今回の1曲セレクトは、「時の扉」WANDSです。
まずはデータです。
・タイトル 時の扉
・アーティスト WANDS
・作詞 上杉昇
・作曲 大島康祐
・編曲 明石昌夫
・リリース日 1993年2月26日
・発売元 東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 144.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1993年3月8日〜5月3日付
・タイアップ:テレビ朝日系「ネオドラマ」主題歌
今年の冬はとみに寒かったですわ。個人的にエアコンの「温風」が苦手なんで、冬場は未だに「石油ストーブ」なんだけども、この冬は灯油代がいくらかかったか。。。
でも、ようやく春っぽくなってきましたね。
ただ、春っぽくなってくると「花粉症」が・・・・。 まあ、最近は、ジジイになってきて鈍感になってきたのか、花粉に慣れてきたのか、昔ほどひどい症状は出なくなってきたけど、それでも、多少は症状が出るな。 ここ数日、鼻水が。。。
振り返ってみれば、1993年春の花粉症が一番ひどかった気がする。かんでもかんでも止まらない鼻水に加え、鼻づまり、微熱が3〜4月の間ずっと続いてたなぁ。
大学4年になろうとしていた春。卒研のための所属研究室をめぐって各教授へのお願いと、就活開始時期が重なって何かと気苦労が多かった春だ。
そう考えると、花粉症っていうのも精神的なところもあるのかもな。
・・・・ということで、今回はそんな個人的に花粉症が酷かった1993年春から1曲。
WANDS 「時の扉」
うーむ、この曲未だに書いてなかったんだな。 ・・というか、過去に書いた曲アーカイブスを調べてみると、WANDSって意外と書いてなかったんだよね。
1993年の今頃と言えば、ビーイング系アーティストが、チャートを席巻し始めていた頃だ。
どうもね、ある系統のアーティストがランキングを席巻し始めると、それらのアーティストから距離を置きたくなるところが、昔からあるんだよね、ワタシ。
例えば、それ以前だったら、おニャン子関連なんかまさにそんな感じだったな。
たくさんの方たちと共有できるヒット曲が好きな反面、ヒットチャート上、あまりにそれらの系統のアーティストばかりになると、途端にいやになる。 天邪鬼ですよ。
そんな傾向が、93年の今頃には、いわいるビーイング系のアーティストに出て来てたんだよね、ワタシ。
だからということもあるんだろうけど、この1曲セレクトで、全盛期だった1993年のビーイング系の曲って、未だにあんまり書いてないんだよね。
もっとも 当時のビーイング系のすべての曲に拒否反応があったわけじゃない。
例えば、WANDSだったら、この「時の扉」の次の「愛を語るなら〜」は、一時期カラオケの十八番だったくらい好きだったし。。。
いや、ビーイング系の曲って、刺さるか刺さらないかの差が激しかったのよ、個人的に。
例えば、T-BOLANなんて、普段はあんまり刺さらなかったのに「Bye For Now」なんて大好きだったし。。
うん、全体的に見て、ビーイング系がブームだった1993年よりも、ブームが下火になりかけて来ていた、1994年の曲の方が個人的には刺さったのよ。
WANDSだったら、「世界が終わるまでは・・・」、DEEN「瞳そらさないで」、MANISH「走りだせLONELY NIGHT」、T-BOLAN「マリア」・・・。
みんな1994年の曲ですわ。
1994年ってミスチルに加えて、小室系からtrfっていう、新たな勢力が急成長してきたころ。それに伴い明らかにビーイング系の分が悪くなり始めて来てた頃だったからさ。
そうなると、なんか愛おしくなってきたりするんだよね、ワタシ。
まあ、そんなところもあったんだろう。、今回引っ張ってきた「時の扉」って曲、1993年当時は、めちやくちゃ好きだったわけじゃないんだよね、個人的には。
まあ、だから、145万枚なんちゅう、いわいる「メガヒット」になったこの曲なのに、いままで1曲セレクトで書いてこなかったんだろうけど。。。
この曲よりも、同時にリリースされたチャゲアスの「YAH YAH YAH」のほうが個人的には、何倍もは刺さってたしなぁ、この頃は。
この曲の前の「もっと強く抱きしめたなら」は、インパクがあったのよ。分かりやすいしポップだし・・・。 今となっては信じられないけど、当時の一つのヒットの法則のトレンドだった有線発のブレイクだった。
有線発のヒットというと、一見地味な印象があるけど、ジワジワ広がる口コミ効果が、ネットがなかったあの頃はデカかったからさ、有線発のヒットは。ブレイクするとロングヒットの傾向が強かった。
WANDSもそんなところからブレイクしてきたわけよ。今となってはすっかり忘れられていると思うけど。。。。
この「時の扉」はそんな大ブレイクを受けてのシングルであったんだけど、「もっと強く〜」とは異なり、初めからヒットが約束されたような曲調に、当時はやや違和感を感じたのかもしれないな、個人的に。
「もっと強く〜」は、謙虚だったじゃん。 もちろんブレイク狙いというところからそうだったのかもしれないけれど、1曲でそんなに変わっちゃうの? っていう思いもあったしな。
まあ、もっとも、ポップな「もっと強く〜」よりも、よりロックテイストな、この「時の扉」のほうが、本来のWANDSに近いんだろうけど。。 それは、後年1995年の「SECRET NIGHT」の時に感じたことなんだけどさ。 でも、93年のこの時点ではまだわからなかったのね。
だから、謙虚さが戻ってポップな曲調だった、次の「愛を語るより口づけをかわそう」は刺さったんだと思う。 うん、93年時点ではそういうポップロックな人たちだと思ってたから。
もっとも、当時のボーカル・上杉昇の見た目のヤンチャさから、違和感はあったけど。。。。
今、当時の事を振り返って、残念だな・・と思うのは、あの頃はライブに行かないヒトだったのね、ワタシ。
ブログに「ライブレビュー」なんてカテゴリー作っている今の私からすると信じられないんだけどさ。
たしかにあの時代もライブに行ってみたいっていう欲求はどこかにあった。
まだ、ネットが無く、ライブチケット言えば「チケットぴあ」なんかの店頭に並ばなきゃ買えなかった時代。 どうせ人気アーティストのチケットはすぐに売り切りだろうと、半ばあきらめてたところもあるな。実際、それまで何回か店頭販売に申し込んでは「ハズレ」が続いてたこともあったからさ。
でも、当時は大学生だったからこそ、今よりももっといろんなライブに参戦できたろうし、もっと積極的になるべきだったなぁ・・なんて、今になって思ったり。
あの時代、CDとかテレビだけでなく、実際、生で見ることで、アーティストとか楽曲の感じ方も大分違っただろうしなぁ。
この動画の観客の人たちって、おそらく、ほぼワタシと同年代の人たちだろうけど、なんか羨ましい。
今、こうしてライブ映像を見ると、そう思えるな。
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