かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

さだまさし

案山子 / さだまさし

1977_12_案山子_さだまさし


今回の1曲セレクトは、「案山子」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル     案山子
・アーティスト   さだまさし
・作詞       さだまさし
・作曲       さだまさし
・編曲       渡辺俊幸
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   13.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

先日、会社でのランチの時、同僚と昔の鉄道の話になった。 きっかけは、今の鉄道は新幹線中心であっというまに目的地についちゃうんで「旅情」がないよね。ってことからなんだけど。
昔はさ、超長距離「各駅停車」なんていっぱいあったんでさ。今じゃそんな存在あったなんて信じられないけど、上野発青森行き各駅停車とかさ。1960年代まで走ってたし。「大垣夜行」で今でも親しまれてる、東京発大垣行きは、昔は東京発大阪行き普通列車だったとかさ。
もちろん、各駅停車なんで時間はかかりますわな。上野発青森行きは24時間もかかってたりする。 スピード化が進む今では、全く悠長な話だよね。 今や上野−青森なんて新幹線で4時間かかんないんだから。

でも、そこに旅情があるのよ。

旅は疲れることにあり。

誰かの名言だけど、まさにその通りだと思うんですよ。

スピード化によって旅情がなくなったのと同時に、日本国土も狭くなったよね。 昔、ワタシらがコドモの頃は、北は青森、西は博多なんて、遥かな地のように思えたもの。 鉄道、航空機などの移動手段の発達と進化によって、日本列島もどんどん狭く感じるようになってきている。
まあ、それはそれでビジネス上はいいことなんだろうね。反面、これによって、「情緒」っていうものがなくなってきているようにも思えるんだよな。


今回は、まだ新幹線も今ほど発達せず、故郷から大都会(東京)は、まだまだ遠く離れた異国の地のあった頃の1曲を一つ。


さだまさし 「案山子」

故郷の兄から、街に出た弟か妹にあてた手紙のような1曲。

♪元気でいるか 
街には慣れたか 
友達出来たか 
淋しかないか 
お金はあるか 
今度いつ帰る・・・♪

実家から遠く離れた経験がなく、家族とこういう手紙のやり取りをしたことがない私が書くのも僭越だけど、まだインターネットもなく、手紙や電報でしか故郷への連絡手段がない時代、こういった内容の手紙のやり取りは頻繁に行われてたことだろう。

そこから、実家から離れたことがない私にも情緒を感じる。

いや、実際のところは、昔、私もこういうやり取り・・・文通をやってたことがあるんだよね。

かくいう私も、生まれは福島・いわきで、中1の時に今の千葉に引っ越してきたんだけど、引っ越して来てから高2くらいまでの5年間。 いわきの友達と文通を通りしてやり取りをしていたことがあった。

その時のやり取り内容っていうのが、まさに、この「案山子」の↑のAメロの歌詞内容のようなことですよ。

もちろん、中・高生なんで「お金はあるか」なんてことはなかったけどさ

いわきから千葉まで約200Km。 今は車を飛ばせは3時間。最初に書いたようにぐっと近くなった故郷だけど、当時は、えらく遠くに来たような錯覚があったもんなぁ。

だから、実家を離れたことがない私でも、この曲の詩の内容にはグッとくるところがあるんだよね。

こういう経験をされた方っていうのも絶対に多いだろうしね。 特に東京っていう街は、今や地方出身者の集合体のようなところがあるから。
もっとも、最近は初めに書いたように日本列島も距離感は大分小さくなったし、だから今の20代、30代の若い方々はこういう感情はあまり持たないかもしれないけど。。

これも「昭和」といういい時代の一つの象徴的な風景なんだろうな。


でさ、この曲、Bメロの歌詞にこの「物語」の田舎の風景が描かれているじゃん。

1番歌詞
♪ 城跡から見下ろせば蒼く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突♪

2番歌詞
♪ 山のふもと 煙はいて列車が走る 凩が雑木林を転げ落ちてくる 
銀色の毛布付けた田んぼにポツリ 置き去られて雪をかぶった案山子が一人 ♪

めっちゃ風景的な描写の歌詞、この一節でこの風景の映像が一瞬にしてフラッシュバックする。
当時は、こんな歌詞から映像が脳裏にフラッシュバックするような風景描写的な曲って多かったんだよね。

でも、だからこそ、今ネットでこの「案山子」についてググると、ドラマ、絵本・・などなど映像的なサイトがいっぱい引っかかってくるんだろうな。

そんな歌詞に、カントリー調のサウンド。 頭の中は一瞬して地方の風景ですよ。東京や大阪などの大都会の猥雑さがなくなる。

個人的には、この曲の原風景っていうのは、絶対に東北だと思ってたの。秋田の角館とかさ。
「煙はいて列車が走る」って、蒸気機関車ですよね。 一面の銀世界の中、煙を吐いて走る蒸気機関車・・ってどうしても、ワタシの中では東北地方のイメージがあったりするんだけどさ。

But、実際のところ、さだ氏にあった、この曲の原風景って、山口の津和野だったらしいですね。
ま、たしかに、新山口から津和野間で今でも観光用の蒸気機関車が走ってるけど。。。。
そもそも、この曲の原案が浮かんだのは、大分から福岡に向かった列車の中から見た風景からだったようで・・・。

