かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

吉田健

きめてやる今夜 / 沢田研二

1983_10_きめてやる今夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「きめてやる今夜」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル     きめてやる今夜
・アーティスト   沢田研二
・作詞        沢田研二
・作曲       井上大輔
・編曲       吉田健
・リリース日    1983年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

ネット上で揶揄されますなぁ〜、ジュリー。 例のライブ「ドタキャン」騒動で。
さいたまスーパーアリーナ、当初9千人の入りと言われたところ、実際は7千人しか入らなかったので開演直前になって中止になったとか・・・。
その理由が、「客の入りが少なかったから」・・・だとか

まあ・・・・叩かれますわな。 客が少ないと言っても7千人は集まっていた訳だから・・・。

その前に、果たして、今のジュリーに「さいたまスーパーアリーナ」を満杯にするだけのアーティストパワーはあるのか? っていう意見も出ている。

さいたまスーパーアリーナは、ステージの形式によって、「アリーナ」部分の客席数は変動するんで、一概に「何人」とは言えないけど、最大で約3万7千人収容と言われている。 もっとも実際はステージ設置等で、客席数はそれよりは少なくなるけど、それでも2万弱の収容人数になると思う。

そんな会場で、9千人ですか・・少なっ! なんていわれてもしょうがないわなぁ。 

そもそも、日本のみならず、世界でも超一線級のアーティストがライブ会場として使用するスーパーアリーナを、40年近くベストテンヒットから遠ざかっている、ジュリーが使用する・・・っていうのも、たしかに驚き・・というか、半分「あきれ気分」になるけど、確かに。

ちなみに、今回客が集まらなかったのは、今回のライブツアー、 ツアータイトルが「70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK」という、いかにもジュリー70才記念で、往年のヒット曲オンパレードの内容に思えるタイトルであるのに、実際は、「今歌いたい曲しか歌わない」と、ヒット曲はほとんどやらず、誰も知らないような曲ばかりなため評判が悪く、客が遠のいているため・・・と言う事のようだ。

「今、歌いたい曲しか歌わない」っていうジュリーの姿勢・・いいなぁ、突っ張ってるなぁ、なんて、個人的には思っちゃったりもする。だけど、こういう姿勢は、こういう「大会場」の、ましてやツアー最中に見せちゃアカンわな。
うん、小規模のコンサートホールや、ライブハウスならいざ知らず、大規模会場では、必ずしも超固定ファンばかりじゃない訳なんだから。 


ところでさ、現在のジュリー程度のアーティストパワーのヒトが、なぜスーパーアリーナのような、大規模会場でやるのか・・っていうと、通常の各地の市民会館位のキャパの会場では、いわいる「親衛隊」と呼ばれる人たち・・・そそそ、いまや良い年をした「おば様たち」なんだけど・・・に占領されてしまい、他の一般の人たちがなかなか席が取れない・・っていう苦情もあるからなんだよね。

そう言うこともあって、こういう大規模会場でもやらざるを得ないところもあったのかも。。。 
まあ、スーパーアリーナが、そう言う状況を払拭するだけの適当な会場であったのか・・と言うのは別だけど。。

でも、熱狂的な固定ファンじゃなく、そういう一般の人たちがどういう曲を聴きたいか・・・っていうと、やっぱり、往年のヒット曲な訳だからさ、 やっぱり、そう言うヒトたち向けに、例えばスーパーアリーナのような超大規模会場だけでも、ヒット曲のオンパレードにセットリストを変えるとかはやって欲しいわな。

もしよ、例えば、ジュリーが「今歌いたい曲しか歌わない」・・・とかツッパッたことを言わないで、往年のヒット曲中心のライブツアーであれば、スーパーアリーナでも充分行けたんじゃないかな。



おーっと、前置きがめちゃんこ長くなっちまった。

・・ということで、今回の1曲セレクトも当然ジュリーの曲を持って来たい・・というわけで、

「きめてやる今夜」

・・・へへん、ネット上で他の人が取り上げてるような曲は持って来ないよーだ

・・というか、他の人が取り上げてるような曲は、もう既に書いちゃったんで・・・

この曲は83年の今頃のヒットですね。

83年は、ジュリーにとっては「分岐点」となった1年ですわ。 ソロデビュー以来でも10数年、ずーっとベストテンをキープし、オリコンで初の売り上げ1000万枚突破を記録した、文字通りのスーパースターだったジュリーが、一度もベストテン入り出来なかった年。

