かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

佐野元春

約束の橋 / 佐野元春

1992_11_約束の橋_佐野元春


今回の1曲セレクトは、「約束の橋」佐野元春です。

まずはデータです。

・タイトル    約束の橋
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系 月9ドラマ「二十歳の約束」主題歌

トレンディドラマ・・・。我々世代にとっては、80年代終盤から90年代前半にかけての「バブル」絶頂期を思い起させるキーワードの一つでしょうかねぇ。
この期間、ドンピシャで「大学生」という「青春と快楽」な時間を過ごしてきた、我々世代にとっては特にそんな思いを起こさせるんじゃないのかなぁ。。。

ワタシは・・というと、トレンディドラマが出てきた当初の2年間は、「バブル」の世の中を尻目に、「浪人」という暗黒時代を過ごし、それを抜け出した、後半も、青春を謳歌するっていう大学生生活でもなかったんで、正直、「バブル」の恩恵を受けたっていう記憶はほとんどないんだよなぁ。

まあ、今となったら、つまんない青春時代を送ったような感じもするけど。。。

ドラマも、トレンディドラマの「祖」、フジの「月9」はほとんど見てなかった。 うん、91年の「101回目のプロポーズ」くらいじゃないのかな? 見てたの。

いや、これも、最初は、面白そうなんで見ようと思ったわけじゃなくて、 夕飯後、ベッドで寝落ちしちゃって。。。目が覚めたら、つけっぱなしだったテレビでたまたまやってて、半分ぼーっとしながら見てたら、なんとなく嵌っちゃった・・・って感じだったしなぁ。

あのころは、TBSの金ドラの方が、「月9」よりは、もっと心理面を深堀してて個人的には面白かったんで見てたな。


・・・なんてトレンディドラマの話をしたいわけぢゃなくて。。。。

今回引っ張ってきた、佐野元春氏の「約束の橋」ですわな。

この曲、もともと89年リリースアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の先行シングルとしてリリースされた曲。 で、後年、92年10月期の「月9」ドラマ「二十歳の約束」の主題歌として、再リリースされたわけですな。
今回は、時期的に、その「再発」のシングルについて、ちょいと書いていこうかと。。。


アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」については、ちょっと失敗したな・・・って思うのよ。

佐野元春氏を意識したのは、中学生の頃だったか。。。 同じブラスバンドでトランペットを吹いてた、同級生で親友だったやつが、元春好きだったんだよ。

音楽的に優れてた奴とは思わなかったけども、3つ上の兄貴の影響か、ブルース・スプリングスティーンとか、明らかに私なんかよりも大人びた曲を聴いてんだよな。
で、日本のアーティストでは、元春氏だった。

あの頃から、なかなかチケット取れないといいながら千葉でのコンサートにも行ってたしな。

でも、当時、ヒット曲中心、当然アイドル中心のワタシには、元春氏の良さは分からなかったんだよな。

そもそも、いつもここで書いているように、80年代初期から中盤にかけては、いわいる「ニューウェイブ」系の音は、生理的にダメだったんだよね。

80年代の元春氏は尖がってたしね。 84年の「VISITORS」では、時代に先がけてヒップホップを取り入れたり、サウンドそのものが尖がってた。 「ニューウェイブ」系の寵児的な存在だったじゃん。

ダメだったんだよね。時代にコミットしていないとは言わないけども、時代の先端を行く「音」って。
それよりも、一歩引いて、フォーマットが確立して聴いてて安心・・っていう音楽が個人的には好きだった。うん、おこちゃまだったのよ。

はじめて、元春氏にコミットしたのは、86年のアルバム「カフェ・ボヘミア」だった思う。

それまで、あんなに時代の先端の音がダメだったのに、「カフェ・ボヘミア」で元春氏にコミットしたくなったのは、よくわかんないんだけども。。。

まあ、「VISITORS」よりは、とっつきやすいアルバムだったことはありますね。

それと、以前、ここで何回も書いたけども、86年って、個人的に時代を遡って音楽を掘りだしたころ。
そそそ、1978年以前、リアルタイムで接していなかった時代の曲を掘りだしたころですわ。
その反動だったのかもしれないな。

もちろん、最初は抵抗があったんだけども、何度もアルバムを聴いていくうちに、徐々に理解できるようになった。 理解してくると、その良さも分かった来たりしてね。
徐々に次のアルバムも聴いてみたいと思うようになった。

