かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

中島みゆき

追いかけてヨコハマ / 桜田淳子

  1978_03_追いかけてヨコハマ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「追いかけてヨコハマ」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     追いかけてヨコハマ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜4月3日付

それぞれのアーティストにはターニングポイントってあるんだよなぁ。
特にビックヒットを連発していた、いわいるトップアーティストになればなるほど、そのターニングポイントっていうのは顕著になってくるんじゃないかなぁ。
あれがあったからトップアーティストにブレイクした。逆に、あれを境にヒットから遠ざかった・・って言う境ですね。

要因としては、特によく見られるのが時代との折り合いですよね。 楽曲が時代と折り合わなくなったとかさ。それと、単純にアーティストパワーが弱くなってきたっていうのかな。 まあ、この2点が複合的に絡み合うっていところが一番多いかもしれない。

ヒット曲クロニクルの時代的なターニングポイントとして、振り返ってみると、その一つとして1978年って言うのがある。
 70年代アイドル時代の終焉と、反面、ニューミュージックの台頭って言う時代の流れですね。 その中間的な役割として「ザ・ベストテン」があったもするんだけどさ。

今回は、そんな1978年がターニングポイントとなった方の曲をひとつ。

桜田淳子「追いかけてヨコハマ」。

この曲覚えてる方、いらっしゃいますかぁ〜。 いや、あの時代を知ってる方は、まだ、知ってらっしゃる方も多いかな。

この曲の前が、「しあわせ芝居」っていう中島みゆき、作詞作曲で話題になった曲。 それまで暫く「中だるみ」的な売り上げとなっていた、桜田淳子さんだけど、この「しあわせ芝居」で、再び息を吹き返した・・・という。

で、今回の「追いかけてヨコハマ」それにつづく、中島みゆきさん作詞作曲の第二弾シングルですね。

でもですね、約36.5万枚の売り上げを記録し、オリコンで3位まで行った「しあわせ芝居」に対して、この「追いかけてヨコハマ」は、売り上げ16.4万枚。オリコンではベストテン入りも逃す・・・という、トップアイドルの座について以後、初めてと言ってもいいほどの低レベルの売り上げに終わってしまう。

まあ、要するに「柳の下にドジョウは2匹」居なかった・・・って事になる訳なんだけどもね。

だけんども、なぜに、急にこれだけ売り上げが下がったのか・・・って言うのもあるんだよね。

なにせ、前作からいきなり半分以下の売り上げ。 それだけでなく、オリコンではベストテン入りも出来なかった・・・と。

ま、そこが最初に書いたような時代の流れ、時代のターニングポイントだったんじゃないか・・・そんな風に感じる訳なんだよね。

同じような傾向にあったトップアイドルが、もう一人。 そそそ野口五郎氏もそうなんだよな。

まあ、桜田淳子さんも、野口五郎氏も、オリコンは別として、「ザ・ベストテン」では、78年中はベストテン入りしてたし、野口五郎氏なんかは、78年秋に「グッドラック」のヒットで息を吹き返したように思えたんで、あの時点では、それほどのダメージは感じなかったかもしれない。

でもさ、今振り返ってみると、それ以前、数年の「全盛期」に比べると、確実に売り上げは下がってきてたからなぁ。
その傾向が富に現れたのが78年なんだよね。

特に桜田淳子さんは、この「追いかけてヨコハマ」を皮切りに、次の「リップスティスック」でぎりぎり、オリコン10位に食い込んだものの、それが「最後」のベストテン入りとなってしまう。
明らかなアーティストパワーダウン・・・そう言う傾向の時期だったんですよね。


まあ、上で再三書いたように時代の流れとアーティストパワーというのは大きな要因ではあるんだけども、曲調の変化っていうのも大きかったんじゃないかなぁ。

この「追いかけてヨコハマ」って曲。 今聴くと、ほぼ「歌謡曲」なんだよね。前年まで見られた「ポップス」的な曲調とは明らかに違う。

ま、その過渡期となった、前曲の「しあわせ芝居」もそれまでの曲調とは違った。 けど、この曲はそれまでのアイドルには無かったような曲調が新鮮だったんだよね。
 メロディラインがクラシック的でさ。 いや伝統的なクラシックというよりは、イージーリスニング的というかね。そんなメロディラインが新鮮だった。それに加えて中島みゆきさんがアイドルに曲提供したっていう話題性も加わったしね。 

でも、この「追いかけてヨコハマ」って言う曲は、おなじ中島みゆきさんの曲でも、それほど新鮮味がないんだよね。もろ歌謡曲的。
 時代は歌謡曲からニューミュージックへ・・・っていう曲調の変革期。いかにそれまで無かったような新しい楽曲が出てくるか・・・って言う期待があった中、時代を逆行して行ったかのような感じが強いんだよな、今聴いても。
そそそ、78年の曲と言うよりは、75年くらいの匂いがするんだよね。

当時、桜田淳子さんはまだ19才だったはずなんだけど、それにしては大人びた・・・いや、老けた感じの曲だよな・・・って言う印象も拭えなかったりもしてさ。

まあ、それらの要因が色々と絡み合っての売り上げだったんだろうな。

ただね、色々と書いたけど、個人的には、意外とこの曲印象に残ってたりするんだよね。 
当時、まだ、ヒット曲の世界には足を踏み入れてなかったワタシだけど、この曲は覚えてたりしたもんな。
むしろ、この曲の次の最後のオリコンベストテン入りとなった「リップスティック」の方が印象に無い。

本来なら、松本隆−筒美京平っていう、個人的に大好物路線である「リップスティック」の方が印象に残りやすそうに思えるんだけどね。

やっぱ、中島みゆきさんの曲っていうのは、時代性を超えたアクの強さっていうのがあるんだろうな。 だから、それが洋楽的だろうと、歌謡曲的だろうとアクの強さで印象に残ってしまう・・・と。

そんな所を感じさせる1曲だったりしてね。



ちなみに、この曲と全く同時期にヒットしていたのが、木之内みどりさんの「横浜いれぶん」。
奇しくも、同じ「横浜」を舞台にしたヒット曲だったしたけど、印象としては、やっぱこの「追いかけてヨコハマ」がひとつ上だったかな。

