かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

八神純子

大村雅朗25th Memorial Super Live 1日目(9/23)


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偶然の出会いがあるとしたら、今回のライブ参戦も偶然の出会いなんだろうなぁ。

最近、radikoプレミアムで、全国各地ラジオ局のランキング番組を聴いてるんだけどね。
土曜日は、KBC(九州朝日放送)の「サタデーカウントダウン」(通称、サタカン)を聴いてるのね。

で、7月のある土曜日、いつもようにサタカンを聴きながら、持ち帰りの仕事をしていたら、
今年は大村雅朗氏没後25周年で、メモリアルライブを福岡で開催するとの告知CMが耳に飛び込んできまして。。。

すぐさまネットで調べたら

↓ この告知サイトが・・・。




ライブ開催はともかくとして、大村雅朗氏にまつわる出演者が豪華

9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝

その上 バックバンドも豪華

山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)

さらにトークゲストも至極豪華

松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

会場は、キャナルシティホール   

調べてみたら、キャパが1150人程度と必ずしも大きなホールではない。

これは、すぐにチケット売りきれてしまうかもしれん。参戦するかどうか、考えている余裕なし・・・・と判断して、2日通しで2万5千円也・・と、安くなかったけどその場でチケット購入を即決してしまったワタシ。。。。

程なくして、指定された席は  1階 B列24番

ぬおー、なんと、前から2列目ではないか〜 。。。 ライブ参戦を始めて以来、こんな前の席が当たったのは初めてだわ。。。。これは参戦するしかないっ・・・・。

・・・と、9/23(金) 千葉からはるばるやってきましたよ福岡。

福岡は何年ぶりだろ? 1999年の夏、夏休みで出雲から山陰線経由で福岡まできたのは覚えているが・・・・。もしかすると、それ以来23年ぶりかもしれん。

あの時からも、すっかり変貌した博多駅前にちょっと戸惑う。。。
駅前のホテルにチェックインし、すぐさま、会場のキャナルシティ劇場へ

博多駅から、徒歩10分程度ということだったけども、案の定、道に迷う。。。。 
23年前には、たしか、まだキャナルシティは無かったはず。。。。
やっとのことで到着してみると、キャナルシティのビルの複雑なこと。。。よくまあ、こだに複雑な建物を建てたものよのう・・・と思いながら、何とかキャナルシティ劇場に到着。

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久しぶりの福岡、おまけに初めての「ハコ」なので、道に迷うことを想定して、早めに動いて正解だったわ。


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早速、指定された 1階B列24番の席に着く。

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うわっ、ステージ近っ
1階2列目という事で、想定はしていたけども、予想以上にステージが近い。 下手したら、アーティストの唾が飛んできそうなくらい。。。

キャナルシティ劇場。 ↑でも書いたように、当然ながら初めての「ハコ」。 
1階 2階合わせて、1150席のキャパということで見た目、必ずしも大きくはない。 
ここんところ、5000人収容の東京国際フォーラムホールAなどの大ホールに慣れていただけに余計かもしれないけども、地方都市の市民会館の大ホールよりも規模は小さめ。渋谷のO-EASTなど中規模のライブハウスくらいの大きさと言ったら分かりやすいだろうかね。

まあ、もともと劇団四季公演用のホールとして作られただけあって、この程度の規模のキャパになったんだろう。

ただ、規模がそれほど大きくないだけに臨場感は感じられるだろうと思う。
入口の看板にあるように「福岡屈指のエンターテイナーシアター」というのも自信の表れだろうね。

実際、開演まで会場に流れていた、大村雅朗氏が手掛けた曲々の音質も、素晴らしいものだった。
これは期待できそう。

定刻の18時丁度。開演。

ゲストDJの砂原"まりん"良徳氏によるオープニング、
大村雅朗アレンジ曲メドレー からステージがスタート。

メドレー使用曲
No No サーキュレーション(吉川晃司)
晴れのちBLUE BOY(沢田研二)
その気×××(大沢誉志幸)
SOMEDAY(佐野元春)
そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸)

記憶している曲としては、この辺りではあるけど・・・・
キチンと記録していたわけではないので、もしかすると違っていたかもしれない。。。
(その場合は、申し訳ありません。。。)

うーむ、こうしてみると、「渡辺プロ系」な曲による硬派な曲メドレーだったな。。。。

いずれにしても、太くかつクリアな音質のサウンドが、会場いっぱいに響く。

うわぁ〜、これだけでも楽しめるわ・・・と感じたところで、今回ライブの司会役の
佐橋佳幸氏、亀田誠治氏が それぞれステージ 上手、下手から登場。
まあ、ミュージシャンでいて、もともと弁が立つお二人、司会役としては適役だった思う。
楽器持つまえにマイク持ったのは初めて・・・とか、そもそも上手、下手からの登場は、漫才師みたいやな・・・といった「マクラ」で会場を沸かせたところで、八神純子さん登場!

佐橋佳幸氏、亀田誠治氏と、大村氏の思い出話でひと時盛り上がり

・みずいろの雨
・ポーラースター
・Mr.ブルー〜私の地球〜

と、八神純子さんの楽曲の中でも大村雅朗氏アレンジの代表的な3曲を立て続けに披露。
八神さんのボーカルは、40数年前のヒット当時とまったく変わらない。

加えて、今回のライブは、大村雅朗氏のアレンジを忠実に再現するというコンセプトに加え、なにせ、超一流のバックバンドということもあって、レコードアレンジと、ほとんど遜色がないサウンド。

一気にヒット当時の空気に引きずり込まれ、あのころの映像が脳内フラッシュバックする。

「みずいろの雨」をベストテンで初めて聴いて、ヒット曲にのめりこんだことは勿論の事が一気にフラッシュバック。
それと、八神さんの代名詞となったねサンバホイッスルですね。
以前、1曲セレクトでも書いたけど、ワタシ、あのサンバホイッスルが好きでね。わざわざヤマハに行って、同じサンバホイッスル買ってもらったことあるもの。

リハーサルでは、サンバホイッスル無かったらしいんだけども、本番ではやってくれたこと。

次の「ポーラースター」には涙してしまったわ。

1979年夏 この曲がベストテン入りの兆しを見せていた8月。はじめて博多に来た。
折からのブルートレインブーム。ワタシもどうしてもブルートレインに乗りたくてね。
兎に角、チケットは連日満席の上に折からの夏休みということでチケットが取れなくてさ。親に無理言って、やっとのことでキャンセル待ちの切符を取ってもらって乗った「あさかぜ」。
あれで、はるばる博多までやってきたんだった。 

