かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1970年代ヒット曲

狙いうち / 山本リンダ

1973_03_ねらい撃ち_山本リンダ


今回の1曲セレクトは、「狙いうち」山本リンダでする。

まずはデータでする。

・タイトル    狙いうち
・アーティスト  山本リンダ
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1973年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   17.7万枚

WBCが感動のうちに終わりましたな。
いやいや、「日本野球」は強かった。正直、準決勝の対メキシコ戦では「負けた・・・」と思って途中で中継見るのやめちゃったワタシだったり。。。

最後まであきらめない心、がむしゃらさ、ひたむきさ。。。

ワタシねぇ、今回のWBCがこんなに注目集めたのって、ゲーム展開とかチームワークもそうだけども、ココが一番だったと思うのよ。
最近のニッポン人が忘れかけたモノを改めて気づかせてくれたような気がしたんだよね。

さてさて、WBCが終われば、プロ野球が開幕までは高校野球ですかね。春の選抜。

高校野球と言ったら、応援合戦がつきものなわけで。。。

特にブラスの応援だよね。

最近は、市立習志野の「美爆音」とか、とかくクローズアップされていますな。

かくいう、中学、高校と吹奏楽やってたワタシも、やりましたねぇ、野球応援。

あれ、結構大変なんだよね。うちらの高校は春の選抜まで出られるほどではなかったので、夏の大会中心だったけども。。。

とにかく暑い。まあ、のどは乾くは、汗びっしょりになるわ。。。

そういう意味では、文化系じゃなくて、体育会系だったよなぁ吹奏楽も。

一番つらいのは、なんせ常に大音量でやるもんだから、唇が大音量用に固まっちゃって、pとかmpが出なくなっちゃうのよ。なんちゅうのかな、ブラスオリジナル曲の微妙なニュアンスを出しにくくなる。 

特に私らが高校2年の時の夏の大会は、千葉大会でノーシードからベスト4まで勝ち上がったもんだから。。。あの夏は5回くらいやったのかなぁ、野球応援。

高校野球と、全国吹奏楽コンクールって大体、日程が重なっているし、野球応援やってすぐにコンクールっていう訳にもいかなくて、この年は出場辞退したんだよなコンクール。

高校はワタシらの代が開校3期生っていう、ワタシらが入学してやっと3学年が揃ったっていう、まだ新設校に数えられていたし。。 だから、部活も手策りしながらの活動だったのよ。
部員も少なかったしさ。 野球応援用とコンクール用、2つの編成に分けられるくらいの部員がいるならばコンクール辞退ということにならなかったんと思うんだけども、新設校で、しかも名目上は「進学校」となっていて、全体的に部活動は低調だったんでねぇ。そういうわけにもいかなかったしな。

当然、野球応援用の曲も決まってなかったし。。。 あんときは、音楽の先生がプロ野球の応援歌を耳コピで譜面に興してきてくれて、それでやってたんだよな。

でも9人分もなくて、急遽、ワタシが、ポーターサウンド片手に、テレビの前に座り込んで野球中継を見ながら足りない分の曲を耳コピーして譜面に興したりして。。。それで結構曲数はそろったんだけども。。。

ただ、今回引っ張ってきた、高校野球の野球応援では、切っても切れないこの曲は、まだ含まれてなかったなぁ。


山本リンダ 「狙いうち」

この曲って、いつから高校野球とかプロ野球の応援曲に使われてたんだろ?

wikipediaによると作詞の阿久悠の母校、明治大学の野球応援で使われ始めたってことになっているけども、ワタシらが高校の頃は、高校野球の応援では、まだ使われてなかったような気がする。

うーん、もしかすると使ってたところもあるんだろうけども、今ほど大々的には使われてなかったよな。

でも、今はいいよね、この「狙いうち」にしろ、真心ブラザーズの「どかーん」にしろ、野球応援にぴったり嵌るような曲がいっぱいあってさ。

ちなみに、やっぱり、野球応援で頻繁に使われている「アフリカンシンフォニー」。あれは、ワタシらの頃は吹奏楽オリジナルの曲だったんだよね。吹奏楽の定期演奏会では、大抵の学校でやってたよな。
ただ、野球応援に持ち込むっていう発想はまだなかったと思うんだよね。あれを野球応援に持ち込むっていう発想した人はすごいよね。


ということで、山本リンダさんの「狙いうち」。

この曲さあ、おそらく、私の中では、「リアルタイム」で聴いた記憶がある最古に近い曲だと思うんだよなぁ。

1973年2月リリースでしょ。 わたしゃ3歳6か月。 

うわっ、今年でちょうど50年になるんか、リリースから。。。。


ワタシなんかでは、この曲とか、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」とか、仮面ライダーV3とか、あの辺とゴッチャになって記憶しているのよ。

♪ うらら〜 うらら〜 ♪ なんて、ちゃぶ台の上で踊ってたかすかな記憶があるんだよなぁ。

そそそ、「ちびまる子ちゃん」と同じ世界ですよ。

まあ、当然、歌詞の意味なんて、全く理解せずにやってたんだけどさ。

それにしても、あの当時の阿久悠氏って、「擬音」を取り入れた歌詞って多いんだよね。

この「狙いうち」の ♪ うらら〜 うらら〜 ♪ 、↑にちょろっと出した、桜田淳子さんの「ワタシの青い鳥」の ♪ クッククック〜 ♪ 

ちょっと後になると、78年の「林檎殺人事件」の ♪ フニフニ フニフニ〜 ♪ とかさ。

極めつけは、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪
だよね。

これらの曲って、曲先なのか、詞先なのかは、よくわかんないんだけども。。。 いや、あの時代だから、曲先なのかなぁ・・・。

例えば、「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ のメロディがあるとしたら、通常ならばコトバを入れたくなるってもんじゃないですか

それなのに、あえて ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ なんて、擬音を入れてしまうっていうのが、阿久悠の阿久悠たる仕事だと思うんだよなぁ。

場合によっては、なんだ? コノ手抜きの仕事は・・・ なんて思われちゃう可能性もあるわけじゃん。それなのに堂々と使ってくる。

でも、これらの「擬音」を使うことによって、インパクトは大きくなるよね。

「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン〜 ♪ だって、これがあるから、「なんだ? コレ?」って思いたくなるし。。。
今回の「狙いうち」にしてもそう。 ♪ うらら うらら〜 ♪ なんて、本編の歌詞とは全く関係ない、意味不明のフレーズがあるから、「なんだこれ?」って引っかかるわけでさ。
本編の歌詞だけだと、いまひとつインパクトが弱いわけで。

当時3歳のガキんちょだった、ワタシみたいなコドモも引っかかったわけだからさ。

こんな感じで、歌詞っていう文字通りのコトバだけでなく、擬音っていう「音のコトバ」から、それらの曲に引っかかりを持つようなヒット曲を「開発」した阿久悠氏ってやっぱ偉大だと思うんだよね。

すくなくとも、これ以前には、こんな「擬音」を多用した曲ってあんまりなかったと思うのよ。


あとは、本編の歌詞だよね。

最後の ♪ 世界中の贅沢を どれもこれも身にまとい 飾り立てた王宮で かしずく男を見てみたい〜♪

ってのは、すげえ歌詞だよなぁ。

まるで劇画の世界だよね。  いまは、こんな劇画チックで、かつ2.5次元な歌詞の曲ってあんまないからさあ。 もっとも、今は、アニメであったり、ゲームであったり・・この世界観はそっちに移行されてしまい・・・。ウタは、より「リアル」な世界に終始しているっていうような感じになっちゃっているような気がするんだけどね。

まあ、この「狙いうち」って曲の歌詞の世界観は、ばかばかしいっちゃばかばかしいんだけども、こういうばかばかしい世界観の曲っていうのも、もっとあってもいいと思うのよ。
日常のリアルの世界を表現するだけがウタじゃないと思うし。。。

もっとも、見方を変えれば、この曲の歌詞の世界観は、70年代前半の「ウーマン・リブ」、女性解放運動の時代を反映したものともいえるんだけども。

うん、それまでの女性って、男に尽くすものだったわけじゃん。 

うたの世界だったら、男に尽くし、すれてられ、 酒場の隅で「ヨヨヨ」・・と泣き崩れる ・・・なんて、まるで「演歌」の世界・・・っていうのが世の中の常識だったわけじゃん。

それが「ウーマン・リブ」によって、女性ももっと自立を・・・っていう考え方が世界的にひろがってきたのもこの頃だったしさ。

まあ、この曲の場合は、いささかドラスティックな世界ではあるんだけども、それでも、そんな時代を象徴した曲の一つではないんかなぁ・・・ なんて思ったりしてね。


そんな「狙いうち」だけども、ヒットチャート成績は思ったほどでもなかったんだよね。

↑のデータを見てもわかるように、オリコンではベストテン入りを逃している。

1965年の「こまっちゃうな」から低迷を続け、前年1972年の「どうにもとまらない」で再ブレイクしてから、3曲連続でベストテンをキープした山本リンダさんだったけども、この曲はベストテン入りから外れたわけで。。。これが意外でね。

だって、↑でかいたように、「ちびまる子ちやん」にも出てくるほど、ワタシらの世代(少なくともワタシもそうだけど)、 この「狙いうち」のイメージの方が強い山本リンダさんだからさあ。

