かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

吉元由美

ハーフムーン・セレナーデ / 河合奈保子

1986_12_ハーフムーンセレナーデ_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「ハーフムーン・セレナーデ」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ハーフムーン・セレナーデ
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      吉元由美
・作曲      河合奈保子
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1986年11月26日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   8.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

時代と折り合う。ヒット曲がヒット曲として、大きなムーヴメントとなるかならないかというところでは、重要なファクターなのよ。
不思議なもので、年が変われば、ヒット曲の色合いって毎年変わってくるんだよね。 
以前、別のトピックスで、時代とヒット曲の傾向は、螺旋階段のようにぐるぐる回っているって書いたことがある。 たしかにそうなんだけども、傾向的には似ていても、全く同じ色合いになるってことは絶対にないといっていいのよ。。必ずどこかしら違ってくるし。
まあ、それがヒット曲の進化というものなんだろうけどね。

今回引っ張ってきた曲。 いい曲なんですよ。 名バラードといっても過言ではない。

ただ、時代と折り合っていたかといえば、必ずしもそうじゃなかったんじゃないか・・と思う曲を一つ。

河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」。

この曲は、1986年11月、27枚目のシングルとしてリリースされた曲ですね。

もともとは、アルバム「スカーレット」のラストを飾っていた曲だけど、ここからシングルカットという形で、アルバムリリースから1か月後にシングルリリースされている。

当時23歳になっていた奈保子さん。 アイドルから大人のアーティストへの脱皮を図る。 
そのためには、歌詞の内容が深く、スケールな大きなバラードである、この曲は最適だったんだろうね。

アイドルから大人のアーティストの脱皮を図る。 長い事第一線のアイドルを張ってきた方たちには、必ず通る、「通過事例」なわけだけど、あの時、果たして本当に大人への脱皮は必要だったのか?

最近は、30になっても40になってもアイドルにこだわる方も少なく無いんで、今となってはそう思ってしまったりするんだけども。。。
まあ、それは、それぞれのヒトたちの考え方もあるだろうし、事務所の戦略もあるんだろうから、一概には言えないですけどね。

ただ、1986年当時、初めてこの曲を聴いたとき、個人的には何とも言えない複雑な気分になったのは、正直なところですね。


いい曲だったんですよ。 それは、喜ばしい事だったんだけども、この曲を河合奈保子さんが歌うっていう所に複雑な感情があったんだよね。

やっぱり、あの時点では、個人的な頭の中の河合奈保子さんは、「スマイルフォーミー」の頃のナハハ笑いの奈保子さんっていうイメージが強かったからさあ。

まあ、そんな「頭」だったんで、この曲がシングルとしてリリースされた時は、やっぱりショックだったんだですよ。

たしかに、同じ奈保子さんではある。けど、80年代初頭のあの奈保子さんではなくなっちゃったな・・と思えるとともに、少し存在が遠くなってしまったようにも思えたりしてさ。

まあ、それで曲が大ヒットともなったなら、諦めもついたんだろうけども、必ずしもそうとも言えなかったんでねぇ。

オリコン的に見れば、 オリコン最高位6位、売上げ8.4万枚というのは、前年秋にリリースされた「ラヴェンダーリップス」以来の好成績となる。

あの当時、CDの台頭でシングルが売れなくなってきていたことを考えれば、数字以上の健闘だったかもしれないな。

ただ、この曲以降、先が続かなかった。 楽曲の良さと、イメージチェンジということでの一時的なカンフル剤にはなったけど、持続的なものにはならなったってことですね。

紅白はこの年1986年の出場が最後となり、 「ザ・ベストテン」のベストテン内ランクインもこの曲が最後となる。(オリコンでは、翌年7月の「十六夜物語」の最高10位が最後)


結局さ、そこが時代との折り合いなんだろうな。
80年代って「軽薄短小」な時代と言われている。  まあ、本来は電化製品が軽くて薄く、短くて小さいものに「進化」していくってことに使われるコトバなんだけどさ。
ただ、これとは別に「
薄っぺらくて中身が無い」という表現にも使われていたわけよ。

