かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

フレンチポップス

魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere- / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータでーす。

・タイトル   魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere-
・アーティスト 沢田研二
・作詞     Jean Renard
・作曲      
Jean Renard
・編曲     東海林修
・訳詞     安井かずみ
・リリース日  1973年11月21日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月3日〜1974年1月28日付

今回は、「まくら」なしでダイレクトに行きますぞ。

今回引っ張ってきた曲は、ジュリーの「
魅せられた夜」。
1973年11月 ソロ8枚目のシングルとリリースされたこの曲ですが、どうなんだろ?
どの位の方が覚えているんだろう? っていうのは、少し不安。

リリース当時、オリコン最高3位 売り上げ約35万枚・・・と、当時のヒット指標から考えると、充分大ヒットの域に達していた曲なんだけども。。。。
ワシらの世代から見ると、ジュリーといったら、どうしても77年の「勝手にしやがれ」以降の第2期黄金期から。 一歩下がっても、75年の「時の過ゆくままに」あたりからっていう意識があるんでさ。
70年代前半、「危険なふたり」を中心とした、第1期黄金期。 いわいる「フレンチポップス」な頃のジュリーってほとんど知らないんだよね。少なくともリアルタイムではない。

あ、いや、もちろん、すでに生まれてましたよ。 1973年といったら、ワタシゃ 4歳。
幼稚園の年少組の頃だよなぁ。 

なので、物心は付き始めていた頃だけども、50年前でしょ・・・、いかんせん記憶がほとんど残ってない。

「マジンガーZ」と「仮面ライダーV3」 が心のヒーローだった頃・・・っていうのは覚えてるけど。。。 

いや、それでも、ちょうどこの「魅せられた夜」がヒットしていたのと、同じ時に大ヒットしていたフィンガー5の「恋のダイヤル6700」とか、小坂明子の「あなた」は、リアルタイムで聴いた記憶があるな。

以前、何回か書いたと思うんだけども、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」は、個人的に初めて「買ってもらった」シングル盤だったと思うしなぁ。

ぢゃ、なんで、これらの曲を知ってたかというと、やっぱりテレビなんだよね。 

当時、朝、日テレで毎日放送していた「おはよう!子供ショー」で、のど自慢のコーナーがあったじゃん「おはようのど自慢」だっけ?

あのコーナーで、よく歌われてたような記憶があるんだよね。 
小坂明子の「あなた」と、ちょっと後の伊藤咲子の「ひまわり娘」なんかは、「おはようのど自慢」から知ったと思う。そそそ本人の歌唱というよりさ。。。
それくらい、当時はよく歌われてたような記憶があるなぁ。。。

ただ、さすがに、この「魅せられた夜」なんかは、あんま歌われてなかったんだろうなぁ。

いやいや、もしかすると歌われてたのかもしれないけど、個人的に引っかかってなかっただけなのかもしれない。

やっぱ、タイトルからして「大人」向けの曲だしね。 おこちゃまが歌う「魅せられた夜」っていうのも、ちょっとコワイ。。。
ま、たしかに、いつの時代も「ませた子供」(ませがき)は居るからさあ、ゼロとは言い切れないけど。。。

個人的にこの曲を意識して聴いたのも、ずっと後ですね。

これもいつか書いたと思うんだけども、1983年のちょうど今頃だわ。ジュリーの「大全集」っていう、いかにもっちゅう、カセットのみのベスト盤を買ってもらった中に収録されてたのを聴いてからだわ。

だから、個人的には、この曲を聴くと、1973年の匂いよりも、 1983年の今頃の匂いを先に感じてしまう。 ちょっと厄介な曲ですね。
まあ、まったく1973年という時代を感じないかといえば、さにあらず。なんだけども。。。

音質、音の広がり 奥行・・・などのサウンドは、少なくとも70年代後半以降のそれではない、ましてや80年代の音でもないことはレコードの音から分かるしね。


でも、初めてこの曲を聴いたときは、違和感いっぱいだったよなぁ。 はじめはアルバムの曲かと思ったくらい。

↑で書いたように、なんせワタシらの世代といったら、ジュリー⇒勝手にしやがれ⇒キザ なイメージがこびりついてるからさあ。

こういう、フレンチポップなジュリーのイメージはなかったですからね。

そのあと、少しずつオリコンなどからの情報を得て、第1次黄金期といえるフレンチポップの時代を経て、第2次黄金期の派手、気障なジュリーに変化するということが分かったんだけどね。

自分らがリアルで聴いてたのは、第2次黄金期以降の曲に過ぎない・・っていうのが分かって、ちょっとショックだったのと同時に、ヒット曲の時代の流れの奥深さも感じたというかさ。。。

まあ「キザ」な言い方をすればよ。。。

そんな自分では知らなかったヒットの流れの情報と、実際の音源が、自分の中で結びいていくっていうのを初めて体験したのは、もしかすると、この「魅せられた夜」も収録されていた、あの「大全集」っていうカセットだったかもしれない。



ところで、この「魅せられた夜」って曲、カバー曲というのは以前から知ってたんだけども、オリジナルはどういう曲だったのかは、よくわからなかったのよ。

これを機に聴いてみた。

↓ コレ




Mike Brant 「Mais Dans La Lumiere」(1970年)

うわっ、重っ! 

フレンチポップスと言うと、どうしても、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」とか、シルヴィ・バルタンの「あなたにとりこ」なんかの、おしゃれでポップなイメージがまず出てきちゃうんだけども。。。。

どっちかといえば、イタリアンなカンツォーネ的な、いわいる「歌い上げ」系の曲ですわな。
ポップスというよりも、シャンソンと言った方がいいか。。。

マイナーでしっとりしたメロディラインから、サビで一気に情熱的なメジャー系のメロディに変貌する、ドラマティックな展開。 いわいるショービス系というやつですね。

あの当時(1970年代前半)の日本では布施明氏が得意としていたような・・・。

ジュリーの、この「魅せられた夜」でも、しっとりしたマイナー系なAメロから、サビで一気に情熱的なメジャー系に展開するという原曲の良さを残しつつも、あそこまで重くない。
もっと、ポップで聴きやすいサウンドにアレンジされていますね。

個人的には原曲の重さと情熱的なサウンドは好きだけども、さすがに、原曲のままでは日本ではヒットしずらいと読んだろうな。

個人的には、ジュリーのメロディラインに対旋律的に絡んでくる、ブラスが好きなんだよね。

いや、このころのジュリーでは、同じようにブラスの絡みが印象的なジュリーの曲は多い。
以前書いた、「あなたへの愛」(1973年1月)、「追憶」(1974年7月)なんかもそうですね。

あの頃、いわいるブラスロックの影響なのか、ブラスを多用した歌謡ポップスが増えてきていたけども、使い方がダサい曲が多かったのも事実でさ。。。
この「魅せられた夜」では、トロンボーンは原曲に近いのに対して、トランペットはたしかに盛ってるんだけどね。でも、ダサい一歩手前で抑えているのがいい。

この曲を初めて聴いた1983年の今頃は、ワタシは中1。吹奏楽部でトロンボーンをやってた頃で、ブラスの面白さが分かりかけていた頃っていうのもあったんだろうな。 そそそ、ヒット曲においてもブラスについつい耳が行ってしまい始めていた頃ですわ。






フレンチポップスや北欧などのいわいるヨーロッパ系の曲と、日本のJ-POPは相性がいいとは、よく言われるけども、日本人の感性とどこか共通しているところがあるんでしょうね。
それは、この曲なんかでも感じることができますね。




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魅せられた夜 / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    魅せられた夜
・アーティスト  沢田研二
・作詞      JEAN RENARD  
・作曲      JEAN RENARD 
・編曲      東海林修
・日本語詞   安井かずみ
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月9日〜1974年1月28日付

前回は少年隊の「バラードのように眠れ」ということで、ユーロビートを取り上げたんだけど、これは80年代の「ブーム」だったわけなんだよね。
じゃ、日本に於いて、それ以前にヨーロッパ系は流行らなかったのか? というとさにあらず。 60年代、70年代を通してもヨーロッパ系の曲って、日本のヒットチャートを賑わしていましたからねぇ。

逆に言えば、アメリカンな曲よりも、ヨーロッパ系の曲の方が、日本で於いてのヒット曲と言う意味では歴史は古いかもしれない。イタリア、フランスの曲なんかはそうだよね。

特に、フランスのフレンチポップスね。これは、その後の日本のヒット曲の「基礎」ともなっている部分が強いのよ。 フレンチポップスってメロディが濡れてるし、抒情的な曲って多いからさ、日本人の感情とフィットする部分が強いんだよね。

よく生命体の起源として「母なる海」って感じで、海の匂いを嗅ぐとどこか懐かしさを感じるって事があるけど、音楽で例えれば、フレンチポップスがまさにそんな感じなんだよな、知らない曲でもどこか懐かしさを感じる。

そこが日本人にフィットする所以なのかもしれない。まあ最近フランスで、日本のアニソンが流行っているって言うのは、その裏返しって言う部分もあるんじゃないかなぁ。 つまりは、日本のヒット曲の根っこの部分にはフレンチポップスがある訳でさ、フランス人に受け入れられるっていうのも、ある意味必然的な事なのかもしれないんだよね。言ってみればフレンチポップスの「逆輸入」って言う感じで。 もちろん、日本独自の感性って言うフィルターをかけてるんで、元のフレンチポップスと見た目上は変わってるけど・・・。


あー、またまた、「マクラ」が長くなっちまった。。。。

今回は、70年代前半にヒットしたフレンチポップスな1曲を持って来ましたわ。

沢田研二「魅せられた夜」。

うーむ、ジュリーは何曲か前に書いたばっかなんだけど、まあ、お許しあれね。

ま、兎も角も、古くからのジュリーファンにはお馴染みの曲とおもうけど、ワタシと同年代の方には、ちょっと馴染みが薄いかもしれない。

どうしてもさ、ワタシらの年代のジュリー像っていうと「勝手にしやがれ」であり、「TOKIO」ってあり・・・ビジュアル的なジュリーって言うイメージが強いからなぁ。

70年代前半のジュリーって必ずしもビジュアル重視って言う訳ではなかったでさ。件の阿久悠、大野克夫コンビになる前はヨーロッパ系な傾向は強かったんだよね。
例えば72年の2ndシングルである「許されない愛」なんかは、ロック系ではあるけど、音的にはアメリカンロックのように乾いた音ではなく濡れてたしね。で、その後フレンチポップスに傾倒するようになる訳ですわ。

その走りともなった曲が、今回引っ張って来た「魅せられた夜」じゃないかなぁ。

ま、この曲は、フレンチポップスのような・・・というか、本物のフレンチポップスなんですけどね。

つまりさ、フレンチポップスのカバーなんだよね

↓ コレ



・・・っつか、コレ書いてるワタシも今知ったんだけどさ  

なるほどぉ〜、そうだったのかなぁ。。。どおりでめちゃくちゃ「おフランス」的な曲だと思ったわぁ・・・

・・・なんて感心してるばやいか。。。

個人的に、この曲を初めて聴いたのは、忘れもしない1983年。ワタシが中一の終わりの春休みだったなぁ。

いつかも書いたような気がするんだけど、福島から千葉に越して初めて、船橋の「ららぽーと」に行ってさあ。そこのレコード屋さんで、ジュリーの「全曲集」のカセットを買ったんだよな。それに、この曲が収録されていたですよ。

めちゃくちゃ新鮮だった。 ↑で書いたように、ワタシらの世代というと、キザ路線からのジュリーからしか知らなかったからさあ。 こういう曲を歌っていたって言うのは全然知らなかったからなぁ。

新鮮だったとともに、どこか懐かしかったんだよね。それまで全く聴いた事が無かったのに不思議なんだけどね。

たしかに「ヒット」としての70年代のフレンチポップスって、能動的には聴いてなかった訳だけど、知らず知らずのうちに耳にしてたからさ。 言ってみれば、個人的な音楽の原点に近いんだよね。このテのフレンチポップスって。

 しかも、ワタシ、ヒット曲に足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったからさあ。 まさにフレンチ・イージーリスニング界の大御所だったわけじゃん、ポール・モーリアって。だからね、知らず知らずのうちにフランス系の音って、刷り込まれていたんだよね。

A-B-A って言うメロディーの流れは、決して複雑な曲形式ぢゃないんだけど、メロディが染みるんだよね。
ちょっと前にもかいたげと、70年代前半の歌謡ポップスって、それまでの4-7抜きのメロディラインが抜けきっていない頃で、どこか垢抜けないものが多かったんだよね。なんて言うのかなぁ、ちょっとのっぺらぼうのような感じがして。

その点この曲は、もともと向こうの、本場もんのフレンチポップスだしさ、メロディラインの起伏もある。けっしてのっぺらぼうなメロディラインぢゃない。 まあサビで、転調してグワッと盛り上がるのは、ちょっと大げさかなとも思うけど、当時としてはこんな風に大げさに盛り上げる曲調がイマイかったんだよね。 そそそいわいるショービス系な曲としてさ。

この「魅せられた夜」の場合は、それに加えて、プラスのオブリガードも新鮮だったんだよなぁ。
それまでヒット曲のブラスのフレーズってダサいもんだと思ってたんだよね。なんか邪魔なところも感じたしさ。
でも、この曲のブラスがカッコ良かったんだよなぁ。

まあ、それは、当時実際ブラスをやってたって事もあるかもしれない。 丁度ブラスを始めて1年が経って、周りが見れるようになって来た頃だったからさ、ヒット曲でも意識的にブラスのフレーズが耳に入るようになってきてたんだよね。だからさ、あの時ブラスをやって無かったら、それ以前同様にダサく感じたかもしれない。 

でも、この曲と、次の年の「追憶」の哀愁漂うプラスのフレーズがさぁ、何とも良かったんだよね。

その後、高校終わりまでブラスを続ける訳だけど、本気でプラスを続けようとおもっさたのは、もしかするとこの曲のプラスのオブリガードに触発されて・・・って言うところは多分にあるかもしれないな。
うん、間違いなくきっかけにはなったと思うんだよね。

いずれにしても、この曲が35万枚近くの大ヒットになった事で、フレンチポップスへの手ごたえも感じでしょうね。次の1974年は本格的にフレンチポップスへ傾倒していくことになるんだよね、ジュリーも。





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