「ポーラースター」と「博多」となると、否が応でも、あの時のブルートレイン車内とか、博多の中州のネオンサインの光景がフラッシュバックしてくる。

43年の時を超えて、いま、また博多に居る自分を思うと、なんか涙が出てきちゃったりしてね。。。


そして、「
Mr.ブルー〜私の地球〜」。これは、「ポーラースター」の次の年、1980年夏、NHKで放送された「パノラマ太陽系」の主題歌だった曲。

「ポーラースター」もそうだけども、丁度、個人的に「宇宙」に興味を持っていた時期で、だから、どちらの曲も、本当に好きだったんだよね。

どちらの曲も、壮大なアレンジが、それこそ、広大で深い宇宙を彷彿させていたし。

そういう意味では、大村雅朗氏の最初の音楽性を認識した曲だったかもしれない。

・・・ということで、印象に深い2曲だったしね。

ただ、八神純子さんは、この3曲が感動的で、おなかがいっぱいなっちゃってさ、ワタシ。。。。
この他、2曲披露してくれたんだけども、その記憶が飛んじゃってるんだよね。。。

記憶にあるのは、ラストの「DAWN」で最後にいつまでも天を仰いている八神さんの姿。
恰も、天国の大村さんに向かっているような表情が印象的だったな。

※実際はもう1曲は「明日に向かって行け」
(1979年 2ndアルバム「素顔の私」より) だったようです。


続いて、ばんばひろふみさん 登場。
短いMCのあと ソロとしてのばんばさんの 初めての大ヒット曲でもあり代表曲でもある「SACHIKO」。
この曲も生で、しかも目の前で聴ける日が来るとはね。

やはり43年前、「ベストテン」の画面越しで聴いてた身としては、感慨ひとしおですわ。

この曲、レコーディング当日には、まだアレンジができていなかったとか。
御馴染みの、あのイントロは、レコーディング当日、ピアノのハネケン(羽田健太郎)氏がその場で作ったそうだ。 いやいや、実際に聴いてみないと、まだまた知らなかった事実があるもんですね。

ただし声がねぇ・・・・。出なくなってましたね。 ほとんど歌唱らしい歌唱になっていなかったのは残念。

ばんばさんは、もう1曲。「SACHIKO」の大ヒットで、ロスでのアルバム制作が出来たという話から、そのロス録音、大村雅朗氏プロデュース、1980年リリースアルバム「COAST」から「TENDERNESS」という曲を披露。

つづいては、ゲストコーナーとして
中川翔子さん登場。
松田聖子さんのナンバーを披露。

・天使のウインク
・ハートのイアリング

中川さんのアイドルオタクぶりは、承知の上だったし、だから、恐らく聖子さんのカバー演るんだろうなとは予想が付いていたけど、その通りでしたね。

あとは、どの曲をやるのか・・という所だったけど、シングルではあるけども、意外と「シブい」ところからの選曲だったなという印象。
もっと「代表曲」的な大ヒットナンバーをやるものとも思っていたし。。。
まあ、聖子さんナンバーを歌っている中川さんはテレビでも見たことがあるし、だから、全く違和感なく聴けましたね。

「ハートのイアリング」の後は、 松本隆氏を交えてのトーク。

もちろん、松本隆 大村雅朗といえば、数々の聖子さんの曲が中心になるわけだから、聖子さんの話が中心。
大村さんが亡くなった後の「櫻の園」の話題にもなった。

「櫻の園」は、もともと別の歌詞が付いていて、他の人のために作った曲だったこと。 その曲がボツ
になってしまったため、お蔵入りになっていた事。
ただメロディラインは良かったので、どうにかメロディは生かしたいと寝かせておいたところに、松田聖子さんの「永遠の少女」の企画が持ち上がって、新たに書いた歌詞が「櫻の園」になった事etc etc。。。

確か一昨年に放送された「風の譜」〜福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗〜によれば、「櫻の園」は別の人のために作った曲がお蔵入りになってしまい、その曲を寝かせておいたということは語られていたけど、、「別の詞」が付いていたというのは、今回、新たに語られた事実ではないのかな? 
松本隆氏本人から出た話なので事実だと思うんだけども、松本氏曰く、もともと付いていた歌詞はツマらないものだったらしい。

ただ、その他は「大村雅朗の奇跡」(DU BOOKS)や、「風の譜」で語られた内容と被る話題が大半で、あまりここだけのサプライズ的な話題がなかったのは残念。

もっとも、書籍やテレビの画面越しではなく、直に松本隆氏の話をこれらの話を語られたこと自体が新鮮だし、現実味を感じましたが。。。。


そして、中川さんの歌唱でもう1曲、聖子さんのカバー。

「セイシェルの夕陽」

この曲は、「
風の譜」では中島愛さんがカバーされた曲ですが、今回出演したミュージシャンたちからも、この曲が聖子さんの曲の中では一番好きという声が多かったようだ。
むろん、作詞した松本隆氏も同意見。

ただ、トークでも話題になった「櫻の園」や、これは絶対にやるだろうとおもっていた「SWEET MEMORIES」をやらなかったのは、意外だったな。
(これらの曲は、次の日槇原敬之氏がカバー)


そして、1日目のトリ、渡辺美里さん登場。
1曲目が「BELIEVE」だったのは、ちょっと意外だったが・・・。

「BELIEVE」の歌唱の後、司会の
佐橋佳幸、亀田誠治を交えての、大村雅朗氏の思い出話。
美里さんとしては、やはり、「My Revolution」での大村雅朗氏との出会いは強烈だったようだ。どうしても、この曲の制作秘話になりますね。

・君はクロール
・Lovin' you
・Rain (大江千里カバー)
・My Revolution

と立てつづけに4曲。

兎も角、八神さんに負けず劣らず、圧巻の歌唱力を見せてくれましたわ。 さすがに現役バリバリのシンガーという所ですね。

アルバム「Lovin' you」からの選曲が多かったのは、大村雅朗氏がサウンドプロデュースしたアルバムということが大きいんだろうけども、このアルバムには、今回のバックバンドメンバーである、ドラム 
山木秀夫氏、ギター 今剛氏、佐橋佳幸氏もスタジオーミュージシャンとして参加していたというのもあるんだろうな。

