かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

佐瀬寿一

赤い衝撃 / 山口百恵

1976_12_赤い衝撃_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「赤い衝撃」山口百恵です。

まずはデータでする。

・タイトル      赤い衝撃
・アーティスト    山口百恵
・作詞        千家和也
・作曲        佐瀬寿一
・編曲        馬飼野康二
・リリース日     1976年11月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数   50.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1976年12月13日〜1977年1月31日付


あー、やっとここまで書けた。。 毎度毎度、ここまで書くまでが長いのよ。
頭の中ではあれこれ考えてるんだけど、なかなか筆が上げらけない。 
今回も書こうと思えば、昨日のうちに書き始めてもいいところ、結局ここまで来るのに1日かかっちまったわい。
あー、非効率。

それもこれも、今回引っ張ってきた曲のおかげなんだよなぁ。
今回引っ張ってきた曲、今となっては音源も手元にあるんで、頻繁に聴いてはいるんだけど、リアルタイムでは聴いてなかったからなかなか書き出しが浮かんでこなかったんだよね。

その曲とは、 山口百恵「赤い衝撃」

売り上げ50万枚を上回り、百恵さん中期の代表曲の1曲といっても過言ではないこの曲。 しかもあの「赤いシリーズ」の同名タイトルドラマ(1976年11月〜1977年5月放送)の主題歌でもあったわけで。 おそらく私よりちょっと上の方は、ほとんどの方はリアルタイムで聴いてたんだろうなぁ・・・と思う。
だけど、私はまだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったからなぁ。 

1976年といえば私は7才。小学1年生。だから、世代的に微妙なんだよね。

年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいる方は、「赤いシリーズ」も一緒になってみてただろうし、だからこの曲もリアルタイムで聴いてた方もいるでしょうね。 
私の一つ上の森口博子さん、二つ上の原田知世さんはともに、リアルタイムでドラマを見てたしこの曲も大好きだったって言ってるしさ。

でも、一人っ子のワタシは、当時は全く知らない世界だったからねぇ。赤いシリーズもリアルタイムでは見てなかった。
「赤いシリーズ」を制作していた大映ドラマっていえば、ワタシ的にゃ、「スチュワーデス物語」や「少女に何が起こったか」なんかのTBS火20時ドラマや「スクールウォーズ」だったからさ。 一世代後なんだよね。

だからさ、正直言えば、この「赤い衝撃」もリリース年が、最近まで今一つあいまいで覚えてたんだよね。

うん、1976年じゃなくて、1975年リリースだとばっかり思ってたの。

そう覚えてたのは、この曲の曲調もあったんじゃないかなぁ。。と思うんだよな。 

1976年11月リリースにしては、今一つ垢抜けないんだよねぇ。 アイドルとして同時期にヒットしてたのが、ピンク・レディーの「ペッパー警部」ですわ。

あの曲の斬新さから比べると、それよりも1年前の・・・っていうイメージが拭えないんだよなぁ。

そもそも大映ドラマってVTRが主流になり始めてた当時のドラマの中にあっても、フィルムドラマだったしね。 テレビドラマというよりかはテレビ映画というところが強かったかもしれない。それは、80年代に入ってからもそうで、そんなところからも少し古さは拭えなかったわけで、それは、主題歌のこの曲でもそうだったんだろうな。

まあ、作詞者の千家和也氏も作曲者の佐瀬寿一氏も、どっちかといえば70年代前半というイメージの方たちだったし、曲調に少し古さも感じるんだろうね。

古さっていうのは、メロディラインというよりは、実際のサウンドなんだろうな。特に音質。 いや、音場っていうのかなぁ。 実際のレコード音源の音の奥行だよね。

70年代って中盤頃までって、音に奥行きがない曲が多いんだよね。なんか、リバーブもかかってない狭いスタジオの中で録音したような、立体感がない平面的な音というかさ。個人的にはそういう音にどこか古さを感じるんだよなぁ。

そんな奥行きがない音から、立体的な奥行きがある音の曲が増えていったのが、ちょうど76年の後半から77年頃じゃないのかなぁ。 この当時のヒット曲をいろいろと聴いてるとそんな気がする。 78年頃はヒット曲のほとんどが奥行きがある音になってるもの。

では、この赤い衝撃はどちらなのかといえば「前者」なんだよね。 まあ、最近のリマスターされた音源は、当時よりも大分音質が改善されて奥行きのある音になってるけど、当時のシングルレコードの音は平面的でボコボコな音質だもんね。


でも、そんな古さを隠せえない曲調のこの曲だけど、結果的には50万枚オーバーだったわけで売り上げを見る限りは成功だったんだよね。

ここでも何回も書いたけど、70年〜80年代ごろまで大ヒットの目安として売り上げ50万枚があったんだよね。

70年代アイドルにとって、この50万枚っていうが一つの「壁」になっていたのよ。 

この50万枚の壁に、同じ中三トリオだった桜田淳子さん、森昌子さん、新御三家の郷ひろみ氏、野口五郎氏は大分苦しめられてたからなぁ。

そこから見ると、50万枚オーバーを5作もってる百恵さんはやっぱり別格だったんだよな・・・っていう印象が強い。

ただ、そんな百恵さんでもいつでも50万枚を突破できたわけではなし、デビュー以来から見ると、この「赤い衝撃」は、74年の「冬の色」、76年の「横須賀ストーリー」に次ぐ、3作目の50万枚突破となる。

「赤い衝撃」は、百恵さん主演としては赤いシリーズ第4作目のドラマだったんだけども、主題歌のタイトル曲としてリリースされたのは、この曲が最初なんだよね。

もちろん、それ以前の「赤いシリーズ」の主題歌もレコードとしてはリリースされているけど、いずれもシングルのB面としてのリリースだったわけで。

この曲の前の「パールカラーにゆれて」のリリースが9月。 当時の3か月ローテーションリリースから見ると、次のリリースは12月だったわけなんだけども、1か月前倒して11月21日のリリース。 つまりは臨発的なリリースだったわけだけど、リリース月を前倒ししてまでローテーションをかえたってことは、それだけ当時の「赤いシリーズ」の人気がうかがえるんぢゃないのかなぁ。

ちなみに、この「赤い衝撃」の次のシングルが「初恋草紙」って曲なんだけど、この曲のリリースが77年1月。
まだ、この「赤い衝撃」のヒット中のリリースだったもあり、すっかり影が薄くなり、売り上げが全く伸びなかったという伏線もあったわけで。。
もっとも、当時のドラマは2クールが通常だったわけで、「初恋草紙」リリース後もドラマが続行されていたこともあって影が薄くなったということもあったのだけど。。。
この「初恋草紙」についてはまだいずれ。




ところで、TBSで放送されていた「赤いシリーズ」。この次の年の赤いシリーズ「赤い絆」の主題歌だった「赤い絆〜レッドセンセーション」は、だからTBSの歌番組でしか歌われていなかったはず。
さらに言えば「ザ・ベストテン」でぐらいしか歌われなかったと思う。
 そこからすれば、この「赤い衝撃」もTBS以外の歌番組では歌われてなかったんじゃないのかな。
もっとも、まだ「ベストテン」は始まっておらず、TBSの歌番組といえば「ベストテン」の前番組だった「トップスターショー」や「サウンド インS」などしかなかったと思うけど、「トップスターショー」には百恵さんは一度も出演してなかったようなんで、この曲も歌われてなかったはず。・・ということは、テレビではこの曲歌われてなかったんじゃないのかな。
Youtubeにこの曲の「ヒットスタジオ」なんかの歌番組動画が上がっていないのはそのせいのはずよ。

つまりは、この曲、ドラマとせいぜいラジオの歌番組だけで、ここまでヒットしたんだよね。 当時のアイドル曲としては異例なヒットの仕方だったんぢゃないかな。



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パールカラーにゆれて / 山口百恵

1976_11_パールカラーにゆれて_山口百恵
 


今回の1曲セレクトは「パールカラーにゆれて」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル    パールカラーにゆれて
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      佐瀬寿一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1976年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  47.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月4日〜12月6日付

うーむ、今日は他に「キニナル曲」も2本書いたからなぁ・・・、一体何文字書いてるんだろう? 
・・・っつうくらい、1日中パソコンの前に座っている・・・ような気がするなぁ。
さてと、もう一息ですぞ。

・・・ということで、今回の1曲セレクトはどうするべーな・・・と。。。 まあ、いつものことながら、昔のオリコンひっくり返したり、明星の歌本ひっくり返しながら、うんうん唸っていた訳なんだけど・・・。
76年のYoung Songをひっくり返してた時に目に入った曲が・・・。

「あ、これでいいや」・・・とひっぱってきた曲がこれ。。

山口百恵「パールカラーにゆれて」。

この曲は、中期の山口百恵さんの代表曲でもある、あの大ヒット曲「横須賀ストーリー」の次の曲だったりする。

なにせ、オリコンで7週連続1位っていう百恵さんの楽曲の中で、最長1位だった「横須賀ストーリー」を受けての曲。 そんな大ヒットの余熱もあって、この曲も全曲に引き続きオリコン1位を記録。

しかもですヨ、いま手元に残る当時のオリコンチャートをひも解く限りでは、「初登場」で1位になってるけど・・・。

あれ? そうだったかなぁ。。。。 なんか自信ない。。。

オリコンチャート史上、初の「初登場1位」っていうのは、76年1月の「およげ!たいやきくん」であることは、間違いないんだけど、それに次ぐ初登場1位楽曲っていうことか。。。

今でこそ、初登場1位なんて、毎週のように当たり前に起こっている現象な訳で、全く珍しくもなんともない現象だけど、41年前の76年当時は、とんでもない記録だった訳ですわ、初登場1位なんて。

当時は、チャートは、下位からジワリジワリとランクアップさせ、苦労した末にトップに立つっていうチャートアクションが常だったわけでさ。

それは、当時「スター」の地位にあった、百恵さんでさえそうだったんだよね。

それいえに、この初登場1位っていうのは「珍事」であったことは間違いないところなわけでさ。

もっと、当時のオリコンチャートの集計期間は、今とは異なっていたし、発売日もオリコンの集計期間に合わせて・・・なんてことは皆無だったから、リリース後、1日集計で下位にチャートイン、次の週にジャンプアップっていうこともままあった。

ま、その影響で一番有名なチャートアクションは、ピンク・レディーの「カメレオン・アーミー」の88位初登場⇒1位ってジャンプアップ1位獲得記録だったりするんだけどさ。

裏を返せば、この曲は、オリコンの集計期間にピッタリ嵌まったリリース日だったって事なんだろうな。

まあ、そう言うチャートアクションがなされたのも、前曲「横須賀ストーリー」の大ヒットの余熱が冷めやらぬころのリリースだったってことは、多分にあるんだけどさ。

でも、そんなノリにのっっている頃の曲としては、ちょっと売り上げがタンパクじゃないかなぁ・・・っていうところはあった。

たださ、残念ながら、この曲、実際の曲ってどんな曲なのか・・・ってずっと知らなかったんだよね、ワタシ。

76年でしょ、ワタシ、当時、まだ小学1年生で、ヒット曲聴いて無かったからなぁ・・・。

実際に聴いたのは、大人になってからでしたねぇ、たしか。 そそそ、いつかも書いたけど、92年にオリコン歴代ベスト500をカウント形式で放送していた、ニッポン放送の番組で聴いたのが最初だったかもしれない。

でねぇ、その時感じたのが、「あ、やっぱりな」って感じだったんだよね。 つまりさ、「あ、やっぱり売れそうにないや」っていう印象だったわけよ。

なんか、ちょこっと、「中華風」の、いわいる4、7抜き音階のような曲調でさ。 やすっぽいブラスとストリングスが前面に出て来ているような。。。「ザ・70年代歌謡ポップス」っていう・・・。

実はさ、当時、歌謡ポップスを全く聴いてなかった訳じゃないんだよね、ワタシ。耳にはしていた。

毛けど、それよりも「ポールモーリア」の方が好きでねぇ。 歌謡曲ってなんか安っぽく感じてたんだよな、その安っぽさっていうのが、チープなプラスとストリングスのサウンドっていうのかなぁ・・・。 ま、ともかくポールモーリアよりもグレードが下に思えたんだよね。 その辺が今一つのめりこめなかった要因かもしれない。

ま、それがいつの間にやら、のめりこみ―の、仕事にしているんだから、ワタシもかなり現金な性格なんだけどさぁ。。。

いずれにしろ、この曲は、言ってみれば「つなぎ」的な曲なんだよね。 そんな曲がオリコン1位を5週間も獲得し、47万枚も売ったっていうんだから、やっぱ、当時の百恵ちゃん人気は「ホンモノ」だったって事ですよね。

ただ47万枚も・・・ってかいたけど、チャートアクション的には、当時のチャートチャートアクションからみるとかなり淡白な動きだったんだよね。
1位からランクダウンしてからは、あっという間にランクを転げ落ちていたりする。

これはさ、この年の11月下旬に、次の「赤い衝撃」をリリースしたからに他ないんだけどさ。。 そそそ、76年リリースの曲としては「横須賀ストーリー」に次ぐヒットとなった、例の「赤いシリーズ」の主題歌ですわ。
そっちに注目が行っちゃったんだよね。 

あ、「赤い衝撃」もまだ書いてなかったんだよな。 この曲については、後日改めて書こうと思いまする。 

たださ「赤い衝撃」は、この「パールカラー〜」よりも未だに幅広く人気があるし、売り上げも上だったりするんだけど、オリコンで1位獲得には至っていない。

うーん、この辺が当時のヒットチャートの難しいところなんだよねぇ。 累積の売り上げだけでは、瞬間的ともいえる週間のランキングは必ずしも測れないってところがさ。

ま、だからこそランキングそのものに重みがあった訳だし、面白さがあったんだけどさ。



ちなみに、作曲の佐瀬寿一氏は、あの「およげ!たいやきくん」の作曲者としても有名。 佐瀬氏にとってこの年はホントに「当たり年」だったわけですわね。


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暑中お見舞い申し上げます / キャンディーズ

1977_07_暑中お見舞い申し上げます_キャンディーズ







今回の1曲セレクトは、「暑中お見舞い申し上げます」キャンディーズです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     暑中お見舞い申し上げます
・アーティスト   キャンディーズ
・作詞       喜多条忠
・作曲       佐瀬寿一
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1977年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    29.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年7月11日〜8月29日付

 最近、ポカリスウェットのCMで、「暑中お見舞い申し上げます」が流れてるじゃん。
そそそ コレ ↓ 



これ何となくいいんだよな。キャンディーズの特徴を捉えてて。
吉田羊さんと、鈴木梨央っつうの? 子役のコ。 仮想親子としては、いい味出してるよ。

 そう言えば、ワタシがキャンディーズの「暑中お見舞い〜」当時、ちょうど、鈴木梨央さんくらいの頃じゃなかったかなぁ。
 となりの幼馴染の女の子が、よく、この曲歌ってたのを覚えてるわ。 

当時、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったワタシも、だから、この曲は良く覚えてたな。


・・・ということで、、今日の本題は、キャンディーズです。


 暑中お見舞い申し上げます。

 なんだけど、今日7月17日っていうのは、キャンディーズにとっては歴史的な日だ。

 そう、例の日比谷野音でのコンサート最中、関係者も全く知らないところでの、文字通りの電撃「解散宣言」を行った日だ。
 例の「普通の女の子にもどりたい」発言ですね。

 もちろん、先ほどの番組でもこの場面はかなり詳しく放映した。正直言って、ここまで、詳細に放映したのは当時以来なんぢゃないかなぁ。

ま、それはともかく、この大騒動の最中 「持ち歌」として通常歌っていたのが、この「暑中お見舞い申しあげます」だ。


 正直言って、この曲には、こんな「大騒動」を起すような予感なんざ、全く微塵の欠片もない、とっても、元気な曲だよね。

 折りしも、「ライバル」のピンクレディーも、「渚のシンドバッド」で同じように「夏」っぽい曲を歌ってたわけで、曲の面での雌雄対決としてもいい組み合わせだったんぢゃないかなぁ。

 そういう、「電撃解散」の予感を全くさせなかったから、余計、この「解散発言」劇は、衝撃的だったんだけどねぇ。

すべてが上り調子、いよいよこれからが本当の絶頂期って時の突然の引退宣言ということでも、衝撃的だったんだけど、まあ、これもアイドルとしての、本来のひとつの生き方でもあるんだよね。

 それまで、アイドルは、あくまで「大人社会」のお人形。
言葉悪く言うと金づる。 自己主張なんていらない、それどころかタブーだったわけぢゃない。
 
 それを、わかっていながらのあえて解散宣言というところが、価値があるんだよね。見方によっては。 アイドルの人権宣言。
 ここに70年代型アイドルの「型」の神話は崩れ去ったんではないかなぁ。そういういみでも今考えると画期的な行動だったわけだよね。

 ま、たしかに、あの当時は、そんなことを考えるひまもないくらいの騒ぎだったけだけどさ。。。。




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パタパタママ / のこいのこ

1976_06_パタパタママ_のこいのこ






今回の1曲セレクトは、「パタパタママ」のこいのこです。

 まずはデータです。

・タイトル    パタパタママ
・アーティスト  のこいのこ
・作詞      高田ひろお
・作曲      佐瀬寿一
・編曲      佐瀬寿一
・リリース日   1976年6月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   27.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 16位
・タイアップ:フジテレビ系「ひらけ!ポンキッキ」より

 やおら・・・、なっつかしいなぁexclamation ×2 この曲。「パタパタママ」。

 え? 知りません? 昔、フジテレビでやってた「ひらけ!ポンキッキ」の中で流れてた曲。 今45才前後のワタシと同世代の方には懐かしいんじゃないかなぁ。

 そそそ、日本一うれたシングルの、あの「およげ!たいやきくん」と同じ、高田ひろお氏と佐瀬寿一氏が作り上げた曲ですね。

 流れてたのは、いつだったかなぁ・・・。たしか、ワタシが小学校に上がるか上がらないか・・・の頃だったと思うんだけど・・・。

・・・と思ったら、リリースは、1976年の今ごろだったんだよね。

 そうか・・・そうすると、小学1年生に上がってたんだな、ワタシ。

 ポンキッキって、朝が本放送だったけど、当時は夕方から再放送やってたんだよね。
 たしか、夕方の5時からだったかなぁ・・・。その前に「ピンポンパン」の再放送もやってたような気がする。

 もちろん、ワタシ、ほかの人に違わず、ずっと見てたな。
(ちなみに、後年はTBSの「夕焼けロンちゃん」にシフトしたのでした。。。←すいません、関東ローカルだったと思うんで、他の地区だったヒトは知らないよね。。。)


 だけど、「ポンキッキ」から生まれた曲って、結構あったよね、当時。
 注目されるのは、どうしても「A面」の方の曲なんだけど、B面の方も結構面白かったりして。。

 「たいやきくん」のB面が、なぎらけんいち氏の「いっぽんでもニンジン」なのは、有名なところだよね。

 で、もって、この「パタパタママ」のB面は「ホネホネロック」だったりして・・・ふらふら


 ・・・・なんていう、「パタパタママ」だけど・・・曲は、「たいやきくん」の「哀愁感」漂う曲調と打って変わって、スピード感ある曲だったよね。


 ♪ パータパタママー パータパタママー パーターパター ♪

 っつうのふらふら

 そんでもって

 ♪6じ あまどパタパタうるさいなー 
  7じ おなべケロケロ だいどろこー ♪

 って具合に、1時間ごとの「出来事」を歌っていくの・・・。

 ・・・でもって最後が

 ♪パタパタママ パクパクママ もう8じ そろそろボク パシャマをきておやすみさ〜 ♪

 ってなっているわけで・・・。うーん、当時は、これにならって、8時には寝てたワタシですふらふらふらふら

 なんて健康優良児だったのでしょうふらふら


 とろこで、のこいのこ ってヘンな名前だけど、まあ、関東地区のヒトは、「オノデン」のCMで知らないヒトはいないよ・・・ね。

 ♪ オノデンぼーやが未来と遊ぶ〜 電気いろいろ秋葉原〜 ♪ってCM歌ってたヒトですよん。

 レコードジャケットもそんなイラストだけど、チリチリあたまのねーちゃんでしたね。

 ところで、のこいのこ さんとポンキッキっていう、もう1曲、「ハッスルばーちゃん」って曲があったんだけど・・・。

 ♪いなかの いなかの ハッスルばーちゃん ジャンボにのってやってきた 〜 
 〜 あーあ おばあちゃん 78歳 だって 〜 ♪

っていうの。。 

 あれ? しらないかな?

 当時、丁度、ソウル・ディスコブームだったじゃん。

 ヴァンマッコイの「ハッスル」が大ブレイクしてて。それにかけてんだよね。そんな感じの曲だったもの。

 ワタシこの曲、好きだったんだけどなぁ・・・。この曲、オリコンにはランクされてないのねぇ・・・。

 ・・・そのまえに、レコードリリースはされてないのかもしれないけど。。。

↓ コレ


うわっ、今聴くと、ヴァンマッコイ、 「モロ」だねぇ〜。


・・ということで、「パタパタママ」の動画



しかしさあ、こんな完全子供向けの曲が、30万枚近く売れた時代。今じゃ考えられないよなぁ。
そう言えば、この年は、ポンキッキとは対抗馬的に、NHK「みんなのうた」からは、「山口さんちのツトム君」って曲も50万枚近い大ヒットだったしな。
 この年は子供向けソングのアタリ年だったんだよね。
ちなみに当時は、オリコンは、アニメソングは、一般曲とは別扱いで売り上げを発表していなかったんだけども、同じころリリースされた、「キャンディキャンディ」なんかは、ゆうにミリオンセラーになっていたって話だしね。
 それだけ子供の数が多かったってことだよなぁ。第2次ベビーブームの頃の子供が物心ついた頃だもんね。
ワタシもその中の一人なんだけども。。。


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