぁ。
福島に居た頃も、一応電波は届いてたんだけども、昼間は電波障害が酷くて、ほとんど聴こえなかったんだよね。夜、電波障害がやや改善される時間帯に、それでも雑音越しで聴いてたのが精いっぱいでさ。

そんな中、真っ先に確認したかった曲の一つが、実は、この「聖・少女」だったんだよなぁ。

・・・・・というのもね、月刊「明星」の付録の歌本には、6月発売の1982年8月号には、この曲、新曲として掲載されていたから、新曲としての情報は知ってたんだよね。

でさあ、気になったのが、この曲の作家が、 作詞 松本隆、作曲 吉田拓郎、編曲 瀬尾一三・・・っておおよそそれまでの秀樹の曲ではなかったような組み合わせだったじゃん。

まあ、作曲の吉田拓郎氏と、アレンジャーの瀬尾一三氏と組み合わせは、それまでも吉田拓郎氏自身の曲で、コンビを組んでいた訳で、珍しい訳じゃないけどさ、 そこに、作詞の松本隆氏が絡んできて・・・・。

しかもタイトルが「聖・少女」でしょ。

どうもねぇ、「聖・少女」っていうタイトルと吉田拓郎氏っていうのが、想像できなかったんだよな

この曲のちょっと前に吉田拓郎氏がリリースした曲が「唇をかみしめて」でさあ。。。
そそそ、♪ええかげんなやつじゃけ〜 ♪ってあの全編「広島弁」で歌っていた、男臭〜い曲ですわ。
それがあったもんだから、余計「聖・少女」って言うタイトルの曲が想像できなくてさあ・・・

時に秀樹も、出身は広島だったし、やっぱり、「唇をかみしめて」のような。タイトルとはミスマッチな男臭いメロディなのかねぇ・・・なんて思ったりして。。。

だからね、ラジオのベストテン番組で、この曲がかかるのを期待してたわけですわ。

で、千葉に越してきて、翌週のベストテン番組ですわ。確か文化放送の「全日本歌謡選抜」だったと思う。
雑音が全く入らないクリアな音で「歌謡選抜」が聴けるようになったのが嬉しくてさ。
期待通り、この曲がかかって聴いてみたら・・・・・

あ〜ら、予想してた様な雰囲気とは、ぜーんぜんちがう、軽いタッチのポップスじゃないですか。

・・・というかね、メロディを辿って行くだけでは、吉田拓郎氏の匂いを全く感じない。

それまで拓郎氏が、他のヒトに提供した曲、例えば、キャンディーズの「やさしい悪魔」にしても、森進一氏の「襟裳岬」にしても拓郎氏の匂いは感じた訳じゃないですか。

でも、この曲はそういう匂いを感じさせないんですよね。


なるほど、それはそれで凄いな・・・と思うと度もに、ちょっと期待外れ・・・だった部分もあったりね。

当初予想していたような、男臭い「聖・少女」ってところが無かったんでさ・・・。

特に、サビの ♪ Say it〜〜 少女 ♪ って部分、実は、明星の新曲情報で掲載されていた楽譜で、あそこが一番気になっていたんだよね。
 これ、男臭い曲だったら、どう歌ってんだろ とかさ

でも、実際は、軽く歌ってたじゃん。 瀬尾氏が、ここまでポップに仕上げたアレンジってのも、それまでは聴いた事無かったんだけどさ。やっぱりフォーク、ニューミュージック畑のヒトですからね。
だから、なんか拍子抜け・・・っていうのも否めなかったんだけどさ。でも、やっぱり吉田拓郎氏の臭いは感じなかったなぁ。

 一体、吉田拓郎氏は、一体どういう感じでこの曲書いたんだろう とかさ、逆に謎が深くなっちゃりして。。。


・・・なんて思ってたら、ようつべに、アルフィーの坂崎氏との「オールナイトニッポンゴールド」で、この曲について語ってた時の模様が落ちてたね

↓ コレ


ぷぷぷ、余計な話だけで、曲についてはほとんど言及してないワwwww
でも、冒頭、アコギでこの曲を演ってるけど、アコギでやると、なんか急にフォークソング・・・否、拓郎節っぽく聴こえますね、やっぱり。。。

坂崎氏とのバカ話を聴いてると、この曲、それほど深く考えて書いてなかったような。。。


・・・ということで、本家、秀樹で曲をひとつ。。。






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旅の宿 / 吉田拓郎

1972_09_旅の宿_吉田拓郎






今回の1曲セレクトは、「旅の宿」吉田拓郎 です。

まずは、データでーす。

・タイトル     旅の宿
・アーティスト   吉田拓郎
・作詞       岡本おさみ
・作曲       吉田拓郎
・編曲       クレジットなし
・リリース日    1972年7月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    70.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年7月17日〜10月23日付