全然、東北地方ぢゃないじゃん。。。。

うーむ、やっぱり作者のイメージと、受け取り側のイメージにはギャップがあるよね。 いや、これは、受け取る側として私、個人のイメージっていうところかな

もしかしたら以前も書いたかもしれないけど、売野雅勇氏が作詞した、東京JAP「摩天楼ブルース」。
摩天楼っていうからには、西新宿が原風景だとワタシは思ってたの。
でも実際、売野氏がモチーフにしたのは横浜だった・・ということで、やっぱり全然違ったのね。

同じ地方発大都会行きの遠距離物語な曲として超有名な太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」にしても、

♪ 恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で〜 ♪

 ・・・ってあることから、田舎の舞台は西の方っていうことは想像つくんだけど、実際のところ、当時、太田裕美さんのディレクターだったCBSソニーの白川氏が北九州の筑豊出身だったんで、それをモチーフにしたようで、これもちょっと個人的には意外だったんだけども。。。

♪ いいえ、草に寝転ぶあなたが好きだったの〜 ♪

ってあるんで、もっと牧草地なところかと思ってたんだけども。。。。

こんな風にさ、実際に作った人が見えてる原風景と、受け取る側が感じる風景って全く違ったりするんだよね・・ってうのが、この「案山子」っていう曲からもよくわかったりしてね。

まあ、それは受け取る側、一人一人の生活環境、人生・・によってそれぞれ違った風景が見えてしかるべきだと思うんだよね。
今は、多くの曲にMVがついてビジュアル的に音楽を聴く時代。これはこれでいいのかもしれないけど、映像によりなんか曲のイメージが限定されてしまうような気もするんだよな。

↑で書いたようにこの「案山子」のころのような、聴く方々それぞれで見える風景が違ってくるところが本来の音楽のいいところだと思うんだけどな。




ヤバい、動画見てたら泣けてきた。
最近、すぐ涙腺緩むのよ。。。 年取ってきたせいかな。。。

ときに・・・・タイトルの「案山子」って読めない方、よもやいませんよね〜。


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防人の詩 / さだまさし

1980_09_防人の詩_さだまさし


今回の1曲セレクトは、「防人の詩」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル     防人の詩
・アーティスト   さだまさし
・作詞       さだまさし
・作曲       さだまさし
・編曲       渡辺俊幸
・リリース日   1980年7月10日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 56.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1980年8月4日〜9月29日
・タイアップ:映画「二百三高地」主題歌

今日は全国的に台風で荒れた1日となりましたね。こちら関東でも、丁度、いま雨風が強くなってきてますね。
こういう夜は、一人しんみりと音楽を聴きたいものです。

・・・ということで、当初は今回は別の曲を書こうと思ってたんだけども、この曲に変更します。

さだまさし「防人の詩」

うーむ、シンミリとしてますねぇ。重いですねぇ。
この曲は、1980年夏に公開された、映画「二百三高地」の主題歌として映画同様、曲の方も大ヒットしましたね。

いつかも書いたかもしれないけど、当時、8月の終戦記念日前後になると、決まって「戦争」を題材とした映画が公開されたんだよな。
 この年1980年が「二百三高地」、次の年81年が「連合艦隊」(主題歌 谷村新司「群青」)、そのまた次の年82年が「大日本帝国」(主題歌 五木ひろし「契り」)・・・と、3年続けて戦争物が公開され、いずれもヒットしたんだよね。

その中で、主題歌として一番ヒットしたのが、この「防人の詩」でしたね。

・・というか、この曲だけが突出してヒットしたんだよな。たしかに何れの主題歌も、壮大な中に重厚さを感じる曲ではあったけど。。

その中で、この曲だけが50万枚以上の大ヒットした、っていうのは、やっぱり、この曲が多くのヒトの心に「グサリ」と刺さったものがあったんでしょうね。
 さだまさし氏も、この曲を歌う時は危機迫るような迫力があったもんなぁ。 同じ人が、前年の同じ「夏」に「関白宣言」でおちゃらけていたとは思えないもの。あの曲から比べたら180度違ったもんなぁ。

同時は、まだ「楽曲」の時代だったし、だから楽曲の力で多くの人を動かす時代だったんだよね。

今だったら「クサッ」と思える曲だけどさ、当時は、曲の形式よりも、如何に多くのヒトに刺さる曲であるかっていうのが重要だったんだよな。

そう言う上で、ヒットチャートっていうものも「重み」があったんだよね。

この間の大江千里「格好悪いふられ方」の時に、91年当時は日本のヒットチャート史上最強期って書いた。

確かに、超ロングヒットが多かったという意味では、91年当時のヒットチャートは最強だったかもしれない。

けど、ランクそのものの「重み」と言う意味では、「80年」っていう年は、本当に重みがあったんだよな。
なんて言うのかなぁ、ランクされた1曲1曲、そのものが本当の意味でのヒット曲って感じだったじゃん。
もちろん、曲そのものも良かった。
だから、そんな時代にオリコン2位まで行った、この曲は本当にヒットしたと思う。。。

・・・と大そうに書いてしまったけど、本当の所を言うと、個人的には、ここまで売れていたとは思わなかったんだよね。
 
うん、当時はまだ、オリコン買ってなかったしさ。だから、どの曲がどのくらい売れたか・・・っていうのは全くしらなかった。
まあ、「ベストテン」は見てたから、「ベストテン」の範囲内でのヒット感しか知らなかったんだよね。

