かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

ドラマ

約束の橋 / 佐野元春

1992_11_約束の橋_佐野元春


今回の1曲セレクトは、「約束の橋」佐野元春です。

まずはデータです。

・タイトル    約束の橋
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系 月9ドラマ「二十歳の約束」主題歌

トレンディドラマ・・・。我々世代にとっては、80年代終盤から90年代前半にかけての「バブル」絶頂期を思い起させるキーワードの一つでしょうかねぇ。
この期間、ドンピシャで「大学生」という「青春と快楽」な時間を過ごしてきた、我々世代にとっては特にそんな思いを起こさせるんじゃないのかなぁ。。。

ワタシは・・というと、トレンディドラマが出てきた当初の2年間は、「バブル」の世の中を尻目に、「浪人」という暗黒時代を過ごし、それを抜け出した、後半も、青春を謳歌するっていう大学生生活でもなかったんで、正直、「バブル」の恩恵を受けたっていう記憶はほとんどないんだよなぁ。

まあ、今となったら、つまんない青春時代を送ったような感じもするけど。。。

ドラマも、トレンディドラマの「祖」、フジの「月9」はほとんど見てなかった。 うん、91年の「101回目のプロポーズ」くらいじゃないのかな? 見てたの。

いや、これも、最初は、面白そうなんで見ようと思ったわけじゃなくて、 夕飯後、ベッドで寝落ちしちゃって。。。目が覚めたら、つけっぱなしだったテレビでたまたまやってて、半分ぼーっとしながら見てたら、なんとなく嵌っちゃった・・・って感じだったしなぁ。

あのころは、TBSの金ドラの方が、「月9」よりは、もっと心理面を深堀してて個人的には面白かったんで見てたな。


・・・なんてトレンディドラマの話をしたいわけぢゃなくて。。。。

今回引っ張ってきた、佐野元春氏の「約束の橋」ですわな。

この曲、もともと89年リリースアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の先行シングルとしてリリースされた曲。 で、後年、92年10月期の「月9」ドラマ「二十歳の約束」の主題歌として、再リリースされたわけですな。
今回は、時期的に、その「再発」のシングルについて、ちょいと書いていこうかと。。。


アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」については、ちょっと失敗したな・・・って思うのよ。

佐野元春氏を意識したのは、中学生の頃だったか。。。 同じブラスバンドでトランペットを吹いてた、同級生で親友だったやつが、元春好きだったんだよ。

音楽的に優れてた奴とは思わなかったけども、3つ上の兄貴の影響か、ブルース・スプリングスティーンとか、明らかに私なんかよりも大人びた曲を聴いてんだよな。
で、日本のアーティストでは、元春氏だった。

あの頃から、なかなかチケット取れないといいながら千葉でのコンサートにも行ってたしな。

でも、当時、ヒット曲中心、当然アイドル中心のワタシには、元春氏の良さは分からなかったんだよな。

そもそも、いつもここで書いているように、80年代初期から中盤にかけては、いわいる「ニューウェイブ」系の音は、生理的にダメだったんだよね。

80年代の元春氏は尖がってたしね。 84年の「VISITORS」では、時代に先がけてヒップホップを取り入れたり、サウンドそのものが尖がってた。 「ニューウェイブ」系の寵児的な存在だったじゃん。

ダメだったんだよね。時代にコミットしていないとは言わないけども、時代の先端を行く「音」って。
それよりも、一歩引いて、フォーマットが確立して聴いてて安心・・っていう音楽が個人的には好きだった。うん、おこちゃまだったのよ。

はじめて、元春氏にコミットしたのは、86年のアルバム「カフェ・ボヘミア」だった思う。

それまで、あんなに時代の先端の音がダメだったのに、「カフェ・ボヘミア」で元春氏にコミットしたくなったのは、よくわかんないんだけども。。。

まあ、「VISITORS」よりは、とっつきやすいアルバムだったことはありますね。

それと、以前、ここで何回も書いたけども、86年って、個人的に時代を遡って音楽を掘りだしたころ。
そそそ、1978年以前、リアルタイムで接していなかった時代の曲を掘りだしたころですわ。
その反動だったのかもしれないな。

もちろん、最初は抵抗があったんだけども、何度もアルバムを聴いていくうちに、徐々に理解できるようになった。 理解してくると、その良さも分かった来たりしてね。
徐々に次のアルバムも聴いてみたいと思うようになった。

で、3年の時を超えて、ようやくリリースされたのが「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。

ここで、迷ってしまったのよ。 ちょうど同じころ、長渕剛氏のニューアルバム「昭和」のリリースもあってさ。

あの頃アルバム1枚3000円っていうのは、19歳だった若造のワタシにはデカかったですから。

浪人の身だったし、バイトもしてなかったから、まだ小遣いをもらう立場ったし。。なんで、まずはどちらか1枚買おうと思ったわけで。。 結局買ったのが長渕剛氏の「昭和」。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、またいずれ・・と思っていたんだけども、あの頃、他にも欲しいと思える音源が次から次と出てきて、いつの間にか立ち消えになってしまった。。

そんな時にシングルととして再リリースされたのが、今回の「約束の橋」だった。

うん、もちろん、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されていた曲っていうのは、あの頃から知っていた。

なんか、忘れ物を思い出したような気分だったな。

ただ、この曲が「月9」の主題歌に採用されたのには反発もあったのよ。

↑でも書いたように、ワタシにとっての元春氏は時代の先鋭だった。 テレビという「大衆娯楽」にはコミットしない存在だったのよ。

それがいきなり、「月9」っていう当時の大衆娯楽の極みのコンテンツの主題歌なんだもの。

いやいや、元春氏だけじゃなかったんだけどね、これの前に、浜田省吾の「悲しみは雪のように」が、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用された時も同じような感覚だったな。

80年代の「大物」アーティストが、90年代のドラマ主題歌で再ブレイクする。

初めの頃、例えば、小田和正氏が、「東京ラブストーリー」の主題歌として「ラブストーリーは突然に」が起用される・・ってころは、まだよかった。 まだ新鮮味があったから。

でも、同じような手法で、チャゲアスが、米米が、中島みゆきが、浜田省吾が、・・なんて続くとさ。。。
しかも、いずれも、80年代の自身の曲とは比較にならないほどのメガヒット。

これって良いことなの?  なんて、だんだんと、このやり方に懐疑的になってきたりしてね。

ついには、佐野元春氏もか・・・という気分だったな。

特に、浜田省吾氏の「悲しみは雪のように」とか、元春氏のこの「約束の橋」は「新曲」ではなく、80年代の再リリースだったわけだから。。

wikipediaに、

『なんで最初にこの曲に気付いてくれなかったの?』って感じですよね。『ドラマの主題歌にならないと聴いてくれないんですか?』

・・・(当時は) 怒ってました

と、元春氏のコトバが掲載されているけども、ワタシも同じような感覚だった。

もちろん、今は、「これがあったから今でも歌ってこれたのかもしれない」・・と考えているようですが。。。


結局、今考えてみると、1992年頃の音楽って、まだ「90年代」を象徴するような確固たるフォーマットが確立されていなかったのかもしれない。
・・と同時に、90年代をけん引していけるようなアーティストも、ようやく揃い始めてた頃だったしね。

WANDSの「もっと強くきみを抱きしめたなら」が大ブレイクし、 ZARDが「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」の連続ヒットで一躍注目を浴びだしたのがちょうど、1992年のちょうど今頃。

先行していた「B'z」とともに、「ビーイング系」のコマが揃い、時代を席巻するのは翌年のことですわ。

それとともに、70年代、80年代の「大物」アーティストがドラマの主題歌に・・・という機会も徐々に減っていった訳なんだよね。
70年代、80年代の「大物」アーティストや、楽曲の焼き直しによるドラマ主題歌の顕著な大ヒットは、翌年1993年4月期の月9ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌、財津和夫氏の「サボテンの花」あたりが最後だったような気がする。
・・・・あ゛、まだ大瀧詠一氏がいたか。。。。
もちろん、サザン、ユーミン、中島みゆき嬢は、その後も孤軍奮闘していったわけだけども。





余談だけども、↑で書いたように、中学校の時の元春好きの親友の話から、元春氏のコンサートは、チケットが取れない・・・ってずっと思い込んでいたのよ。

それは、大人になってからもそうで・・・、もしかしたら、頻繁にライブに行くようになった今でもそうかもしれない。

でも、そんな元春氏も、最近ではロキノン系、特に「COUNTDOWN JAPAN」には頻繁に出演するんだよね。

ずっとチケットが取れない・・と思っていた元春氏のライブを「COUNTDOWN JAPAN」で見る、80年代では、考えられなかったことかもしれないな。

実際、「COUNTDOWN JAPAN」ではこれまで何度も元春氏のライブを見た。
もちろん、30分程度のライブだけども。。。それでも昨年の「COUNTDOWN JAPAN」のラストで「アンジェリーナ」が聴けたのは、やっぱりトリ肌でしたね。


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KNOCKIN' ON YOUR DOOR / L⇔R

1995_05_KONCKIN'ON YOUR DOOR_L⇔R


今回の1曲セレクトは、「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」L⇔R です。

まずはデータです。

・タイトル    KNOCKIN' ON YOUR DOOR
・アーティスト  L⇔R
・作詞      黒澤健一
・作曲      黒澤健一
・編曲      TOMATO CUBE  山内薫
・リリース日   1995年5月3日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   134.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1995年5月15日〜6月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「僕らに愛を!」主題歌

一聴して「うわっ、だっせえ!」と思わず笑ってしまう曲ってありますよね?