大江千里氏の「Rain」を演ったのは、美里さん自身のお気に入りだったということもあるだろうけど、この日出演しなかった、やはり大村氏が手掛けたアーティストでもある、大江千里さんへの配慮もあったのかなぁ・・・。

蛇足だけども、個人的には「Teenage Walk」なんかもやって欲しかったなぁ・・なんて思ったりしてね。。。


・・・以上で、ライブ1日目は終了。
トークを含め2時間半のライブは、あっという間でしたね。

兎に角、手を伸ばせば届きそうな位置から見る、各アーティストの歌唱とトークは、もちろんの事、バックバンドの演奏力のすばらしさを十分に堪能できた、1日目でしたわ。

さて、2日目のライブも楽しみですな。。。 (続く)



●大村雅朗25th Memorial Super Live 1日目(9/23) (不完全)セットリスト

・オープニング
▼砂原"まりん"
良徳DJ
大村雅朗アレンジ曲mash up(メドレー)
1. No No サーキュレーション(吉川晃司  1984年 2ndアルバム「LA VIE EN ROSE」より )
2. 晴れのちBLUE BOY(沢田研二 1983年 39thシングル)
3. その気×××(大沢誉志幸  1984年 4thシングル 資生堂夏のキャンペーンソング )
4. SOMEDAY(佐野元春 1981年 4thシングル )
5. そして僕は途方に暮れる(大沢誉志幸  1984年 5thシングル  日清カップヌードルCM曲)

▼八神純子
6.
明日に向かって行け(1979年 2ndアルバム「素顔の私」より)
7. みずいろの雨 (1978年 5thシングル)
8. ポーラー・スター (1979年 7thシングル)
9. Mr.ブルー〜私の地球〜 (1980年 10thシングル NHK「パノラマ太陽系」主題歌)
10. DAWN (1979年 2ndアルバム「素顔の私」より)

▼ばんばひろふみ
11. SACHIKO (1979年 4thシングル)
12. Tenderness (1980年 3rdアルバム「COAST」より)

▼中川翔子
13. 天使のウインク (松田聖子カバー 1985年 20thシングル)
14. ハートのイアリング (
松田聖子カバー 1984年 19thシングル)
15. セイシェルの夕陽 (
松田聖子カバー 1983年 7thアルバム「ユートピア」より)

▼渡辺美里
16. BELIEVE (1986年 7thシングル)
17.
君はクロール (1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)
18. Lovin' you (1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)
19. Rain (大江千里カバー 1988年 7thアルバム「1234」より)
20. My Revolution (1986年 4thシングル TBS系ドラマ「セーラー服通り」主題歌)



ポーラー・スター / 八神純子


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今回の1曲セレクトは、八神純子の「ポーラー・スター」です。 

まずは、データから 

・タイトル     ポーラー・スター 
・アーティスト   八神純子
・作詞       八神純子 三浦徳子
・作曲       八神純子
・編曲       大村雅朗 
・リリース日  1979年7月25日 
・発売元     ディスコメイト 
・オリコン最高位 8位 
・売上げ枚数   24.5万枚 
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテン ランクイン期間:1979年8月30日〜10月18日放送分


9月に福岡のキャナル・シティホールで開催される、「大村雅朗 25th Memorial Super Live」




出演アーティスト 9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝
バックバンド 山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)
トークゲスト 松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

3連休だし、キャナルシティのキャパ数と、この出演者の面々を考えると、多分チケット取れないだろうな・・・と思っていたけど、思いがけなくチケットが獲れた。
うあ、思いがけない誤算。。・・・ということで、今、急ぎホテルを予約したり準備を始めていたりします。   
コロナの影響が出なければいいですけどね。。

個人的に楽しみなのは、やっぱり八神純子さんですかね〜。 ワシ、八神純子さん大好きなんだぁ。
あ、「大好きだった」って言ったほうがいいかな。。。 


そもそも、私が「この道」(ヒット曲道)に嵌ったきっかけは、「ザ・ベストテン」を見てしまったから・・というのは間違いないんだけども、中でも八神純子さんの「みずいろの雨」は、衝撃的だったよね。

当時、ベストテンのスタッフでも八神さんファンが多かったようで、八神さんが出演した時のセットの力の入れようが違ってたでしょ。そんな効果も曲を盛り上げていたし。

個人的には、ちょっと嵌り過ぎてさ。 当時、八神さんって、サンバホイッスルがトレードマークだったぢゃないですか。 私、当時、わざわざ地元のYAMAHAまで行って、同じもん買ってもらいましたもんね。わがまま言ってさ。 

大村氏がアレンジを手掛けた「みずいろの雨」は、有名すぎるくらい有名だし、今度のコンサートでは、当然やるだろうけど、他にも大村氏が手掛けた、初期の八神さんのヒット曲、やってくれないかなぁ・・・と期待しているところなんだけどね。


今回は、そんな「大村雅朗 25th Memorial Super Live」でもやって欲しいなぁ・・と思っている曲を一つ。

「ポーラー・スター」

・・・と書いて、ここのブログを深く見てくださっている方は、お気づきかと思うんだけども、
じつは、この曲過去に一度書いてるんだよね。

2005年にmixiで「1曲セレクト」を始めて、2曲目に書いたのが、この曲だったりして。。。
まあ、2曲目に書いた曲なんでブログの「最奥」に沈んでいて、よほど気を付いて見ていただかないと気が付かなかったと思うんだけども。。。

当初は、単純に自分が好きな曲を引っ張って来てたわけで、だから、それくらいこの曲、個人的には好きなんだよなぁ。

ただ、最初に書いてから17年経って、ちょっと書き直したいところも出てきたんで、今回、改めて、少し手を加えつつ、再編集という形で、引っ張っぱり出してきました。。

なお、当初2005年に書いた記事は、紛らわしいんで、これを機に削除してしまいましたので、もし、リンクしてた方がいたら(ってか、そんな方いるんかなぁ。。。。)、こちらに変更していただければと思います。