で、3年の時を超えて、ようやくリリースされたのが「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。

ここで、迷ってしまったのよ。 ちょうど同じころ、長渕剛氏のニューアルバム「昭和」のリリースもあってさ。

あの頃アルバム1枚3000円っていうのは、19歳だった若造のワタシにはデカかったですから。

浪人の身だったし、バイトもしてなかったから、まだ小遣いをもらう立場ったし。。なんで、まずはどちらか1枚買おうと思ったわけで。。 結局買ったのが長渕剛氏の「昭和」。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、またいずれ・・と思っていたんだけども、あの頃、他にも欲しいと思える音源が次から次と出てきて、いつの間にか立ち消えになってしまった。。

そんな時にシングルととして再リリースされたのが、今回の「約束の橋」だった。

うん、もちろん、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されていた曲っていうのは、あの頃から知っていた。

なんか、忘れ物を思い出したような気分だったな。

ただ、この曲が「月9」の主題歌に採用されたのには反発もあったのよ。

↑でも書いたように、ワタシにとっての元春氏は時代の先鋭だった。 テレビという「大衆娯楽」にはコミットしない存在だったのよ。

それがいきなり、「月9」っていう当時の大衆娯楽の極みのコンテンツの主題歌なんだもの。

いやいや、元春氏だけじゃなかったんだけどね、これの前に、浜田省吾の「悲しみは雪のように」が、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用された時も同じような感覚だったな。

80年代の「大物」アーティストが、90年代のドラマ主題歌で再ブレイクする。

初めの頃、例えば、小田和正氏が、「東京ラブストーリー」の主題歌として「ラブストーリーは突然に」が起用される・・ってころは、まだよかった。 まだ新鮮味があったから。

でも、同じような手法で、チャゲアスが、米米が、中島みゆきが、浜田省吾が、・・なんて続くとさ。。。
しかも、いずれも、80年代の自身の曲とは比較にならないほどのメガヒット。

これって良いことなの?  なんて、だんだんと、このやり方に懐疑的になってきたりしてね。

ついには、佐野元春氏もか・・・という気分だったな。

特に、浜田省吾氏の「悲しみは雪のように」とか、元春氏のこの「約束の橋」は「新曲」ではなく、80年代の再リリースだったわけだから。。

wikipediaに、

『なんで最初にこの曲に気付いてくれなかったの?』って感じですよね。『ドラマの主題歌にならないと聴いてくれないんですか?』

・・・(当時は) 怒ってました

と、元春氏のコトバが掲載されているけども、ワタシも同じような感覚だった。

もちろん、今は、「これがあったから今でも歌ってこれたのかもしれない」・・と考えているようですが。。。


結局、今考えてみると、1992年頃の音楽って、まだ「90年代」を象徴するような確固たるフォーマットが確立されていなかったのかもしれない。
・・と同時に、90年代をけん引していけるようなアーティストも、ようやく揃い始めてた頃だったしね。

WANDSの「もっと強くきみを抱きしめたなら」が大ブレイクし、 ZARDが「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」の連続ヒットで一躍注目を浴びだしたのがちょうど、1992年のちょうど今頃。

先行していた「B'z」とともに、「ビーイング系」のコマが揃い、時代を席巻するのは翌年のことですわ。

それとともに、70年代、80年代の「大物」アーティストがドラマの主題歌に・・・という機会も徐々に減っていった訳なんだよね。
70年代、80年代の「大物」アーティストや、楽曲の焼き直しによるドラマ主題歌の顕著な大ヒットは、翌年1993年4月期の月9ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌、財津和夫氏の「サボテンの花」あたりが最後だったような気がする。
・・・・あ゛、まだ大瀧詠一氏がいたか。。。。
もちろん、サザン、ユーミン、中島みゆき嬢は、その後も孤軍奮闘していったわけだけども。





余談だけども、↑で書いたように、中学校の時の元春好きの親友の話から、元春氏のコンサートは、チケットが取れない・・・ってずっと思い込んでいたのよ。

それは、大人になってからもそうで・・・、もしかしたら、頻繁にライブに行くようになった今でもそうかもしれない。

でも、そんな元春氏も、最近ではロキノン系、特に「COUNTDOWN JAPAN」には頻繁に出演するんだよね。

ずっとチケットが取れない・・と思っていた元春氏のライブを「COUNTDOWN JAPAN」で見る、80年代では、考えられなかったことかもしれないな。

実際、「COUNTDOWN JAPAN」ではこれまで何度も元春氏のライブを見た。
もちろん、30分程度のライブだけども。。。それでも昨年の「COUNTDOWN JAPAN」のラストで「アンジェリーナ」が聴けたのは、やっぱりトリ肌でしたね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村


A面で恋をして / ナイアガラトライアングル

1981_A面で恋をして_ナイアガラトライアングル






今回の1曲セレクトは、「A面で恋をして」ナイアガラトライアングルです。

 まずはデータです。

・タイトル   A面で恋をして
・アーティスト ナイアガラトライアングル
・作詞     松本隆
・作曲     大滝詠一
・編曲     多羅尾伴内
・リリース日  1981年10月21日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  19.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位
・タイアップ:資生堂81年冬のキャンペーンソング 

 アナログレコードが衰退して、CDが主流になってから、随分時間が経つよなあ。
 もしかしたら、今の若いコの中にゃ、アナログレコードの存在すら知らないヒトも居たりする?