それにしても、この後も「横浜」を舞台にしたヒット曲って多いよね。
「歌謡曲」っていう音楽のイメージが、横浜と合うんだろうねぇ。
どこか異国情緒を感じる趣と、日本的な趣が交差する街って言う雰囲気が差。 
歌謡曲も、向こうの音楽の官能的な部分と、日本情緒が交差した音楽だからさ。そんな異種交流的な雰囲気がシンクロするんだろうな。


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慟哭 / 工藤静香

1993_03_慟哭_工藤静香


今回の1曲セレクトは、「慟哭」工藤静香です。

まずはデータですよ〜

・タイトル    慟哭
・アーティスト  工藤静香
・作詞      中島みゆき
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1993年2月3日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  93.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1993年2月15日〜4月12日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「あの日に帰りたい」主題歌

え〜、本日2曲目の「1曲セレクト」どぇす。
え? また書いたの? ・・・とか言われそうだけど、ま、さっき書いたツイストの「性(さが)」は、半ば思いつきのまま衝動的に書いた訳でさ、当初、今日書こうと思ってたのは、こっちの曲なんだよね。

それはそうと、先日のネットニュースで、フジテレビの「月9」が青色吐息の状態っていうことが出てましたなぁ。
個人的には、いいかげん月9に頼るのも止めたらど〜お って思うんだけどねぇ。
もうさ、90年代じゃないわけじゃん。トレンディドラマな時代じゃないんだよね。 まあ、現フジテレビ社長が、ドラマ班出身あり、月9育ちということで止めるにやめられないんだろうけどさぁ。

でもねぇ、いつまでもあの時代を夢想しているって言うのは時代錯誤だと思うしねぇ。

まあ、「じゃあ、オメーはどーなんだよ」なんて言われると、反論できなかったりもするんだけどさ

でも、ビジネス上の話として、実際の数字を見ちゃうと、そう思っちゃたりしてね。


・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、まだまだ「月9」が元気で、ステータスがあった「あの時代」、そんな月9ドラマの主題歌だったこの曲を。

工藤静香「慟哭」。

この曲は、93年1月期の月9ドラマ「あの日に帰りたい」の主題歌。

ただね、個人的にはこのドラマ、見てなかったよなぁ。 だからさ、どういうドラマだったかはよく分かんない。
視聴率もネットで調べたところ、平均15%程度と、当時の月9にしては取りたててよかった訳じゃない。
 この次の93年4月期の「ひとつ屋根の下」が平均視聴率28%(最高視聴率37.8%)だった事を考えると、かなり低迷だったんだよね。

確かに「ひとつ屋根の下」は、ワタシも見てたしなぁ。

それでも、そんなドラマの主題歌だった、この「慟哭」はの売り上げは93万枚もあった訳だからねぇ。
そそそ、これが工藤静香さんにとっては、「最高売り上げ」のシングルなんだよね。 ま、まだ一応は現役のアーティストであり、もしかしたら、これを更新する曲が今後出てくるとも限らない・・・・・・うんにゃ、余程の事が起きない限り、出てこないよな・・・きっと。

ただ、・・と言う事は、工藤静香さんって、シングルではミリオンセラーが1作もないってことなのよね。
これは意外かなぁ。80年代から活躍してる当時のトップアイドルを見ると、工藤さんレベルの女性トップアイドルのヒトたちは、大概1作はミリオンセラーの持ってるもんね。

あ゛、そう言えば、中森明菜さんも、ミリオンは1作もなかったな。 

どうなんだろうねぇ、アイドルの中でもどこか陰があるような大人っぽいアイドルの2大巨頭がミリオンを持っていないって言うのは。
 やっぱり、アイドルっていうのは「大人」っぽ過ぎても、必ずしも良いって言う訳ではないってことなんだろうねぇ、きっと。


あ、ちょっと話がずれた。。。「月9」の話だったね。
ま、いずれにしても、それだけの売り上げを生み出す「力」があったわけなんだよね、当時の「月9」には。

なんせ、この曲の前後の曲は、大体30万枚前後ってペースだったからねぇ、当時の工藤静香さんの曲は。 そこに来ていきなり、「90万枚」だもんなぁ。

さしもの、ワタシも「月9」の主題歌ということで、ある程度は売れるだろうとは思ったものの、ここまで売れるとは思ってなかったんで、ちょっと泡食ったのを覚えてるなぁ。

ぢゃ、そこまで売れる曲だったのか・・・。

個人的には、サビまでのメロディを聴く限りでは、正直、そんなにいい曲だとは思わなかった。 その証拠に、この曲、長い事音源持ってなかったんだよね。それだけ当時は引っかからなかった・・・って事なんだけどさ。

でも、♪ 一晩中泣いて 泣いて〜 ♪ からのサビの部分は強いわな。一言で言えばキャッチー。

当時は「覚えやすい事。 キャッチーなメロディ」っていうのは、シングルとしてはある程度至上命題的なところがあったからねぇ。

そそそ「カラオケ」で歌いやすいってこと、そのために覚えやすい⇒キャッチーである事が一番ってところがあったからさ。

それを考えると、「月9」の主題歌であった事以上に、サビからのキャッチーさ、キャッチーだからこそインパクトに繋がって、ここまでの売り上げ枚数に繋がったのかもしれないな。

それと幸運だったのは、キョンキョンの「優しい雨」が、この曲と同日リリースだったって事もあるかなぁ。
2大アイドルが同日リリースってことは、それまでもそれ以後もあんまり頻繁には無い事だからねぇ。
当時、それも話題になったような気がする。 
奇しくもキョンキョンの「優しい雨」も同じようにドラマの主題歌だったし(こちらはTBS系金曜ドラマの主題歌)・・・。  そんなことでも話題になったよな。

それもあってか、ランキング的には、熾烈なトップ争いを繰り広げたよなぁ。

初登場時1993年2月15日オリコンランキング。

1位 慟哭    工藤静香   242,670枚
2位 優しい雨  小泉今日子  234,910枚

なんていう、8千枚弱での僅差デッドヒートなランク争いもさることながら、週間売り上げ枚数も高レベルでのデッドヒートだったからなぁ。 ま、上記のとおり結局のところ、この「慟哭」がキョンキョンを振り切って1位を獲得した訳なんだけども。。

ちなみに、この週の週間売り上げは6位までが10万枚以上。 10位で7万5千枚・・・なんちゅうとんでもない高レベルな売り上げ枚数だったんだけどさ。。。。 
今と比べると、いかにとんでもない時代だったか・・・って事が良く分かるよなぁ。。。まあ、これが今となっては音楽業界、いろんなところで「重石」になってるんだけどさ。
うん、正直言って、日本の人口比率から言えば、この売り上げ傾向は「過剰売り上げ」だったんだよ。 でもその後も重しが抜けたように、売り上げ傾向はどんどん膨らんでいくんだけどさ、90年代は。


ちなみに、個人的には、上で書いたように、この「慟哭」もそうだけど、キョンキョンの「優しい雨」もそれほど引っかからなかったんだよな。
アイドル2大対決だったわけだけども、正直、ほとんど素通りだった。

まあ、両者、曲自体に引っかからなかった・・・ってのが一番大きいんだけども、どうなんだろうねぇ、80年代アイドルの「残像」ってしか映らなかったってのもあるんだろうな。

 簡単に言えば、ヒト時代の前のタイプの曲じゃん・・・って思うところが強かったって言うかさあ、新鮮味を感じなかったんだよな、両者とも。
 この「慟哭」の作詞は中島みゆきさん、作曲は後藤次利氏っていう工藤さんとしてはヒットが期待できる強者な作家だったわけだけども。 でもねそれは、あくまで80年代までの話で。。。
時代は90年代に入って4年目だったし、だから、どうしてもアナクロに写ってしまう。
もっと新しい何かを含んだ音楽に期待してたんだよね、当時はさ。




 


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FU-JI-TSU / 工藤静香

1988_07_FU-JI-TSU_工藤静香


今回の1曲セレクトは、「FU-JI-TSU」工藤静香です。

まずはデータです。

・タイトル     FU-JI-TSU
・アーティスト   工藤静香
・作詞       中島みゆき
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1988年6月1日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  25.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1988年6月13日〜8月15日付

えー、いつ以来なんだ ・・・ってくらい久々に1曲セレクトを書いていまする。
日曜日、あの猛暑でグロッキーになっちゃいまして。。。 どうもね、熱中症っぽかったんですよね。 体の熱がなかなか取れなくなっちゃいまして。 それで夜もクーラー廻したまま寝たら、余計体調がおかしくなっちゃいまして。。。
 今、仕事が繁忙期で休めないんで体に鞭打って仕事行って、それで余計疲労がたまって・・・っていう悪循環もあって、どうにも1曲セレクトを書ける状態じゃなかったんだよね。
月曜からこの方、家に帰ってもPCにも向かわず、すぐに寝ちゃってたんで。。。 

で、その分いつもより睡眠もとってたんで、どうにか、今日あたりから体調も回復して、こうして1曲セレクトを書いておりまする。

まあ、30代の頃の体力があればね、それでもケツ振っても頑張っちゃうんだけども、もう若くないからねぇ、この先も疲れたら、書くのお休みいただきますわ。(文章書くのも意外と体力いるのですヨ)


・・・ということで、関係ない話をダラダラしてもしょうがないんで本題に行きますか。。

前々から、書こうと思った曲は何曲か描いていたんだけども、今回はその中の1曲をば。。。

工藤静香「FU-JI-TSU」

うむ、前回書いた生稲晃子「麦わらでダンス」と同じく、88年の今頃のヒットとなってしまうけどご勘弁。

まあ、元おニャン子&うしろ髪ひかれ隊同士・・・ということで

ところで、この曲、最初にタイトルを見た時、「FU-JI-TSU」⇒「富士通」にしか見えなくてねぇ

・・・ってかお決まりのギャグですよね。。。 なんて言いたくもなるけど、これ結構マジでそう思ってたんだよね、ワタシ。
真面目に、なんで、工藤静香が「富士通」の歌わにゃいけんのだろ ・・・とかさ。

とういかねぇ、「FU-JI- TSU」⇒「不実」 っていうのが、全然浮かんでくなかったのよ。真相を知った時はなるほどね。。。って感じだったかなぁ。

ま、そんなことはどうでもいいとして、この曲と言えば、やっぱり、今をときめく中島みゆき嬢と、工藤静香がタッグを組んだ最初の曲と言う事でしょうかね。
 ホント、これは、全く予想もつかなかった。この曲の前の「抱いてくれたらいいのに」の作詞は松井五郎氏だけど、まだ、こちらの方が予想できたって感じはしたけどね、当時の売れっ子というところから見ると。

でも、流石に中島みゆき嬢とはね。しかも曲は相変わらず、後藤次利氏で、詞だけだったじゃん、中島みゆき嬢は。こういう事もあるんだ・・・と思うとともに、果たして後藤氏とのメロディに合うんだろうか・・・なんてことも最初は思ったんだけどね。
これが結構、ウマく嵌まってたんだよね。

正直、その前の3曲は、ソロとは言っても、おニャン子の残像を引きずっているような印象があったんだよね。

でも、この曲からは、そんな残像も、おニャン子臭も感じ無くなった。 完全に「工藤静香」っていう一人のソロアーティストの色に変わったよね。

そう言う意味でも、ここで、中島みゆき嬢を持ってきたのは大正解だったよなぁ。 例えば、ここで、また秋元康氏に戻ってたら、おニャン子の臭いを、まだ引きずっていたかもしれないし、少なくとも、その後のアーティスト・工藤静香は無かっただろうしね。

じゃ、具体的にどこがどう変わったのか・・・・と言われると、正直言うと答えに困っちゃうんだけどさ

兎に角、一人のアーティストとしての脱皮は感じたよなぁ。 だからね、シングルとしては第4弾のこの曲だけど、本当の意味での工藤静香は、ここがスタートラインだったよね、っていうのは間違いないと思うんだよね。