ワタシねぇ、「みずいろの雨」は別格として、初期の八神さんの曲の中では、この曲が一番好きなんだよね。

この曲こそ、八神純子ならではの特徴を、一番引き出した曲だよね、と個人的には思ってるからなんだけど。

 八神純子さんならではの特徴・・・やっぱり高音域とファルセットの伸びですよね。 

この曲、一番高い音はハイトーン。実音の2オクターブ上ですよ。ここまで出す人、女の人ではなかなかいないですもんね。 
 それと、曲のイメージですね。ポーラースター、ま、日本語で「北極星」ですわね。イメージは星空、宇宙なわけです。 そのイメージに曲が負けていないんですよね。 

いや、ほんとに自分も星空の下にいる気になってくる・・。絵が浮かんでくるんですよね。 

アレンジの大村雅朗氏の見事な仕事の賜物だと思います。 
コノ後、松田聖子など、トップアーティストのアレンジを手がけることになる、大村氏の初期の傑作といっても過言ぢゃないよね。

そもそも「ポーラー・スター」 っていう「題材」からして、イマいかったんだよね。

コノ年1979年って、宇宙、銀河がトレンドだったんですよ。同時期、アニメ「銀河鉄道999」が大ヒット。
もちろん、劇場映画版のテーマとなった、ゴダイゴの「銀河鉄道999」も、この曲と全く同時期に大ヒットしてたもんね。

また、秋には惑星探査機「ボイジャー」が木星に大接近と、いろいろな「宇宙ショー」が繰り広げられていましたよね。 

この宇宙ブームは、次の年1980年も続きまして、この「ポーラースター」が認められたのか、80年夏(ちょうど42年前の今頃ですね)のNHK特集「パノラマ太陽系」では、八神純子の「Mrブルー〜私の地球〜」が主題歌に抜擢されました。 
こちらは、80年秋にリリース。冬にかけて大ヒットしましたね。 

そう考えると、あの頃の八神さんは、宇宙づいていたよなぁ。

やっぱり、あの伸びる、きれいなハイトーンボイスが、宇宙の壮大さ、儚さを連想させるんだろうね。

それは、当然大村氏も重々汲み取っていたんでしょうね。これら「宇宙」に関連する曲のアレンジは、他の曲よりもレンジの幅が違うように感じるんだよね。

なんちゅうのかなぁ、宇宙の無限大の広がりと、その中のちっぽけな地球の、そのまたちっぼな存在である自分との対比 ・・・っていうのかなぁ。

まあ、ワタシごときが偉そうに、書く事でもないですけどね。。。

ただ、個人的には大ゼッサンな2曲ではあるんだけども、ことヒットとなると、件の「みずいろの雨」や「パープルタウン」ほどではなかった・・・っていうのがね。。。。

やっぱ、いい曲と大衆に支持される曲っていうのは、必ずしもイコールではないってことなんだよね。
あの当時から学んでましたね。


ちなみに、当時、私的にも天体ブームでして、安い天体望遠鏡片手に、夜な夜な天体観測をやってましたねぇ。金星、木星、土星・・などの惑星観測、その他、流星群観測とか、深い藍色の模造紙に星座の天球図を書いたり、夏休みの「自由研究」でやったよなぁー。 

ガッコのセンセには、「将来は天文学者」とか言われてましたが、ワタシの性格からして、今考えると、単に当時のトレンドに乗り遅れるのがいやだっただけじゃないか。。とも思ったりして・・。 

ただ、未だに自然科学は好きなんで、時間があったら、また、天体望遠鏡なぞ購入して天体観測やりたいねぇ。。。 千葉に来てからは全くやってないからなぁ・・。





「ザ・ベストテン」 から。
↑で、ベストテンでの八神さんのセットは、スタッフの力の入れようが違った・・・って書いたけど、これでもよくわかりますよねぇ。
レーザー光線を利用し星座をイメージしたセットは、当時からしたら最高水準でしたからね。

ちなみに、個人的には、この頃、すでにラジカセに曲の録音をしてたんで、ベストテンでのこのアレンジが、一番しっくり来るかな。 レコードよりは、すこしアグレッシヴで。。。

ただ、やっぱレコードアレンジのこの動画も捨てがたい




宇宙の壮大さ、儚さという点では、レコードアレンジのこのバージョンのほうが、何枚も上でしたからね。
もっとも、曲終わりのインストが、レコードではフェイドアウトなので、テレビでやると、この動画のように、「なんか不自然」・・・になっちゃうんだけども。。。

この動画は「コッキーポップ」でしょうかね? 違ってたらすみません。。。


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コントロール / 河合奈保子

  1984_07_コントロール_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「コントロール」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    コントロール
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年6月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  15.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月18日〜6月25日付

まあ、蒸し暑い1日でしたわ。クーラーはあんまり点けないたちなんで(と言うか電気代ケチってるだけですが・・)、本日もほとんどクーラーをつけず、汗をだらだらかいて過ごしましたわ。
まあ、寝る時も暑いとしんどいんで、今になって寝るまでの間クーラーをつけてるけど。。。
ただね、暑かったおかけで血液のめぐりがよくなったのか、昨日ほどの痛風の痛みは無くなってきたような気がしますね。うーむ、やっぱり「自然」治癒っていうのが一番の治療なんでしょうかねぇ。
さてと、後は水をガバガバ飲んでプリン体を外に出さなくては・・・。

昨日は、個人的にキライだった曲ということで、中森明菜さんの「Blonde」を書いた訳だけど、今回セレクトしてきた曲もねぇ、ヒット当時はあんまり好みじゃなかった曲なんだよね。

河合奈保子「コントロール」

いやね、河合奈保子さんは当時好きだったし、この曲を作曲した八神純子さんもデビュー時からのファンだった訳で、本来ならこの曲だって好みになって当然・・・の筈なんだけどねぇ。

でも、実際は触手が伸びなかったんだよなぁ、この曲。

きっとね、個人的にはもっと「ポップ」な曲を期待してたんだと思う。 そそそ、八神純子さん作曲ということで、「パープルタウン」「Mr.ブルー」・・はたまた「みずいろの雨」とかね。
ソフィケイトされたメロディと、高音域でのロングトーン・・・そんな良質なポップあたりをね。

でもさ、実際のところ、確かにアップテンポなポップスではあったものの、サウンドがさ硬いんだよね。 メロディラインも以前の八神さんらしさを感じなかったし、いや、むしろ、もろ「84年」的でしたよね。