 ワシらは、まだアナログ世代だからさぁ・・・。シングルレコードは「ドーナツ盤」って呼んでた世代ですよ。

 え? なんでドーナツ盤って言うのか?

 それはですねぇ、真ん中がドーナツのように穴が開いてるからですよ。うん、45回転のEP盤ってやつね。

 アナログ盤を知らないとしたら、A面、B面っていうのも知らなかったりするかなぁ・・・。さすがにそれはないかねぇ。。


・・・・ハイハイハイ、それって、もしかして、今回、引っ張ってきた曲の「前振り」ですか? ってその通りデスあせあせ

・・・つか、ドーナツ盤とかA面 B面って知らないとさあ、曲の中身が伝わらないもので。。。

 はい、今回引っ張ってきたのは、ナイアガラトライアングルの「A面で恋をして」っす。

そう言えば、今日12/30は、大滝詠一氏の命日だったんですよね。そう言う意味でも、この曲をセレクトするのが一番いいんじゃないかなぁ。

 正確に言えば、この時は「ナイアガラトライアングルvol.2」なんだけどね。

メンバーは、大滝詠一、佐野元春、杉真理 の三氏による、今で言えばユニットですよ。
(ちなみに「vol.1」のメンバーは、大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次の三氏  1976年)

 今でこそ、上の三氏が並ぶと、うわ、至極豪華exclamation となるけど、当時は、まだ佐野元春も杉真理も、本格ブレイクする前で、「通」なヒトでなければ、一般には、あまり知られていない時代だったからねぇ。

 そんな、当時の「若い」2人を引っ張ってきた大滝詠一センセーは、やっぱし先見の明があったわけですな。

 ちなみに、ナイアガラトライアングルvol.2ということは、「vol.1」もあった訳で、76年の「大滝詠一、伊藤銀次、山下達郎」によるユニットがそれに当たるわけね。

 そーいえば、ナイアガラトライアングルって、当時の言葉からすれば、6年ごとに結成する「予定」だったはずで、だとしたら、そのあと88年、94年、00年、06年・・・・にも結成していなければならなかったはずだけど・・・・ふらふら

 何分、ワタシと同じで、仕事がキライな大滝センセーのこと、このあと、ナイアガラトライアングルのプロジェクトは立ち消えになっているんですが・・・。



 ところで、曲の方は、サビの部分は、まあ、有名なフレーズな曲だわね。

 そそそ
 
♪A〜めんで こいをして〜 ♪

ってやつですよ。。

 当時、資生堂のキャンペーンソングとして、丁度34年前の今ごろ、ガンガン、CMで流れてたからさ。
 ・・・ってか、覚えてるってヒトは、既に「アラフィフ世代」だよなぁ、きっと。。ふらふら

↓ コレ


うむ、聴けば、わかるでしょ、この曲。 「あ、あの曲か」・・・と。


ただ、サビ以外の部分っていうと、あれどんな曲? って感じですかねぇ。

 まあ、大滝ワールド全開な曲ですわ。ご多分に漏れず、フィルスペクターなオーケストレーション全開で。。

 81年は大滝氏にとって、「LONG VACATION」の大ヒットにはじまって、フル回転な年だったけど、いま思えば、このサウンドこそが、まさに81年っていう感じもするなぁ。

 あ、いや、これと寺尾聰と・・。

 まさにサウンド重視な年ってところか。個人的にも、81年っていうのが、一番好きなわけで、またさ、こういう感じの年が来ないか・・・って思ってるんだけどねぇ。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ハートのイアリング / 松田聖子

1984_11_ハートのイヤリング_松田聖子






今回の1曲セレクトは「ハートのイアリング」松田聖子です。

まずはデータです。

・タイトル    ハートのイアリング
・アーティスト  松田聖子
・作詞      松本隆
・作曲      Holland Rose
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年11月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   37.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月12日〜1985年1月14日付

 しゃてしゃて、このところ1週ごとに松田聖子様の曲をセレクトしてきている訳ですが、
今回引っ張ってきた曲は、1984年の

ハートのイアリング

あ゛、この曲「ハートのイヤリング」ぢゃないの? 31年間ずっと間違って覚えてた(爆)

 うーむ、まあ、今回も、困った時の・・・って感じですね。別にこの曲ちゃなきゃいけない・・っていうのはないんだけど、どうも、この11月の下旬っちゅうのは、ちょっと空白域なんだよなぁ。

この曲、どうなんだろ? 個人的には好きなんだけど、いまいち印象が薄いかしらねぇ?

その前に、実は、この曲ってクリスマスのイメージが強かったんだよね。だから、11月下旬にリリースだったかしらねぇ・・・なんて思ってたんだけど、実際はリリースが11月1日だったんだよね。
 うーむ、人間の記憶なんて当てにならないですよ。30年も経つとイメージだけで、すっかり忘れてるわけで。。。

 84年の松田聖子って、たぶん神田正輝と結婚するまでのアイドルとしての「全盛期」の中では一番、楽曲に恵まれた年って勝手に思っているんだけど、この曲も例外にもれずだったですよね。

 楽曲に恵まれたという他に、松田聖子の独特のハスキーでキュートな甘い声質が完成されてた年っていうんですかねぇ。
 楽曲はもとより、このヒトの声にノックダウンだったのかも知れんなぁ。

 特にこの曲は、ちょこっと複雑なメロディとコード進行でメロディラインの印象が薄くなっている分、このヒトの天性の声質でカバーしているような気がするのね。

 ♪ やさしくしかってよ妬いてもくれないの〜 ♪ っていうサビの部分の声質にこのヒトの天性が見え隠れしてるんじゃないかなぁ・・と大げさに書くと思ってたりしてさ。

 ところで、ハートのイアリングってティファニーのオープンハート? うーん、たしかにバブル全盛時には大変人気があったアイテムだけど、84年当時では、まだ一般的ではなかったよな。。さすがに松本隆氏、お目が高い。流行りそうなアイテムにはいち早く目をつけてますね。

 それと、この曲の作曲者のHolland Rose氏? うん? この曲って外人が書いたの?
 なんて、思った諸氏・・・は、さすがにここをお読みになっている方の中にはいねーかな・・・・
はい、Holland Roseは、佐野元春氏のペンネームですね。

 この当時、結構ニューミュージック系のヒトたちってペンネームつけるの流行ってたんだよね。

 それでは、問題・・・下記の名前は、すべてペンネームです。どなたのペンネームだか当ててみてね。

1 多羅尾伴内
2 呉田軽穂
3 嘉門雄三
4 江戸門弾鉄
5 宇野主水
6 矢倉銀

 答えですか・・・えーと、オリコンウイークリーの1983年4月22日号に出てるんですが・・・・。
なんて書くのは、大変不親切ですよね。

答えは以下の通りです

1 大滝詠一
2 松任谷由実
3 桑田佳佑
4 松本隆
5 細野晴臣
6 来生たかお

まあ、今はインターネットっていう便利なものがあるんで、ググれば答えはいくらでも出てくるんですが。。。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

アンジェリーナ / 佐野元春

1980_05_アンジェリーナ_佐野元春






今回の1曲セレクトは、「アンジェリーナ」佐野元春です。

 まずはデータです。

・タイトル   アンジェリーナ
・アーティスト 佐野元春
・作詞     佐野元春
・作曲     佐野元春
・編曲     大村雅朗
・リリース日  1980年3月21日
・発売元    エピックソニー
・オリコン最高位 ランクインせず
・売上げ枚数  0枚


 さて、今回は「マクラ」なしにのっけから本題。
 佐野元春の「アンジェリーナ」を持ってきたんだけど、取り立てて、持ってきた理由はない。
 なんかね、今頃〜・・・って、いつものとおり頭悩ませていたら、たまたま、この曲のメロディが浮かんできたんで。ふらふら

・・・リリースは1980年の3月21日と、今の時期よりは、ちょっと前なんだけども、如何せん、全く売れなかったからねぇ、この曲、当時は。

 ということで、季節も特に問わないか・・ということもありーの。

 ただ、ヒットはしなかったものの、30年前の今頃、業界の間では話題沸騰になっていたことは間違いない。


 この曲、オリコンにもランクインしてこなかったこともあり、当然、当時は、ワタシ、全く知らなかったんだよね。
 初めて聴いたのは、ずっと後だ。うん、「Young Bloods」で初めてシングルのベストテンヒットを記録してから、アルバム「No Damage」を聴いたんだよね。だから、高校生になってからだなぁ。

 ただ、初めて聴いたとき、地団駄をふんだんだよな。


 なしても、もっと、早くこの曲にめぐり合ってこなかったんだろう。。。

 って即座に思ったもんよ。

 とにかく、目からウロコだった。


 サウンド自体は、たしかに「1980年」のものだ。うん、音の匂いからして「1980年」の匂いなんですよ、この曲。

 違うのは、それまで・・・1980年以前には、絶対なかった「音楽」だよな・・・っていう点。

 なにより驚いたのは、曲の疾走感。佐野氏自身がよく使う言葉に「ジェットマシーン」ってあったけど、まさに、ジェットマシーンに乗っているような疾走感と爽快感。

 これはさあ、まさに「80年代」の幕開けの曲だと思ったのよ。

 少なくとも70年代には、絶対、この手の疾走感あふれる曲は無かったはずだ。
 70年代のロック・ニューミュージックシーンは、もっと泥臭かった。唯一、ユーミン周辺のサウンドは、オシャレで洗練されていたけど、こんな「疾走感」はなかった。

 とにかく、この曲だけで、それまでの日本のミュージックシーンのすべてが変わったような感じを受けたんですよ。

 やっぱ、時代の変わり目っていうのはあるんだよな。

 いや、少なくとも、音楽シーンの面からみると、「79年と80年の差」というのは絶対にでかい。見えない壁があるかのように、80年を境にそれまでの音楽とは、違う、新しい音楽がスタートしたような感じを受けるし、実際そうなんだよね。

 それを感じさせる1曲がまさにこれ。 あとは、Y.M.Oもそうだし、山下達郎の「Ride On Time」なんかもそうだろうな。

 そういう曲を、タイムリーに聴いてこなかった・・・っていうのが、なんか悔しくてさあ。しかも、その時代、すでにワタシ、ヒット曲にどっぷり浸かっていた時代なのにさあ。。。

 
・・・・まあ、そういう曲なんだよね。

 とかく、オリコンにランインしてないと、なかなか耳にする機会も少ないことは事実なんだけど、オリコンにランクインして無くても、こういう時代を変えるような「すごい曲」は実際、存在するんだよね。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

グッドバイからはじめよう / 佐野元春

1983_03_グッドバイからはじめよう_佐野元春






今回の1曲セレクトは、「グッドバイからはじめよう」佐野元春です。

 まずはデータです。

・タイトル    グッドバイからはじめよう
・アーティスト  佐野元春
・作詞       佐野元春
・作曲       佐野元春
・編曲       佐野元春
・リリース日   1983年3月5日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 34位
・売上げ枚数   5.5万枚

 ここのところ、なんか納得する「卒業ソング・別れの歌」を引っ張ってこれなかったなぁ・・・って、ずっと引っ張ってたんだよね。ここ何日か。
 この間セレクトしたユーミンの「卒業写真」ぢゃなあ・・・。なんか「選曲屋」の名が泣くよね。。
 って思いが、頭のどっかに引っかかっててさ。。

 そんでもって、この間書いた、河合奈保子の「ストロータッチの恋」を引っ張るために、当時のオリコンのチャートみてたら、たまたま、この曲が目に飛び込んできたの。

 グッドハイからはじめよう  /佐野元春

 ・・・あったじゃんexclamation ×2 今や、陰に隠れちゃった存在の「別れの曲」が。。。あせあせ

 ま、卒業ソングでは、必ずしもないけど、少なくとも「別れの曲」ではあるよね。

♪ちょうど 波のようにサヨナラが来ました 言葉はもう何もいらない ただ見送るだけ〜 ♪

・・と来るわけだから。。

 でも、なぜか、この季節、この曲を聴くことは、めったにないぞよ。なんでだろーねぇ、「卒業写真」とか「贈る言葉」は、飽きるほど流れるのに。。

 まあ、知ってるヒトが少ないってのもあるんだろうけど。。。そんじゃ、この機会に、引っ張りあげて見ましょうよ・・・なんつぅ、下心もあったりしてねあせあせ

 この曲、当時(1983年)から気になってたんだ。明星のヤンソン(歌本ね)にも、楽譜掲載で載ってたりして。
 一体どんな曲なんだろう? やっぱし、ポップな感じなんだろうな・・・。

 とずっと、思ってたんだけど。。。

・・・で後に、コンセプトアルバム「No Damage」を聴いた時、驚きましたよ。まさか、ヨーロッパ系のミディアムバラードだとは。。。

 しかも、バックは、バイオリン、ビオラ、チェロっていう弦楽4重奏とハープだけの、めっちゃバロックな雰囲気なんだもの。
 予想もつかないですよ。でも、音楽的には凝ってるよね。さすがに佐野元春。

 だけど、この曲ライヴの時は、どうやって演奏するんだろう?

 ・・・もちろん、ワタシはライブで、この曲きいたことないんだけど。。。うーむ、まあ、おそらくアコギ1本でやるんだろうね。

 それとタイトルがいかしてるような・・・

 普通「さよなら」とか「グッパイ」って、さっぱり別れるタイトルの曲は多いけど、「グッドバイからはじめよう」だもの。

 まあ、曲にも出てくるけど

♪ 終わりは始まり ♪

なんだよね。

 卒業が来ても、月が変われば、新たに進学や就職が控えているわけで・・。終わりの次には、また新たな始まりが来る・・・と。

 それでも3月のうちは、まだ「グッドバイ」の季節。・・・っていう気持ちを内面から表現した曲だとは思うね。

 まあ、そういうこともあって、この間、佐野元春を書いたばっかなのに、また持ってきたりして・・・。

 ほほほ、幾分、選曲屋としての気持ちが晴れたぞよ。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

YOUNG BLOODS / 佐野元春

1985_03_YOUNG BLOODS_佐野元春







今回の1曲セレクトは、「YOUNG BLOODS」佐野元春です。

 まずはデータです。

・タイトル    YOUNG BLOODS 
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1985年2月1日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:国際青年年キャンペーンソング

 いや、記憶には自信あったんだけどさぁ、最近、その自信が揺らいできたね。
・・・っていうのも、今日引っ張ってきた、佐野元春の「Young Bloods」。
この曲、もちろん当時、好きだった曲の1曲なんだけど、当時、佐野元春フリークだった、同じ吹奏楽部でトランペット吹いてた奴と、某S高校の受験に行く時に、この曲がオリコン7位に入った・・・って喜んだ記憶があったんだけど・・・・。

 今、調べてみたら、この曲がオリコンに7位に初めてランクインしたのが、1985年2月18日付。

 高校受験の日が1985年2月13日、14日。。。

 あれれれ・・・、日にちが合わないぞ。。。

・・・う〜ん、オリコン7位にランクインしたって喜んだのは、記憶違いだったのかなぁ。。。。

 何分、既に30年前の「遠い記憶」なので、定かぢゃなくなった。。

 いや、絶対、国鉄(当時)木更津駅の東口に通じる通路で、そんな話した記憶があるぞ・・・。遠い記憶だけど・・・。ふらふら


 なんて、わけわかんないマクラで入った今日の1曲セレクトだけど、正直、この曲を聴くまで、個人的には、佐野元春っていうヒトは、積極的に聴いてなかったんだよね。
 このテの「ニューウェイブ」系は、どうも、まだ、なじめない頃でさ。

 まあ、やっぱし、主流はアイドル系だったからなぁ、まだ、あのころは。

 だから、既に邦楽は佐野元春、主流は洋楽に移ってた、そのトランペットの彼は、随分大人っぽく感じたけどねぇ。(まあ、そいつの場合、アニキの影響が強かったようだけど。。。)

 この曲からだね、佐野元春ってヒトを聴きだしたのは・・・。というか、ニューウェイブ系を聴きだしたのは。

 この85年ってのは、音楽業界的にも転機でさあ、まあ、一つアイドル系が爆発ふらふら (←まあ、言及しなくても、ご想像のとおりデス)、それともう一つは、ニューウェイブ系の台頭だよね。

 それまでアルバムでは実績があった佐野元春が、シングルでヒット狙いに来るとは、それまでだったら考えられなかったことだし。
 これをきっかけに、ニューウェイブ系がどっとヒッチャートになだれ込んでくるようになったわけで・・・。

 とりわけ、エピックソニー勢が元気だったよな。佐野元春を筆頭に、渡辺美里がブレイクの兆し・・・。あとLOOKもそうだったよね。
 プラス、レベッカのソニー勢か。。。 いずれにしてもソニーグループのニューウェイブ系が元気だった年だったよね。

 佐野元春って、単に新しいだけでなく、バックにホーンセクション入れてたじゃん。あれがカッコよくてね。
 サックス、あってもトランペットまでは、それまでもあっても、トロンボーンまで入ってるのがカッチョよかっんだな。

