かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

井上陽水

青空、ひとりきり / 井上陽水

1976_01_青空、ひとりきり_井上陽水


今回の1曲セレクトは、「青空、ひとりきり」井上陽水です。

まずはデータです。

・タイトル    青空、ひとりきり
・アーティスト  井上陽水
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      矢野誠
・リリース日   1975年11月25日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   25.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1975年12月10日〜12月29日付

2022年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
さて、今年1発目の1曲セレクトは、そのタイトルから、今の時期の曲ということを忘れて、気が付くとヒット時期をいつも逸してしまっていたこの曲。

井上陽水「青空、ひとりきり」。

どうもね、タイトルからして、初夏とか、夏のイメージがあるんだよね、この曲。
で、いつもその頃になると思いだして、引っ張ろうと思うんだけども、実際のヒット時期を調べると、真冬の今頃なんだよね。

1976年の初夏の頃、たしかに井上陽水氏のヒット曲あったよな・・・という頭はあるんだけどね、どうも、次のシングルの「Good,Good-Bye」と間違って覚えている節もあるのよ。

今回、偶然にも、今の時期に「そういえば・・・」というのを思い出して引っ張ってきましたわ。

リリースが1975年11月でしょ。ワタシゃ6才、幼稚園の年長組の頃ですわ。

当然、井上陽水氏の曲はリアルタイムで聴いてないよなぁ。

ただ、自分のランキングを作り始めた時、 そそそ、1976年1月から作り始めたんで、その一番最初の週でベストテン近くにいたんで、よく覚えてますわ。

1976年のチャートを作り始めたのは、ワタシが大学生の頃なんで、かれこれ30年近く前になる。

冬なのに、「青空、ひとりきり」って、どうも冬っぽくないタイトルなんで。

一体どういう曲なんだろう? っていうのは、ずっと引っかかっていた訳よ。

きちんと聴いたのは、いつだろう?  いや、それほど昔ではなかったはずだ。

でも、初めて意識してこの曲を聴いたとき、 Aメロの

♪ 楽しい事なら何でもやりたい〜 ♪ という出だしのメロディをいた途端、「あ、この曲か〜」っていう思いがあったんだよね。

きっと、メロディとタイトルが一致していないところで、昔聴いてたんだろうな、この曲。

もちろん、いつ聴いていたかという記憶は全くない。

でも、今、この曲を聴いて浮かんでくる、絵面は、どこまでも70年代の中盤ですわ。
TBSの「おはよう700」っていう、平日の朝のワイド番組やってたじゃん。あの中の人気企画だった「キャラバン隊」。 あそこでかかっていた一連の曲、例えばこの時期だったら、ダニエルブーンの「ビューティフルサンデー」とかさ、もう少し後では、のジョニー・ウエイクリン「イン・ザイール」とかあの辺で思い浮かんだ絵面に近い。

うーん、うまくコトバにならないんだけども、70年代中盤頃の空気感なんだよ、どこまでも。

このころ、いわいるニューミュージックがメジャーになりつつあったんだけど。
そそそ、今をときめく「シティ・ポップス」を含めた、新たな形態の音楽だ。対歌謡曲としてのシンガーソングライターを中心とした新しい音楽の地平。

この曲も、当時確立されつつあった、そんなニューミュージックに属する1曲なのかもしれない。
フォークでもない、ロックでもない新しいタイプの1曲。

ただ、今でいう「シティ・ポップス」ほどは垢ぬけていない。 まだどこかフォークの残り香も感じるし。 ただ、かぐや姫のような純粋なフォークではない。あくまでベースとしてのフォークあであり、表面的な部分はもっと別の音楽なのよ。 あの頃世界的にはやっていたソウル的でもあるし、バックでなっているブラスは、この曲の少し前のブラスロックっぽくも聴こえるし、R&Bっぽくも聴こえる。

恐らく高中正義氏が弾いていると思しき、イントロのギターリフの音色とかね。少し前の「猫」の「雪」っていう曲を彷彿させたりして、つまりは表面的には黒っぽい音なんだよね。

そんなサウンドに、悲鳴にも似た金切声っぽい陽水氏の高音のボーカルが乗っかると、何とも言えない不思議なグルーヴになるのよ。 なんていうのかなぁ、もう少し後の時代の言い方だと、「無国籍」な音楽っちゅうのかなぁ。

そうだ、そんな「無国籍」なグルーヴ感が、あの1970代中盤のころのニューミュージック確立前夜の音楽から醸し出される匂いなんですよ。

スナックで飲むコーヒーの香りっていうのかなぁ。 コーヒーの香りと、酒の匂いが入り混じって充満しているような空間の匂い。
あの頃、幼馴染の友達の家で経営していたスナックに遊びに行ってたんで、その匂いの記憶がこびりついているんだろうけど、私的に1970年代中盤という言って感じる匂いは、そんな匂いですわ。

たださ、この曲の次のシングル「Good,Good-Bye」になると、俄然、シティ・ポップっぽい、都会的なあか抜けたサウンドになる。

この間、僅か数か月なんだけども、この間に、ニューミュージックっていうジャンルは、完全に確立されたといってもいいんだろうね。

確かに、ユーミンの「翳りゆく部屋」なんかも、全く同じころの作品だし、まさに時代の変革期が、この数か月の間で進んだとも言えるんじゃないかなぁ。

そんなまさに時代の端境期の只中にあった1曲ですね。 この「青空、ひとりきり」っていう曲は。


ちなみに、「青空、ひとりきり」も「Good,Good-Bye」も76年3月にリリースされたアルバム「招待状のないショー」に収録されている。
そんな時代の端境期、サウンドの変化が1枚に凝縮されているアルバムだったりもするんだよね。




なお、この「青空、ひとりきり 」から、陽水氏もフォーライフからのリリースになったわけですね。
1975年、小室等氏を社長として、井上陽水、泉谷しげる、吉田拓郎という、当時のトップフォークアーティスト4人で設立したレコード会社。

レコード制作だけではなく、アーティスト自ら、営業、宣伝までの全権を握りたいという、日本で初めてのアーティスト主導のレコード会社として設立。

紆余曲折はあったものの、その後の業界にもたらした影響は大きいわけですわな。


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背中まで45分 / 沢田研二

1983_01_背中まで45分_沢田研二   


今回の1曲セレクトは、「背中まで45分」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    背中まで45分
・アーティスト  沢田研二
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      白井良明
・リリース日   1983年1月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数 8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