そう言う曲調になんかさガッカリしちゃったんだよな。期待してた曲とあまりに違うんで。

当時、河合奈保子さんのシングルもちょっとパワーを失っていたような気がしてたんだよね。 前曲の「微風のメロディ」なんてのは、決して嫌いではなかったけど、今一つ勢いを感じなかったし。

だからね、この曲には期待してた部分があったんだよね。八神さんのソフィケイトされた、かつ伸びのあるメロディラインは、河合奈保子さんにも嵌まりそうな気がしたからさあ。

でも、実際はそんな期待してた曲調と全く違ったからなぁ・・・。ガッカリだったんだよな。

そう言う事もあってか、この曲未だに音源持ってないんですよ、ワタシ。 河合奈保子さんのこの頃のシングル音源は殆ど揃ってるんだけどさ、この曲は当時も買わなかったんだよね。
ま、そんなこともあって、この1曲セレクトでも今まで書いて来なかったんだけど。。。

硬質で角ばったサウンドは、八神さんらしさというより、むしろ作詞の売野氏が得意にしてたようなサウンド・・・そそそ、だから一聴して84年、85年的なんだよな。

80年代の曲って「年」によって特徴がはっきりしてるからさ。 このテの硬質かつ角ばったサウンドなのが、84年、85年の特徴。
 だから、知らない曲でも曲聴いただけである程度年代が分かっちゃったりね。 この曲なんてぇのはその最たるところじゃないかなぁ。

正直今となっては、河合奈保子さんの一連のヒット曲の中では死角に入っちゃってるような曲だと思う。でも曲を聴けば、「あー、84年頃の曲だよね」っていうのがすく分かっちゃうんだよな。

まあ、それはそれで凄い事なんだろうけど、だから何? って感じもするしな。




まあ、たしかに奈保子さんのパンチの効いた歌い方は、ある意味アイドルの一線を越えたような感じはするんだけどね。 でも、個人的に当時求めていたのは、こういうパンチの利いた曲調ではなかったんだよね。
もっと伸びのある曲が聴きたかったんだよな。


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想い出のスクリーン / 八神純子

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今回の1曲セレクトは、「想い出のスクリーン」八神純子です。

まずはデータでする。

・タイトル    想い出のスクリーン
・アーティスト  八神純子
・作詞      三浦徳子
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1979年2月5日
・発売元     ディスコメイト
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数  24.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1979年3月26日〜4月2日付

ここんところ「アイドル」系が続いたんで、今回は「ニューミュージック系」で行きますよん。

八神純子さんの「想い出のスクリーン」。

うーん、この曲、覚えておられる方、どのくらい居るかなぁ・・・っていうのはちょっと心配。
あの大ヒット曲、「みずいろの雨」の次のシングルなんだけど、「みずいろの雨」の売り上げ枚数からすると、約半分しか売れなかったりしたし、オリコンでは10位にも入れなかったりしたんで、ちょこっと地味な存在ではあるんだよね。

実を言えば、ワタシ、長い事、この曲の存在をずっかり忘れてたりしたんだよね

この次の曲の「ポーラースター」は、売り上げこそ、この「想い出のスクリーン」と大差はなかったのに、個人的に大好きだったこともあって、良く覚えてたりするんだけどさ。
 この曲の存在を思い出したのは、実は、ネットを初めて、チャートマニアの方々と繋がりをを持つようになってからだったするんだよね、実は。

うん、その時初めて聴いた・・・と言う訳ではないんだけどさ。 「みずいろの雨」でファンになったからさ、八神純子さんは。 当然、次のこの曲も当時、聴いてはいたんだけどね。うん、「ザ・ベストテン」ではランクインしてたしさ。
 でも、それからずっと忘れていたっていうのは、この曲、当時、カセットに録音してなかったから・・・なんじゃないかなぁ・・と思う。

うん、この曲がランクインするちょっと前から、ベストテンにランクインしてくる曲で、好きな曲を録音するようになってたんだよね。
 まあ、録音って言っても、ライン録音なんて知らないからさ、テレビの前に「ラジカセ」置いて録音したってアレですね。私と同年代か、少し上の方は、みなさんやってましたよねぇ。
途中で、電話がなったり、オヤジがしゃべりだしたりすると、それらも入っちゃった・・・ってアレですわ。

ちなみに、サザンの「いとしのエリー」を録音した時は、最後にワタシのオヤジが「ヘタクソ」って叫んでるヤジが入っちゃってたりします、ワタシのカセット。。。

でね、なぜか、この曲は、当時録音しなかったんだよなぁ・・・。 なぜだったかは、全然覚えてないんだけど。。。

当時、あんまり好みじゃなかったのかなぁ。。。

もしかすると、一度録音したんだけど、誤って上から被せちゃったのかもなぁ・・・。 当時よく、やっちゃってたからさぁ。カセット自体、まだ高かったからなぁ・・・。まあ、当時小学3年〜4年だったワタシから見ると・・・なんだけどね。そんなにそんなに新しいカセット買ってもらえなかったから、よく、上から被せちゃってたんだよね。

いずれにしろ、今に残る、ベストテンから録音したカセットが、ワタシのヒット曲ライブラリーの「起源」なんですよね。 これを下敷きに、中学〜高校〜大学の頃、中古レコードを漁って、レコード音源のライブラリーを作って行ったんで。。。

だからね、ベストテンから録音したカセットに曲がが入ってなかった事で、ずっと忘れてたってのはあるかもな。

で、後年、ネットでチャートマニア同士の会話の中で、この曲の話題が出てずっと記憶の彼方にあったこの曲を思い出して掘り返したってわけなんですわ。

まあ、曲自体、今聴いても「大人」っぽい曲だったからなぁ。 ミディアムテンポで曲の解釈も難しい感じだしさ。到底、小学3〜4年生が聴く曲じゃなかったってのはある。
 いや、多分、当時のワタシ的にも、この曲は難しいかったのかもしれないなぁ。 例えば、前曲の「みずいろの雨」なんかは、分かりやすい曲だったじゃない? 16ビートかつサンバ的ノリのリズムといい、めちゃくちゃキャッチーなサビといい。