それが1983年ですわな。 つまりは、人気の下降線があらわになった年・・とでも言いましょうかねぇ。

それは突然やってきた・・・って感じだったな。 前年82年9月にリリースした「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」なんて、「ザ・ベストテン」では最高3位まで行ってた訳だから、 まさか、次の「背中まで45分」がベストテン入りしない・・なんてことは思ってもいなかった訳だし・・・。

まあ、結局は、難解、かつ新たな試みとして「ニューウェーブ系」な曲にシフトしたことが大きかったんだろうな。

今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」の前曲の「晴れのちBLUE BOY」なんて、当時のヒット曲レベルから考えれば、まず、ベストテン入りは難しいだろうな・・と思える曲調、リズムだったし。 

 ジャングルビートと呼ばれた、あんな殆どリズム体だけの曲がベストテン入りしてたら、日本のヒット曲レベルは飛躍的に進化してただろうな・・・とも思えるけど、実際83年当時のレベルでは、それもちょっと難しかった。

たしかに、実験的だったんだよね。82年までの何が何でもベストテン入り、一時期のジュリーの代名詞にもなっていた何が何でも「1等賞」を目指すんであれば、もっと保守的な曲でも良かったのかもしれない。

そこから一歩進みたいって言うジュリーの姿勢は、保守化が進んでいた当時のヒット曲界からみるとアッパレだったのかもしれなかったけど、ヒット曲と言うところから見ると、実際的には、それに足元をすくわれた・・というかね。

それらの83年のシングルから見ると、今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」は、シンプルだったなぁ。
ポップだしね。 簡単に言えば「分かりやすい」1曲。ポップという傾向としては、前年の「おまえにチェックイン」の方向に近い。

そんな1曲だったからさ、この曲では「ベストテン入り復帰」も可能なんじゃないかなぁ・・・

・・とは当時感じてましたね。

でも、実際的には、売り上げ的には、「背中まで45分」、「晴れのちBLUEBOY」と2曲連続で10万枚切れを起こしたのが、この曲では10万枚オーバーと上向き傾向も見られたんだけど、ベストテン入り復帰はしなかった訳で・・・。

売り上げが回復したのは前2曲よりも「分かりやすい」ってところが大きかったんだろうね。 やっぱり、ヒット曲の世界では「分かりやすい」って言うのは、大きな要素なんだな・・っていうのは、この傾向から分かったりしてね。

それでも、一度下降傾向が進むと、それを回復させるのは並大抵のパワーでは難しいんだな。

・・・そんな事を痛感した1曲ではありましたねぇ。 ワタシ個人でもそうだったけど、もしかしたら、それを一番痛感していたのはジュリー本人だったりしてね。。

いずれにしても、この後、ベストテン入りに返り咲くこと無く、いわいるヒット曲の世界からは下降線が進んでいくことになるわけですわ。



分かりやすいとは言っても、この曲も基本はニューウェーブ系ではあるんだよね。 
だから、本来ではあれば・・いや、前回の吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」で書いた内容であれば、個人的には、この曲も苦手であるはずなんだけど、でも、実際はこの曲は好きだったなぁ。

83年の10月っていうと、自分の頭の中では、かなりの割合でこの曲がヘビーローテーションだった覚えがあるしさ。だから、83年の10月っていうと、この曲から感じたカラーが浮かんでくるし・・・。

サウンド的にはニューウェーブ系だったけど、ポップで聴きやすいっていうのが、大きかったんだろうな。
その辺は、作曲が井上大輔氏っていうのも大きかったんだろうな。完全な洋楽志向ではなく、あくまで「和」のテイストを織り込んだ分かりやすいメロディと言うところがさ。



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VENUS〜迷い子の未来〜 / 吉川晃司

1994_01_VENUS_吉川晃司


今回の1曲セレクトは「VENUS〜迷い子の未来〜」吉川晃司です。

まずはデータでする。

・タイトル    VENUS〜迷い子の未来〜
・アーティスト   吉川晃司
・作詞      松井五郎 吉川晃司
・作曲      吉川晃司
・編曲      吉田健 吉川晃司
・リリース日   1993年12月13日
・発売元    東芝EMI
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  33.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1994年1月10日〜1月17日付

1月も3日ともなると正月気分も大分抜けてきますねぇ。
ワタシは明日まで休みだけど、明日から仕事始めって言う方もいらっしゃるだろうしなぁ。
こんな気分になるのは今に始まった事じゃ無く、かなり前からこんな気分になってたような気がするなぁ。
12月の年末と1月の月初めって、たかだか数日しか違わないのに、なんか大分イメージが変わるんだよね。
個人的な事だけど、12月年末って毎年、どこかワクワク感を感じるんだよな。あー、仕事も休みだぁ〜って言う開放感からなんだと思う。
逆に、年も明けると、たしかにフレッシュになるけど同時に「あー、また仕事かぁ」なんていう暗澹たる気分にもなる。 意外と年明けって複雑な気分なんだよね。

そんな気分に初めてなったのは、やっぱ大学卒業を間近に控えた、1994年の年明けだったような気がするなぁ。
「あー、後数カ月で社会人か」・・・と思うと、この場から逃げたい気分になっちゃったりね。 社会人になれるって事は希望に満ちてたって方もたくさんいらっしゃるんじゃないかとは思うけど、ワタシは嫌で嫌で堪んなかったんだよなぁ。

今回は、そんな暗澹たる気分だった、1994年の今頃の一つ。

吉川晃司「VENUS〜迷い子の未来〜」。

・・というかね、あの「重ーい気分」に支配されていた、1994年の今頃、自分の頭の中でヘビーローテーションで流れていたのが、この曲だったんだよなぁ。

時代的には広瀬香美の「ロマンスの神様」が大ヒットし、巷ではこの「ロマンスの神様」がヘビーローテーションで流れてたけど、個人的にはあんまり影響が無かったんだよな。

うん、気分的に浮かれたい気分ぢゃ無かったし。。。。 

それよりも大きく支配していたのはこの曲だった。 この曲、なんか重たいでしょ。 いや、実際的にはヘビーな曲ではないんだけど、曲調がね。
タイトルの「VENUS」っていうところからか、どこか荘厳なイメージなんだよね。なんていうのかなぁ、サイケデリックではないんだけど、ある意味ドラック的でもあり。いや、サイケのような原色の夢のような感じではない。
うーん、なんて言うのかなぁ、ウマい言葉が見つからないなあ。
そうだ、霊歌、ゴスペル風っていうのかなぁ。 どこかしらキリスト教的な匂いがするんだよね、この曲は。
特にバックのシンセのフレーズがさ。

サウンドがそんな感じだからさ、どこか讃美歌風っていうかね。響きが10ccの「I'm Not In Love」っぽいんだよな。シンセなんだけども、どこか人間のコーラスっぽく聴こえるような。

それが、なんか「観念して社会人になれ」・・・なんて暗黙のうちに言われているような感じがしてねぇ、 どうしても耳から離れなかったんだろうな、この曲。

いや、あれから24年も経つっていうのに、この曲を聴くと、いまだにあの時のような気分になんだよな。 もう24年も社会人やってるっちゅうのにさあ。 まあ、24年社会人やってるっっても、未だに「社会人 あーやだやだ」って言う気分は抜けきれないワタシは、根の部分はあの時と全く変わって無いって言うのもあるんでねぇ、未だにこの曲を聴くと、そんな気分にさせられるんだと思うけどさ。

ちなみに、長いキャリアを誇る吉川だけど、「ウレセン」と言う面では、この曲の前後辺りが一番CD売れてたんだよね。
ま、一番売り上げがあったのはデビュー曲の「モニカ」だけど、この曲の前の「KISSに撃たれて眠りたい」がそれに続く売り上げだったし、この「VENUS」は、その次に売り上げが高かった1曲なんだよね。

まあ、実感的には、それほどの大ヒットって言う感じではなかったんだけどさ。大ヒットって言う感じじゃなかったしね。 そうね、手ごたえて的にはスマッシュヒットって言うイメージでしたよね。この頃の吉川の一連の曲は。

それを裏付けるって言う訳ではないんだけど、ワタシのランキングでは、この曲はベストテン入りギリギリだったし、「KISSに撃たれて眠りたい」は最高11位でベストテン入りしなかったしな。
そこからして、大ヒットって言うイメージでは無かったんだよね。

