かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

五輪真弓

リバイバル / 五輪真弓

1981_11_リバイバル_五輪真弓


今回の1曲セレクトは、「リバイバル」五輪真弓です。

まずはデータです。

・タイトル    リバイバル
・アーティスト        五輪真弓
・作詞      五輪真弓
・作曲      五輪真弓
・編曲      Michel Bernholc
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 24位
・売上げ枚数   12.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

長年ヒット曲を追いかけてくると、いったいどこでこの曲に出会ったんだろう? と思える曲があったりする。初めて聴いたときのことを全く覚えていないって曲ですね。
少し間前に書いた、ジュリーの「ロンリーウルフ」でも同じようなことを書いたと思うんだけども、今回引っ張ってきた曲もそんな1曲だよなぁ。

五輪真弓「リバイバル」。

いや、引っ張ってきたのはいいけど、ここ読んでくださってる方で、一体どの程度この曲を覚えていらっしゃるだろう・・・・っていうのは、いささか不安だったりもするんだけど。。。。

リリースは、今から39年前、1981年の9月だけど、丁度今頃ヒットのピークだった曲だ。
時代的には、あの超大ヒット曲「恋人よ」から、丁度1年後という事になる。

とはいうものの、何せオリコン最高位24位ですからねぇ。今となっては五輪さんのファンとか、1981年と言う時代をこよなく愛している方でもなければ、すでに死角に入っててもおかしくない曲ですわ。 
ま、売り上げ的には一応10万枚オーバーで、当時のスマッシュヒットではあったんですけどね。

・・・なんていつものごとく、さぞ当時から、よく知ってました・・のように書いてるんだけども。。。最初に書いたように、この曲を当時、何処で初めて聴いたのか、と言うのは全く覚えてない。

たださ、当時の月刊「明星」付録の「Youn Song」には新曲として載ってたなっていうのは、覚えてたりして、曲の存在は当時から知ってたんですけどね。(実際1982年1月号では楽譜入りで載ってたりする)

確実に覚えているのは、1983年秋、新聞広告で見て購入した、ソニーファミリークラブから発売した通販の「ニューミュージック大全集」に収録されていたことだなぁ。
そう、この曲の音源は、あの時に手に入れたものなんだ。だから、かなり古くから音源はあったわけで、通常であればあの時、この曲を初めて聴いたんだ・・・と思うのが普通だと思うんだけど。。。

でも、どうもイメージが違うんだよね。 あの時(1983年秋)初めて聴いたものならば、この曲を聴くときは、1983年のカラーがフラッシュバックされてもおかしくないのに、 聴くたびに、ヒット当時、1981年秋のカラーが浮かんでくる。

1981年の秋ちょうど今頃の時期のヒット曲って、ワタシの中では一様に紅葉カラーなイメージなんですよね。
いつだったか、松田聖子さんの「風立ちぬ」の時にも書いたと思うんだけど、1981年秋は、紅葉狩りを兼ねたドライブに頻繁に出かけた年だ。 まだ、福島のいわきに住んでいたころで、紅葉狩りのドライブに裏磐梯に行ったり、霊山に行ったり。 めっちゃ紅葉シーズンの頃でさ、夕日に真っ赤に染まったモミジとか、黄金色に染まった銀杏の木の光景が、39年経った今でも、未だに浮かんでくるんだよね。

で、この「リバイバル」を聴くといつも決まって浮かんでくる光景が、霊山の帰り、国道6号線を走っていた、夕日に黄金色に染まった銀杏並木。あの光景だ。

この曲、アレンジャーがフランス人である、Michel Bernholcということもあり、フレンチポップスの様相が強い。 ややアコースティック色が強く全体的に濡れていて、フレンチポップス特有のサウンド。

まあそれを言ったら、あの大ヒット曲である「恋人よ」も同じフレンチポップスの色は濃い。 イントロのストリングスのフレーズもどこかクラシック的で。
それでも、この「リバイバル」よりも安心感がある。安心感と言うのは、やっぱり日本人である船山基紀氏のアレンジと言うところもあるのかもしれない。
フレンチポップス的ではあっても、どこか日本人ならではの味付けがある。そこに安心感を感じたりしてね。

例えば、フランス料理であっても、本場のフランス人シェフが作った料理よりも、日本人シェフが作った料理の方が安心できる。。という事と同じように。

同じフレンチポップス風な曲調であっても、両者で売り上げ大きく差が開いたのは、この辺りが大きかったかもしれないな。

ま、もちろん、それだけではなく、楽曲のアクの強さ、弱さという違いも大きいとは思うけど。
この曲は、「恋人よ」に比べると、やっぱりインパクトの面で弱いですからね。


・・・・ととと、なんか話がずれた。。。 
この曲を初めて聴いたのは・・・って話でしたね。

そうそう、この曲を聴くと福島の
霊山の帰り、国道6号線を走っていた、夕日に黄金色に染まった銀杏並木の光景がフラッシュバックするって話ですね。
そんな風景が、もろフレンチっぽかったんですよね。 この曲にぴったり当てはまるような。。。

・・・ということは、恐らく、1981年11月頃、霊山にドライブにいったころは、この曲すでに聴いてたのかもなぁ。
ベストテンには入ってなかったので、「ザ・ベストテン」ではなかったはず。

もしかするとTBSラジオの「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」で聴いたのかもなぁ。 
そそそ、1981年11月、テレビだけでなくラジオにも進出というわけで、TBSラジオで月〜金曜の21時〜21時45分に毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」を聴き始めたのが丁度この頃だ。
その中の月曜日の「ニューミュージックベストテン」。きっとここで初めてこの曲を聴いたんだ。
総合ではベストテン入りはしてなくても、「ニューミュージックベストテン」にはランクインしてたと思えるしね。
うん、これなら納得するな。

  

初めに書いたように、今から39年前、オリコン最高24位ってことで、当時の動画はさすがに残ってないですねぇ。
・・というか、この曲、ヒット当時テレビで歌っていたのかなぁ・・・という疑問は残るが・・・。
そんなこともあってこの曲自体の動画が少ない。。。
しょうがないんで、一番レコードのアレンジに近い動画を引っ張ってきましたわ。

でもさ、妙なもんで、こう、テレビで歌っている音を聴くと、「恋人よ」よりも、こちらの曲の方が「歌謡曲」っぽいなぁ・・・なんて思えたりしますね。
レコード音源では、もっとフレンチポップスっぽく聴こえるんだげなぁ。

ちなみに、レコード音源は、もっと鼻にかかったようなボーカルなんだよね。
そそそ、鼻かぜをひいてたのかわからないですけど鼻声気味なのよ。 でも、個人的にはそこに引っかかっちゃったりする。 どこか、肩の力が抜けたように感じたりしてさ。
特にサビの
♪ アー 繰り返すだけの思い出は〜 ♪ の 「繰り返すだけの」の「の」が「ぬ」に聴こえたりして、なんとなくセクシーなんだよね。

ただ、今からして思えば、そんな方の力が抜けていた分、インパクトがかけてしまったのは否めなんだろうなぁ。


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恋人よ / 五輪真弓

1981_01_恋人よ_五輪真弓






今回の1曲セレクトは、「恋人よ」五輪真弓です。

 まずはデータです。

・タイトル    恋人よ
・アーティスト  五輪真弓
・作詞      五輪真弓
・作曲      五輪真弓
・編曲      船山基紀
・リリース日   1980年8月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   96.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年10月27日〜1981年2月9日付

昨日書いた、河合奈保子の「疑問符」もそうだったんだけど、今回の曲もこの季節の「ジミーな曲」シリーズって感じかなぁ。

 五輪真弓 /恋人よ

 うーん、96.2万枚も売れた曲をジミーな曲と言ってしまっては失礼ですかねぇ。
 でも、曲調はジミーでしょ? いかにも重たい感じのスローバラードで。

 この手の「正調」な重たいスローバラードな曲も最近、ついぞ見かけなくなりましたねぇ。
 まあ、これも時代の流れなんですかね。今は「軽い」感じの曲調が受ける時代だから・・・。

 でも、時代は「螺旋階段」のようにまわり回っているもの。たまたま、今はそういう時代の狭間にあるわけで、時期にまた、こういう「重い」感じの曲が受ける時代が来るかもしれないですわね。

 うん、以前、もんた&ブラザーズの「赤いアンブレラ」をセレクトしたときにも書いたと思うんだけど、80年末〜81年初頭にかけて、一時的ではあったものの、「重い」感じのバラードが流行った時期があったんだよね。

 中島みゆきの「ひとり上手」であったり、ちょっと感じは違うけど、雅夢の「愛はかげろう」であったり・・・。

 その中でも、この五輪真弓の「恋人よ」は、ひときわ際立っていた・・・という曲だったんだよね。

 ひときわ際立っていた・・・。というのも、多分、これはフィクションの世界ではなくて、極めてノンフィクションの世界の曲であったことがリアリズムとして現れてたからなんじゃないかなぁ・・・。

・・・というのも、この「恋人よ」って、五輪がデビュー時から、サウンド面をサポートしてきた、故 木田高介氏を歌ったものだというのが、通説になってるんですよね。

 木田高介氏・・・東京芸大の打楽器科出身の異色ミュージシャン。芸大出ということは、時期的にもY.M.Oの坂本教授の先輩格にあたる方なんだけど、GSでも超右翼的といわれたジャックスというバンドに在籍、その後、オフコース、かぐや姫、吉田拓郎、リリィ、山本コータロー等、70年代初期から中期にかけての第一線ミュージシャンをサウンド面からサポートし続けた、今で言えばサウンドクリエイターだった方だ。

 その木田高介氏が、突然の交通事故で死亡したのが、この1980年5月18日。享年32歳。

 もちろん、五輪真弓のファーストアルバムの「少女」のアレンジ、サウンドクリエイターを担当したのも、木田高介氏。

 そんな繋がり深いヒトの死。 この曲は、これをきっかけに書かれたんですよね。

 もちろん、木田氏と五輪真弓が、本当の「恋人」関係にあったのかは知らない。ただ、「音楽」の面では、「蜜月」の関係にあったのは確かでしょう。


 ♪恋人よ さようなら 季節はめぐってくるけど、あの日の二人 宵の流れ星、光っては消える 無常の夢よ〜 ♪

って部分は、五輪が木田氏に贈った、「本心」だと思いますね。


 この曲って、そういう、実際にあった部分を背負っている歌だけに、余計にリアリズムがあるし、それだけに「重い」んだよね。

 もちろん、そんな逸話は、後になってから知ったことだから、この曲がヒットしてた当時は、全く知らなかったんだけどね。

 でも、それでもどこからか「染み出る」ような重さって言うのは伝わってきてたし、だからこそ、リアリズムを感じだんだろうなぁ。

 でもさ、歌ってのは、もともとの部分は、そこが原点なんですよね。もともと「魂」の叫びが歌になっていった・・・っていう部分があるわけでさ。だから、この「恋人よ」っていう曲は、人間が持っている「歌」という部分の原点を表している曲だと、今は思うな。


 ところで、木田氏が交通事故に遭った時、車に同乗していた、阿部晴彦氏という、当時の若手ミュージシャンも同時になくなっている。

 この阿部氏は、TM NETWORKの木根尚人氏の当時からの親友で、当時まだ、TM NETWORKになる以前のユニット、スピードウェイにも出入りしていたらしい。

 その関係もあって、彼らの事故から1ヵ月後に行われた、日比谷野音で行われた、木田高介、阿部晴彦追悼コンサートには、TM NETWORKになる前、スピードウェイとして、木根尚人、小室哲哉も参加している。


 うんちょっと、話がずれたね。

 でも、この曲が出てきたときほど、ピアノが弾けたらな・・・と思ったことはなかったなぁ。この曲、ピアノで弾き語りが出来たら、よかっただろうな・・・って、これと当時も思ってましたね。

 あのころ、まだ、エレクトーンは習ってたけど、やっぱし、この曲はピアノだよね。ピアノが弾けなかったの、くやしかったぁ。
 あの時ほど、ワタシなんで、ピアノぢゃなくて、エレクトーンに行っちゃったんだろ? って思ったことはなかったですねぇ。

ちなみに、今でこそ、香港・台湾で日本の曲が人気があるっていうのは普通だけど、この曲あたりからじゃないかなぁ。香港・台湾で人気が出た日本の曲って言うのは。今やベトナムなど東南アジアでも大人気のようですね。
やっぱり、正統派な曲だからこそ、万国で受けてるんじゃないかなぁ。




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