かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

おニャン子クラブ

オリコンウイークリー通巻400号(1987年6月8日号)

またまた、凝りもせず、オリコンウイークリー記念号!
今回は通巻400号(1987年6月8日号)

●表紙 荻野目洋子さん
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前回の300号同様、一目で「記念号」と分かる表紙でしたね。
300号の時は、オリコンウイークリー創刊号の復刻掲載が「目玉」だったけど、400号での目玉は、何と言っても筒美京平氏のスペシャルインタビューだったろうなぁ。

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マスコミには出ない・・と公言し、当時マスコミのインタビューはほとんど断り続けていた筒美京平氏でしたからねぇ。
その筒美京平氏がオリコン誌のインタビューに登場する。これだけでもスゴいことだったしね。まあ、筒美京平氏の作曲家デビュー20周年と、オリコンウイークリー400号というタイミングがうまい具合に重なったことと、あの頃はバブルが始まっていたし、お金をかけることも出来たこともあったんだろうね。そういうことで、こんな豪華インタビューが実現したんだろうなぁ。
一時は、「幻」なんじゃないか、何人かで構成されるゴーストライター集団の総称なんじゃないか・・なんてささやかれていた筒美氏だったし、ご尊顔を拝見して感激しましたねぇ。

もう一つの、スぺシャル特集はこの当時時点までの、オリコン歴代売上げランキングの掲載でしたね。シングルについては、それまでも何度か目にしていたものの、アルバムの歴代売上げランクについては、この時がはじめて目にしたような気がする。
併せて、1968年のオリコンスタート以降の年度別の年間ランキング、シングルTOP20&アルバムTOP10の年間売り上げ枚数入りでの掲載と、データについては大盤振る舞いしてくれましたね。


●今週のランキング
えー、毎度毎度のことですが、週間ランキングの写真掲載はメンゴ。
▼シングル
1位は、おニャン子クラブ「かたつむりサンバ」が初登場首位。

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表紙の見出しにもなっているように、おニャン子クラブとして6作目の1位。
とはいえ、次の週は9位に急降下。ベスト100位内にわずか5週しかとどまれない・・というように、1位獲得したものの、この頃になると人気も完全に「一般性」を失っていた訳よ。
件の「夕ニャン」の視聴率もだだ下がりで、これから2か月後の8/31を持って終了。同時に、おニャン子クラブは解散。
・・というわけで、この曲がおニャン子クラブとしては最後のシングル1位獲得曲というわけですな。

その他ベストテン内を見ると

3位 サマードリーム チューブ
7位 IT'S TOUGH 渡辺美里
8位 モノトーンボーイ レベッカ
9位 Get Wild TM NETWORK
10位 Strangers Dream ジャッキーリン&パラビオン
と半分はロック、ニューミュージック勢と、再びロック・ニューミュージック勢の躍進が目立ってきていた頃。 
まあ、ジャッキーリン&パラビオンをロック、ニューミュージック勢の範疇に入れていいかは微妙だと思うけど、昨今で言えばシティポップスなので。。。
いずれにしても70年代終盤〜80年代初頭にかけてのニューミュージックブームの頃の、ロック第2次世代とはまた違う、ダンスビートや鋭角的で独特なグルーヴが特徴のロック第3世代の台頭が本格的になってきていたのよ。
逆にアイドルはマニア向け化が進行。いわいるB級、C級といったマニア向けアイドルの拡大が進んできていた頃ですな。
そんな音楽トレンドの変化がランキング上でも目に見えて分かるようになってきた頃ですね。

▼アルバム
1位は、 松田聖子「Strawberry Time」が前週からの1位を堅持。

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この週 
2位 SUMMER DREAM チューブ
3位 JOY AND PAIN 池田聡
4位 Mr.ASIA チャゲ&飛鳥
といったいずれも強力ラインナップの「初登場」勢を抑え、2週連続での首位。
これは、結婚以来一時活動休止していた、聖子さんが本格活動再開した際にリリースされたアルバムですわな。
前回300号の時の「The 9th Wave」でも書いたけど、聖子さんはアルバム強かったんだよね。
ちなみに、シングルの「Strawberry Time」は、前週までの1位は死守できずにこの週は2位
なお、ここに書いたのは「LP」ランキングだけども、他にCD、カセットチャートでも1位。 いわいる「3冠」達成週というわけですな。

1987年6月第1週時点では、アルバムチャートは、まだ、LP、CD、カセット、それぞれ個別のチャートとして掲載されていたけど、この年の10月からは、これら3チャートの合算ランキングとして新たにアルバムチャートがスタートすることになる。
この頃になると、LPよりもCDの売り上げの方が確実に高くなっていて、いわいるアナログレコードの下火が顕著になってきていましたしね。
ただし、シングルCDは、この時点ではまだリリースされていない。なので、シングルは、この時点ではすべてアナログの売り上げ。
CDの売り上げが拡大している中で、全体的なシングル売上げ低下が進んでいるのも当然で、一時はこのままシングルCDの発売が無ければ、そのうちシングルは無くなるんじゃないか・・なんて個人的には思っていたなぁ。
そんな危惧も、翌年2月末のシングルCDリリース開始で一気に解決しましたが。。。

でも、あの頃のアナログレコードが置かれた状況を知っているだけに、昨今のアナログレコード復権の兆しは不思議な現象・・・に感じるんだよね。
まあ、これも時代の流れなんだろうけどね。


●その他のトピックス
前回の300号でも書いたように、いわいるオリコン読者向けのための、「オリコン通信」のページ数が多くなっている時期ですね。 

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その中からオリコン読者有志による「読者集会」なるイベントが盛んになってきていたのがこの頃。今で言えば「オフ会」だよね。
まあ、ほとんどがアイドルファン同士の交流の場であったこともあり、チャートファンだったワタシは参加したことは無い。
ただ、これら「読者集会」を取りまとめていた一人である、当時奈良県在住だった「THE CHARTER☆7」さんとは、件のオリコンチャート研究会を通して、この後、知り合うことになる。
ハンドルネームでも分かるように、もともとはアイドルファンというよりは、チャートマニアでオリコンを読み始めていたこともあり、うちらのグループにも接触してくれたとの事だったかなぁ。
もう久しくお会いしていないけど、元気でしょうかね。 

ちなみに、ワタシは、この時17才 高校3年。
半年後には大学受験というのに、まだのほほんとしていた頃。
そりゃ、受験失敗するよなぁ〜。

お先に失礼 / おニャン子クラブ

1986_08_お先に失礼_おニャン子クラブ


今回の1曲セレクトは、「お先に失礼」おニャン子クラブです。

まずはデータです。

・タイトル    お先に失礼
・アーティスト  おニャン子クラブ
・作詞      秋元康
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1986年7月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   16.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1986年8月4日〜8月18日付
・タイアップ:映画「おニャン子ザ・ムービー危機イッパツ!」主題歌

長梅雨が明けたと思ったら、一気に「夏」がやってきましたね。 先週1週間はずっと晴れ。
それまでずっと雨が続いていたわけで、ようやく気分も盛り上がってきました。
でも、時すでに遅しってところなのかなぁ。 早くも「立秋」を迎え、暦の上では、すでに「秋」ですわ。。。。
今週はお盆週間。 天気も関東地方はずっと晴れのようで、暫くは「残暑」が続きそうですな。

・・・・ということで、今回は「お盆」の頃のヒットを持ってきますか。

おニャン子クラブ「お先に失礼」。

なんで、お盆なのに、わざわざこの曲持ってきたんでしょうねぇ。。。。もっと他にあるんぢゃないの

なんて思ってしまいますが、ここんところ、結構「真面目」に書いてきた1曲セレクトなんで、たまにはぶっちゃけたい・・・と思いまして。。。


この曲、 1986年の夏休み初日リリースでしたわな。で、ちょうど今頃ヒット期間中でしたわ。

たださ、個人的にはおニャン子関係にも興味が薄くなっていた頃で、この曲も素通りだったんだよな。

いや、それは今となっては「タテマエ」だったような気がする。 本当は気になってたんだよ。
この曲、おニャン子の映画の主題歌だったけど、同時に、フジテレビ「キャンペーンCM」にも使われてたじゃん。 さすがに映画まで見るほどではなかったけど、キャンペーンCMは気になったりしてね。

なぜに「タテマエ」として、正面から曲を聴かったのかと言えば、やっぱおニャン子に興味あるってことに「恥ずかしさ」が出てきてたんだよね当時。

34年前のちょうど今頃。高校2年。17歳になったばかりの頃だ。

さっすがにね、高2にもなってアイドルを追いかけてんのかよ・・・なんて周囲から思われる恥ずかしさ。あの頃は、そういう雰囲気があったんだよね。
いや、少なくとも私の周辺ではそういう雰囲気だったんだよな。

高2にもなってアイドル追っかけてる⇒オタク ⇒ネクラ っていうような周囲の雰囲気がさ。

今でこそオタクも社会認知され、20歳になっても、30歳になってもアイドルを追いかけてる人なんて普通にいるけど、あの当時は「オタク⇒ネクラ⇒キモい人」っていう見られ方だったじゃん。
あのころ「オリコンウイークリー」の読者投稿ページにも、「オタク」を称して「暗いコクラブ」なんてコーナーもあったりして。

わたしゃ、オタクじゃない〜   ネクラじゃない〜 

なんて、必死で思ってたりしたのよ、あの当時。

だから、この曲を横目で見ながら、Kuwata Bandの「NIPPON NO ROCK BAND」聴いてたり。

あとは、さんま、しのぶの件の「男女7人夏物語」に嵌って「あんな恋愛したい〜」なんて思ったり。

今から思うと、背伸びしてまで「大人の階段」を登りたいなんて思ってのかもしれない。本心に対して素直じゃなかった。

まあ、おニャン子についても興味があったのは、メンバーに対してで、少なくともこの曲自体はそんなに興味はわかなかったんだけどさ。

この曲のメインボーカルの一人の富川春美。 個人的にあの人がちょっと気になってたんだよね。
ちょうどあの頃、好きだったコに似てたの。好きだったコっていうのが1つ年下だったから、姉妹? って感じかなぁ。 とにかく似てたんだよね。
富川春美っておニャン子加入当時は当初は全く気にならなかったんだけど、そんなことがあった、ある時から「あれ?」って思い始めちゃったんだよなぁ。それでですね、この曲意識してたの。

曲自体は、ホント「下世話」の一言でしたね。まあ、夏という事もあって、サーフィン&ロカビリーっていうノリも分かんないことはなかったけど、だからなに? って感じだったしさ。

以前も書いたんだけど、おニャン子関係の曲って86年の3月までは認めてたんですよ、個人的に。

でも、メインボーカル全交代になってからは、ダメですね。 曲があまりにも下世話になりすぎちゃって。

そもそも、おニャン子関係の曲って、特に毎週リリースになった86年4月頃からは「やっつけ仕事」の中の1曲って感じだったじゃん。
出し手側も、歌い手側も、やっつけ仕事的流れ作業の中の1曲。だから曲に対しての愛情もへったくれも感じられなかったわけでさ。音楽的な感動ってものが無かったしさ。

いつまでもそんなんでいいのかな。

っていうジレンマは、あったよね。

そんなジレンマから逃げるように、86年の夏の終わりごろから、個人的な興味はネオG.Sをきっかけとして60年代G.Sに移るんですよ。 並行して、当時はブラスに一番熱中してた頃でさ、吹奏楽オリジナル楽曲を物色してましたね。中学校の頃は曲は先生が探して来てたけど、高校では自分たちで探してたから、ずいぶんLPも購入して曲を探してたな。そそそ、まだCDじゃなくてLPね。
吹奏楽関係のLPとか楽譜とか探しにわざわざ銀座のヤマハまで行くようになったりしてね。
その類の音源ばっか聴くようになって、リアルタイムのヒット曲への興味が急激にしぼむんだよね。

おかげで、リアルタイムのヒット曲への興味から離れていた、86年夏〜88年にかけてのヒット曲の持ち音源って少ないんだよねぇ。




まあ、興味が薄くなっていたこの頃のヒット曲の音源も、最近少しずつ買い足してはいるんだけどね。
で、買い足した音源はすべて、24ビット、96KHzのハイレゾにアップグレードしてる。

あの当時はレコードはなかなか買えなかったんで、専らカセットで聴いてたわけじゃん。 でもね、ハイレゾにアップグレードすると、あの当時聴こえなかった音が聴こえるようになったりするのよ。
そうすることで、曲に対しての印象も当時とは大分変りますね。
これは、当時「下世話」と思えた、おニャン子関係の曲もしかりでさ。 

まあ、おニャン子とかアイドルの曲をCDクオリティからわざわざハイレゾにアップグレードしてる人もあんまりいないと思うけどさ。自分で音源をカスタマイズできる環境にある方は、騙されたと思ってやってみるのもいいかも。 音圧とか音の厚さとかCDクオリティとは全然違うし、結構目からうろこに感じたりするんだよね。

あの頃もカセットではなく、少なくともレコードで聴いてれば、もしかしたら当時感じてた印象も違っていたのかもしれんね。

もっとも、あの頃のような「17歳なのにアイドルかよ」なんていう周囲の目もなくなって・・・うんにゃ、気にならなくなって、本音であの頃の曲に向き合えるようになったっていうのが一番大きいんだろうな。あの頃と違った印象を受けるのは。



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時の河を越えて / うしろ髪ひかれ隊

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今回の1曲セレクトは、「時の河を越えて」うしろ髪ひかれ隊です。

まずはデータなのら

・タイトル    時の河を越えて
・アーティスト  うしろ髪ひかれ隊
・作詞      秋元康
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1987年5月7日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  11.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1987年5月18日〜6月1日付
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「ハイスクール!奇面組」オープニングテーマ

先週の西城秀樹氏の死去に伴い、この「1曲セレクト」も、先週末から過去に書いた秀樹氏の曲にアクセスが集中しておりましたが、今日になってようやく落ち着いてきたかなって感じですね。
特に「ブルースカイブルー」(1978年)へのアクセスが凄かったですわ。
うーむ、どこかで記事が引用されたかなぁ。。

テレビのワイドショーでも秀樹氏への追悼が続いているし、本来だったら今回の1曲セレクトも秀樹氏の、まだ書いてない曲を持ってきた方が良いんだろうな。。。

うむ、商売として本気で書いてるなら、ここは「たたみかける」CHANCEってところなんだよな。

でもね、今のワタシ的には好きで書いてるし、ここで秀樹氏の曲を持ってきたら先に進めないなぁ・・という思いもあったんで、敢えて、今回の1曲セレクトは、秀樹氏の曲を回避。


・・・・なんて、もっともらしい理由なんだけど 、実際のところは、過去のチャートを振り返ると、これまで書いてない曲で「今」の時期にヒットしていた曲がないんだよね。

いや、リリース日的には、もうちょっと後で、まだ書いて無い曲があるんだけど・・・。 その曲は、近々、改めて書こうと思います。


・・ということで、その代わり・・・って言うのもなんだけど今回1曲セレクトは、何にすべーな・・と思いつつ、ちょっと前からツバをつけてた曲があるんだよね。 
今回はその曲をひっぱりーの。

「時の河を越えて」 うしろ髪ひかれ隊

日曜日、関東地区でニッポン放送の「土田晃之 日曜のへそ」を聴いてる方には、まあ、未だにお馴染みですわな。 そそそ、この番組の「なつかしいと叫びたい」コーナーのオープニングで流れてる、「あの曲」ですわな。

うーーーむ、この曲、まだ書いてなかったんだな。 とーっくの昔に書いたような気がしてたんだが。。。。

ここんところ「男性」アーティストの曲が続いていたし、久々に女性アイドルもいいでしょ ってことでいろいろと物色してて、たまたま気がついたんだよな。

この頃の曲・・・特におニャン子を初め、アイドル関係の曲ってヒット期間が軒並み短かったんだよ。リリースしてもあっという間にチャートから消えてたし。 そそそ、ヒットといっても今と同じく初動だけって言うチャートアクション。
だから、「あの頃」のヒット期間で書いてるここでは、「ピンポイント」でこれまで引っ張ってこれなかったっていうのが大きいだろうな。今まで書いてなかったのは。


さて「うしろ髪ひかれ隊」。言わずと知れた「おニャン子」からの派生グループですわな。そのファーストシングル。

そそそ、工藤静香、生稲晃子、斉藤満喜子 というモロ、ワタシと同世代の3人グループ。

まあ、同世代とはいうものの生稲さんが、ワタシより一つ年上で、工藤さん、斉藤さんが共に一つ下・・・と、ワタシと「同級生」は居ないんだけど。。。。


今まで書いてなかったのは・・・・、もうさ、この頃・・・1987年6月・・・ともなると、おニャン子も「末期」だったしな。
夕ニャンも、視聴率的に末期症状であと3カ月で終わり・・・という頃だったし、正直、完全、おニャン子関係にに興味が薄れてた・・・っちゅうのが大きいかなぁ。

 ヒット曲のトレンドとして、80年代型アイドル全盛もピークを過ぎた頃、それ代わってロック勢に勢いが付き始めて来ていた頃。当時17才っていういっちゃん「多感」な時期だったし、それいえにそんなヒットトレンドの空気の動きも微妙に感づいてきていたんだろうね。 正直アイドルそのものに食傷気味だったんだよな、この頃。

そもそも、当時、一番目を通してた「オリコンウイークリー」自体が、単なるアイドル雑誌に成り下がってたからなぁ。そこからして食傷だったんだよね。 それでも、買うのやめなかったのは、やっぱ根っからのチャート小僧だったからなんだろうな。

だからね、当時も、殆ど聴いてなかったんだよねぇ、この曲。
モチのロン、曲自体は知ってましたよ。まだ、あの頃は興味が薄い曲でもベストテンに入ってる曲ぐらいはチェックしてたからさあ。




たしかにね、今曲を聴くと、それまでのおニャン子派生グループとはちょこっと毛色が違うかな? っていう匂いはするんだよね。
少なくとも、曲に「おちゃらけ」は入っていないし、真面目に曲に向き合っている。その辺は評価できるところではある。
曲調的にも、少し大人っぽさを感じるしね。 うーん、でもさ、そこは工藤さんのソロデビューっていうのをそろそろ見据えていたのかもしれないけど。

でも、この時点では、まだそんな事は見えてなかったし、そもそも工藤さんが本格的なアーティスト的な志向でソロデビューするってのも分かってなかったからさ。 この曲を聴く限りでは、それまでのおニャン子とはちょっと毛色が違う曲だな・・・・としか思ってなかったと思うな。

まあ、この曲から「新しさ」は感じないけどね。 サウンド的にもメロディライン的にも。 マイナーちょうのメロディラインは80年代後半・・・というよりは70年代後半的のB級アイドルっぽいそれだしさ。
そそそ、もろアナクロなんだよね。そう言う意味で保守的な曲だなぁ・・・とも思えたような気がするな、当時。


ちなみに、生稲晃子さん、タイプだったあ、顔がさぁ 

・・・なんて書いたら、なんでぇ結局は好きだったんじゃん・・・なんて思われますかね。。。。。



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恋はくえすちょん / おニャン子クラブ

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今回の1曲セレクトは、「恋はくえすちょん」おニャン子クラブどぇす。

まずはデータどぇす。

・タイトル     恋はくえすちょん
・歌い手     おニャン子クラブ
・作詞       秋元康
・作曲       見岳章
・編曲       見岳章
・リリース日    1986年11月1日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1986年11月17日〜11月24日付
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「あんみつ姫」主題歌

今回の頭のコトバ使い、ふざけてんな〜。  
・・・・っつうのも、今回セレクトしてきたのが、「久々」の「おニャン子クラブ」だからだったりして

だからね、↑のデータも、いつもは「アーティスト」て書く所を「歌い手」にしちゃったりして

だってさあ、「アーティスト」って感じじゃないじゃ〜ん、おニャン子クラブ。よく見積もって「歌い手」だよねぇ〜・・
ってことで。。

で、もって、今回セレクトしてきたのが、「恋はくえすちょん」。

「おニャン子」としては6枚目のシングル。リリースが1986年11月だから、ちょうど「30年」なんだよな、あれから。。。。なんか信じらんないわ〜。昨日・・・・うんにゃ、一昨日って感じだもの。

しかしね、おニャン子の曲を書くときってタイミングが難しいんだよな。・・・・と言うのも、おニャン子関連って、ヒット期間が「瞬間風速」的に短かったじゃん。ま、発売週は売れるけど、2週目ともなるとぱったりと売れなくなる。
まあ、「今」と同じような売れ方だよな。

そんな風に書くと、今の若いコなんか、「ちゃ昔は、違った売れ方してたの?」とか「時代を先取りしてたんじゃない?」とか言われそうだけども、こういう売れ方はヒット曲とは呼べないよね。ま、発売週に瞬間風速的に売れるからオリコン1位なんてとってるけどさ。。。

 ちなみに、この曲の初登場週の売り上げが6.6万枚で、最終的に12.3万枚の累積だから、累積に占める1週目の売り上げ割合が53%。 
この曲なんかはまだ良かった方だけど、曲によっては60%、70%占めてたたもんね。
まあ、最近のAKBなんかは、1週目の売り上げ割り合いは、もっと酷いけど。。。。うむ、今は1週目・・・ぢゃなくて、「1日目」なんてことになってけど。。。

とにかくね、こういう瞬間風速的な売り上げ傾向、この頃から、オリコンでも賛否両論を展開されてきてたよなぁ。もう少し後だけど、「オリコン質問箱」っていうコーナーでは、当時の社長、小池聰行氏も、こういう売れ方については各人考えて欲しい・・・っていう感じで反対に読者に問いかけしてたしな。
(まあ、そう言う口ぶりからして、こういう瞬間風速的な売れ方が良しとは思っていなかったんだと思うが)

そんな瞬間風速的ヒットの陰、うんにゃヒットチャートをダメにする現場には、いつも秋元康氏が居る・・・ってわけだわな


とか書いたりするけど、正直、個人的には、既に「おニャン子」から卒業してたんだねぇ、「あーら、またやってるわ〜」ぐらいしか、売れ方に関しては思わなかったなぁ。
 それよか、そんな瞬間風速的な売れ方の曲が多くなってきた中、逆にロングヒットの兆しを見せていた、荻野目ちゃんの「六本木純情派」とか、きょんきょんの「木枯らしに抱かれて」の方が曲的には好きだったしな。

・・・というかね、この曲ねぇ、あまりにも「コドモ」っぽ過ぎさあ、聴いてて恥ずかしくなったもの。
少なくとも、当時高校生だったワタシが聴く曲じゃないよなぁ・・・・とかさ

だってさ、しょっぱなから ♪ く く く く くえすちょん〜 ♪ だぜ〜。。。。

思いっきり「アホか〜って言いたくなる世界だったもの。

まあ、「あんみつ姫」っていう子供むけ「アニメ」の主題歌だったこともありこうなったのかもしれんけど。。。。


しかしさ、客観的に見て、「アイドル」の曲って、この頃からまーったく変わってないよねぇ。そもそも、この曲、そこらへんのアイドルグループの今度の新曲・・・なんて言っても、まーったく疑わないような・・・・。

それが良いか悪いか・・・・っつたら、やっぱ悪いな。だってさ、30年も全く進化してない・・ってことじゃん。超保守的な世界。
 ま、確かに「ビジュアル」的には3次元から、2次元へ・・・ってところも含めて変わってきたんだろうけど、こと音楽的には全く変化がない超保守的な世界。 そんなところは「演歌」と変わらないんだよね。
演歌っていつの時代も同じような節回しの曲ばっかじゃん。それと同じ。

どうしてなんだろうねぇ、もっと個性的に、いろんなジャンルの音楽を取り入れて、いろんな曲調の曲があっても良いと思うんだけどねぇ、アイドルの曲も。

まあ、「音楽」的に実験的に、いろんな音楽をやろうって言うヒト・・・これは、アイドル自身も、曲を作る作家、出し手であるレコード会社を含めて・・・が居なくなっちゃったからだろうな。

考えてみれば、この曲がリリースされた86年・・・あたりの80年代後半以降、新たな職業作家ってそれほど出て来ていないんだよね。
80年代中盤くらいは毎年のように、新たな職業作家のヒトたちがブレイクして来ていたのに。 そのあたりもアイドルの曲に進化が見られない要因なんだろうな。

やっぱり新しい血が入って事無いと進化は期待できないもんね。 しかも「音楽」を知ってる新たなヒト。
・・となるとやっぱりミュージシャン。うん、ミュージシャンでなくても少なくとも(生)楽器を通して音楽を理解している様なヒトだよね。そそそ「生」楽器を通して・・・ってところが重要。コンピューター(DTM)だけぢゃだめなんだよね、音楽の「本質」の部分は見えないよね、コンピューターでは。

この時代、今考えると勿体ない位の一流ミュージシャンがアイドルの音楽に関わっていたじゃん。この曲だって、作曲と編曲はも見岳章氏。元一風堂ですわ。
おニャン子クラブに曲を提供とは勿体ない位だったよなぁ・・・。ま、もう一人のおニャン子のサウンドブレーン、後藤次利氏もそうだけどさ。

そんな「音楽」をよく知ってるヒトが関わってきてから、80年代のアイドルの曲は毎年進化してきてたんだよね。

ちなみに、レコーディングの時のスタジオミュージシャンすごかったんだよね、おニャン子も。
超一流のスタジオミュージシャンの演奏をおニャン子がダメにする・・・・と





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おっとCHIKAN! / おニャン子クラブ

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今回の1曲セレクトは、「おっとCHIKAN!」おニャン子クラブです。

まずはデータです。

・タイトル      おっとCHIKAN!
・アーティスト    おニャン子クラブ
・作詞        秋元康
・作曲        長沢ヒロ
・編曲        山川恵津子
・リリース日    1986年4月21日
・発売元       キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    20.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年5月5日〜5月12日付

最近アイドルの曲ばっか書いてるなぁ・・・・と自分でも分かってはいるんだけど、今回もアイドルの曲をセレクトしてきてしまいました。。。

おニャン子クラブ 「おっとCHIKAN!」

おニャン子クラブは、ワタシの青春と被っているんだぁ〜・・・・とか、この間アルフィーの「君が通り過ぎたあとに」を書いた時、誇らしげに書いてしまった・・・・ような気がするんだけど、ま、確かにね、最初のうちは、おニャン子も肯定派だったんだけど、それは1986年3月までの事なんだよね。

 うん、中島美春が卒業して、正直言って、ワタシの中のおニャン子は終わっていたのよ、実際的には。その後は、ひたすらウザイだけの存在になったんだよな。

 その発端が、4月1日にリリースされたニャンギラスの「私は里歌ちゃん」でありね。はっきり言って、この曲の存在は、それまで積み上げてきた80年代アイドルの「歴史」を一瞬のうちに壊すのに十分なくらい、酷い曲だったしさあ。だから、個人的には「1986年4月1日」には爆弾が落ちた・・・と言ってる訳なんだけども、しかも、そんな曲がオリコン1位を取ってしまう・・・なんていう、ヒットチャート1位が、1位という権威すら失墜させるのに十分だった訳でさ。

ま、そんなこともあり、一転して、おニャン子否定派に回った訳なんですわ。

そんな否定派に回った頃にリリースされた、この曲「おっとCHIKAN!」なわけですが、そんな感じで頭から否定して聴いていた訳なんで、当然、曲が良く聴こえる訳もなく・・・って感じだったな。

そうじゃなくても、正直、「セーラー服〜」から続いた、女子高生ネタっていうのも、なんかウソっぽく感じてきちゃったしな。

ウソっぽく感じてきた・・・っていうのは、この曲からメインボーカルから新田恵理が外れ、もちろん中島美春は卒業して抜けた訳だから、その代わりに、城之内早苗、横田睦美、永田ルリ子がメインボーカルとなり、それまでの福永規恵、内海和子とあわせて5人のメインボーカルとなったものの、なんか実態が感じられなくなったんだよな。上で書いた、ウソっぽく感じたのは、そんな実際を感じなかったからなんだろうな。

 そもそも、この曲については、最初のサビの部分から、ソロパートよりも、「その他大勢」で歌っていたパートのほうが多いしな。 なんのためのメインボーカル・・・ま、今風に言えば「センター」ですよ・・・なのかが良く分かんない曲でもあるんだけどさ。

ちなみに、この曲、タイトルにもあるように「痴漢」について歌った訳なんだけどさ、うん、真面目で気弱そうな男子が、「小悪魔」女子高生に「痴漢」にでっちあげられてしまった・・・っつう内容ですわな。

wikipediaによると、30年前の当時は痴漢行為は微罪で済まされていたが、昨今は厳罰化されたのに伴い、最近は、この曲はほとんど「放送禁止」扱いになっているとのことで、テレビラジオじゃ、多分聴けない曲に成り下がったようですね。

流石は秋元康大人。 今も昔も「罪」なウタを作ってらっしゃる。 



 

テレビラジオでは放送禁止扱いになってらっしゃる・・・との事だけど、動画の世界では「放送禁止」じゃないらしい。。。まあ、動画は「放送」じゃねーし。。。っていう理屈だわな。

でも流石にバツが悪いのか、コメントは出来なくなってたりするけど、この動画。



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およしになってねティーチャー / おニャン子クラブ

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今回の1曲セレクトは、「およしになってねティーチャー」おニャン子クラブです。

 まずはデータです。

・タイトル    およしになってねティーチャー
・アーティスト  おニャン子クラプ
・作詞      秋元康
・作曲      佐藤準
・編曲      佐藤準
・リリース日   1985年10月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系「夕焼けニャンニャン」より

 えー、今回の1曲セレクトは、久しぶりに「おニャン子」でも持ってきますか。

 レコードデビュー第2弾シングルの「およしになってねティーチャー」。


 とっても、今さらなんだけど、この間、AKB48を聴いてて、改めて思ったこと・・・・「おニャン子」とどこが違うんじゃ?

 いや、ユニゾン部分の声質がさあ・・・、もちろん曲的にもそうなんだけど。。。。

 仮にさ、今回ひっぱってきた、「およしになってねティーチャー」をバックトラックをそのままに、ボーカルトラックだけ、AKB48に変えても、まんま、同じになるんじゃねぇの?

 それって、このテの人たちって、30年間まっーたく、進化してねぇんだよな・・・ってことでもあるわけで・・、なんか、キモチわりぃ・・・とか思っちゃったわけなんだけどね。

 そけだけふらふら  ちゃんちゃん。


 いや、でも、どうしてなんだろうねぇ。 確かに、仕掛け人が秋元氏って、同じだから・・ってのもある。
でもさあ、30年の差があるんだから、どっかは進化しててもおかしくないんと思うんだけどねぇ。

あ、強いて言えば、最近の秋元氏は、今回の「およしになってねティーチャー」みたいなキワドイ、よく言えばSEXアピール的、普通に書けば「イロモノ」的な歌詞を書かなくなったよな・・・ってのは感じる。まあ、それが進化なのか、単純に秋元氏が、あの頃から30歳年をとったからなのかは分かんないけど。なんか、「人生訓」みたいな歌詞は多くなったけどな。

ところで、この曲の頃は、まだ、一般的なところもあったよなぁ、おニャン子って。
ま、大体において、なんだかんだ言われながら、この曲だって18万枚売ってるわけだからさ。

 それでも、一般的だったのも、次の「じゃあね」まででしたね。その後、急速に「オタク化」が進んだわけなんだけども。

 ちなみに、オタク化の進行とともに、「夕ニャン」の視聴率が急降下していったっていうのも、象徴的だったりして。。。

 プラス、毎週のようにリリースされてた、おニャン子関係のレコードも、曲は二の次で、レコード集めることに意義がある・・・っちゅう、レコードも「一アイテム」に成り下がった・・・っちゅうのも、印象的。

 
 とりあえずさ、この曲の頃までは、なんだかんだ、言われながらも、いちおう、曲も話題になってたよね。

 でも、「オタク化」が進行してからは、曲については話題にも出てこなくなったもの。


 これってさあ、今のヒット曲を取り巻く環境と、まるで一緒じゃん。。

 考えて見れば、おニャン子世代のワレワレが、今、業界で丁度、ディレクターとかプロデューサーやってるんだよな。
 CD=音楽 ぢゃなくて、たんなるアーティストの「一アイテム」っていう見方が普通になっているのも、このころの「弊害」かもしれんわ。考えてみたら・・・・・。


 まあ、なんちゃらいろいろ書きましたが、なんだかんだ言っても、この曲の頃のおニャン子の人気は、まずまず凄かったんだよね。
 ここでも、何回か書いたんだけど、当時、「オリコンウイークリー」(現「オリスタ」)なる雑誌を毎週買ってたんだけど、この曲の頃から、毎週「おニャン子」のコーナーが始まったんですよ。
 その途端に、「おりこん」を購入してた本屋から、「オリコンウイークリー」が消えたんですよ。 売るのをやめたわけじゃなくて、いつも早々に売り切れちゃってたんだよね。まあ、それだけおニャン子も人気あったって事なんだろうな。
 当時、千葉・木更津の高校に通ってて、駅前にあった何軒かの本屋、どこ行ってもオリコンが売り切れてて、困っちゃったのを覚えてるなぁ。
 当時のオリコンのバックナンバーは、今でも家に全て保管してあるけど、だから85年秋のバックナンバーは、今でも「欠け」が多いんだよなぁ。 たまーに、売れ残りがあって、そん時は一目散に買ったもんよ。
 それに懲りたんで、1986年の頭からオリコン社から直接、定期購入始めたんだよね。だから、1986年からは「欠け」が無いんですよ。




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アマリリス / 渡辺美奈代

1987_08_アマリリス_渡辺美奈代






今回の1曲セレクトは、「アマリリス」渡辺美奈代です。

 まずはデータです。

・タイトル    アマリリス
・アーティスト  渡辺美奈代
・作詞      和泉ゆかり
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1987年7月29日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   11.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月10日〜8月24日付

 関東地区を例にとると、今日8月31日で夏休みが最後っていう、小中高校生が多いんだろうね。
書く言う、中、高校生を千葉で過ごした私も、8月31日は夏休み最後のということで、毎年ユウウツな日だったよなぁ
その中で、特に印象的だったのが、1987年8月31日。高校3年の夏休み最後の日だ。

 今回の1曲セレクトは、そんな1987年8月にヒットしていた曲をひとつ。

 渡辺美奈代「アマリリス」。 

なぜに、1987年8月31日かとういうと、この日をもって、「冠番組」の「夕焼けニャンニャン」は、放送終了。同時に「おニャン子クラブ」は解散・・・という運びになっていたわけで。

 まあ、しょうがないわな。最後は「夕ニャン」の番組としても、「おニャン子」っていうグループにしてもぐずぐずだったから。
あの時点で、スパッと止めたのは正解だったと思う。

「夕やけニャンニャン」としては、賞味2年5ヶ月。おニャン子としても、レコードデビュー後は、賞味2年の活動期間だったわけだ。
 今となっては、そんなもんだったかいな・・・なんても思うけどね、実際、そんなもんだったんだよね。

 大体、この1年前、毎週毎週、おニャン子関連が、オリコンの1位をかっさらっていって、「・・・ざけんじゃねーぞ、おニャン子〜exclamation ×2」なんて、叫んでいたのは夢のようだったな、この時点では。(今の「J軍団」のようだ)
 こんなにあっさり終焉が来るとはね。

 そんなことで、前年の4月を境に、アンチ、おニャン子派だったワタシも、この最終回だけは、「夕焼けニヤンニャン」みてたなぁ。
 番組終了後、一つの時代が終わったような気がして、なんとなしにセンチメンタルな気分になったのを覚えてる。アンチ、おニャン子だったワタシでもさ。

 まあ、毎度毎度、ここでは書いてるけど、「ブーム」なんていうものは、いつかは必ず終わりが来るのよ。それも意外と早くにさあ。
 ブームの最中にいるときは、このまま永遠にこれが続くんぢゃねーかなんて思ったりするけど。
 ブーム熱が高ければ高いほど、反動の速さも速い。これは、マーケティング上の常識だわな。

 ことに、それに比べて、AKB48がCDデビューから10年も経つのに、未だにブームが続いているのは、異例なんだよな。
 まあ、30年前に比べると、「ブーム」を長引かせる方法論が確立されているっていうこともあるんだろうけど。

・・・・なんて、べつにマーケティングの話をしているわけではなく・・・。

 渡辺美奈代の「アマリリス」ですな。

 このころになると、おニャン子の「ソロ組」は、「解散後」を睨んでか、マジで「本格的」な曲になってくるんだよな。少なくともグリコの「おまけ」的などうでもいいような曲ではない。

この曲だって、りっぱなアイドルの1曲として、成り立ってますわ。正直、当時にアイドルの曲のレベルとしてはどこもケチをつけられない・・というか。

 まあ、路線は、同じCBSソニー組の河合その子と同じヨーロッパ系の結構、大げさな作りになってますが、それに応えようとしている渡辺美奈代のウタが、これまた、ウマイのよ。当時のアイドルのレベルから考えると。
 一体、いつの間に、このヒト歌うまくなったんだろ? 

・・・ってか、まあ、もともとCBSソニーからのデビューが決まっていたわけで、おニャン子っていうのは、あくまでデビューまでの「箔付け」だったわけで、このくらいの成長は織り込み済みだったんだろう、きっと。

 この曲から、作詞者から、秋元康氏の文字が消えたのも、おニャン子無き後の独り立ちを睨んでいたんでしょうね。
 事実、ウタの面では、この後、鈴木慶一氏など、ムーンライダース系の面々によって、新たな一面を切り開いていく分けたどさ。

 それにしても、昨日も書いたけどさ、やっぱし、8月も終盤にに入るとヒット曲って、一気に、ほろりと寂しくなるでしょ。この曲なんかも、もろそんな感じじゃん。
 まあ、そういう風に感じるのは、きっと、この頃の年のせいもあるんだろうな、多分に。 なんかね、最近、涙もろくなってきているのよワタシ。





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シンデレラたちへの伝言 / 高井麻巳子

1986_07_シンデレラたちへの伝言







今日の1曲セレクトは、「シンデレラたちへの伝言」高井麻巳子です。

 まずはデータです。

・タイトル   シンデレラたちへの伝言
・アーティスト 高井麻巳子
・作詞     売野雅勇
・作曲     八田雅弘
・編曲     Light House Project
・リリース日  1986年6月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  20.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1986年7月7日〜7月21日付

 毎月、この時期になるとだんだんとストックしてた曲が無くなって来るんで、セレクトする曲に困って来るんだけど、困った時の「1986年」頼みで、高井麻巳子の「シンデレラたちへの伝言」を引っ張って来ましたわ。

 時期的からして、「七夕」の日でもよかったんだけどさ、引っ張ってくるの。
 なにせ、「1986年7月7日付」のオリコン1位だったもんで。。。ふらふら

 この曲、内容的にも、よかったかなぁ。 ゆったり、可愛らしい恋愛モノで。。

 まあ、それだけっちゃ、それだけなんだけど・・・。 サウンド的にも、メロディライン的にも、「音楽」として、新しい部分があったわけでもなく。 オーソドックスな、ミディアムバラードなアイドルポップスなんだけどねぇ。

 今考えれば、「うしろゆびさされ組」の方が、バカバカしいけど、実験的ではあったわな。まあ、ウタのうまい下手は別にして。。。

 ただ、高井麻巳子っちゅう、おニャン子の中でも「お嬢様」的キャラクターだった事を考えれば、やっぱ、この曲路線なんだろうなぁ・・なんていう、妙な納得感もあったりして。。。

 まあ、一言で言えば「無難」・・・なんだよね。 決して危ない橋を渡らず、1いを取ってしまいましょう・・・みたいな。。。


 それを考えると、最近のアイドル・・・っちゅうか、オタク系の「精神」に近いんだよねぇ。

 いやいや、おニャン子っていう存在自体が、それに近い・・・うんにゃ、そのものなんだよね、今にして思えばさ。


 今、久々に「オリコンデータ私書箱」っちゅう本を取り出してみた。

 そこに、一連のおニャン子の、チャートアクションに対して、故小池聰行氏も、「普通のヒット曲というパターンではない」っていうニュアンスの書き方をしているじゃん。
 まあ、考え方によって、いろいろ取れるんだけど、個人的には、「やっぱ違うだろう」って取れちゃうんだけどねぇ。


 まあ、アイドル本人たちに罪は無し・・・ってことで、仕掛けてる大人たちの責任でもあるんだけどさ。


・・・とか、なんとか、いろいろ考えちゃったりするわけなんだよね。ウラに「仕掛け人」がいるブームってさあ。


 ところでさ、現「夫」である、秋元康氏は、なぜか、高井麻巳子のシングルA面の曲を書いてなかったりする。
 うん、この曲だって、プロ中のプロである、売野氏だもんね、作詞は。

 この辺、当時からすでに何かあったんですかねぇ・・・。意識してたとか・・・ふらふら だから、高井麻巳子には、書かなかったのですかねぇ。。
 



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自分でゆーのもなんですけれど / ニャンギラス

1986_07_自分でゆーのもなんですけれど_ニャンギラス






今回の1曲セレクトは、「自分でゆーのもなんですけれど」ニャンギラスです。

 まずはデータなのだ

・タイトル   自分でゆーのもなんですけれど
・アーティスト ニャンギラス
・作詞     秋元康
・作曲     岡原勇里
・編曲     中村哲
・リリース日  1986年6月21日
・発売元    ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  10.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1986年7月7日付

あー、またまたおニャン子関係デス。。

えー、自分でゆーのもなんですけれど、今日引っ張ってきたニャンギラスの「自分でゆーのもなんですけれど」って(あーややこしい!)わりと曲としては好きなんだよね。

 たしかにアイドル最終兵器「おニャン子」の中でも、そのまた最終兵器と謳われた「ニャンギラス」ですから、そのすばらしさは、もう言葉には現せないほどなんだけどさ。げっそり(爆爆爆爆)

この曲の一つ前の「私は里歌ちゃん」なんてのは、もうさ、すばらしい・・・としかいいようが無いじゃんげっそり(爆爆爆爆爆爆)

 これでオリコン1位とっちゃうんだから、「終わったな」と思った方もさぞかし多かったことでしょうねぇ、ヒット曲ファンのヒトたちの中でも。

 たださ、メガトンバクダン級の「私は里歌ちゃん」に比べたら、今日ひっぱってきた「自分でゆーのもなんですけれど」は、大人しかったよな・・・・っていう感じはするよね。うーん、地味とはいわないけどさ。

 個人的には、別にさ歌詞の内容はどーでもいいんだよね。もともと内容なんてあってない様なもんだしさ。

 それよか、この曲がああ、ままいいなと思ったのは、メロディと、そこに絡み付いてくる、チープなシンセの対旋律のバランスが耳に残るんだよね、なんとなく。
 そこが気になるところかなぁ。

 この曲、作詞は、いつもの秋元氏なんだけど、作曲は岡原勇里氏っていう、まったく無名な方の作品だし、まあ、そのへんがいつものおニャン子のイメージとは違う感じに思えたのかもな。

 それと、ずっと忘れてたけど、ニャンギラスだけは、なぜかワーナーパイオニアからのリリースだったのよね。
 これもなにか不可解なんだけどさ・・・。あまりのすばらしさにCBSソニーもキャニオンも買ってくれなかったんですかね?

 ちなみに、ニャンギラスとしては、この曲が最後のリリース。

 2枚のシングルをリリースしてどちらともオリコン1位獲得。

 そーいういみでは、すごいグループなのです!!ふらふら(爆爆) このヒトたちは。


動画・・・・さすがに今となっては忘れ去られた曲なのか、落ちてないなぁ・・・と探してみたら、海外のサーバーにあった。

http://www.tudou.com/programs/view/NHBwrJZpFlI

一応、普通に見ることできるけど、画像も音も悪いです。。。。



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セーラー服を脱がさないで / おニャン子クラブ

1985_07_セーラー服を脱がさないで_おニャン子クラブ






今回の1曲セレクトは、「セーラー服を脱がさないで」おニャン子クラブです。

 まずはデータどぇ〜〜す。

・タイトル    セーラー服を脱がさないで
・アーティスト  おニャン子クラブ
・作詞      秋元康
・作曲      佐藤準
・編曲      佐藤準
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   24.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1985年8月5日〜10月7日付
・タイアップ:フジテレビ系「夕焼けニャンニャン」より


 さてさて、アイドル全盛の今日では、お遊戯会的大人数アイドルは、全然珍しくとも何ともなくなりましたが、その根幹とも言うべき「爆弾」が、30年前の今日、1985年7日5日に投下されたわけですな。

  どこに? 

・・・・・・ヒット曲界に・・・・・・。


 それが、おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」でございます。

 まあ、バクダンというのは、成り行き上後々になって振り返ってみると「バクダン」だった・・ということで、実際、当時は、バクダンという実感は、まだ、この時点・・・・発売日当日・・・のころは、全然思ってもなかったんだけどね。

 まあ、ワタシだけかもしれないですが・・・。

 大体において、最初は、また、企画もんか・・・とぐらいしか思ってなかったし・・・・。

 おかわりシスターズ。 

これって、いわば「夕焼けニャンニャン」の「前身」とも言える「オールナイトフジ」から出てきたユニットだよね。

 あの人たちもいろいろレコード出しては、そんなにあたりもしなかったじゃん。 むしろ、感覚では、あの感覚だったんだよねぇ。
 「どーせあたりゃしねーだろ」っていう感覚。 これが1985年7月5日。

 蛇足だけど、当時、ワタシャ「夕焼けニャンニャン」なんぞは、「部活」やってたし、時間的に見れるわけないんだけど、なぜか、この曲、発売当日は見てた記憶がある。。。。うーん、期末試験で早くガッコがハケてたのかなぁ・・・? その辺は覚えてない。。。。
 だから、「どーせあたりゃしない」ってその時は直感的に思えたんだけどさ。。。。



BUT BUT BUT BUT、これが大はずれだったねぇ・・・。

 確かに、7月中はそれほど大きなムーブメントでもなかったんだけど、8月にはいって急に売れ出したんだよね。この曲。

 だから、その後のおニャン子では考えられないけど、こと、この曲に関しては、意外と時間をかけてヒットチャートを上昇してきた、「ジワリ」型のヒットなんだよね。


 当時のオリコンのチャート動向を見ると・・・・
1985年7月15日 34位初登場・・・・・そうそう、この時点でね、「それみたことか」と思ったもんよ。これでおわりだろ・・と思ってたんですよ。

 でも、実際は、 そこから34位⇒15位⇒8位⇒6位⇒6位⇒5位と登場6週目で最高位に到達。ベストテンにトータル9週ランクインと、実におニャン子「らしからぬ」チャートアクションだったんですよねぇ。。。。


 ま、ブレイク曲とあって、「固定ファン」がほとんどなしの「浮動票」プラス「一般票」でのセールスだったんで、こんなチャートアクションになったわけだけども。。。。。


 最初にバクダンとかいたんだけど、今、日本のヒット曲クロニクル的に振り返ると、兎に角、おニャン子以前と以後では、「アイドル」という「概念」が全く変わったんですよね。

それ以前のアイドルって、本人の存在もそうだけど、それと同位置に楽曲というものもあって、それらをトータルしてのアイドルだったわけで。まあ前提としては「歌手」だったわけだからね、アイドルって。

 それが、この後は、存在だけが前に出て、楽曲は添え物に成り下がった。アイドルはアイドルであって、歌手とは違う位置に、よく言えば昇華して行ったような感じなんだよね。

 これが、プラスに作用していたか、というと、必ずしもそうではない。だから、バクダンな訳だけども。。。。。

 兎に角、アイドルが作られる「過程」というものを、「お茶の間」に「暴露」することで、「アイドル」=「偶像」という概念を根底から覆してしまったわけで。。。。。
 
 どこにでもいる普通の女の子がアイドルに・・・。まあ、80年代型アイドルっていうのは、もともとそういう要素を含んではいたんだけど、これをまともに加速させてしまったのが、おニャン子なわけだよね。 まったくのシロート集団。

 ただ、あまりにも加速が過ぎて、その加速度と「G」がかかりすぎて自分たちもつぶされてしまったってところはあるけど・・・・

 ま、今にして思うと、ちょっとなあなあになってきていた80年代型アイドルに一石を投じた「鬼っ子」のような存在だった。そのことで、80年代型アイドルに終止符をうって、アーティスト型主流のヒットチャートに・・・という90年代型へ時代を動かしたという事を考えると、それなりに功績はあったんだろうけどね。


 えーと、曲についてですが・・・・。うーん、みなさん知ってのとおりですわ。。。。
ちょっとモータウンがかってて、ノリがよかったよね。うーん、ちょっと軽薄なないようなわけで、丁度いい塩梅だったと思いますよ。

うーん、それ以上でも以下でもないんだよね。サウンド的にはさ。

 まあ、存在自体を楽しむもんだからねぇ、おニャン子は。



・・・・・となんだ〜、かんだ〜 と書いても、個人的には、おニャン子と高校時代というのは、切り離せないんだよね。

 なにせ、高校入学と当時に「夕ニャン」が始まって、高校3年の時に「夕ニャン」終了、おニャン子解散 っていう世代だからさあ。。

 はい、ワタクシは、新田恵利の舌足らずなボーカルが大好きでした(爆)




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