かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

井上鑑

夏のクラクション / 稲垣潤一

1983_08_夏のクラクション_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「夏のクラクション」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル     夏のクラクション
・アーティスト      稲垣潤一
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年7月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   8.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

個人的な「夏のイベント」が終わっちゃったなぁ・・・。そう、「ROCK IN JAPAN」っすね。
毎回参戦する度に終演後、「ああ、終わっちゃったなぁ」って言う脱力感に襲われたりするんだけど、今回は大トリのサザンがめっちゃ凄かったからさあ、例年以上に脱力感がきたりしてね。

今は、夏の終わり・・・

そんな気分ですね。

今回は、そんな「夏の終わり」を感ずる1曲を一つ。

稲垣潤一「夏のクラクション」

夏の終わりを彷彿させる曲は、多々あるけど、個人的には、この曲もその一つだなぁ。

1983年の夏の終わり間近。 当時、ワタシは中2。 自由だった、あの夏。

この曲を聴くと、決まってあの夏の光景が夢想される。 自由だった、あの夏・・・って↑では書いちゃったけど、実際、自由だったのは2週間ぐらいだったんだけどさ。 

うん、部活やってたからなぁ。、吹奏楽部。 ワタシが通っていた中学校は夏のコンクールは出てなかったものの、毎年9月に定演(定期演奏会)をやってたんで、全く練習が無い日は夏休み中でもそんなに無かった。

それでもお盆前後の2週間位、部活も休みがあった。 それだけでも、とてつもなく自由を感じた夏の終わり近くだった夏休み。

8月の午後の白い光、乾いた空気、独特の夏の匂い。 その下で描いてた夏休みの宿題の風景画。 

そんな光景がフラッシュバックする。

不思議なもので、夏休みのカラーって、7月と、8月ではガラッと変わる。 7月はもっと色が夏色でももっと色が濃いイメージ。 でも、8月に入った途端、そのカラーが白っぽく感じるんですよ。

そうだなぁ、1日に例えると、7月は午前中の日差し。 8月は午後の白っぽい日差し・・・そんなイメージかな。

この曲は、後者なんだよね、午後の陽ざしを感じるんだよね。 まあ、実際ヒットのピークは、今頃8月の中旬過ぎだったわけで、ヒットの時期的にそう言うイメージが強かったんだろう。


個人的に、この曲好きだったんだよな。 ↑のデータのように、必ずしも大ヒットした訳でもない。いわいるスマッシュヒットで終わった曲なんだけど・・・。

シャレてたんだよね。 それまでのニューミュージックとは、ちょっと違った空気感。 うーむ、今一ついいコトバが出てこないんでまどろっこしいんだけど・・・。

いや、確実に、前年の1982年までには感じられなかった、カラッと乾いた空気感っていうのかなぁ・・・。

そうそう、例えば、扇風機で暑さをしのいだ1982年、それに対して、クーラーの中で過ごす1983年・・・っていう違いかなぁ。

つまりさ、1982年の夏の曲って、めっちゃ湿気感があったんだよね。そそそ、熱帯感っちゅうのかなぁ。 まあ、実際、82年の夏は「長雨と冷夏」だったんだけとも、ヒット曲のイメージね。

対して83年夏、特にニューミュージック界に於いては、カラッとした空気感の曲が多かった。 そう感じたのは、この曲のイメージが大きかったから・・・って言っても過言じゃないんじゃないかなぁ。

中流階級志向。 これは70年代にユーミンが言った言葉だけど、このコトバに現実味があらわてきたのが83年頃だったと思う。 
まだバブルな時代ではなかったけど、確実に生活のステータスは上がったよね・・・って実感できた頃って言うのかなぁ。
そんな時代感覚に間髪をいれず、ヒット曲にも変化があったんだよね。 いわいるシティポップス的なオシャレ感覚な音への変化、それが83年だったんだよね。

いや、個人的にはそう感じてたりするんだよな。

兎も角、70年代の残像が完全に払拭され、完全に80年代のカラーに移行された年、それが83年だったんですよ。

まあ、それとなんと言っても、ワタシは中2だったからさあ。 いわいる「中2病」って言われる年代だったじゃん。大人っぽく背伸びしてみたい年頃でもあったんだよな。
 本当に意味が分かってんだか分かってないんだか、この曲シャレてんじゃん・・・なんて、リリース早々、シングル買っちゃったりしたもんなぁ。 



この曲と言ったら、 ♪ 夏のおうおうお〜 ♪っちゅうサビの譜割りだったするんだろうな。やっぱり、このメロディラインはどうしても耳に行っちゃったりするもんね。

一見、歌詞とメロディがシンクロしてないんじゃん・・・なんても思えたりするけど、そうじゃない。やっぱりこのメロディラインありきだったんだろうなと思えるもんね。

ただ個人的には、ここもそうだけど、 この後の ♪ ベイビィ もう一度〜 ♪ の ♪ ベイビィ〜 もう一度〜 ♪から ♪ In my Heart〜 ♪ のメロディラインに、ピンと来ちゃったんだよな。 なんて事無い譜割りだし、コトバなんだけどセクシィなんだよね。 
このフレーズだけで、シングル買っちゃった・・と言っても過言じゃ無かったりして・・・。

ちなみに、さっき、ラジオ日本の「続きの続き」で、売野氏が出演されていて、この曲について言及してたけど、この曲のモチーフは、湘南の国道134号沿いだとか。

出だしの ♪ 海沿いのカーブを きみの白いクーペ〜 ♪ って部分だよね、モロ。

ああ、やっぱりそうなのか・・・。 ナットク。

このオシャレな感覚は、やっぱりあのあたりのイメージだよなぁ。 
チバにも、例えば内房沿いの127号にも海沿いのカーブはあるけど、 チバの海じゃ、こうオシャレにはならんもんなぁ。。。

そもそもチバの海に「白いクーペ」なんてアイテムはねぇ・・・・。 なんて書いたら元も子もないが・・・千葉県人のワタシとしては。。。



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出航 / 寺尾聰

1981_05_出航_寺尾聰








今回の1曲セレクトは、「出航」寺尾聰です。

まずはデータです。

・タイトル    出航(SASURAI)
・アーティスト  寺尾聰
・作詞      有川正沙子
・作曲      寺尾聰
・編曲      井上鑑
・リリース日   1980年10月21日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数  30.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1981年6月1日~6月15日付
・タイアップ:YOKOHAMAゴムCM曲