明けましておめでとうございます。 ことしもよろしくお願いします。
目ぼしい曲もだいぶ少なくなってきちゃいましたが、今年も行けるところまで行ってしまおうと思いまする。
今年も一つお付き合いいただけると幸いです。

さて、毎年新年の1発目は、「1月1日」リリースの曲を書き続けてきたんだよね。
そんな事を何年やってきたのかなぁ、「1月1日」リリースのヒット曲ってのも、大分書いて来ちゃったんだよなぁ。だから、めぼしい曲が・・・・・。

・・・と困ってしまうんだけども。。。

でも、前々から気にはしてたんだけども、ずっと書いて来なかった「1月1日」リリースの曲があるんだよな。

今回は、その曲をセレクト。

沢田研二 「背中まで45分」

この曲は1983年1月1日リリース。 時代的に言えばこの曲の前が「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」。
そそそ、 ♪ 毎日ボク 眠れない やるせない Ha Ha Ha〜 ♪ とデビットボウイよろしく、右手を突き上げてたあの曲ですわ。

 この「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は覚えてらっしゃる方も多いですよね。もちろんオリコンでもベストテン入りし、26万近くうれましたしね。「ザ・ベストテン」では3位まで行ったしね。

でも、さすがにこの「背中まで45分」を覚えてる方は、少ないんじゃないかなぁ。 なんせオリコンで20位までしか行かなかったし、売り上げも、いきなり8万枚強に急降下しちゃったからなぁ。

当時の感覚から言って、まあ、初めから、これは売れないだろうな・・・とは思った。 ただね、いくら売れないと思っても、ベストテン入り出来ないほどの急降下になるとは、正直思わなかったんだけどね、個人的には。
 ジュリーほどのスーパースターともなれば、楽曲パワーが弱くても、それまでの実績・・・余熱でベストテン位はキープ出来るはず・・・・っていうのは、当時13歳のクソガキだったワタシでも生理的に分かってたんだよね。

生理的っていうのはおかしいか。。。 人気の尺度っていうのかなぁ。

でも、実際は、予想をはるかに下回る結果だったからさあ、正直ちょっと焦ったな。

ま、結局さ、それくらいパワーが弱い曲だったんだよね。 うーん、これも表現がよろしくないかなぁ。
パワーが弱い・・・というか、「大衆」的に求心力が弱いんだよね、楽曲的に。

うん、簡単に言えば「難解」過ぎるんですわ。

曲は、作詞、作曲共に井上陽水氏。 正直、これにも面を食らったんだけどもね。

井上陽水氏の曲は、70年代の当初から、正直、凡人のワタシニャ、よく理解できない世界の歌詞だったわけじゃん。でも、曲が素晴らしかったこともあり、理解が難しい詞の世界でも、なぜか自分の中に入ってくる。
うん、引っかかる・・・という生易しいものではなく、入って来るんだよね、まるで心霊現象のように。

80年代に入ると、さらにエスカレートしたというかねぇ、81年の「ジェラシー」は、まだいいとしても、82年夏の「リバーサイド・ホテル」はさあ、これは難解の局地だったもんな。
 いや、13歳のクソガキには、全く理解できない世界だった。すくなくとも身近には存在しえないような別の世界の物語のような・・・。 それに、それまではメロディ自体は理解しえたけど、「リバーサイド・ホテル」っていうのは、メロディでさえも、理解できなかったしなぁ。
いや、理解できなかったっていうのは、メロディを楽譜に置き換えた時、理解できないような譜面の羅列が想像できたからかもしれない。
言ってみれば、曲を左脳で理論的に聴いた場合、理解できないって事だったんだろうな。

それが、そのまんま、ジュリーのこの「背中まで45分」でも感じたんだよなぁ、きっと。

例えば、クラシックでジュゼッペ・タルティーニの「悪魔のトリル」っていう、超絶難関の曲があったりするでしょ。
でも超絶難関に思えるのは、おそらく、理論的な部分で左脳で考えてしまった場合に起こり得るんじゃないか・・・なんて思うんだよね。

ま、個人的にこの曲を弾いたことないから、あくまでも「想像」でしかないんだけどさ、例えとしてね。

でも、「悪魔」と言う部分では、共通してたかなぁ。陽水氏自信の「リバーサイド・ホテル」もそうだったけど、共通して、悪夢の世界というかねぇ、悪魔的なイメージがあったんだよね。
少なくとも、色鮮やかな世界の曲ではないじゃん。かといって暗黒の世界でもない。そうだね、暗いセピア色の世界と言うか。

実際に、当時の月刊・明星の付録の「ヤンソン」で、この曲の楽譜が掲載されてたけど、中1の自分からみても、正直、難解な譜面だったんだよね。で、譜面から感じる世界も、どこかモノクロや、ダークなセピア色の世界だったんだよな。

おそらく、そこから始まっているんじゃないかなと思うんだよな、この曲との付き合い方として。
やっぱり、そんなダーク世界の曲は積極的に聴きたいとはあんまり思わないからさ。 だから、ずっと、この曲を封印してきてたんですよ。 今の今まで。。。。


でも、これを書くにあたって、ひっさびさに聴いてみた。

うん、音源は持ってるんだよね、この曲の。。。 ま、ジュリーのベスト盤持ってるからさ。 でも、ずっと聴いて来なかったの。

でも、おや、当時感じた印象とは全く違うな。 そもそもイントロ最初のシンセの音からして、こんなに軽かったか
ま、たしかに、メロディライン自体は、変わらず難解だけど、でも、当時感じた悪魔的なセピアな世界は感じない。
うん、当時感じたダークな世界ではないな、今聴くと。 軽いんだよね、イメージが。

でも、どっかで聴いたようなイメージはある。 そうだ、ヒッキーの「Beautiful World」に似たイメージなんだ。
モノクロなんだけども、薄い靄がかかったような湿った感覚。

そうだ、その感覚から言うと、 当時のUKロックなんだよなこの曲は。 例えばイントロのシンセの音色なんてカルチャークラブっぽいし。。

そうだとすると、この曲も前曲の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」の延長線上にあったと言えなくもないのかもな。前曲はデビットボウイだったわけじゃん。ただ、前曲がグラムロックだとしたら、この曲は、もっと軽い小悪魔的軽いロックのイメージだったのかねしれない。
ただ、その根っこには、「UK」っていうのがあったわけで。