え? ないですか?

ウーム、私だけかなぁ。。。。

最近は、ヒット系の曲ってホント、よく考えられたつくりになっている曲が多いので、「だっせえ」と思える曲って少なくなった気がするけども、昔はあったんだよなぁ。。。

でも、ここでは、前から言ってきているけども、個人的には、そういう「だっせえ曲」になんか刺さるんだよね。

なんでなんだろうねぇ。。。逆に、誰が聴いても「かっちょいい」って思える曲って、あんまり刺さらないんだよな。。。。  

まあ、その辺が「天邪鬼」と思っている所以なんだけども。。。。

その「ダサさ」こそが、いわいる「売れせん」って言われるモノなのかもしれないけどさ。




・・・ということで、今回は、そんな初めて聴いて「うわっ! だっせえ!」と思った曲を一つ。

L⇔R 「KNOCK'N ON YOUR DOOR」


いやいや、ちょっとマクラで変な風に書きすぎたかなぁ。。。

前年、ポリスターからポニーキャニオンに移籍したL⇔Rだけども、個人的に、ポリスター時代の曲は正直、きちんと聴いたことがない。
だから、はっきりとは言えないんだけども、少なくとも、この曲の前、ポッキーのCFで使用された「Hello It's Me」あたりからは、そんなダサさの片りんは見えてた。

ちなみに、この場合の「ダサ」さっていうのは、メロディラインではなくサウンドですね。

例えば、「Hello It's Me」の場合は、フロアタムを多用したリズム体が、どことなくメロディラインやコード進行とシンクロしてなかったし、逆に不協和音のようにもなっていた。
その辺、昔、「Hello It's Me」の時にも書いたけんだけどさ。 
キャッチーなメロディラインなのに、そこになんかダサを感じたりしてね。

少なくともあの頃時代を席巻しようとしていた、小室系に比べるとスタイリッシュさは感じられなかったわけで。。。




そいで、この「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」は、サビのドラムの「おかず」(フィルイン)がめちやくちゃダサいじゃん。

 ♪ I KNOCKIN' ON YOUR DOOR いつもすぐせめぎ合う LONELY〜 ♪

ジャン(シンバル)   ドコドコ(16分タム)   ジャン(シンバル) ドコドコ(16分タム)〜 っていう繰り返しのフィル。

ドラムの経験がある方ならば、一度はやったことあるよね・・・っちゅう、超王道の「おかず」じゃん。


昔、1960年代のG,Sのころは、よく多用された「おかず」だけども、さすがに1990年代ともなると「ださっ」という感じで、ほとんどだれも叩かなくなったフィルインフレーズじゃん。

そんなドラムの、フィルインで、頭サビから一気に「うわっ ださっ!」って思ってしまったもの、ワタシ。。。

ただ、逆に言えば、頭サビからこのダサいフィルインのおかげで、一気に曲に引き込まれてしまったのも事実でさ。

ドラムにしろ、ギターにしろ、聴きなれたフレーズが、入ってくると、どこか安心してしまんだろうなぁ、ついつい刺さっちゃうんだよね。

結局、前曲「Hello It's Me」に引き続いて、ドラムのフレーズで曲に引き込まれた「L⇔R」って感じよ。

ただ、この2曲と、前年1994年にフロントマンの黒澤健一氏が森高千里に提供した「気分爽快」を聴く限りでは、そっち方向  ⇒1960年代G.S 志向のグループなのかな?

・・・という印象は持った。




もっとも、それ以前、ポリスター時代の曲は、よくわからないので、断言できないけども、
1993年にリリースされた、ポリスター時代の「恋のタンブリングマン」を聴く限りでは、やっぱ、そうだったんじゃないか・・とは一層思えてきますね。



いや、同じ1960年代でも、G.Sというよりは、ビートルズを核としたU.Kロックっぽいですね。

キャニオンに移籍して そんな、1960年代という時代感は残しつつも洋楽から、日本のG.Sに様変わりした(させられた!?)っていうのが、この「KNOCK'N ON YOUR DOOR」であり、前曲の「Hello It's Me」だったんじゃないのかなぁ。。。

書いてるうちに、そんな風に思えてきたな。

ただ、1960年代的曲っていうのは、あの時代、1994〜1995年あたりの、一つのトレンドだったと思うんだよね。

そもそも、ミスチルがモロそうだったし。。。 

今考えてみれば、L⇔Rっていう人たちも、その流れを汲んでたグループの一つっていう志向だよね。今思うと。

メンバーのフロントマン、黒澤健一氏は1968年。弟の黒澤秀樹氏は1970年生まれ。
ミスチルとは同世代ですわ。

もっとも、ミスチルのメンバーと「同級生」(1969年生まれ)のワタシも、もろ同年代なんだけども。。。

でも、それを考えると、ちょっと納得なのかな。

考えてみれば、我々世代がマジメに音楽に興味を持ち始めたと思われる1980〜1981年ころって、G.Sの揺り起こし(リバイバルブーム)で60年代的な曲がトレンドだったわけでさ。
G.Sぢゃなくても、あの寺尾聰氏にしろ大瀧詠一氏の「ロングバケイション」だってそうだったわけじゃん。

あの頃、(ゲーノーではなく)「音楽」に興味を持ち始めてた同年代のキッズって、無意識のうちに60年代(音楽)の洗礼って受けてたと思うんだよね。

ちょうど1994〜1995年あたりって、そんな音楽トレンドが一周して、再度60年代っぽい曲がトレンドになっていたわけでさ。。。

だから、1994〜1995年ごろの音楽のトレンドを考えると、売れるべきして売れた人たちと言えると思うのよ


ただ、この「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」は急激に売れすぎたと思う。

まあ、フジの月9の主題歌ってわけで、当然のようなミリオンセラーなんだけども。。。

急激に売れすぎると、ほとんどの場合は後が続かない。。。  音楽業界の不文律だけども、結局は、この人たちもこんな不文律に当てはまってしまった感じだわな。

もっとも、前曲「Hello It's Me」が、オリコン最高10位 41万枚のヒットだったおかげで「ワンヒットワンダー」(一発屋)ではないんだけども。。。

まあ、本人たちも、このままずっと大ヒット狙い・・・というつもりもなかったんだろうしね。




なんか、さんざん「ださい」とか書いちゃったけども、L⇔Rもこの曲のあとは、サウンドが変わりつつあったんだよね。
個人的には、CDTVの1996年1月のオープニングテーマとなった、3曲後の「GAME」なんかは好きだった。 スタイリッシュでスピード感があって。この曲については「ださい」とは思わなかったもの。

一応、オリコンでも10位までは上がったけども、売り上げは16万枚のスマッシュヒット止まり。

やっぱり、売れるっていうのは、曲の良さだけでは決まらないんだよね・・・ある種のダサさと強力タイアップありきだよね・・・っていうのがよく分かったな。



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ステップ・バイ・ステップ / 島田歌穂

1992_03_ステップ バイ ステップ_島田歌穂



今回の1曲セレクトは、「ステップ・バイ・ステップ」島田歌穂です。

まずはデータでする。

・タイトル   ステップ・バイ・ステップ
・アーティスト 島田歌穂
・作詞     CARLY SIMON
・作曲     CARLY SIMON
・日本語詞   秋元康
・編曲     義野裕明
・リリース日  1992年2月5日
・発売元    キング
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  20.3万枚
・THE HIT CHART HOT30最高位 40位
・タイアップ:TBS系ドラマ「HOTEL」オープニングテーマ

 時代を象徴する曲っていうのは、必ずあったりするよね。まあ、それは、ヒトによって変わってくるとは思うんだけどさ。

 個人的には、1992年「春」っていうと、なぜか、今回引っ張ってきた、島田歌穂の「ステップ・バイ・ステップ」が浮かんできたりする。

 ・・・と書くと、さも、当時から、この曲好きだったんだろう・・・なんて、思われたりするかもしれないけど、正直、リリースされた当初から刺さっていたわけではないんだけどね。