ちなみに、それを表すかのように、この曲では、ここまでの最高売り上げを記録。 さらに、ここから売り上げを伸ばしていくことになるんだよね。
 当時、浅香唯、中山美穂 南野陽子と並んで、アイドル四天王と呼ばれていた工藤静香だけど、そう呼ばれるようになったのも、この曲の後辺りからだったもんなぁ。
 この曲の売り上げは、25万枚と、この次の「MUGO・ん・・・色っぽい」に比べると、半分にも満たないけど、それでも、ベストテン内に2カ月ランクインしてたからねぇ。 薄く長く売れてたって印象が強いな。
それとともに、存在感はこの曲がヒットした頃から俄然大きくなったもんね。

そうだ、この曲をこのタイミングで書こうと思ったのは、丁度、この曲がヒットしてた頃・・・だから28年前の今頃、やっぱり体調崩してたんだよな、ワタシ。
熱中症ではなかったんだけども、全身に「蕁麻疹」が出ちゃって大変だったんだよな。この曲を聴くと、なんかね妙にその時のことを思い出すんですよ。 そんなことが、今週の体調の悪いことで余計想い出されちゃったんだよな。



以前も書いたかもしれないけど、工藤静香って、ウタ、めちゃくちゃヘタだったんだよな、最初。
間違ってるとしか思えないくらい。
でも、この辺りになると、それなりに聴けるようになってましたね。まあ、まだ、後年の堂々とした歌いっぷりには程遠いけど。
でも、かなり頑張ってたんだろうね。じゃなきゃ、半年程度でここまで歌えるようにはならないよな。



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ひとり上手 / 中島みゆき

1981_01_ひとり上手_中島みゆきjpg

 







今回の1曲セレクトは、「ひとり上手」中島みゆきです。

 まずはデータです。

・タイトル     ひとり上手
・アーティスト   中島みゆき
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1980年10月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    44.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1980年12月1日〜1981年1月26日付

今晩はしばれるなや。 石油ストーブしかない8畳間の私の部屋は寒いですぞ。
いや、ちゃんとエアコンはついてるんだけど、暖房は電気代食うんで、石油ストーブでケチケチと使ってる訳です。今、灯油も安くなってますからねぇ。

 しかし、以前にも書いたけど、寒くなると決まって中島みゆきが聴きたくなる。これは、ほとんど条件反射、まるでハプロフの犬状態ですな。

 あ、でも、最近の中島みゆきではないですよ。初期の頃の中島みゆきですね。 
どうしても、あの暗いよー、寒いよー、とどこからか聞こえてきそうな曲が聴きたくなってくるのですよ。

 そんな時は決まって「ひとり上手」ですね。ワタクシは。

 だけど、どうして、こう、シンシンと冷えて寂しい夜は「中島みゆき」なんでしょうね。

 どうしても、この寂しい内容の曲と、今の自分をシンクロさせちゃうからだろうなぁ。

♪ 私の帰る家は貴方の声がする街角 冬の雨に打たれて貴方の足音をさかすのよ ♪

 いやー、寂しいよ〜 暗いよ〜 っていういう雰囲気ですね。それに加えて、この「くらーい」声で歌われたあかつきには、やはりたまらないものがあるのですよね。

 うーん、でも、最近の中島みゆきしか知らないヒトは、ちょっと雰囲気が違うかなぁ。 最近の中島みゆきは、声が怒っててるもんね。昔は違ったのですよ。もっとくらーい感じだったのですよ。その分優しい感じはするんだけどね。

まあ、この曲の場合は、それだけではない何かがあるんだよなぁ。まず、メロディラインがいいよね。中島みゆきとしては、かなり素直なメロディラインとでも言いますかねぇ。それでいて、すぐ「中島みゆきだ」って分かるよね。

 それと、詩がね、絵が浮かんでくるよね。まあ、やっぱりどうしても低い雲の下の・・・っていう雰囲気のえづらなんだけどさ。


でも、「ひとり上手」ね。。。これは、ワタシのことですか。いやはや、そんな感じがするなぁ。ワタシもろ「ひとり上手」だもんなぁ。
 いや、でも、この曲これだけ売れているっていうことは、世の中、「ひとり上手」なひとが多いんですかねぇ。
 なんか、共感持てちゃうんだよねぇ。

 ワタシにとっては、1981年の今ごろっていうと、先日書いた五輪真弓の「恋人よ」と同時に、真っ先にこの曲が浮かんでくる・・・って言うくらい、ずっと印象に残っている曲ですね。
 ただ、↑で「低い雲の下で・・・」って書いたんだけど、実は、個人的には、この曲を聴くと、今頃の午前中の陽だまりの下っていうイメージが浮かんでくるんですよね。
 はじめてこの曲を聴いたのが、親父の当時の車の中で、暖かな陽だまりの下を走ってたんですよ。
そんな中、AMラジオから流れてきた、この曲、印象が強かったなぁ。

あの頃は中島みゆきってテレビにはでなかったからねぇ。ラジオで聴くしかなかったんだよな。しかも、田舎はFMは、NHK-FMしかなかったから、AMのモノラルの音で。

あれから35年も経つのに、この時の光景ってよく覚えてるんだよなぁ。
やっぱり、子供の頃の光景って、いつまでも脳裏に残るもんなんですよね。

だからねぇ、この曲っていったら、未だにステレオのいい音で聴くよりも、モノラルの少し饐えた音で聴く方がしっくりくるんだよな。



この頃の中島みゆきって言ったら、通常、アレンジは船山基紀氏が担当してたんだけど、この曲は萩田光雄氏なんだよね。
だから、このころの中島みゆきの曲とは、ちょっとイメージが違うのかもなぁ。


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あばよ / 研ナオコ

1976_12_あばよ_研ナオコ






今日の1曲セレクトは、「あばよ」研ナオコです。

 まずはデータです。

・タイトル    あばよ
・アーティスト  研ナオコ
・作詞      中島みゆき
・作曲      中島みゆき
・編曲      クニ河内
・リリース日   1976年10月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   64.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月1日〜1977年1月24日付