 あ、はい、ワタシがトロンボーンやってたからってのもあるわあせあせ

 ・・・ということで、高校の文化祭で、この曲をレパートリーに選曲したのもいうまでもない・・・。あせあせ


 ところで、この曲、当時の「国際青年年」のイメージソングだったことを覚えてるヒトってどれくらいいるんだろ?
 NHKで毎日のように流れてたな、この曲。 それがまた、違和感があってね〜あせあせ

 あのころは、何年かに一度「国際●×年」っていうキャンペーンやってたよね。

 ・1979年 国際児童年⇒キャンペーンソング、「ビューティフルネーム」ゴダイゴ

 ・1981年 国際障害者年⇒キャンペーンソング、「地球の仲間」トランザム

で、1985年が国際青年年だったわけですわ。

 で、まあ、そのたびにNHKがキャンペーンを張ってたんだけどさ。
それぞれ取り上げてたアーティストが、結構、シブイんだよね、当時のNHKとしてはさあせあせ

 この「Young Bloods」の代々木公園で撮影したPVもカッコよかったしなぁ。・・・っていうか、この曲、生で歌っているところをワタシャ、見たことないんだけど。。。

 当時のライヴでは歌ってたんだろうけどねぇ。
COUNTDOWN JAPANでは、何回か佐野元春見てるんだけどねぇ、まだ、一度もこの曲に遭遇してない。。。
 
ちなみに、「ザ・ベストテン」では11位止まりだったんだよねぇ。。あれが惜しくてねぇ。
 たしか11位で6100点台(1985年4月11日放送分)。。。通常なら、楽々ベストテン入りだったのにな。

 もし、10位内にランクインしてたから、出演してたんだろうか。。。いや、まあ、まず、出演してなかったろうな。。。
 とか、思いながらも、やっぱし、惜しかったよなぁ。。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

Christmastime in blue / 佐野元春

1985_12_Christmastime in blue_佐野元春







今日の1曲セレクトは、「Christmastime in blue」佐野元春です。

 まず、データです。

・タイトル    Christmastime in blue
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1985年11月21日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   13.4万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1985年12月2日〜12月30日付

 いやー、今日は寒かった! 日中でも、「夜か」と思わせる寒さで、ほとんど1日フトンに包まって過ごしたワタクシですわ。ワタシの部屋、8畳なのにハロゲンストーブ1台しかないので、富に寒いのよ。。。 ここのところ、ずっと暖冬だったのと、PCの熱で、結構あったまるんで、それほど、暖房がいらない年が続いていたんで、ハロゲンストーブしかないんだけど、今年は兎に角「寒い」。。。 正月は「冬眠」する予定です(^^;;;;

 さてさて、寒さとともに、本格的にクリスマスっていうイメージが強くなってきましたね。
 今日からは、本命的なクリスマスソングと参りますかね。

 まずは、佐野元春氏の「Christmastime in blue」です。

 でも、この間、甲斐バンドの「安奈」でも書いたように、個人的には、土臭い曲が好きなんですわ。不器用というかね。
 佐野元春って、それとは、全くの正対象ない位置に居るっていうイメージが強かったんだよね。

 つまりぃ、性格的にスマートなら、曲もスマート、都会的っていうイメージが強くてね。サウンドからして、「すきっ」としてるでしょ。ムダがないっていうか、効率的っていうか・・。
 最初、なんか、そういうイメージの部分が個人的に取っつきにくくてねぇ。多分、佐野元春っていう、意識を初めて持ったのは、83年春のコンセプトアルバム「No Damage」の時だったと思うけど、最初は、全く触手が伸びなかったな。

 でも、83〜84年ごろから、サウンドの傾向が変わってきたんだよね。日本のヒット曲全体のさ。
 それまでは、土臭い、ダサめの音が主流だったんだけど、より、都会的なハイセンスな音が主流になってきたわけで、個人的にもこの2年間で、随分、そういう音に慣れたんだよね。

 で、初めて、佐野元春の「音楽」が抵抗なく聴けたのは、この「Christmastime in blue」の一つ前の「YOUNG BLOODS」からだろうな。
 佐野元春ってバンドにブラスセクション入れてだゃん。あれが、結構カッコよくてね、ワタシもずっとブラスやってたから、意識するようになったんだなぁ。

 で、この曲、「Christmastime in blue」。

 とにかくね、、次の年のアルバム「カフェボヘミア」を聴くまで、最初の入りの

♪雪のメリークリスマスタイム 揺れる街のキャンドルライト
 道ゆく人の 波に流れるまま Christmas Time In Blue ♪

のところだけしか、印象になくてね。セミバラードのメロディの美しい、ラブバラードか・・っていうイメージだったんですよ。

 でも、ちゃんと聴いて、180度変わりましたね。イメージが。
 この曲、おおよそ、クリスマスのイメージとは、思いつかない、レゲェなんだよね。全体的な曲の流れは。
 それに気付いた時には、ちょっと衝撃的だったですわ。