 この間、井上陽水を書いたんで、ここいらで70年代のライバル、吉田拓郎の曲を持ってきたいな・・と思ってまして。 
・・・・ということで、今回の1曲セレクトは吉田拓郎氏の曲で決まり!
で、できれば、「人間なんて」がいいな・・と思ってたんだけど、この曲リリースは11月なんだよねぇ・・ちょっと時期ハズレ・・。

なので、吉田拓郎氏としての「シングル」の最大のヒットの「旅の宿」を持ってきましたわ。

オリコンの1位を獲得したこの曲なわけで、もう、みなさんご存知の曲かなぁ・・とおもわれるから、詳しい所はなくてもいいかなと思うんだけど、この曲のシチュエーションがね、さすがに今はあんまりないかなぁと時代を感じるんですよね。

 旅の宿・・・、今みたいに「ホテル」ぢゃないよ。旅館ですよ〜。
 旅の旅館に、若い2人がシケこんで、月をみながら、一杯やる・・・。

 いやいや、いいぢゃないですか!  

 ・・と思うようになった、オヤジかな・・最近の感覚では。

でも、あの時代は、若くても旅館にシケこんで一杯・・っていうのが、大人の証だったみたいですね。

 なんていうのかな、いっぱしの大人になった・・・つもり・・というかね、まだ、あの時代は「大人になる」ということは、ある種のステータスだった・・・ようなんですよね。


 うーん、さすがに、ちょっとこの辺の感覚は、ワタシでは分からないので、あくまで、もののほんの受け売りなんだけどね。

 でも、このころは、みんな考え方が大人だったようなきがする。少なくとも今よりは・・。
 それが、なんとなく、ワタシにしてみれば、うらやましかったりしてね。

ちなみに、吉田拓郎氏のシングルとしては、この曲が唯一の1位獲得曲なんだよね。当時「フォークの神様」と崇められ、もっとも売れてたアーティストの一人なんだけど、その割にシングルでは1枚しか1位をとってない・・・ってのは、意外かもなぁ。
 まあ、シングルアーティストというよりはアルバムアーティストの側面が大きかったですからね。それに、当時は1位って言うのは特別な存在でしたから、そうそう何曲も取れるものではなかったんだよね。




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今日までそして明日から / よしだたくろう

1971_09_今日までそして明日から_よしだたくろう






今回の1曲セレクトは、「今日までそして明日から」よしだたくろうです。

まずはデータです。

・タイトル    今日までそして明日から
・アーティスト  よしだたくろう
・作詞      よしだたくろう
・作曲      よしだたくろう
・編曲      よしだたくろう
・リリース日   1971年7月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 59位
・売上げ枚数   3.0万枚

1曲セレクトを書くときに、いつも動画のリンクを入れてるんだけど、時々、書いてる曲と全然違う曲に見入っちゃう時があるんだよな。
 ・・なんて、今回セレクトしてきた曲の「前フリ」なんだけどさ。

2006年9月に行われた、吉田拓郎の「つま恋」コンサート。 いくつもに区切った動画をついつい見ちゃうんだよなぁ。
ライブ見に行ったよなぁ、これ。ついこの間と思ってたけど、もう9年前にもなるんだよねぇ。

 以前 NHK-BS2で放送された「吉田拓郎&かぐや姫inつま恋2006」を動画にしたもんなんだけどね。

 いやいや、あの現場にいたなんて、今となったら信じられないな。

 現場だと、なんていう曲なのか、わからない曲がほとんどだったんで 動画だと、ちゃんと曲名テロップ入ってるんで、改めて、なるほどそうなんだ・・と思いながら見ちゃってます。