 あー眠い。 いま、テレビ見ながらウトウトウト・・・・・としてたんだけど・・・。このまま寝ちゃおうかな・・・とも思いつつ、いやいや、やっぱ、これ書いちゃいましょね・・・と、ムクら起きて書いておりまする。。。
 ただ、頭が半分寝てるので・・・ふらふら・・・眠い(睡眠)


 さてと・・・。

 この間、中島みゆきの「わかれうた」を書いたばっかなんだけど、どうも、冬になり、冷たい空気にふれると、どーも、中島みゆきのウタが恋しくなる、難儀なヤツですね、ワタシャ。

 いや、どーもね、冬のキリッと冷たい空気感と、中島みゆきの醸し出す、暗い雰囲気のウタがマッチするわけです。
 ま、だから・・・・というわけでもないんだろうけど、中島みゆきの場合、自分の曲だけでなく、他のヒトに提供した曲でも、秋〜冬にかけて大ヒットした曲が多いんだよねぇ・・・。

・・・・ということで、今回は、そんな中島みゆき作品を引っ張ってきましたわ。


 研ナオコの「あばよ」。

 同じ「今ごろ」の研ナオコの大ヒットといえば、82年の「夏をあきらめて」の方が、ウチらの世代では「馴染み」深いところもあるんだけど、今日は敢えて、その6年前の「あばよ」を引っ張ってきましたわ。

 ・・・というのも、たしかに、この曲が研ナオコの最大のヒットでもあり、唯一のオリコン1位を獲得した曲・・・っていうのもあるんだけど、やっぱ、この季節にマッチした曲だから・・・って言うのも大きいね。
 どう考えても、このジミーな曲には、木枯らしな季節がよく似合うわけですわ。

 いや、その前に、研ナオコってオリコン1位とってんの? っていう貴方exclamation ハイ、これは紛れもない事実なのですヨ。オリコンでも1976年11月15日〜11月29日、12月13日付と計4週、1位を獲得してるんですねぇ。
 なんか、あんまりピンとこないとろこもあるかとは思うんだけど・・・。

・・・と書いてるワタシも正直、あんまりピンと来ないところもあるんだけどさふらふら まだ、このころはヒット曲の世界に入ってきてなかったからなぁ・・・。 今から39年前だもんね。

 だけど、研ナオコと中島みゆきっていう組み合わせは、相性がよかったよね。
 兎角、中島みゆきと言えば、工藤静香・・・っていう組み合わせを思い浮かべちゃいがちだけど、たしかに、それもあるんだけど、もっと、以前では、研ナオコだったんですよね。

 この曲の他にも、「かもめはかもめ」とか「LA LA LA」「窓ガラス」なんかがあるわけで、いずれもヒットに結びついてたりする。

 中島みゆきの作る独特な「哀愁」・・・というか「セピアグレー」な世界が、研ナオコの「哀愁」のある歌声には、一番マッチするんだろうね。

 それと、なんとなく独特な「ヤケッパチ」な世界・・・っていうのかなぁ。例えば、この曲のように、本当は「淋しい」クセして、「あばよ」なんてツッパッてる自分・・・っていう世界感が合ってるんだろうね。
 で、なけりゃ、64万枚なんて、ここまでのヒットにはならなかったろうしさぁ。

ま、北風ピューピューな冬の夜にコーヒーでも飲みながら、一人黄昏てみるのもいいですかねふらふらふらふら





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わかれうた / 中島みゆき

1977_12_わかれうた_中島みゆき






今回の1曲セレクトは、「わかれうた」中島みゆきです。

 まずはデータです。

・タイトル    わかれうた
・アーティスト  中島みゆき
・作詞      中島みゆき
・作曲      中島みゆき
・編曲      福井峻 吉野金次
・リリース日   1977年9月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   76.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年11月21日〜1978年3月13日付

 どーして、秋も終わり、冬の足音が近づくと、淋しい曲が聴きたいなるんでしょうかねぇ。これも、年を取った証拠なんですかねぇ・・。
 いや、これも、日本人ならではの「侘び寂びの文化」と考えたいですな。

 ・・・ということで、今回は、そんな、中島みゆきの「わかれうた」を持ってきたりしましたわ。

 いやー、くらいですねぇ〜、淋しいですねぇ〜・・・。

 でも、なんで、同じ、暗黒フォーク系だった、山崎ハコは売れなくて、中島みゆきは売れたんでしょうねぇ・・・。 これが不思議でねぇ。
 ま、「暗黒系」といっても、その濃淡の差・・・なんだろうな。山崎ハコの場合、暗黒のなかの暗黒、真っ暗系・・・だったのに対して、中島みゆきの場合は、セピア系というかねぇ・・。♪ドツボにはまってトッピンシャン〜♪ っていうほどの暗さではなかったからねぇ。

 それに、より「個人的」なところが良かったのかもしれん。なんちゅうかねぇ、詞の内容が、よりパーソナル的というかねぇ、あそそそ、あのころ、なんか知らないけど、ノートとかおいてあって、自由に好きなこと書けたりした喫茶店とかあったじゃん。
 そんなノートの隅っこに書いてあるような詞を読んでいるような世界観・・・っちゅうのかなぁ。。

 ま、大体、そういとこに書いてるヒトって、めっちゃ楽観的なヒトか、めっちゃクライヒトかのどっちかって感じだったじゃん。
 で、めっちゃ楽観的なのが、当時のユーミンタイプだとしたら、その逆のクライコタイプが中島みゆきのその世界観タイプだったと思うのよ。

 そういういみで、結局、等身大な自分を反映しているような曲だったんだろうな・・・とか思ったりしてね。

 さすがに山崎ハコまで行くと、等身大の世界観・・・って言う感じではないからなぁ。。

 で、まあ、この曲の売れ方からして、やっぱ、どっちかと言うと、クライコが多かったんだろうなぁ・・・とか思ったりして。。

  だってさあ、76万枚も売れたっちゅうのは、ちょっとやそっとのことぢゃないよ、うん。

 ま、最初に書いたように季節的なところもあったんだろうけどねぇ。

 特に今日のように、ヒューヒュー北風が鳴いてたりする日曜日の夜、電気を暗くして、机の電気スタンド一つの下で、この曲をAMラジオなんかから、聴いたりしたら、まー、哀愁タップリ・・・。
 もーね、月曜から仕事したくなくなること請け合いですねふらふら 



 そんな1曲だったけど、チャート的にみると、やっぱ、ピンクレディーの連続1位記録を阻んだ・・・っていう、功績はあったんだろうなぁ、この曲。

 そそそ、ピンクレディーの「ウォンテッド」と「UFO」の間、1977年12月12日付に1週だけ、1位を取ったのが、この曲なのよ。
それまで、「ウォンテッド」が12週連続、で、1週この曲を挟んで、次の週から10週連続で「UFO」が1位だったりしたから、もしよ、この曲がなかったりしたら、23週連続でピンクレディーが1位・・・・なんて、空前絶後の記録になってただろうねぇ・・・。

 そういう意味で、そんな記録を阻んだ、この曲はエライのですexclamation

・・・とか書いて見たりして・・・




さてさて、いつものように動画を・・

え? そんなのあるわけがない・・・って。。


うーん、そーだよねぇ、当時、中島みゆきってテレビに出なかったんだもんねぇ・・・。

でもね、あったんですふらふらふらふらふらふら



そうか、「夜ヒット」には出てたのか。「ベストテン」は出演拒否してたのになぁ。
いずれにしても、当時は、松山千春、井上陽水と並んでテレビには出ない、ビッグアーティストだったんですけどねぇ。あれから約40年が経過して、いまでは、みなさん普通にテレビに出てますねぇ。
 まあ、それだけ長く第一線で活躍されていること自体、大変なことなんですが。。。


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あの娘 / 中島みゆき

1983_11_あの娘_中島みゆき






今回の1曲セレクトは、「あの娘」中島みゆきです。

 まずはデータです。

・タイトル    あの娘
・アーティスト  中島みゆき
・作詞      中島みゆき
・作曲      中島みゆき
・編曲      井上尭之
・リリース日   1983年10月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   26.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1983年11月14日〜12月19日付

 秋が深まってくるとなぜか、中島みゆきの曲が聴きたくなる・・・。
・・・なんて、当時(1983年)のヤンソンの新曲ノートの本文をそのままパクッたりして。。。

 でも、なぜか、当たってるんだよね。夏場はあんまり、進んで聴きたくないんだけどね、でも、なぜか秋も深まってくると、中島みゆき の曲が恋しくなったりするんだよね。

 やっぱし、この「暗さ」、温度感が丁度いいんでしょうかね? プラス、毎年、この時期になると、決まって新曲を出してた・・・ってこともあるんだろうな。
 いや、秋リリースっていうのは今も続いていますよね。昨年の「麦の唄」も秋だったし、今年は先日アルバムがリリースになったしな。

 ま、これは中島みゆき自身も、自分の曲がどういう性質で、どういう位置づけにいるのか・・・っていうのが、よく分ってるからでしょうね。

 そういうこともあってか、デビューから80年代の中期までは、「夏場」に新曲リリースすることってほとんどなかったんだよね。

 90年代からは、季節関係なくリリースしてきてますけどね。何分、あの「地上の星」からして、リリースが2000年7月19日・・・なんて、まさに「真夏」のリリースでしたからね。
 でも、そのときは、瞬間風速的にしか売れなくて、もっとも売れたのは自身が「紅白」に出場した「冬場」っていうのが、やっぱし、このヒトの性格をを如実に表しているような気もするんだけどさあせあせ


・・・ということで、今回は、そのなかでも1983年の「今ごろ」ヒットしてた「あの娘」を引っ張ってきてみました。

・・・といっても、これを読んでくれている方で、どれだけの方が、この曲を覚えていてくれているか・・・っていうのは、いささか不安なんですけど・・・。

 中島みゆきの曲ってさ、テレビでかかんないじゃん・・・。うん、まず本人がテレビにあんまり出ないから。それこそ、この83年当時なんて、テレビに出ないヒトだったからさ。

 だから、ラジオで知るしかない。・・・といっても、頻繁にかかるわけでもないしさ。

 たださ、そうは言っても、意外と、どの曲も「売れてる」んだよね。イメージ以上にさ。

 この曲も、多分、ほとんどの方は覚えてないと思うんだけど、オリコンで最高5位。売上げも26万5千枚もあったりする。

 これって意外でしょ?

 テレビにはでない。それでも好きなヒトは好きだったんだよね、中島みゆきって。あのころの言い方で言えば、いくら「ネクラ」といわれようがさ。

 でもオールナイトニッポンで見せてた、曲想とは大違いな、「すっとびねぇさん」の部分も人気があったんだよね。

 ラジオとコンサートだけで売れてた、あの当時のニューミュージックアーティストの典型ですね。

 よく、中島みゆきの歌は「恨み節」、「ネクラ」の典型なんていわれるけど、81年の「悪女」以降、意外と、曲調は明るいんだよね。題材は、ちょっと暗いのが多いけどあせあせ

 この曲はサビの

 ♪ ゆう子あい子りょう子けい子まち子かずみひろ子まゆみ
  似たような名前はいくらもあるのに 私じゃダメね〜 ♪

 ようするに、ブスな女がヒトリ、ワタシってだめな女ね ヨヨヨ

・・・と、永遠と独り言を言ってるような曲なんだけど。。。簡単に言っちゃえば。。

 でも、曲がわりと軽いいんだよね。だから、ぱっと聴き「ネクラ」な曲に聴こえない。

 特に ↑のように女の子の名前がたくさんでてくるサビの部分の

 ♪ 〜かずみひろ子まゆみ〜 ♪ の「まゆ・み〜」の「み〜」の部分の音がいきなり下がるところの、声質が笑っちゃうんだよね。

 そんな、内容は暗いんだけど軽さが漂う曲っていうのが、このころの中島みゆきの特徴だったりするんだよね。

 そんなところも、一般には知らないところで人気があった部分なのかもしれない。

 それと、中島みゆきとしては、珍しく、ブラスを使っているところも、それまではなかったしね。新しい空気感もあったな。

 あ゛、でも、90年代以降の「怒り節」な感じの中島みゆきでは、なかったのよね。
 歌い方もあくまで「ソフトで軽め」なんですよ。90年代以降の中島みゆきしか知らないヒトには、ちょっと想像できないかもしれないけど。

 でも、本来は「恨み節」って言うくらいだから、その声の暗さが売りなヒトではあったんだけどね





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黄砂に吹かれて / 工藤静香

1989_10_黄砂に吹かれて_工藤静香






今回の1曲セレクトは、「黄砂に吹かれて」工藤静香です。

 まずはデータです。

・タイトル    黄砂に吹かれて
・アーティスト  工藤静香
・作詞      中島みゆき
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1989年9月6日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   58.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年9月18日〜11月27日付 

 先月も書いたんだけど、個人的にどうも、工藤静香ってヒトが鬼門でね。決してキライなヒトじゃないんだけど、こと、歌ってる曲については、なかなかレビューが書けないんだよな。
 だから、あれだけ大ヒットを持っていながら、今までレビュー書いた曲って少ないんだよね。

でもねぇ、それじやイカン・・・と思いーの、1曲セレクトしてきました。

「黄砂に吹かれて」

 そうだ、あれから26年経つんだなぁ。 それを考えると、やっぱし早ーよなー、月日が経つのって。
 ワタシャ、あのとき20才だったんだよなぁ。 なんか、いまじゃ信じられないんだけどさぁ、自分にも20歳の頃があったなんて。。

まあ、あのときのことは、はっきり覚えてるしさぁ、感覚からすると、昨日の出来事って感じよ、ワタシの感覚からすれば。。。 でも、すでに平成だったもんね、昭和じゃなくて。。。

 ただ、「あ、やっぱり、平成元年だよね」っていう感覚はしてくる。
そーいえば、フジテレビの深夜に放送してた「マーケティング天国」でよく聴いたよな・・・・とかあせあせ

 そうだ、この曲っていうと、フジテレビの「マーケティング天国」を連想するんだ。
 「マーケティング天国」は当時、毎週、「録画」してたからなぁ、今でもちょくちょく見てるし。。。

 だから、この曲、聴いてて全然懐かしくないんだ。。。


 なに? マーケティング天国をしらない? チャートマニアのヒトとしては、もぐりですぞ。
まあ、当時のフジテレビ、月曜日24時30分〜放送してた番組なんだけど、音楽(オリコン)、映画興行成績、テレビ視聴率、ベストセラー、etc、いろいろなメディアやエンターテイメントの毎週のランキングを紹介する番組ですわ。

 うん、今のワタシを形成した番組のひとつだったなぁ。各チャート評が、自局のフジテレビの番組を含めて、いちいち「辛口」でよかったのよね、 本当は、ワタシ、これやりたかったのよネット上で。
 
・・・ってか、これ関東ローカルだったんですかねぇ? もしかすると地方の方は知らないかもしれないなぁ。


 それにしても、工藤静香って人気あったよね、当時。ってか、いまでもそこそこ人気あるわけか。。。
 
 ワタシより1つ年下だから、当時19歳だったはずた。それにしては、今見ると大人っぽかったよなぁ。。

 ワンレン、ボディコンで。。ふらふらふらふら  

 あー、完全に「死語」な世界だよなぁ。今の20代のヒトにゃ、なんじゃそれ? な世界でしょう。。

 まあ、「おみず」な世界のお姉さんっぽかったというか。。。

 ま、だから人気あったんだろうね、逆に言えば。 やっぱ、ゲーノー人たるもの、「お水」の匂いがなくちゃいけません。昔から、そう相場が決まってるじゃん。
 そう考えると、このヒトって、当時としてもかなりアナクロなゲーノー人の匂いのするヒトだったんだよね。

 兎角、アイドルといえば、門限は夕方までで、健全健康な雰囲気なヒトがほとんどなわけじゃん。

 このヒトの場合は、もっと夜に向かった匂いをさせるヒトだったのよね。そういう意味では、70年代の「飲み屋」のおねーサン達の匂いのするゲーノー人に近かったわけで、ゆえに当時としても、アナクロのにおいがしてたわけよ。
 そこに人気があった・・・・と。


 この曲、正直、どこが、どういう風にいい・・・っていうのは、よく分かんない。
 ただ、完全に工藤静香っていうヒトのうたになっているところがいいんだろうな。
 作詞の中島みゆき女史もセルフカバーで歌っているけど、やっぱし、この曲は工藤静香の方に軍配があがっちゃうもの。
 それだけ、完全に工藤静香のウタになっているんだよね。

 いいとすれば、そこがいいんだろうな。 それ以上でも以下でもないんじゃないかなぁ。

 うーん、少なくとも個人的にはそう見てるんだけどねぇ。曲を分析的に見て、ここがいいんです・・ってはいえないんだよね、この曲の場合。 曲全体をトータルに見て、そういう感覚がする・・・っていう曲だな。


動画、You Tubeにもあるんだけど、画像飛びと音ずれが酷いんで、別のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2r1y97_%E9%BB%84%E7%A0%82%E3%81%AB%E5%90%B9%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%A6-%E5%B7%A5%E8%97%A4%E9%9D%99%E9%A6%99_music

あ、いまさら書くことでもないんだけど、この曲が「ザ・ベストテン」で最後に1位になった曲ですね。



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最愛 / 柏原芳恵

1984_09_最愛_柏原芳恵






今回の1曲セレクトは「最愛」柏原芳恵です。

 まずはデータです。

・タイトル    最愛
・アーティスト  柏原芳恵
・作詞      中島みゆき
・作曲      中島みゆき
・編曲      倉田信雄
・リリース日   1984年9月5日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   22.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜11月19日付

えー、今回は久しぶりに柏原芳恵さんの曲をひとつ。

1984年の今頃のヒット、「最愛」どぇす。

 しかし、作り手と歌い手の相性っていうのは、絶対あるよね。
・・・っていうのも、柏原芳恵って、中島みゆきの曲だと、とたんにロングヒットになっちゃったりするんだから・・・。

 うん、この曲の前の年の、あの「春なのに」が中島みゆきでしょ。
で、大ヒットだったじゃん。

 まあ、この曲は、「春なのに」に比べると、かなりジミな存在だけど、そうは言っても、当時は、結構ロングヒットしたんだよね。3ヶ月近くベストテンを維持した訳だから。

 うーん、どーしてなのかねぇ・・・。個人的には、この曲のひとつ前の「悪戯NIGHT DOLL」のような、筒美京平−船山基紀による、実験的なテクノサウンドの方がすきだったけどなあ。

 中島みゆきと組むと、とたんに、それまでの、「楽しいオンガクー」っていう雰囲気が、とたんに、ピシーッと、真っ直ぐになるんだよね。

 そこがいいんだろうね、一般的には。

  まあ、柏原芳恵自身も、一段と気合が入っているようにも思えたし。
 聴き手って、作り手の考えている以上に、その辺は、敏感に察知するから、気合が入ってる、入ってない・・っていうのは、分かるからねぇ。

 やっぱり、気合が入ってると、買いたくなるもんなのよ。 普段は買わなくても。

 それがロングヒットに結びつくってことなんだろうね。


 この曲なんかは、気合の入れ方が、ちょっと尋常じゃなかった気がするもん。

 クライマックスは、やっぱ最後の大サビだろうな。

 ♪ 私だれにも言わないけど 死ぬまであなた〜 ♪

 の最後の「あなた〜」の「叫び」は、気合が入ってたよん。それまでのシングルでは、見られなかったような。

 結局、そこにジン・・・とくるわけですわ。

 でもでも、やっぱ、個人的には、このヒトには、もっと「ポップス」を歌って欲しかったなや。
 こういう「歌謡曲」路線もありなんだけど、なんか、当たり前のような気がしてねぇ。。 やっぱり、個人的には「ハローグッパイ」なんだよね、このヒトは。



 へぇ、この曲もPVが存在してたんだな。先ほど初めて知りましたわ。 8月に書いたMIEの「NEVER」の時も書いたけど、ロック系なら、当時のミュートマ(TVK)とかPVを流す場(番組)が開始され始めた頃だけど、ポップス系は、どこでPV流してたんだろう? って感じでしたよねぇ、当時は。
 まあ、PVの制作技術もまだまだ未熟で、今見ると、通信カラオケで流れてる動画みたいな演出だけど。。。



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MUGO・ん・・・色っぽい / 工藤静香

1988_09_MUGO・ん・・・色っぽい_工藤静香








今回の1曲セレクトは、「MUGO・ん・・・色っぽい」工藤静香です。

まずはデータです。

・タイトル          MUGO・ん・・・色っぽい
・アーティスト       工藤静香
・作詞        中島みゆき
・作曲        後藤次利
・編曲        後藤次利
・リリース日    1988年8月24日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数  54.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1988年9月5日〜11月28日付
・タイアップ:カネボウ「88年秋のキャンペーンソング」

これまで、いわいる「Aクラス」のアイドル・・・特に女性アイドルについては、かなりの曲数書いてきたと思うんだけど、こと工藤静香さんについては、ほとんど書いてないんだよな。
さっき、過去に書いた工藤さんの曲をカウントしてみたら、5曲くらいしか書いてない。。。

うーん、どうも偏ってるなぁ・・・ なんて思いーの、今回は、初期の代表曲とも言えるこの曲をセレクト。

「MUGO・ん・・・色っぽい」

うわっ、この曲もまだ書いてなかったんだ。。。。と思うと「不覚」。 

うーん、今まで書いてなかったのも、なんか理由があったような気がしないでもないけど・・・よく覚えてないな。。。

工藤さんの曲を嫌ってたわけではないんだけどね。逆に言えば、熱烈に好きでもなかったんだけど

でも、この曲はリリースされてすぐにシングル買ったよなぁ。

あ、そうそう思い出した。この曲あたりから、シングルCDの録音レベル(音量)がでかくなったんだよな。この曲だけかもしれないけど、この曲以前のシングルと同じレベルで録音すると、めちゃくちゃ音割れしたんですよ、この曲。
 そのためか、この曲聴くたび不快でね、一時、あんまり聴いてなかったような気がする。

逆に言えば、これ以前のCDの録音レベルがかなり小さかった・・とも言えるんだけど。。。。

まあ、そういうこと抜きにして、この曲は流行ってねぇ、当時。 上で書いたように個人的にはそれほど刺さった曲ではないんだけど、やっぱり、サビの

♪ 目と目で通じあう たしかに 「ん〜」 色っぽい〜 ♪ ってところの若干中国音階のような不思議なメロディが面白かったんだろうね。 なぜに「ん〜」なのかは良く分かんないんだけど。。。
ま、普段の中島みゆき女史の曲には見られないようなポップな歌詞ってのも面白かったんだろうな。

・・・ってか、この間、松田聖子の「ピンクのモーツァルト」でも書いたけど、このころの化粧品キャンペーン・・・特にカネボウさんのキャンペーンは、かなりゴーインになってきてたからなぁ。
 この曲でも、そんな所が出て来てたんじゃないかなぁ・・・なんて、今では思ったりしてね。

いずれにしても、この曲の大ヒットによって、工藤静香ってひとも、完全にビッグアイドルになりましたね。
なにより、おニャン子臭が完全に消えましたよね。後々考えれば、そこが良かったんではないかなぁ




そう言えば、工藤静香ってソロデビューの頃、めちやくちゃ「音痴」だった・・・って書くと今となっては信じられないんだけど、でも、この曲の頃には、すっかりそんな感じじゃなくなってましたよね。それには驚いたな、当時も。



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