 ・・・っつかさ、この曲、当時の人気ドラマだった「HOTEL」のオープニングテーマだったじゃん。
 でもさ、なんか、個人的には、このドラマ、最初はあんまり好きじゃなかった。。

 ・・・・とういのも、まあ、早く言えば「食わず嫌い」なんだけどさ、このドラマ、TBSの木曜21時からだったじゃん。 

TBS木曜21時っていったら、あーた、「ザ・ベストテン」しかないじゃん・・・なんて、思ってたのよ、まだ、このころは。

 まあ、未練がましいっちゃ、そうなんだけど、でも、まだ、当時は、その「幻想」が抜けきれない時代だったのですよ、私にとっては。


・・・といいつつ、時々は見たりしてね。 

いや、たまたま見た・・という方が正確かな。

あの頃、夕飯のあと、テレビ見てるとすぐ寝落ちしちゃう癖があってさ。

あんときも、寝落ちして、目が覚めたら、たまたまこのドラマやってて、見てたら嵌っちゃったんだよな、確か。

で、ドラマ人気も手伝って、主題歌だったこの曲、チャートを上がってきてたのもあったんでね。
ちょうど、あの頃、bay fmの「パワーカウントダウン」をエアチェックし始めてたこともあって、本格的に聴き始めたんだよな、確か。。

で、何回か、聴いてるうちに、「あ、いいな」って思えるようになったんだよね。
 
聴いてて、気持ちいいじゃん、この曲。さわやかだし・・・。

 まあ、ちょっと、道徳過ぎるって感じもしないでもないから、このテの曲はどうも、っていうヒトもいるかもしれないけど、個人的には好きですよ、この手の曲は。


・・・ってか、この曲、この曲、カーリーサイモンの「LET THE RIVER RUN」って曲だったんだ。。。映画「ワーキング・ガール」の主題歌の。。。

なんて、今頃、知ったりして。。。。。 

 ↓ コレ




まあ、よくこんな曲、見っけてきて、島田歌穂に歌わせたね、なんて、言いたくなったりもするけど。。

たけど、この曲、みっけてきて、島田歌穂っていうヒトに歌わせたヒトは、秀悦なヒトだと思う。正直、オリジナルのカーリーサイモンより、いいと思うもん、味があって。

何より、島田歌穂っていうヒトはウタが達者だから、安心して聴いてられるっていうのもある。

訳詞が、秋元康氏っていうのも、意外っちゃ意外なんだけどさ。

90年代に入って、アイドルも冬の時代に入り、時代の第一線から離れたような感じだったんだけどね。当時の秋元氏は。。

でも、この曲もそうだけども、次の年の「ポケベルが鳴らなくて」、そのまた次の年の「愛が生まれた日」・・というスポット的な大ヒットは出していたわけだし、常に第一線にいなくても、要所要所で顔を出してはいたんだよね。



・・・っつうわけで、島田歌穂の方を聴いてみますか






ちなみに、オリコンでは、カップリングの「FRIENDS」が表題曲となってたりする。


↓ これね




これは、、同じくドラマ「HOTEL」のエンディング・テーマでしたね。

CDシングルは、こちらが「表題曲」扱いだったこともあって、ワタシのランキングでは、こちらの曲の方が正式な順位対象となっていたこともあって、こちらは最高位14位まで上がっていたりする。

↑のデータで「ステップ・バイ・ステップ」が最高40位までしか上がっていないのは、このためですね

個人的には、サビで、どこかゴスペルっぽいシングアウトになるこっちの曲ほうが好きだったんだよな、当時は。


ちなみに、これも、カバー曲で、オリジナルは、Mike & The Mechanics の「The living Years」って曲なんだよね。 
 っつか、こっちの方が、よく、見っけてきたよな・・・って感じなんかねぇ。

 ↓コレ







・・・っつうわけで、姉さん事件です。。。


君が好き / Mr.Children

2002_01_君が好き_Chidren



今回の1曲セレクトは、「君が好き」Mr.Childrenでする。

まずはデータです。

・タイトル    君が好き
・アーティスト  Mr.Children
・作詞      桜井和寿
・作曲      桜井和寿
・編曲      Mr.Children   小林武史
・リリース日   2002年1月1日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2002年1月17日〜2月14日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜」挿入曲

明けましておめでとうございます! 2023年。

今年も当ブログを何卒、よろしくお願いいたします。

さてさて、新年1発目の「1曲セレクト」ですが、久々に「1月1日リリース曲」から引っ張ってきますか。

以前は、頻繁にやってた「1月1日リリース曲」シリーズも、めぼしい曲が無くなってきたので・・・という理由からしばらくやってなかったんだけども、まったく曲が無くなったわけじゃないんだよね。

最近は、「水曜日リリース」というのが定着して、特定日リリースっていうのが少なくなってきた訳だけども、「1月1日リリース」っていう曲は、未だにあることはある。

まあ、「1月1日リリース」にして、特段何かメリットがあるのかというと、そんなことも少なくなってきているし、それ以前に、表向きは「1月1日リリース」といっても、CDリリースの場合、実質的には12月25日くらいには店着することが多いわけで。。。

昔は、そんなカラクリ知ってる人って、業界関係の人ぐらいだったと思うけど、いまや、一般の方々のにも広く知れ渡っているもんね。
・・・だもんで、わざわざ「1月1日リリース」なんて言わなくてもよくなってきている訳だよね。


今回引っ張ってきた曲は、そんな「1月1日リリース」な曲だけども、個人的には、この曲聴くとあの光景がフラッシュバックしてくる・・・っていう思い出深い1曲ですね。


Mr.Children 「君が好き」

この曲、今から21年前の2002年1月1日リリース。 ミスチル22枚目のシングル。
ミスチルのシングルとしてはストレート、かつ 素直な歌詞が印象的な、ミディアムナンバーですわ。


この曲がリリースされた2002年1月1日。 この日は個人的には、いまだに忘れられないですね。

ここでも、何度か書いてるけど、当時、某公式着メロサイトの配信ディレクターだったのよ、ワタシ。
前年6月に立ち上がった公式着メロサイトとしては後発組で、初めての年越しだった。

エンタメサイトは着メロに限らず、どんな分野でもそうだと思うけど、年末年始はかき入れ時なんですよ。 そそそ、お客さんを取り込んで会員数を大きく伸ばすチャンスの時期なのね。
特に、我々のような後発サイトにとっては。ほかのサイトを出し抜いて会員を集めるチャンスでもあったのよ。

なので、年末年始目玉になるような企画はないか・・と1か月以上前から配信編成・選曲会議で頭悩ませていたんだけどさ。

そんなときに、浜崎あゆみのニューアルバム「I am」が2002年1月1日リリースというニュースが飛び込んできたのよ。

ワタシらのサイト、サービスイン直後から、特に浜崎の曲についてはダウンロード数がほかの曲よりも特段よかった。 どうも、当時の浜崎ファンの多くが、我々のサイトに付いてくれたよう・・っていうのが、それまでには分かっていたのね。

これは、逃すわけにはいかん。 と、件の会議で提案したところ1発OK。

ただし、リリース日の1月1日に収録曲15曲全曲配信できないか・・・。 当時のエライ人からの一声がかかってさあ。

通常アルバム全曲、しかも15曲全曲配信するには、当時の着メロ制作スタッフ体制を考えると2週間必要だったのよ。

しかも、年末年始でしょ。 あの当時の通常制作スケジュールを考えると、早くてもアルバム全曲リリースは年末年始休み明けになっちゃうのよ。

でも、それじゃだめだ、何がなんでも1月1日リリースにする。。 
しかも1月1日 0:00に配信開始

・・・ってことになっちゃってさあ。

なんせ、普通に考えたら年末年始休みの最中なわけでさ。 ほかのサイト(会社)は、休み取っている最中のはずで、絶対にそんなことやってこない、早くても配信は休み明けっていうのが分かってたのよ。

だからこそ、ここは他サイトを出し抜いて会員数を伸ばすチャンス・・って、当時のエライ人は読んだんだろうね。

ワタシも考えましたよね。なんせ、言い出しっぺはワタシなんで。。。。

表向き1月1日リリースといっても、遅くとも12月25日にはレコード店にCDが店着、販売されることは、当時から知ってたからさ。
まず、音源制作チームに店着日の朝一番、開店と同時に制作用の音源CDを購入するようにお願い。 音源を手に入れたら、仕事納めとなる12月28日までにアルバム全曲の着メロ音源制作して納品してくれるように制作体制を作ってもらってね。
なんせ、通常なら2週間かかるところを、3〜4日で作ってもらわなきゃいけなかったんで。。。
とにかく、ほかの曲は度返しにしてでも、このアルバムの曲は最優先で作ってくれるようお願いしたのよ。
ただし、通常制作ではなく、特別に緊急制作してもらうんで制作料金は割り増しにしてさ。

制作チーム、がんばったんだよね。 予定通り12/28には全曲分の音源ファイルを納品してくれたのよ。

ここからは、我々ディレクションチームの仕事でさ。

後には配信日時を指定すれば、自動的にファイルをサーバーにアップロードして配信開始するシステムが出来たんで、特に正月などの休暇期間中の配信って楽になったんだけども、 あの頃は、そんな予約自動配信システムもなくて、全て手動配信だったのよ。

なので、前日12月31日の夜23時に「出社」してさ、配信開始の準備。

あんときは、たしか、ワタシと、ワタシのアシスタントの他、会社の社長・・・・そそそ、1月1日0:00配信開始じゃなきゃダメ・・って言った張本人ですよ・・・が、出社したんだよな。

23:50頃からカウントダウンを開始して、0:00丁度に音源ファイルのサーバーへの同期ボタンをクリック、サーバー全機にファイルが同期され、無事配信開始を確認するまでの緊張感はいまだに覚えてる。

今も多少あると思うんだけども、年越し後の数分間、いわいる「あけおめ」通信でネットワーク負荷が急激に上がって、通信速度が急激に低下してたのよ、あの当時。

こんときも実際、数分間トラフィックが発生して、通信速度が急激に遅くなったりしてさ。
浜崎あゆみ「I am」全曲着メロ、リリース当日、1月1日、0:00配信開始っていうのは、サイトに大々的に事前告知もしていたこともあって、そのままサーバーダウンなんてなったら、大変なことになっていたと思うんだけども、無事クリア。
「I am」の収録曲の着メロが一斉にものすごい件数ダウンロードされ始めているのを見て、ほっとしたな。

終わった、これで帰宅して、酒でも飲んで・・・なんて、頭は休暇モードになり始めていたんだけども、まあ、件の社長が、なんちゅうか人使い粗い人でさ

「I am」の配信完了を見届けたら、いきなりサイトのバグつぶし始めやがって。。。

ワタシらだけ帰るわけにもいかず、付き合いましたよ、サイトのバグつぶし。。。元日の昼近くまで。。。。

で、ヘロヘロになって帰宅したの覚えてるわぁ。。。

ただ、この企画の後、我々の某着メロサイトの会員数が急激に伸び始めたのも事実でさ。
大変な年末だったけども、サイトにとってはやって正解な企画だったのよ

IT企業っていうのは、こういうところなんだ・・・っていうのもこの一件からよく見えるようになっし、サイトをデカくするための運営の大変さが身にしみてわかった。
同時にエンタメサイト運営の本当の面白さもわかったような気がしたな。個人的にもありがたい企画だったんだよね、今考えると。

いずれにしても、会社で年越し・・なんて経験をしたのは、後にも先にも、この時だけですよ。
だからいまだに脳裏から離れないんだろうけどなぁ。



え? ミスチルの「君が好き」が出てこないじゃん・・・って?

いやー、あの12/31の夜中から元日の昼まで、ワタシの頭の中でぐるぐるとヘビーローテーションでなっていたのが、この「君が好き」だったんだよな。

だから、この曲を聴くと、まっさきにフラッシュバックするのが、あんときの光景なんだよなぁ。

あんとき、3人で出社だったんで、フロアのほんの一角だけ電気付けて、あとは消灯してたのよ。
そそそ、そんな半ば仄暗いフロアの中での作業でさ。

「君が好き」の サビ終わりに

♪夜の淵 アパートの脇 くたびれた 自販機で2つ 缶コーヒーを買って〜 ♪

ってフレーズがあるでしょ。 この歌詞の情景と、あんときの仄暗いフロアの光景が、なんかシンクロしちゃってさ、ワタシの中では。 どうしても、頭から離れないんだよな。


もう一つ。

実は、この曲がヒットしてた前後、いいなと思うコがいたの。
いつかもここで書いたかもしれないけど、
プー太郎だった2000年、通っていた某ネットワーク管理者養成学校で、隣の席だったコ。

確か、当時カスタマーサポートセンターでオペレーターとして働きながら、ネットワーク管理者を目指して、件の養成学校に来てたんだよな。

偶然、同い年だったということもあったんだろうけど、何かと気が合ってさ。
なんちゅうのかなぁ、フィーリングが合うっていうのかな。
まだ正式な彼女とは言い切れなかったけど、付き合っていたんだよね。
このヒトなら一緒になってもいいかな・・とも思い始めていたりしてさ。

ただ、ワタシが某着メロ配信会社に入って以来、土日のいずれかが出勤になっちゃったのよ。

当時は、それぞれ専任の担当者は居たものの、システムトラブル、それに伴う、カスタマーサポートも統括しなきゃならない。何か配信トラブルが発生したら、即座に対応しなきゃならない。
まさにレコード会社のレコーディングディレクターのように配信運用「全体」をまとめなきゃいけない立場になってしまったということもあり。 実質は365日休みなしという状態。

でも、それじゃ、さすがに身が持たないので、アシスタントと土日は交代で休んだのよ。

この「君が好き」がリリースされたころ、ワタシは、土曜休みの日曜出勤だったな。
当時、なんかやたら日曜日にトラブルが多く、ワタシの方から日曜出勤を申し出たんだと思う。

ある時なんか、やはり日曜日にサーバートラブルが発生。システム設計担当に緊急連絡したら、丹沢に山登りに行っててさ。 すぐ帰ってこい・・・と呼び戻したこともあったな。夜中、たたき起こすことは日常茶飯事だったし。そんなことが続いたんで、アシスタントじゃなく統括のワタシが日曜日出勤にした方がいいってことになったのを覚えてるな。

でも、このことが、彼女とのすれ違いを生む原因になっちゃったんだよね。
向こうは土曜出勤で、日曜休み。 ・・ということで、ほとんど会えなくなってしまった。

そんなころにリリースされた、この「君が好き」って曲。

♪ そしてひねり出した答えは 君が好き 生きる上でこれ以上の意味はなくたっていい〜 ♪

ミスチルにしては、ストレートなくらい、素直、かつダイレクトなこの歌詞が、すれ違いが続いてしまった、彼女に対して、あの頃、ワタシが感じていた思いを代弁してくれていたんだよなぁ。

あたかも、2002年1月1日の夜も、東京は、今晩のようにキンとした空気が張り詰めた寒い夜だったんだよな。 そんな空気が余計切なくさせたのよ。

でも、それから間もなく付き合いは解消した。 まあワタシの方がフラれちゃったんだけどね。

原因は他にもあったんだけども、このころのすれ違いが一番大きかったんだと思う。

32才の冬。 
あれ以来、このヒトとなら一緒になってもいいかな・・と思えるようなフィーリングを感じた彼女とは巡り合えず、今に至ってる。





初めにも書いたように、ミスチルのシングルの中でも、素直な曲だよね。
2001年10月期のフジテレビのドラマ
「アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜」の挿入曲としても使われていたこの曲だけども、このドラマの主題歌が同じくミスチルの「youthful days」。
曲調もあってか、どちらかといえば、この曲に隠れたような存在ではあったんだけどね、当初は。

そういうこともあってか、売り上げ枚数は「youthful days」を20万枚近く下回っていたりする。

ただ、個人的には、↑に書いたようなエピソードもあって、未だに残っているのは、断然この「君が好き」の方だったりするんだよね。


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人魚姫 / 中山美穂

1988_08_人魚姫_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「人魚姫」中山美穂でする。

・タイトル    人魚姫
・アーティスト  中山美穂
・作詞      康珍化
・作曲      CINDY
・編曲      ROD ANTON
・リリース日   1988年7月11日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   36.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1988年7月25日〜10月17日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「若奥さまは腕まくり」主題歌

既に書いてても書いててもおかしくないのに、まだ書いてない曲。
最近、そんなシチュエーションで、主に書き進めている1曲セレクトだけども、探してみると、まだまだあるんだよなぁ。

当然、書いてておかしくないのに、まだ書いてない「大ヒット」曲。

書こうと思って忘れている曲、個人的にあまり好みじゃないんで書いてない曲・・・まあ、理由はいろいろあるわけなんだけども。。。

あ、結構あるのが、過去に書こうと思っていたんだけども、その時点で、最上段に必ず掲示しているジャケ写がネット上になかったり、You tubeに動画がないんで、書くのを断念したりしていた曲も、意外とあるんだよな。

今回、引っ張ってきた曲は、たしか、過去に書こうと思った時点で、ジャケ写かYou tube動画か無かったんで、書くのを断念していた曲・・・・・だったと思う(すんません、その辺、あやふやです。。。)


中山美穂さんの「人魚姫」。

「人魚姫」と書いて「mermaid」と読ませる。 サイトとか著書によっては「人魚姫mermaid」と連記してあったりするんだけどね。

とりあえず、ここではオリコンでの表記を持ってきて「人魚姫」と表記しておきます。

しかしねえ、この曲の売り上げ36.5万枚は、この曲がリリースされるまでの、ミポリンの曲では最高売り上げ。

オリコン1位獲得は、前々曲の「CATCH ME」、前曲の「You're my only shinin' star」に引き続き3作目。

・・・・という大ヒットにもかかわらず、今まで書いてなかったとは。。。。

いや、だからね、昔書こうと思ったときに、まだYou tubeに動画がアップされていなかったんじゃなかったかなぁ。。。。

さすがに、あの当時の最高売り上げであったし、しかも「ザ・ベストテン」でも首位を獲得したこの曲を、よもや忘れていたわけではないよなぁ。。。。


ただ、当時を振り返ってみれば、この曲をゼッサンしていたわけではないんだよね、ワタシの中では。

以前「CATCH ME」の時にも、どうも今一つしっくりこないんだよな・・って書いたけど、この曲も、どうも今一つしっくりこなかったんだよな、当時は。

ミポリンと、まるで洋楽なダンスビートっていうのが、個人的にはどうもね。。。。

まあ、この曲なんか3か月近くベストテン入りした、いわいるロングヒットになったし、結果的には成功したわけでね。結果がすべての業界にあっては、この路線に進んだのは、間違いではなかったわけなんだけどね。

個人的には、どうしてもデビュー当時の「C」をはじめとした、松本−筒美 っていう黄金コンビの頭がこの時も抜けてなかったからな。

ビートが前面に出て来ている曲でも大村雅朗氏アレンジの「ツイてるねノッてるね」とか船山基紀氏アレンジの「WAKU WAKUさせて」のような、「職人」が紡ぎだすビートのほうが、個人的にはしっくりと来てたからなぁ。 
なんていうのかな、サウンドとしては当時の先端ではあったど、基本的なビートとしては、少し時代を遡るような。
「WAKU WAKUさせて」にしても、サウンド自体は当時の流行りだった、ユーロビートだったけども、実際のビートはディスコだもんね。70年代っぽい。
そういう、日本独特のフィルターがかかった、一種のミクスチャー的な曲の方が個人的には好きだった。


この「人魚姫」なんか、ほとんど洋楽だもんね。もっとも、作曲はハーフのCINDY、アレンジャーがROD ANTONっていう「外人」なんで、そういう「音」になるのは必然的というか、当然なんだけども。

抑揚、起伏のあまりないメロディラインに、ある一定のフレーズの繰り返し。 それに絡んでくる、エッジが効いたいかにも80年代後半を彷彿とさせる硬い音質のビート。

うーん、最近だったら、NIGHT TEMPO氏をはじめとして、「シティポップ」として、リバイバルさせてきているようなサウンドですわ。

ただ、ここまで書いたように個人的には、当時からシックリこなかったこともあってさ。だから、最近のシティポップとして再評価してきている曲たちも、当時からあまり触手がのびなかった曲が多いんだよね。勿論、すべてではないけど。。。

最近、海外でのシティポップブームを、個人的にはそんな騒ぐほどすげえことなんか?・・・なんて冷めた目でみている一つの原因はそこにあるかもしれないな。

うん、あくまで洋楽寄りであって、日本独特のフィルターにかけた曲調ではないという事ですね。

洋楽を日本独特のフィルターにかけずに、あくまで洋楽寄りの曲であるからこそ、シティポップとして向こう(外国)で受けるのは、ある意味、当然と言えば当然なんだよね。なんせ彼らからすれば親和性が高いんだうろしさ、聴きなれたサウンドであるんだから。

もっとも、クオリティの高い音楽であるからこそ、耳が肥えている向こうの人達にも受け入れられていることは認めますけどね。

・・・なんて、シティポップについてになると、ついつい熱くなってしまいマス。。。。





この曲PVがあったんだな。。。ってか1988年くらいならば、すでにPVあってもおかしくないか。。。



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ミチシルベ〜a road home〜 / オレンジレンジ

2004_03_ミチシルベ_オレンジレンジ_



今回の1曲セレクトは、「ミチシルベ〜a road home〜」オレンジレンジです。

まずはデータです。

・タイトル   ミチシルベ〜a road home〜
・アーティスト オレンジレンジ
・作詞     オレンジレンジ
・作曲     オレンジレンジ
・編曲    (クレジットなし)
・リリース日  2004年2月25日
・発売元    ソニーレコーズ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  27.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2004年3月11日〜4月8日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「FIRE BOYS 〜め組の大吾〜」主題歌

ここんところ、1曲セレクトをあまり書かなくなったのは、「生業」がめちゃくちゃ忙しくなったからなんですよね。 ・・・なんて、ちょっと言い訳がましくなっちゃうけど。。。
 会社的な事情もあってさ。ワタシのチームから別のチームにメンバーが移ることになったりして、人数が減ったのにもかかわらずクライアントの数が増えて、ニッチもサッチも行かない状態が続いてたんでね。

 以前だったら、1日1曲は義務って感じで書いてたんだけども、ここんところ、書くスピードが遅くなっちゃったんだよね。 昔だったら30分で1本かけたんだけども、最近は2時間くらいかかるのね。 
まあ、以前は自分の本当に好きな曲とか、かかわりが深い曲を書いてたからスラスラ書けたんだけども、最近は、あんまり個人的な趣味ではない曲も書いてるからね。前段階でいろいろ調べたり、書くまでが時間がかかるのよ。 

字数が昔よりも増えたってのもあるな。昔は本当に簡単なメモのようなコラムだったから、1曲セレクトも・・・。

そんなこともあって、さすがに仕事終わりに1本というわけにもいかず、なかなか書けないでいたっていうわけね。

 今日も平日の仕事終わりで、本当はちょっと書くのもつらいんだけども、明日から4月の繁忙期に入るんで、また暫く書けなくなるだろうから今のうちに書いとこうと思いーの、昨日に引き続いてPCに向かってたりします。



今回引っ張ってきた曲は、 オレンジレンジの「ミチシルベ〜a road home〜」。
2004年2月リリースの彼らの初のオリコン1位獲得ですわ。

オレンジレンジって、この前の年の夏、「上海ハニー」でいきなりブレイクしてきた、いわいるアイドルロックな人たちだよね。

なんか胡散臭かったんだよ、出てきたときは。  

今、当時のオリコン読み返してみると、「上海ハニー」でブレイクする前から、オリコンには取り上げられていたから、期待はされていたんだろうけどね。

でも、個人的にはそれほど注目はしてなかったのよ。正直言って。

ただ、当時、着メロサイトのセレクター兼、プロデューサーっていう立場だったんで、仕事がらみで聴いていたようなもんでさ。

あの頃、ロックではないけどヒップポップ系の人たちで、こんな感じで、見た目汚いナリの人たちがいろいたからさ。 そんな人たちの1組・・・っていう認識だった。

うん、「上海ハニー」は、ロックではあるけど、 Aメロからヒップポップっぽいフレーズが続くからさ、そっち方面人たちだと思ってたのよ。

・・まあ、個人的にはヒップポップってどうも苦手だったからさあ・・・。あくまで仕事という思いで聴いてたんただよね。

でも、この曲を聴いて、がらりと考えを変えたのを覚えてる。

まずもって、浮遊感の有るイントロのギターのアルペジオ。それに絡んでくる硬質で切れのあるドラム。

思わず引き込まれたんだよな。

まあ、メロディはもろティーン向けの易しく優しいラインで、これは、30過ぎのおっさんが聴く感じじゃないなと思ったけど、兎も角、イントロのギターの音色と切れのあるドラムロールに引き込まれてしまった。


あの頃、今と同じく仕事上で煮詰まっていたからねぇ。 トリプルブッキングの会議が果てしなく続いて居たりしたしさ。あの頃のグループウェアのスケジュール表みると、連日真っ黒で、ワシャ、ピンク・レディか・・・ってホントに思ったもの。

加えて、管理職にもなったからさ。 いや、たまたま成功したサイトのオープニングメンバーだったからってことで、「ご祝儀」で管理職にしてもらったようなもんで、別に本当の実力があったわけじゃないのよ。
むしろ、それまでの人生、「ダメ人間」っていうレッテルで生きてきたからさ。人の上に立つって分かんないのよ。 まあ、今でも分かんないけど、あの頃は、輪をかけて分かんなかった。
あの頃は八方美人だったからなぁ。チーム内をいい方向にまとめようとみんなにいい顔してたから。。
それが逆むしろ効果だったのよ会社行っても人間関係がギクシャクしてきてて。。。
人間関係がストレスだったのよ。