まあ、それだけ全体的なCDの売り上げが好調だった訳であり、メガヒットの時代だったって事なんだけどさ。



あー、やっぱり、この曲聴くと、気分が重くなるよー。 明後日から仕事だって言うのに。。。



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DEAR ALGERNON / 氷室京介

1988_10_DEAR ALGERNON_氷室京介






今回の1曲セレクトは、「DEAR ALGERNON」氷室京介です。

 まずはデータです。

・タイトル    DEAR ALGERNON
・アーティスト  氷室京介
・作詞      氷室京介
・作曲      氷室京介
・編曲      吉田健 氷室京介
・リリース日   1988年10月7日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   13.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1988年10月24日〜10月31日付

 ここんところアイドル系の曲に傾いちゃっているんで、たまにゃ、ニューウェイヴ系でも持ってきますか

・・・っちゅうことで、今回は、氷室京介の「DEAR ALGERNON」を引っ張ってきたりしました。

 ・・・みゅ〜、至極、安易。。。ふらふらふらふら

 BOOWYの解散ライブを東京ドームで行ったのが、ドームが完成して間近の、この年1988年4月。 で、「ANGEL」でソロデビューしたのが、この年の7月。
 考えて見れば、東京ドームも今年で27年なんだな。あっという間の27年・・って気もするわなぁ。

 だけどさ、氷室がソロデビューした1988年当時って、あんまり、このヒトのことは好きじゃなかったんだよな。なんか、カッコよるぎるじゃん。
 たしかに、個人的に「一匹狼」的なヒトって好きなのよ。オトコの場合。
 例えば松田優作とかさ。いや、ワタシは、絶対、ああいうキャラにはなれないっていうのが、自分でも分かってるからさ。
 そういう意味では、氷室の場合もそうだと思う。

 ただ、同じ一匹狼的でも、松田優作のワイルドさっていうかねぇ、野性味があるところに憧れるんだよねぇ。

 氷室の場合、そうではなくて、後年リリースした「Urban Dance」って曲もあったように都会的なんだよね。

 そこがどうも、個人的には同調できないところがあってさ。。まあ、カッコよく言えばだけど。
だから、今回引っ張って来た、「DEAR ALGERNON」も、当時はほとんど聴いてなかったな。もちろん、知ってはいたけどさ。
 この曲が収録されていたアルバム「FLOWER for ALGERNON」のCMスポットで随分流れていたしな。

 でも、今は、変わったねぇ、意識が。 うん、ほとんど、なんの違和感もなく聴けるようになったよ、この曲を含めて、氷室の曲を。

 うーん、20年近くかかりましたな。 まあ、20年も月日が経てば、ワタシ的にもいろいろ意識もかわるしねぇ。
 あの時ダメだったものも、受け入れられるようにもなるものなのよ。

 現実、当時は、みすぼらしい浪人生活だったしな。そろそろ2度目の大学受験に向けて、プレッシャーもかかり始めてきていた時期で、このころは精神的にもきつかった。
 芯から音楽を聴いてられる状況でもなかったし。。だから、氷室のようなニューウェイヴ系は眩しかったんだよな。なんかさ、自分とは別世界のような感じがしてさ。

 ちなみに、この曲は、↑でちょろっと書いた、アルバム「FLOWER for ALGERNON」からのシングルカットなんだよね。
 今は、どっちかと言うと、アルバムをプロモートする手段として、「先行」という形でシングルをリリースする場合がおおいけど、この当時は、アルバムリリースしたあと、そのアルバムの中でも「特に」人気が出た曲を、後発で「アルバムカット」という形でシングルリリースされる場合が多かったわけよ。
 まあ、どちらとも、最終的にアルバムをプロモートするというところでは同じなんだけどさ。

 ま、だから、この曲もオリコンでは2位まで行きながら、シングルの売上げ的には、そうでもなかったのよ。

 大体さぁ、シングルのジャケ写からして、いけてない物〜

 ↓ コレよ・・・ふらふら
フォト 

これは明らかに、シングルは宣伝であり、アルバムメインって考えているって言わんかのような感じだよなぁ〜。

だから、今日のプロフ写真は、アルバムの「FLOWER for ALGERNON」を持ってきちゃいました。。。

 いや、明らかにこっちの方がかね掛けてるだろ・・・ってのが、よく分かったりして。。。ふらふら


 まあ、そういう意味では、この曲は、形の上では、アルバムからのシングルカットということになっているけど、実質は、戦略上、もともと決まってたシングルカットってことだね。




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