 ワタシ指定場所が、一番後ろのゾーンだったから、ほとんどステージなんて直接見えなかったのよ。

 もちろん、オーロラビジョンが3台あったから、全く見えないわけではないんだけど・・・。
 テレビはいいね。ちゃんとステージ映してくれるもんね


・・・で、今日引っ張ってきた曲は、あの時のステージの最後の最後に歌った曲を持ってきました。

 今日までそして明日から

 哲学的なタイトルですね。

 ♪ 私は今日まで生きてきました 私は今日まで生きてきました 私は今日まで生きてきました そしてわたしは思っています 明日からもこうして生きていくだろうと〜 ♪


 多分、「今」だったら、ファンからケリを入れられているでしょう。
 あたりまえやんけ・・・・と。

 でも、それがいいんですよね。

行間を読む。

 この曲は、それができるんですよ。

 いまの曲は、説明が多すぎるんですよ。今、どこどこでだけと何々をしている〜 ような、場面が限定される曲が多い。

 この曲はどう取ってもいいんですよ。一人ひとり、それぞれの考えを感じ取ってもらえればいいんだよね。
正解なんて無くて良い。逆に言えば、不正解も無いんですよ。

 だから、曲のBメロ

♪ 私には私の生き方がある それはおそらく自分という物を
知るところから始まるものでしょう ♪

っていうところからもわかりますよね。

 でも、歌って本来、そういうものなんじゃないですかねぇ。
 ヒトそれぞれで感じ方、そこから派生する考え方は違うものなんですよ。


 まあ、今の時代と、この曲が書かれた時代では、あまりにも生活環境が変わりすぎているところがあるから、ちょっとピンと来ない方もいらっしゃるかも知れないですが・・・。


 でも、個人的には、物はまだまだ豊かな時代ではなかったかもしれないけど、この時代の自由に物を考え、自由に生きていくことも出来るというような風潮があったことは、羨ましく思うんだよなぁ。
 自分が、体験できなかっただけに。。。

 なお、この曲は、CBSソニーからリリースされていることになっているんだけど、実際、よしだたくろうは、このころはまだ、エレックに所属してたはず・・・。これはいかに。。?


あ、エレックっていうのは、いまでいうインディーズレーベルの事ね。あくまで自主制作で、契約特約店のみで販売していたわけです。

 まあ、レーベルも今同様、雨後の竹の子のようにたくさんあったようですが、東のエレック、西のURCが代表的なレーベルでした。

 伝説の第3回中津川フォークジャンボリーで、商業主義粉砕を叫んだ左派グループがメインステージを占拠していたにも関わらず、PAが壊れたサブステージで2時間永遠と「人間なんて」を歌い続けてたのは、この曲がリリースされた直後の1971年8月8日のことだ。

 2006年のつま恋で残念だったことは、「人間なんて」をやらなかったことだよなぁ。
 代わりにこの「今日までそして明日から」を持ってきた。

 60歳まで走り続けてきた、吉田拓郎氏のあの時の心境がこの曲だったんだろうね。




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僕笑っちゃいます / 風見慎吾

1983_07_僕笑っちゃいます_風見慎吾

 






今回の1曲セレクトは、「僕笑っちゃいます」風見慎吾です。

まずはデータでーす。

・タイトル     僕笑っちゃいます
・アーティスト   風見慎吾
・作詞       欽ちゃんバンド、森雪之丞
・作曲       吉田拓郎
・編曲       後藤次利
・リリース日    1983年5月21日
・発売元      フォーライフ
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数      33.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年7月11日〜8月15日付
・タイアップ:TBS系「欽ちゃんの週刊欽曜日」より

 昔、某C社で有名着メロサイトの配信楽曲運用をやってた時、配信曲の「選曲」っていうのが、メインの仕事だったんだけどさ。 配信曲を決める時、大体2〜3ヶ月先の新曲リスト作るんですよ。
・・・といっても、ウチらは、バックにレコード会社も有名音楽企業も付いてなかったんで、新曲リストもネット調べて自分で作るんだよね。
 で、まあ、新曲全部は出来ないんで、「ヒットしそう」な曲をセレクトする訳よ。ま、その辺は長年ヒット曲を聴いてきてる妙技でさ、例えば、新たにブレイクしてきそうな曲も、「匂い」で大体分かるんだけどね。
 
でも、たまーに、全く予期もしてなかった曲がブレイクしてくる時もある。そう言う時が一番焦るんだけどね。なんせ、商売柄、ヒット曲は絶対的に外せないからさあ。

 今回は、そんな、まーったく予期してなかったヒット曲を一つ。

 風見慎吾「僕笑っちゃいます」。


ま、この曲がヒットした1983年は、まだ「着メロ」の仕事はしてなかったけどね。

・・・・ってか、時代的に当たり前か。

でも、この頃はすでにヒット曲はバンバン聴いてた・・・ってか、恐らく一番聴いてたころなんじゃないかな? そんなわけで、ラジオのチャート番組も一番聴いた頃だからさあ。ある程度の、次のヒットは? っていうのは予想できたんですよ。
 
でも、この曲は、全く予想できなかった。


 それは、当時一番聴いてた、文化放送「全日本歌謡選抜」のメインMCだった小川哲哉氏もそうだったようなんだよね。

 あの番組は、メインが視聴者からの電話リクエストで、リクエストが多い順から、第1グループ、第2グループ、第3グループ・・・と、マラソン実況のように時々、リクエスト状況速報が入るんですよ。

 あの時代だから、第1グループを形成するのは、大体、松田聖子、中森明菜、田原俊彦、近藤真彦、次点で小泉今日子、河合奈保子って感じですよ。

 そこにいきなり、風見慎吾「僕わらっちゃいます」がリクエスト第1グループに乱入してきたものだから、あの時の小川哲哉氏の驚きはいまでも覚えてるなぁ。小川氏も、全く予期してなかったようなんだよね。

 たださ、あの頃、個人的にも、まだ「週刊欽曜日」見てなかったからなぁ。 もし、当時から見てたら、ちょっとは違った見方をしてたかもしれない。

 そそそ、この曲は、欽ちゃんの週刊欽曜日の名物コーナー、「欽ちゃんバンド」から派生してきた曲なんだよね。

 欽ちゃんバンドのメンバー、1人1人が、1行ずつ歌詞を書いて、それを当時の人気作詞家、森雪之丞氏が補作、そこに吉田拓郎氏が曲を付けて出来あがった曲ですわ。

 でも、この曲がリリースされた頃は、まだ週刊欽曜日も見てなかったからねぇ、風見慎吾? 誰じゃいそれ?
って感じだったからなぁ。

で、初めてこの曲を聴いたのは、上記の件の「全日本歌謡選抜」ですよ。 リクエスト速報での小川哲哉氏の驚きの声の後に、当然のようにこの曲がかかったんだけどね。

初聴で「なるほど、これは来る」っていうヒット予感の「勘」がビビビッと来たのを32年経ったいまでも覚えてるなぁ。

 吉田拓郎氏作曲って言う事でもわかるように、正直、メロディ自体は、目新しいっ訳じゃ決してないけんだけどさ、でも、なんか新鮮なんだよな。
 それまでのヒット曲に既存していた風景ではなく、ちゃんと1983年のあの時代の風景を捉えていたんですよ。
だから、この曲を聴くと、浮かんでくる風景は1983年のあの時の風景だしさ。
 ヒット曲そう言うもんなんだよね。だから、メロディが古かろうが、目新しいところはなかろうが、後々、ちゃんとあの時代の風景になっていれば、ヒット曲としては成功なんだよね。


でも、この曲のヒットのお陰で、あの後も欽ちゃんバンドも流行りましたねぇ。当然のように私も、この曲のヒットの後は、週刊欽曜日見てたなぁ。
 当時、欽ちゃんは、民放キー局、各曲で冠番組をもってて、視聴率も合計すると100%を超えてて、「100%男」とか言われてましたもんね。
 その中でも、一番の人気番組にのし上がったのが、「週刊欽曜日」だったんだよね。なんせ、1983年の下半期では、あの「欽ドン」よりも視聴率は上でしたから。

 その起爆剤となった曲がこの曲ですわね。


うーん、この曲も、当時の動画はあんまり落ちてないんだよなぁ。。。
とりあえず、You Tubeには落ちてなかったんで、海外のサーバーにリンク

http://www.zhuatieba.com/video/XNDI3ODYzNjc2

えー、「ザ・ベストテン」に初登場した時のものだけど、もしかしたら、うまくつながらないかも。。。
ご容赦。




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唇をかみしめて / 吉田拓郎

1982_05_唇をかみしめて_吉田拓郎






今回の1曲セレクトは、「唇をかみしめて」吉田拓郎です。

 まずはデータです。

・タイトル   唇をかみしめて
・アーティスト 吉田拓郎
・作詞     吉田拓郎
・作曲     吉田拓郎
・編曲     広島二人組
・リリース日  1982年3月21日
・発売元    フォーライフ
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数  9.7万枚
?THE HITCHART HOT30最高位 22位
・タイアップ:映画「刑事物語」エンディングテーマ曲


 この間、Twitterで、最近の音楽業界が元気が無いのもなんとなく分かるんだよね〜云々ってつぶやいたのよね。ハッシュタグもつけなかったんで、まあ、注目されることも無いだろうと思ってたんだけど、幾つかリツイートもらったりして、うーん、やっぱし、おんなじこと考えて居るヒトもいるんだねぇ・・・なんて思ったりして。

 まあ、本当に言いたかったことは、頭で音楽を作るんではなく、もっと感情のままに作ってもいいんでないの? ってことだったりするんだよね。

 たしかに、最近の曲って、クオリティの面から見ると、以前から見ると向上している部分はあると思う。
 
 ぢゃ、なんで売れないの? 

っていうと、よくさ、「ネット配信」とか、「違法サイト」とか持ち出すヒト、最近は多いんだけどさ、まあ、これも当たっている部分もある。ただし、それが総てでは無いと思うのよね。


 ワタシねぇ、一番の要因は、曲聴いても「カンドー」する曲が少なくなったから、なんじゃないかかねぇ・・・と思ってるわけよ。

 じゃなんで感動する曲が少なくなったんですか・・・って言われると、これまた、要因はいろいろと出てくると思うわけで、一つの要因ではないはずなんだけど、一つの要因として、「頭」だけで音楽作ってないですかねぇ・・・って事よ。

 ワタシねぇ、なんかそんな感じがするのよ。

 なんか、理論的なんだよね、最近の曲って。計算的というかさぁ、ドライというか、無味無臭というか・・・。
 簡単に言ってしまえば、「はずれ」が無いんですよ。大体がそつなく出来てる。まあ、平均的なんだよね。
 逆に言えば、「突出」して感動する曲も少ない・・・というか、少なくとも今年に入ってからは、無いな、そういう曲。


 だからさ、一回、そういう、「打算的」なところを取っ払って、アッパラパーな気持ちで曲作りするのも必要なんじゃない? 

 ってことなんだよね。

 うん、だから「経費的」にどうのっていう経済的なことではないわけですよ、言いたかったのは。



 昔はもっとおおらかだったと思う。うーん、なんていうのかなぁ、「人間味」があったよね、曲に。 そうそう、「人間味」ってやつ。
 これなのよ、最近の曲で最も足りない点は。


 ワタシさ、正直、初音ミクとかアンドロイドな曲とかさ、いわいる「アニおた」系の曲に否定的なんだけど、なんで、否定的なのか・・・っつうと、ここなんだよね。別に曲の出来が駄作だとか、そういうんじゃないのよ。「人間味」ってところ。それ感じないもの、これらの曲には。。。

 っつうか、感じるわけなんだけどさ、生身の人間・・・最近で言えば「3D」な人間が歌っているわけじゃないんだから。

 
 まあ、そんなことわめいているワタシは、近頃の「最先端なドライなヒト」から見れば、「旧人類」なんだろうけどさ、そう見えるなら見えるでも別にいいや・・・なんて思ってたりするわけよ。

 やっぱ、人間味があるからこそ、「ヒト」だと思うしさあ。ワタシ、機械とかアニメとか二次元のヒトじゃないもの。



・・・いや、そう思っているヒトって多いんじゃない? ・・・というか、意識的には、そう考えて無くても、無意識的にそう感じてるヒトって多いんじゃない? 
 最近の曲、だから、売れなくなってきているんじゃないですかねぇ・・・なんて、最近は、そう感じているわけですわ。




 ・・ということで、今日引っ張ってきたのは、吉田拓郎氏の「唇をかみしめて」。
 いや、言いたかったのは、こういう「人間味」あふれる曲って、すっかりなくなったよなぁ・・・って言うこと。

武田鉄矢主演の映画「刑事物語」のエンディングテーマ曲。 

全編「広島弁」で歌われているこの曲は、正直、今の曲に比べたら、めっちゃ、ドロ臭いんですわ。「スマート」さは全くない。

 きっと、近頃の、「無菌状態」で育ってきたヒトたちには、理解できない曲かもしれない。

 でもさぁ、ワタシは、こういう曲のほうが安心するんだよなぁ。「ウタ」聴いてるゾーっていう感じがあるじゃん。なんにも考えなくても。

 で、もって、何にも考えなくても感動するじゃん。

 それは、やっぱ、人間対人間のぶつかり合いが、音からにじみ出てきているからこそ・・・なんだけどね、感動するのは。

 うん、音質のクオリティとか、理論的とかテクニックじゃ無いのよ、音楽は。 音質なんか悪くても、理論的でなくても、テクニックなんか無くても感動できる音楽はいくらでもある。

 問題は、どれだけヒトとヒトとのぶつかり合い、人間味があるのか、どれだけ本気で音楽しているのかなんじゃないのかなぁ・・。

 少なくとも、この曲を聴くと、いつも、そんなことを思ってしまったりするワタシなんだよね。




 2006年9月の「つま恋」ライブ。これ見に行ったなぁ。 このライブ観客のどこかにワタシも居るんだけどさ。
吉田拓郎氏は、世代的に一世代も二世代も前なんで、あんまり曲知らないのに、1975年の伝説の「つま恋」オールナイトライブに触発されて参戦してみたんだけど、VTRのように分厚い編成で、感動のライブでしたわ。

ちなみに、この「唇をかみしめて」のシングル盤は、A面のみ。つまりこの曲だけしか収録されておらず。B面はツルツルだったんだよね。 それで通常700円だったところ、400円だったんですよね。
 完全に「刑事物語」のために作られた曲って感じだったかなぁ。



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やさしい悪魔 / キャンディーズ

1977_04_やさしい悪魔_キャンディーズ






今回の1曲セレクトは「やさしい悪魔」キャンティーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    やさしい悪魔
・アーティスト  キャンティーズ
・作詞      喜多条忠
・作曲      吉田拓郎
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1977年3月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   39.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1977年3月28日〜5月30日付

 いやね、全キャン連っていう組織自体にも興味があるのよ。何でもアイドルとしては、初の全国組織のファンクラブっていうことで、その組織力と、団結力は目を見張るものがあったんだよね。
 なんせ、あの「ザ・ベストテン」のランクを組織力で動かしちゃった「団体」ですから。

 1978年4月4日。伝説となっている、当時の後楽園球場での解散コンサート。

 当時、この模様はTBSで放送したんだけど、実際の放送は1時間30分枠だったんですよね。
 でも、実際のコンサートは4時間やっていたようで、残りの2時間30分分はマスターテープも残っていなかった・・・・らしいんですよ、これまでは。

 でも、TBSのライブラリーの奥深くから出てきたらしいんだよね。未放送分のテープが・・・。

 その模様は、7年前の、解散30周年のイベントで、デジタル処理した再編集したビデオを流したらしいんだよね。

 おそらく、50半ばになったいいオッサンが、「ランちゃん」「スーちゃん」「ミキちゃん」なんて叫びながら、画面に向かって紙テープを投げる様は、おそらく、今の「アキバ系」にも通じるものがあるんじゃねぇのか・・・とか思ったりして、外野としても是非、その様は見てみたかったのですが。。。

 ところでさぁ、コンサートで「紙テープ」投げちゃいけなくなったのって、いつ頃からだったっけ?
 37年前のキャンディーズの解散コンサートの時の紙テープの量はハンパぢゃなかったよねぇ。

 うーん、松田聖子とか、80年デビュー組のころも紙テープは有りだったよなぁ。。。

 たしか、紙テープの「芯」を抜かないで投げる輩が増えたんで、危なくて紙テープ禁止になっちゃったんだよね。

 まあ、最近の若いアイドルファンにとっては、なんのこっちゃ? かも知れないけど・・・。


 うぬー、またもや、前置きが長くなっちゃったな。あせあせ

 「やさしい悪魔」どぇす。

 この曲がヒットしたころの状況は、ワタシもよくわかんないんだけどれも、はじめは、きっと、多くのヒトが驚いたんじゃないかなぁ。

 それまで全くなかったような曲調。詞の内容。
 曲は吉田拓郎氏。吉田拓郎氏とキャンディーズ。まるで接点が見えない。まるで「狼と子羊」だったりして。そんな不思議な組み合わせが時として、うまく「化学反応」を起こすこともあったりするんだよね。
 フォークといったらいいのか、ポップスといったらいいのか、よくわかんないところが、この曲の面白いところだったりするから。

 詞は喜多条忠氏。物の本によると、これは、当時の渡辺プロの社長、渡辺晋氏の直接の「ご指名」だったようだ。
 「3曲預けるから、なんとかしてやってくれ」・・・ということで・・。

 たしかに、キャンディーズも75年の「年下の男の子」、76年の「春一番」でトップアイドルの仲間入りはしていたものの、それまでは後が続かなかったのよね。

 その隙間を縫って、ピンク・レディーが「モンスター」に化けちゃったわけだから、渡辺プロとしては、そりゃ危機感を感じるわな。

 さぁ、こまった喜多条忠氏。。。 どうかえりゃいいのか。。。

 でも、ピンクレディーは、当時の「中高生」のアイドル。キャンティーズは、大学生に受けてる。この支持年齢層の「スキマ」を狙う。

・・・っていうマーケティング的発想から・・・か、どうかはよくわかんないけど、ちょっと「小悪魔」的な、それまでのキャンティーズにはなかったような内容の詞が出来上がる。

 これが、吉田拓郎氏のフォークのようなポップスのような、不思議なメロディラインにうまくのっかった。

・・・ってことで出来上がった、この曲。オリコンでは4位までしか行かなかったけど、売上げは39万枚強。
 それまで最も売れた「春一番」を凌いで、この時点でキャンティーズで一番売れた曲にのし上る。(最終的には、「微笑みがえし」の83万枚ね)
 だから、歌謡曲は分からないもんなんだよねぇ。

 ただ、誤算だったのは、この曲のヒットのピークが過ぎ、さぁ!次のシングル・・・って時に、例の「解散宣言」が出ちゃったことだろうな。

 まあ、そんな、キャンティーズにとっては、とっても「端境期」な頃の曲ってことになるね。この曲は。


 

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襟裳岬 / 森進一

1974_03_襟裳岬_森進一







今回の1曲セレクトは、「襟裳岬」森進一です。

 まずはデータです。

・タイトル    襟裳岬
・アーティスト  森進一
・作詞      岡本おさみ
・作曲      吉田拓郎
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1974年1月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   46.2万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1974年2月18日〜4月15日付