 それと、単なるラブバラードっていう枠を超えてるんだよね。実際は。

 
♪ 愛している人も 愛されている人も
  泣いている人も 笑っている君も
  平和な街も 闘っている街も

  メリー・メリー・クリスマス
  Tonight's gonna be alright ♪


ってあるように、兎に角、どんなヒトにもクリスマスは、平等にやってくる。そんなクリスマスに、みんなで歌おう、「メリークリスマス」って感じの、強烈なメッセージソングだったんだよね。

 そのあたりは、ジョンレノンの「ハッピークリスマス」なんかに共通してるのかなぁ・・と思いますけどね。

 それまでの日本のヒット曲ってさあ、クリスマスっていうと、とかく、カップルで過ごすクリスマスか、一人で過ごすクリスマスってどちらかだったぢゃない? 
 まあ、これは、今の曲もほとんどそうなんだけどさ、こういうメッセージ性のあるクリスマスソングってなかった気がするんだよね。
 そこに、メスを入れた、最初の曲だったんではないかなぁ。

 レゲェの一種、軽薄なリズムの裏では、結構強烈なメッセージが含まれてる曲って感じで、それはそれで、衝撃的だったな。


 それと、もう一つ、忘れてならないのは、この曲、「12インチシングル」だったんだよね。
 
 って書いてね「なつかしい」って思えるのは、やっぱ、同世代の方たちなのかなぁ。
 知らない方のためにちょっと説明すると、アナログレコード
の場合、通常12インチのLP盤と、7インチのEP盤があったんだけど(正確には、ずっと昔には、12インチのSP盤もあったけど)、通常は12インチは「アルバム」で、7インチが「シングル」だったんだけど、それをわざわざ12インチで収録曲をおさえた、「12インチシングル」っていうのが、流行った時期があったんだよね。

 要は、いまでいう、「バージョン違い」っていうのかなぁ。通常とは、異なるバージョンを収めたシングルって感じなんだけど、もともと、アルバム用の盤だから収録時間が長いんだよね。
 だから、12インチシングルってのも、得てして、1曲あたりの時間がなかったですよねぇ。1曲、10分越えるのもざらだったし・・。
 あとは、今と同じで、マスタリング、音質の問題も追ったんではないかな。これは、どっちかというと、音にこだわりをもったアーティストに12インチ盤って多かったですよね。
 佐野元春の場合は、完全な後者のタイプって感じで、このころ、12インチシングルをかなり出してましたよね。

 ヒット曲界全体を見ても、84年、85年って12インチシングルが全盛期で、アイドルもこぞって出してたよなぁ。
 有名どころでは、中森明菜「赤い鳥逃げた」(シングル「ミ、アモーレ」別バージョン)、松田聖子「ダンシングシューズ」、小泉今日子「ハートブレイカー」、チェッカーズ「ハート オブ レインボー」あたりかな。
 これ全部85年リリースなんだけど、全盛期はやっぱ、85年になるな。

 ただ、このころは、いつの世にもある粗製濫造っていうところもはなはだしくてねぇ。小泉今日子の「ハートブレイカー」なんて、さいしょの4〜5分、ただの雑音が入ってるだけなのよ。よくさ、シロートがラジカセの録音ボタン押しっぱなしにしてて、わけのわかんない、雑音が録音されてたってことあるじゃん。 あれと同じような、全く意味がない音が、4〜5分永遠に流れるっていう、めちゃくちゃ、意味なし、アバンギャルドな「レコード」で。実際の曲なんかは、別に12インチにしなくて良いじゃんっていう長さなんですよ。

 あとは、むりくり意味なしのアレンジを加えて12インチにしたって言う曲とかね。ほとんどが、この「12インチ意味なし」レコードだった気がするな。


 そういう、風潮のなかで、この曲は、もともとコンセプトからして、しっかり作られた、12インチシングルとして、必然的な曲でしたね。

 ちなみに、12インチシングルが最初ポピュラーになったのは、1979年の

 親父の一番長い日 / さだまさし

では、ないかねぇ・・。これは、12分30秒って言う長さいえ、普通の7インチに収まりきれなかったんで、12インチシングルにせざるをえなかった・・という、逆にある種、必然的に12インチになった曲でして・・・。(^^;;;;;;;

 まあ、曲はそれぞれいろいろあるわな。。。。




※2005年12月に書いたものの再掲載です。

記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん