かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

チューリップ

魔法の黄色い靴 / チューリップ

1972_06_魔法の黄色い靴_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「魔法の黄色い靴」チューリップです。

まずはデータから

・タイトル     魔法の黄色い靴
・アーティスト   チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       木田高介
・リリース日    1972年6月5日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位  98位
・売上げ枚数    0.2万枚

4日土曜日、東京国際フォーラムで行われた、チューリップのデビュー50周年コンサートに参戦した。

正直、前もって参戦しようとは思っていたわけではないんだけどね。。。
今年の初め、キョンキョンの40周年ライブの中野サンプラザのチケットを獲ろうと、「ぴあ」のサイトを見ていたら、たまたま、チューリップ50周年コンサートの告知が目に入ったものだから。
それがどうも気になりまして、コンサートに行ってみようかと、チケット予約してみたら取れたんですね。。。

・・なんて、なんとなくチケット予約してみた‥のような書き方だけども、もちろん、以前から1度はチューリップのコンサートを見てみたい・・という思いはずっとあった。

これもなんかの縁・・・だったのかもな。

それ以前に、チューリップのメンバーも財津さんをはじめ70代の方が多くなったわけで、もしかすると、この機会を逃すと、もうコンサート見れなくなるかも・・なんていうのも頭の片隅にはあったのも確か。

でも、コンサート参戦してみて、よかったですわ。アットホームな雰囲気に包まれて。
個人的には、年齢的に70年代の「コンサート」の雰囲気って知らないんですよね。。 でも、その一旦も味わうことができたし。。。

ま、これに関しては、また後日、ライブレポにまとめようか考えています。



そんなわけで、今回の1曲セレクトは、やっぱチューリップの曲を持ってきたい。
・・となると、タイミング的に、やっぱし、丁度50年前にリリースされた、メジャーデビュー曲のこの曲となりますよね。

「魔法の黄色い靴」。

チューリップの曲は、曲数は多くないけどこれまでも何曲かは書いた。けど、デビュー曲であるこの曲は、まだ書いてなかったんだな。。
これまでは、なかなか書くきっかけがつかめなかったのもあるかもしれないな。

リリースは1972年6月5日。 今からちょうど50年前になる。

当時のメンバー、 Key、G 財津和夫、Key、G 姫野達也、G 安部俊幸、B 吉田彰、Dr 上田雅利 

メジャーデビュー当時の、いわばオリジナルメンバーだ。


ワタシは、この時、2才9か月。 さすがにリアルタイムじゃ聴いてないなぁ。 

個人的に聴いたのはいつだろ? 

そうそう、この曲がダイドー「ブレンドコーヒー」のCMに起用され、「虹とスニーカーの頃」や「青春の影」とのカップリングで新たに8cm CD がリリースされた1993年だ。

フジテレビ深夜に放送していた「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」から、「青春の影」にめっちゃのめりこみ、音源が欲しい・・と思っていた時に、丁度シングル曲、3曲がセットになった、「お得盤」ともいえる、この8cm  シングルCDがリリースされたのよ。すぐに買ったな。

ちなみに、このシングルCDは、オリコン最高36位。11.7万枚の売り上げを記録している。
72年のオリジナルシングルの50倍以上の売上げですわ。

もちろん、すでにチューリップというバンドのネームバリューは、72年にリリースされた当時と比べ物にならないくらい大きなものになっていたし、CMというメディアミックスの効果もかなりあったわけだから、単純には比較できないのだけど。。。

でも、個人的に「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」には、大分影響されましたね。
高校生だった80年代後半から、始めていたんだけども、ヒット曲を現在から遡って掘ってみようと本格に70年代の曲を掘り返し始めたのも、この番組からだったし。。

で、60年代からの音源がある程度揃ってくると、時代ごとの一連のヒット曲の流れがや、曲の傾向が見えてくる。

でも、そんな一連の時代の流れの中で、少し毛色が違った曲が見えてきたりするんだよね。

この「魔法の黄色い靴」もそんな1曲だったような気がする。

1972年って、時代の転換点の年のように思えるんですよね。 歌謡曲という面ではなくて、フォーク・ニューミュージックという面から見るとだけど。。。

大まかに見ると、当時の主流は60年代末からの流れを受けてフォークといっても良かったかもしれない。吉田拓郎氏の「結婚しようよ」が大ヒットしていた時代だ。

けど、一方では、その後のニューミュージックと呼ばれる新たな音楽の「芽」が出始めた年でもあるんですよね。

吉田拓郎氏の対抗馬として、井上陽水氏に注目が集まりだし、アリス、ユーミンがデビューしたのも72年ですわ。

後のいわいるニューミュージック界の雄と言えるアーティストたちがデビューした年。 そんな中に、チューリップもいたわけですね。

もちろん、アリスもユーミンも最初からビッグヒット飛ばしたわけではない。 ユーミンのデビュー曲「返事はいらない」はオリコン100位にも入らず、本人曰く300枚しか売れなかった・・・なんて言ってたりしてますもんね。

チューリップのこの「魔法の黄色い靴」は、かろうじてオリコン100位に入ったものの、最高98位。
TOP100ギリギリ。しかも1週しかランクインしていない。

結局さ、まだまだ時代が追いついていなかったってことなんだよね。

比較的複雑なコード進行と、トリッキーな転調を伴う、この「魔法の黄色い靴」は、確かにアコースティックキターがメインの一聴すると、フォークのように聴こえるんだけども、それまでの60年代からのフォークとは違う。

そもそも、当時の主流だった拓郎氏や、社会派フォークのように人生観や社会風刺を表に出した曲ではない。 政治色がないんですよ。

でも60年代から70年代へと時代が変わったように、社会も変わっていたわけだよね。

モーレツからビューティフルへ。そんな時代の価値観の辺の中で音楽の価値観も変わってきていたわけで。

ただ72年という段階では、少なくとも音楽に関しては、まだ前時代の価値観が主流だったってことでしょうね。

そんな時代の流れの中で、チューリップも、まだ立ち位置が確立できなかったじゃないか。

バンドではあるけど、シャウトするロックではない。かといって上記のようなフォークでもない。

ポップ・ロック。

当時はそんな立ち位置のバンドは、少なかったわけですわ。

田家秀樹氏の「読むJ-POP」によると、「ネオGS」という呼び方で、際物扱いだったようですね。

ニューミュージックという言葉が出てきたのは、1973年頃。
1972年当時には、少なくとも日本の音楽界ではこのコトバは使われていなかったわけで。
ロックでもない、フォークでもない彼らに当てはまる音楽のジャンルは、当時にはなかったわけですわ。

ビートルズを下敷きにしたバンド。 林哲司氏の「歌謡曲」には、そう書かれたりするけど、確かにそうなんですわ。

この「魔法の黄色い靴」を聴く限りビートルズの香りが強い。 

たしかにビートルズ好きを公言するミュージシャンは、それまでもあまたいた。
当時、時代を席巻していた吉田拓郎氏もその一人だったはず。 でも、ここまであからさまにビートルズの匂いの強いアーティストは、あまりいなかったように思うんだよね。

口が悪い方たちからは「ビートルズのコピーバンド」とも言われていたようだ。

ただし逆な見方をすれば、それまで無かったような空気感をまとった曲であることは確か。
それは、あの当時のフォーク・ニューミュージックを発売順に聴いていくと、たしかに、この曲とか、ユーミンの「返事はいらない」は、全く違う空気を感じるんだよね。


それまでの時代・・・1960年代・・・・の空気感とは全く違った空気を感じる曲。
リリースは1972年だけども、音楽における・・・いやいや、ニューミュージックという70年代を彩る新たな音楽の地平・・・は、この曲から始まったんじゃないか・・・。 後追いで音楽を聴き始めた世代のワタシとしては、そう思えたりするな。

上記の、林哲司氏の「歌謡曲」に、この「魔法の黄色い靴」に関して、

僕は、歌謡曲でもないフォークでもないポップスがやりたかった。
(当時この「魔法の黄色い靴」を聴いて)  やられた・・・と思った。

とある。

この曲に感化されて、林哲司氏が、後の竹内まりやさんの「セプテンバー」や松原みきさんの「真夜中のドア」など、70年代終盤のニューミュージック・・・今でいうシティポップ・・・を作曲する原動力になったのなら、言ってみれば今をときめくシティポップの「祖」といっても過言じゃないんだよね。




   



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ブルースカイ / チューリップ

1977_07_ブルースカイ_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「ブルースカイ」チューリップです。

まずはデータです。

・タイトル     ブルースカイ
・アーティスト名  チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       チューリップ
・リリース日    1977年6月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  25位
・売上げ枚数    12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

ここ暫く梅雨空が続いていたけど、昨日、今日は、比較的カラっと晴れましたわな。
おかげで、溜まってた洗濯物が乾きましたわ。
そんな天候に誘われ、ひっさびさに散歩に出たりして。 

IMG_20210711_154849


もろ「夏」の空を思いうかけべるような、広がるスカイブルーの空。気持ちいいですな。

今日、南九州が梅雨明けしたというニュースが流れていたけど、関東の梅雨明けも、もしかするともうすぐかもしれないですね。


・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、今日の広がる青空のような、こんな曲を持ってきましょうか。

チューリップ「ブルースカイ」。

そのまんまやん。。。。。


あざとい方ならば、前回がオフコースの「Yes-No」だったんで、今回はチューリップですかい

・・・とか思われるかもしれないけど、当たりです。。。。

70年代終盤から80年代前半にかけて、比較的近い位置にいたような、チューリップとオフコースだったんで、オフコース書いた後、チューリップを持ってこよう・・・なんて、ちょっと前から機会をうかがっていたわけなのよ。。。

前回のオフコース「Yes-No」では、無駄なところをはぎ取り、計算された無機的な曲調が当時は苦手だった。。

・・・と書いたんだけども、チューリップのこの曲は好きなんだよなぁ。

前回でも対比的にチューリップ、いや財津和夫氏の紡ぎだす、有機的で優しいメロディが好きだ・・・と書いたんだけども、この曲でもそんなところが感じられるのがいいんだろうな。個人的には。

でも、この曲って、ちゃんと聴いたの、ごくごく最近なんだよね。


チューリップ12枚目のシングルとして、1977年6月にリリース。 

ワタシは、まだヒット曲の世界に足を踏み入れていない頃ですわ。

存在を知ったのは、実は、自分のランキングを作って居る時なんだよね。 1992年くらいだったと思う。
自分のランキングで、1977年夏ごろのランキングを作っている時、チューリップでそれまで知らなかった曲が、チャートを上がってきたのよ。 それがこの「ブルースカイ」。

当時の時点ではチューリップと言ったら、「心の旅」「虹とスニーカーの頃」「サボテンの花」「青春の影」くらいしか知らなかったんだけど、そんな所にいきなり「ブルースカイ」って曲が、オリコンで30位圏内に上がり、結果的にワタシのランクでも最高20位まで上がったんで、ずっと気になってたんだよね。

そそそ、1992年時点では、まだ曲を聴かずじまいで、ずっと保留のままになってたんだよね。

あくまで個人的な趣味だけど、ランキング作成と並行して、1966年以降、つまりはG.S以降の、ロック、ニューミュージック系のヒット曲の音源集めと、音源のヒット順への整理も進めていて、それが一段落した、つい最近、そういえば、この曲があったよな・・・ということで、改めて音源を集めたわけなんですよ。

なんで、ちゃんと曲を聴いてから、まだ10年も経っていないと思う。

でも、初めて聴いたときも、ちゃんと1977年を感じたんですよねぇ。 
まあ、それ以前に1977年のランキングでこの曲を見てるし、だから、初めて音源を聴いたときも、どこかその頭があったからかもしれないけど。

正直、1978年頃からの記憶は、比較的はっきり覚えてるんだけど、それ以前の記憶は、今となっては飛びとびにしかない。

なので、正確ではないと思うんだけども、VTRではなくフィルムドラマのような、セピアではないんだけども、少し色あせたような色彩と、しゃりっとした乾いた空気の夏だったような記憶がある。

この曲を初めて聴いたときに、音質がさあ、当時の匂いだったの。 これは1977年の匂いだ・・・そんな感じがしたんだよね。

・・・なんて書くと、そんな馬鹿な・・とか思われるかもしれないんだけどさ。いつかも書いたことがあるんだけど、不思議なもので、年によって、それぞれの年の色合いがあるんだよね。独特のにおいというか。。。

あの当時は、録音技術も録音機器も日進月歩で進化していってた時代だから、そんな風に年によって、独特の音質っていうのがあったんだろうね。

そこからみると、この曲の音は、紛れもなく1977年の音を感じるんですよ。1978年でも、1976年でもない。


この曲のキモといったら、やっぱり、

♪OH! Blue Sky    Blue Sky  この空の明るさよ〜

っていう、サビ始まりの出だしのフレーズでしょうね。 

この下図のようにフレーズのコード進行に、個人的には刺さっちゃいましたね。


スクリーンショット (5)



この曲キーはGであるのにサビの2つの目フレーズである

♪ なぜ僕の〜 ♪ で、Cmにマイナー転調するコード進行と、

♪ 映してはくれない〜 ♪ で Cdimっていうテンションコードに行くコード進行がいいんですわ。

特に個人的には、このディミニッシュコードの響きって好きなんですよね。

どことなく厳かな雰囲気になるでしょ。 教会で賛美歌を聴いているような。

チャゲアスの「SAY YES」の 

♪ 愛には愛で 感じ会おうよ〜 ♪ っていうサビの部分で A♭maj7から Bdimに行くコード進行の響きなんてさ、厳かさを感じるじゃん。

まるで、クラシックを聴いてるような、賛美歌を聴いてるような、ちょっと不思議な感覚になる。
そこに楽曲の深みを感じたりするのよ。

それは、この「ブルースカイ」も同じで、このフレーズのこのコード進行があることによって、曲に深みを持たせてくれていると思う。

なんていうのかなぁ、このフレーズの歌詞の通り 空の明るさ、空の青さを際立たせてくれている・・というかね。

これに対して、サビに続く、Aメロ、Bメロは平易で、インパクトにちょっと乏しい。 まあ、ポップではあるけどね。

この曲、1975年2月リリースの、あの「サボテンの花」以来の10万オーバー、オリコンでベスト30入りというスマッシュヒットとなったのに、それ以上のヒットにならなかったのは、一重に、Aメロ、Bメロの平易さにあるんじゃないのかなぁ・・・と思ったりして。

ここ、もうちょっとキャッチーだったら、もう少しヒットしてたんじゃないか・・とか思ったりしてね。

そんなところから、この曲は「サビ」の曲である、と言い切れるんじゃないかな。

曲全体を通してサビの繰り返しが多いのは、財津さん自身、それが分かってて、そういうメロディ構成にしてるのかもなぁ。

まあ、そういいたくなるほど、抒情的なサビのメロディ、コード進行は刺さるし、この曲のキモだと思いますわ。




いや、まてよ、リリースの時期的に、ジグソーの「スカイハイ」とタイトルのイメージがかぶるな・・・ってことはないかなぁ。。。
それとか、ヒデキの「ブルースカイブルー」とか。。。

んな人はいないか。。。。





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銀の指輪 / チューリップ

1974_03_銀の指輪_チューリップ








今回の1曲セレクトは、「銀の指輪」チューリップです。

まずはデータです。

・タイトル     銀の指輪
・アーティスト  チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       チューリップ
・リリース日   1974年1月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  13.5万枚

えー、1曲セレクトを書くために毎日タイムスリップしてる気分になってるワタクシですが、今回は、またまた70年代へ遡って来ましたわ。
 昨日は80年代を代表する「バンド」って感じで「チェッカーズ」だったんで、今回は70年代のバンドの代表選手と言う感じで「チューリップ」なぞ一つ。

うん、これまでもチューリップの曲はちょぼちょぼ書いたんだけど、今回は74年の「銀の指輪」でいきましょうか

と、言っても、この曲がヒットしてた74年の今頃というと、ワタクシは4才。 当然、リアルタイムでは聴いてなかった・・・・・ハズなんだけどもね。 この曲、初めて聴いた時、妙に懐かしかったんだよな。無意識のうちにどっかで聴いてた様な・・・。

当時と言えば、個人的には「アルプスの少女ハイジ」だったはずなんだけどなぁ。。。。

ま、たしかに、この曲自体、どこか懐かしい曲調だしな。 ビートルズっぽくもあり、モンキーズっぽくもあり・・・兎に角60年代のバンドサウンドをいろいろと混ぜこぜしたようなサウンドなんだよね。

だからなんだろうねいつか何処かで聴いたような・・・になんて思えたのは。 
いつかも書いたけど、当時、うちのオヤジは、日本の曲より向こうの曲の方が好きで、カーラジオからは、いつもこの手の60年代サウンドが流れてたんだよね。だから、ワタシ的にも無意識のうちにこの手のサウンドが染み込んでたりするんですよ。

ちなみに、ビートルズフリークのチューリップって言うのは有名だけど、この曲を含め、同時にリリースされたアルバム「TAKE OFF」はロザンゼルス録音。

ま、この「銀の指輪」のシングル盤のジャケットにもハリウッド・サンセットスタジオ録音って書いてありますな。

だからなのか、この頃のチューリップにしては珍しく、音が濡れてない。カラッと乾いてるんだよな。その辺りもこの曲の特徴かもしれない。


ボーカルは、「心の旅」以来続いての、姫野達也氏。 うむ、チューリップというと、財津和夫氏のボーカルって真っ先に浮かんできちゃったりもするんだけど、初期は姫野氏の方がリードボーカルは多かったですよね。

でね。姫野氏のボーカルを聴くと、ボーイソプラノっぽいよなぁ。甘い声っちゅうのかな。
今でいえば、「草食系」っぽいんだよね。

最近はバンド系も「草食系」のナヨッとした声質のボーカルが多いけどさぁ、そうみるとこれは今に始まった事じゃないんだよね。
 考えてみれば、チューリップと同時期でも、NSP とか ふきのとう とか、BUZZ とか、ボーイソプラノっぽい今でいう「草食系」っぽいボーカルが結構いたんだよな。

でもなんで何だろうねぇ、当時のボーイソプラノ系のボーカルって気持ち悪くないんだよなぁ。
今の「草食系」のボーカルって、なんかさあ、気持ち悪りぃんだよな。「ちゃんとメシ食って、腹から声出さんかい」なんていいたくなるんだよねぇ。




出来れば、ヒット当時の映像があればベストなんだけど、何分42年前だしな。 それでなくても当時は、ほとんどテレビで演奏してなかったろうしね。2008年のNHK「SONGS」でメンゴ。
それでも、7年経過してるんだよね。 その間、一昨年には動画では映ってる、リードギターの安部俊幸氏が亡くなってしまいましたね。 



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虹とスニーカーの頃 / チューリップ

1979_09_虹とスニーカーの頃_チューリップ






今回の1曲セレクトは、「虹とスニーカーの頃」チューリップです。

 まずはデータです。

・タイトル    虹とスニーカーの頃
・アーティスト  チューリップ
・作詞      財津和夫
・作曲      財津和夫
・編曲      チューリップ
・リリース日   1979年7月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   42.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年10月1日〜11月19日付


 いや〜、今までチューリップの曲は、何曲か書いてきてたんだけど、まだ、この曲を書いてなかったんだねぇ。。

 「虹とスニーカーの頃」

 ちょっと迂闊だったな。 なにせ、チューリップとしては、あの「心の旅」に次ぐ、ヒットの曲だもんなぁ。


 うーん、今の時期になると、頭のどこかで、書こう書こうと思ってたんだと思うけど、いつの間にか忘れてたんだな。

 でも、ま、丁度いいや。 ここのところ、ニューミュージック系でベストテン級の曲を暫く書いてなかったからなぁ。 

 この曲を初めて聴いたのは、いつだったろ? 少なくともヒット当時ではなかったな。
 ・・・っつうのも、当時、チューリップってテレビに出なかったじゃん。1979年当時、ヒット曲を「仕入れる」情報源っていったら、ワタシの場合、「ベストテン」だけだったからさあ。
 テレビに出てくれないと、自ずから、曲を知らないまま・・・になってたのよ。


 うーん、初めて聴いたのは、いつだったろ? ちょっと忘れたな。
 少なくとも、千葉に越してきて、ラジオ小僧になってからだよなぁ。

 でも、レコードは、かなり昔からウチにあるから、なんかのラジオで聴いたんだろうね。。

 なんかさ、この曲って、のっけから、引っ掛かりがあるメロディに「情報」がいっぱい乗っかった、感じの曲になってるじゃん。


 ♪ わーがまーまーはー (Drum ドドド ドド ドド) (Chorus オーオーオー)
おとこのー つみー  (Drum ドドド ドド ドド) (Chorus オーオーオー) ♪

 みたいなさあ。

 なんか、そんな曲の作りが面白かったんだよな、きっと。 いや、今でも、ここのサビの部分は、好きですよ。

 兎に角、引っかかってくるじゃん。 

  まあ、それより何より、この曲ってさ、1979年の香りがいっぱいなのよ。

 うん、1979年の香りってどんな香り? って具体的に言われると困っちゃうんだけどさあ。

 うーん、なんていうのかなぁ・・・、とにかく70年代の香りよ。

 まだ、洗練されきってない・・・けど、音楽への情熱は伝わってくる・・・みたいな。

 うん、商業的じゃないんだよね。かといって、ゲーノー的でもない。
 自由な雰囲気っていうのかなぁ・・・。





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心の旅 / チューリップ

1973_08_心の旅_チューリップ






今回の1曲セレクトは、「心の旅」チューリップです。

まずはデータでーす。

・タイトル    心の旅
・アーティスト  チューリップ
・作詞      財津和夫
・作曲      財津和夫
・編曲      チューリップ
・リリース日   1973年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月30日〜10月15日付

 さて、今回セレクトした、この「心の旅」、まあ、もう、知らないヒトはほとんどだれれもいないですよねぇ?
 それだけ、すでに日本のヒット曲史上としてもスタンダードだと思うし。

 おもわず口ずさんじゃいますもんね。

♪ あー、だから今夜だけは君を抱いていたい
  あー 明日の今ごろは僕は汽車の中 〜 ♪


この8小節のサビは、すでに永遠のものですわ。


でも、本人たちは、これが出るまでは結構苦労したようですよね。この曲はチューリップにとって3枚目のシングルなんだけど、前2枚は期待されていた割には、ほとんどパッとせず、リーダーの財津和夫は、この曲が売れなかったら、故郷の博多へ帰ろうと思ってたらしいですしね。

 最後のヤケクソではないけど、一か八かでリリースしたのがこの曲らしいですわ。
 ある意味「賭け」だったようだけど、そのあとの活動が物語っているように、その「賭け」に勝ったわけだよね。

 ただ、火がつくまではかなり時間がかかったわけで・・・。

 この曲のリリースは、1973年4月20日。もちろん、当時は売れっ子アーティストなんかではなかったチューリップだったから、充分なプロモーション宣伝費が付くわけでもなく、全国キャンペーンを展開して、足で稼いだヒットだったようですね。

 ・・・ってかくと、とても浪花節のせかいなんだけど、昔も今も売れるまでは大変だったようなんでよねぇ。

 それいえ、ヒット傾向も自ずからジワリ上昇型ヒットとなるわけだけども。

 でも、その成果が実って、リリースから約5ヵ月後の9月10日〜17日付で1位獲得の大ヒットになかったんだよねぇ。

リリース後5ヶ月かかっての1位だからねぇ。。ま、いまではあんまり考えられないパターンだよね。

 でも、これもヒットチャートの醍醐味のひとつなんだけどねぇ。


 その後の、チューリップの活躍は、これまで何回か書いてきた通りなんですわね。

 それでも、やっぱり原点はこの曲に行きつくという事には絶対に変わりえないことなんだけどさ。



テレビ神奈川の伝説的なミュージックプログラム「ヤングインパスル」から。
この曲は、他にも動画、結構落ちてるんだけど、ヒットの「原点」を考えると、ヤングインパルスは、外せないよな・・・ということで、この動画を。
 それにしても、よく、こんなVTR保存してましたよねぇ。 前から書いてるように日本のロック、ニューミュージックシーンの歴史を語るには欠かせない番組なわけで、是非、VTRは保存して欲しいなぁ。



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青春の影 / チューリップ

1974_06_青春の影_チューリップ







今回の1曲セレクトは、「青春の影」チューリップです。

 まずはデータでーす。

・タイトル       青春の影
・アーティスト     チューリップ
・作詞         財津和夫
・作曲         財津和夫
・編曲         チューリップ
・リリース日      1974年6月5日
・発売元        東芝EMI
・オリコン最高位    46位
・売上げ枚数      7.3万枚

 ジャンルは違うんだけど、この間、伊藤咲子の「ひまわり娘」を紹介した時に、今でもよく知られているのに、当時はあまり「売れていなかった」曲っていうのは、意外と多いんだねぇ。
 特に70年代の曲では、エバーグリーンといえる曲はあまたあるわけで、今でも、ほとんど誰でも知っている曲なのに、実際、当時、「大ヒット」してたかというと、「さにあらず」って曲、結構多いんだよね。

 例えば、3ヶ月くらい前に書いた、井上陽水の「夢の中へ」なんか、ほとんど誰でも知っているのに、実際はオリコン最高位17位だったりね。

 こうみると、オリコン最高位とか、セールス枚数が多い曲が必ずしも、後世に残るような「エバーグリーン」となりうるとは限らないってのがよくわかるんだよね。

 今日、引っ張ってきた、この「青春の影」って曲、いまでもよくかかるんだよねぇ。ま、それだけ今でも歌い継がれているし、知っている人も多いってことなんだろうけどね。

 いやいや、現実に、いまでも頻繁にカバーされているもんね。
 大分前になるけど、キリン「生茶」のCMに使われたり、福山雅治はアルバム「FUKUYAMA ENGINEERING GOLDEN OLDIES CLUB BAND 」でカバーしてたり、つんく♂のカバーアルバム「V3 〜青春カバー〜 」でもカバーされたりしている。

 まぁ、それだけ「名曲」といえるんだろうけど、でも、なぜか、カバーしているのが、ワタシと同年代のヒトが多いっていうのが、ちょっと不思議なんだよねぇ。

 福山は、ワタシと同い年(早生まれだから学年はひとつ上だけど)だし、つんく♂はひとつ上だしね。

・・・ということは、オリジナルのチューリップが歌っている頃は、まだ、5、6歳だったわけで、本当は知らないはずなんだけどねぇ。。。

 逆に、そんな風にどんな世代でも受け入れられるっていうのが、この曲の魅力なんだろうね。

 いやいや、実際名曲だもんね。
 
 やおら、イントロなしで

♪君の心へ続く 長い一本道は、いつも僕を勇気付けた〜♪

とはじまる、この曲は、日本ポップス史上にも残るようなラブバラードぢゃないかしらねぇ。

 どんな世代でも受け入れられる曲っていうのは、やっぱり内容的に「普遍的」なものぢゃなきゃだけだし思うんだけど、この曲は、まさにそんな感じだからなんじゃないかなぁ。

 コトバ的に、あの時代ぢゃなきゃダメという、時代背景が濃いコトバがほとんど使われていない、いつの時代でも通用するような歌詞なんだよね。

 サウンド的には、エルトンジョンの「YOUR SONG」っぽい、ピアノ、キーボードを中心としたバラード。

 いかにも日本人が好きなサウンドといえば、そうなんだけどさ、そうは言っても、財津和夫氏がせつせつと歌うこの曲には、やっぱり引き込まれちゃうんだよねぇ。


 しかししかし、こんな名曲なのに、この曲がオリコン最高位46位、売上げ7.3万枚というのは。。。。うーーーん。

 でもまあ、あの当時は、まだまだ「歌謡曲」の天下だったですからねぇ。
 テレビにもあまり出ない、地道なライヴ活動やラジオを主体としていたロック、ニュージック系アーティストにとっては、「曲のよさ」がレコードセールスに直で結びつくというのは、なかなか難しい時代だったんだよね。

 なにぶん、メディアのキングは、「テレビ」であって、テレビの歌番組のプロデューサーのさじ加減で、曲の売れ筋動向が左右される・・・という「乱暴」な時代でもあったからなぁ・・・ なんて、さぞかし、見てきたような書き方で恐縮ですが・・・。



 ワタシが個人的に、この曲を知ったのは、フジテレビで放送していた例の「19×× 僕らの思い出のメロディ」でなんだけど、あの番組で使われてた「ニューミュージックスペシャル」のVTRで聴いたのが最初だったんだよね。



 でもさあ、もう何回も書いてるけど、「ニューミュージックスペシャル」って番組、いまとなっては、日本ロック史を語る上でも、貴重な映像資料だよねぇ。

たけど、福山とか、つんく♂なんかは、どこで、こういう曲のネタを仕入れてくるんだろうねぇ。おんなじ番組見てたか!?
年代的には同じような番組見ててもおかしくはないんだけどさ。


 いや、ほんと、この番組で見られる曲って、いまとなっては貴重な曲ばっかだと思うんだよね。

 方やヤマハポプコン系の「コッキーポップ」は、VTR編集でDVDになったりしてるんだもん、「ニューミュージックスペシャル」もDVDにしてほしいよなぁ。絶対買うよ、ワタシなら。

というか、売れる売れないは別として、この番組は日本ポップス史の貴重な資料としても、映像で残しておくべきだと思うんだよね。

 ま、不定期ながら、結構長い期間放送していた番組のようだから、既に全編のVTRは残っていないんだろうけど、残っているVTRだけでも編集してほしいなぁ。


 えー、この後も、ちょくちょく、この番組のVTRで知った、曲は、いろいろご紹介して行こうと思いまする。




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サボテンの花 / チューリップ

1975_05_サボテンの花_チューリップ






今回の1曲セレクトは、「サボテンの花」チューリップです。

 まずは、データでーす。

・タイトル     サボテンの花
・アーティスト   チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       チューリップ
・リリース日    1975年2月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  19位
・売上げ枚数    12.5万枚

 時を越えてリバイバルヒットする。80年代ごろからカバーでのリバイバルヒットって頻繁に行われるようになってきたけど、最近は富に多い気がするなぁ。
そもそも「カバーアルバム」ってやつが頻繁にリリースされているし。。
  やっぱり、昔の曲の方が「メロディ」がいいし、キャッチーだからねぇ。
 リズム主体の時期ならともかく、最近のように「メロディ」が主体傾向な時期だとどうしても、「過去」の曲が恋しくなる傾向はあるのかもしれないですね。

 ただ、「セルフカバー」でリバイバルヒットした例となると意外と少ないんぢゃないかなぁ。
 たしかに、数的にはあるけどね。どうしても、その場合「オリジナル」のイメージっていうのが強くて、リバイバルの方が「バッタモン」に聴こえることが多いからかなぁ。

 その中でも、この曲は異例ですね。オリジナルから時を経ること18年。1993年に突如、財津和夫が自らカバーして、大ヒット・・・と。オリジナルの売上げ枚数をはるかに凌いじゃったりしてね。

 その理由として・・・たしかに、93年の方は、あのドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌であったりしたから、まあ、ドラマ効果だけでも充分売れるところなんだけど、曲の方をメインに考えると、オリジナルとほとんど変わらない、アレンジ、イメージ、雰囲気を18年の時を超えて持ちこんだってところもあるんでないかなぁ。

 だから、若い(といってもワタシらの年代が中心だろうね)ヒトたちには新鮮に、オリジナルを聴いてた年代には懐かしく聴けたんじゃないかなぁと思うわけですわ。

 たしかに、オリジナルの「チューリップ」のバージョンは、もうちょっと「垢抜けなさ」はあるけどね。テンポももう少しゆったり目でね。

 この曲はの設定としては、多分アパートの一室だよね。時代から考えると4畳半1間の安アパートって感じでしょうか。
 まさに、その光景が絵に浮かぶような雰囲気なんだよね。
 
 4畳半フォーク。こう言われたのは、この曲の少し前、1973年前後、南こうせつのかぐや姫なんかが代表的だけど、この曲は、「4畳半ニューミュージック」といっても過言ではない雰囲気なんぢゃないかしら。

 とかく、ニューミュージックっていうジャンルは、当初は「都会的」雰囲気、イメージがあったもんだけど、チューリップの場合、どこか垢抜けない素朴さがあるんですよね。
 そこが広く人気を得た理由なのかもしれないけどさ。

 デビュー当初は、もっとビートルズ臭かったんだけど、この曲の頃・・・というより、この曲はなんだけど、洋楽的ではなく、もっと「日本」の当時の世相そのままっていうイメージなんだよねぇ。


 ただ、その素朴さっていうのが、18年の時を越えた、ドラマ「ひとつ屋根の下」では生きているんぢゃないかしらね。
 このドラマは、その当時の月9の中にあってもやっぱり、異例だったと思う。
 あのころって、もっと現実離れした設定のドラマが多かったと思うもんね。カタカナ職業、一介のサラリーマンのくせになぜか豪華なマンションに住む・・・とかさ。

 やっぱり、そういうドラマには、こういう曲は絶対にあわないわけさ。

 だから、このドラマにこの曲をひっぱってきたヒトはエライ。素朴だけど、必ずしもダサはないって感じだしさ。

 チューリップに関しては、この季節から夏にかけて、もうちょっといろいろ書いて行きたいですね。


 最後に、「財津和夫」バージョンの「サボテンの花」のデータをば、書いておきまする。

・タイトル サボテンの花〜ひとつ屋根の下より〜
・アーティスト   財津和夫
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       財津和夫
・リリース日    1993年4月28日
・発売元     パイオニアLDC
・オリコン最高位  7位
・売上げ枚数    60.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1993年5月24日〜7月19日付 
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下」主題歌



それにしても、この曲は、リリースから、今年で丁度40年なんですねぇ。
40年前といったら、ワタシは6才。幼稚園の年長組の頃だ。
なんで、当然、この曲はリアルタイムでは聴いてない・・・・と思う。 ただ、そろそろ物心がついたころなんで、もしかしたらどっかで聴いてたかもなぁ。。。

1975年、紅茶キノコが大ブームし、広島カープが「赤ヘル」軍団で初優勝、巨人が球団史上初の最下位、フジテレビ系アニメ「フランダースの犬」が大ヒット・・・・そんな時代の曲なんですよねぇ。


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