 さきほど書いた、大黒摩季の「ららら」から、森進一に飛びます。。。
なに?、この落差・・・・。 でも、みなさん、ついてきてくださいよ〜。

 まあ、歌っている森進一の「演歌」は、あくまで「昭和」の遺産的な保守的な匂いが強いものだけどね。
 スナックとタバコの匂いと、テナーサックスがむせぶムード歌謡の世界。
 上で「演歌」って書いたけど、根っこの部分は「ムード歌謡」なんだよね、これも。

 個人的にはなかなか立ち入ることが出来なかった世界。だけど、なぜか遠い記憶には残っている世界。

 でもさ、森進一の場合、それだけではないんだよね。実際。
「冬のリヴィエラ」・・・・。ちょっと時期的に書きそびれちゃったけど、これなんか、大滝詠一ぢゃん。ムード歌謡とは、全くかけ離れた世界とのコラボレーション。

 こんな異業種コラボにも挑戦して、ちゃんと結果を残しているヒトでもあるんだよね。
 
 それにしても、このヒトが挑戦した作曲者は多岐に渡るな・・・。その他、細野晴臣、松山千春、谷村新司、井上陽水・・・。
長渕剛に はたけ(元シャ乱Q)なんてのもいるぞ。。。

 こういう挑戦は評価しなくちゃ、なんか、今回の「騒動」では、森進一をワルモノ扱いにしているヒトが多いけどさ。


・・で、こういう「異業種」とのコラボり一番最初、取っ掛かりを行ったのが、今日引っ張ってきた、「襟裳岬」ってわけだ。

 演歌(ムード歌謡)の帝王とフォークの貴公子であった吉田拓郎とのコラボレーション。

 これは、当時として見れば、絶対ありえない取り合わせだったわけだ。
 なにせ、この曲以前には、こんな取り合わせのヒット曲は存在しないわけで・・・。

 要は「ゲーノー(歌謡)界」と、「フォークニューミック界」の間には、相反する高い壁があったわけだよね。それまでは。

 つまりさ、よく使う、あっち側こっち側・・・っていう垣根。

 その前に、それぞれのファン層にも、合間見えないような壁があったわけで・・・。

 ムード歌謡(演歌)を聴くようなヒトはフォークなんか聴かない
 フォークを聴くようなヒトはムード歌謡(演歌)なんか聴かない

・・・っていう垣根ですよ。

 まあ、これは、この時代から30年たった今でもまだ残っている「垣根」なんだけどさ。


 だけど、この垣根を無視して、森進一に吉田拓郎の曲を歌わせたヒトがいるんだよね。

 高橋隆氏。 当時のビクターのディレクターだった方ですね。
 ついでに書くと、これ以前、ソルティシュガーっていうフォークグループで「走れコータロー」って曲を大ヒットさせたグループに居られた方。その後、ビクターのディレクターさんになられていたんですよね。

 この方が、プロデュースした曲が、この「襟裳岬」って訳ですわ。

 しかしすごいよね。発想の転換・・・っていうかさ、それまでの常識を破って、新しい物をプロデュースするって言うのは、ホントすごいと思いますよ。

 まあ、結果的に成功だったから、そんなこと言えるのかも知れないけどさ。

 この曲、そんなこと言われなかったら、完全に森進一の曲になってるもんなぁ。

 もともとは、「焚き火」って言う曲で吉田拓郎氏が直々に歌っていたのに手を入れて出来た曲らしいですよね。

 うん、その原曲の方を聴いたことあるんだけどさ、これがとってもつまらない曲なんですわ(^^;;;;; 正直言って。

 うーん、ワタシだったら、絶対に「ツマンナイ」で終わっちゃうだろうなぁ。


 それが、この「襟裳岬」になっちゃうわけだから、これは、アレンジの馬飼野氏のワザなんだろうなぁ・・・。

 ここでもよく書く馬飼野康二氏は、ポップスの作曲、アレンジャーとして大活躍だったわけですが、氏の実兄、馬飼野俊一氏は、どちらかといえば「演歌系」のアレンジャーでしたからねぇ。

馬飼野俊一氏アレンジである、北原ミレイの「石狩挽歌」は、最高傑作だと思うんだけど、一番のキモはイントロでのトランペットの使い方なんだよね。
 兎に角印象的な旋律が「北の海」をよく表現していると思うんですよ。