実際、80年代ってそういう時代だったんだよね。 今振り返えると、あんまり中身が無い文化も多かったな・・・とも思ったりもするのね。

そのピークが1986年前後だったんじゃないかなぁ・・と。

そもそもおニャン子勢にオリコンチャートを占拠され、アイドルの粗製乱造が本格化し、歌が上手い、「ホンモノ」のアーティストよりも、シロートの方が受けた1986年。
あの年からして、「軽薄短小」にぴったりな年だったわけじゃん。

そこに来て、この「ハーフムーン・セレナーデ 」は、スケールの大きな本格的なバラードだったわけだから。 どうしても時代のカラーとは違うなぁ・・と思えたんだよね。

これが1年早かったり、逆に1年遅かったら、少し感じ方が違っていたかもしれない。
1年前1985年の秋から冬にかけては、小林明子の「恋におちて」の大ヒットでピアノの弾き語りというのも注目されていたし。 逆に1年後の1987年の秋から冬にかけて、中森明菜の「難破船」という名バラードの大ヒットもあり、スケールの大きなバラードに注目が集まってきていたところもある。

87年8月に、おニャン子の解散ということもあり、87年秋ごろになると、86年当時の「軽薄短小」なバカ騒ぎも大分沈静化して、徐々に「聴かせる」ような本格的エンターティメントな曲が受け始めて来てましたからね。

ピアノの弾き語りでのスケールの大きなバラード。

いずれも、この「ハーフムーン・セレナーデ」が持っていた要素ですわ。 そこから見ると、、タイミング的には、一番リリースしてはいけない時期に、この曲はリリースされてしまったんじゃないかと思えて仕方ないんだよね。




↑で、いろいろ書いちゃったけど、、今、改めて曲を聴いてて、どうして、この曲の後、ヒットが続かなかったのか・・・。
結局さ、この曲でイメージチェンジを図ったあとの明確な方向性が定まり切れてなかったんじゃないか・・なんて思えたり。。。

基本的には、自作自演のアーティスト方向に舵を切ったんだろうけど、この後、ヒットを続けて行くだけのキャパが、まだまだ足りてなかったのかもな。

個人的には、自分で曲を作りながらも、他のアーティストからの楽曲提供を受けながら、もっといろいろなことを吸収していった方が良かったんじゃないかと思ったりもするんだよね。

もっとも、この後ヒットチャート的なヒットは、もうご自身では望んでいなかったのかもしれないですが。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

ヴァージン・アイズ / 中山美穂

  1989_07_ヴァージン・アイズ_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「ヴァージン・アイズ」中山美穂です。

まずはデータどぇっす

・タイトル     ヴァージン・アイズ
・アーティスト   中山美穂
・作詞       吉元由美
・作曲       杏里
・編曲       小倉泰治
・リリース日    1989年7月12日
・発売元      キング
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  25.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1989年7月24日〜8月7日、8月28日〜9月18日付
・タイアップ:映画「どっちにするの」主題歌


暑いっす  この暑さで家の生け垣がズコい事になってまして・・・。まあボウボウの伸び放題ですわ。あまりにもひどいんで、周りの家に迷惑がかかんないほど刈りこんだんだけど・・・。
この暑さでしょ・・・、まあ、大変ですよ。ちょっと動くと汗が「ドクドク」出て来て。。ハイ、「ダラダラ」と言う範疇を超えます。。 とりあえず1時間半ほどやって、ギブアップ。。。。 

1時間半ぐらいじゃ、庭の外周全部は無理。。。 やっぱし、庭木の剪定屋に頼むしかないかなぁ・・・。結構「」がかかりそうなんですけど。。。

・・・ということで、少し脱水気味の頭で、1曲セレクトを・・・。

今回も、前回に引き続き、予め「書こう」と思ってた曲を決めてたんだよね。 その曲を素直に引っ張って来ましたわ。


中山美穂「ヴァージン・アイズ」

ミポリンの曲は、もう大体書いた・・と思ってたんだけど、この曲、まだ書いてなかったんだよな。 
この曲好きだったんだけとなぁ、ヒット当時も。・・・・・完全に見落としていたか。