 でも、この曲はメロディ的にも、リズム的にも、分かりやすいっていう「掴み」は無いんだよね。

サビの ♪ すこし〜 すなおな わたしを〜 ♪ ってところなんかは艶っぽかったけどさ、八神さん。 それでも、小学生が聴いて理解するには、ちょっと難しかったからなぁ。
だから、理解できないまま、忘れちゃってたってのもあるかもしれないな。

もちろんきちんと聴きこなせば、発見はいろいろあるんだけど、そこまで解釈するには、まだまだ幼すぎたんだよな、当時は。



やっぱり八神さんのウタを聴くと、いかにも「ウタ」を聴いてるぞ・・・っていう気分にさせてくれるんだよなぁ。
やっぱお金を取るなら、この位の歌唱力は無いと。。。。
 ちなみに、この曲の聴きどころの一つとして、うねるようなベースラインがあるけど、これ後藤次利氏なんだよね。
 ゴッキーというと、ワタシらの年代としては、後年のおニャン子クラブのおちゃらけた曲を作った・・・っていうのが一番印象にあったりするんだけど、ベーシストとして腕前は超一流だったりするんだよね。



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Mr.ブルー〜私の地球〜 / 八神純子

ブルー〜私の地球〜_八神純子






今回の1曲セレクトは「Mr.ブルー〜私の地球〜」八神純子です。

まずはデータでーす。

・タイトル    Mr.ブルー〜私の地球〜
・アーティスト  八神純子
・作詞      山川啓介
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1980年11月5日
・発売元     ディスコメイト
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   29.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位 
・ベストテンランクイン期間:1980年12月15日 12月29日〜1981年1月12日付
・タイアップ:NHK特集「パノラマ太陽系」テーマソング


 八神純子さんの曲って今まで、随分、書いてきたんだけど、過去のアーカイブをめくってみると、まだ、この曲は書いてなかったんだなぁ。うーん。
 てっきり、昨年の今ごろ書いていたとばっかり思ってた。何回か、本文のサブ的にこの曲のタイトルを書いたことはあったんだけどね。

・・・ということで、今回は「メイン」で引っ張ってきましたですわ。

 この曲、↑のデータでも書いたけど、もともと、この年1980年の「夏」に放送されたNHK特集「パノラマ太陽系」っていう番組のテーマソングだったんですよね。

 たしか1980年の8月第3週(だったと思う)の月曜〜日曜の1週間、19:30〜20:00の30分間。
 曜日ごとに、月曜日⇒月、火曜日⇒火星、水曜日⇒水星、木曜日⇒木星、金曜日⇒金星、土曜日⇒土星、日曜日⇒太陽
って感じで、当時、東大理学部助手だった松井孝典氏監修、解説の番組だったと思うな。各惑星の当時の最先端のトピックスを余すことなく紹介してたんだよね。

 実は、当時、ワタシは、天体小僧だったんだよね、ウン。安い天体望遠鏡を買ってもらって、晴れてたら毎晩、月を始め、木星、土星、金星、火星etc etcの惑星を見ては、プチ天体学者気取りで解説を書いてたなぁ。
 安い天体望遠鏡でも、月のクレーター、木星の縞模様と大赤斑と4大衛星(いわいるガリレオ衛星)、土星の輪なんかは、よく見えるんですよ。

 丁度この年の前年に、惑星探査機ボイジャー1号が木星に大接近、で、この1980年には土星に大接近ということで、一時的に天体ブームになっていたってこともあるんだけどさ、ワタシの周りの友達も、これに刺激されて、望遠鏡買ってもらって、一緒に観測したなあ。一時期はほんとに天文学者を目指そうとしたこともあったし・・・(多分無理だったろうけど・・


 そんなころに放送された「パノラマ太陽系」だったわけで、もちろん、くいるように見てたわけです。
 当時は我が家にはビデオがなかったからなぁ・・・。

・・で、毎回、番組の最後に流れたのが、この曲「Mr.ブルー〜私の地球〜」だったんですよね。


 もうね、イントロが流れてきてだけで感動でしたね。だっても毎日のテーマになっている、各天体の映像と、この曲があまりにもマッチしてたんだもん。

 ワタシね〜、この曲がシングルとして発売されるのほんとに、待ってたのですよ(そのわりにはシングルを買ってなかったりする・・・(爆))

 いや、この曲が出れば、きっとベストテン入りしてくる、そうすれば、毎週のようにこの曲が聴けると思ったからなんでしょうね。

 兎に角、イントロの神秘的なエレピとシンセの調べが本当に宇宙空間のような壮大さを感じさせたし、メロディ本編もそうだよね。
 八神純子の場合、その前の年、1979年にやはり宇宙に思いを馳せるような「ポーラースター」っていう曲をヒットさせているけど、イメージ的には、これに近い、壮大さを感じさ競るところは似ているけど、この曲は、さらに力強さをアップさせて、そらに大きな宇宙空間を感じさせるようなつくりになっていますよね。

 それら絡まってくる、八神純子の真骨頂でおる、高音でのロングトーンも健在。
・・というか、この曲がロングトーンといういみでは、この曲が一番目立ったんではないかなぁ。

 ・・ということで、個人的には、この曲は100点満点あげたくなっちゃうくらいの曲。

 ただ、ジャケットがあんまり好きではないな。
多分ね、もともとこの曲、レコードリリースの予定なかったんではないかな。でも、「パノラマ太陽系」での評判がよかったんで、臨発だった(?)のかなぁ。 そんな感じでなんか、ありあわせのようなジャケ写で、曲とイメージが全然違うのは惜しいんだよな。


 しかし、あのころのNHK特集って、「シルクロード」の喜多郎もそうだったけど、「壮大さ」を前面に押し出した曲が多かったよなぁ。
 映像と音楽がほんとにシンクロしていたと思うな。




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パープルタウン / 八神純子

1980_10_パープルタウン_八神純子






今回の1曲セレクトは、「パープルタウン」八神純子です。

 まずはデータでーす。

・タイトル     パープルタウン〜You Oughta Know By Now〜
・アーティスト   八神純子
・作詞       三浦徳子、JACK CONRAD、DAVID FOSTER、RAY KENNEDY
・作曲       八神純子、JACK CONRAD、DAVID FOSTER、RAY KENNEDY
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1980年7月21日
・発売元      ディスコメイト
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    56.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年9月15日〜11月24日付

 さてさて、久しぶりの八神純子です。
50万枚オーバーの大ヒットということでは、あの「みずいろの雨」以来という事になるわけですが、
1980年の大ヒット、「パープルタウン」。