その範囲でのは、この曲それほどヒットしていたとは感じなかったんだよなぁ。

まあ、当時、さだ氏は、それほどテレビに出なかったというのもあると思う。
この曲も「ベストテン」には出演した事があったけど、それほど回数出演してなかったしさ。

でも、その数少ない出演した時、しっかり録音してたんだよな、ワタシ。

で、この曲、当時何回も聴いたなぁ。 ・・というか、この頃の曲、個人的にも大好きでさあ。 まあ、テープが伸びるんじゃないか・・・と思うほど、毎日飽きずに聴いてたよなぁ。

だからね、この曲を含め、この頃の曲を聴くと、未だに鮮明に当時の風景が浮かんできますわ。
ワタシは小学5年生 11才だったな。

うん、正直言って、詞の内容は全く分かんなかったんだけども、曲がね、どうしても染みるんだよね、心に。

ちなみに、当時ベストテンからとったテープはこの曲の次が、ジューシィ・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」だったして。。。  かなり落差があったんだよな。。。



なつかしいなぁ、そう、こんな感じでしたよ。
レコードでは、オーケストラ編成だったけど、テレビでは、アコギ1本の弾き語りだったんですよ、この曲。
この動画はベストテンではないけど、ベストテンも、これとほぼ同じアレンジだったんだよな。
だからね、個人的にはレコードアレンジよりも、このアレンジがしっくり来るんだよな。
レコードアレンジよりも、さだから訴えかけがダイレクトに感じるし。

ちなみに、この曲で、この年の「紅白歌合戦」に出演した、さだまさし氏ですが、この曲、テレビアレンジで歌っても5分以上あるんだよね。
通常、余程の大御所でない限りそんな尺は貰えない。せいぜい3分がいいところだったんだけど、それじゃ、この曲の意味が通らない・・・と5分のテレビバージョンまるまる歌ったんだよね。 それで当時、いろいろ批判を受けてましたよね。



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道化師のソネット / さだまさし

1980_03_道化師のソネット_さだまさし








今回の1曲セレクトは、「道化師のソネット」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル    道化師のソネット
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      渡辺俊幸
・リリース日   1980年2月25日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  40.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1980年3月17日〜4月21日付
・タイアップ:映画「翔べイカロスの翼」主題歌

今回はマクラ無しですぐに本題。

さて今回ひっぱってきた曲は、さだまさし氏の「道化師のソネット」。

いや、個人的には、かなり「難題」な曲をセレクトしてきたつもりなんですよね。 
・・・・というのもこの曲は、どこからどう書いて良いのか、とっかかりがなかなか見つからない。
こういう曲のレビューって、難しいようにも思えるんだけど、ここから書こう・・・っていうとっかかりが見つかれば、筆が進むのは意外と早いんだけどね。 うーん、この曲は難しいな。

ま、この曲がヒットしたのは、1980年の丁度今頃ですわ。今から36年前ですね。
最近もNHKを中心にちょくちょくテレビで見かける、さだまさし氏ですが、「ヒット」と言う点からみれば、前年の「関白宣言」を頂点として、一番「脂」が乗り切ってた時期ですね。
前曲「親父が一番長い日」もオリコンで1位を記録してたし。 だから、この曲の最高位2位っていうのは、後年のおちゃらけた、さだまさし氏しか知らないヒトから見れば意外かもしれないけど、当時は「必然」だったんだよね。

・・・・とは言うモノの、正直言うと、ワタシもこのオリコンの順位と売り上げ枚数を初めて知った時は意外だったんたけどさ。

この曲がヒットしてた1980年当時は、まだオリコンは読んでなかったのよ。というか、存在すら知らなかったんだよね。
日本のヒットチャートは、「ザ・ベストテン」だとばっかり思ってた頃だから  
でもベストテンでは、さだ氏は、あんまり上まで行かなかったからなぁ。「関白宣言」でさえ、最高2位でしたからね。 この「道化師のソネット」は最高7位だったな、たしか。

 なんで、オリコンとベストテンでは順位に開きがあったか・・・といえば、単純に、さだ氏が「はがきリクエスト」に弱かったからなんだけどね。 当時のベストテンは、はがきの得点配点が高かったからね。

だからね、翌1981年にオリコンを知って、さだまさし氏の各曲の売り上げ枚数と、最高位を知った時は結構びっくりしたな。 この曲も40万枚越えだったし。。。
 うん、さだ氏もそうだったけど、総じて、ニューミュージック系のレコード売り上げ枚数って、自分が感じていたよりも高かったんだよね。アリスなんかもそうだったなぁ。

まあ、当時のレコード購買層とニューミュージック勢のファン層は、ぴったりシンクロしていた訳で、総じてそう言う傾向になった訳なんだけとさ。当時は、そういう細かいところまでは分からなかったからなぁ。あくまで自分の「感覚」だけだったからさ、ヒットの大きさって。

ちなみに、この曲、個人的には、当時はあんまり聴いてなかったんだよね。
ま、今でこそ、ちゃんと音源持っているんでしょっちゅう聴いてるけど、当時はテレビが唯一の情報源でしたからねぇ。
でも、当時は、さだ氏ってあんまりテレビで出なかったからなぁ。 出てもあくまでレコードのプロモーションのためにちらっと出るくらいだったから。 ベストテンでもこの曲は、1度しか出なかったんじゃなかったかなぁ。

でもね、今聴くと、懐かしいんだよね。 聴くたびに、どこからか1980年の今頃の匂いがしてきて、情景が脳裏をかすめる。
 当時は、あまりこの曲聴いていなかったはずなのに不思議なもんなんだよなぁ。
意識としては完全に埋もれちゃっているんだけど無意識の記憶の中のどっかに残ってるんだよね。
だから、音楽って不思議。

それと、この曲ではじめて、さだ氏の音楽でニューミュージックの匂いを感じたんだよなぁ。 それまでは、このヒトは完全フォークのヒトだと思ってたんだよね、個人的には。
 
うん、レコード音源で聴く限りでは、この曲の前の曲、「天まで上がれ」にとかさあ、ニューミュージックっぽいアレンジになってたりするけど、テレビの時はアコギメインでとかさ、フォークっぽかったんだよね。

 フォークとニューミュージックの境ってなんじゃらほい? と言われると困っちゃうんだけどさ、そもそもニューミュージックっていうジャンルの定義からして曖昧なんで。。。
 でも、ニューミュージックっていう音楽は、音場広さっていうのかなぁ、空間が広く感じるんだよね。フォークって、どうしても「四畳半」の世界とかさ、なんか空間が狭っちいしみったれた音楽に感じるじゃん。
さだまさし氏の音楽も最初は、そんな感じだったんだよね。 いや、そんな感じに聴こえたんですよ。 

でも、この曲に関しては最初から、音場が広く感じてさあ。

そもそも、♪ 笑ってよ きみのために〜 ♪ っていう歌の出だしから、わーっと一気に世界が広くなったような感じをうけるじゃん。 あ、これは、フォークじゃない、ニューミュージックだ・・・って思ったんだよね。

 なんて・・・ホントに当時、小学5年のクソガキだったくせにそんなこと思ったのか・・・なんて言われそうだけど、そう思ったんですぅっ   まあ、いつも書いてることだけど、いまのクソガキに負けす劣らずな「ませたガキ」だったからさあ。





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秋桜 / 山口百恵

1977_11_秋桜_山口百恵






今日の1曲セレクトは、「秋桜」山口百恵です。

 まずはデータです。

・タイトル    秋桜
・アーティスト  山口百恵
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1977年10月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   46.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年10月17日〜12月26日付

 歌謡曲って、今では、ほんとにアナクロなものになっちゃったけど、なんだかんだ言っても、やっぱ、ワタシらの世代には、一番安心する音楽なんだよなぁ、考えて見れば。

 うん、もちろん、ロックだぁ、なんだぁかんだぁ・・っていうのもいいんだけどさ、やっぱ、子ども頃、ちまたに流れてた音楽は、歌謡曲だからさぁ。

 そういうところを考えると、やっぱ、今の若いコたちとは、音楽に関しては一線画すようなぁ、どーしても。
 だってさ、歌謡曲が、普通に流れていたのは、せいぜい83年〜84年くらいまでだったもんなぁ。

 それを考えると、そーだなぁ、少なくとも、今の30代より若いコたちとは、音楽の「起源」については、そりが合わないわけですよ。


 なんて、わけわかんないこと書いてますが、今回の1曲セレクトは、「歌謡曲」ですあせあせ

 山口百恵の「秋桜」。


 いやー、これを歌謡曲と言わなくてはいけないのか・・・とか思われちゃうかもしれないけど、「今の基準」から考えると、充分「歌謡曲」だろうなぁ、この曲調は。

 当時は、ニューミュージックとアイドルの合体って感じに言われてたけど。。
 「合体」ね〜、まだ、「コラボレーション」なんてコトバは日本にはなかったもんで。。。

 うん、この曲は、作詞、作曲が、さだまさしなんだよね。

 80年代に入ると、ニューミュージックのヒト達がアイドルに曲を提供するっていう図式は、全く普通になるんだけど、こと70年代では、まだ、珍しい形式だったんだよね。

 なんせ、ニューミュージック界と、アイドル界は、まるで水と油なせ界だったわけだから。 うん、いわいる、あっち側、こっち側構造ですわ、ゲーノー界の。

 まあ、その間に「壁」があったわけですな。

 その壁をあえて破って、新しい形の音楽を作って、それがヒットしちゃった・・・ってことで、この曲は、当時としては、画期的な曲だったわけです。

 うん、まあ、今だと普通の歌謡曲だけど。。。

 でも、、まあ、手始めにさだまさしを選んだっていうスタッフ側も手堅いですよな。
 ま、さだまさしなら、ヘンな事をやってこないだろう・・・っていう読みなんだろうけど。。

 ただ、当のさだまさしは、随分苦労したようだけどね。なんせ、前例がないことなんで。。

 でも、まあ、それでも、こんな名曲に仕上げて来るわけだから、やっぱ、さすがなわけです。

 で、この曲の成功が、次の年の「いい日旅立ち」につながっていった訳だからね。うん、こちらは谷村新司・・・と。ニューミュージックシリーズ第2弾というわけで。。



いや、それにしても、このオトナっぽさはなんだexclamation & question この時18歳だったのよ、山口百恵。
 加えて、歌のうまさは・・・・。言うことありませぬ。

 昨日の西城秀樹もそうだけど、歌に「ココロ」があるよね。歌い方が丁寧だし。 だから響いてくるのですわ。 口先だけの歌じゃないってことですね。


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長崎小夜曲〜Nagasaki City Serenade〜 / さだまさし

1982_10_長崎小夜曲_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「長崎小夜曲」さだまさしです。

 まずはデータです。

・タイトル    長崎小夜曲〜Nagasaki City Serenade〜
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      渡辺俊幸
・リリース日   1982年9月11日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   10.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位

 最近は、あんまり「ベストテン」っていう区切りでランキングを見ることが少なくなったせいか、あんまりベストテン入りしたか、どうか・・っていう見方もしなくなってきたな。
 ましてや、最高位11位で、あと一歩でベストテン入りを逃した・・・とかさ。

 昔、ベストテンが全盛の頃は、この10位と11位の間の差っていうのが、限りなくデカイ溝だったような印象もあったんだけどねぇ。
 それこそ、最高位11位の曲はあわれ〜・・・って感じでさ。

 だから、ワタシのサイトの「ベストテン館」っていうコーナーにも、「最高位11位」っていうコンテンツもあるわけなのよ。

 まあ、この感覚も、ベストテン番組が衰退して20年余りも経って、最近は、なかなか伝わらなくなってきちゃったけどさぁ。


 なんて、ウダウダ書いておりますが・・・、ハイ、今日の1曲セレクトは、そんな「最高位11位」の曲どえす。

 さだまさしの「長崎小夜曲」。

 うーん、↑の様に書いて、「NAGASAKI CITY SERENADE」と読むのですよん。

 82年の今ごろの曲だけど、正直言って、今となっては、かなり「重箱の隅」を突付くような存在になってしまった気もするけどね。

 はたして、この曲を覚えている方もどのくらいいるんだろう・・・と、若干、心配ではあるんだけど。。

 うーん、オリコン最高位11位ではあるんだけどねぇ。。 実は、この曲のC/Wが、あの「北の国から」のテーマ曲でして。。

 そそそ、♪あーあーーー あああああーあ〜 ♪ ってやつね。

↓ コレ



 こちらに、知名度をとられて取られてしまった様な感じもあの、だからタイトル曲の「長崎小夜曲」なんて、しらねーよ・・・っていう感じにもなっちゃっているような気もするんだけどねぇ。

 でもねぇ、これが、結構いい曲なのよ。 

 さだまさし・・・っていうと、浮かんでくるのが、この当時の言い方で「ネクラ」っていうイメージじゃん。

 でもさ、この曲には、そんなイメージはない。めずらしくポップな曲なのよ。

 タイトルからは想像も付かないんだけどさぁ。

 この曲のリリース情報は、当時の明星の付録の「ヤンソン」で知ったのかなぁ、たしか。

 初めて聴いたのは、「全日本歌謡選抜」ですよ。なにせ、このころは、毎週、日曜日の13時〜16時30分は、食いついてましたから、ラジオに。。ふらふら

 で、初めて聴いた時、めっちゃ、意外だったのを今でも覚えてますよ。
 あのころのワタシにも、すでに、さだまさし⇒「ネクラ」っていうイメージが出来上がってたからさぁ。

 だってこの曲の前が、「しあわせについて」⇒映画「ひめゆりの塔」の主題歌・・・よ。

 随分、イメージが違ったもの。

 で、個人的にも売れるかなぁ・・・なんて、一応、期待してたりしたんだけど、結局、あんまり、売れなかったんだよな。10万枚ギリギリまでしか行かなかったし・・。

 うんにゃ、正確には99,970枚で30枚足りないの、10万枚にふらふら

 だから、ちょっと、残念な感じもしたのを覚えてるわぁ、33年前だけどさぁ。


 でも、この曲がリリースされた背景、こういうポップスな曲調になった背景っていうのは、ちゃんとあるんだよね。

 うん、この年(1982年)の7月に「長崎大水害」があってさ、長崎の街に深刻な被害がでたんだよね。重要文化財だった、「眼鏡橋」も、流されちゃったりしてさ。

 そんな状況から復活しよう・・・っていう気持ちも込めてリリースされた曲だったのよ。

 1995年の「阪神淡路大震災」の時の「がんばろうKOBE」とか、2011年の「東日本大震災」の復興キャンペーンの「花は咲く」と同じような気持ちもこめた、この曲だったのよ。

 恐らく今だったら、福山が歌ってたんだろうな、きっと。





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関白宣言 / さだまさし

1979_09_関白宣言_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「関白宣言」さだまさしです。

 まずはデータです。

・タイトル    関白宣言
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      福田郁次郎 さだまさし
・リリース日   1979年7月10日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   122.7万枚
・ザ・ベストテン最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1979年8月2日〜11月8日放送分

 毎度のごとく、今回の1曲セレクトは何にするべ? ・・・と思案すること数時間。。。 時代を上ろうか、下ろうか・・なんて考えた挙句、上ることにしちゃいました。。そんなら1979年にタイムスリップexclamation

 今まで、ずっと1曲セレクトを読んでくださった方には、「1979年好きだねぇ・・・」と言われそうなんですが、はい、好きなんですexclamation

 なんせ、ワタシにとって、ヒット曲と本気で向かい合った最初の年だもんね。

・・ということで、丁度、36年前の「今ごろ」大ヒットしてた、さだまさしの「関白宣言」を一つ。


 この曲、最初に聴いたのが、「ザ・ベストテン」だったな。あのころ、さだまさし ってテレビにあんまり出てなかったんだよね。最近はちょくちょくテレビに出てるけどさ。
 あのころは、フォーク・ニューミュージック系のアーティストはテレビに出ないヒトも多かった。

 やっぱし、まだ、「あっち側、こっち側」っていうのが明確に分けられて時代でしたからね。
 それでも、だんだんとニューミュージック系のアーティストもテレビの歌番組に出るようになって来ていた。その先鞭をつけたっていう意味でも「ザ・ベストテン」の功績は大きかったよな。

 それでも、さだまさし は、まだまだ出演辞退する回数の方が多かったんだよね。
 1曲ランクインに付き、1回か2回の出演っていうパターンがずっと続いてた。

 この曲もそうだったんだよね。たしか、最初に出演したときは、ランクインして数週たった、第3位の時だったと思う。(詳しい放送日時は忘れてしまったけど・・・)

 一言、笑ったねぇexclamation ×2

 いや、こんなコミカルな詩の曲だとは思わなかったの。

 1曲前にランクインした「天までとどけ」が さだ本来の独特な「暗さ」があった曲だったでしょ。

 全く不意を付かれたって感じexclamation & question

 実は、そのとき録音したカセットテープが未だにウチに残ってるんだけど、後ろでクスクス笑ってる声まで入っちゃってたりするのあせあせ

 そそそ、昔は、ライン録音なんて知らなかったから、テレビの前にテープレコーダー置いて、直接録音してたじゃん。
 で、時々電話がなったり、とつぜんオヤジがしゃべりだしたりして、その声まで録音されちゃってるってやつ・・・まさにあの状態。

 だって、兎に角面白かったんだもん。

 なんつうのかな。それまで歌って、「マジメ」な歌詞が歌だと思ってたの。
 この曲は、それまで聴いてきてた曲と、切り口が全く違ったんだもんね。


 長年、「オリコンウイークリー」を読んできた方は覚えてるかもしれないんだけど、89年〜90年ごろのオリコンウイークリーで「NO.1物語」っていうコーナーがあったじゃん。
 オリコンで1位を獲得した曲のコラムみたいなコーナー。

 それによると、たしか、この曲って、当時、京都の行きつけの飲み屋での会話から生まれたんだよね。

 今もそうだけど、当時、だんだんと女性の地位が高くなっきてて(ウーマンリブって言うのもありましたしね)、最近の男はだらしねぇな・・・なんていう会話から、その飲み屋のオカミから、「それ、歌にしなはったら、面白いとちがいますか」って言われたのが、ヒントになっていたんだよね。

 で、その時の会話を逆手にとって、当時、すでになくなってきていた「亭主関白」を題材に、この曲を作ったわけ。

 最初に出来たタイトルは、たしか「王手」っていってたらしいんだよね。

 で、出来立ての曲を、たまたま宮崎でのコンサートでやってみたら「大盛況」
 そのほかの会場でも大盛況だったんだよね。

 これはこれはexclamation ×2 ってなってツアーの合間に急遽レコーディングし、タイトルも「関白宣言」に直してリリースしたのが、この曲ってわけ。

 ちなみに、リリースする直前から、かなりの反響になっていたらしく、リリース日は1979年7月10日だったけど、7月16日付のオリコンランキングでは、83位に早くも初登場。翌週7月23日付では、いきなり3位にランクアップしている。

 つまり、7月16日付は、集計期間の関係上、リリース当日1日しか集計期間に引っかからなかったため、初登場83位に留まったって事ですね。
 これは、78年のピンクレディーの「カメレオンアーミー」が初登場88位で、翌週いきなり1位にジャンプアップしたときと全く同じ現象。

 つまり、それだけ、この曲の反響が凄かったってわけ。

 なら、1日リリース日ずらせば、初登場で上位だったじゃん。 って思う方もいらっしゃると思いますが、そこが当時と今との意識の違いね。
 当時はまだ、オリコンチャートを利用したリリース日を考えようなんていう事はなかったの。あくまで、レコード会社の定期リリースに合わせたリリース日設定だっただよね。
 だから、時として、こういうチャートアクションも生まれてきてた。


 で、オリコンでは早くも7月30日付で1位を獲得。以後10週連続で1位獲得なんていう、ミリオンセラーとなる。

 それでも「ザ・ベストテン」では最高2位止まりだったんだよね。
 これは如何に?  ・・・と思って調べてみたら、「ザ・ベストテン」でランクインしていた、1979年8月2日〜11月8日放送分までの間、1度も「ハガキ」チャートで10位までに入ってきてない。。。。
 つまり、この曲、リクエストハガキだけが極端に弱かったんだよね。

 まあ、当時のベストテン視聴者層とさだまさしファンの間との乖離ってことかなぁ。。。

 当時、「ベストテン」はハガキリクエストの比重(配点)の割合が一番大きかったからねぇ。だから、1位取れなかったんだよね。




 蛇足だけど、この曲のリリースから15年後の1994年に、この曲の「続き」の曲として、「関白失脚」っていう曲をリリースしてたりするあせあせ

結婚前は男上位。。。。でも、いざ結婚してみれば、奥さんが強い。。。なんて、現代社会を反映してたりして。。。

「関白宣言」で「俺について来いexclamation」って見え切って結婚したものの、15年経つと、やっぱり「かかあでんか」になったっていうパロディね。

 関白宣言が「メジャーキー」だったのに対して、「関白失脚」は、きちんと「マイナーキー」になってたのが、笑えた。
しっかりパロッてたんだよね。


↓ コレ





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しあわせについて / さだまさし

1982_06_しあわせについて_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「しあわせについて」さだまさしです。

 まずはデータです。

・タイトル    しあわせについて
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      渡辺俊幸
・リリース日   1982年5月25日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   16.3万枚
THE HITCHART HOT30最高位 16位
・タイアップ:映画「ひめゆりの塔」主題歌

 突然のドシャブリに降られて・・・なんて歌があったような気がするけど、かなりのドシャブリょうまい事避けて、家までたどり着けましたわ。 こんなことめったに無いけどな。今日は運が良かったわぁ。

 今の時期の「雨」というと、ときどき思い出す曲があったりして。 

 さだまさしの「しあわせについて」

きっと、初めて聴いたのが、たしか82年の今ごろだったと思うねぇ。シトシト降りの雨の日のオヤジの車のFMから流れてきたときだ、たしか。
 なんか、あん時の印象が強いんだよなぁ、いまだに、よく覚えてる。

 曲の内容としては、全く「雨」とは関係ないし、曲調的にも、そんなに「湿り気」があるわけでもない。さだまさしとしては、「正攻法」的な曲ですわ。
 オチャラケに走らず、かつ、超長編でもなく、「正攻法」だったのは、この曲が、映画「ひめゆりの塔」の主題歌だったこともあるでしょう。

 そういえば、昨日23日は先の大戦の沖縄戦が終結した日だ。そう言う意味でもセレクト曲としてはいいかな?


 曲調としては、80年の「道化師のソネット」に近いな。

 それでも、いまだにこの曲を聴くと、あの雨の日を思い出しちゃうのは・・・、うーん、どうしてなんだろうねぇ・・・。
 よっぽど、なんか、引っかかったことがあったんだろうな。。。そこは覚えてない。。。


 あ、引っかかる・・・といえば、この曲さあ、まずもって、Aメロのでしだしが引っかかるんだよね。

 ♪ しあわせですか〜 しあわせですか〜 あなた 今 〜 ♪

ってところ。

 いや、メロディ的には、普通なんだけどさあ、出だしの

♪しあわせですか〜 ♪ が、小節頭の3/4拍のアーフタクトから入ってくる・・・なんて、とっても不安定な入り方なんで、微妙にバックとずれてくるんだよね。ま、譜面的にいうと、故意にぢゃなく、必然的になんだけど。。
 だけど、 ♪ あなた 今〜 ♪ で、バックとぴったり合うようになる・・・。 
 
 ここが、この曲の面白いっちゃ、面白いところなんかなぁ。

 なんかさ、それに気がついたような気がするんだよな、あの雨の日。。。

 だから、未だに印象に残っているのかもしれない。


 それにしても、あのころって、映画の主題歌を良く書いてたな、さだまさしって。
 あのころシングルは、ほとんど「映画の主題歌」だったもんね。

 件の「道化師のソネット」が「跳べイカルスの翼」、次の「防人の詩」が「二百三高地」、1曲おいて「生生流転」が「長江」、で、もってこの曲が「ひめゆりの塔」・・・と。
 なんとなく、社会派映画ばっかっていうのは、やっぱ、キャラクターか。。。






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雨やどり / さだまさし

1977_06_雨やどり_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「雨やどり」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル     雨やどり
・アーティスト   さだまさし
・作詞       さだまさし
・作曲       さだまさし
・編曲       渡辺俊幸
・リリース日    1977年3月10日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    68.3万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年4月11日〜7月25日付

 今回は久々にちょっと古い曲を・・・。うん? ちょっとどころぢゃないか・・・もう38年も前の曲になるんだねぇ、この曲も。いやはや、ワタシも年取るはずだよなぁ・・といつもの感想

 それにしてもこの曲は画期的だったよなぁ。なにが画期的だったのか?

 ま、たしかに、内容的な切り口も面白かったよね。「彼女」から見た、恋愛話をあたかも、「日記」を展開してるような軽いタッチで面白おかしく展開していく。

 うん、ただ、この手の話の曲は当時のフォーク調の曲には、たまにあったわけで・・・。

 それにもまして、この曲が画期的だったのは、「通常」盤がライヴバージョンだったこと。

 そそそ、ちゃんとスタジオで録音したものでなくて、ライヴ会場での一発取りが、そのままシングル盤になっちゃった・・・っ所でしょうね。だから、お客さんの拍手はもちろん、上で書いたように面白おかしく話が展開されていく中で、客さんの笑い声もそのまま入ってる。

 なんかその雰囲気が、あたかもモンティパイソンを見ているような軽快さとおかしさなんだよなぁ。

 まあ、それが、この曲のすべてなんだろうなぁ。でも、よく、こういう発想を思いつくよね。通常はきちんとレコーディングして、最高の音で・・・って考えるもんだろうけど、ライヴでの一発取りだもんね。

 ただ、ライヴだからこそ、歌が生きてるっていうところもあるしね。この曲の場合、そこがうまくはまってるって言えるんぢゃないかなぁ。


 しかし、さだまさし・・ってこれで味しめたのか。意外とライヴ盤をそのままシングルにしちゃった曲って意外とあるんだよなぁ。79年にリリースした「親父の一番長い日」なんかもそうだよね。
 もっともこの曲は、12分もあったもんだから、通常の7インチシングルでは収まりきれなくて12インチ盤だったけど・・・。うん、12インチ盤で最初にオリコンの1位を取った曲ね。

 それらを含めて、さだまさしのオリコン1位獲得は3曲。これって意外と多いって感じしません? まあ、ずっとオリコン見てきているヒトにとってはそうでもない事実かなぁ。




この間の福山のカバーアルバム「魂リク」のこの曲のカバーもなかなかだったけど、やっぱ、オリジナルのさだバージョンだよな、この曲は。
 さだのそっけない歌い方が、より「笑い」を誘うんだよね。



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天までとどけ / さだまさし

1979_01_天までとどけ_さだまさし






今回の1曲セレクトは、「天までとどけ」さだまさしです。

 まずはデータです。

・タイトル    天までとどけ
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      渡辺俊幸
・リリース日   1979年1月1日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   30.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1979年2月26日〜3月19日付

 前回に続いて1月1日リリースの曲をもって来ました。

 天までとどけ / さだまさし

 いや、これは、ちょっと盲点だった。まさか、この曲が1月1日リリースだったとは。。。
 ヒット時期から考えて、もう少し後のリリースかと思ってたんだよね。
 でも、実際は、1979年1月1日リリース。

 それまでワーナーパイオニアからリリースしていた、さだまさしが自レーベルのフリーフライトを立ち上げた、最初の作品になりますね、この曲が。
 うーん、だから、縁起を担いで1月1日リリースにしたんでしょうかね? その辺は、ちょっとよく分らないんだけども。


 しかし、この間の紅白を見てて、この曲の頃の「さだまさし」とは、随分変わったなぁ・・・と思いましたねぇ。

 何が一番変わったか・・・まずもって、普通にテレビに出ていることからして変わったわな。

 なにせ、あのころ、殆どテレビには出なかったんですぞ、さだまさしって。

 中島みゆき、松山千春、南こうせつ 矢沢永吉に並んでテレビに出ないアーティストだったんだよね。

 まあ、松山千春ほど、徹底してテレビを拒絶していたわけではないけど、この曲の頃、ほとんどテレビのウタ番組にでていなかったと思う。

 当然のことながら「ザ・ベストテン」でも、この曲はランクインしてたんだけど、なぜかベストテンにランクされる前の「スポットライト」には、出演したんだけど、ベストテン内にランクされたときは、一度も出演しなかったような記憶がある。

 出演拒否の理由も、さだまさし氏の所在が不明とか、一時、行方不明扱いになっていたような記憶があるんだけど、これは、ワタシの記憶違いですかねぇ・・・。

 その後も「関白宣言」「道化師のソネット」「防人の詩」でベストテン入りしたときも、すべて1回のみの出演だったような・・・。
 「親父の一番長い日」は長すぎて(?)、出演拒否? (というか、さだまさし の曲って全般的に長い曲が多かったよなぁ)


 で、ワタシの記憶の中では、この曲で唯一出演した1979年2月1日放送の「スポットライト」の時があるんだけど、この時、アコギ1本で、この曲歌ったんだけど、矢鱈と「暗い曲」っていうイメージがあったんだよね。

 まあ、だから、さだまさし=暗い っていうイメージがこびり付いちゃったんだけど・・・。

 でも、これがレコードで聴くと、全然違うんだよね、この曲。

 これが全然暗くない。渡辺俊幸氏のアレンジが卓越してるんだろうな。
 もともと渡辺氏ってクラシック出身のヒトだから、フォーキーな曲をうまくオーケストレーションにアレンジするのがうまいんだよね。

 この曲も、恐らく、原曲は「ベストテン」で聴いた時のように、暗ーい曲だったんだろうな。

 そこを、いかにも「さわやな」なイメージに鞍替えさせたのは、やっぱりこの曲のアレンジの力だとおもいますね。

 だからさ、後年、この曲の「レコード」を聴いて、イメージがガラッと180度変わったもんなぁ。

 いまでは、全く暗い曲だって言うイメージは全くないねぇ。

 最後がいいんだよね。

 ♪ ようこそ 僕の街へ ようこそ この愛へ〜 ♪ で一気に駆け上がっていくところ。 ここがこの曲の一番の聴きどころでしょう。

 それまで、さだまさし=暗い っていうイメージがあるヒトもここを聴けばイメージが変わるってもんですよ。



 だけど、あのころ、ひたすらテレビへの出演拒否していた、さだまさし、松山千春や南こうせつが、しょっちゅうテレビに出てたり、永ちゃんがCMやってたりする昨今では、あのころと本当に隔世な気がするなぁ。

 まあ、それだけ時間が経っているってことなんだろうね。あれから、36年だもんなぁ。。。
 人間、そりゃ丸くなるわな。







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