一方では、自分のサイトを、会社から帰って夜中から朝方まで更新したり、掲示板のコメント書いたりして。。。 ほとんど寝てる暇もなかったり。。。。 

いまだったら、別にいい関係じゃなくてもいいや・・とある程度は割り切れるんだけとね。あの頃は若かったから。
現に、今のチームでは、ワタシなんてダメオヤジの嫌われもんだから。 でも、それでいいと思ってる。リーダーなんてみんなから好かれちゃだめよ、自分の考えを通し続けるにはさ。

でもまあ、そんな状態が2年近く続いたんで、精神的に病んできちゃってさ、あの頃。

ホント、今考えても精神的に不安定だったのよ。 なんかいつもイライラしてたし。。。

そんな折、今の「M-ON」当時は Viewsic TVったっけな・・・日曜日の朝っぱらから昼過ぎまで、日中延々とやってた、Countdown 100。

あの番組を、うつらうつらしながら 見てたら、この曲のMusic ビデオが流れて来てさ。

↑に書いたように、南国の温度感、浮遊感が有るイントロのギターのアルペジオ。それに絡んでくる硬質で切れのあるドラムに一発で引き込まれた。

いやいや、癒されましたね。精神的に。

それで初めて、コイツラは、ちゃんと評価してやらなきゃいけないな・・っていう気になったんだよね。

現に、ドラマの主題歌というタイアップが付いてたいたとはいえ、この曲で初の1位を獲ったし。
次の「ロコローション」〜「花」と、急激にスターダムの階段を上ることになったわけなんだけどさ、オレンジレンジも。

その賭場口の曲で引っかかったっていうのも、まだ、あのころは、この先ホンモノになりそう(売れてきそう)だな・・って嗅覚はあったんだろうね。最近はすっかり鈍っちゃったけさ。。。


そういえばオレンジレンジの「花」が大ヒットしていた頃、当時運営していたBBSに、業界に対する当時の考えを長々と書いて、その筋の方に褒めてもらたっけ。一部引用したいとか言われて。。。

内容はすっかり忘れちゃったけど、日ごろのうっぷんが溜まっていたんだろうね。あの頃の個人的に感じてた業界に対する想いを叩きつけるように書いたような気がするんだよね。


まだ30代前半だったけども、今はもう、ああいう熱い文章は書けないな。

もっとも、最近は慢性的な寝不足で頭が回らないんで、まともな文章が書けなくなったていうのもあるんだけども。。。




いまは、当時のMVは、ようつべに上がってないんだな。
どうも、この手のライブ映像ばっかで、ちょっとつまんないんだけども、しょうがないですわな。



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【キニナル曲】ハート / あいみょん 

2021_12_ハート_あいみょん




今回のキニナル曲は、これだ!

あいみょんの新曲「ハート」。

まずはデータでする。

・タイトル    ハート
・アーティスト  あいみょん
・作詞      あいみょん
・作曲      あいみょん
・編曲      田中ユウスケ 立崎優介
・リリース日   2021年11月24日 (シングルCD)
                                2021年10月20日 (ネット配信)
・発売元     ワーナーミュージックジャパン
・タイアップ   TBS系ドラマ「婚姻届に判を捺しただけですが」主題歌

シングルCDは先月24日リリースだったけど、ネット配信開始からは、すでに2か月が経とうとしているわけだけど。。。

初めは、まずもって、地味だよなぁ、ミディアムバラードだからなんだろうけども、今一つパッとしないなぁ。
今回の曲はドラマ主題歌ということで、こういう曲調なのかもしれないけど、それを差し引いても地味な印象は拭えないなぁ。。。と思ってたんだよね。


あれから2か月近く経って、少しは楽曲になれてきては来て、徐々に曲を消化できているけど。。。
でも、まだ慣れ切れない自分がいたりして。。。。

もしかすると時代との折り合いがつかなくなってきているのかもなぁ。
「マリーゴールド」の頃のようなオーラが、ここの所、薄くなってきているようにも思える。 

あいみょんの良さって、ミディアム調のポップスから繰り広げ去られる子音の声質だと思っているのね。
個人的には。
この手のバラードでは、そんな声質が今一つ生かしきれないんじゃないかそんな印象が強いんだよね。

同じような印象が昨年のヒゲダンでも感じたんだけども、彼らは今年リリースの「Cry Baby」でそれらの危惧を払しょくし、新たな領域に踏み込んだと思うのね。彼らの持ち味であるロングヒットも復活した。


あいみょんも同じように新たなステージに踏み込む時期来ているんじゃないのかな。そうんな気がするんだよね。 

確かに、これまでのイメージをつづければ、暫くは安泰かもしれないけど、だんだんジリ貧になっていくだろうし。。 
今回の曲で、配信先行、シングルCD後追い・のリリースで、よりヒットを狙ってきているようにも思えるのに、ここまでは思ったほどヒットが拡大してきていないんだよね。 

たしかに、同じバラード系の楽曲だった昨年の「裸の心」では、同様な戦法でロングヒットとなった。
けど、今のところ、この曲では昨年の「裸の心」ほどの効果が出ていないのよ。

「裸の心」だけではなく、「マリーゴールド」で顕著だったように、チャート上位ロングランというのが、あいみょんの持ち味だったわけよ。そこはヒゲダンと同じですね。

でも、今年は前作の「愛を知るまでは」でも、そうだったように、以前のロングヒットに陰りが見えてきている。それは、この曲でも同じ傾向が出て来ている。「ジリ貧」のサインが出て来ているんだよね。

で、あるならば、そろそろヒゲダンと同じように、これまでのイメージをいったん壊してでも、あらたなあいみょんを打ち出す時期なんじゃないか。 個人的にはそう思うんだよね。

今年は昨年まで程のリリースペースからは落ち着いてきているけど、Newあいみょんを打ち出すためにも、少しリリースペース落とした方がいいと思うんだよね
たしかに、あいみょん位になるとタイアップ依頼も多いんだろうし、なかなかリリースペースを落とすのも難しいんだとは思うけど、そこは、ぐっと我慢の時なんではないかな。

このまま「ジリ貧」でフェイドアウト方向に向かうのか、持ち直すのか、次の曲は分岐点になるかもしれないな。






Good-bye My Loneliness / ZARD

1991_02_Good-bye-My Loneliness_ZARD



今回の1曲セレクトは、「Good-bye My Loneliness」ZARDです。

まずはデータです。

・タイトル   Good-bye My Loneliness
・アーティスト ZARD
・作詞     坂井泉水
・作曲     織田哲郎
・編曲     明石昌夫
・リリース日  1991年2月10日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「結婚の理想と現実」主題歌
       クラリオンレーザーカラオケCM曲

先ほどラジオを聴いてたら「今日はZARDデビュー30周年」なんて出て来て、思わず不意を打たれた。
1991年2月10日デビュー
そうだぁ、そうだったぁ。そんなことは全く意識の外だったぁ。 

たしかにね、1981年から40年、2001年から20年ということは意識してたんだよね。 この「1曲セレクト」のネタになりそうな予感がしてたんで。。。

でも、1991年から30年というのは、ほとんど意識の外だった。

いや、実は1991年の今の時期にヒットしてた別の曲を2曲ほど頭の隅にはおいていたんだけども、この曲は、全く意識の外だった。 いやいや不覚だったなぁ。。


なんて、今は亡き坂井泉水さんへのお詫びのしるし・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、このZARDのデビュー曲を持ってきましょうか。


Good-bye My Loneliness

1991年の今頃だったか、もう少し後だったか、この曲はよく耳にしてたんですよ。

いや、CDを聴いてたわけじゃない。 テレビのCMでよく耳にしてたんだよね。

↑のタイアップには、第1にフジテレビのドラマ「結婚の理想と現実」主題歌と書いたんだけども、個人的にはこのドラマは見てなかった・・・ような気がする。

それよりもクラリオンのCMでこの曲、よく耳にしてたんですよ。

あの当時、まあ、よく流れてましたよね、CM。

実際に比較したわけではないけど、夜中のカメリアダイヤモンドと、このクラリオンのカラオケのCMは双璧・・・って思えるほどよく聴いた記憶があるなぁ。

でさ、あの頃は、まだZARDって何者なのかよくわかってなかったんですよ。 そもそもテレビには出なかったし。

私ねぇ、クラリオンのCMで、マイクもってこの曲を歌ってた(? 口パクだったよな・・・)、大河内志保さんをZARDだとばっかり思ってたの

そう思ってたの、ワタシくらいか・・と思ってたんだけども、ネット調べてみると同じように思ってた方、他にも結構いらっしゃるようですね 

ただね、曲としては妙に引っかかったな。

・・というか、どうも、この頃の「ガールズポップ」な曲って、一時的に区別がつかなくなってきてたんだよね。

個人的にはこの曲と、同時期にスマッシュヒットしてた平松愛理さんの「素敵なルネッサンス」とかね。

いや、たしかに全然違うんですよ曲調は。 違うんだけど、なぜかごっちゃになってたんだよな。

うーん、イメージなのかなぁ。  

このころは今ほど、音源聴き込んでなかったですからねぇ。 

そうそう、この頃音源手に入れるの苦労してたんだ。 
このころ、近くのレンタルビデオ兼CD屋からCDを借りてカセットに落としてたんだけども、シングルCDの入荷が悪くてさあ。めぼしいシングルは、いつも貸し出し中になってたんですよ。だから気になる曲をなかなか借りることが出来なくてさ。。。