いつかも書いたかもしれないけど、ヒット曲には、例えば半年前までは全くヒットの予想も出来なかった曲ってあるんだよね。
 これは、昔は良くあることだったけど、音楽業界がシステマティックになり「売れる曲」しかリリースしなくなった昨今でも、年に1~2作は、そんな曲ってあるよなぁ。

ハイハイ、今回セレクトしてきた曲のフリですねぇ 

寺尾聰 「出航」。

うむ、タイトルが読めない  「出航」と書いて「SASURAI」と読みまするぞ。

81年と言えば寺尾聰の年・・・・と言っても過言じゃないくらい、当時リリースしたシングル、アルバムが悉く「当たった」寺尾氏だけど、果たして、81年の元日にこんな寺尾氏ブームが来るとは、誰が予想していたでしょうかねぇ・・・ってくらい「予期せぬ出来事」でしたよね。

 うん、丁度、当時リリースして空前絶後のミリオンセラーを記録した、アルバム「Refrections」にも同タイトルの曲が収録されているけど、本当に「予期せぬ出来事」でしたよ。

まあ、当時「西部警察」を見ていた方には寺尾氏の存在も浸透していただろうけど、ワタシん家は、同時間帯はデフォルトでNHK大河ドラマだったんで、「西部警察」は全く見てなかったからさあ、寺尾氏の存在すら知らなかったもの。

 それは、メディアでもそうだったようで、この年の2月5日にあの「ルビーの指環」がリリースされたんだけど、明星付録の「YOUNG SONG」では、新曲情報で「寺尾聰」に読み仮名のルビが振ってあるんだけど、間違って「てらおさとる」になってたりしてたもの。
 ま、それだけ当初はあまり注目もされていなかった訳ですね。

でも世の中分かんないものなんですよ。当時、関西から火がついた楽曲は大ヒットになる・・・っていう一種のジンクスがあったんだけど、「ルビーの指環」も「神戸」から火がついて、あれよあれよという間に特大ヒット。

それにつられて、「ルビーの指環」よりも前にリリースされていた「シャドーシティ」(1980年8月リリース)、そして、今回セレクトしてきた「出航」(1980年10月リリース)と、同時にチャートを駆けあがってきた・・・と言うわけですね。
 つまりさ、これら本来前年の1980年にリリースされていた、「シャドーシティ」も「出航」も、リリース当初は、全くヒットの気配すら無かったわけなんですよね。

でも、最終的には「ザ・ベストテン」では3作とも同時ベストテン入りという快挙を達成
それが、1981年5月21日放送分でしたね。 今から、丁度35年前の今頃ですわ。
だから、この曲なんかは、リリースから7カ月もかかってベストテン入りしたって訳ですねぇ。

それにしても、いやはや、気がつけば、あれから35年も経ってしまいましたか。。。。

でも、あの時は随分騒がれましたよね。「3曲同時ベストテン」入りっていう前代未聞の記録を達成したって事で。

ちなみに、オリコンでは、この「出航」は最高11位止まりなんで3作同時ベストテン入りとはなっていない。
だから完全なる「3作同時ベストテン入り」は、それから丁度3年後のチェッカーズまで待たなきゃいけない訳だけど、なにせ当時のベストテンの視聴率は、毎週常に35%前後を推移していた、まさに「ベストテン全盛」の時期で影響力はハンパじゃなかったですからねぇ。



あー、前置きが超長くなっちまった。。。

ところで、個人的にこの3曲の中で、当時一番好きだったが、正直言えば、この「出航」だったりするんだよね。
3曲の中では、なんか一番変わった曲調だったじゃないですか。

Aメロの途中でメロディが止まってしまったり、リズムが3/4拍子だったり。 そそそ、当時、やはり明星「YOUNG SONG」の記事にもあったけど、3/4拍子のヒット曲って当時、ほとんど無かったですからねぇ。 ま、皆無じなかったけど、ほとんど聴いたことが無い。だから、余計新鮮に感じたんだよなぁ
それと、3曲の中では一番、コード進行が易しかったのも、曲に入りやすかったのかもしれない。

それ以上にこの大人の色気にシビレたっていうかねぇ、憧れましたね。その後のチョイワルおやじぢゃないけど、あの頃は「大人」が聴くに堪える曲が、まだ多かったからな。そして、歌詞にもあるように「自由」を感じるんだよね

 そうか大人になったら、もっと自由に生きられるんだ・・・・なんて感じたりして、当時は早く大人になりたかったんですよ。

でも、実際大人になってみたら、ヒット曲は「コドモ」向けばかりになっちまって、幻滅しちゃったってのはあるな。


そうだ、この「出航」の「B面」は、「ダイヤルM」って曲なんだけど、個人的に、この曲も好きなんですわ

↓ コレ


この気だるい雰囲気。これこそが「元祖」シティポップスなんじゃないか・・・なんて思うんだよな。
「シティポップス」っていうキーワードは、この後オメガトライブに代表される、この硬質でクリスタルな格好いいミュージックっていう印象が強いかもしれないけど、そうじゃない気がするんだよね。
 この気だるさ、ジトーっ蒸し暑い温度感があるようなこの雰囲気っていのうが、本当のシティポップス・・・否、TOKYOを表しているんじゃないか・・・なんて思ったりするんですよね。

だから、この曲を聴くと、蒸し暑い夜の東京を想像してしまう、ワタシだったりします。

それにしても、タイトルに時代を感じますよね。今、電話にゃ「ダイヤル」なんてないしなあ、この曲のイントロにかぶさってる「黒電話」のダイヤルの音を知ってるヒトも、今や40代以上だよなぁ。





このサウンドこそ、1981年って感じだよなぁ。
今のようにスーパーに音がいいわけじゃないんだけどさ。でも、味があるんですよ。1981年って言う時代の匂いを感じる。
だから、いつ聴いても、1981年に戻れるんだよなぁ。



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TRUE LOVE / 浅香唯

1989_02_TRUE LOVE_浅香唯








今回の1曲セレクトは、「TRUE LOVE / 浅香唯」です。

まずはデータです。

・タイトル    TRUE LOVE
・アーティスト  浅香唯
・作詞      吉元由美
・作曲      井上ヨシマサ
・編曲      井上鑑
・リリース日   1989年1月25日
・発売元     ハミングバード
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  17.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1989年2月6日〜2月27日付
・タイアップ:映画「YAWARA!」挿入曲。

一昨日は「復活」と書きながら、昨日はまたまたダウンで1日飛ばし。 風邪は治りかけが肝要なんていうけど、まさにそんな感じなんですよね。
でも、今日は昨日に比べると大分咳もおさまり、楽になったんで、1曲セレクトを書きまする。

 気がつけば、大学受験シーズンも本格的になって来ましたな。
現在、ワタクシの勤め先は神田神保町でして、JR水道橋からは歩いて会社まで行ってるんでね、毎年このシーズンになると受験生諸君でいっぱいですよ。なんせ、日大、専修大、東京歯科大・・・と大学がいっぱいあるんでねぇ、水道橋周辺は。

 かくゆうワタクシも、受験生の頃は、日大の某学部を受けてたんだよね。20数年前の今頃、ワタクシもあの受験生諸君の中の一人だった訳ですわ。
 まあ、ワタクシは、他のヒト達の数倍受験生をやってたんだけどね。 その「一浪目」の今頃、ヒットしてたのが、今回セレクトしてきた曲だったりして。。。。

 浅香唯 「TRUE LOVE」

前年の88年、本格的な大ブレイクですっかり「A級」アイドルに成りあがった感が強かった浅香唯さんですが、どうも、それは「88年の魔法」だったんでしょうかねぇ、年が明けた89年、第1弾のこの曲から、前年の人気がウソのよう・・・って感じで、人気に陰りが見えたんだよね。

まあ、一番の原因は、この曲なんだろうな。 ハッキリ言って、よく分かんないんですよ、この曲。
曲の焦点が今一つハッキリしていなかったし、その分イメージがばらついてるし。 一体何が言いたいんだろう・・・っていうモヤモヤ感だけが残るっていうかね。

考えてみれば、88年は、1月の「Believe Again」に始まり、「C-Girl」、「セシル」、「Melody」と一貫してメジャーキーの明るい曲で通したんだよね。
 でも、それがいい方向に進んだ訳で。。。 うん、このヒトの声質は、湿性的でそれほど明るさを持ってないんだよね。所々ヒステリックにも聴こえたりするしさ。
 なので、メジャー系の曲で、明るさを保たせることで、アイドルとしてのバランスが取れてる・・・って感じなんだよね。

 そこに来て、この曲では「マイナー」系に行っちゃったもんだから、どうにもバランスが悪い様な曲に感じちゃう訳なんだよね。

ま、今聴くと、当時、聴いてた感触よりは、また変わってきたような気もするけど、当時は、どうにもこの曲が気分悪くてねぇ、あんまり聴かなかった・・・ってのがホンネかな。


プラスして、この曲は、あのマンガ「YAWARA!」の実写版映画の挿入曲でもあったんだよね。
もちろん、浅香さんが、主演の「YAWARA」ちゃん役だったんだけどさ。
 どうもイメージがねぇ・・・違うんだよねぇ。。。 まあ、確かに「年齢的」にはマンガと一致してるんだけどさ。
 単行本によると昭和49年で5才とあるから、YAWARAちゃんは昭和44年生まれ(?)。 浅香唯さんも昭和44年生まれ。
 ついでにもこれを書いてるワタシも昭和44年生まれ・・・(んなことはどうでもいい。。。。)
一致してるのは、それだけ・・・って感じなんだよね。

で、もって、テレビでは、YAWARAにかこつけて、柔道シーンが、この曲のバックに流れたりして、もうね、まるで「なにこれ?」な世界だったんだよねぇ。

どうも、そんなイメージがこの曲には、纏わりついてるんだよなぁ、未だに。。。。






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LONG DISTANCE CALL / 寺尾聰

1983_01_LONG DISTANCE CALL_寺尾聰








今回の1曲セレクトは、「Long Distance Call」寺尾聰です。

まずはデータです。

・タイトル    Long Distance Call
・アーティスト  寺尾聰
・作詞      有川正沙子
・作曲      寺尾聰
・編曲      井上鑑
・リリース日   1982年12月1日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   11.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 昨日もマイナーな曲だったんだけど、今回もちょっと知ってる人しか知らない・・・って言う曲もか知れないなぁ。

 寺尾聰「Long Distance Call 」

何分、前年の「ルビーの指環」やアルバム「Refrections」の超大ヒットを受けて、次の曲のリリースは、いつ? ってずっと言われてきた寺尾聰氏が、1年10ヶ月のブランクを経て、超「期待」の上でリリースされた曲なんだけどね。
「今回も大ヒットの予感」とか、必ずついてたもんなぁ。当時の雑誌には。

 でも、まあ、↑データをみても分かるとおり、結局、ベストテンにも入らず・・・の結果に終わってしまった曲ですわ。

 まあ、柳の下にドジョウは2匹いないってことの典型なんだけどさ。傍目から見るとね。


 ただね、寺尾氏自身、この曲で、もう一つ花を咲かせようって思ってたか・・というと、そうとも言えない気がするなぁ。
 
 まずね、曲が難解なんですよねこの曲。その点「ルビーの指環」は分かりやすいんですよね。
 メロディにしても焦点がハッキリしているし、なにより、詞が松本印のブランド品だったからさあ。

 それに対して、この曲は、有川正沙子女史によるもの。有川女史の詞は、よりアウトローな雰囲気はあるんだけど、やはり松本隆氏とくらべると、尖っていないんですよね。キャッチーではないっていうか、シングルっぽくないんですよ。

 だから、メロディラインもどうしても、シンブルさをかいしゃうっていうか、シングルとしてはインパクトが弱くなっちゃうんだよね。

 うん、たがらさ、アルバムとして何曲かまとめてって言う場合はシックリ来るんだけど、これ1曲だとちょっと、今ひとつ物足りないんだよなぁ。

 この曲は、その典型ですね。 だから、まあ、それほど大ヒットっていう期待は難しかったんだよね。

 ただ、井上鑑氏のアレンジは、凝ってたけどなぁ。「ルビーの指環」のころより、より硬質感が感じられてさ。「ルビーの指環」とかアルバム「Refrections」はどことなくGSっぽい匂いがチラチラと見えるんですよね。(ちなみに、寺尾聰氏って、その昔「サベージ」っていうGSグループでベースやってたのはご存知でしょうか)

 だけど、この「Long Distance Call」には、そういう匂いは見えない。よりシティポップスに近づいているというか・・。
同時期ヒットしてた稲垣潤一の「ドラマティックレイン」に近いサウンドだよなぁ。

 そういう意味で、「ルビーの指環」フォーエバーを期待してた人には完全に肩透かしだったんだろうな。

まあ、個人的にも当時は、そんな感じだったんですけどね。

 でもあれから33年経ってみて改めて聴くと、必ずしも「駄作」には聴こえないですね。むしろカッコイイ。
 当時「手垢」が少なかった分、「今」に持ってきても全然遜色がないって感じるなぁ。

 なにより、寺尾聰−井上鑑と言うコンビの代名詞とも言える、テンション系のコード進行がばっちり決まっている。
 
 ユーミンのコトバを借りると、音楽は絵画に似てるんですよね。 メロディは構図で、コードは色彩なんですよ。
その色彩に当たるコードは、基本となるルートコードが「原色」なら、テンション系コードは、色を混ぜ合わせたような色彩。
つまりさ、それだけ表情豊かな絵画になるんですよ。 だから聴いててかっこいいんだよね。

最近の曲が表情に乏しいのは、この辺のコード進行にあるんじゃないかなぁ・・なんて思う。確かにコンピューターを使う事によって音色は豊かになったけどね。なんかツルンとしてるでしょ。3次元的な立体感を感じない。
それは、やっぱり使われるコードが単純になってきたからだと思いますわ。

この曲なんかを聴いてると、それが良く分かったりするんだよね。
 
はい、是非、ご紹介したい曲ですよ。




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フライディ・チャイナタウン / 泰葉

1981_11_フライディチャイナタウン_泰葉






今回の1曲セレクトは、「フライディ・チャイナタウン」泰葉です。

 まずはデータです。

・タイトル    フライディ・チャイナタウン
・アーティスト  泰葉
・作詞      荒木とよひさ
・作曲      海老名泰葉
・編曲      井上鑑
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数   5.6万枚

 たまに、ヒット云々考えないで、「ヘン」な曲をセレクトしたくなっちゃうんだよな。

今回も、過去に書いた曲のアーカイブスをペラペラ調べてたら、たまたま、今回引っ張ってきた曲に目が行っちゃいまして。。。。

 泰葉「フライディ・チャイナタウン」

・・・・ってか、これ読んでくれてる方の一体どれくらいの方が知ってらっしゃるんだろう
34年前の曲で、しかもオリコンで最高69位までしか行かなかった曲だもんなぁ。知ってるヒトのほうがコアだぞよ。

 そうでもないのかなぁ? ・・・と思いつつ、あ、ちょうどいいや、1981年の今ごろ、丁度ヒットのピークだったから・・・と思って、引っ張ってきちゃったところもあるんだけど。。。ふらふら


 でも、ワタシより年下のヒトは、ほとんど知らないよね、この曲。

・・・・といいつつ、なぜか、ワタシのところにゃ、この曲の音源があったりするんだけどさ。


 で、もって、確かに曲は、サビの部分は、インパクトがあったんだよね。


♪ It's So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN 真夜中の人ごみに〜 ♪

の「It's So〜 」でいきなりオクターブ飛んじゃうフレーズが強烈なインパクトがあったしね。

 泰葉って、この曲がデビュー曲なんだけど、デビュー曲とは思えないほど、堂々とした歌唱力なのが、一層インパクトを強めてたんだよね。

 ウタもうまかったしね。まあ、もともと、このヒトは、幼少のころから音楽系の学校に通ってたし、だから、ゆくゆくは音楽畑へ・・・っ感じの英才教育されてたから、それを考えると、なるほどねぇ・・・ってところなんだけどさ。

 だから、この曲も作曲はもちろん、自分でやってるし、アレンジは、あのころ超売れっ子だった井上鑑氏ですよ。例の寺尾聰氏のあとの仕事が、このヒトのこの曲だったの。
 
 だからか、サウンド全体を見通しても、テンション系のコードを中心に、どことなく寺尾氏っぽい匂いがするんだよね。

 まあ、言ってしまえば、あの当時のニューミュージック系のウレセンって感じかな。AORでもなく、ロックでもなく、独特な匂いがするサウンドって言うかな。

 うーん、なんていうのかな、同じテンション系のコード進行なんだけど、このあいだ書いたユーミンの「中央フリーウェイ」とは違った味があるんだよね。

 ユーミンのアレンジャーの松任谷正隆氏のアレンジは色彩的っていうのかなぁ、もともとユーミンが多摩美大出だったからかもしれないけど、とっても色彩的なんだよね。曲のイメージが。

 でも井上鑑氏は、桐朋音大出でしょ。だから、サウンドに対して、すごい理詰めの展開なんですよ。やたらと難しいコード進行だったりしてさ。寺尾氏も、もともと自分の曲は、こんなに難しい曲じゃなかった、もっとシンプルに作ったつもりなんだけど・・・って、当時言ってたらしいですよ
でも、曲としては、素晴らしいんだよね。

 まあ、松任谷正隆氏も井上鑑氏もアレンジャーとしては「一流」には間違いないんだけどね・・・。


 そんな井上氏をデビュー曲早々から起用したってことは、ポリドールも、かなり期待かけてたんだろうね。


 それでもまあ、世間はそんなに甘くなかった・・・って言うのは、この後の歴史からみて明らかなんたけどさ。。。

 はい、オリコンでTOP100に入ったのは、この曲だけデス。。

 俗に言う一発屋? うんにゃ、最高位69位だかんねぇ・・・半発屋ってところでしょうか。

 それでも、この曲、100位以内に19週もランクされてたんだよね。だから、売上げ、最高69位にしては異例の、5.6万枚もの売上げを記録してるんだけどさ。

 まあ、そういういみではロングヒットだった・・・とも言えるかな。


 だけどさ、やっぱり根はシンガーなんですよ。落語家のおかみさんには向かないんだよね。
 結婚したときも、意外だったもの。なんで小朝師匠なの? って感じだったのを覚えてるワ。

 一度スポットライトを浴びたヒトに、落語とか歌舞伎とか相撲とか・・・いわいる伝統芸能の「おかみさん」という、「内助の功」なんて、なかなか勤まらないと思いますよ。
 羽野あきだって結局はそうじゃん。

 それから見ると、三田寛子は偉いよね。ちゃんと中村橋之助の「梨園の妻」をつとめてるわけだからさ。

 特に泰葉の場合、実家が林家一門の元締めな訳だからさぁ。余計、内情は分ってるでしょう。どれだけ、おかみさんが大変なことか。。。

 だから、意外だったんですよ、小朝っていう、落語家と結婚したのって。。

 最初は、それでも良かったんだろうけど、結局は、音楽の血が騒いじゃった・・・ってところなんじゃないですかねぇ。。



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T-シャツに口紅 / ラッツ&スター

1983_10_T-シャツに口紅_ラッツ&スター





今回の1曲セレクトは、「Tシャツに口紅」ラッツ&スターです。

 まずはデータです。

・タイトル   Tシャツに口紅
・アーティスト ラッツ&スター
・作詞     松本隆
・作曲     大滝詠一
・編曲     井上鑑
・リリース日  1983年9月1日
・発売元    エピックソニー
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数  9.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

 トートツなんですが、なんで、今回、ラッツ&スターの「Tシャツに口紅」なのか。。。 
 うむ、単純に、ちょうど、「今頃」のヒットだったから・・・ってことなんだけどさ、さすがに、この曲は忘れている、もしくは知らない・・・ってヒトのほうが多いだろうなぁ。 なんせ、10万枚も売れなかったからねぇ。
 うむ、あの、大ヒット「め組のひと」の次のシングルなんだけどさあ、何分、曲調がジミだったからなぁ。 曲調が、そのままこの曲の存在感・・なような気がする。それは、当時から。

 個人的にも、当時から、さすがに、この曲は売れないだろうなぁ・・・とは思ってたな。初めて聴いたときから。
で、時期的にもう1ヶ月くらい早い時期のヒットだと思ってたんだよね。
確か、初めて聴いたのが夏休みの終わりごろ…だったような感覚でいたんでね

 ただ、そうは言っても、なんか耳に残るんだよね、この曲。

で、個人的な感覚からして、時期的にもう1ヶ月くらい早い時期のヒットだと思ってたんだよね。
確か、初めて聴いたのが夏休みの終わりごろ…だったような感覚でいたんでね


 出だしの ♪ 夜明けだね〜 ♪ のところとか、サビの ♪Tシャツに口紅〜 ♪ のところとかさ。
 
 情景が目に浮かぶんだよなぁ。

 個人的なことだけどさ、ちょうど、この曲がヒットしてた頃、母方のじいさんが体調を崩して、千葉と田舎を車で何回も往復してたことがあった。 あの頃は、まだ、田舎までの高速がなくて、一般道を通ってたんだけど、昼間だと混むからって、夜明け前に出かけてたんだけど、くしくも、そんな夜明け前のラジオから、この曲が流れてきたのが、今でも、とっても印象に残ってるんだよなぁ。

 だから、この曲っていったら、あの時の夜明け前の情景が浮かんでくるな。


 まあ、その辺の、曲を聴いた途端、絵が浮かんでくる・・・っていうのは、さすが松本隆御大だわな。
 曲は、大滝詠一大先生。 ま、大滝詠一とラッツ&スターの付き合いっていうのは、ラッツ&スターがシャネルズでプロデビューする以前からの関係っていうのは、有名だけどね、ようやっと、シングルになったって言う感じでしたね。
 付き合い以上に、大瀧氏を「師匠」としてやまないラッツ&スターでしたから、本当は、デビュー曲の「ランナウェイ」も大瀧氏に作ってほしかったようなんだよね。 だから、ようやっとシングルが実現したってところでしたねぇ

 で、アレンジが井上鑑氏。

 うむ、松本隆−大滝詠一−井上鑑なんていう黄金トリオで1983年っていったら、薬師丸ひろ子の「探偵物語」ぢゃんか〜 ってくらい、ウレまくってたよな、このときは。

 だからこそ、この曲の「ジミ」さが一層際立ってしまっているのが玉に傷だったりするんだけど・・・。

 ちなみに、等の大瀧氏は、ちょうどこの頃、自身のニューアルバムのレコーディングの追い込み時期だったのに、薬師丸とラッツ&スターのこれらのプロデュースでレコーディングどころじゃなくなり、本来1983年7月21日リリース予定だったのに、発売延期になった・・・という曰くつきなのよね。
 で、そのリリース延期になったアルバムが次の年の3月21日にリリースされた「EACH TIME」というわけですわ。




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もういちど思春期 / 郷ひろみ

1981_09_もう一度思春期_郷ひろみ






今回の1曲セレクトは、「もういちど思春期」郷ひろみです。

 まずはデータです。

・タイトル   もういちど思春期
・アーティスト 郷ひろみ
・作詞     三浦徳子
・作曲     小杉保夫
・編曲     井上鑑
・リリース日  1981年8月8日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数  15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1981年9月14日〜9月21日付

郷ひろみの曲も、これまで大分書いてきた・・・と思うんだけど・・・(いや自信ないな。。)、今回セレクトしてきた曲は、ちょこっと「死角」に入った曲・・・かもね。

「もう一度思春期」

えーと、前回の井上陽水「ジェラシー」に続いて1981年の今頃の曲だけどお許しあれ。
この曲の前が、あの「お嫁サンバ」でもあったし、まだ、チャートの上位常連ではあったけど、オリコンではベストテン入りを逃しているんだよね。それいえに、忘れられてる1曲なんじゃないかなぁ。

ただね、この間、「twitter」でもつぶやいたんだけど、この曲ってさ、いつ聴いても「ヘン」なんだよなぁ。。なんて、やおら書いてみたりしてふらふらふらふら

 いやいや、まあ、悪い意味では必ずしもないんだけど、どうも、イメージが散らばりがちなのよね。一貫性がないというかさあ・・・。
 まずもって、イントロからして、なして、こんなイントロが付いてんだろ? っていうのが摩訶不思議に思ったりして。。。

 詞の内容から、一見して強気なのかなぁ・・・なんて最初は思うんだけど、サビになるといきなり

 ♪抱いてやる今夜〜 ♪

 でしよ。なんだ、強気なふりをして、結局は「ヤリタイ」んじゃん・・・なんて思えたりしてふらふら

 まあ、その場その場で気持ちが変わる・・・でもって、最終的には「ヤリタイ」のよ〜・・・っていうところが、「思春期」なんでしょうな。ムリヤリ解釈すると。。



 それはそうと、この曲といったら、なんと言っても、郷ひろみにとって、「ベストテン番組」には最後の出演になった曲・・・っていうイメージが強いよなぁ。ベストテンマニアにとっては。

 あ、いや、今となっては、曲そのものは「インパクト」が弱い・・というか、ジミなイメージしかないんで、一般には、ほぼ完全に忘れ去られた曲になっちゃっるけどさあ。

 うん、実際は、この次の年の「哀愁のカサブランカ」でいきなりベストテン番組出演拒否なんてやらかしたもんだから、結果的にこの曲がベストテン番組最後の出演曲になってしまったんだけどね。

 うーん、この曲から1年間の間に、郷ひろみに何が起こったんでしょうねぇ・・・。



 まあ、今、考えてみれば、事の発端は、この曲の前の「お嫁サンバ」から始まってたんじゃないか・・・とも思えたりするんだよね。
・・・・っうのも、当初、当の郷ひろみ自身、「お嫁サンバ」って曲が大っきらいで、絶対に歌いたくない・・・とストライキ状態だったんだよね。
 そこを、当時、担当ディレクターだったCBSソニーの酒井氏が、うまくなだめて、結局はリリースすることになったんだけど、おそらく、当時、郷ひろみ自身は、心の底から納得はしていなかったんだと思うんだよね。
(後年、「お嫁サンバ」があるから今があるのような言い方もしてるし。。。)

 そのことが発端となって、作られるアーティストから、自らをプロデュースするアーティストへ・・・っていう心変わりに繋がって行ったんじゃないか・・・なんても考えられるんだよなぁ。

 事実、この「もう一度思春期」を境にして、曲想が変わっていったんじゃん、郷ひろみって。
 それこそ、それまでの「作られたアーティスト」っていう感じの曲から、自分で魅せていくっていうかさあ、セルフプロテュースしていってる感じの曲にさあ。
 もちろん、曲そのものを自分で作っていったわけじゃないけど、歌わされているっていう感じは消えて行ったような気がする。

 この曲は、ちょうど、その「端境期」にあった曲のような気がするな。




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バチュラー・ガール / 稲垣潤一

1985_08_バチュラーガール_稲垣潤一






今回の1曲セレクトは、「バチュラー・ガール」稲垣潤一です。

 まずはデータです。

・タイトル    バチュラー・ガール
・アーティスト  稲垣潤一
・作詞      松本隆
・作曲      大滝詠一
・編曲      井上鑑
・リリース日   1985年7月20日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 21位
・売上げ枚数   7.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 28位
・タイアップ:YOKOHAMAゴム「インテック」CM曲

肌寒いですねぇ。この間まで、「あっちい〜」とここでほざいていたのがウソのようですわ。
ちなみに、来週末、クーラーの交換工事があるんですが、こりゃ、もうクーラーなんて要らないよな。。。。

 さて、夏も終わり涼しい風が吹いてくると、どこからか脳裏に浮かんでくる曲があるものです。
ま、この間も同じようにかいたんだけど、これは、毎年のように起こっていたわけで、だから、結構そう言う曲もあるんですよね。

ここんところ、一日どんより曇り空、時々、シトシト雨が降ってきたりして。 今日もこんな天気か続く日曜日なのかねぇ。

 あ、やべぇ、 シチェエーションが、ザ・タイガースの「モナリザの微笑み」やんけ・・・

 ♪ 雨がシトシト 日曜日 〜 ♪

・・・ということは、今回の1曲セレクトは、「モナリザの微笑み」か?


・・・とか一瞬、思ったんだけど・・・。 でもなあ、さすがに知らないヒトも多いだろうなぁ・・・と思いつつ・・違う曲を引っ張ってきたりしましたわ。


 稲垣潤一の「バチュラー・ガール」。

 こっちは、1985年の曲だから、まだ、知ってるヒトも多いかなぁ。

 ♪ 雨は 壊れたピアノさ〜 舗道のキーを叩くよ〜 マイ・バチュラー・ガール 〜♪

 と、やおら、イントロもなしに突然、サビから入ってきたりして、それなりにインパクトがあったしな。

 シチュエーションがちょうど、今日のような天気のイメージがあるんだよね。
 気温が上がらない、シトシトあめが降っている日の・・・っちゅう。


 ・・・というか、この部分が、もろ当時のYOKOHAMAゴムのCMに使われてたから、ワタシと同年代以上の方は、覚えてる方も多いでしょう。


 個人的には、この曲は、稲垣潤一バージョンよりも、オリジナルの大滝詠一バージョンの方が馴染みが深いんだけどね、ヒット・・・というか、リリース「時期」がずれるんだよね。
 稲垣潤一バージョンは、ちょうど、「今頃」のヒットだったからさ、今回は、稲垣潤一の方を持ってきた・・・というわけで。。