当然、オリコンでも上の方にいた・・・ようなイメージが強かったんでねぇ。

まさか、ベストテン入りもしてなかったとはね。。。。

イメージと、現実ではちがう。 オリコンの過去のランキングを見てると、そんな曲がいろいろと出てきたりするんだけどね。

まあ、それがオリコンの面白いところではあるんだよね。



うわっ、めっちゃ速い「狙いうち」。
これ紅白だよね。1973年。第24回紅白歌合戦。
おそらく「巻いてた」と思うんだけども。。。
紅白って時々、こんな感じで「超高速」なテンポの時があるんだけども、この頃すでにあったんだな。

それにしても、この曲のジャケ写、インパクトあるよねぇ〜、
いかにも1970年代前半。

ザンバラの長髪に、めっちゃ長いつけまつげにパンタロン。

今見たら、「あばずれ」って感じだけども、あのころは、これがトレンドだったわけね。

かくいう、ワタシの母親も、こんな感じの「ファッション」だったの覚えてるわ。


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魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere- / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータでーす。

・タイトル   魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere-
・アーティスト 沢田研二
・作詞     Jean Renard
・作曲      
Jean Renard
・編曲     東海林修
・訳詞     安井かずみ
・リリース日  1973年11月21日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月3日〜1974年1月28日付

今回は、「まくら」なしでダイレクトに行きますぞ。

今回引っ張ってきた曲は、ジュリーの「
魅せられた夜」。
1973年11月 ソロ8枚目のシングルとリリースされたこの曲ですが、どうなんだろ?
どの位の方が覚えているんだろう? っていうのは、少し不安。

リリース当時、オリコン最高3位 売り上げ約35万枚・・・と、当時のヒット指標から考えると、充分大ヒットの域に達していた曲なんだけども。。。。
ワシらの世代から見ると、ジュリーといったら、どうしても77年の「勝手にしやがれ」以降の第2期黄金期から。 一歩下がっても、75年の「時の過ゆくままに」あたりからっていう意識があるんでさ。
70年代前半、「危険なふたり」を中心とした、第1期黄金期。 いわいる「フレンチポップス」な頃のジュリーってほとんど知らないんだよね。少なくともリアルタイムではない。

あ、いや、もちろん、すでに生まれてましたよ。 1973年といったら、ワタシゃ 4歳。
幼稚園の年少組の頃だよなぁ。 

なので、物心は付き始めていた頃だけども、50年前でしょ・・・、いかんせん記憶がほとんど残ってない。

「マジンガーZ」と「仮面ライダーV3」 が心のヒーローだった頃・・・っていうのは覚えてるけど。。。 

いや、それでも、ちょうどこの「魅せられた夜」がヒットしていたのと、同じ時に大ヒットしていたフィンガー5の「恋のダイヤル6700」とか、小坂明子の「あなた」は、リアルタイムで聴いた記憶があるな。

以前、何回か書いたと思うんだけども、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」は、個人的に初めて「買ってもらった」シングル盤だったと思うしなぁ。

ぢゃ、なんで、これらの曲を知ってたかというと、やっぱりテレビなんだよね。 

当時、朝、日テレで毎日放送していた「おはよう!子供ショー」で、のど自慢のコーナーがあったじゃん「おはようのど自慢」だっけ?

あのコーナーで、よく歌われてたような記憶があるんだよね。 
小坂明子の「あなた」と、ちょっと後の伊藤咲子の「ひまわり娘」なんかは、「おはようのど自慢」から知ったと思う。そそそ本人の歌唱というよりさ。。。
それくらい、当時はよく歌われてたような記憶があるなぁ。。。

ただ、さすがに、この「魅せられた夜」なんかは、あんま歌われてなかったんだろうなぁ。

いやいや、もしかすると歌われてたのかもしれないけど、個人的に引っかかってなかっただけなのかもしれない。

やっぱ、タイトルからして「大人」向けの曲だしね。 おこちゃまが歌う「魅せられた夜」っていうのも、ちょっとコワイ。。。
ま、たしかに、いつの時代も「ませた子供」(ませがき)は居るからさあ、ゼロとは言い切れないけど。。。

個人的にこの曲を意識して聴いたのも、ずっと後ですね。

これもいつか書いたと思うんだけども、1983年のちょうど今頃だわ。ジュリーの「大全集」っていう、いかにもっちゅう、カセットのみのベスト盤を買ってもらった中に収録されてたのを聴いてからだわ。

だから、個人的には、この曲を聴くと、1973年の匂いよりも、 1983年の今頃の匂いを先に感じてしまう。 ちょっと厄介な曲ですね。
まあ、まったく1973年という時代を感じないかといえば、さにあらず。なんだけども。。。

音質、音の広がり 奥行・・・などのサウンドは、少なくとも70年代後半以降のそれではない、ましてや80年代の音でもないことはレコードの音から分かるしね。


でも、初めてこの曲を聴いたときは、違和感いっぱいだったよなぁ。 はじめはアルバムの曲かと思ったくらい。

↑で書いたように、なんせワタシらの世代といったら、ジュリー⇒勝手にしやがれ⇒キザ なイメージがこびりついてるからさあ。

こういう、フレンチポップなジュリーのイメージはなかったですからね。

そのあと、少しずつオリコンなどからの情報を得て、第1次黄金期といえるフレンチポップの時代を経て、第2次黄金期の派手、気障なジュリーに変化するということが分かったんだけどね。

自分らがリアルで聴いてたのは、第2次黄金期以降の曲に過ぎない・・っていうのが分かって、ちょっとショックだったのと同時に、ヒット曲の時代の流れの奥深さも感じたというかさ。。。

まあ「キザ」な言い方をすればよ。。。

そんな自分では知らなかったヒットの流れの情報と、実際の音源が、自分の中で結びいていくっていうのを初めて体験したのは、もしかすると、この「魅せられた夜」も収録されていた、あの「大全集」っていうカセットだったかもしれない。



ところで、この「魅せられた夜」って曲、カバー曲というのは以前から知ってたんだけども、オリジナルはどういう曲だったのかは、よくわからなかったのよ。

これを機に聴いてみた。

↓ コレ




Mike Brant 「Mais Dans La Lumiere」(1970年)

うわっ、重っ! 

フレンチポップスと言うと、どうしても、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」とか、シルヴィ・バルタンの「あなたにとりこ」なんかの、おしゃれでポップなイメージがまず出てきちゃうんだけども。。。。

どっちかといえば、イタリアンなカンツォーネ的な、いわいる「歌い上げ」系の曲ですわな。
ポップスというよりも、シャンソンと言った方がいいか。。。

マイナーでしっとりしたメロディラインから、サビで一気に情熱的なメジャー系のメロディに変貌する、ドラマティックな展開。 いわいるショービス系というやつですね。

あの当時(1970年代前半)の日本では布施明氏が得意としていたような・・・。

ジュリーの、この「魅せられた夜」でも、しっとりしたマイナー系なAメロから、サビで一気に情熱的なメジャー系に展開するという原曲の良さを残しつつも、あそこまで重くない。
もっと、ポップで聴きやすいサウンドにアレンジされていますね。

個人的には原曲の重さと情熱的なサウンドは好きだけども、さすがに、原曲のままでは日本ではヒットしずらいと読んだろうな。

個人的には、ジュリーのメロディラインに対旋律的に絡んでくる、ブラスが好きなんだよね。

いや、このころのジュリーでは、同じようにブラスの絡みが印象的なジュリーの曲は多い。
以前書いた、「あなたへの愛」(1973年1月)、「追憶」(1974年7月)なんかもそうですね。

あの頃、いわいるブラスロックの影響なのか、ブラスを多用した歌謡ポップスが増えてきていたけども、使い方がダサい曲が多かったのも事実でさ。。。
この「魅せられた夜」では、トロンボーンは原曲に近いのに対して、トランペットはたしかに盛ってるんだけどね。でも、ダサい一歩手前で抑えているのがいい。

この曲を初めて聴いた1983年の今頃は、ワタシは中1。吹奏楽部でトロンボーンをやってた頃で、ブラスの面白さが分かりかけていた頃っていうのもあったんだろうな。 そそそ、ヒット曲においてもブラスについつい耳が行ってしまい始めていた頃ですわ。






フレンチポップスや北欧などのいわいるヨーロッパ系の曲と、日本のJ-POPは相性がいいとは、よく言われるけども、日本人の感性とどこか共通しているところがあるんでしょうね。
それは、この曲なんかでも感じることができますね。




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ひまわりの小径 / チェリッシュ

1972_08_ひまわりの小径_チェリッシュ


今回の1曲セレクトは、「ひまわりの小径」チェリッシュです。

まずはデータです。

・タイトル   ひまわりの小径
・アーティスト チェリッシュ
・作詞     林春夫
・作曲     筒美京平
・編曲     筒美京平
・リリース日  1972年5月25日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  41.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年8月7日〜10月9日付

音楽のジャンル付け。 これほど曖昧なもんは無いですよね。
正直、聴くそれぞれの方で見方は変わるし、だから正解なんてないんですよ。
ロック、ポップス、ジャズ、クラシック・・・それぞれにはっきりとした境界線なんてないし。

モノの本によっては、それらしく境界線を引いてるものもあったりするけど、すべて著者の主観でしょ。

だから、ものの本にロックと書かれてても、自分はポップスと思えばポップスでいいのよ、音楽のジャンルなんて。 それで反論されたら、反論する方が間違っているわけでさ。

・・・なんて、訳の分からない書き方で始めた、今回の1曲セレクトだけども、今回引っ張ってきた曲は、そんな感じで、果たしてこの方たちの曲のジャンルは、何に属するんだろう・・・といつも迷ってしまう方たちの曲ですわ。