いやいや、89年「夏」の曲って全体に好きだったんだよね。曲調的に好みの曲が多かったんかなぁ。
この年のヒット曲って、「メジャー」系な明るい曲が多いんだよね。ポップだし。 聴いててウキウキしてきそうな。

イメージ的に夜に向かってというよりも、真夏の太陽の下で・・っていうようなアクティブ感を感じる曲が多かったのよ。
まあ、今から考えると、「バブル」絶頂期の1989年でしたからねぇ。ホントみんな浮かれてたんだよねぇ・・・っていうのが、ヒット曲の曲想からも覗えたりするのよね。 

このヴァージン・アイズもそうだったんだよ。めっちゃポップでストレートなアッパーチューンだし。 アクティブ感満載だったもんな。

なにより分かりやすかった。 サビのメロディラインと、Interludeのバックコーラスメロディの引っかかり。。これが分かりやすいしキャッチー。

ここが良かったんだよ、この曲は。

ミポリンの曲って、88年くらいから、ちょっと分かりづらくなってきてたからなぁ。20歳を目前にして、少し大人っぽさを演出してたところもあってさ。 それはそれで間違いではなかったと思う。

でも、個人的にはどこかふっきれない部分もあったんだよ。 もうちょっと年相応の等身大のミポリンでいいのになぁ・・・って思う部分かなぁ。

例えば、同学年だった浅香唯さんは、88年〜89年にかけての件の大ヒット曲群にしたって、もうちょっと年相応だったじゃん、曲調が。 

そんな年相応・・というか、肩の力を抜いたような曲でいいのになぁ・・なんて、この曲までの数曲には感じてのよ。

そこに来て、この「ヴァージン・アイズ」だったからさ、もろ手を上げて気に入っちゃったんだよなぁ。 今でも89年の夏というと、この曲が浮かんでくる。

ただ、ちょっとヒット時期を誤って覚えてたんだよな、個人的に。この曲、89年夏でも、夏の終わりっていうイメージだったんだよ。

ま、意外とロングヒットだったんで、実際、8月の終わりから9月の頭までベストテン入りしてたんで、夏の終わりのヒットではあったんだよね。

ただ、リリースが7月だったとは・・・。これは、完全に忘れてたね。 ヒット時期のイメージから、完全に8月リリースだとばっかり思ってたんだよなぁ。

そんなヒット時期に対して感覚のズレから今まで書き忘れてたってのはあるかもしれない。


それとさ、この曲のチャートアクションだよね。 
オリコンでは、最高2位までいってるけど、そこまでランクが上がったって言う感覚も無いんだよなぁ。
・・・っていうのも、ベストテンでは、最高位6位。 ワタシのチャートでも最高7位までしか行かなかったからさ。それほど上位まで上がってたって言う感覚が無いんだよね。

ベストテン上位まで行かなかった代わりに、10位、9位、8位あたり、ベストテンギリギリあたりに大分長い間ウロウロしてたよなぁ・・・って言う感覚が強い。

だからさ、この曲は88年の「人魚姫」や「Witches」ほどの大ヒットって言うハデさはないけど、ジミながらロングヒットした曲っていうイメージが強いんだよね、ワタシの中では。


 

久々に「ベストテン」のVTR。 
これ「10位」の時のだけど、そそそ、こんなイメージだったんだよ、この曲は。 だから、オリコンで最高2位・・って言うのを見ると、逆に不思議な感覚になっちゃうんだよな、



よろしかったら、ポチッ通してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

華麗なる賭け / 田原俊彦

1985_09_華麗なる賭け_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「華麗なる賭け」田原俊彦です。

まずはデータです。

・タイトル    華麗なる賭け
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      吉元由美
・作曲      久保田利伸
・編曲      新田一郎
・リリース日   1985年8月14日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  12.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1985年8月26日〜9月2日付

1曲セレクトもここ暫くヒット曲という点では、メインストリームからちょっと外れた曲が続いたんで、ここいらで本来のメインストリーム的な曲を持って来ましょうかねぇ。 まあ週末と言う事もあるしね。