世界的な音楽の流れで言えば、ちょうど、この頃からアメリカ発よりもイギリス発のUKポップスやロックが、アメリカンポップスやロックを凌駕し始めていた頃だ。

だから、当時のジュリーは、そんな世界的な音楽の流れに乗っかってたとも言える。

でもね、当時は、まだ、そこまで日本のオーディエンスは、ついて行けるような状況ではなかったんだよね。
あまりにも先を行き過ぎていたんですよ。 

時代よりも半歩進んだ感じ。 ヒットの条件としては、これが大事だと言われるんだよね。
時代よりも「1歩」進んでも、1歩遅れてもダメ。 時代の潮流に乗り遅れるヒトのためにも「半歩って言うのが大事なんですよ。

それからいうと、この曲は時代よりも1歩も2歩も進んじゃっていたのかもしれないな。




当時の画像がなくてスンません。 まあね、34年前でベストテン入りしていない曲だからねぇ。


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夏の雫 / 三田寛子

1982_07_夏の雫_三田寛子


今回の1曲セレクトは、「夏の雫」三田寛子です。

まずはデータです。

・タイトル     夏の雫
・アーティスト   三田寛子
・作詞       阿木耀子
・作曲       井上陽水
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年7月7日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位

 昨日に引き続き、またまた変な時間に書いてる1曲セレクトどぇす。。。 なんかこの先 土日はこんな感じで「早朝」に書くのが日課になりそうな予感がするけど。。。。
 通常は夜、眠い頭の中書くんだけども、時間的な余裕があれば朝書いた方が頭もシャキッとしてるんで書きやすいって事もありますけどね。

さてさて、ここんところ、全体的にアイドルに偏ってるよなっていうのは否めないんだけども、そう言っておいて、今回も「アイドル」です。

三田寛子「夏の雫」

1曲セレクトもたまにヘンな曲を持ってきたくなるんだけど、この曲もそんな「ヘン」な曲に入るような曲ですかねぇ。
 リリースは、1982年7月。 この年の3月に以前書いた「駆けてきた処女」でデビューした三田寛子さんのデビュー第2弾シングル。
つまりは「花の82年組」というわけなんですが、この曲が今一つパッとしなかったんだよなぁ。

以前も書いたように、このヒト、デヒュー時は、数多くいた82年デビュー組の中でも、期待度も実績も、松本伊代に続く二番手だったんだよね。まあ、今考えると「意外」かもしれないけど・・・。
 そそそ同じ日にデビューしたキョンキョンよりも堀ちえみよりも「上」だったんですよ。

でも・・・・。 この曲で早くも躓いちゃいましたね。。。

デビュー時、三田寛子よりも「下」と見られていた、キョンキョンも堀ちえみも、夏にリリースした第2弾シングルは、軒並みデビュー曲を上回り、「人気」と言う点でもこの時点では完全に、三田寛子さんを抜いちゃってましたもんね。
 
なぜ、伸び悩んだかと言えば・・・・うーん、やっぱり、このヒトが本来持ってたキャラクターとのギャップがあったんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりして。
 このヒト、パッと見のルックスが今一つ「華やか」じゃなかったぢゃない どちらかと言えば陰がある顔立ちだったし・・・。そのあたりからなのか、この曲のジャケ写のように。少し大人っぽい「妖艶」なイメージに持って行ってしまった・・・というのが、ギャップの始まりだったかもしれないな。

少し陰がある・・・って言うイメージから山口百恵アゲイン・・・な雰囲気になってしまった感もあるし。
まあ、その辺は、当時三田寛子のディレクターだった酒井政利氏のイメージだったのかもしれないけど・・・。
デビュー曲に続き、この曲でも、作詞が阿木耀子女史を起用したのもその表れかもしれないけどね。

だからね、後年、「笑っていいとも」で見せてたような、おとぼけ「天然キャラ」っていうのを、この当時から作り手が見抜けていていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないな。

ところでさ、この曲で、まず目が行ってしまうのが作家陣だよなぁ。

・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一

超豪華・・・というまえに、うわっ、めちやくちゃ濃いメンバーやん・・・・ って言うのが先に立ってしまったりして 
 作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水っていうのは、前曲「駆けてきた乙女」がそこそこ成功したんで引き続き・・・って言うのはわかるんだけども、なぜにアレンジが坂本教授やねん ・・・って感じで。
超濃いメンバーでしたよね。 

でもね、実際に濃い曲なんですわこれが。  

デビュー曲「駆けてきた処女」は、作詞、阿木耀子、作曲 井上陽水・・・にしては、わりかし「まとも」なイメージで、このヒトたちの個性が、今一つ感じられなかったんだけども、この曲では、それぞれの個性が弾けちゃってる・・・というか・・・。 ま、良く言えば・・・・と言うところなんだけども。

特に、井上陽水氏のメロディね。当時としては、まあ、難解なメロディなんだよな。

出だしは、まともなありがちなサビ。 ・・・かと思ったら、いきなりぶっ飛んだようなコミカルなAメロ。 かと、おもったら、サビの続きか・・・と思わせるまともなBメロ。 ・・・かと思ったら、少しトーンダウンしたようなCメロ。

一体、どんだけ展開が変わるのよ・・・。くらい目まぐるしく変わる展開。
うん、この曲のレビューを書いてる他のブログを読むと、この展開の変化を「転調」って書いてるヒトがいたけど、転調ではないんだよね、キーは、ずっとCmのままなんで。あくまで展開が目まぐるしく変化してるって事なんですわ。

井上陽水氏は、この曲とほぼ同時に、自身のシングル「リバーサイドホテル」をリリースしてるけど、この曲も精神分裂気味な難解な曲だったじゃん。 なんかね、そんな精神分裂気味な難解なメロディをそのまま、この曲にも持ちこんじゃってた・・・ような感じも受けてさ。。。

それに輪をかけてアレンジがね。 デビュー曲の「駆けてきた処女」はアレンジが萩田光雄氏っていうプロのアレンジャーだったこともあり、井上陽水氏のクセあるメロディを上手く調和していたところあったんだけども、この曲は坂本教授でしたからねぇ。
 調和どころか、井上氏のクセのあるメロディに負けてたまるか・・とばかり、これまたクセのあるアレンジに仕上げてたりして。。。
 ま、通常、これだけ展開が激しいメロディの場合、イメージがとっちらかり気味になるんだけど、シングルとしてそれなりにまとめてあるのは、流石は教授・・・なんても思う。

・・・・かと思えば、阿木女史の歌詞。Aメロ、Bメロは直接的な関連がなさそうでいて、共に自分と彼との事・・・ってのは分かるんだけども、Cメロで、それまで全く出てこなかったKumi and Rumi なんて「謎」の女性がいきなり登場したりして ぶっ飛んでるよなぁ・・・。
(いずれもイニシャルを外すと 「umi」⇒「海」となって、次の歌詞にある「海の少女」に掛ってるんだよね。って最近知ったんだけど。。。

・・・ってな具合で、三者三様、持ち味を存分に発揮した曲ではあるけど、「歌謡曲完全攻略ガイド」でもレビューされているように、濃すぎる牛乳は、逆に飲みづらい・・・ということで、売り上げも伸び悩んだんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳ですわね。

ただね、それは当時思ったことであり、そういうシガラミは一切なんにも考えずに、今、この曲を聴くと、 それはそれで面白い曲ではあったかも・・・なんて再認識されてくるような曲ではありますけどね。


そういえば、この曲もデビュー曲に引き続きいて「カルピスソーダ」のCM曲・・・だったような気がするんだけどな。。
そう思って、ネットで調べてみたけど、今一つ確証が出てこないんだよね。なんで割愛しました。


・・・ということで、実際の曲を紹介したかったんだけども。。。
うーん、この曲の動画はようつべに落ちてないなぁ。。。。

・・・かと思ったら、一応ニコ動にあった。。。。
↓コレ


ちなみに、この曲の次の曲は、「色づく街」っていう南沙織さんのカバーだったんだけども、個人的には、この曲、好きだったんだよね。
今は、オリジナルの南沙織さんバージョンを知ってしまったんで、ヘタだな・・・なんて思っちゃうけど、当時は知らなかったんでね。
筒美京平氏の色っぽいメロディがセクシーなんだよね。



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傘がない / 井上陽水

1972_07_傘がない_井上陽水


今回の1曲セレクトは、「傘がない」井上陽水です。

まずはデータです。

・タイトル     傘がない
・アーティスト   井上陽水
・作詞       井上陽水
・作曲       井上陽水
・編曲       星勝
・リリース日   1972年7月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数 6.3万枚

前回のkiroro「未来へ」は、これまで書こうと思っていたんだけどもなかなか筆を上げられなかった1曲・・・と言う事だったんたけども、今回の1曲セレクトも、前回同様に、セレクトしたかったんだけども、ちょっと躊躇してた1曲ですね。

「傘がない」 井上陽水

この曲をなかなかセレクト出来ないで居たのは、その歌詞の内容がワタシにはちょっと重い内容だったから・・・ってことが大きかったんですよね。

♪ 都会では自殺する若者が増えている
 今朝来た新聞の片隅に書いていた
 だけども、問題は 今日の雨 傘がない〜 ♪

という一節で始まるこの曲。 今の50代以上、特に団塊の世代方々には、知らない方がないくらいの曲ですよね。

当時の世相を説いた本だかと、まあ、ネット上でもそうなんだけど、これは当時の世相を表した曲・・・って言う事が通説になっていますよね。

時は70年代安保闘争が下火になり、その余波から「シラケ」という風潮が広がっていた時代。

他人の事より、世間で起きている事より、今の自分の問題の方が大事

そういう、如何にもシラケ世代を表ししているようなメッセージソング。・・・として捉えられている向きが強い訳で。。。

ただね、ワタシ自身、そう言う世相を実際に体験してきた訳じゃないから、そんなワタシがあたかも見てきたようにエラソーには書けないよな・・・っていうのが正直なところで、だから、今までなかなか書けなかった1曲だったんだよね。
 当時、3才になる直前だったワタシは、当時の「空気」は吸っていても、まだ世相を感じるほど物心は付いてなかった訳だし。
 
でも、そうは言っても、あの時代の停滞している空気っていうのは、物心がついてなかったけどもどこか感じるところがあるんですよね。 だから、後付ではあるけどもこの時代を、当時の世相を含め掘り返すのが好きなんですわ。

 ここでもよく書く事だけど、 歌は世につれ、世は歌につれ ・・・ってコトバもあるように、当時の世相から、当時の歌が分かるってことは よくある事で、だからね、最初にこの曲を聴いた時は、ナルホドな・・・って言う感想だったな。
 実際は違っていた部分も多いのかもしれないけど、この曲を聴く分には、やっぱり、当時、シラケという時代があったんだ・・・という事が良く分かるですよね。

その前に、ちょっと衝撃的でしたけどね。

重ーい、印象的なイントロに続いて

♪ 都会では自殺する 若者が増えている〜 ♪

っていう出だしは、軽いおちゃらけた歌を主に聴いてきた世代にとっては、やっぱり衝撃的だったんだよね。

だから、兎に角この曲は印象に残った。

・・・と同時に、この1〜2年の間に、時代が動いている・・・っていうのも感じ取れたりね。

例えば 井上陽水氏の対極にあった、よしだたくろう氏が♪ にんげんなんて ラララ〜ラララ〜♪と、第3回フォークジャンボリーで伝説の2時間もの「人間なんて」を熱唱したのが、前年1971年。
 
まだ、ウタに「政治的」な匂いが強くしてた時代。

そこから1年で、この曲が出てきた訳ですわ。この変化が、そのまま当時の世相の変化を表しているように、少なくとも第3者的立場にあるワタシとしては感じ取れるんだよね。

でも、そんな第3者的な立場にワタシとしては、正直、あと数年早く生まれたかったとはいつも思ったりするんだけどさ。あの時代の大変動期を物心ついた立場から感じ取りたかったよな・・・っていうのは強く思ったりしてるんでさ。


ちなみに、最初に今の団塊の世代以上の方なら、誰でも知っている曲という書き方をしたけども。実際の所、当時のオリコンのシングルチャートでは、最高69位。売り上げ枚数は7万枚弱・・・・と、数字だけを見る限りでは、とても大ヒットと言うは呼べないんだよね。

それでも、みんな知ってる・・・。

それにはワケがあり・・・。そもそも、この曲は、最初からシングル曲であった訳ではなく、ファーストアルバム「断絶」からのシングルカットであった事。
ちなみに「断絶」は、アルバムチャート最高8位だったのにもかかわらず、売り上げは51.1万枚。
10万枚売れれば大ヒットと言う時代に51万枚も売れた訳だから、大変なものだったわけです。

あわせて、当時のラジオからの口コミ効果は絶大だったわけで・・・。

このような効果もあり、シングルは売れなくてもだれでも知っている・・・と言う事になった訳ですね。 




うーむ、今一つ上手くまとめられなかったな。やはり難しいなこの曲は。


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渚にまつわるエトセトラ / Puffy

1997_04_渚にまつわるエトセトラ_PUFFY














今回の1曲セレクトは、「渚にまつわるエトセトラ」Puffyです。

まずはデータです。

・タイトル    渚にまつわるエトセトラ
・アーティスト    Puffy
・作詞      井上陽水
・作曲      奥田民生
・編曲      奥田民生
・リリース日   1997年4月16日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  88.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年4月28日〜6月9日付
・タイアップ:キリンビバレッジ「天然育ち」CM曲

この間書いたばっかなんだけど、またまたPuffyです。

「渚にまつわるエトセトラ」。

うーむ、この間書いた「サーキットの娘」の時は、アクセス数悪かったからなぁ。。。
今回はリベンジのつもりで。。。  ってか、「サーキットの娘」よりかは、今回の「渚にまつわる・・・」の方が認知度は高いんで、前回のリベンジはなるかな

ま、じっさい、リリース間隔が無かったですからねぇ、「サーキットの娘」と、今回の「渚にまつわるエトセトラ」では。2カ月連続のリリースということで。

「サーキットの娘」は、それまでのpuffyと若干毛色が違ったかな・・っというところもあり、思ったほどの売り上げも記録しなかったんたけど、この「渚にまつわる・・・」は、売り上げを戻しましたからねぇ。
まあ、どらかと言えば、2カ月連続リリースといっても、こちらの方が「売り手」としても本命だったんでしょうね。

個人的には、逆にこっちの曲の方が売れないなぁ・・・なんて最初は思ったりもしてたんだけどさ。

だってさ、もろ西城秀樹の「Young Man(Y.M.C.A)」のパクリじゃん。 うーん、民生くん、堂々としてるなぁ。
同郷の大先輩の秀樹をパクリとは。・・・なんてさ。

加えて、井上陽水氏の、まったく意味不明な歌詞がね・・・。 初めは、悪ノリしすぎじゃねーか・・・なんてところもあったんだよね。

それに時代は90年代も後半だった訳じゃないですか。そんな時代に、70年代ディスコなノリってどうなの? 感じもしたし・・・・。


BUT BUT、そう言ったマイナス面は、全くの杞憂でしたね。

まあ、このヒト達は理屈じゃねーんだなぁ・・・っていうのが、この曲でよく分かりましたわ。

それとともに、なんか「時代」がよく分かんなくなって来たってのもあったかなぁ、個人的に。


それにしてもさあ、ROCK IN JAPANなんかのフェスでは、もう何回もPuffy見てきてるけどさ、この曲は、未だに「鉄板」ですね。 もうね、この曲と「アジアの純真」はやんないと許さない・・・みたいな空気があったりして。
これまで何回見てきたか分かんないくらい見たよなぁ。事実、この曲が一番盛り上がるんだよね、未だに。
もう19年も前の曲だし、そろそろ、この曲をリアルタイムで聴いたことない・・・って世代もフェスに参戦して来ているのにねぇ。
やっぱ、ノリが全てな曲ってことなんだろうね。歌詞の意味なんて無くたっていい、気持ちよくノレれば・・・
って感じの曲なんだよね。





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いっそセレナーデ / 井上陽水

1984_11_いっそセレナーデ_井上陽水






今回の1曲セレクトは、「いっそセレナーデ」井上陽水です。

 まずはデータです。

・タイトル   いっそセレナーデ
・アーティスト 井上陽水
・作詞     井上陽水
・作曲     井上陽水
・編曲     星勝
・リリース日  1984年10月24日
・発売元    フォーライフ
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  35.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月19日〜1985年1月28日付
・タイアップ:サントリー「角瓶」CM曲

3日ぶり1曲セレクトです。 最近疲れてましてねぇ、帰宅するとすぐ眠くなるのですよ。なので、ここ2日ばかし、いつもは帰宅後すぐにPCに電源を入れるんだけど、すぐに寝ちゃってました。

それもこれも11月の大殺界が悪い  先月はいい事なかったからなぁ。

11月、ゆううつ・・・なんていうキーワードがあったりすると、どこからともなく聴こえてきたりするメロディが・・・

 ♪ 甘い口づけ 遠い想い出〜 ♪

なんてさ、この曲「いっそセレナーデ」のメロディが。。。


 だからってことも強くて、まあ、引っ張ってきたりしたわけなんだけど。。


 だけど、個人的にいって、この曲の頃って、もっと寒かったよなぁ・・・なんて印象。
 この曲の、間奏にでてくる、「冷たい」感触のシンセの音色が。なんとも、その頃の温度感にマッチしてたりして・・・、いや、だから寒かったんだよ、31年前の今ごろは。

 やっぱ、確実に「温暖化」っていうのが、進んでいるような気がするわ、

 ま、この曲がヒットのピークを迎えたのは、実際は11月と言うより、丁度、今頃の12月だったんだけどさ。

 いや、でも、個人的には、この曲は84年の今ごろっていう印象が強いんだよなぁ。。。 かといってクリスマスのイメージは全くない。
 
 そそそ、31年前の今頃は、高校受験で焦ってた頃だ。10月の模擬試験の結果が悪くて、焦りに焦ってたあの頃だ。 文字通り尻に火が付くって感じでねぇ、あの年はクリスマスどころじゃなかったんだよね。

 なんかねぇ、この曲、聴くと、そんなあの頃が、マジで蘇ってくるわ。

 個人的に、昔っから10月〜11月って鬼門な月だ。

 そういうときに、こういうせつない曲を聴くと、必ずしも好みの曲ではないんだけど、どうしても耳にこびりついて離れないんだよな。
 で、もって、あれから31年も経っているのに、未だに思い浮かんできたりする。

 まあ、ヒット曲っちゅうもんは、元来そういうもんだんだよね。なんせ、「歌は世につれ、世は歌につれ」ですから。。


 ところで、正直言って、この曲、最初に聴いたときは、ここまで大ヒットするとは思っても見なかったなぁ。
 確かに本人出演のサントリーの「角瓶」のCMは鮮烈だった。

↓ コレ


たしかに、印象は強かったのよ、このCM。何分、それまでテレビにはほとんど一切出演してなかった、井上陽水が出てるって言うことだけども話題は大きかったわけで。。

 それでも、その3年前の「ジェラシー」のこともあったから、そこまで大ヒットは予想してなかった・・・というか考えられなかった・・・というかねぇ。

 まあ、結果から言うと、このCMで火がついて、その後の本格的なテレビ出演が大きかったんだろうなぁ。
 そっちのほうの話題もありましたからねぇ・・、上で書いたように、それまでテレビ出演を拒否してきた、陽水が、この曲で積極的に、テレビ出演をしている・・・っていう図が。。。

 時代は変わったよなぁ・・・っていう声も聞こえたりして。。

 まあ、それだけも陽水本人も、時代への折り合いを考えていたんだろうね。なんかそんな感じもする、今になって思えば。

 でも、この曲をきっかけにして、この頃第2次陽水ブームが来たのは確か。ちょうど同時期にリリースされた、アルバム「9.5カラット」は、9週連続1位なんて離れ技を見せたもんなぁ。まさに予期せぬブームでしたね。





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リバーサイドホテル / 井上陽水

1982_10_リバーサイドホテル_井上陽水






今回の1曲セレクトは、「リバーサイドホテル」井上陽水です。

 まずはデータです。

・タイトル    リバーサイドホテル
・アーティスト  井上陽水
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      星勝
・リリース日   1982年7月5日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   21.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ニューヨーク恋物語」主題歌


 この間、「六本木心中」を書いた時、佳山明夫の「氷雨」は、ヒットするまで5年・・・と、あたかも、この曲が、いままでで、ヒットするまでが一番長かったような書き方をしちゃったんだけど、後々考えれば、ちょっとまずかったかな・・・。

 ・・なんて思ったりして。。。。

 例えばさ、山下達郎の「クリスマスイブ」なんて、シングルとしてリリースして、ベストテンに入るまで丸6年もかかったじゃん。 うん、上を見たらキリがない・・・っていうかね。
 ランキングっていうのもデータが溜まれば溜まるほど、奥深くなっていくわけなんだよね。

 今日、引っ張ってきた曲は、リリースしてから、最高位ランクを更新するまでの期間は、もっと長いぞよ。

 リバーサイドホテル  / 井上陽水

 この曲リリースされたのが、上記のデータのように1982年7月5日。
 でぇ、オリコンでの最高位の11位を記録したのが、1989年1月2日付

 じつに、6年半もかかっているのでーす。


 まあ、これは、1988年10月から始まったフジテレビのドラマ「ニューヨーク恋物語」の主題歌にこの曲がリリースから6年越しで選ばれた・・っていうのが大きいんですけどね。

 うん、最初にリリースされた1982年時では、それほどランキング的には上位まで行かなかったんですよ、この曲。
 1982年時では、8月30日〜9月6日付の54位が最高位。

 だから、1988年刊行の古ーい、オリコンチャートブックをお持ちの方では、この曲は最高位54位、売上げ枚数4.2万枚になっているはずですよー。



 ワタシは、この曲、1982年のリリース当時から知ってまして・・・。
 う〜ん、なんて、不可解な曲なんだ。。。って思ってたなぁ。あの当時の曲の解釈力では、まだ、この曲を理解できるまでは到達してなかったんだよね。

 とにかく、不可解な詞、不可解なメロディライン、不可解なアレンジ・・・なにもかもが不可解な曲に思えたんだよなぁ。

 特に ♪ベッドの中で魚になったあと、川に浮かんだプールでひと泳ぎ〜 ♪

とか

♪ ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド〜 ♪

とかさ。(あたりまえじゃん。。。)


なんのこっちゃ?・・・だったんですよ。当時の13歳のワタシには。

 まあ、今となっては、意味的にはわかりますよ、もちろん。


・・というか、あの時点で井上陽水っていう人自体をよく知らなかったんだよね。

 当時は、井上陽水って、70年代中盤の第1期全盛期と、1984年頃からの第2期全盛期の端境期で、あんまり頻繁に活動してなかったし、メディアにもでてこない。
 だから、どういうヒトなのかも知らなかったし、それまでの曲も聴いたことなかったんだよね。

 だから、のちのち、第2期全盛期を迎えて、なるほど、こういう、凡人には訳がわからない詞を書くのが、このヒトの持ち味なのね・・・っていう事は理解できたんだけどね。

 ま、あの時点では、不可解ではあったけど、ワタシとしては斬新であったことも確かですね。
 だって、そのあともずっと、この曲、脳裏に残ってたんだもんね。




 だから、88年にドラマの主題歌に使われたのは、意外だったなぁ・・・。 と同時に、この曲を引っ張ってきたヒトは、ホントにエライ。
 普通の感覚では、絶対、こういう曲は引っ張ってこない。

 その前に、まず、普通のヒトは知らないよね。

 だから、この曲をドラマの主題歌に引っ張ってきたヒトはスゴイと思うなぁ。素直にさ。

・・・と同時に、時代も82年当時よりは進んでいたんだよね。なにせ、この難解な曲がそこそこ売れんたんだからさ。

 まあ、たしかにドラマタイアップっていう力はデカかったけど、それでも、この曲を受け入れて、CD買ったヒトが20万人近くいたんだらさ。


・・で、この曲の不可解で難解な曲調が、翌年1983年リリースの沢田研二の「背中まで45分」に引き継がれるわけですね。
 この曲もよくわかんなかったんだよなぁ。 はい、ジュリーがベストテンから遠のくきっかけになった曲デス。




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ダンスはうまく踊れない / 高樹澪

1982_10_ダンスはうまく踊れない_高樹澪






今回の1曲セレクトは、「ダンスはうまく踊れない」高樹澪です。

 まずはデータです。

・タイトル    ダンスはうまく踊れない
・アーティスト  高樹澪
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      チト河内
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   31.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1982年9月13日〜11月1日付
・タイアップ:TBS系「金曜ミステリー劇場」主題歌

 昔はさぁ、まったく予想もしてなかった曲が、突然、チャートの上位に来ることって日常茶飯事だったよなぁ。
 でも、チャート小僧にとっては、それが一番の楽しみだったりしてね。
 次はどの曲が来るのか? ってやつ。 突然、上がってくる曲は、あくまで曲の中身で判断しなきゃいけないから、自ずから、ヒットしそうな曲、そうじゃない曲・・っていう見分け方も鍛えられたりしてね。
 まあ、こればっかりは、基準があるわけじゃなくて、あくまで主観的・・っていうか、「カン」なんだけどさ。

 ただねまあ、ビジネスっていう面から見ると、まあ、効率は悪かったわな。なんせ、どの曲があたるか、出して見ないと全くわからん・・・っていう世界だったから。
 その代わり、当たるとデカイ。 超ハイリスク 超ハイリターン。
 よくいう、どんぶり勘定。

 でもまあ、音楽界は、だからいいっちゃいいんだよな。 片手でソロバンはじいてる音楽屋は、いくらビジネスとは言え、はっきりいって「うざい」存在だよなぁ。


・・・・おっとっと・・・話がズレた。

 で、今回、引っ張って来た曲も、そんな、いきなりヒット街道に躍り出た1曲ですわ。

 高樹澪の「ダンスはうまく踊れない」。

 この曲、なんか知らないけど、いつのまにか、ベストテンに入り込んできてた・・・っていう印象が強いなぁ。

 いや、マジでいつの間にか・・・って感じだったっけ。 その代わり、一度聴いてからのインパクトは強かったね。

 いや、曲自体にインパクトがメロディがある・・・って言うわけではないんだよね。

 インパクトなき、インパクト。

 なんだ、そりゃ。。。ふらふら


 うーん、でも、この曲を一言でいうなら、そういう表現になっちゃうんだよなぁ。

 別の言い方で言えば、ひとこと・・・・「お化けが出そう」。。

 うんにゃ、イントロからして、もろだもんね。

 
 この曲、もともと77年の石川セリさんがオリジナルなんだけど、オリジナルの方は、そこまで「出そう」っていう雰囲気はない。
 
 それは、この高樹澪バージョンの特徴だと思うけど、逆に言えば、だから、売れたのかもな。

 一種の怖いもの見たさ・・っていうか、意外と、そういうヒトが多いってことじゃないかなぁ。

 それと、当時から思えば、この高樹澪っていうヒト自体が、いまひとつ、垢抜けない・・・っていうイメージがあったんだよな。

 ちょっと後に、「アンニュイ」っていう表現で、小林麻美がもてはやされたりしたけど、それとは、違うのよ。
 あくまで、垢抜けない・・っていうか、ネクラっていうか・・・。

 どうも、この曲を歌うことで、このヒトにはそういうイメージが強く根付いちゃったような気がするな。
まあ、実際は違うって事は、次の年の「スチュワーデス物語」でも分かりますけどね。 


 ま、いずれにしても個人的には、この曲ほど82年の今ごろを象徴している曲ってないなぁ。。
 82年の今ごろの曲って、総じて、「ブラック」っていうカラーっていうイメージなんだよね。
 この曲とか、ジュリーの「6番目のユウウツ」とか・・・。 なんか、「真っ黒」っていうイメージカラーな曲が多かったじゃん、当時の今ごろって。

 ここでも以前、少しカミングアウトしたことがあるけど、個人的にこの年はいろいろあったからなぁ。丁度この曲がヒットしたくらいから、半年間は私生活が地獄でしたね。

そんなこともあって、この曲のような「まっ黒」なイメージの曲が余計に心に刺さってて、いまでもそれを彷彿とされるのかもしれないな。

 それと、この年は、夏から雨が多くてさぁ、「曇り」っていうイメージが強いんだよなぁ。

 そんなところからも、ブラック、灰色・・・な感じがするのよ。。




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ジェラシー / 井上陽水

1981_09_ジェラシー_井上陽水









今回の1曲セレクトは、「ジェラシー」井上陽水です。


ますはデータです。


・タイトル   ジェラシー
・アーティスト 井上陽水
・作詞     井上陽水
・作曲     井上陽水
・編曲     星勝
・リリース日  1981年6月21日
・発売元    フォーライフ
・オリコン最高位 14位
・売り上げ枚数 20.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位


 最近は、また「テレビ」を毛嫌いするアーティストも増えてきたような気がするけど、昔、ニューミュージックっていうジャンルが一世を風靡していた頃も、テレビを毛嫌いしていたアーティストって多かったよなぁ。
 テレビを毛嫌いしていた・・・というよりも、正確にはテレビに「出演」するのが嫌だっていう感じですかね。


 テレビの歌番組が全盛期を迎えていた70年代〜80年代前半。結局、コンサート中心に、直接お客さんに触れ合う活動メインにしたいというニューミュージック側としては、1日テレビ局に拘束され、1曲、2〜3分、テレビカメラに向かって歌うだけの歌番組っていうのが、生理的に耐えられない部分があったんだろうな。


 もちろん、70年代も終盤に至り、テレビの歌番組OKよ・・・っていうロック・ニューミュージックの人たちも増えたんだけどね。サザン、ツイスト、ゴダイゴ、原田真二ってあたりがそうね。


 それでもテレビには、頑なに拒否反応を示していた人たちもいたわけで。。。
中島みゆき、松山千春あたりがそうですね。


ま、今でこそ、これらの人たちがテレビで歌うっていうのも、全然普通になったわけで、当時の頃とを想うと隔世の感があるんだけど、当時はそうだったんだよね。
なにせ、松山千春が「ザ・ベストテン」に出演する、テレビに出るっていうだけで大ニュースになる時代ですから。。。


そんなテレビ出演拒否アーティストとして、当時一番「頑な」だったのが、井上陽水氏だったんじゃないかなぁ。
このヒトも今でこそ、ちょくちょくテレビには出るようになったけど、当時は、本当に頑なでしたからねぇ。


 そんな井上陽水氏が、ついにテレビに出る・・・と大ニュースになったのが1981年。

そんな大ニュースをひっさげて、リリースされたのが、今回セレクトしてきた、「ジェラシー」ですねぇ。

 この曲で、「夜のヒットスタジオ」と「ザ・ベストテン」のスポットライトに出演・・・と。

 その結果、当時はアルバム中心の活動をしていた陽水氏が、久々にシングルで20万枚強のスマッシュヒットになったわけですね。
 
 それだけ当時の歌番組の力っていうのは強力なものがあったとも言えるんだけどさ。特に「ベストテン」は常に視聴率35%以上の全盛期だったからさ、この曲の頃は。


ただね、個人的には、当時、この曲には興味なかったんだよなぁ。

大体、当時「ベストテン」オタクとして、毎週ランキングを記録していたにも関わらず、このヒトがスポットライトに出てたことさえ、全然覚えていなかったくらいなんで。。。。


 この曲を再注目したのは、実は高校卒業して、浪人生活をしていたころなんだよな。
そそそ、当時、リコーのCMで、この曲使われてたんだよな、確か。
そのCMを見るたびに、どうもへんチクリンな曲だよな・・・と引っかかりまして。

井上陽水氏が歌ってるのは、すぐ分かったんだけど「曲名」が分かんなくてね。
 恐らくサビの部分が使われていれば分かったんだろうけど、使われていたのがAメロの部分だったんだよね


♪ ワンピースを重ね着する君の心は〜 ♪

って部分。

なんだこりゃ、意味分かんねー・・・って感じだったんですよ。


で、調べてみると「ジェラシー」。。

なんと、81年にヒットしていた曲じゃないか〜・・・って感じで、改めて聴き始めたっていう次第なんだよな。


フルコーラスを聴いてみても、意味はよく分かんなかった・・・っていうのが、正直なところなんだけど、それでも曲として強烈に印象には残る・・・そんな不思議な感じなんだよね。
詞にしたって、ハッキリ言えば、分裂症気味な感じなんですよ。でも、なぜか、実際に音に乗っかると妙に立体的な絵が浮かぶ。


例えば 

♪ ハマユリが咲いてるところを見ると、どうやら、僕らは海に来ているらしい〜 ♪


とかさ。 「どうやら、海に来ているらしい」って一体どういうことなんやねん。。。
って感じじゃん。日常生活からしてみれば。。海に来るまで「目隠し」してきたのか?

・・・とかさ。


でもさ、そんなディティールな理屈はどうでもいい事なんですよ。


それよりも、
 
♪ ハマユリが咲いてるところを見ると、どうやら、僕らは海に来ているらしい〜 ♪


っていう歌詞が挟まることで、いきなり、海岸の風景が脳裏に浮かぶ。

きっと、今日のようなドン曇りなんだろう・・・とかね。

そういう行間の心理状態を読ませるような・・っていうイメージがこの曲なんだよなぁ。
結局、歌に正解も不正解もない、聴く人それぞれが感じ取ってもらえれば、それでいいってことなんじゃないかなぁ。


当時は、まだ、PVも作られていなかったし、だから、聴く人それぞれにそれぞれの絵が浮かんでくるだろうけど、それでいいんだと思いますわ。

 今はPVで、ウタのイメージを「固定」されちゃっているところがからな。それは、ある意味「罪」なことだと思うんだよな、個人的には。



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夢の中へ / 斉藤由貴

1989_07_夢の中へ_斉藤由貴







今回の1曲セレクトは、「夢の中へ」斉藤由貴です。

 まずはデータです。

・タイトル   夢の中へ
・アーティスト 斉藤由貴
・作詞     井上陽水
・作曲     井上陽水
・編曲     崎谷健次郎
・リリース日  1989年4月21日
・発売元    ポニーキャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  40.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1989年5月8日〜7月24日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「湘南物語」主題歌

意外と7月の頭って、曲を選ぶのに苦労するんだよね。7月も夏休みに入って、「夏本番」ってなると、いろいろと曲あるんだけどさあ。
 まだ梅雨が明けない、はっきりしない天候の時期は、フィットする曲がねぇ・・・。

・・・・というとで、今回は、直感で選んできましたわ。

 斉藤由貴の「夢の中へ」。

 
 井上陽水の「夢の中へ」ぢゃなくて、斉藤由貴の「夢の中へ」よ。

・・・・っっても、カバーだから同じ曲なんだけどもふらふら

 まあ、井上陽水バージョンの方は、かなり以前に書いてあるんだけどね。

 だからさあ、この斉藤由貴の方も当然、すでに書いたとばっか思ってたんだけどねぇ。。。

 なんせ、斉藤由貴で一番「売れた曲」よ。そそそ、デビュー曲のあの「卒業」の1.5倍も売れたんだから。

 まあ、といっても、相対的にシングルCDの売上げが上り調子になっていた89年のことだから、一概には比較できなんいんだけど、うーん、そうね、斉藤由貴の中で一番「ヒット」したという方がいいかな。
 ベストテン内に12週連続でランクインなんていう、このヒトにとっては異例なロングヒットだったしなぁ。

 だけんど、なぜに、この曲がここまてヒットしたんでしょ? 突然のことだったしね。いや、ホントに予想できなかったな、ここまでのロングヒットになるとは。
 ま、ベストテン入りはキープできるパワーは持っていたことは確かだけど、ベストテン内10週以上となると、これは話は別だからねぇ。


 うん、たしかに、ドラマの主題歌って言うことは、ひとつのアドバンテージとしてあった。 なんせバブル真っ只中、トレンディードラマ真っ只中。ドラマの主題歌になればヒット間違いなしの時代だったからなぁ。

 それと、あのころ流行のユーロビート系のアレンジってのも耳を引いたのかもな。


 ただ、それだけでは、ここまでのヒットになった要因としては弱いかなぁ


 やっぱ、この曲独特の「ユルさ」って言うのもあるかもなぁ。

 オリジナルの井上陽水の「夢の中へ」ってのは、もっと攻撃的なんだよねイメージとして。
 それが、この斉藤由貴のバージョンでは全く無いじゃん。 なーんか、ユルユルなイメージの中でただよっていくような、脱力感いっぱいっていうか。。。
 それと、ペンギン踊りのようなへんちくりんな振り付けとかさあ。ふらふら
 全体的にユルユルなんだよね、締りがないっちゅうか。。。 それが逆によかったのかもなぁ。。。かえって、このヒトのオリジナルっぽくてさあ。


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