 だから、個人的には、こっちのバージョンは、馴染みが薄いんだけどね。実は、稲垣潤一の方は、音源も持ってなかったりして・・・ふらふら

 なんかね〜、稲垣潤一が、この曲って、違うんでねー? って当時、思ってたからってのもある。


 なに? 稲垣潤一っていったら、「クリスマスキャロルの頃には」だって? ・・・・ふにゃふにゃふにゃ・・・。ちゃうちゃう。


 いや、相性っていうか、コーディネイションっていうか・・。なんか、ちがうよなぁ〜・・・って感じてたのよ。

 稲垣潤一って、もっとヨーロッパ的、かつアーバンな雰囲気な曲が似合うんぢゃないの? とか、思うしなぁ。。 この独特の甘い声には。

 この曲って、もろアメリカンポップスじゃん。。 ってか、大滝詠一、大先生が作っている所からして、アメリカンポップス以外何者でもないんだけど・・ふらふら 

 やっぱし、下敷きになっているのは、カスケーズの「悲しき雨音」?
・・・って感じだよね。

 それと、声質からして、こういうアメリカンポップスを稲垣潤一が歌っちゃうと、オリジナルの大滝氏と、あんまり違いがなくなっちゃうんだよね。 稲垣氏の個性がさ、死んじゃっているようで・・・。

 ・・・・っつうか、一旦、曲を聴いただけで、「あ、大滝詠一だ!」っていう世界になっちゃうんだよね。

・・・っつうことは、やっぱし、大滝氏、本人が歌っているのが、一番シックリ来ちゃうわけで・・・。


・・・・っつうことで、当時から、オリジナルの大滝氏バージョンを聴いてたりするワタシだったりするんだけど。。。


 それでも、稲垣氏のバージョンでも、サビの

♪ 雨は 壊れたピアノさ〜 舗道のキーを叩くよ〜 ♪


の部分は強いんだけどね。

https://www.youtube.com/watch?v=eMUqgPJ9V-o

もしかしたら、稲垣潤一ってドラム叩くんだ? なんて思うヒトも、もしかしたら多いかなぁ。
うん、もともとこのヒトはドラマーなんでね。 本来は、このスタイルで歌うのが一番シックリと来るんだよね。
まあ、ドラムを叩きながら歌うっていうスタイルが、当時は少なかったんで(同時期では、後はC-C-Bの「Ryu」くらいか)、最初はちょっとびっくりしましたけど。。。


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リバーシブル / 田村英里子

1990_07_リバーシブル_田村英里子







今回の1曲セレクトは、「リバーシブル」田村英里子です。

まずはデータでーす。

・タイトル      リバーシブル
・アーティスト    田村英里子
・作詞        平松愛理
・作曲        平松愛理
・編曲        井上鑑
・リリース日     1990年7月18日
・発売元       東芝EMI
・オリコン最高位   10位
・売上げ枚数     4.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位16位

 さきほども書いたように、やっと夏っぽい気候になったおかげで、夏っぽい曲をセレクトしても違和感を感じなくなったんで、今回も清涼感漂う、夏っぽい曲を一つ。

 田村英里子 「リバーシブル」

 田村英里子さんねぇ・・・。89年デビューの松田聖子が去ったあとの「サンミュージック」を背負って立つ・・と期待されながらデビューしたわけだけど、結局のところ、それほど大きな成果を残せないまま、消えていったアイドルでしたねぇ。

 まあ、時代はアイドルからバンドブームへという変化の波が大きくうねっている頃デビューという「不運」というのもあったわけだけどね。
 「正統派アイドル」時代完全にアナクロで、いわいるアイドルは、バラドルに変化してたりもしてた時代だし。

 このヒトの場合、曲は決して悪くはなかったと思うんですよ。本当の「正統派」アイドルだったと思う。まあ、それが時代遅れといえば時代遅れだったんだけどさ。
 
 結果的には10万枚以上セールスした曲は1枚もなし。ベストテン入りがギリという状況でしたね。
 ま、あの時代、アイドルで「ベストテン入り」できてた時点で「トップアイドル」という程度のものだったんだけどね。アイドルというものも。。。、

 さてさて、この「リバーシブル」は、そんな田村英里子の中でも個人的には一番好きだな。

 もーね、一言「清楚」でしょイメージが。 当初、茨城のオネーチャンっていう雰囲気だったのが、このころは「お嬢様」っていう雰囲気に変わってたし、お嬢様には、やっぱり、平松愛理が一番ハマるんだよね。

 だから、この作家の起用は個人的には正解だったと思う。イメージ的にはまっているもの。

 イメージは清楚。サウンドは、いかにも夏の暑さの中のいっ服の清涼感っていうのかなぁ。汗をドバッとかいた時、一瞬駆け抜けるようなさわやかな風が、かいた汗を冷ましてくれるような清涼感っていうのかなぁ。

 いかにも夏の暑い盛りに聴きたくなるような曲。

 ♪夏のスコール〜 ♪ からのサビは気持ちいいよね。なんのてらいもないメロディラインで、気持ちが落ち着く。

 それに比べて、サビまでのメロディラインは、ちょっと分かりにくい。 なんか、もそもそしてるし。。
特にサビ前の
 ♪Shockよりもさきに 会釈をしたのよ〜 ♪
のところは、メロディとコードがシンクロしてなくて、これって採譜間違えたんでねーか・・・と思っちゃうくらい・・・。

 要は、どうも、サビまでとサビからの繋がりがイマイチ不自然なんだよね。別の曲に聴こえちゃう。

  う〜ん、完全に「サビ」からの曲だと思いますね。 それだけ、サビからのメロディラインはいいと思いますよ〜。

 作詞・作曲は、まだブレイクしていなかった頃の平松愛理さん。 平松さんが「部屋とYシャツと私」で大ブレイクするのが、この2年後。それを考えると起用した方は先見の明がありましたね。。

・・・・と書きたいところなんだけど、実はこの「リバーシブル」がリリースされた頃は、「部屋とYシャツと私」はすでにリリースされていて(つまりはヒットするまで2年要した)、業界の間では、次のブレイクはこのヒトって密かに言われてたんだよね。

 
 まあ、なんやかんや細かい事を抜いても、この曲は、この季節に聴くのが最高にいいんだけどね〜。

 これが8月に入るとイメージがずれる。 7月のこの時期に聴くからいいんだよね。

夏って不思議な季節で、同じ夏でも7月と8月じゃイメージが変わると思いませんか?
7月って梅雨も明けて間もない頃からなのか、緑がまぶしいみずみずしい、フレッシュな感じがするんだよね。それが、8月には入ると、途端にギラギラした太陽が・・・っていうイメージになる。