「襟裳岬」もそれに並ぶ傑作だと思うなぁ。

 この曲もイントロ入りからのトランペットの旋律が印象的でしょ。・・というか、これがあるから曲にノメリこまさせられる・・・というかさ。

 で、一番のキモがやっぱし、サビの

 ♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪

の一文なんでしょうかね。

 この一文に、「いやいや、襟裳の春はなんでもあるよ」って反論してみせた、っていう地元の方の声もあったそうで。

 うん、まあ、そういうのどかな時代だったということも言えるかもしれないけど、それだけ説得力があった曲ということもいえるでしょうね。

 オリコン最高は6位止まり。ベストテン入りも9週と当時としては、短期間のベストテンヒットだったにしては、これだけ印象深い曲、加えて、第5回日本歌謡大賞、第16回日本レコード大賞を受賞してしまった・・・てことは、それだけジワリと根強い人気を保ったって事なんだよね・・・。

 ちなみに・・・当時は、日本歌謡大賞、レコード大賞共に「権威」の程は今の比では全然無かったわけですよ。

 テレビの視聴率も40%以上あったわけだし・・・。





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地下鉄にのって /猫

1973_02_地下鉄に乗って_猫











今回の1曲セレクトは、「地下鉄にのって」猫です。


まずはデータでする。


・タイトル    地下鉄にのって
・アーティスト  猫
・作詞      岡本まさみ
・作曲      吉田拓郎
・編曲      猫
・リリース日   1972年12月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 26位
・売り上げ枚数  11.2万枚


 電車にまつわる曲っていうのは探してみれば、結構あるかもしれないけど、こと「地下鉄」を主題にした歌って言うのは、意外と少ないかもなぁ。
パッと思いつく曲としては、斉藤和義の「メトロに乗って」くらいか・・・。


でも、やっぱり地下鉄を題材にした曲の「元祖」といったら、今回セレクトしてきた、猫の「地下鉄に乗って」だろうなぁ。


 歌詞を聴いてみれば分かるように、赤坂見附、四谷・・と出てくるんで、丸ノ内線に乗ってる・・っていうのは、すぐ分かるんだけけど、サビのコーラスで、♪丸ノ内線で〜♪って出てくるんで、そうじゃなくてもすぐ分かるんだけどね。


のんびりとしたスチールギターのイントロからして、場面は、昼下がりののんびりとした雰囲気の丸ノ内線、赤坂見附から四谷方面に向かってる電車なんだろうね。

 丸ノ内線を乗ったことがある人なら、すぐ分かるんだけど、赤坂見附を出ると、四谷の先まで、地下から地上に出るんだよね。
 だから、あの区間だけ、特に昼間のお客さんが少ない時間は、のんびりした時間が流れるんだよね。今の電車はそれほどでもないんだけど、昔の「赤い」丸の内線の頃は、冷房も効いてなかったし、だから、窓を開けっ放しだったりして、余計、田舎の電車っぽいのどかな時間が流れたんですよ、あの区間。

 その雰囲気をよく捉えてると思うなぁ、この曲は。


 ところで、「猫」っていう方たち、この曲の作曲もそうなんたけど、吉田拓郎氏の曲を歌っていたことから、まあ、吉田拓郎派の方たちということは、一目瞭然なわけで、実際、吉田拓郎のバックバンドもやってたりしたんだけど、だから、フォークの人たちかというと、必ずしもそうじゃないんだよね。


 以前に、1曲セレクトとして、このヒト達の「各駅停車」とか「雪」でも書いたんだけど、アコースティックギターがメインではあるけど、サウンドとしては、フォークというよりも、アメリカの「南部」的な匂いが強い。

 だから、時代が時代なら、B'zのようなサウスロックをやってたかもしれないって「雪」の時も書いたんだけど、その雰囲気は、この「地下鉄に乗って」でも感じますねぇ。


 イントロのスチールギターもそうだけど、この曲は全体的に、南部的な匂いのするカントリーだし、一説によると、後の「ニューミュージック」っていうジャンルは、このヒト達から始まっているとも言われていたりして。

つまり、それまでの「フォーク」とは匂いが違うんだよね。

 例えば、吉田拓郎まではさ、メロディを聴くというよりも、歌詞を聴くっていう方が強かったわけじゃないですか。それまでのフォークは。

 でも、この曲の場合、歌詞はそれほど、深い事を言ってるわけじゃないんですよね。
それよりも、サウンドを聴くっていう方が強いわけで。

 そんなところからも、それまでのフォークとは一線画したような音楽であることは違いないんだよね。



いまや、フォーク・ロック界の「重鎮」となった方々が、まだ「ブレイク」する前の貴重な映像の宝庫、テレビ神奈川の「ヤングインパルス」。
 当事、在京キー局には、出たくても相手にされなかったり、自ら出演拒否していたアーティストが、この番組だけには、出演していたこともあって、今となってはこの番組でしか見れなくなった映像も数多くあるんでね。伝説的な番組デスよね。
 ぜひ、この番組はアーカイブにして後世に伝えて欲しいですねぇ。


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