チェリッシュ「ひまわりの小径」

今回の「マクラ」に従うと、チェリッシュって、フォークなんだろうか、歌謡曲なんだろうか・・・って頭がいつももたげてしまうわけなんだけども。。。。

そもそも、チェリッシュって、「バイタリス・フォーク・ビレッジ 全国フォーク音楽祭全国大会」に中部地区代表として出場した、5人組のフォークグループなんだよね。

その頭があるから、この人たちは、フォークの人たちっていつももたげてしまうのよ。

ただ、この回引っ張ってきた「ひまわりの小径」にしたって、どう聴いても「歌謡曲」だしね。

加えて、先週の、東京FM「松任谷正隆の変なこと聞いてもいいですか」にゲスト出演した吉田拓郎氏の、

「アメリカで言われるフォークと、日本でいうフォークは別物。フォークってもっと明るくて楽しいもの。 日本の四畳半フォークとかさ、ああいうのは本来は、歌謡曲の一部で、ああいうのをフォークとしたのはマスコミの虚像。アコギ持たせて歌わせれば、何でもかんでもフォークっていうのは違うと思う」

っていうコメントを聴くと、チェリッシュって人たちも、やっぱ「歌謡曲」なんだろうな・・・なんて、ますます思ったりもしてさ。

今回、このタイミングで、この曲を引っ張ってきたのは、丁度50年前のオリコン(1972/9/11付)の週間ランキングで、最高位3位を記録したから・・・っつうのもあるんだけども、実は、↑の吉田拓郎氏のコメントを聴いて・・っていうのは大きいな。

正直、それまで、個人的には、「
全国フォーク音楽祭全国大会」から出てきた人たちっていう事実のイメージが大きくてさ。 曲調は「歌謡曲」でも、この人たちは「フォーク」っていう頭の方が強かったんだよね。

まあ、そんな風に思う人の方が「稀有」なのかもしれないけどさあ。 だって、この曲をはじめとしてチェリッシュの一連のヒット曲・・・「てんとうむしのサンバ」にしても、「白いギター」にしても、これらをフォークって思える方の方が少ないだろうしね。

・・・っつうことで、今回引っ張ってきた「
ひまわりの小径」。

わたしねぇ、正直、この曲って最近まで知らなかったのよ。

1972年の今頃、丁度半世紀前のヒットでしょ。 ワタシゃ当時3歳。 まだ物心つくか付かないかの頃だからなんですかねぇ。

少なくともリアルタイムで聴いた記憶はないんだよね。

てんとうむしのサンバ」とか「白いギター」はリアルタイムで聴いた記憶はあるんだけどね。
特に「白いギター」は、当時から大好きだった。

この曲と、フィンガー5と、小坂明子の「あなた」が一緒くたになってになってるんだよね。
自分の中の最古の音楽の記憶としては。

3才と4才の間の1年間っていうのは、やっぱりデカいんだよなぁ。ものごころが付くか付かないか、記憶の固定っていう所では。

ただ、チェリッシュの曲としては、これらの曲じゃなく、今回引っ張ってきた「ひまわりの小径」が一番売れた曲なんだよね。
唯一の売上げ40万枚オーバーの曲。

個人的には、これが不思議でね。 いつかは聴きたい・・・と、まだYOU TUBEがなかった頃は、ずっと思ってたのよ。

もっとも、ラジオで流れているのを聴いてたけど、気が付かなかっただけの事なのかもしれないけど。。。

でも、実際曲を聴いて見ると、「うーん、なんかよくわかんないなあ」っていうのが、正直な感想。

少なくとも一発では受け入れがたい曲調・・というか。 
タイトルから想像していた曲調とは大分違うなぁ・・・っていうのが第一印象ですね。

「ひまわり〜」っていうところから、もっと快活なサマーソングをイメージしていたんだけども。
そんな感じのしっとりした曲調とはね。。。。

まあ、最近では、秦基博の「ひまわり約束」なんかも、「ひまわり〜」ってつくけどもしっとりした曲だしな。 いや、そんなに時代を飛ばなくても、この曲の2年後の、伊藤咲子の「ひまわり娘」にしても、切ない曲だしな。

「ひまわり」とタイトルに付くからといって、快活なサマーソングをイメージするのも、ちょっと短絡過ぎたかな・・と今となっては思うけど。。。




ところで、↑で書いたように、もともとチェリッシュってメンバー5人のフォークグループって書いたけど、この曲から、今に至るような松崎好孝、松崎悦子夫妻によるデュエットとなる。

この曲のジャケ写のイラストは5人になっているけど、これは、その名残ですね。

まあ、そういう経緯もあり、前曲「だからわたしは北国へ」のフォーキーな曲調から比べると大分歌謡曲的なメロディラインへシフトされてきているんだよね。
特に悦子さんの特徴である高音域をフィーチャーするようなメロディラインにこの曲なんかは変化しているな

「だからわたしは北国へ」も同じ筒美氏の作品だけども、5人フォークグループという意識があるからか、かなりフォーク寄りの曲調。
「白いギター」あたりから知るワタシから見ると、逆に大分イメージが違いますね。
まあ、結果的には、そんな曲調のシフトが大ヒットへとつながったんだろうけどね。


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Deep / 渋谷哲平


1978_08_DEEP_渋谷哲平



今回の1曲セレクトは、「Deep」渋谷哲平です。

まずはデータです。

・タイトル    Deep
・アーティスト  渋谷哲平
・作詞      松本隆
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年7月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 52位
・売上げ枚数   4.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 40位(1978年9月18日付)

またまた、以前「1曲セレクト」で書いたことあったような気がするんだけども、ブログに上がっていない曲シリーズ。

で、今回は渋谷哲平の「Deep」なぞをひとつ。。。

いや、この曲、昔、絶対書いたような気がしたんだよね。

・・・と思って、mixiのアーカイブを探してみたら、やっぱりありましたわ。

ここのブログを始める時に、以前書いた曲は全曲移植したと思ったんだけどなぁ。。。。

抜けがあるようですね。

・・・あ、そうそう、ここのブログを始めたのが2015年の正月で、正月休みを利用して移植したんだけども、どうも季節感が出ないよなぁ・・・って思った曲は、移植を見送ったような気がする。。。

この曲、夏っぽいからなぁ。。。 それで移植を見送ったのかもしれない。。。 それかめんどくさかったか。。。

いずれにしても、この曲を書くには絶好の時期なんで、以前書いた内容を移植しつつ、加筆したいと思います。


この曲、以前mixiにかいたのが、2007年のちょうど今頃で、当時のmixiの「日記」を読み返すと、どうも、売れなかったんだけど、「いい曲」って言うのを引っ張り出す仕事の依頼があって、いろいろと曲を物色していたらしい。。。。

今となっては、えー、そんな仕事したっけなぁ。。。全然覚えてないんだけども。。。。。

そん時の日記の内容を「まんま」引用すると、

------------------------------------------------------------------------------------

 最近、ちょっとした仕事の依頼がありまして、昔の売れなかったんだけど、「いい曲」って言うのを引っ張り出して、いろいろ聴いてるんだけど、結構あるんだよね、なんで、この曲が売れなかったの? っていう曲が。
 最近の「安い うまい 早い」の吉野家方式で安直に作られた曲より、全然いい曲がねぇ、いっぱいあるんですよ。
 
-------------------------------------------------------------


ってことで、今回の渋谷哲平「Deep」を書いたらしい。。。。

 まあ、この曲も確かに「売れなかった」といえば、売れなかった曲ではありますが・・・
なんせ、オリコン最高位52位。左ページに入らなかったですから。

それでも4万枚のセールスがあったっていうんだから、78年当時は、レコードの売上げは景気良かったんですよね。4万枚売れれば、確実に「黒字」ですから。

いずれにしても、この曲が、いい曲であるかどうかは、それぞれの方々にお任せするとして・・・

この曲知ったのって、「とんねるずのみなさんのおかけです」で・・・っていうヒトが結構多いんぢゃないかなぁ?

一時期、「DEEP隊」だっけ? あれでとんねるずが真似してたじゃん。この曲の「フリ」の・・・

そそそ、あのイントロの部分の奇妙なフリっすよ〜。 




 まあ、とんねるずの場合、特に石橋がけっこうオーバーにやってたところもあるけど、実際、この曲、本人(渋谷哲平)が歌ってたときも、似たようなもんだったんだよね。


今、YOU TUBE見ても笑える

・・・というか、今だから笑える・・・って言った方がいいのかな。

ちょうど「DEEP隊」が流行ってた頃、われわれの「オリコンチャート研究会」のメンバーの間でも、流行ってたのよ。あのフリが。

メンバーの三宅さんが、なんかの飲み会の時にギャグったのかなぁ・・・。
まあ、石橋の「大げさ」なフリに対してなんだけどね。。。

一時期、集まるたびに踊ってたような気がする。


フリもそうなんだけど、この曲のAメロのバックコーラスも笑えるんだよね


♪ Deep (Deep) 青い海 (うみうみ) 〜
  Deep(Deep) ヨットから (からから)〜 ♪

とか


♪ Deep (Deep) 蒼ざめた(めためた)〜 ♪

とか、究極は

♪ Deep(Deep) サーフィンで(んでんで)〜 ♪


※( )内バックコーラス部分


 なんなんだよ「めためた」とか「んでんで」っつうのは・・などなど、突っ込みどころ満載の曲ですわ。
とにかく、最後まで聴いてる方を飽きさせない曲なんだよなぁ

 まあ、だから、とんねるず もネタに使ったんだろうけどさ。

 
 でも、今から44年前は、テレビで真剣に歌ってたんだから、のどかな時代だったんだよね。まだまだ。

 いやいや、真剣に歌ってるから、今になってみると、余計笑えるんだけどさ。


 この曲は、都倉俊一氏の作品だけど、あのころピンクレディーで手一杯だったんだろうね。。。
 だってさぁ、バックコーラスは笑えるもん。まあ、手抜きとは言わないけどさ。

 サビの

♪ ブルーになっちまうよ〜 ♪

からは、ピンクレディーの「透明人間」になっちゃったりして・・・。
 ちょっとパクッてきました・・・ってかんじ?

 いやいや、ともに都倉氏の作品だから、パクリとはいわないですね・・・引用してきました
ってところでしょうか。。。

 うーん、いや、「透明人間」の方が後だから、「透明人間」が引用してきました・・・って感じなのかな?

 同じようなメロディラインでも売上げは全然ちがったけど。。。。




うーむ、どうも画像が悪いな。。  ということで、

 


ところで、この曲、作詞は松本隆氏なんだよね。

松本氏も、自ら書いた詞が、↑にかいたように「めためた」とか「んでんで」なんてコーラス入れられて、どう思ったんだろうなぁ・・・なんて感じたりして。。。

それにしても、都倉俊一氏と、松本隆氏の組み合わせって珍しいよなぁ・・・と思ってJASRACのデータベースみたら25曲あった。

25曲が多いか少ないかだけども、膨大な曲を書いている両氏のキャリアの中で25曲っていうのは、やっぱり少ないよなぁ。

調べてみると岡田奈々さんの曲ではアルバムを含めて、多数の曲でコンビを組んでいたようだ。

あとは、高田みずえさんの「パープルシャドウ」とか、「花しぐれ」。
まあ、どちらとも、この「Deep」と同じ1978年だけども。

渋谷哲平氏の曲としては、この「Deep」とC/Wの「ファイヤー」のみだったようだ。

いずれにしても、やっぱ、都倉俊一氏といえば、1978年たったんだよな・・・。なんて今更ながら思えたりしますね。



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ポーラー・スター / 八神純子


1979_08_ポーラースター_八神純子



今回の1曲セレクトは、八神純子の「ポーラー・スター」です。 

まずは、データから 

・タイトル     ポーラー・スター 
・アーティスト   八神純子
・作詞       八神純子 三浦徳子
・作曲       八神純子
・編曲       大村雅朗 
・リリース日  1979年7月25日 
・発売元     ディスコメイト 
・オリコン最高位 8位 
・売上げ枚数   24.5万枚 
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテン ランクイン期間:1979年8月30日〜10月18日放送分


9月に福岡のキャナル・シティホールで開催される、「大村雅朗 25th Memorial Super Live」




出演アーティスト 9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝
バックバンド 山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)
トークゲスト 松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

3連休だし、キャナルシティのキャパ数と、この出演者の面々を考えると、多分チケット取れないだろうな・・・と思っていたけど、思いがけなくチケットが獲れた。
うあ、思いがけない誤算。。・・・ということで、今、急ぎホテルを予約したり準備を始めていたりします。   
コロナの影響が出なければいいですけどね。。

個人的に楽しみなのは、やっぱり八神純子さんですかね〜。 ワシ、八神純子さん大好きなんだぁ。
あ、「大好きだった」って言ったほうがいいかな。。。 


そもそも、私が「この道」(ヒット曲道)に嵌ったきっかけは、「ザ・ベストテン」を見てしまったから・・というのは間違いないんだけども、中でも八神純子さんの「みずいろの雨」は、衝撃的だったよね。

当時、ベストテンのスタッフでも八神さんファンが多かったようで、八神さんが出演した時のセットの力の入れようが違ってたでしょ。そんな効果も曲を盛り上げていたし。

個人的には、ちょっと嵌り過ぎてさ。 当時、八神さんって、サンバホイッスルがトレードマークだったぢゃないですか。 私、当時、わざわざ地元のYAMAHAまで行って、同じもん買ってもらいましたもんね。わがまま言ってさ。 

大村氏がアレンジを手掛けた「みずいろの雨」は、有名すぎるくらい有名だし、今度のコンサートでは、当然やるだろうけど、他にも大村氏が手掛けた、初期の八神さんのヒット曲、やってくれないかなぁ・・・と期待しているところなんだけどね。


今回は、そんな「大村雅朗 25th Memorial Super Live」でもやって欲しいなぁ・・と思っている曲を一つ。

「ポーラー・スター」

・・・と書いて、ここのブログを深く見てくださっている方は、お気づきかと思うんだけども、
じつは、この曲過去に一度書いてるんだよね。

2005年にmixiで「1曲セレクト」を始めて、2曲目に書いたのが、この曲だったりして。。。
まあ、2曲目に書いた曲なんでブログの「最奥」に沈んでいて、よほど気を付いて見ていただかないと気が付かなかったと思うんだけども。。。

当初は、単純に自分が好きな曲を引っ張って来てたわけで、だから、それくらいこの曲、個人的には好きなんだよなぁ。

ただ、最初に書いてから17年経って、ちょっと書き直したいところも出てきたんで、今回、改めて、少し手を加えつつ、再編集という形で、引っ張っぱり出してきました。。

なお、当初2005年に書いた記事は、紛らわしいんで、これを機に削除してしまいましたので、もし、リンクしてた方がいたら(ってか、そんな方いるんかなぁ。。。。)、こちらに変更していただければと思います。


ワタシねぇ、「みずいろの雨」は別格として、初期の八神さんの曲の中では、この曲が一番好きなんだよね。

この曲こそ、八神純子ならではの特徴を、一番引き出した曲だよね、と個人的には思ってるからなんだけど。

 八神純子さんならではの特徴・・・やっぱり高音域とファルセットの伸びですよね。 

この曲、一番高い音はハイトーン。実音の2オクターブ上ですよ。ここまで出す人、女の人ではなかなかいないですもんね。 
 それと、曲のイメージですね。ポーラースター、ま、日本語で「北極星」ですわね。イメージは星空、宇宙なわけです。 そのイメージに曲が負けていないんですよね。 

いや、ほんとに自分も星空の下にいる気になってくる・・。絵が浮かんでくるんですよね。 

アレンジの大村雅朗氏の見事な仕事の賜物だと思います。 
コノ後、松田聖子など、トップアーティストのアレンジを手がけることになる、大村氏の初期の傑作といっても過言ぢゃないよね。

そもそも「ポーラー・スター」 っていう「題材」からして、イマいかったんだよね。

コノ年1979年って、宇宙、銀河がトレンドだったんですよ。同時期、アニメ「銀河鉄道999」が大ヒット。
もちろん、劇場映画版のテーマとなった、ゴダイゴの「銀河鉄道999」も、この曲と全く同時期に大ヒットしてたもんね。

また、秋には惑星探査機「ボイジャー」が木星に大接近と、いろいろな「宇宙ショー」が繰り広げられていましたよね。 

この宇宙ブームは、次の年1980年も続きまして、この「ポーラースター」が認められたのか、80年夏(ちょうど42年前の今頃ですね)のNHK特集「パノラマ太陽系」では、八神純子の「Mrブルー〜私の地球〜」が主題歌に抜擢されました。 
こちらは、80年秋にリリース。冬にかけて大ヒットしましたね。 

そう考えると、あの頃の八神さんは、宇宙づいていたよなぁ。

やっぱり、あの伸びる、きれいなハイトーンボイスが、宇宙の壮大さ、儚さを連想させるんだろうね。

それは、当然大村氏も重々汲み取っていたんでしょうね。これら「宇宙」に関連する曲のアレンジは、他の曲よりもレンジの幅が違うように感じるんだよね。

なんちゅうのかなぁ、宇宙の無限大の広がりと、その中のちっぽけな地球の、そのまたちっぼな存在である自分との対比 ・・・っていうのかなぁ。

まあ、ワタシごときが偉そうに、書く事でもないですけどね。。。

ただ、個人的には大ゼッサンな2曲ではあるんだけども、ことヒットとなると、件の「みずいろの雨」や「パープルタウン」ほどではなかった・・・っていうのがね。。。。

やっぱ、いい曲と大衆に支持される曲っていうのは、必ずしもイコールではないってことなんだよね。
あの当時から学んでましたね。


ちなみに、当時、私的にも天体ブームでして、安い天体望遠鏡片手に、夜な夜な天体観測をやってましたねぇ。金星、木星、土星・・などの惑星観測、その他、流星群観測とか、深い藍色の模造紙に星座の天球図を書いたり、夏休みの「自由研究」でやったよなぁー。 

ガッコのセンセには、「将来は天文学者」とか言われてましたが、ワタシの性格からして、今考えると、単に当時のトレンドに乗り遅れるのがいやだっただけじゃないか。。とも思ったりして・・。 

ただ、未だに自然科学は好きなんで、時間があったら、また、天体望遠鏡なぞ購入して天体観測やりたいねぇ。。。 千葉に来てからは全くやってないからなぁ・・。





「ザ・ベストテン」 から。
↑で、ベストテンでの八神さんのセットは、スタッフの力の入れようが違った・・・って書いたけど、これでもよくわかりますよねぇ。
レーザー光線を利用し星座をイメージしたセットは、当時からしたら最高水準でしたからね。

ちなみに、個人的には、この頃、すでにラジカセに曲の録音をしてたんで、ベストテンでのこのアレンジが、一番しっくり来るかな。 レコードよりは、すこしアグレッシヴで。。。

ただ、やっぱレコードアレンジのこの動画も捨てがたい




宇宙の壮大さ、儚さという点では、レコードアレンジのこのバージョンのほうが、何枚も上でしたからね。
もっとも、曲終わりのインストが、レコードではフェイドアウトなので、テレビでやると、この動画のように、「なんか不自然」・・・になっちゃうんだけども。。。

この動画は「コッキーポップ」でしょうかね? 違ってたらすみません。。。


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気まぐれヴィーナス / 桜田淳子

1977_07_気まぐれヴィーナス_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「気まぐれヴィーナス」桜田淳子です。

まずはデータですよ。

・タイトル    気まぐれヴィーナス
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年5月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1977年6月13日〜6月20日付

個人的に、過去の「ヒット曲」を集めるのが好きで、高校生の頃からちまちまと、少しずつ音源を集めて来ているんだよね。かれこれ35年以上になりますかね。

まあ、35年やってると60年代以降現在までのヒット曲のクロニクルが出来てくるのよ。 
そんなヒット曲の変遷がわかるようなカセットの編集が昔から好きでさ。
新しい音源を買っちゃあ、ある程度溜まったら、カセットを作り直して・・・なんて、35年で何回やったかなぁ。。。

どうも、性格なのか、曲がキチンとヒットした順に並んでないと気が済まないんだよね。

だから、曲ごとにIDつけて、ノートに整理して、新たな音源買ったら、新たなIDつけて・・・整理して、カセットに録音して・・・なんて、大分やりましたね。

そもそも、お店の有線で、80年代チャンネルとか流れてることって結構あるじゃん。。80年代といってもヒット年はバラバラで流れるよね、普通。
例えば82年の曲の次に 86年の曲が来て、次が80年、次が85年の曲とかさ。
あれ、だめなのよ。ワシ。 なして、82年の次に86年の曲が来るんや・・・っていらいらしちゃたりして。。。 ちゃんとヒット順に並び替えたくなっちゃったりして。。。。

だから、時には数百曲並び替えて、音録り直して・・・なんてこともやってたな。
なんせ、アナログ作業だったからさ、2〜3日かかっちゃって、それに連休を全部潰す・・・なんてこともありましたねぇ

でも、今は、デジタル音源ファイルになったし、PCで整理できるから、だいぶ楽になりましたね。あの頃に比べると。
しかも、全楽曲の音源ファイルのアルバムタイトルタグを、例えば「ヒット曲」とかに統一してヒット順にIDをつけて管理すれば、1つのフォルダで60年代以降、現在までのヒット曲を、ヒット順で管理できる。
まあ、あくまで個人レベルだけども、ヒット曲の音源クロニクルデータベースですよ。

それでも、なんせ個人的に刺さった曲しか音源集めない悪い癖があるんでね。まだまだベストテンヒット全網羅するまでは程遠い。
やっと半分くらいですかね。。。80年代は大分集まったけども、70年代、90年代はまだかなり「抜け」がある。

音源を集めるといっても、サブスクの圧縮音源ぢゃだめで、あくまでCDクオリティ以上の非圧縮音源。加えて、極力「オリジナル」のシングルバージョン。リミックスとか別バージョンはダメなのよ。
サブスクの場合、リミックスとか、アルバムバージョンとかの別バージョンしかない曲が結構あるしな。結局、未だに頼るのはCDってなっちゃうんだよな。あるいはアナログレコード音源。
もっとも、リミックスとかアルバムバージョンの方が、シングルバージョンよりもいい曲もあるんで、最近はちょっと妥協してきたけど。。。

まあ、そんなわけで、未だに、ちまちまと少しずつ、過去のヒット曲の音源を集め続けているのよね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな最近、集めた音源の中から一つ。

桜田淳子「気まぐれヴィーナス」。

なんかさ、「最近集めた音源」の1曲がこの曲っていうのも、もしかすると首傾げたくなる方もいらっしゃるかもな。
70年代アイドルのスーパースターの一人である淳子さんの曲なわけでさ。

ただねぇ、個人的に70年代アイドル、そうね、元中3トリオの中でも、百恵さんに比べると、引っかからなかったというが大きいんだろうな。 当時から。
ちなみに新御三家のなかでは、郷ひろみ氏にも、当時は引っかからなかった。
まあ、あくまで個人的な好みという点でだけど。

だからね、最近まで淳子さんの当時のヒット曲の音源って、個人的にあんまり持ってなかったのよ。

でも、時代によって好みも合わってきたわけだしね。当時はひっっから無くても今、改めて掘り返すと、しっくりと来る曲もあったりするわけで、最近、少しずつ淳子さんの音源も改めて集めだしてたりするわけですわ。

今考えると、1977年って、いわいる「歌謡ポップス」ってほとんど聴いてなかったんだよな。
ここでも何回も書いてるけど、個人的にあの頃は「ポールモーリア」に傾倒していたし、洋楽ヒットの方が刺さってた、やな「ませがき」でさあ。 
いわいる歌謡ポップスは一段見下していたのよ、今思うと。
まあ、いわいるアイドルを見下していたオヤジの影響も大きかったんだけどね。

だから、いわいる歌番組っていうのを、あの頃我が家ではほとんど見てなかったのよ。
「8時だよ全員集合」なんかでも、ウタになると、オヤジが、裏のナイターにチャンネル回しちゃってたからさ。

だから、正直言うと、あの頃のいわいる歌謡ポップスって、ほとんど聴いてなかった。

ま、おふくろがジュリーが好きだったし、個人的にはキャンディーズとか秀樹は好きだったから、その辺は聴いてたけどね。

あとはピンクレディーか。 当時から運動音痴で踊れなかったワタシは刺さんなかったんだけども、友達の渉君(ってだれだよ? )の影響で「強制的」に聴かされていたんで、一応、曲は知ってたわけなんだけどもね。。。

でも、淳子さんは、正直、蚊帳の外だったのよ。少なくとも私の周辺では。

そんな影響が多いんだろうな。


ただね、今、この「気まぐれヴィーナス」を改めて聴くと、当時、リアルタイムで聴いてたとして、果たして刺さったかどうか、ちょっと自信持てない。

うん、曲自体はいいと思うんだよね。いかにも夏向きのアクティブな、70年代アイドルの王道のようなポップスですわ。

たださ、サウンドとメロディラインがね。。。。 悪くないんだけど古臭いのよ。あの頃の他のアイドルポップスと比べても。

リバーブがほとんどない、奥行きがない平面的な音っていうのかなぁ。いかにも狭いスタジオに閉じこもっているような・・・。。
確かに、70年代前半の曲には、この手の奥行きがない平面的なサウンドの曲ってあったよね。 特に、コロムビアとかビクターさんなどの「老舗」レコードメーカーからリリースされた曲には。

・・・っていう音が、そのまま踏襲されているようなサウンド。

どう割り引いても、1977年という時代の、すくなくとも最先端な音ではないんだよね。

最初にかいた、自分のヒット曲クロニクルライブラリーで、あの頃のヒットを順に聴いてくると、1976年から1977年あたりかけて、特にアイドルポップスについてはサウンドががらりと変わってくるのが分かるのよ。
それだけ、当時のいわいる70年代アイドルポップスって日進月歩で成熟していたんだよね。

そんな70年代アイドルポップスが最高点に達するのは、1977年の年末から1978年初頭にかけて・・と個人的には思っているんだけどさ。

うん、77年末から78年前半にかけての、いわいるA級のアイドルポップスは、今聴いても難しい曲が多いだよね。

つまりね、この「気まぐれヴィーナス」がリリースされた頃の、他のアイドルポップスの、少なくとも最先端は、だいぶ先に進んでいた・・ようなイメージが強いのよ。

この曲がリリースされた、前年76年には「夏にご用心」、そのまた前年には「十七の夏」で、いずれも大ヒットを飛ばしていた、淳子さんだけに、これらの曲に近い路線で77年夏も大ヒットを・・・っていう狙いだったんだと思うんだけどねぇ。
時代は、それよりもはるか先に進んでいってた・・・ってわけなんだよね。

併せて、淳子さんの年齢的なところもあったんだろうな。
この年の春に高校を卒業し、19歳になってましたね、淳子さんも。

今でこそ、20代後半でも十分アイドルを張ってるのは、むしろ普通になったけども、当時を考えると、二十歳目前の19才ってビミョウな年齢だったわけですわ。

当時の世間的な目から20才を過ぎると、アイドルから大人の「歌手」に脱皮を強いられる・・・っていうのが普通だったわけで。

それは、百恵さんかせ、ちょうど同じころ「イミテイションゴールド」っていう、脱アイドルっぽい曲をリリースしてきたことからもうかがえる。

それに対して、淳子さんのこの曲は、まだ「アイドル然」としたところが強いからなぁ。

たしかに、「去年のブドウは酸っぱかったけども、今年は熟して甘いでしょ」っていう、いわいる大人の女性への脱皮を伺える歌詞がお織り込まれているわけだけども、如何せん曲がねぇ。。。。
正統派なアイドルポップスなんだよね。

太陽のような「陽」の存在。百万ドルの笑顔 

って言われた淳子さん。 たしかにアイドル真っ只中の年齢の頃は大きな武器だったんだけども、
逆に大人の女性への脱皮という年齢に差し掛かって来て、逆にどうもそれが、ある意味ネックになってきてたような気もするんだよね。

これは80年代の河合奈保子さんにも同じような印象があるんだけどさ。

その辺が影響してか、この曲、結局、オリコン最高7位。 売上げ21万枚止まりに終わってしまう。

ベストテンヒットではあるけども、前年の「夏にご用心」の36万枚(オリコン2位)、そのまた前年の「十七の夏」の40.5万枚(オリコン2位)に比べると、中ヒットだよね。


熱狂的な固定ファンは別にして、一般のユーザーの人たちはシヴィアーなんだよね。その辺は。

今は、固定ファンの分母数が、当時に比べると途轍もなくデカくなっているし、そもそも固定ファン以外はCD買わなくなっているんで、その辺りの見分けがなかなかつきにくくなったけども、当時は、売り上げ推移で、よく分かったわけなのよ、その辺りが。




・・・とはいうものの、やはり大人の女性への脱皮は必須ということで、この年の冬、「しあわせ芝居」の中島みゆき、次の年の「リップスティック」の筒美京平という新機軸で大人の女性への脱皮を図ることになる。

まあ、その時はその時で、売上げも回復し、この戦略は成功したかのように思えたけど、結局長続きしないまま尻つぼみになってしまったけども。。。。
これらの曲は一時のカンフル剤にはなったけども、あくまでカンフル剤だったわけだよね。

それだけ、当時としては、アイドルから 一人の大人の女性アーティストへの変化っていうのは難しかったってことですよね。

もっとも、淳子さん、その後は「女優」という新たなフィールドを開拓することになるんですが。。。


ちなみに、松田聖子さんが、福岡時代のオーディションで、この曲を歌ったのは有名な話ですわな。

その後、「歌まね振りまねスターに挑戦」で、事務所の大先輩である淳子さんの前で、この曲を歌ったりしてるけど。。。

↓ コレ





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魔法の黄色い靴 / チューリップ

1972_06_魔法の黄色い靴_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「魔法の黄色い靴」チューリップです。

まずはデータから

・タイトル     魔法の黄色い靴
・アーティスト   チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       木田高介
・リリース日    1972年6月5日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位  98位
・売上げ枚数    0.2万枚

4日土曜日、東京国際フォーラムで行われた、チューリップのデビュー50周年コンサートに参戦した。

正直、前もって参戦しようとは思っていたわけではないんだけどね。。。
今年の初め、キョンキョンの40周年ライブの中野サンプラザのチケットを獲ろうと、「ぴあ」のサイトを見ていたら、たまたま、チューリップ50周年コンサートの告知が目に入ったものだから。
それがどうも気になりまして、コンサートに行ってみようかと、チケット予約してみたら取れたんですね。。。

・・なんて、なんとなくチケット予約してみた‥のような書き方だけども、もちろん、以前から1度はチューリップのコンサートを見てみたい・・という思いはずっとあった。

これもなんかの縁・・・だったのかもな。

それ以前に、チューリップのメンバーも財津さんをはじめ70代の方が多くなったわけで、もしかすると、この機会を逃すと、もうコンサート見れなくなるかも・・なんていうのも頭の片隅にはあったのも確か。

でも、コンサート参戦してみて、よかったですわ。アットホームな雰囲気に包まれて。
個人的には、年齢的に70年代の「コンサート」の雰囲気って知らないんですよね。。 でも、その一旦も味わうことができたし。。。

ま、これに関しては、また後日、ライブレポにまとめようか考えています。



そんなわけで、今回の1曲セレクトは、やっぱチューリップの曲を持ってきたい。
・・となると、タイミング的に、やっぱし、丁度50年前にリリースされた、メジャーデビュー曲のこの曲となりますよね。

「魔法の黄色い靴」。

チューリップの曲は、曲数は多くないけどこれまでも何曲かは書いた。けど、デビュー曲であるこの曲は、まだ書いてなかったんだな。。
これまでは、なかなか書くきっかけがつかめなかったのもあるかもしれないな。

リリースは1972年6月5日。 今からちょうど50年前になる。

当時のメンバー、 Key、G 財津和夫、Key、G 姫野達也、G 安部俊幸、B 吉田彰、Dr 上田雅利 

メジャーデビュー当時の、いわばオリジナルメンバーだ。


ワタシは、この時、2才9か月。 さすがにリアルタイムじゃ聴いてないなぁ。 

個人的に聴いたのはいつだろ? 

そうそう、この曲がダイドー「ブレンドコーヒー」のCMに起用され、「虹とスニーカーの頃」や「青春の影」とのカップリングで新たに8cm CD がリリースされた1993年だ。

フジテレビ深夜に放送していた「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」から、「青春の影」にめっちゃのめりこみ、音源が欲しい・・と思っていた時に、丁度シングル曲、3曲がセットになった、「お得盤」ともいえる、この8cm  シングルCDがリリースされたのよ。すぐに買ったな。

ちなみに、このシングルCDは、オリコン最高36位。11.7万枚の売り上げを記録している。
72年のオリジナルシングルの50倍以上の売上げですわ。

もちろん、すでにチューリップというバンドのネームバリューは、72年にリリースされた当時と比べ物にならないくらい大きなものになっていたし、CMというメディアミックスの効果もかなりあったわけだから、単純には比較できないのだけど。。。

でも、個人的に「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」には、大分影響されましたね。
高校生だった80年代後半から、始めていたんだけども、ヒット曲を現在から遡って掘ってみようと本格に70年代の曲を掘り返し始めたのも、この番組からだったし。。

で、60年代からの音源がある程度揃ってくると、時代ごとの一連のヒット曲の流れがや、曲の傾向が見えてくる。

でも、そんな一連の時代の流れの中で、少し毛色が違った曲が見えてきたりするんだよね。

この「魔法の黄色い靴」もそんな1曲だったような気がする。

1972年って、時代の転換点の年のように思えるんですよね。 歌謡曲という面ではなくて、フォーク・ニューミュージックという面から見るとだけど。。。

大まかに見ると、当時の主流は60年代末からの流れを受けてフォークといっても良かったかもしれない。吉田拓郎氏の「結婚しようよ」が大ヒットしていた時代だ。

けど、一方では、その後のニューミュージックと呼ばれる新たな音楽の「芽」が出始めた年でもあるんですよね。

吉田拓郎氏の対抗馬として、井上陽水氏に注目が集まりだし、アリス、ユーミンがデビューしたのも72年ですわ。

後のいわいるニューミュージック界の雄と言えるアーティストたちがデビューした年。 そんな中に、チューリップもいたわけですね。

もちろん、アリスもユーミンも最初からビッグヒット飛ばしたわけではない。 ユーミンのデビュー曲「返事はいらない」はオリコン100位にも入らず、本人曰く300枚しか売れなかった・・・なんて言ってたりしてますもんね。

チューリップのこの「魔法の黄色い靴」は、かろうじてオリコン100位に入ったものの、最高98位。
TOP100ギリギリ。しかも1週しかランクインしていない。

結局さ、まだまだ時代が追いついていなかったってことなんだよね。

比較的複雑なコード進行と、トリッキーな転調を伴う、この「魔法の黄色い靴」は、確かにアコースティックキターがメインの一聴すると、フォークのように聴こえるんだけども、それまでの60年代からのフォークとは違う。

そもそも、当時の主流だった拓郎氏や、社会派フォークのように人生観や社会風刺を表に出した曲ではない。 政治色がないんですよ。

でも60年代から70年代へと時代が変わったように、社会も変わっていたわけだよね。

モーレツからビューティフルへ。そんな時代の価値観の辺の中で音楽の価値観も変わってきていたわけで。

ただ72年という段階では、少なくとも音楽に関しては、まだ前時代の価値観が主流だったってことでしょうね。

そんな時代の流れの中で、チューリップも、まだ立ち位置が確立できなかったじゃないか。

バンドではあるけど、シャウトするロックではない。かといって上記のようなフォークでもない。

ポップ・ロック。

当時はそんな立ち位置のバンドは、少なかったわけですわ。

田家秀樹氏の「読むJ-POP」によると、「ネオGS」という呼び方で、際物扱いだったようですね。

ニューミュージックという言葉が出てきたのは、1973年頃。
1972年当時には、少なくとも日本の音楽界ではこのコトバは使われていなかったわけで。
ロックでもない、フォークでもない彼らに当てはまる音楽のジャンルは、当時にはなかったわけですわ。

ビートルズを下敷きにしたバンド。 林哲司氏の「歌謡曲」には、そう書かれたりするけど、確かにそうなんですわ。

この「魔法の黄色い靴」を聴く限りビートルズの香りが強い。 

たしかにビートルズ好きを公言するミュージシャンは、それまでもあまたいた。
当時、時代を席巻していた吉田拓郎氏もその一人だったはず。 でも、ここまであからさまにビートルズの匂いの強いアーティストは、あまりいなかったように思うんだよね。

口が悪い方たちからは「ビートルズのコピーバンド」とも言われていたようだ。

ただし逆な見方をすれば、それまで無かったような空気感をまとった曲であることは確か。
それは、あの当時のフォーク・ニューミュージックを発売順に聴いていくと、たしかに、この曲とか、ユーミンの「返事はいらない」は、全く違う空気を感じるんだよね。


それまでの時代・・・1960年代・・・・の空気感とは全く違った空気を感じる曲。
リリースは1972年だけども、音楽における・・・いやいや、ニューミュージックという70年代を彩る新たな音楽の地平・・・は、この曲から始まったんじゃないか・・・。 後追いで音楽を聴き始めた世代のワタシとしては、そう思えたりするな。

上記の、林哲司氏の「歌謡曲」に、この「魔法の黄色い靴」に関して、

僕は、歌謡曲でもないフォークでもないポップスがやりたかった。
(当時この「魔法の黄色い靴」を聴いて)  やられた・・・と思った。

とある。

この曲に感化されて、林哲司氏が、後の竹内まりやさんの「セプテンバー」や松原みきさんの「真夜中のドア」など、70年代終盤のニューミュージック・・・今でいうシティポップ・・・を作曲する原動力になったのなら、言ってみれば今をときめくシティポップの「祖」といっても過言じゃないんだよね。




   



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春うらら /田山雅充

1976_05_春うらら_田山雅充



今回の1曲セレクトは、「春うらら」田山雅充です。

まずはデータです。

・タイトル    春うらら
・アーティスト  田山雅充
・作詞      最首としみつ
・補作詞     中里綴
・作曲      田山雅充
・編曲      船山基紀
・リリース日   1976年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

 すべてのメロディは覚えていたわけではないけど、一部のメロディは頭のどこかにこびりついているっていう曲。
そんな曲って、これ読んでくださってる方にもあるんじゃないかなぁ。
Aメロ、Bメロは忘れちゃってるけど、サビのメロディは強烈に覚えてる曲とかさあ。 いや、そうじゃなくても断片的に覚えるとか。。。

ワタシも、断片的にしか覚えてなくて、たまたまラジオで聴いて、「あ、こういう曲だったんだ・・」さて思う曲は未だにありますねぇ。

今回引っ張ってきた曲なんかも、そんな1曲だなぁ。

田山雅充「春うらら」

この曲リリースは1976年2月というから、ワタシは6才。 丁度、幼稚園から小学校に上がるころだ。
リリースは2月だったけど、ヒットのピークはこの年の6月。
オリコンでは1976年6月21日付で最高位16位を記録。
そんなロングヒットだったこともあり、最高16位までしか行かなかったけども、売上げは20万枚のスマッシュヒット。


まあ、いずれにしても そんな時代のヒット曲なんで、リアルタイムでは聴いてない。

・・・はずなんだけどもね。 でも、曲自体はずっと知ってたのよ。

いや、最初に書いたように、この曲の全篇を覚えていたわけではなくて、断片的に覚えてた感じで。

そそそ、 ♪ アゥ〜 アゥ〜  春うらら〜 ♪ っていう、 地声から一気にファルセットに上がる例のサビの部分だよね。

あそこだけは、強烈に記憶に残っていたのよ。

もちろん、オリコン的には最高位16位だったのにも関わらず、売上げ20万枚以上のスマッシュヒットを記録したこの曲だったから、存在自体はオリコンチャートを見始めた当時から知ってた。

だけど、長い事、例のサビの部分以外、この曲のAメロ、Bメロのメロディって知らなかったのよ。

正直、つい最近よ、この曲の「全貌」知ったの。 うん、ここ10年くらい。

この「1曲セレクト」のネタ探しに、改めて60年代以降のヒット曲の音源を掘り返していた時に改めて全部聴いてみたってところですね。

全篇聴いてみて「あ、これ」っていう聴き覚えがある感覚。 やはりでしたね。 
サビを覚えていたってことは、当時、この曲、一通りは聴いてたんだよ。

でも、覚えてなかったってことは、当時はサビ以外は刺さらずに、記憶の奥底に沈んでいたんだろうね。 

当時、刺さらなかったのは、日本の土着的匂いのするフォークに近いメロディラインだったからなのかもな。

70年代終盤のロック・ニューミュージックブーム前夜のミュージックシーンでは、より洋楽的な音楽は、オシャレな音楽として確かに盛り上がりつつはあったけど、 まだ前衛的な音楽という感覚でしたよね。
それよりもこの手の土着的な匂いのするフォーク路線っていうのが、まだウレセンだったわけで。。

ただ、個人的には、この手の土着的な匂いのする音楽よりは、当時から、より洋楽的な匂いのする音楽の方にシンパシイを感じてたのよ。

・・・なんて、当時6才のガキンチョが、なにがシンパシィじゃ・・・だよな。

うん「刺さった」のよ。

土着的な匂いのするフォーク・・、あの頃で言えば、かぐや姫とかNSPとかですよね。さだまさしさんなんかもそうだったかな。 ほんの少し時代を下れば、松山千春さんとか・・。

それよりも、やっぱり、ユーミンとか、井上陽水さん、チューリップなどの方が音楽的には刺さったし。。

今回引っ張ってきた「春うらら」は、どちらかといえば、前者よりの匂いが強い曲だったわけじゃん。
特にAメロ、Bメロなんかは。 それは、メロディラインの他、歌詞にも感じたりね。

♪ 二人コタツにくるまって 触れ合う素足が ほてりほてり〜 ♪ とかさ、いかにも日本的な情景じゃん。

そもそも 「春うらら」っいうタイトルからして、日本の土着的な田舎の風景を思い浮かべたりして。

個人的には、タイトルから浮かんでくる風景は、春、田植え前の水の張った田んぼと、周りの菜の花と、田んぼの畔の水路のカエルの卵、 そこに吹きぬける、春の優しい風ですわ。

当時、この曲と全く同時期にキャンディーズの「春一番」が大ヒットしていたわけだけども、あの曲のようなアグレッシヴで動的な春の情景とは、ちょっと違った感じで。。。

ただ、そんな土着的であるからこそ、安心もあるのも確かで。。だからこそ、当時は、そういう曲の方が、洋楽寄りで都会的な曲よりもウレセンだったんだろうな。 
・・っていうのも分かりますね。

少し前にも書いたんだけども、70年代中盤、生活の欧米化の波は進行していた・・とは言えども、まだまだ日本独自の文化や風景が残っていたのも事実なわけで

当時ユーミンが言っていた「中産階級」っていうのは、あくまで都会の一部の層の意識だったんじゃないか・・なんて思うわけなのよ。

当時、福島・いわきに住んでたワタシだけどさ。76年といえば(常磐)炭鉱が閉山した年で、まだ、いわいる「炭鉱長屋」があちこちに残っていた頃なんだよね。
繁華街でも一本裏通りに入れば、昭和30年代、40年代初頭の高度成長期以前の匂いがそのまま残っていたし。。。

ワタシの家は炭鉱長屋ではなかったけど、あの頃の記憶としては、そういう生活環境の記憶が強くて、とてもユーミンがいう中産階級の生活環境とは言えなかったし。そういう中産階級的な生活は、まだ憧れの中の存在だったわけよ。

まあ、いわき以外でも、当時の地方都市は、ほぼそういう状況だったんじゃないのかな。

だからこそ、こういう日本特有の土着的な匂いのするフォークのほうが、安心感を感じる・・っていうか、より生活に近い感覚があったわけでさ。だからこそ、当時はまだウレセンだったんだろうね。

そそそ、当時、個人的に、この手の曲よりもユーミンなどの、より洋楽的な匂いのする曲に、個人的にシンパシイを感じたのも、現実の生活にはなかった、あの頃の「憧れ」だったんだろうな・・と。今、振り返れば思えますね。




Youtube上では、当時の映像としては、これが唯一の映像のようだけども、77年のNHKフォークフェスティバル。

でもさ、この時の「フォークフェスティバル」って




を見ると、↑で対抗的な立ち位置として出した、ユーミンも出演していた模様。





いや、逆にユーミンがメインのコンサートだったようだ。

※蛇足だけども、コンサートは1977年8月19日とある。 ワシの8歳の誕生日だ。

その他の出演アーティストは、大橋純子&美乃屋セントラルステーション、ハイ・ファイ・セットで、番組タイトルのような「フォーク」とはとても思えない出演アーティスト。純粋なフォークシンガーは、田山雅充氏だけだったようですね。

でも1977年と言えば、ニューミュージックブームの賭場口の年だったし、音楽シーンもフォークからニューミュージックに完全に意識が変わっていた頃。

「春うらら」がヒットした1976年だったら、出演アーティストも大分違っただろうけどね。
それだけ、急激に音楽シーンの主流が変化してた頃とも見て取れるんだよね。



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恋は邪魔もの / 沢田研二

1974_04_恋は邪魔もの_沢田研二



今回の1曲セレクトは、「恋は邪魔もの」沢田研二です。

まずはデータです。 

・タイトル    恋は邪魔もの
・アーティスト  沢田研二
・作詞      安井かずみ
・作曲      加瀬邦彦
・編曲      大野克夫
・リリース日   1974年3月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   27.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年4月8日〜5月20日付

曲自体はそれほど好みではないけど妙に耳に残る曲がある。
これまで1700曲ほど書いてきた「1曲セレクト」の中で、そんな曲も大分増えてきたけど、今回引っ張ってきた曲もそんな1曲だなぁ。

ジュリーの「恋は邪魔もの」。

この曲は、1974年3月リリース。48年前の丁度今頃がヒットのピークだった1曲ですわ。

前曲「魅せられた夜」と、次のジュリーの74年の代表曲となる「追憶」っていう、両大ヒット曲に挟まれた、スマッシュヒット曲になる。

そそ、上の2曲とも30万枚オーバーであったけども、この曲は30万枚にはとどなかった・・ということで、スマッシュヒットと書いたんだけども。。

それでも、オリコンでは最高4位まで上昇している。

1974年の今頃と言えば、ワタシは4才8か月。 幼稚園年中組だった頃だ。

当然、 この曲はリアルタイムでは聴いてない。 なんせ、心は「アルプスの少女ハイジ」だった頃だし。。。

中1の時に買った、ジュリーの「大全集」っていうカセットに収録されたのを聴いたのがこの曲との出会いだったな。 だから、リリースから約10年後のことになる。

確かね、カセットの曲が、リリース順となってて、「追憶」と「魅せられた夜」の間にこの曲が収録されていたんだよ。 もちろん、「追憶」も「魅せられた夜」もリアルタイムでは聴いてないから、その時同時に初めて聴いたんだけども、両者ともいい曲だと思った。

個人的にジュリーをリアルタイムで聴いたのは、77年の「勝手にしやがれ」以降。 ジュリーの「第2次」の黄金期からで、第1次黄金期である「フレンチポップ」な時代は、全く知らなかったのよ。

で、初めてフレンチポップなジュリーを聴いてその新鮮さに一発で虜になってしまった。

まあ、もともとプレンチポップスって好きだったんだよね。ガキんちょのくせしてさ。

なんせ、物心ついて一番初めにフィットした音楽がポールモーリアだったからさ。フランス系の音楽って大好きだった。

それもあって、「追憶」なんかは、一発で気に入っちゃいましたね。 「魅せられた夜」はフレンチポップに加えてブラスの入り方が新鮮だったな。 
中学校で吹奏楽部に入って、丁度その頃ブラスの面白さに目覚めて来ていたんで、これらの曲のブラスの入り方に刺さっちゃったんだよね。

それらに比べると、この「恋は邪魔もの」って曲は、今一つピンとこなかった。

丁度この頃の曲の中では、フレンチポップスじゃなかったしさ。

もっとも、この曲のアレンジャーは、あの頃ジュリーのアレンジを手掛けていた東海林修氏ではなく、大野克夫氏だったしさ。 そこからして、他の曲とはテイストが違うというのも分かるんだけどさ。
まあ、ポップロックだよね。

ただ、そのノリが当時はどこか軽薄な感じがしてさ。 

シングルではあるけど、表題曲ではないような・・・。そそそB面の曲ような印象だったんだよね。

・・かといって、全く興味が沸かないか・・といえば、そうではなくてさ。

最初に書いたように、なんか、妙に耳に残ったりしてね。

この曲のジャケ写を見ると、バックの井上尭之バンドのメンバーの写真がちりばめられていたりするし、意識してロック色を強めたんだ・・というのは、今になってわかるけどね。

いや、それにつけても、1974年当時としてはめっちゃ「前衛」的なジャケットですねぇ。レコードジャケットというよりも、アパレルのポスターのようですね。





48年前の「中ヒット」ということで、当時の動画はほとんど存在していないというのは分かるけど、まさか「モノクロ」の動画が残っているとはね。。。

74年といえば、ほとんどのテレビはカラーに切り替わっていたと思うんだけども。。。
それともこの動画を録画したビデオが、まだモノクロ仕様だったのかなぁ。。。
まだ家庭用のビデオデッキなんてなかった頃ですからねぇ。おそらく業務用のオープンリールのビデオで録画したものだと思うけど。。。。

でも、レコード音源だけでなく、こう実際にテレビで歌っているところを見ると、かっこよく感じるなぁ。

いつだかも書いたんだけども、昔の曲、特に70年代頃のヒット曲って、レコード音源聴くよりもテレビで歌っているほうがいいんだよね。

独特のグルーヴ感があるでしょ。テレビで歌っているほうが。 よりライブ感を感じるというか。。

そそそ、昔、ツイストの「性」を書いた時にも同じようなことを書いたんだ。 この動画を見て、この曲も同じような印象を持ちましたね。

残念なのは、バックの井上尭之で、演奏しているはずの岸辺修三(一徳)氏のプレイが良く見えない事かなぁ。

今じゃ、役者としてしか見れないれけども、このヒトのベース、めっちゃ上手いんだよね。
少し前、タイガース再結成時、今でも衰えていないベーステクニックにびっくりしちゃたもの。



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想い出の樹の下で / 岩崎宏美

1977_03_想い出の樹の下で_岩崎宏美




今回の1曲セレクトは、「想い出の樹の下で」岩崎宏美です。

まずはデータです。

・タイトル   想い出の樹の下で
・アーティスト 岩崎宏美
・作詞     阿久悠
・作曲     筒美京平
・編曲     筒美京平
・リリース日  1977年1月25日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  23.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月14日〜3月14日付



またまた、久々の1曲セレクトです。
・・・って、前回はここから長々とマクラを書いちゃったんだよな。
なので今回は、すんなり本題に入りますぞ。

さてさて、今回引っ張ってきた曲は、岩崎宏美さん、1977年1月にリリースされた8枚目のシングル

想い出の樹の下で

この曲さあ、いっつもヒット時期間違えるんだよな。

曲の内容からして、卒業、新たな旅立ちを想像させるし、曲調からも「春」を連想させるんで、3月頃のヒットだとばっかり思ってたのよ。

でも、実際は、リリースが1月で、ヒットのピークは2月なんだよね。

曲のイメージからすると、実際は1か月ほど早い。 で、3月の今頃はヒットのピークは過ぎて下降線に入ってた頃なのよ。

だから、いっつも書く時期を逸するんだよな。 

まあ、今回もややヒット時期からすると、ずれ気味ではあるけど、ここで書いとかないと、また書く時期を逸するんじゃないかと思いーの、ひっぱってきちゃいました。。。


個人的に、この曲嫌いじゃないんですよ。 むしろ、宏美さんの初期の曲の中では好きな曲の部類なんだよな。

この曲も、デビュー以来携わってきていた、筒美京平氏の作曲だけど、明らかにここまでの曲とはサウンドが違ってたからさ。

モノの本では、初期の宏美さんの曲は、ディスコサウンドと言われる。まあ、これは、当の筒美氏も公言しているから間違いないところなんだけども。

そそそディスコといっても、70年代終盤のサタデーナイトフィーバーではなく、バンプを経た後の、フィラデルフィアサウンドがベースとなったディスコですね。ヴァンマッコイの「ザ・ハッスル」などの黒っぽいサウンドのディスコ。

榊ひろと氏の「筒美京平ヒットストーリー1967-1998」によると、これらのディスコサウンドがベースとなっているが、うわもののストリングスなどは、それまでの歌謡曲を踏襲した・・とある。

そそそ、だから、ぱっと聴きは、それまでの70年代のヒットポップスと大きくは変わらないんだよね。
でも、リズム体は明らかにそれまでのポップスとは一線を画す。それを榊氏は「過渡期」と書いてるけど、まさにそんな感じですね。

いつかも書いたけど、70年代って前半と後半では、サウンドが全然違うって書いたことがあったけど、宏美さんの初期の一連のヒットって、まさにそんな時代の変革期真っ只中の時期のヒットなんだよね。

ただ、個人的には、大ゼッサンしたくなるほどではなかった。まあ、もともと70年代中期のディスコサウンドって、大得意ってわけじゃないからなぁ。

たしかに、大ヒットの「ロマンス」は別格だけども、その他の初期のヒットはそれほど引っかかってこなかったんだよね。 

でも、この曲では、ディスコから、ソウルへ、本格的なフィリーソウルを見せてくれたじゃん。 それが良かった。

いや、個人的には、フィラデルフィア・ソウルのほうが、ディスコよりも全然好きだったから。

あ、これは、子供頃から。

透明感のあるストリングスに、キラキラとしたブラスが絡まってくる。 

ヴァンマッコイのディスコサウンドは、黒っぽさが際立っていたけど、ソウルになると、黒っぽさは薄れ、もっと洗練されたサウンドに昇華してくるというかさ。
そんなフィリーソウル・サウンドが大好きだったんだよな。

77年は個人的には、ポールモーリアな嵌ってた頃なんだけども、そんなフレンチ・ヨーロッパ系のサウンドに対しての、もう一つの心のよりどころだったのが、実は、フィリーソウルだったりするんだよね。 多分、その二つのサウンドが個人的な音楽の根っこに今でもなっていると思うんだけども。。

うん、わが心の70年代ですよ。これらのサウンドは。

ちなみに、筒美京平氏は、この年1977年、この「想い出の木の下で」でフィリーサウンドを、秋には太田裕美さんの「九月の雨」でポールモーリアを下敷きにしてきている。
個人的な音楽の根っこのサウンドを両者とも取り入れている。だから、筒美サウンドはやめられないのよ。


・・・で、この「想い出の樹の下で」は、そんなフィリーサウンドを取り入れたっていう所が、それまでのシングルとは違うし、だからこそ、新鮮味も感じるんだよなぁ。

取り入れたというか、イントロ出だしのホルンの響きは、バリーホワイトの「愛のテーマ」の間奏部のホルンの響きを彷彿とさせるし。 「愛のテーマ」は下敷きにしてるよね、間違いなく。

↓ コレ





ただ、個人的な思いとはウラハラに、どうも、一般的な評価は、それほど高くなかったりするんだけどさ、この曲。

B面の「わたしの1095日」のほうが、業界的な評価が高かったりするし、こっちの方が好きだっていう人も多くて、ちょっと悲しいかな・・と個人的には思ったりするんだけどさ。。。

そんな業界的な評価の低さが、売り上げにも反映されているのか、売り上げを見ても、大ヒットとは言い切れなかったんだけどね。




やっぱり、間奏のトランペットは気持ちいいよね。 
榊ひろと氏は、フィリーソウルから、スタイリスティックスの「愛がすべて」のイントロのトランペットを彷彿とさせるとおっしゃっているけど、個人的にはメイナード”・ファーガソンの「Theme From Star Trek 」を思い起こしちゃったりして・・・。

そそそ、「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲の。。。




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