今回の1曲セレクトは、「涙のアベニュー」サザンオールスターズです。
まずはデータです。
・タイトル 涙のアベニュー
・アーティスト サザンオールスターズ
・作詞 桑田佳祐
・作曲 桑田佳祐
・編曲 サザンオールスターズ 八木正生
・リリース日 1980年2月21日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数 10.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位
久しぶりの「1曲セレクト」。
え? ちょっと前に、松居直美の「微妙なとこネ」とか書いてるんじゃん。・・とか思われちゃうかもしれないけど、あれと、その前に出した、島田歌穂の「ステップ・バイ・ステップ」は、mixiで大昔に書いたやつを、引っ張ってきて、再編集しただけのトピックスなんで。。。。



これまで、まだ書いてない、まっさらな状態で書く1曲セレクトは、久々ですわ。
・・・ということで、サザンの「涙のアベニュー」
サザンファンを公言しているワタシとしては、「まだ書いてなかったんかい・・・」って曲だけども。。。
サザンの曲ってさあ、ちょっと前までYou tubeに出てなかったんでね。
これまでも 1曲セレクトに出したいと思ってもYou tubeに曲がなかったりして、曲リンクを張れなかったんで、書くの断念してきた曲が多いんだよね。
まだ完全とは言えないけど、ここにきてやってYoutubeでもサザンの曲がみられるようになりつつあったりしてきたんで、遅まきながら、書き始めて居たりするのよ。
もっとも、この「涙のアベニュー」は、ファン以外の方にとっては、完全に死角に入っちゃっている曲だとは思うんだけども。
そそそ、前年の79年「いとしのエリー」を頂点として時代を席巻し、「紅白」にも出演しなんて、ビッグバンドに急成長したサザンだけども、この曲から長期休養に入ってしまう。
そのため、当時テレビの歌番組ではほとんど歌われてなかったと思う。その分、一般的には知られてない曲ですわな。
まあ、休養といっても完全休養という訳ではなく、レコーティングは行う。ただしテレビを中心としたメディアへの出演は抑える・・っていう休養ですけどね。
桑田氏の「ロックの子」を読むと、とにかく、煮詰まっていたようですね、当時。
それまで、一学生バンドだったサザンも、「勝手にシンドバッド」〜「いとしのエリー」にかけて、半年余りで、いきなり時代の頂点まで昇華しちゃったでしょ。
テレビだ、ラジオだ、雑誌取材だ・・・と時間に追われ、その合間にレコーティングを行うといった状態。レコーティングにも十分に時間が取れない。
そん状況下での、あの頃の3か月ローテーションでのシングルリリース。
しかも週刊誌には、言われもないことも書かれる。
「出る杭は打たれる」 とは言ったもので、華やかな活躍の裏で、サザンも例にもれず、そういったマスコミのターゲットになっていたわけですわ。
そんな1979年の一連の活動で、肉体的にも、精神的にも、ヘトヘトだったようだ。
「いとしのエリー」の頃、「ベストテン」で「ノイローゼ ノイローゼ」と叫んでいた桑田氏って有名だけども、あれ、おちゃらけではなく、本当だったようですね。
それでも、まだ「ベストテン」で叫んでたころは、またよかったものの、サザンのメンバー間の意思疎通も取れなくなり、年末までには、マジで追い込まれてたようですね。
このままでは壊れる・・という中での、長期休養宣言。
確かに前曲「C調言葉にご用心」あたりから、「ベストテン」にもあんまりでなくなってたんだよね。
「コンサートのため」「レコーティングのため」・・というベストテンのお決まりの理由での出演辞退だったと思う。それがいつしか、「長期休養」に変わったのを覚えてるなぁ。
連続ヒットを出すよりも、一度、下火になった人気から、再ブレイクする方が難しい。
アーティストにとっては、ここが怖くて、人気絶頂の時に、長期休養を取ることはほとんどない。
あの頃は、そんなところが今よりも強かったですから。 アミューズも思い切った決断をしたと思う。
人気の流動が早いヒット曲の世界。ましてやテレビ・ラジオの世界はなおさらだし。
半年休んで、再度、ブレイクできるのか? 大きな賭けなんだよね。
もし、これが大手事務所所属だったら、まず間違いなく、こんなことはしなかったと思う。
サザン自体が潰れても、それまでの路線を続けさせただろうな。
当時はまだ、新興プロダクションだった、アミューズだったからこそできた決断だよね。
無理を続けて潰れていくアーティストを数多く見てきた、元・ナベプロだった、当時アミューズ社長の大里氏だったからこそ。
むろん、当時10歳だったわたしにゃ、全く理解できなかったけどね。
またすぐに「ベストテン」に戻ってくるだろう・・くらいの軽い気分だったと思うのよ。
まさか、この「涙のアベニュー」から2年にわたる、サザン低迷期が来るとはね。
あ、あくまで、テレビにおけるサザン低迷期ね。
シングルは売れなかったけども、アルバムは80年の「タイニィ・バブルス」、81年「ステレオ太陽族」と、シングル低迷の間も、いずれもオリコン1位と、アルバムは売れてましたからね。
でも、当時「ベストテン」というテレビからの情報がすべてだった私は、ここから2年の間サザンの曲は耳にしないままになる。
今回引っ張ってきた「涙のアベニュー」、初めて聴いたのは、たしか、1985年ごろに「バラッド77-82」のカセットを買ってからだと思うのよ。
だから・・・なんだけども、この「涙のアベニュー」って曲を聴くと、いまだに1985年の匂いを感じるワタシだったりするんだけども。。。。
初聴から、「なるほど、これは売れないな」と感じましたね。
いや、決して駄曲ではないんですよ。ただ、インパクトが弱い。シングルのA面というよりもB面。
あるいはアルバムの中の1曲って感じなんだよね。
まあ、実際、この曲の翌月にリリースされたアルバム「タイニィ・バブルス」からの先行シングルという形になっているけど、少なくとも、この曲で、前曲「C調言葉にご用心」ほどの大ヒットを狙うには、かなり無理が行ったと思う。
もちろん、「長期休養」を考えれば、これは意図的だったことは間違いないんだけども。
ミディアムバラードのソフトロック路線・・・っちゅうのかな。
カラッとしたロックではなく、湿り気がある手触りのサウンド。その辺、UKっぽい匂いがする。
曲想的には、ファースト・アルバムに収録されている「別れ話は最後に」に近いと思う。
もっとも、あの曲は「ボサノバ」っぽい手触りがあったけども、この「涙のアベニュー」は3連だし、「ボサノバ」ではない・・っちゅう違いがあるけど。。
以前「わずれじのレイド・バック」でも書いたんだけども、この曲から「ファイブ・ロック・ショー」って銘打って5か月連続でシングルリリースが始まるんだけどさ。
その割にはストレートなロックな曲が少ないってのが笑える。。。。
ただし、この「涙のアベニュー」から、より洋楽的な手触りになったのは確かですね。
「いとしのエリー」は別にして「勝手にシンドバッド」にしても、洋楽というよりは、洋楽と歌謡曲の融合だったんだよね。それまでのサザンの特徴って。
70年代の頃は、まだ洋楽一辺倒ではだめで、ウレセンには、適度な和製のエッセンスが必要。
こんな特徴がぴったりはまった「〜シンドバッド」。だから売れたといってもおかしくないんだけども。
ただ、この「涙のアベニュー」からのシングルって、より洋楽的な手触りが強くなったと思う。
「ファイブ・ロック・ショー」って銘打ったのは、そういうところだったのかもしれないな。
まあ、あの連続リリースは、休養期間中だし、売れることというよりも、実験的なことをやるって意味合いが強かったんだと思うけど。
ただ、後々、バラエティに富んだサザンの曲調、曲想は、この期間中の実験が大きかったような気がしますね。
いずれにしても、最近のサザンには見られない曲想であることは間違いないわけで、サザンの名バラードの1曲に数えられているのも頷けるな。
曲を聴くと、よりわかるんだけども、この頃のサザンって、ダイレクトに洋楽寄りだったんだよね、サウンドにしても、メロディラインにしても。
もちろん、アルバム曲なんかには歌謡曲よりの曲もあったけどさ。
アルバム「ステレオ太陽族」「NUDE MAN」の頃は特にそうだったな。
個人的には、そんな洋楽してるサザンが好きだった。
最近のサザンって、どこか歌謡曲より・・というか、和製の匂いの強いメロディラインが多いでしょ。
それがちょっと残念でね。
また、この「涙のアベニュー」の頃ような洋楽的でみずみずしい感覚のサザンの新曲が聴きたい・・なんて思ったりするんだけどね。
まあ、桑田氏をはじめ、メンバーの年齢を考えると、なかなか難しいことだと思うんですけどね。。。
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