田原俊彦「華麗なる賭け」なんてとうだ

でも、うーーむ、ヒット曲のメインストリーム・・・なんて書いちゃったけど、これまた、ちょこっと「ビミョウ」なラインかなぁ。

一応、トシちゃんの曲ではあるけど、売り上げ的には下降線を辿っていた、85年の曲だからね。

それでも、この曲、オリコンでは1位取ってるんだよね。
まっち先生とは対照的に、オリコンではなかなか1位を獲れなかったトシちゅんではあるけども、この曲では、前年8月の「顔に書いた恋愛小説」以来、ちょうど1年ぶりでの1位獲得・・・・とチャートアクション的には良かったんだけどな。
 でも、ベスト100には僅か7週しかランクイン出来なかった・・・と、それまでのトシちゃんの曲としては同年2月の「銀河の神話」とワーストタイの「短命」ヒットに終わってしまった曲だからなぁ。

まあ、だからね、トシちゃんの曲とは言えど、あれから31年経った今じゃ、完全に知ってる人しか知らないよね・・・的な曲であっても不思議はないんだけどね。


ぢゃ曲的にツマンなかったのか・・・といえば、ま、個人的にではあるけども、この曲結構好きだったんだよな。
それまでの数作、ミディアムテンポな曲が続いたおかげか、それまでのトシの曲から比べれば、インパクトが救いない曲が続いたんだけどさ。そそそ、今一つ焦点が定まらない、シングルっぽくは無い曲が続いたんだけどさ。

この曲は、久しぶりに緊張感があるアップテンポだったし、曲の焦点も定まった・・というか、引きしまった感じの曲だったじゃん。
あ、久々にシングルっぽい曲が来たな・・・・なんて、嬉しかったんだけよね。 おそらく85年の勝負曲はこれだ・・・って感じ取れたとさ。 だから、これは売れてくるんだろうな・・・なんて予感があった。

BUT、フタを開けてみれば、ここまでのシングルの中でワーストの売り上げに留まっちゃったからなぁ。

デビューから丁度5年が経過し、さしものトシちゃん人気にも完全に陰りが見えてきたんだろうな・・・っていう所は拭えなかったよなぁ、この動きから見てさ。

まあ、丁度、この曲とは別に、トシ&ナオコの「夏ざかりほの字組」って曲が並行してヒットしてたって事もあるんだろうけどね、この曲の場合。
うん、「夏ざかりほの字組」は、売り上げ20万枚を超えてましたからね。そっちに「獲られ」ちゃったんだろうな。


ちなみに、この「華麗なる賭け」の作曲者は久保田利伸氏。 うんシンガーとしては、まだブレイクする前ですね。
個人的にも、この曲で久保田氏の名前を知ったのかな。
 久保田氏といえば、そのご「FUNKY」というキーワードで80年代終盤、大ブレイクしたアーティストだけど、この曲については、その後の「FUNKY」さっていうところは感じなかったんだよな。

いかにもそれまでの既存のポップス的な流れの曲だったしさ。どちらかと言えば、アレンジャーの新田一郎氏の色合いが強かったんだよな。イントロを初め、ブラスが比較的前面に出てきてたりするし。

久保田氏本来の「FUNKY」な一面がクローズアップされたのは、この曲に続いて次の「It's BAD」からだろうな、やっぱ。この曲・・・と言うよりも、「It's BAD」をきっかけにブレイクして言った感が強いからねぇ。



動画・・・リンクしたい動画が、You Tube以外からだと弾かれちゃうんで、You Tubeへ直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=WhgFoZ0y6nI


個人的には、この曲の派手めな間奏が好きなんだよね。 いかにも「華麗なる」って感じでさ。
まあ、根っこの所は1985年・・・というよりも、もっと古い60年代〜70年代のエンターテインメント華やかかりし時代の雰囲気なんだけどさ。。。
 でも、個人的には、この曲の間奏部分を聴くと、1985年の今頃が一瞬にしてフラッシュバックされるんだよな。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

