今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。
まずはデータです。
・タイトル カメレオン・アーミー
・アーティスト ピンク・レディー
・作詞 阿久悠
・作曲 都倉俊一
・編曲 都倉俊一
・リリース日 1978年12月5日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付
昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。
ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね
それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。
おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。
これならもっと早くやっておくんだったな。。。
ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。
その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました
ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」
じゃじ〜ん
60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ
この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。
ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。
さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。
ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。
いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。
あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。
あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない
ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。
イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。
ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。
でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。
・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。
丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。
まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。
まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。
でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。
いわいるネタ切れってやつですわ。
「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。
たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。
それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。
でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。
当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。
大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。
ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。
ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。
調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。
まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。
当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。
ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。
まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。
しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。
サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。
蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。
ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。
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