そんなこともあって、この当時の曲っていまだに、あんまり聴き込んでないんだよね、実をいうと。

さすがに、今はこの「Good-bye My Loneliness」と平松愛理さんの「素敵なルネッサンス」の区別は付きますけど。。。

でも、「Good-bye My Loneliness」や「素敵なルネッサンス」もそうだったけど、丁度この頃はガールズポップが元気になり始めてた頃ですねぇ。

他にも永井真理子さん、辛島美登里さんなどが元気でしたしね。 
革新的に新しい音楽ではなかったんだけども、明らかに80年代とは違う香りがするポップスという印象を受けましたね。

個人的には、あ、時代が動いてきたな、90年代に入ったんだな・・という感覚はあったな。

もっとも、1991年といえば、ちょうど今頃は、「東京ラブストーリー」主題歌の小田和正氏「ラブ・ストーリーは突然に」が超バカ売れしてたし、 夏には「101回目のプロポーズ」主題歌のチャゲアス「SAY YES」と、フジの月9主題歌の超ド級ヒットに湧いた年だった。 そんなブームの陰に隠れてしまっている感があるけど、ガールズポップと言うムーブメントも確実に流れ出していた年でもあるんだよね。

ただそういうムーブメントが流れ出していたものの、まだ確実に「実」をつけていたわけではないんだけどね。

たしかにこの「Good-bye My Loneliness」ではオリコン最高9位とデビュー曲としては申し分ないヒットと言えなくもないけど、その後の大ブレイクからみると、まだまだ物足りなさを感じるわけでさ。

ZARDが「眠れない夜を抱いて」で、平松愛理さんが「部屋とYシャツと私」で共に大ブレイクするまでは、この時点から、まだ1年余り待たなくてはいけないわけで。。。。





うわっ、今聴くと、なんか新鮮。
・・というのも、じつは、ワタシ、この曲の音源未だに持ってないんですわ

↑で書いたように、ヒット当時、なかなかCD借りられないでいて、ずっとそのままになっちゃっているんだよな、30年も。。

たとえば、今だったらサブスクリプションでいつでも聴けるようになったわけなんだけども、どうも、いつでも聴ける、音源が手に入るようになると、逆に、いつでもいいや・・・っていう気になっちゃったりしてね。 ・・・で、30年が過ぎた・・と。

今、改めて聴くと、イントロがポリスの「見つめていたい(Every Breath You Take)」だな・・・・とか、新たな発見があったりしてね。
・・・というか、ネット調べると、タイアップドラマのプロデューサーであった亀山千広氏の要望でこうなったという確信犯だったようですね。


坂井さんのボーカルも、まだまだ初々しい。
坂井さんのボーカルは、その後もずっと変わらない・・・っていう認識でいたけど、それでも、後年の堂が入ったボーカルとは明らかに違うな。
ただ、コーラスで参加していたという、大黒摩季、姐さんは、よくわかんなかったですね。

なにより1993年頃には辟易していたビーイング系のサウンドも、この頃はまだ新鮮でしたねぇ。

2007年に40歳という若さで亡くなった坂井泉水さん。もし今も生きていれば、つい先日54歳になったばかりだったはず。。。。。



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GET BACK IN LOVE / 山下達郎

1988_05_Get Back In Love_山下達郎


今回の1曲セレクトは、「GET BACK IN LOVE」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル    GET BACK IN LOVE
・アーティスト  山下達郎
・作詞      山下達郎
・作曲      山下達郎
・編曲      山下達郎
・リリース日   1988年4月25日
・発売元     ムーン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   18.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1988年5月30日~7月18日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「海岸物語 昔みたいに・・・」主題歌

既に書いててもおかしくないのにまだ書いてなかった曲。 
いや、実質15年も書いてる1曲セレクトなんで、最近書いてる1曲1曲、すべてにおいて「既に書いててもおかしくない曲」と言ってもいいわな。
もちろん、今回引っ張て来た曲も、そういう曲の1曲だわなぁ。

山下達郎 「GET BACK IN LOVE」

オリコン的に言えば、実質的な達郎氏のブレイク曲、あの「RIDE ON TIME」以来のシングルベストテン入り曲。

・・・って書くと、きっと噛みついてくる方がいるかもなぁ。。

Wikipediaの「山下達郎作品一覧」の「シングル」を見ると、この「GET BACK IN LOVE」よりも前にあの「クリスマス・イブ」があり、オリコン最高位1位とある。
これは、オリコンから発行されている「チャートブック」でもそうですね。

ところがどっこい、「クリスマス・イブ」は発売こそ、「GET BACK IN LOVE」よりも前(83年12月)ではあるものの、「GET BACK IN LOVE」がリリースされた88年4月時点では、まだベストテン入りしていない。88年4月時点では、86年12月に記録した21位が最高位だった。

だから、年代順に追いかけてくると、この「GET BACK IN LOVE」が、シングルとしては「RIDE ON TIME」の次のオリコンベストテン入り曲となる。

ついでに言えば、「ザ・ベストテン」での初のベストテン入り曲でもあったわけですね。

・・・と書くと、またまた「RIDE ON TIME」は? と噛みつかれそうだけどねぇ。。。
「RIDE ON TIME」はザ・ベストテンでは最高11位止まり。 ベストテン入りしてなかったのですよね。
オリコン最高3位まで行ったこの曲が、「ザ・ベストテン」ではなんでベストテンか入りできなかったのか。たしかに謎っちゃ、謎なんだけど(一説によると、はがきリクエストが弱かったからのようだが。。)、ここでは詳しい話は割愛しますわ。

それにしても、80年代がリアルタイムで経験されていなかった方には、この曲が2曲目のシングルベストテン入りっていうのは、もしかすると意外に映るかもしれない。

確かに、アルバムではリリースのたびに大ヒットを記録していたわけだし、そういう意味ではすでに超一流のアーティストでしたからね。

その辺が、80年代という時代の、いわいるヒットチャート的な特殊性が分かったりするかもなぁ。

いわいるゲーノー的なあっち側陣営と、アーティスト的なこっち側陣営の差。

80年代は、ヒットチャートはまだ「あっち側」的なものという性格が強かったんだよね。

そんな状況だがゆえ、達郎氏本人もしても、シングルはあまり重視してなかったんじゃないか。 自身はアーティストであり、ゲーノー人ではないという意識とでもいうのかなぁ。

それは、当時のワタシでも感じましたね。 だから、この曲がベストテン入りしてきたときは逆に、驚いたくらいで。

なぜもこのタイミングでオリコンベストテンなんだろう? と。

まあ、そんなことを書くまでもなく、やっぱりドラマ主題歌だったのが大きかったよな。
TBSの「海岸物語 昔みたいに・・・」っていう、いわいるトレンディドラマの走りような、おしゃれなドラマの。

ドレンディ・ドラマとおしゃれなシティ・ポップスという組み合わせ。 ヒット条件としては鉄板だったからなぁ。
シングルを重視してなかった達郎氏といえども、ベストテン入りは必至だったわけなんだよね。

ちなみに、達郎氏のドラマ主題歌としては、この曲の6年前に同じTBSドラマ主題歌だった「あまく危険な香り」があるけど、こちらはベストテン入りを逃している。
それだけ6年間の間でドラマ主題歌の注目度が上がってたわけですね。

もちろん、ヒット必至のドラマ主題歌だからといって、曲のクオリティが下がっているわけではない。
ただ、この手のシティポップスって、当時の私は、あまり得意じゃなかったんだよね。

得意じゃなかったというよりも、解釈できなかったといった方がいいのかなぁ。 88年時点から見てこの曲のサウンドってもろ洋楽的だったじゃん。いや、個人的には、そう感じたんだよね。
洋楽的AORっていうのかなぁ。

もしかすると、あの頃が一番洋楽的サウンドを解釈できなかった・・というか、体が拒否ってたような記憶があるな。

今思えば、まだまだ子供だったんだよね、私自身。 19才前っていう、大人でも子供でもない微妙な頃だったしなぁ。 まだまだ子供でいたいなんて思ってたのかもしれない。
だから、聴く音楽といったら、分かりやすい曲に走りがちだったし。