TRUE LOVE / 浅香唯

1989_02_TRUE LOVE_浅香唯








今回の1曲セレクトは、「TRUE LOVE / 浅香唯」です。

まずはデータです。

・タイトル    TRUE LOVE
・アーティスト  浅香唯
・作詞      吉元由美
・作曲      井上ヨシマサ
・編曲      井上鑑
・リリース日   1989年1月25日
・発売元     ハミングバード
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  17.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1989年2月6日〜2月27日付
・タイアップ:映画「YAWARA!」挿入曲。

一昨日は「復活」と書きながら、昨日はまたまたダウンで1日飛ばし。 風邪は治りかけが肝要なんていうけど、まさにそんな感じなんですよね。
でも、今日は昨日に比べると大分咳もおさまり、楽になったんで、1曲セレクトを書きまする。

 気がつけば、大学受験シーズンも本格的になって来ましたな。
現在、ワタクシの勤め先は神田神保町でして、JR水道橋からは歩いて会社まで行ってるんでね、毎年このシーズンになると受験生諸君でいっぱいですよ。なんせ、日大、専修大、東京歯科大・・・と大学がいっぱいあるんでねぇ、水道橋周辺は。

 かくゆうワタクシも、受験生の頃は、日大の某学部を受けてたんだよね。20数年前の今頃、ワタクシもあの受験生諸君の中の一人だった訳ですわ。
 まあ、ワタクシは、他のヒト達の数倍受験生をやってたんだけどね。 その「一浪目」の今頃、ヒットしてたのが、今回セレクトしてきた曲だったりして。。。。

 浅香唯 「TRUE LOVE」

前年の88年、本格的な大ブレイクですっかり「A級」アイドルに成りあがった感が強かった浅香唯さんですが、どうも、それは「88年の魔法」だったんでしょうかねぇ、年が明けた89年、第1弾のこの曲から、前年の人気がウソのよう・・・って感じで、人気に陰りが見えたんだよね。

まあ、一番の原因は、この曲なんだろうな。 ハッキリ言って、よく分かんないんですよ、この曲。
曲の焦点が今一つハッキリしていなかったし、その分イメージがばらついてるし。 一体何が言いたいんだろう・・・っていうモヤモヤ感だけが残るっていうかね。

考えてみれば、88年は、1月の「Believe Again」に始まり、「C-Girl」、「セシル」、「Melody」と一貫してメジャーキーの明るい曲で通したんだよね。
 でも、それがいい方向に進んだ訳で。。。 うん、このヒトの声質は、湿性的でそれほど明るさを持ってないんだよね。所々ヒステリックにも聴こえたりするしさ。
 なので、メジャー系の曲で、明るさを保たせることで、アイドルとしてのバランスが取れてる・・・って感じなんだよね。

 そこに来て、この曲では「マイナー」系に行っちゃったもんだから、どうにもバランスが悪い様な曲に感じちゃう訳なんだよね。

ま、今聴くと、当時、聴いてた感触よりは、また変わってきたような気もするけど、当時は、どうにもこの曲が気分悪くてねぇ、あんまり聴かなかった・・・ってのがホンネかな。


プラスして、この曲は、あのマンガ「YAWARA!」の実写版映画の挿入曲でもあったんだよね。
もちろん、浅香さんが、主演の「YAWARA」ちゃん役だったんだけどさ。
 どうもイメージがねぇ・・・違うんだよねぇ。。。 まあ、確かに「年齢的」にはマンガと一致してるんだけどさ。
 単行本によると昭和49年で5才とあるから、YAWARAちゃんは昭和44年生まれ(?)。 浅香唯さんも昭和44年生まれ。
 ついでにもこれを書いてるワタシも昭和44年生まれ・・・(んなことはどうでもいい。。。。)
一致してるのは、それだけ・・・って感じなんだよね。

で、もって、テレビでは、YAWARAにかこつけて、柔道シーンが、この曲のバックに流れたりして、もうね、まるで「なにこれ?」な世界だったんだよねぇ。

どうも、そんなイメージがこの曲には、纏わりついてるんだよなぁ、未だに。。。。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村
記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん