かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

オリコン

おもいで酒 / 小林幸子

1979_08_おもいで酒_小林幸子


今回の1曲セレクトは、「おもいで酒」小林幸子です。

まずはデータですら。

・タイトル      おもいで酒
・アーティスト    小林幸子
・作詞        高田直和
・作曲        梅谷忠洋
・編曲        薗広昭
・リリース日     1979年1月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     138.3万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年6月18日〜1980年1月21日付

久々の「演歌」です。 どうもね、ここを読んでくださる方には演歌を敬遠される方が多いようで、演歌系を書くと、今一つアクセス数が伸びないんだよね。 だから140万枚近いセールスをたたき出し、ミリオンセラーの大ヒットだったこの曲も、ずっと保留のままにしてたんですけどね。

まだ書いていない曲を考えると、そろそろ贅沢も言ってられない・・ということで、「満を持して」()引っ張ってきました。

アクセス数は、年代にとらわれずアクティブな方が多いアイドルポップス系ファンには、どうしてもかなわない。なので、アクセス数を稼ぎたいときはどうしてもアイドル系の曲に頼りがちになっちゃうんだけどね。

でも、こと、レコード売り上げ枚数となると、全くパターンが逆になる。

まあ、演歌系の場合は、一度火が付くと、なかなか火が消えない超ロングヒットになる傾向が強いですからね。
昨今では「新曲」の演歌系と言うと、すっかり「下火」になってしまっているわけで、、昔は超ロングセラーになる傾向が「強かった」と言った方がいいんですかね。


・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな超ロングヒットとなった、

小林幸子さんの「おもいで酒」なぞを一つ。

小林幸子さんにとって、この曲はデビュー以来28枚目のシングル。 苦節15年にしてようやっとつかみ取った大ヒット曲となる。

演歌系には「苦節何十年」という浪花節がよく合う・・・なんてね。

28枚目のシングルとはいえ、オリコンでのベスト100入りは、ワーナーパイオニアに移籍して以来、この曲が3枚目。
今から思うと、ワーナーへ移籍したことが一つの転機になったとも言えますね。


それにつけても、この「おもいで酒」は、ご多分に漏れず超ロングヒットだったもんなぁ。

1979年1月の冬の日にリリースされたこの曲。オリコンでは半年かけて6月18日付でベストテン内に到達。
ここから、翌1980年1月21日付まで32週間、ベストテン内をキープすることになる。(うち1週は年末年始の2週間集計)

連続ベストテンキープではないけど、SMAPの「世界で一つだけの花」は32週以上オリコンでベストテン入りをしている。
いや、考えてみれば、これ以前にも連続ではなく、ベストテン入り記録では都はるみさんの「北の宿から」が35週入りしているので、 単純にベストテン入りという意味ではオリコン記録ではない。

でも、30年前の1991年に刊行された「オリコンデータ私書箱」によると、1991年当時では、最長「連続」ベストテン入り記録は、この曲だったんですよね。

いや、「シングルチャート」に限定したうえで言えば、「連続ベストテン入り」という記録では、未だに破られていないかも。。。

まあ、最近のオリコンチャートには疎いんで、もし違ってたらメンゴ。

ちなみに、「ザ・ベストテン」では、オリコンに遅れること1か月後の 1979年7月19日にベストテン初登場。 9月20日まで10週間ベストテン内をキープしたけど、9月27日に息切れダウン。ここで終わりかと思いきや、翌10月4日に、ベストテン返り咲き。再び4週ベストテンをキープしたのち、再度ベストテン圏外。 ここで終わりかと思いきや、11月8日に再度返り咲き・・・と計15週ベストテン内をキープしている。

レコード売り上げと、演歌系の得意要素である有線では強かったけど、ラジオ総合とハガキリクエストでは伸びを欠いた、総合ランクであったベストテンではやや苦戦だったわけなんだよね。

しかしさ、ニューミュージック系全盛に加え、ジュディ・オング「魅せられて」旋風の真っ只中にあった1979年夏のヒットチャートシーン。
そのなかで、週間売り上げ4万2千枚で首位と言う比較的低レベルの、ランキングの「谷間」週であったとはいえ、あの時代、演歌系でオリコン1位獲得というのは、立派だったと思いますよ。


ところでさ、最初に書いたように、ここのブログでもそうだけど、どうも演歌系と言うと敬遠される方が多いんだけど、なんでなんでしょうね。

やっぱ、演歌と言うと、ジジくさい、ババくさいっていうイメージなんでしょうかねぇ。
・・・と言うワタシも、最近の演歌は、全く触手が伸びませんが。。。。

でもさ、この曲がヒットしていた79年頃って、演歌だろうが、ムード歌謡だろうが、ヒット曲はヒット曲として、ポップス、ニューミュージック系と同一線上に感じたし、抵抗感もなく普通に聴いてたんだよね。

だから、この「おもいで酒」も「ザ・ベストテン」でも、まったく違和感も抵抗感もなく、普通に聴いてたよなぁ。

この曲のすぐ後に、「ザ・ベストテン」にベストテン入りした、森進一の「新宿みなと町」にしたって、この年の年末に大ヒットした敏いとうとパッピー&ブルーの「よせばいいのに」にしたって、全く抵抗感がなかった。

なんでなんだろうねぇ。 

まあ、それだけなんのキライも、しがらみもなく、素直にヒット曲を聴いていたっていうのが、一番の理由なんだろうけどね。

ただ、本当にそれだけなのかなぁ・・とも思ったりして。。

考えてみれば、あの頃、特に1979年頃のヒット曲って「テレビの歌番組」で歌うことを前提にした曲作りだったような気がするんだよね。

アイドルポップス系や演歌系は言うに及ばず、逆にニューミュージック系でもそういう傾向が強かったと思う。

いつだったか、ゴダイゴの「銀河鉄道999」を書いた時、テレビバージョンのアレンジがめっちゃかっちょよかったと書いたと思う。この曲だけでなく、ツイストの「燃えろいい女」だって、テレビバージョンの方がめちやくちゃかっこよかったし。 サザンの「気分しだいで責めないで」もそうだったな。

兎も角、あの当時、ニューミュージック系の人たちも「テレビ」で歌うことに抵抗感どころか、むしろかなり力を入れていたような印象が強いんだよね。

そういう意味では、ニューミュージック系も、アイドルポップスも、演歌も テレビの歌番組では、ヒット曲という所で、完全に同一線上に感じたんだろうなぁ 特に「ザ・ベストテン」ではそうだったなぁ。
最近はさ、何かというと曲のジャンルで区別する傾向があるじゃん。 あの時代、そういう傾向は少なかったと思うんだよね。

まあ、ベストテン入りしている曲は、ほとんどの曲はクオリティが高かったんだよね。曲がよかった上、テレビで歌うことに力を入れていたわけだから、そりゃ、見てるほうとしては、ジャンル別に区別する必要もなかったわけでさ。

ワタシャ、当時10才のガキだったけど、子供でもそういう所って感じ取れるもんなんだよなぁ。 
いや、ガキだったからこそ、大人よりも敏感に感じ取れたのかもしれないな。





1979年8月6日放送分の「夜ヒット」みたいですね。
毎度毎度のことだけさあ、夜ヒットってバックの演奏が、どうもお粗末なんだよなぁ。。。
なので、本当は「ベストテン」の方が良かったんだけども、どうもなさそうなのでしょうがなく。

あ、そうそう、当時の小林幸子さんって、マイクの持ち方が人差し指を立てて独特なんだよね。
これ、当時も、変わった持ち方だなぁ・・なんて子供ながらに思ったなぁ。

ところで、この曲を作曲した、梅谷忠洋氏って本業はクラシック畑の人で、フルート奏者らしいですね。当時27歳でこの曲を書いたようです。
そんな若い方がこの曲かいてたんだ・・・。というのはちょっとビックリ。もっと大御所のセンセイが書いてたんだと思ってましたわ。 
でも、考えてみれば、若い方が書いてたからこそ、曲の感覚が、より若者に向けたところがあったのかもしれない。だから演歌と言っても、我々でも抵抗感がなく、素直に聴けたのかもしれないし、大ヒットしたのかもな。

上で書いたように、ニューミュージック全盛の中、オリコン1位獲得は立派なことだけど、1位を取るためには、より幅広い世代に支持される必要があったわけでさ。そのためには、より若者世代の支持というのが必要になってきますからね。

これを考えると、今、演歌の復権するには、このことを踏まえて、大御所の先生ではなく、若い方が演歌を書くっていうのもいいのかも。
同じ曲調でも若者世代と、大御所先生とでは、微妙にニュアンスが違ってくると思うし。

いずれにしても、クラシックの人が演歌を書くのはかなり珍しいということで、当時は、話題になったようですが・・・。 ワタシゃ、今知りましたわ 


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$百萬BABY / Johnny

1982_07_$百萬BABY_Johnny


今回の1曲セレクトは、「$百萬BABY」Johnnyです。

まずはデータです。

・タイトル    $百萬BABY
・アーティスト  Johnny
・作詞                松本隆
・作曲      Johnny
・編曲      Johnny
・リリース日   1982年6月23日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   33.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1982年7月26日〜8月16日付

既に1曲セレクトに書いてて当然・・・と思うんだけどまだ書いてなかった曲。
以前も、こんなシチュエーションで引っ張ってきた曲って、何曲かあったと思うんだけども、今回引っ張ってきた曲は、まさにそんな曲ですね。

Johnny  「$百萬BABY」。

1982年夏。オリコン1位を獲得したこの曲をよもや、まだ書いてなかったとは。。。。

もしかすると以前書こうと思ってたけども、You tubeに動画が落ちてなくて、保留にしたまま忘れてたのかも。。。。

いずれにしても、うーむ、不覚。。。。


この曲、個人的には思い入れがあるんだよなぁ。 思い入れというか、この曲を聴くと、はっきりとあの当時の風景がフラッシュバックするんだよね。

この曲がヒットしてた時って、丁度、福島の「いわき」から千葉に引っ越してきたときでさあ。
引っ越し前日、当時住んでた、いわき の家の庭で、当時の友達みんなでお別れバーベキューをやったんだよ。当初は有志だけでやる予定だったんだけど、気が付いたら、同級生ほとんどみんな集まっちゃって、凄いことになったのを覚えてるな。

その夜、先に大方の家財道具を送っちゃって、ガランとした家の「居間」に家族3人川の字に布団を敷いた傍らに、当時使っていたSonyのラジカセを置き、裸電球1つの薄暗い部屋でTBSラジオの「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」を聴いた。

たしか1982年7月5日月曜日、「ニューミュージックベストテン」の日だった。 
そして流れてきた、Johnny「$百萬BABY」

初めてこの曲を聴いたのも「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」だったと思う。
いい曲かどうかは、よく分かんなかったけども、なんか刺さったのを覚えてる。 
当時の不安な心境と、どことなく哀愁を感じるこの曲の曲想がシンクロしたんだと思う。

「いわき」という土地柄、TBSという東京からの電波に、いつもは雑音越しで聴いてたこの番組が、あの時は、やけにクリアな音で聴けたのが印象的だったな。

この曲を聴くと、決まってフラッシュバックするのは、あの引っ越し前日の夜の光景だ。

夕方、みんなでやったバーベキューの時は、ワイワイ楽しかったけど、ガランと何もない部屋で家族3人だけになると、急に不安になったのを覚えてるな。

父親の仕事の関係とはいえ、かなり急に決まった引っ越しだったし。千葉なんて、全然知らない土地だったし。 これからどうなるんだろう? っていう不安のほうが大きかったんだよね。

実際、不安が的中というか、千葉での生活は暫く馴染めなくてさ、友達も出来ないし、ずっと いわきに帰りたいと思ってた。 そんな悶々とした生活をしばらく送ることになるんだけども。

千葉に越して来てすぐに始まった夏休み。友達もなく、悶々とした生活の中で、毎日、兎に角ラジオばっかり聴いてたのよ。朝のワイド番組から、夜、寝るまでずっとかけっぱなしだったような気がする。

ラジオから流れてくる音楽が唯一の友達だったな。 アイドル、ニューミュージック、演歌、洋楽・・・とにかく何でも聴いてたと思う。

いずれにしろ、1982年という、あの不安で孤独な夏の体験が、今の「ベース」になっていることは間違いないんだよね。 あのころ聴いてた音楽の曲数に比べると、最近聴いてる曲数なんて「屁」みたいなもんだもの。

あれから39年。 
いわきに住んでた年数よりも千葉に住んでる年数が、ついに3倍になってしまいましたわ。。。
あの時の不安は、時が経つにつれていつの間にか忘れちゃったけど、夏の暑さと湿度の不快さは、あの時のまんまですね。 特にこのジトーっとした湿度は何年たっても慣れない。
「いわき」は東からの海風が入るので、夏でもこんな不快な湿度の日はそれほどない。 夜は雨戸閉めないと寒いくらいだったし。当然クーラーを使ったこともない。
まあ、当時より確実に気温が上がった今では、分からないけど。。。



うーむ、また話が脱線してきたぞ。。。。

この曲のリリースは1982年6月23日
当時の定期のリリーススケジュールでは、20日前後のリリースは、21日リリースというのが通例()だったことを考えると中途半端で変なリリース日設定になっているけど、これは、まあ、いわいる「オリコン対策」ですね。

当時、リリース直後の初動の動きが大きくなりつつあり、オリコン初登場でいきなり最高位という曲が増えてきていたんだよね。
それと共に「オリコン初登場1位狙い」の曲も増えつつあってさ。 当時の、まっち先生やトシちゃんのジャニーズ勢はそうでしたね。 
オリコンの集計期間に合わせたリリース日設定。だから、まっち先生もトシちゃんも通常の定期リリース日ではなく、臨発的な変なリリース日が多いんだよね。

そんな流れに銀蠅一家も便乗した() かどうかはさだかではないけど、銀蠅一家関係のリリース日も、オリコン対策を行ってきていたのか、臨発的なリリース設定のシングルが多い。

そんなオリコン対策がぴったりと嵌ったのか、前曲「ジェームスディーンのように」で最高位3に甘んじたけど、この曲は、見事オリコン1位を獲得する。

まあ、運も良かったんだけどもね。
前週まで4週連続で首位を守ってきていた、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」の売り上げが下がりつつあったのと、まっち先生の「ハイティーン・ブギ」が初登場する「間隙」のタイミングというのもあった。

まさか、そこまでチャートアクションを読んでのリリースだとしたら、銀蠅一家はかなりしたたかな計算をしていたな・・とも思ったりするんだけども。。。さすがにそれはないか。。。。

この曲のオリコン1位獲得に続いて、8月には弟分の嶋大輔「暗闇をぶっとばせ」もオリコン1位を獲得と銀蠅一家ブームは、この頃がピークでしたね。

ただ、このピークを境に急激に「ブーム」は終焉に向かったわけで・・・。 いや、今思えば、あの落ち方は、少なくとも1982年の今頃には、全く予想もしてなかったですけどね。。。。

時代の流れは速いのよ。やはり、「つっぱり」というコンセプトだけでは、きつかったんだよね。

飛びつくのが早いけど、見捨てるのも早い。 

この時の「落ち方」を見ると、日本人特有の「性」を感じてしまいますわ。

それ以前に、銀蠅一家の宿願だった、オリコンシングル1位獲得を達成して、目標を失ったっていうのもあったのかもな。
本来だったら、Johnnyというソロプロジェクトや、嶋大輔という弟分ではなく、銀蠅本体で達成する大前提があったと思うんだけども。。。




ところで、この曲、作詞が「松本隆」氏なんだよね。

でも、この間の「トリビュートアルバム」には、この曲入ってませんでしたね〜。 オリコン1位獲得曲なのに
松本隆氏も忘れてましたかねぇ〜  それとも今では無かったことになってますかねぇ

個人的には、それこそ、宮本浩次氏とか、銀杏BOYZの峯田和伸あたりに歌ってもらったら面白かったかも・・なんて思うんだけとな。


まあ松本隆氏が、どういういきさつで、銀蠅一家と繋がったのか・・・というのは、よくわかんないけど、いきなり、この曲の作詞・・・というのは、当時でも結構意外な感じがしたな。

この頃になると、さすがに作詞、作曲者について興味を持つようになってたんでね。松本隆氏が、まっち先生の一連のシングルを書いてること、この曲の前年の「ルビーの指環」を書いてること、松田聖子さんの一連のシングルを書いてること・・くらいは気が付いてたしね。

まだ、その昔の「はっぴえんど」のドラマーだったことなど歴史的なところは知らなかったけど。。。

いわいる「はやり歌」としての当時の一番手の作詞家であることは、気が付いてましたね。

そういういわいる「はやり歌」系の人が、なぜに「自作自演」のニューミュージック系である銀蠅一家に曲を書くっていうのが、不思議だった。

たしかに、前年、南佳孝氏の「スローなブギにしてくれ」であったり、大滝詠一氏の「ロング・バケイション」の一連の曲を作詞していたことから、「自作自演系」に詩を提供していた実績がある事には気が付いていたけど、どうも、銀蠅一家とは結び付かなかったんだよなぁ。

もっとも、銀蠅の弟分である紅麗威甦の「ぶりっ子ロックンロール」のアレンジに若草恵氏を起用したり、妹分の岩井小百合にも馬飼野康二氏を起用したり、「歌謡界」ともつながりを持っていた銀蠅一家だったわけで、もしかすると、ここに松本隆が出て来ても不思議ではなかったのかもしれないし、それだけ、この曲に賭けてたということなのかもしれないな。
そそそ、それだけ、本気でオリコン1位獲りに来たってこと。
で、結果的にオリコン1位獲れたしね。


蛇足だけど、、月刊・明星の歌本「YOUNG SONG」、1982年8月号の「新曲激評」でのこの曲の評として、近田春夫氏は、「ぜ」の使い方が上手いねと褒めてましたね。

へぇ、近田氏が褒めるなんて珍しいね・・・と思ったけど、この号の前月号で、ほとんどの曲をケチョンケチョンに酷評したんで、その反動だったかもしれないけど。。。




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定額制配信リクエストランキングが総合チャートの要素に使えない訳

オリコンも「総合チャート」設立へ

https://www.asahi.com/articles/ASL1T7HQJL1TUCVL02L.html

1か月前の記事なんで、今さら・・・って言う感じなんだけども。。

それにしても、ネット中にコメントが溢れてるけど、オリコンが「総合チャート」なんて今さらだよなぁ・・・っていうのは当然だよね。対応が遅すぎる。
こちとら3,4年前から言ってるじゃん。

 記事には総合チャート設立の理由が云々書かれてるけど、結局は「ビルボード」チャートのここんところの躍進が気になってるだけだよな。もし、ビルボードの躍進が無かったら、今回の総合チャートもやんなかったんじゃないか



それにしても総合チャートについて気になる点がいくつか。最大の懸念点はappleやSpotifyなどの「定額制」音楽配信の再生回数を加味すると言う点。

これはダメよ。

 理由は、現在、特に日本の曲では定額制に配信許諾を与えていない・・・つまり配信していない曲が多過ぎ。現状では正当にヒットを比較する要素になり得ない・・と言う点。

もうひとつの懸念点は、定額制のリクエスト回数は、CD以上に「組織票の温床」になりやすい事。っていうか、表では見えないけどウラでは、かなりの無法地帯になってるんよ、定額制音楽配信のリクエストは。

例えばさ、1日中同じ曲を何度も再生すればするだけ、再生回数は上がる訳さ。1日24時間中、同じ曲を繰り返し再生するとする。
1曲5分として1日に280回は再生できる訳さ、一人で。 これが組織的にやられてみてごらんよ・・・大変な再生回数になりーの、当然再生ランキングもあがるってもんよ。

・・・んな、1日中曲聴いてられる訳無いじゃんって思われるかもしれないけど、べつに聴いて無くてもいいのよ。再生するようにリクエストを送れば。

つまりさ、曲が終わると同時に再度、再生するように曲に「機械的」にリクエストを送り続けさえすればいい訳なんで。

実は、業界的に定額制の各配信サイトで密かに頭悩ませているのが、この現象なんだよね。

最近シロートに毛が生えたような人向けに、「あなたの曲が世界中に配信されます」みたいなサービスがあるじゃん。
有名な某「t」って言うサービスとか、超メジャーな某「a」っていうレコード会社が運営している「b」っていうサービスとか

そそそ、登録すれば、あなたの曲がメジャーな定額制音楽配信サイトに自動的に配信されますみたいな謳い文句でさ。

これらのサービスでタチが悪いのは、リクエスト回数が増えれば増えるほど、還元される使用料が増えるってこと。これはサービス会社にも、実際に音楽(コンテンツ)を上げてるユーザーにも。

まあ、ちゃんと「音楽」を健全に広めたいっていうユーザーばっかりならいいんだけど、世の中「良いヒト」ばっかじゃないんでね。
「金さえ儲かりゃ何でもいい」って言う輩もいる訳でさ。

そう言う人たちがどうしてるか・・・

簡単。 こういうサービス利用して、自分の楽曲にエンドレスで機械的に再生リクエストを送り続けているってこと。↑で書いたようにリクエスト回数が増えれば増えるほど還元される金額が増える訳だからさ。
酷いのになると、一つのサイトに機械的にリクエストを送り続けて1カ月で20万回以上も再生いる輩もいるんよ。
まあ、それだけアクセスして使用料がいくらくらいになるのかはよく分かんないけど。。。

そう言う輩がやる作戦。。1曲の尺を短くするんよ。尺が短いほど、再リクエスト回数が増えるじゃん。
1曲30秒とかさ・・・。 こんなもん曲じゃないじゃん・・・って感じなのよ。
酷いのになると、庭に録音機置いて、適当に周辺の「音」を録音したものとか、ベースを30秒、ひたすらベンベン・・・と音を鳴らしたものだけとか・・・。

なんで、こんな「雑音」にこんなにリクエストがあるんじゃ ってもんばっかなんだよ。はっきり言って音楽じゃなくてゴミですよ、ゴミ・・・。

業界的には「CHEAT楽曲」って呼ばれてて最近問題になってるんだよ、これが。
「不正アクセス」でリクエストされた楽曲ってわけでさ。

最近、主要な定額制音楽配信サイトのリクエスト上位では、こんな曲ばっかだもん。
もうね、こんなゴミコンテンツにお金を払っているようじゃ、日本の音楽業界の未来は無いね・・・って思えるようなもんばっかなのよ。

定額制の配信リクエスト回数も加味するということは、そんないい加減な態度で配信されている音楽までヒットの対象にするって事なんだよね。

オリコンさん、これはどうするんですか って逆にこっちから聞きたい気分だよなぁ。



 個人的には、オリコンさんには「水戸黄門」のままでいて欲しい。 つまりさ、新たに総合チャートを作るんではなく、これまで通りCD売り上げや、配信ダウンロードランキングなど、「個別」のランキングからヒットを俯瞰して行って欲しいということ。

特に、個人的には配信ダウンロードランキングは、もっと充実させてほしい。
今まで、各配信サイトを横断して、ダウンロード実数を一般に公表しているサービスって無かった訳だからさ。
今は「YOU大樹」で30位までしか出ていないでしょ。せめて100位まで載せて欲しいわ。

オリコンさんには、ランキング調査会社の老舗として、こういう、どこもやって無かったランキングの公表に回って欲しいんだよな。

結局、総合チャートは「ビルボード」の2番煎じって見られる訳でさ。2番煎じは成功しないっていうのは業界の常識なわけじゃん。
(厳密に言えば、「総合チャート」って概念でチャートを作ってるのは、ビルポートよりも「ワタシ」のランキングの方が先だ・・・って自負してるんだけど。。。)
 これまで半世紀にわたるヒットチャートの集計とチャートアクション分析から、その辺は痛いほど知っているとおもうんだけどね。。。。


 

我が良き友よ / かまやつひろし

1975_03_我が良き友よ_かまやつひろし


今回の1曲セレクトは、「我が良き友よ」かまやつひろしです。

まずはデータです。

・タイトル     我が良き友よ
・アーティスト   かまやつひろし
・作詞       吉田拓郎
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1975年2月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   70.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年3月3日〜6月2日付

昭和の音楽人がまた一人旅立ってしまいましたね。
かまやつひろし氏。享年78歳

ここしばらく体調が悪いというニュースは聞いていましたが、まさか、こんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでした。人生80年といわれ、80歳以上のかたも珍しくない昨今では、78歳で逝ってしまうとはやはり若かったと思いますね。

ワタシ的には、グループサウンズの世代ではないし、70年代からヒット曲を見続けているとは言っても、フォーク世代ど真ん中と言う訳でもない。
少し上の世代の大御所・・・そんな存在に感じていました。

ここのところ一時代を築いた音楽人が、次々に旅立ってしまっていますね。
時代は移り変わっている・・・昭和は遠くなりにけり・・・・と最近よく言われている訳で、それでも、実際に「昭和」というあの頃、時代を作った音楽人が逝かれてしまうのは、どんなに頭では分かっていると言っても淋しいものです。


・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、やはりこの曲しかないですよね。

かまやつひろし「我が良き友よ」

かまやつ氏が亡くなってから、ここ数日、テレビ、ラジオでも頻繁に流れている、かまやつ氏の代表曲・

・・・・と言っていいのかな。

ともかく一番「売れた」曲。 

そんな曲でいいの? あんたセレクターでしょ? もっとテレビ、ラジオで流れない気が利いた曲は無いの?

とか言われそうだけど、良いんです、この曲で。

ここは、あくまで当時の「今」の時期ヒットした曲をターゲットにセレクトするっていうのを大前提としているわけで。。。

・・・・そうです、この「我が良き友よ」は「今の時期」のヒットしていた曲なのですね。

リリースは1975年2月5日。当時のオリコンチャートをひも解くと、それから約1か月後の1975年3月3日付でベストテン入りを果たしています。 しかも前週16位から3位と、いきなりのベスト3入り。

つまりは、42年前のまさに「今」の時期からヒット街道まっしぐらとなった訳ですね。 
最終的には3月最終週から4週連続で1位獲得。以後6月2日付まで、丸3ヵ月間、計14週間ベストテン内キープ。70万枚という大ヒット。
名実ともに、かまやつ氏の「代名詞」的な曲になった・・・・と巷では思われている訳ですが。。。

ただ、かまやつ氏本人側からとしてみれば、果たしてそうなのか・・・とも思えたりもして。

確かに「ソロ」としては、この曲は、かまつや氏にとっては、唯一のオリコン1位獲得曲であり、ゆえに「代表曲」というのは事実な訳だけども、なにより、ソロ以前に、ザ・スパイダースのギタリストであり、コンポーザーという確固たる経歴がある訳でね。
その後も40年にもわたるミュージシャン人生を見ると、この曲の大ヒットというのも、そんなミュージシャン人生の中の1ページだったのかもしれない。

そんな肩に力が入っていない飄々とした生き方。 個人的にはそう言うイメージがあるんですよね、かまやつ氏には。

「吉田拓郎氏がいいなぁと思った。自由で、自分が言いたい事を表現してる。これが本当の音楽ぢゃないか」

というかまやつ氏が語った趣旨の一節が田家秀樹氏の「読むJ-POP」にある。

スパイダース時代、G.Sの第一人者のグループということで、ヒット至上、スケジュールも管理され・・・という、管理管理の中で音楽をやっていたかまやつ氏にとっては、当時の吉田拓郎氏の自由奔放な音楽への関わり方が羨ましくもあったんでしょうね。

そんな羨望の中から、吉田拓郎氏との関わりが生まれ、自身もエレキからアコギに持ちかえ、フォークを歌っていく。 もともとジャズ一族の生まれであり、ジャズからポップス、ロックと流れて行っただけに、それまでのかまやつ氏には無かったフォークという歌への傾倒が始まる。

そんな中で、生まれたこの曲。 

だから・・・と言う訳でもないんだろうけど、作詞、作曲は、かまやつ氏本人ぢゃなく、吉田拓郎氏なんですよね。
本来、コンポーザーでもあるかまやつ氏が吉田拓郎氏の曲を歌う。
 コンポーザーであるヒトからみれば、他人の曲の歌うっていうのは勇気が居る事だろうし、場合によっては屈辱的な事でもあると思う。
本当に信頼したヒトの曲ぢゃないと出来ない。 そう言う意味では、かまやつ氏は、吉田拓郎ってヒトに心酔していたんでしょうね。

その始まりが、この曲の半年前にリリースされた「シンシア」。 当時のトップアイドル南沙織さんの事を歌った曲だけど、かまやつしが吉田拓郎と曲を歌いたくて、拓郎氏とコンタクトを取った曲と言われている。

その続きと言う位置づけであるこの曲でも、だから、コンポーザーとしてではなく、あくまで一人の「シンガー」として参加する事が出来たんじゃないかな。

そもそも、この曲自体「バンカラ」学生の歌であり、かまやつ氏のキャラではない訳でね。
自分に無いものをウタにする・・・コンポーザーにとっては難しい事ですよね。しかも、自分に無い部分が自分のベクトルがずれてればいるだけ難しさが増すわけで。。。

正直、この曲は、それまでの私生活を含め、音楽人生の中では体験した事が無いような内容だと思う、かまやつしにとって。
実際、この曲は吉田拓郎氏の大学生時代の私体験から書かれたものなんだけども。

そんなある種の異文化交流的なところ・・・というのが、大ヒットに繋がったのかもしれない。
それまでの経歴からしてみれば、限りなく洋楽的な立ち位置に居た、かまやつ氏が、日本の泥臭い文化な歌を歌っている訳だからさ。第三者からしてみれば「意外」性充分だもんね。



2006年の「吉田拓郎 in つま恋」での、かまやつ氏との共演。
そそそ1975年伝説の「つま恋」オールナイトライブから30年。ということもあり開催されたライブ。
「つま恋」が閉鎖された今日にあっては、これまた伝説的なライブですね。
うん、ワタシもこれ見に行ったんだよな。
野外ライブも数々見てきたワタシですが、自分よりも年上の、「お兄様」「お姉様」方が大半の野外ライブは、これが初めてでしたねぇ。そう意味でかなりのアウェー感を感じましたねぇ

もちろん、この場面も「生」で見てたんですが、個人的に「生」でライブを見たかまやつ氏は、結局はこの時が最初で最後になってしまいました。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。 合掌。



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恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1968_10_恋の季節_ピンキーとキラーズ


今回の1曲セレクトは、「恋の季節」ピンキーとキラーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    恋の季節
・アーティスト  ピンキーとキラーズ
・作詞      岩谷時子
・作曲      いずみたく
・編曲      いずみたく
・リリース日   1968年7月20日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 207.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年9月16日〜1969年2月24日付

昨日の中村雅俊の「ふれあい」で、オリコン史上、初のデビュー曲ミリオンセラー・・・とか書いたんだけど、よくよく考えてみると、それ以前にも居たんだよな。デビュー曲ミリオンセラーを達成したヒトって。
 その辺の事情を知ってる方だったら、もしかしたら、クレームが来るかと思ったんだけども、とりあえず来ませんでしたねぇ・・・と胸をなでおろしているところだったりします

ネットの住人は、厳しいからねぇ・・・。ちょこっと間違えたりでもしたら、鬼の首を取ったようにクレーム入れてくる「輩」も多い訳で。。。
 普段から「誤植」が多い、ワタシとしては、そんなクレーム攻撃に耐えて、はや20年近く・・・。。。なんて感じだったりするんだけどさ。
 それでも、未だに誤植が治らないのは、これは性格ですね〜 ケケケケケ と、自分の間違いを、全く反省しないワタシだったりします。。。

ウム、オリコン最初のデビュー曲ミリオンセラー達成は、ザ・フォーククルセダースの「帰ってきたヨッパライ」ですわな。 ちなみに、これがオリコン最初のミリオンセラー達成曲でもある訳で。。。

次にデビュー曲で、ミリオンセラーを達成したのが、今回引っ張ってきた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」と言う訳なんだけど。。

・・・と書いておいて、ここで、「ははんまた誤植してやがる」・・とピンと来た方は、かなりの歌謡曲通ですな。

ふむ、ピンキーこと今陽子さんは、ピンキーとキラーズ、結成前に「ピン」(ソロ)で既にレコードデビューしてたんですよね。だから、厳密に言えばデビュー曲ではないんだけど、「ピンキーとキラーズ」としては、この曲がデビュー曲というわけで、一応「デビュー曲ミリオンセラー」っていう記録には含むんだろうな、恐らく。

ただね、この曲の場合は、そう言う記録の他にも「オリコン記録」を持ってるからなぁ。
まずは、オリコン史上初の「ダブルミリオン」達成曲。そそそ200万枚を突破したのはこの曲がオリコンでは初めてなのですわ。

ま、とは言っても、オリコンがチャート発表を開始してから、1年も経っていない頃の出来事なんでね。それ以前にもダブルミリオンはあったはずですけどね。

それとなんと言っても、シングル1位獲得週記録ですわな。1位獲得週が17週。 これは48年経った今でも破られていない空前絶後な記録になっていますね。
 ま、もっとも17週連続ではなく、1968年9月23日付から、12週連続1位を獲得したのち、1週、12月16日付で2位に後退。 ただ、その次の12月23日付に返り咲き、再度5週連続で1位を獲得というチャートアクション。計17週1位獲得した訳ですわ。

ちなみに、「連続」1位は、72年〜73年にかけての宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続・・っちゅう記録が、こりも未だに破られずに君臨してますな。

さらに、ちなみに、アルバムを含めた、全作品でのオリコン1位獲得週記録は、井上陽水のアルバム「氷の世界」の35週。なんせ1位返り咲きが5回なんて「アホ」としか思えないチャートアクションを展開した訳で。。。


チャートまにあとしては、どうしても、そういう「記録」の面でこの曲を見てしまいがちなんですが。。。

ま、個人的には、この曲がヒットしていた頃は、まだ生まれていないんで、もちろん「後付」で聴いた曲になってしまうんだけど、でも、この曲を聴くと、どうしても60年代後半の混沌としたような世相を感じるなぁ。

なんて言うのかな、サイケデリックな気分になるんだよな。
・・・てか、サイケデリックってどういう気分? って言われてもコトバではウマく説明できなんだけど、うーむ、兎に角、あの60年代終盤の空気感ですよ。
なんて言うのかなぁ、あの時代って、良い意味でも悪い意味でも、どこかグツグツと煮えたぎったような空気感がありましたよね。猥雑というか、ベトナム反戦、安保反対っていう世相の中で、すくなくともクリアな空気感ではなかったと思う。

そんな雑然とした猥雑とした匂いを感じるんだよな。この曲からは。

特にサビの ♪ 恋は ワタシの恋は〜 ♪ からは特にサイケデリックを感じるなぁ。

まあ、悪い意味で書いている訳ではなく、ある意味憧れなんだよね、この時代の空気を吸えなかったモノにとってはさ。

作曲は、いずみたく氏。 奇しくも昨日書いた中村雅俊の「ふれあい」も同じ、いずみたく氏の作品だったけど、このヒトは、この時代・・・60年代後半から70年代にかけて、ヒット曲の顔でしたよね。象徴って言うのかなぁ。

で、この曲もそうだけど、次年の由紀さおりの「夜明けのスキャット」も、やっぱりサイケデリック感満載でしたよね。

なんかね、この方の作品を聴くと、不思議な・・奇妙な気分になる曲が結構あるんだよなぁ。

そうだ、サイケデリック感って、ウマくコトバでは表せない・・・ってかいたけど、敢えてコトバで書くと、「奇妙で不思議な感覚」なんだ。空調に浮遊しているような・・・。
 なんでいうのかなぁ、ちょっとワルいクスリを飲んでハイになった気分・・って言うかね。

そそ、個人的に60年代終盤というと、こんな感覚なんだよな。 そう言う意味でも、いずみたく氏っていうのは60年代終盤の象徴的な存在だったような感じが強いなぁ。




ピンキーとキラーズって、コーラスグループっていう印象が強いかもしれないけど、れっきとした「バンド」なんだよね。ま、それは、この動画でも分かると思うけど。
そそそ、三枚目キャラだった「パンチョ(加賀美)」さんがドラム叩いてたのよ。
 ソロ時代の今陽子さんは、全く売れなかった訳だけども、「ヒンキーとキラーズ」になった途端、大ブレイク・・・って言う流れは、後年のLINDBERGの渡瀬マキさんと同じ・・と見てもらえれば分かりやすいかな。

 ちなみに、今陽子さん、当時17才。 うーむ、高校生には見えないよなぁ。
どう見ても20歳は超えてるような・・・・ってくらい大人っぽい・・というか色気があるよな。

 
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涙の茉莉花LOVE / 河合その子

1985_10_涙のジャスミンLOVE_河合その子






今回の1曲セレクトは、「涙の茉莉花LOVE」河合その子です。

 まずはデータです。

・タイトル     涙の茉莉花LOVE
・アーティスト   河合その子
・作詞       T2
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1985年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    19.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月23日〜10月7日付

えー、今回も昨日の河合奈保子さんに続いて、「河合さん」なんですけど、河合は河合でも、河合その子さんのソロデビュー曲。

 涙の茉莉花LOVE

まあ、言わずと知れた、おニャン子クラブから初のソロデビューだけど、おニャン子は、あくまで「シロウト集団」をいかに、「マス」で売ることを前提にした「アイドル」 。
 あとの時代でもアイドル「最終兵器」といわれるくらいだから。。。

 たださ、シロウト・・・と一口に言っても、実は、シウロトではないヒトも中には居たりして・・・。

 つまりさ、すでにプロとして事務所に所属してたものの、売り出すための「手段」として、一旦「おニャン子クラブ」っていう、集団に入れておいて、顔を覚えさせて、売り出す・・・っていうやり方。

 河合その子の場合、典型的にそのパターンですよね。

 そのほかに国生さゆりもそうだし・・・(CBSソニーからソロデビューしたヒトたちはみんなそうじゃないかな)
 工藤静香に至っては、おニャン子に入る前に、実は一度デビューしてレコードを出してたりするもんね(セブンティーンクラブっていう3人組アイドルの一人だったのです)

 だからさ、一口にシロウト集団・・・と言っても、実際は完全なシロート集団ではなかったんだよね、おニャン子って。

 どうして、ソロデビューするのにキャニオン組とCBSソニー組(そのほか、ワーナーとかエピックとかフォーライフなんていう例もあったけど・・)に分かれていたんだろ・・・って昔、不思議だったんだけど、恐らく、CBSソニーとは、前もって密約があったんだろうね、きっと。

 いちおう、後発組は、「アイドルを探せ」コーナーで合格した子をおニャン子グラブに入会って言う流れにはなってたけどさ、あれも、一種の「やらせ」って言うこともあったと。。。

 たださ、この「もくろみ」は、おニャン子クラブガ成功した事で、大きく弾みがつく。

 河合その子は、途中からおニャン子に加わったのにも関わらず、おニャン子加入から、70日あまりでソロデビューにこぎつく。

 挙句の果てには、オリコン1位まで獲得してしまったり・・・。
(・・というか、この曲1位獲得してたのすっかり忘れていた。。。)

 これ、完全にゼロから一人のアイドルとして売り出すのは大変ですよ。ましてやオリコン1位獲得となると、限りなく不可能に近いわけで・・。

 なにせ、アイドルのソロデビューでオリコン1位なんていうのは、この自時点では、マッチぐらいしか居なかったわけでさ。

 そのまっちだって、ソロで出す前に金八先生に出たり、「たのきん」として顔を売り出してたから、デビュー曲で1位だったわけだよね。

 おそらくさ、今考えると、おニャン子って、「たのきん」とか「ジャニーズ」のやり方を女の子で出来ないか・・・ってことで始まった企画なんぢゃないかなぁ・・・。 今書いてて、なんか、そんな感じがしてきた。



・・・・ということで、「涙の茉莉花LOVE」なんだけど、単純にいい曲だとおもう。素直で素朴で、アイドルのソロデビュー曲としては、申し分ない内容だと思う。

 雰囲気が大人びているのは、当時、すでに河合その子が20歳だったからか!?

 ちょっと、フレンチポップスに、ラー油を加えて中華風味をつけたら、あーらふしぎ、新しい味になりました。。。

 っていう、いかにも日本人的な発想の実験的な曲でありましたね。そういうところも、面白かったな、この曲。

 うん、この後の曲のどの曲にも、随所にフレンチっぽいイメージを持たせているんだよね、河合その子って。
 まあ、その最たる曲が゜「青いスタスィオン」だけど。。。

 でも、個人的には「JESSY」が一番好きだな。あの大げさ感、フレンチというよりも、カンツォーネに近そうな大げさ感。

 それをいかにも非力そうな河合その子が歌うっていう構図がいいですね。河合その子も歌に負けてなかったし。。。


 本当は本格的シンガー路線で行きたかったんだろうね。でも、このヒトのルックスと声質が邪魔して・・・・、ってところがあったんだろうな。

 でも、そういうところは、この「涙の茉莉花LOVE」を聴いてた頃は、感じなかったな。
 完全なアイドル路線なんだろう・・・って思ってたですわ。


 その前に、このヒトが、その後の曲も作ることになる、後藤次利氏と結婚することになるとは・・・・。全く考えてもみなかったですわ。

ま、秋元康氏と高井麻巳子が結婚することになるなんて事も全く予想してなかったわけで、その点、同じなんだけど。。


動画・・・、どうもこの動画上げてきてるヒトが、他のサイトからのリンクを蹴る設定にしてあるようなので、You Tubeへ直リン。

https://www.youtube.com/watch?v=u0x5gBXlpvU



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哀しくてジェラシー / チェッカーズ

1984_05_哀しくてジェラシー_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「哀しくてジェラシー」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    哀しくてジェラシー
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹沢廣明
・編曲      芹沢廣明
・リリース日   1984年5月1日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   66.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月14日〜8月6日付

 昨日、寺尾聰の「シャドーシティ」書いたじゃん。おそらく、あの曲書いたのに、なんで、3曲同時ベストテン入りについて書かなかったんだろう・・・なんて思った方っているかなぁ。

 いや、最初は言及しようか・・・と思ったの。でも、その前に念のため・・・と思って、過去のアーカイブス調べたら、なわんと、この曲をまだ、書いてなかったんでさぁ、まずは、こっちの3曲同時ベストテン入りを書いたほうがいいのかなぁ・・・とか思ったんだよね。

 ま、その曲がチェッカーズの「哀しくてジェラシー」だったりするんだけどさ。

 うん、3曲同時ベストテン入り・・・って言っても、寺尾聰の場合は、「ザ・ベストテン」で3曲同時ベストテン入り・・・ってことで、厳密に言うとオリコンでは、3曲同時ベストテン入りはしてないんだよね。

 うん、一番、それらしき週だったのは1981年6月8日付で

・2位  ルビーの指環  
・1O位  シャドー・シティ
・11位  出航

って時でさ。ま、このとき、「ザ・ベストテン」では、3曲同時にベストテン入りさせたんだけど。。。


BUT、チェッカーズの場合は、正真正銘「3曲同時」ベストテン入りさせたからねぇ。「ザ・ベストテン」だけでなく、「オリコン」でも。

で、実際に3曲同時ベストテン入りさせていたのが、1984年5月14日と21日付けの2週間。
 ちょうど、今から31年前だ。

 えー、31年前〜・・・exclamation & questionふらふら 自分で書いててビックリなんだけど。。。自分じゃ、そんなつもりぜーんぜんないのにねぇ。
 だって、すでに、オリコン読んでたし〜・・・。ほとんど、いまと変わらぬ生活をしてたっていうのに。。。

 変わったのは、パソコンという便利な代物が加わったのと、当時より30Kg太ったワタシの体くらいでしょうふらふら

 いや、あのころは、ホントやせてたから、ワタシ。。。たしか50Kgなかったんだから。。逆にやせ過ぎてたかも。。。 (この後、「モスバーガー」という魔物に出会って一気に太った)


 なんて、そんなこたぁ、どーでもいいんだけど。。。

 あのころのチェッカーズ旋風はすごかったよね。ほんと、ほんの僅かのうちに、どっからこんなに人気が出てきたんだ? ・・・ってくらいあっという間だったもんなぁ、火がつくのが。。。

 だいたい、この時点から、ほんの3ヶ月前までは、ほとんど知られてなかった存在だったのにねぇ。。。

 やっぱ、女性ファンっていうのは飛びつくと早いよなぁ。。。

この間、寺尾聰のとくも書いたけど、ほんと、予期せぬ出来事だったですよ、こんときのチェッカーズ旋風は。

 で、この「哀しくてジェラシー」だけど、曲的には、前の2曲の「ギザギザハート〜」とか「涙のリクエスト」と方向性はそれほど変わらない。 ま、この3曲が同時に作られたっていうのもあるけどさ。

 うん、その3曲の候補曲から、一番、キバツな「ギザギザハート〜」をデビュー曲に持ってきた・・・っていうのは、有名な話ですわな。

 うん、だから、「涙のリクエスト」でも、この「哀しくてジェラシー」でも良かったわけですよ、デビュー曲としては。

 ま、たしかに、キバツさという点では、この曲「哀しくて〜」が一番乏しかったかな。うん、悪い曲ではなかったけど、まともだったんだよね。全体的に。

 そう考えると、売れた後の3曲目に持ってきたのは正解だったよなぁ、今考えると。
 前2曲と方向性が同じだったんで、ファンを裏切らない・・・っていう安心感もあったろうし。。

 そんないろいろなファクターがうまく絡み合って、結局3曲同時ベストテン入り・・・って言うことになったんだろうね。


 ちなみに、当時、ワタシ、ドラムを始めててさぁ、チェッカーズとか簡単そうだったんで、練習してたんだけど、この曲、バスドラが大変なんだよねぇ。
 イントロの頭から8分音符のバスドラきざんでたりするから、腰が痛くなったりしてさ。。。足は突っ張るし・・・。

 なんか、そんな想い出が強いな、この曲には。





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別れの朝 /ペドロ&カプリシャス

1972_01_別れの朝_ペドロ&カプリシャス






今回の1曲セレクトは、「別れの朝」ペドロ&カプリシャスです。

 まずはデータです。

・タイトル    別れの朝
・アーティスト  ペドロ&カプリシャス
・作詞      Udo Jurgens
・作曲      Udo Jurgens
・日本語詞   なかにし礼
・編曲      前田憲男
・リリース日   1971年10月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数  55.7万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1972年1月24日〜4月10日付

 今回は、思いっきり「重たい」曲を一つ。
 ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」

このどん曇りの「寒い朝」にこの曲のような重たい曲を聴いちゃったりしたら、1日気分も重たくなるかなぁ。。。


 この曲のヒットは、1972年・・・っつうことは、今から43年も前の曲だから、たとえ、オリコンで1位を取ってる曲でも、ま、今や知ってるヒトしか、知らないって曲になるのかなぁ。

 しかし、今では、「絶滅」したと思われるような、このずっしりと重い曲が、1位を取っているって言うことは、完全に「時代」を反映していると思いますねぇ。
 もちろん、ワタシもこの時代の空気ってよく知らないけどさ。厳密に言うと、すでに生まれていたけど、2歳半だもんなぁ・・・。さすがに、時代の空気までは、記憶にございません・・・ですわ。

 もちろん、そう書けるには、後年、フジテレビで放送してた「19×× 僕らの思い出のメロディ」に拠って、「知った」部分がかなり大きいんだけどさあ。

 この曲って言うと、バックに流れる映像が、連合赤軍の「あさま山荘」事件だったりすることが多いんだけど、これが、実に、この曲とマッチするんですよ。
 ・・・というか、「あさま山荘事件」が起きたのは、この曲がちょうど、オリコンで1位に立っていた、1972年2月のこと。
 いや、だから、時間軸的にも、リアリティそのものなんだよね。もちろん、歌われている内容的には、全く関連性はないんだけど。

 でも、時代背景的な匂いって言うところには、近いところがあるのかなぁ。

 曲の内容は、タイトルの通り、男と女の「別れ」の曲だけど、喧嘩別れ・・・というわけではなく、何か「訳あり」的な別れなんだよね。
 その「何かの訳あり」って言うのが、「時代」っていう背景があるような気がするんだよね。

 まあ、今の時代とは、かなり違う部分もあるし、今の時代しかリアルに知らない人にとっては、「クサッ」で終わっちゃうかもしれないし、理解しがたい部分もあるかもしれないけどさあ、でも、みんな、一生懸命生きてるような息遣いは感じるんだよね。

 だからねぇ、この曲を聴くと、単に「重てぇな、この曲」だけでは、済まされない、何かを感じてしまう、ワタシなんですねぇ。


 ところで、この曲は、ペドロ&カプリシャスにとって、最初のヒット曲になるんだけど、ボーカルは、初代ボーカルの前野曜子さん。
 で、73年に、現在でも活躍してる高橋真梨子さんに交代するわけなんだけど、前野さんの交代については、いろいろとあったみたいだね。
 
 ただ、まあ、この曲についても、その後、高橋真梨子さんとか、その他、いろいろな人が歌ったりしてるんだけど、個人的には、やはり、この曲は、オリジナルの前野さんのボーカルがもっとも似合ってると思うねぇ。

 うん、確かにボーカル力としては、高橋真梨子さんの方が、全然上だと思うんだけど、どことなく、たよりげな「泣き」のボーカルが、この曲には合ってるんだよね。
 
 もともとは、この曲、オーストリアのヒット曲が原曲なんだけど、日本語詞は「なかにし礼」氏が書き下ろし。
 そんななかにし氏が書く、繊細なか細い感じの女のヒト像の表現者としては、「泣き」のボーカルの前野さんのほうが、一つ上のような気がするんだよね。
 逆に、その後の「ジョニーへの伝言」のような、阿久悠氏が書いた、線がはっきりした詞については、ボーカルの線の太い、高橋真梨子さんの方があってると思うしね。

 そんな、前野さんも、すでにこの世の人ではない。うん、ワタシも知らなかったんだけど、どうもアルコール依存症で奇行が多かったヒトのようで、最後は肝臓病に罹り、1988年になくなっていたりする。

 つまり、この曲は、すでに、「オリジナル」のボーカルでは、「生」では聴けなくなっているってこと。

 歌唱力には定評があったけど、結局のところは、実物像も「繊細」なヒトだったようですね。まあ、その辺・・・普通のヒトとは違う繊細さ・・・があったからこそ、この曲のような繊細な曲が合ってたんでしょうな。


・・・どうでもいいけど、この曲のレビューを今回リメイクしようと思って、Wikipedia開いたら、この曲の参考資料が「かじやんのヒット曲&チャートレビュー」になってるwwwww

このブログじゃんか・・・・・ 

おそらく、wikipediaに書いた人は、6年前に書いた「オリジナル」のレビューを参考にしたんだろうね、きっと。。。。
 ちなみに、Wikipediaに書いたのはワタシじゃありませんwwww



めちゃくちゃ、音悪いなこの動画。。でも、オリジナルはこの動画しか落ちてなかったんで、しょうがなく。。。


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CRAZY GONNA CRAZY / trf

1995_01_CRAZY GONNA CRAZY_trf



今回の1曲セレクトは、「CRAZY GONNA CRAZY」trfです。

 まずはデータです。

・タイトル    CRAZY GONNA CRAZY
・アーティスト  trf
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1995年1月1日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   158.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1995年1月16日〜2月27日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「我慢できない」主題歌

昨日、昼間1995年のヒットを聴いてたんだけど、で、聴いてるうちに、なぜか、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」を引っ張ってきたくなって、引っ張ってきちゃいました。。。(これも大人気ないねあせあせ

 ここのところ、1月1日リリース曲を何曲か引っ張ってきてたでしょ。
でも、なにも1月1日リリース曲は、80年代までではないわけで、90年代、いや、今でも続いているわけだからね。

 そういう、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」も95年の1月1日リリースだったわけだ。

 このころのtrfの「勢い」はすごかったからなぁ。もしかすると、同じエイベックスでも、そのあとの安室、globe、浜崎・・・よりも、一時的な勢いはあったかもしれないな、今考えると。

 そのピークは、ちょうど、この曲リリースの頃かな。前日の12月31日、第36回日本レコード大賞優秀賞受賞、同日、第45回紅白歌合戦初出場・・・で、盛り上がってたところに、新曲リリースだったかんねぇ。

 このころ、ウチラ「オリコンチャート研究会」のメンバーは、大晦日にワタシのうちに来て、レコード大賞〜紅白を見ながら、一晩中ワイワイやるのが恒例になっていて、もちろん、この年もやってたな。

 で、朝方、ちょっと仮眠して、元日の昼頃から、ボーリング⇒カラオケという、ちょっと強行スケジュールが恒例になってまして・・・。

 そういえば、1995年元日ボーリング場で、もうこの曲がかかってたんだ。

 だからか、どうも、個人的には、この曲⇒1995年元日のボーリング場っていうイメージがこびり付いて離れないなふらふら


 さてさて、曲は・・・というと、正直言って、trfの中でも一番「歌謡曲」に近いと思う。一言で言えば、一番分りやすい。

 うーん、なんていうのかな、尖ってないんだよね。まるいというかマイルドというか、小室哲哉の曲の中でも、聴きやすい部類の曲だとおもう。

 ただ、そんな分りやすい曲でも、音色は輝いている。うーん、なんていうのかな、寒空の中で輝いている白色&青色LED電飾のような、クールな輝きっていうのかな、そうそう、ちょうどクリスマスのLED電飾のような輝きを感じさせるような曲なんだ。

 白熱電球ではなく、あくまでLED電球。つまり「眩しい輝き」は感じるんだけど「暖かみ」は感じない輝きを放っているような曲っていうのかな。

 個人的には、そんな感じを受けるな。


 まあ、曲はどうであれ、この曲がtrfの中では、一番「売れた」曲っていうのも、やっぱり、このころのtrf人気を象徴していますわね。


 ただ、その伝説もこの曲をもって早くも崩れる。この曲から3ヶ月連続リリースをかけたんだけど、あっという間に売上げが落ちてったもんねぇ。

 結局は、連続して「出しすぎ」が原因でしょう。人気が最高潮、熱狂的な人気のときに短時間で矢継ぎばやにリリースすると、あっという間に「飽きられる」っていう典型的なパターン。

 結局さ、旨いもんを連続して食うと、すぐ飽きるのと同じなんだよね、生理的に言って。

 旨いもんはたまに食うから、旨いんであってさ。そりゃ、毎日食ってたら飽きるでしょ。

 それと同じ原理だと思うのよ。





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大都会 / クリスタルキング

1980_01_大都会_クリスタルキング






今回の1曲セレクトは、「大都会」クリスタルキングです。

 まずはデータです。

・タイトル    大都会
・アーティスト  クリスタルキング
・作詞      田中昌之 山下三智夫 友永ゆかり
・作曲      山下三智夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年11月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   118.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位:1位
・ベストテンランクイン期間:1980年1月7日〜4月7日付

 いやいや、ポプコン発の大ヒット曲で、まだ書いてなかった曲が残ってたんだねぇ。これは、かなり迂闊だったな。

 大都会 /クリスタルキング

 この曲は、1979年10月に行われた、第18回ヤマハポピュラーミュージックコンテスト、うんポプコンね・・・のグランプリ、さらに第10回世界歌謡祭、グランプリ獲得で、鳴り物入りで、翌11月21日にデビューした曲だ。

 まあ、ポプコングランプリから、世界歌謡祭グランプリっていう流れは、まあ、アーティストの「格付け」みたいなもんで、それまでも中島みゆき、ツイスト、円広志・・・と同じ流れで来てたからね。

 で、みなさん、同じ「キャニオン」からデビューしてたりする。

 うん、ポプコングランプリ⇒世界歌謡祭グランプリ⇒キャニオンからデビュー っていう流れは、一つのブランド的な流れになってたんだよね。このころ。

 ただ、デビューしたものの、1曲目は、「ポプコンブランド」で大ヒットする確率は高かったものの、なかなか2曲目以降ヒット定着っていう確率は低かったんだけどさ。

 だから、自ずから1発屋になる確率も高かったわけで・・・。「世界」をとりながら一発屋とは、いったいどういうこと?
 ・・・っていうのは、一時期笑い話だったこともあったりしてね。


 幸い、クリスタルキングの場合は、「一発屋」で終わることなかったんだけど・・・。

 さすがに、このヒトたちのボーカルの迫力を一度聴けば、あまりのインパクトの強さにびっくりするよなぁ。

 なにより、田中昌之のチリチリ頭に頭のてっぺんから出ているようなハイトーンボイス。
 プラスして、アイパーにグラサンっちゅういかにも「やっちゃん」のような、低音ボイスのムッシュ吉崎っていう、このコンピは、声質的にも、ビジュアル的にも、衝撃的なインパクトがあったもんですよ。

 わたしゃ、初めて、ベストテンの「スポットライト」に出演したとき、予想だにもしなかったボーカルにびっくりこいたもんなぁ。

 あ、ついでに言うと、うちのオフクロもびっくりこいてたのを思い出す。

 絶対に大ヒットすると思ったもの、この曲は。

 まあ、曲的には、今から考えると、客観的にクサイんだけどさ、あのころは、このクサさがカッコよかったんですよ。

 兎に角、ニューミュージック界の成熟期をガキながら感じ取っていたのは事実。

 もうずっと、このままニューミュージック全盛期が続くと思ってたもの、このころは。で、そうであってほしいとも思ってたのもこのころかなぁ。一番、「音楽」に対して多感だったかもしれない、個人的には。
 ヒットしてくる曲が、どれも「スゴイ」と思ってたのもこのころですね。事実、一番楽曲がいい、実験的で面白かったのも、このころの曲かもしれない。30年ヒット曲を聴いてきて。
 楽曲の「成熟期」だったのもかも知れないなぁ

 まさか、このあと4ヵ月後に「80年代アイドル」の芽がでてくるとは、全く考えもしてなかったな、このころは。
 

まあ、それもヒット曲クロニクル上の事実なんだけどもさ。


結局さ、日本のヒット曲の構成上、ロック・ニューミュージックがヒットの「長期主導権」は取れないような構造になっているんだよね。

 ロック・ニューミュージックが強い時期の後には、かならずポップスが主導権をとるようになっているんですよ。

 まあ、業界用語的に書くと、音制連<音事協 っていう力学的な構造ですね。

 これは、戦後日本の音楽業界的クロニクルから言っても、歴史上の事実なんだよね。

 個人的には、どっちかといえば「音制連」支持的なところがあると、自分では思っているんだけどさ。





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