この曲を聴いて、体が拒否ってたっていうのも、大人になりたくない・・・っていうワタシ自身の思いからだったのかもな。

もちろん、今はそんなことなんて全くない。むしろ、この手の「大人」の香りのするポップスをもっと聴きたい気分でいっぱいですよ 
と、同時にあの当時、もっときちんと聴いてこなかったのか、あの当時の私に「喝」を入れたいと思えたり。。。




これ、アメリカのDJがアップしてきてる動画なんだよね。
ここのところ達郎氏や竹内まりやさんがシティポップとして、向こうで人気が出てるっていうのは、こういうところでも分かるな。
音楽的クオリティが高い曲であれば、日本の曲であろうと向こうでも支持される。それがこの動画のアップ主からもわかりますね。
ただ、ジャンルがFunk、Soul Popとなっているのがちょっち笑えるが。。。 
向こうの人には、Funk、あるいはSoulっぽく聴こえるんだねぇ、この曲。

いずれにしても、この間【キニナル曲】で書いた、Official髭男dismの「パラボラ」同様、今後のJ-POPのグローバリズムに向けての足掛かりとなっている1曲なんじゃないかな。この曲も。


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赤い衝撃 / 山口百恵

1976_12_赤い衝撃_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「赤い衝撃」山口百恵です。

まずはデータでする。

・タイトル      赤い衝撃
・アーティスト    山口百恵
・作詞        千家和也
・作曲        佐瀬寿一
・編曲        馬飼野康二
・リリース日     1976年11月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数   50.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1976年12月13日〜1977年1月31日付


あー、やっとここまで書けた。。 毎度毎度、ここまで書くまでが長いのよ。
頭の中ではあれこれ考えてるんだけど、なかなか筆が上げらけない。 
今回も書こうと思えば、昨日のうちに書き始めてもいいところ、結局ここまで来るのに1日かかっちまったわい。
あー、非効率。

それもこれも、今回引っ張ってきた曲のおかげなんだよなぁ。
今回引っ張ってきた曲、今となっては音源も手元にあるんで、頻繁に聴いてはいるんだけど、リアルタイムでは聴いてなかったからなかなか書き出しが浮かんでこなかったんだよね。

その曲とは、 山口百恵「赤い衝撃」

売り上げ50万枚を上回り、百恵さん中期の代表曲の1曲といっても過言ではないこの曲。 しかもあの「赤いシリーズ」の同名タイトルドラマ(1976年11月〜1977年5月放送)の主題歌でもあったわけで。 おそらく私よりちょっと上の方は、ほとんどの方はリアルタイムで聴いてたんだろうなぁ・・・と思う。
だけど、私はまだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったからなぁ。 

1976年といえば私は7才。小学1年生。だから、世代的に微妙なんだよね。

年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいる方は、「赤いシリーズ」も一緒になってみてただろうし、だからこの曲もリアルタイムで聴いてた方もいるでしょうね。 
私の一つ上の森口博子さん、二つ上の原田知世さんはともに、リアルタイムでドラマを見てたしこの曲も大好きだったって言ってるしさ。

でも、一人っ子のワタシは、当時は全く知らない世界だったからねぇ。赤いシリーズもリアルタイムでは見てなかった。
「赤いシリーズ」を制作していた大映ドラマっていえば、ワタシ的にゃ、「スチュワーデス物語」や「少女に何が起こったか」なんかのTBS火20時ドラマや「スクールウォーズ」だったからさ。 一世代後なんだよね。

だからさ、正直言えば、この「赤い衝撃」もリリース年が、最近まで今一つあいまいで覚えてたんだよね。

うん、1976年じゃなくて、1975年リリースだとばっかり思ってたの。

そう覚えてたのは、この曲の曲調もあったんじゃないかなぁ。。と思うんだよな。 

1976年11月リリースにしては、今一つ垢抜けないんだよねぇ。 アイドルとして同時期にヒットしてたのが、ピンク・レディーの「ペッパー警部」ですわ。

あの曲の斬新さから比べると、それよりも1年前の・・・っていうイメージが拭えないんだよなぁ。

そもそも大映ドラマってVTRが主流になり始めてた当時のドラマの中にあっても、フィルムドラマだったしね。 テレビドラマというよりかはテレビ映画というところが強かったかもしれない。それは、80年代に入ってからもそうで、そんなところからも少し古さは拭えなかったわけで、それは、主題歌のこの曲でもそうだったんだろうな。

まあ、作詞者の千家和也氏も作曲者の佐瀬寿一氏も、どっちかといえば70年代前半というイメージの方たちだったし、曲調に少し古さも感じるんだろうね。

古さっていうのは、メロディラインというよりは、実際のサウンドなんだろうな。特に音質。 いや、音場っていうのかなぁ。 実際のレコード音源の音の奥行だよね。

70年代って中盤頃までって、音に奥行きがない曲が多いんだよね。なんか、リバーブもかかってない狭いスタジオの中で録音したような、立体感がない平面的な音というかさ。個人的にはそういう音にどこか古さを感じるんだよなぁ。

そんな奥行きがない音から、立体的な奥行きがある音の曲が増えていったのが、ちょうど76年の後半から77年頃じゃないのかなぁ。 この当時のヒット曲をいろいろと聴いてるとそんな気がする。 78年頃はヒット曲のほとんどが奥行きがある音になってるもの。

では、この赤い衝撃はどちらなのかといえば「前者」なんだよね。 まあ、最近のリマスターされた音源は、当時よりも大分音質が改善されて奥行きのある音になってるけど、当時のシングルレコードの音は平面的でボコボコな音質だもんね。


でも、そんな古さを隠せえない曲調のこの曲だけど、結果的には50万枚オーバーだったわけで売り上げを見る限りは成功だったんだよね。

ここでも何回も書いたけど、70年〜80年代ごろまで大ヒットの目安として売り上げ50万枚があったんだよね。

70年代アイドルにとって、この50万枚っていうが一つの「壁」になっていたのよ。 

この50万枚の壁に、同じ中三トリオだった桜田淳子さん、森昌子さん、新御三家の郷ひろみ氏、野口五郎氏は大分苦しめられてたからなぁ。

そこから見ると、50万枚オーバーを5作もってる百恵さんはやっぱり別格だったんだよな・・・っていう印象が強い。

ただ、そんな百恵さんでもいつでも50万枚を突破できたわけではなし、デビュー以来から見ると、この「赤い衝撃」は、74年の「冬の色」、76年の「横須賀ストーリー」に次ぐ、3作目の50万枚突破となる。

「赤い衝撃」は、百恵さん主演としては赤いシリーズ第4作目のドラマだったんだけども、主題歌のタイトル曲としてリリースされたのは、この曲が最初なんだよね。

もちろん、それ以前の「赤いシリーズ」の主題歌もレコードとしてはリリースされているけど、いずれもシングルのB面としてのリリースだったわけで。

この曲の前の「パールカラーにゆれて」のリリースが9月。 当時の3か月ローテーションリリースから見ると、次のリリースは12月だったわけなんだけども、1か月前倒して11月21日のリリース。 つまりは臨発的なリリースだったわけだけど、リリース月を前倒ししてまでローテーションをかえたってことは、それだけ当時の「赤いシリーズ」の人気がうかがえるんぢゃないのかなぁ。

ちなみに、この「赤い衝撃」の次のシングルが「初恋草紙」って曲なんだけど、この曲のリリースが77年1月。
まだ、この「赤い衝撃」のヒット中のリリースだったもあり、すっかり影が薄くなり、売り上げが全く伸びなかったという伏線もあったわけで。。
もっとも、当時のドラマは2クールが通常だったわけで、「初恋草紙」リリース後もドラマが続行されていたこともあって影が薄くなったということもあったのだけど。。。
この「初恋草紙」についてはまだいずれ。




ところで、TBSで放送されていた「赤いシリーズ」。この次の年の赤いシリーズ「赤い絆」の主題歌だった「赤い絆〜レッドセンセーション」は、だからTBSの歌番組でしか歌われていなかったはず。
さらに言えば「ザ・ベストテン」でぐらいしか歌われなかったと思う。
 そこからすれば、この「赤い衝撃」もTBS以外の歌番組では歌われてなかったんじゃないのかな。
もっとも、まだ「ベストテン」は始まっておらず、TBSの歌番組といえば「ベストテン」の前番組だった「トップスターショー」や「サウンド インS」などしかなかったと思うけど、「トップスターショー」には百恵さんは一度も出演してなかったようなんで、この曲も歌われてなかったはず。・・ということは、テレビではこの曲歌われてなかったんじゃないのかな。
Youtubeにこの曲の「ヒットスタジオ」なんかの歌番組動画が上がっていないのはそのせいのはずよ。

つまりは、この曲、ドラマとせいぜいラジオの歌番組だけで、ここまでヒットしたんだよね。 当時のアイドル曲としては異例なヒットの仕方だったんぢゃないかな。



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