 まあ、80年当時を知ってるヒトなら、まず知らないヒトはいないだろうって言うくらいの大ヒット曲なんだけど、
いまいちはっきりしないのが、向こうの曲の「パクリ」なのか、そうじゃないのか? って言うところなんだよね。

 ・・・・ま、現在は、一応は、「パーフルタウン」という単独曲として、作詞、三浦徳子、作曲、八神純子とは認められているんだけど、管理側のヤマハさんがパクリを認めちゃったんで、著作権管理上は「You Oughta Know By Now」と「パープルタウン」の2曲使用扱いになってたりするんだよね。
 その上で、この楽曲を表記する上では、正式には副題として「You Oughta Know By Now」を併記することになってたりする。

でもさ、この曲がパクリだとしたら、南沙織の「17才」、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」・・その他、昔の「ドロボー歌謡曲」なんかに上がってた、いわいる「パクリ疑惑」がある曲は一体どうなのよ・・・って事になっちゃうわけなんだけどねぇ。。。。。

まあ、著作権法、とりわけ音楽に対しての著作権は「親告罪」なんでね、権利者側が訴えない限りは、罪にはならないんだけどさ。

 個人的にはパクリを認めちゃって「バカ」だな・・・なんては思うんだけどさ。だって、南沙織の「17才」とかさ確信的に、リン・アンダーソンの「ローズガーデン」だよねって似ているところから比べたら、ぱっと聴き、それほど大きくは似てないんだよね。

↓コレ 


たしかに、バックのギターのリフは同じっちゃ同じなんで似てると言われれば似てるよなって感じはするけど。。。
ギターのリフなんか、同じだよな・・・なんて曲は、いくらでもあるんだけどね。。。。って書くと噛みついてくる方が居らっしゃるんだろうね、きっと。

それと、致命的だったのは、両曲がリリースされた時期がほぼ同じだったってことだろうな。 やっぱ、リリースが同じ時期だと、それなりに神経質になってるだろうしな

まあ、この曲を管理してる、ヤマハさんとしても、ゴタゴタにしたくなかったんだろうね。大人の事情ってやつで。


 まあ、そんな結末があったからというわけでもないけど、この曲は、あのいかにも「八神純子」っていう、しなやかで、のびやか(←なんちゅう表現!?)なハイトーンがあまり聴けないんだよね。

 個人的には、最初はあんまり触手が伸びなかったな、この曲は。

 それよか、前にも書いたと思うんだけど、この曲がリリースされた頃、NHK特集で放送していた「パノラマ太陽系」のテーマ曲だった「Mr.ブルー〜私の地球〜」の方が、断然、八神純子らしくて、個人的に絶賛もので気に入っていて、だから新曲がその曲でなくてガッカリしたのを覚えてるなぁ。
 
 でもさ、何度もなんども聴いてるうちに、最終的には、この曲も好きになっていたわけだから、なんだ〜かんだ〜言っても現金なもんだよね。

 たしかに、インパクトは、いつもの八神とは違うんだけど、骨太さっていう点では、この曲は魅せたんではないですかねぇ。八神純子のワイルドな面・・なんて書いたら怒られそうだけど、いつもの八神純子とは、また、違った一面が見られたとも言えますしね。


 もうひとつ、この曲で忘れられないのは、いつぞやの「ザ・ベストテン」での黒柳さんと久米さんの会話

黒柳 「まあ、今日はお衣装もパープルで・・・」

久米 「いや、見方によっては「魚河岸」の帰りのようにも見えますよ・・・」


・・・・久米さんは、八神純子さんはタイプではなかったようで、(爆)  いつも言いたい放題だったよなぁ。





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思い出は美しすぎて / 八神純子

1978_02_想い出は美しすぎて_八神純子






今日の1曲セレクトは、「思い出は美しすぎて」八神純子です。

 まずはデータです。

・タイトル    思い出は美しすぎて
・アーティスト  八神純子
・作詞      八神純子
・作曲      八神純子
・編曲      戸塚修
・リリース日   1978年1月5日
・発売元     ディスコメイト
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   11.5万枚

 久々に「ニューミュージック」な曲を持ってきましょうかね。
 ここのところ、通勤時には「ニューミュージック」な曲を聴いてたりするんだけど、昨日も、それらを聴きながら、そういえば、まだ、書いてなかったな・・・って思った曲を一つ。

 八神純子「思い出は美しすぎて」

 うん、八神純子の実質的なデビュー曲ですね。

「実質的」っていうのは、この前にもポプコンがらみでレコードを出してたりはしたんだけど、本格デビューは、この曲から・・ということで。 

 ヒット曲を聴き続けて、38年目のワタクシですが、ヒット曲の世界にのめりこんだきっかけの一つは、八神純子なんだよなぁ。うん、これは、すでに前書いたと思うんだけど。
 八神純子の3曲目の「みずいろの雨」。この曲にめぐり合わなかったら、もしかすると、今頃は、もっとまっとうな人生を歩んでいたかもしれない・・・・なんて、マジで思ったりして。。。そのくらい、好きだったのよ。

 八神純子って、「歌聴いてるぞ!」って気持ちにさせてくれるじゃん。ま、それだけ歌唱力も確かだし、やっぱし、きめ細やかなハイトーンボイスでのロングトーンだよね、このヒトの魅力の一つは。

 それに絡んでくる、エレピの音色とサンバホイッスルですわ。これだけで、気分は「1978年」に舞い戻るね、ワタシゃ。うん、ジャパニーズAORですよ。
 ここだねぇ、ワタシの「ヒット曲」の原点は。

 ・・・ということで、「思い出は美しすぎて」だけど、「みずいろの雨」に比べでも、もっと大人っぽい。
 確かに基本的には、エレピとエレキが前面のAORなんだけど、リズムたいがボサノバなんだよね。
 だから、16ビートポップスの「みずいろの雨」に比べると、ずっと大人っぽい雰囲気ですわ。
 でも、このとき八神純子、20歳ですよ。

 それにしては、めっちゃ大人っぽい曲だよなぁ。 今の20歳のアーティストじゃ、これだけ大人っぽい曲を歌っているヒトっていないよなぁ。
 いや、だから、当時コドモだったワタシがあこがれたんだよね。オトナってものに。 ワタシにとって、それが芽生え始めてたころの曲だよなぁ。

 まあ、ボサノバだったのは、当時の流行ですね。あの頃は、ヒット曲にボサノバを取り入れた曲って割と多かったのよね。ま、代表的なのが、丸山圭子の「どうぞこのまま」だったりするんだけど。
 時代的にアンニュイな感じだったのかなぁ。ただ、正当派なボサノバではなく、この曲なんかは、上記のように基本はAORだからさ、味付けとしてボサノバを取り入れられていたって感じかなぁ。

 ただ、やっぱ、デビュー曲としては、ちょっと大人っぽすぎたわな。とりあえず、オリコン25位。11万枚強っていうスマッシュヒットは記録したものの、この後は正統派な「AORポップス」にチェンジ、で、「みずいろの雨」で、大ブレイク・・・っていう流れになっていくんだよね。

 ただ、いずれにしても、1978年っていう年は、日本のロック&ポップス界にとっては、エポックメイキングな年であったよなぁ。八神純子をはじめ、原田真二、ツイスト、サザンがデビュー、アリス、ゴダイゴ、甲斐バンドが大ブレイク・・・と、80年代を前にして、一気に日本のロック&ポップス界の層が厚くなったし、ヒット曲の層も厚くなったもんねぇ。

 そういう時期にスタートした「ザ・ベストテン」っちゅうのは、考えてみると、「ジャスト」なタイミングでスタートしたんだよなぁ。
 やっぱ、当たる番組っていうのは、そういう時代の流れの「運」っていうのもあるんだよなぁ。
 これが、1年早くても、1年遅くても、だめだったと思うわ。




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みずいろの雨 / 八神純子

1978_11_みずいろの雨_八神純子






今日の1曲セレクトは、「みずいろの雨」八神純子です。

まずは、データから

・タイトル     みずいろの雨
・アーティスト   八神純子
・作詞       三浦徳子
・作曲       八神純子
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1978年9月5日
・発売元      ディスコメイト
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    58.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年11月6日〜1979年1月15日付

 個人的に11月というと、このところ書いてきたように1987年を中心として印象に残る曲って多いんですが、その前に、「この世界」に入り込んだ、「きっかけ」っていうのが、どうしても付きまとうんだよね。
 それが、1978年11月ってわけで・・。タイミングがよかったのかどうか、このときは、日本の音楽界のエポックメイキングな時期だったのが、やっぱり、この世界にのめりこんだ、一番の原因だろうな。
 エポックメイキングというのは、ロック、ニューミュージックといった、新しい音楽が「お茶の間」に居ながらにして、聴けるようになった、まあ、お茶の間を席巻したって言うところだよね。
 少なくとも、ロック、ニューミュージックっていうジャンルは、その前の年、1977年までは、そうそう、テレビの「歌番組」では出ない、聴けないものだったわけで・・。
 
 その壁を崩したのが、「ザ ベストテン」だったわけだよね。
 まあ、結果論から言うと、ベストテンの始まった時期と、ロック、ニューミュージックがミュージックシーンの中心に昇華してきた時期がシンクロしたってのが、一番なのかもしれないけど・・。

 で、何回も書いているように、ワタシもこの年の11月2日から、「ベストテン」を見るようになったんだけど、いくつか、衝撃を受けたアーティストが居たわけですが、ツイスト、サザンとならんで、衝撃を受けのが、八神純子ですわ。

 うーん、まあ、たしかに、あのころのニューミュージック系アーティストには大体、衝撃を受けたんだけどね。
 なぜか・・・って、簡単に言うと、やっぱし、それまで、自分の中になかった音楽だったからだろうなぁ。
 程よい大人の曲って感じだったんだよね。

 それと、曲のインパクトかなぁ。まさに、「楽曲の時代」だったんですよね。
 どんなに、人気アーティストであろうが、まずは楽曲が先に立つ時代。

この「みずいろの雨」、曲の最初からインパクトのかたまりだったもんなぁ。まさに、楽曲の時代に象徴したような曲ですよね。

 いきなり、サビからはいるでしょ

♪ あーーー みずいろのあめ 私のかたをだいてつつんで
  ふりつづくのーーーー ♪

といきなり全快のメロディライン。
 ♪みずいろのあめ♪の部分では、八神純子特有の高音がさえる。わー、すげぇ、とおもっいた矢先に、♪ふりつづくのーーー♪ と半音ずつあがりのロングトーンという二重の衝撃。
いりの8小節だけで、ガチッと捕まえられちゃいましたもんねぇ。

 それと、ピアノを弾きながら歌うっていうスタイルがかっこえかったんだよね。
 うーん、それまでもピアノ弾き語りっていうアーティスト結構いたけど、それとはまた別のスタイルだったでしょ。
 かといって、ロックでもない。強いて言えばAORに近いのかな、のスタイルは。確かに時代を象徴しているけどね。

 加えて、歌のウマサ。これだけ高音が伸びる女性アーティストって、あの時代をもってしても、なかなかいなかったですからねぇ。 高音とロングトーンの声質に独特の伸びがあるっていうのかなぁ。
 兎に角、聴いてて気持ちがいいわけですわ。


 デビューからそれまでの2曲は、比較的スローの大人しめの曲だったけど、この曲は、リズム的には16ビートでサンバに近い。だからといっていいのか、トレードマークの「サンバホイッスル」が一番似合った曲だったね。

 特段、難しい使い方しているわけではないんですよ。この曲知ってる方は、「そうそう」って感じでしょうけど、サンバホイッスル使ってるのは、最後の間奏の入りの部分だけなんですよね。
 それでも、カッコえかったわけですよ〜。

 この曲から、作曲 八神純子、編曲 大村雅朗 のコンビがスタート。今は亡き大村氏が八神純子の魅力をうまく引き出したって感じですよねぇ。
 同時に、八神純子が大ブレイクと、まさに黄金コンビでしたね。 

 ちなみに、この曲のセールス、58.8万枚って言うのが、八神純子にとっては、最高セールス。ランクは2位まで行ったけど、結局オリコンでは、1位取れなかったんだよね。
 贔屓目で見ても、1位でも、全くおかしくない曲ではあるが・・。
 それだけ当時の1位っていうのは、特殊なランクだったわけですね




※2005年11月に書いたものの再掲載です。
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