この曲は、完全に前者の「みずみずしい」・・・って言うイメージだからさあ、8月のギラギラした太陽の下で・・・って感じじゃないんだよなぁ。
そんな、超季節限定なイメージの曲でもあったりするんだよね。

そう考えると、売上げ枚数4.2万枚っていうのも頷けるのかなぁ。。。。


関係ないけど、ワタシ今の今まで、このヒトの名前「田村英理子」だとばっか思ってた。。。

さっき資料さがしに↑でネット検索したら何もでてこなくて確認しちゃいましたよ。。

 だから、ランキングをはじめ、ワタシが今まで書いたものは全部「田村英理子」になってたりする。。。。
 完璧な誤字やね。。。。。失礼しました。。。




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探偵物語 / 薬師丸ひろ子

1983_06_探偵物語_薬師丸ひろ子







今回の1曲セレクトは、「探偵物語」薬師丸ひろ子です。

まずはデータでっす〜。

・タイトル     探偵物語
・アーティスト   薬師丸ひろ子
・作詞       松本隆
・作曲       大滝詠一
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年5月25日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数    84.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1983年6月6日〜9月5日付
・タイアップ:映画「探偵物語」主題歌


 社会現象的なヒットっていうの、何年か1度にあるよね。まあ、だいたいとその時だけの現象で、後になってよくよく考えると、「なんで、あの曲が・・・・・?」っていうこともよくあるんだけどさ。

 今回、ひっぱってきた

 探偵物語 / 薬師丸ひろ子

なんかもそうぢゃないかなぁ? 

 たしかに、あの当時の、薬師丸ひろ子フィーバーはすごかったもんね。
 当然、角川映画「探偵物語」の主題歌だったわけで、主演も薬師丸ひろ子。相手役は松田優作。

 ま、松田優作のはまり役だよね。ただ、テレビでは松田優作主演だったけど、この映画では、薬師丸ひろ子がお邪魔虫で、主役をとっちゃったっていうかね。。。

 ただ、興行収入は好調で、当時の角川映画での新記録の28億の興行収入だったんですよね。
 併映は、原田知世の出世作となった「時をかける少女」。
 ま、当時の角川映画の2枚看板ですわね。

 この「時をかける少女」に関しては、また後日ということで・・。


 で、「探偵物語」

この曲に関して、「予約枚数」は当時の新記録と騒がれたり、実際、オリコンの初動セールスは、1983年6月6日付で、140,780枚。

 今の感覚だと、なんだ、普通じゃん・・・・なんだけど、当時とはレベルが違い、週間で10万枚以上なんてのは、年に1回あるかどうかという感じだったですからね。
 それを考えると、噂どおりの人気だよな・・という印象はあったな。

 たださ、当初、予約枚数から150万枚はカタイっていう噂もあったけど、これは、いとも簡単にくずれゃった。。。
 そうね、結局、初動セールスを、2週目以降上回ることができなかったんだよね。
 ま、今のように1週目ドカンと売れて、2週目以降、一気に崩れる・・・というパターンにはならなかったものの、2週目、8万枚、3週目 7万枚、 4週目 6万枚・・・・と週を追うたび斬減して行ったんだよねぇ、その結果も結局、累積セールスも84万枚と、「セーラー服と機関銃」(86万枚)にも届かない結果で終わったりして・・・・。
 なんか、尻つぼみな印象は拭えなかったなぁ、当時は。


 でもまぁ、曲を聴けば、たしかにこれが150万枚売れるような曲・・・でもなかったんだけどさ、冷静になって思えば。。
 
 詞は、松本印のブランド物。作曲は大滝詠一大先生・・というワタシなんかにゃ、到底文句がつけられないような作品ではあるんだけど、でも、退屈なんだよね〜。 

 なんかかったるいんですよ〜曲が。もともと、ゆったりめな流れの曲じゃないですか。そこに来て薬師丸のあの、オバさん声の正当なファルセット唱法と来たもんだから、余計スローペースに聴こえちゃって、それが退屈なんですよね〜。

 第一、なんで、これが「探偵物語」なの? っていう感じだったし。。。。。
 うーん、曲内容と「探偵物語」がマッチングしないんですよ〜。

 まあ、タネあかしをすると、もともと「探偵物語」って言う曲は「探偵物語」゛はなく、「海のスケッチ」という曲だったらしいですわね。
 で、C/Wに入ってる「すこしだけやさしく」が「探偵物語」だったそうな。これは、大滝詠一大先生のお言葉。
 でも、薬師丸ひろ子は、お気に召さなかったようでようで。。。。
急遽、「海のスケッチ」の詞を差し替えて「探偵物語」にしたそうですわ。

 うーん、個人的には「すこしだけやさしく」の方を「探偵物語」にしてほしかったなぁ。
 この曲の方が好き。明るいし、季節的にさわやかだし、「セーラー服と機関銃」とイメージが完全に「タブらない」じゃん。「探偵物語」の方は、マイナー調だし、ややイメージがダブるんですよ。その分、「またか」っていう気分にもなるし。。。保守的っていうイメージになっちゃうんだよね。冒険ではないですよね。

 ちなみに、「すこしだけやさしく」は、当時のTBS系「わくわく動物ランド」のエンディングテーマ曲。
 なんとなしに、この曲聴きたさに「わくわく動物ランド」をみてた気もする。。

↓ コレ



 でも、まあ、これは個人的に感じるところでさ、やっぱ2枚続けて80万枚オーバーっていうのは、当時としては、並みの人気ではなかったってことですわねぇ。

 これも、角川商法のなせるワザだったのかもしれないけど。。。

 あ、個人的に生理的にいまいっぽ入り込めないのは、角川商法っていうのもあったかもしれない。
 
 音楽(コンテンツ)は「商品」である

と、今に通じる考え方をはっきり商売に取り入れたのが、角川商法だったから。。。
 兎に角「売ればなんでもあり」と言う考えですね。

 どうも、この考えには、賛同できない部分が未だにあるんだよなぁ、ワタシは。。。
 だから、ついつい、マイナスイメージに考えたくなったりして、曲に関しても。。。




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