かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1970年代ヒット曲

カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

1979_01_カメレオンアーミー_ピンク・レディー


今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    カメレオン・アーミー
・アーティスト    ピンク・レディー 
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1978年12月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付

昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。

ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね

それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。

おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。  
これならもっと早くやっておくんだったな。。。


ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。

その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました

ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」

じゃじ〜ん

60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ


この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。

ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。

さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。

ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。

いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。

あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。

あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない

ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。


イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。

ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。

でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。

・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。

丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。

まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
 
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。

まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。

でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。 
いわいるネタ切れってやつですわ。

「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、
曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。

 たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。

それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。

でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。

当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。

大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。

ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。

ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。

調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。

まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。

 当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。

ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。

まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。






しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
 たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
 それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。

サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。

蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。

ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。






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誰もいない海 / トワ・エ・モア

1970_12_誰もいない海_トワ・エ・モア


今回の1曲セレクトは、「誰もいない海」トワ・エ・モアです。

まずはデータです。

・タイトル    誰もいない海
・アーティスト  トワ・エ・モア
・作詞      山口洋子
・作曲      内藤法美
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1970年11月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 16位(1970年12月28日付)
・売上げ枚数   14.8万枚

2021年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。
昨年末に原田真二さんの「OUR SONG」を書いた時に「マクラ」で「来年ものらりくらりと行かせていただきます」云々と書いたのですが、そのとおり今年ものらりくらりと行かせていただこうと思います。一つよろしくお願いします。

さて、新年一発目はどうしようかなぁ・・と思ったんですが、歌詞内容と実際にヒットしたした時期がちょっとずれてる曲を持ってきましょうか。

まあ、そんな曲は探せばだいぶ出てくるとは思うんですが、個人的に真っ先思う浮かぶ曲はこの曲ですねぇ。

トワ・エ・モア 「誰もいない海」。

ウーム、我々世代だと、「音楽」の教科書で御馴染みって方も多いのかなぁ。 

今聴くと、まっすぐな歌詞、曲調のフォークソングの1曲ですね。
まっすぐな歌詞、音楽の教科書に載ってる曲ということで、ちょっと敬遠がちの方も、もしかするといらっしゃるかなぁ。
それでもヒットチャート系の立派な商用音楽の1曲である事には間違いないんだよね。 

♪ 今は もう秋 だれもいない海〜 ♪

・・・と言う出だしから、思い浮かぶ情景は晩夏〜秋ごろの、人気のない静かな海・・なんですよねぇ。
夏、あれだけ賑わっていた海岸も、秋に訪れてみると、人気も少なく静かな海。 そんな情景から、ワタシもかなり長い間、ヒットは「秋」だとばっかり思っていたんですよね。

でも、実際のヒットのピークは、1970年の年末から、明けて1971年の今頃だったりするんだよね。

うわっ、なんかイメージと違うなぁ・・・。

たしかに、今、海に行ったら、それこそ「誰もいない海」ですよ。寒くて・・・・

この曲の温度感は、夏の終わりから秋の初め頃ですよ〜。 ブルブル震えながらの「誰もいない海」ではないはず。。。

だからね、ワタシ、ずっとこの曲のヒット時期間違ってたんですよ。 絶対に夏の終わりから秋ごろのヒットだとばっかり思ってたから。

 一時期、音楽の教科書に載ってた曲を1曲セレクトに引っ張ってきてたことがあるけど、今まで残っていたのは、ヒット時期を間違って覚えてたからだよなぁ。

そもそも、リリースが11月5日なんて、秋も深まってからのリリースだとも思っても見なかったし。。。

↑で書いたように音楽の教科書にも載ってたし、いろいろな人にカバーもされたりして、大衆認知度は高いはずのこの曲が、15万枚弱の売り上げ枚数、しかもベストテン入りもしていなかったのは、一重にリリースタイミングと、ヒット時期のせいだぁ〜・・・・なんて勝手に思ってたりするんだけどね。

この曲、個人的には初めてどこで聴いたんだろう? 

1970年のリリースということは、ワタシは1歳。当然、リアルタイムではない。
まあ、音楽の教科書に出ていたくらいだから、きっと音楽の授業でなんだろう・・・と思われるのは普通だと思うんだけど、実は、この曲ははっきり覚えてるんだよな。

1976年初夏。 家族でピクニックに行った時の親父の車のカーラジオだ、初めて聴いたのは。
そんな45年前のディテール、よく覚えてるな・・と思われるかもしれないけど、この時のことは今でもよく覚えてる。
ウチは親父がドライブ好きで、しょっちゅう家族でドライブに出てたんだけどもいつもは街道のソバ屋かレストランで昼食だった。
でも、あんときは珍しく、オフクロが🍙とおかずを作ってピクニック気分で出かけんだよね。 
福島県の富岡から川内村に抜ける県道ぞいの広い牧草地にゴザをひいて、真っ青な空の下おにぎりを食べた情景、今でも覚えてますよ。
その道中のカーラジオから、流れていたこの曲、45年たった今でも忘れないなぁ。

恐らく、初めて聴いたのが音楽の授業だったら、ここまで覚えてなかっただろうけど、やっぱり家族との思い出はいつまでたっても色あせないですね。

そんな家族の思い出の地も、10年前の東日本大震災のでの、件の東電原子力発電所爆発差事故で、近年まで立ち入り禁止区域になっていましたね。
ワタシの中では色あせない思い出であっても、現実には遠い記憶になってしまったわけです。




この曲は、もともと「木島則夫モーニングショー」の「今週の歌」のために1967年に書かれた曲で、1968年 大木康子さんと言う方がシングルリリースしたけど、その時は全く売れなかったとのこと。

だから、トワ・エ・モアバージョンはカバーということになりますね。
ただ、作曲の内藤法美さんは、越路吹雪さんのダンナであったことから、トワ・エ・モアさんと同日に越路吹雪さんもカバーリリースしていたんだよね。
こちらはオリコン最高91位。

ちなみに、この曲の作詞者の山口洋子さんは、後に五木ひろし氏に数々のヒット曲を書くことになる、山口洋子さんとは同姓同名の別人だそうです。
作詞家ではなく、詩人だそうですね。

・・・っか、これ書くまで、ワタシも知らなかった。てっきり、あの山口洋子さんだとさっきまで思ってました。。。。

五木ひろし氏の一連のヒット曲を書いた山口洋子さんは7年前に亡くなってしまいましたが、この曲の作詞者である山口洋子さんは、御年87才。今でもご健在だそうです。

だけど、↑の動画のコメントを読むと、やっぱり、この曲は9〜10月の曲と言う印象がある方が多いようですね。
まさか、ヒット時期が年末〜年明けにかけて・・とは今となっては、ほとんどの方は覚えていないよなぁ。
1970〜1971年頃なんて、まだヒットチャートというものも一般的ではなかったですからね。



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OUR SONG / 原田真二

1978_12_our song_原田真二


今回の1曲セレクトは「OUR SONG」原田真二です。

まずはデータでする。

・タイトル    OUR SONG
・アーティスト  原田真二
・作詞      原田真二
・作曲      原田真二
・編曲      原田真二
・リリース日   1978年11月21日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 19位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位(1978年12月25日付)

大晦日ですね。1曲セレクトもおそらく、2020年内はこれが最後だと思います。
今年1年、アクセスしてくださった皆様には感謝を申し上げるとともに、来年ものらりくらりとだと思いますが、書いていきたいと思いますので、一つ御贔屓に宜しくお願い致します。

さて、始めますか。。

どうもに気になっている曲がある。
今回引っ張ってきた原田真二さんの「OUR SONG」と言う曲。
曲調が気になっているわけではない。このところよく書いている曲へのアングルなんだけども、この曲、最初はどこで聴いたんだろう? ってこと。

いや、厳密に言えば、この曲自体ではなくて、個人的に原田真二さんってどこで知ったんだろう? っていう疑問なんだよね。

ワタシずっと、「ザ・ベストテン」だとばっかり思っていたんだだよなぁ。

ただ、「ザ・ベストテン」で・・・と言っても、ベストテン内にランクインした、「キャンディ」「シャドーボクサー」「タイムトラベル」「サウザンドナイツ」ではない。

以前もここで書いたように、個人的に「ザ・ベストテン」を見始めたのは、今でも忘れない1978年11月2日放送分からだ。

それ以前は、番組の存在すら知らなかったんで、それは間違いない。

・・ということは、ワタシがベストテンを見始めた以後にリリースれされた「OUR SONG」だったに違いない・・・なんて思ってたんだよね。

この曲、「ザ・ベストテン」でのベストテン入りは逃し最高12位だったはず。。 でも、番組で見た記憶があるんで、「スポットライト」で見たんだ・・・。

・・・ってずっと思ってたんだよね、ワタシ。

だから、以前「1曲セレクト」で「タイムトラベル」を書いた時も、原田真二を知ったのは「OUR SONG」をベストテンの「スポットライト」で見てから・・・って書いたんだけども。

でも、その後ベストテンに関する資料を調べていたら、どうも、この曲「スポットライト」で歌ってなかったみたいですね。。。。

そもそも自分のサイトのコンテンツ「ザ・ベストテン館」の「スポットライト編」登場アーティスト変遷にこの曲の記載がない。

灯台下暗し。自分のコンテンツに書いたなかったものを・・・ でもさ、これかなり昔に作ったリストなんで、以前の1曲セレクトで書いた時は「記載漏れ」があったものと思ってたんだよね。
なんせ「誤記述」はワタシの専売特許なんで。。  (爆)

でもこの曲については、どうも誤りではなかったようだ。

ぢゃ、どこで原田真二さんを知ったんだろう?  謎なんだよなぁ。。。。

うん、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れた、1978年当時であることは間違いない。
兎も角、あのチリチリアフロヘアにピアノの弾き語りというスタイルはビジュアル的に強烈なインパクトがあった。
しかも、チリチリアフロなのに甘いマスクだったりして。

まあ、たしかにずっと後になって、スキマスイッチの常田氏も、全く同じスタイルだったわけだけど。
違うのは甘いマスクじゃなかったことか。。。

いずれにしてもビジュアル的にめっちゃインパクトがあった記憶はあるんだよね。

しかも、ビジュアル的にインパクトがあっただけではなく、楽曲がめっちゃいい。
この「OUR SONG」なんて、当時のヒット曲傾向から言っても、ほとんど洋楽だもんね。 よく筒美京平氏のメロディは洋楽「的」といわれるけど、「的」ではなく、もろ「洋楽」なのよ。

曲調ほとんどエルトン・ジョンだもんね。 そもそも「OUR SONG」っていうタイトルからしてもろじゃん。

洋楽に日本語が乗っている・・・しかも50年代、60年代のカバーポップスの時代のような無理やり感がなく、メロディに自然に日本語が乗っている。 

今考えると、日本のロック・ポップスもここまで来たんだ・・と思わせるような1曲ですね。

これも以前から書いてることなんだけど、ワタシ、いわいる「商業音楽」の入り口は、邦楽じゃなくて実は洋楽だったりするんですね。 起源はポール・モーリアなんですが、そこから派生して70年代HITPOPSが商業音楽を聴き始めた起源だったりするのね。
ROCK系も聴いてたりしたけど、より刺さったのはポップス系なんですよね。特にエレピを多用した曲。
だからね、和製エルトン・ジョンだとか、ビリー・ジョエルと言われた当時の原田真二の曲にも刺さったんだろうなぁ。

まあ、原田真二氏だけでなく、同様に八神純子さんにも刺さっちゃったワタシなんだけど。 兎も角、あの手のエレピが前面に出たロック・ポップが大好きなんだよね。
加えて、ゴダイゴ、ツイスト、サザンという当時のロックBIG3と言われてた人たちも、もちろん大好きだったんだけども。

だからねぇ、あの頃を思うと、今、ヒゲダンに刺さっているのって必然だよなぁ。ヒゲダンだけじゃなく、緑黄色社会とかビッケブランカとか、エレピが前面に出ている人たちって好きなんだよなぁ。

結局、いいタイミングで「ザ・ベストテン」と言う番組に出会ったよな・・と今になっても思いますね。
もっとも、1978年というヒット曲の大変革期に番組が始まったこと自体大きかったんんだけども。
あれが、例えばもう少し前だったら、個人的に番組自体に嵌っていたかどうかは自信ない。

・・・というのも、1977年頃だったと思うけど、偶然見た歌番組に全然共感持てなかったのを覚えてるんだよなぁ。 いわいる「4・7抜き」を多用したメロディとブラスを前面に出したアレンジに、当時洋楽を聴いてたワタシにゃ「ちゃちさ」を感じたのよ。 

78年、ロック・ニューミュージックが主体になり、そんな「ちゃち」さが払しょくされたヒット曲界に個人的には共感が持てた・・・刺さったんだと思う。 「あ、これなら聴きたい」って思えたんだよね。当時9歳。生意気なクソガキだったと我ながら思う。


そんな、もろ「洋楽」だった壮大なこの曲だけど、売れませんでしたねぇ。
「ザ・ベストテン」では、この前の「サウザンドナイツ」まではベストテン入りしていたのにかかわらず、この曲はベストテンにも入れず。
そもそも、オリコンで19位までしか行きませんでしたからね。

2曲前の「タイムトラベル」でオリコン自己最高位を記録していたことを考えると、この急激な売上げ低下には頭をかしげたくなるばかりだけど・・・。

要因はいろいろある。

一つは、この曲から詞が、それまでの松本隆氏から自作詞に変わったこと。 これで作詞、作曲、編曲、すべて原田氏一人でのセルフプロデュースになったこと。
松本氏の分かりやすい詞の世界から、自分の内面を反映する内容に変わって、詞の世界が難解になったんだよなぁ。

特に、 

♪ ただ今は 唱えるは 明日は 必ず晴れさ〜 ♪とか 
♪だからもう 唱えよう 輝く明日を信じて〜♪ など、

一種宗教を彷彿させ、精神世界を匂わせるようなフレーズも出てきたりして、ちょっと第三者には理解しがたい詞の世界に変わったことは大きかったんだろうね。

♪ キャンディ アイラブユー 泣かないで〜 ♪というめっちゃ分かりやすい詞の世界とは偉く違ったわけでね。

確かにオーケストレーションアレンジを施した壮大なアレンジ、6分を超える長い曲調にアイドル然とした原田真二のファンだった人たちには戸惑いもあったんだろう。

後に、原田氏が某宗教に走った時に、この曲のこの歌詞のフレーズを持ち上げられて、「やっぱりそうだったんだ」と宗教に走ったことを当然のように言われたこともあった。
ただ、今wikipediaを読むと、高校受験の時に人間の潜在能力を引き出すためにプラス思考に動かす「考え方」セミナーを受けていたということで、そんな影響もあったのかもしれない。

でも、アミューズを脱退して独立したというのが何より、このヒトにとっては大きかったんだろうな。
もっとも、アイドルとしてテレビ中心にプロモーションをかけることに違和感を感じて独立したわけなんだけどね。
あくまでアーティストとして自分をさらけ出すという覚悟での独立だったんだろうしね。だから、ヒットチャート的にどうこうというのは、大きな事ではなかったんだろうけどね。



これ、何の番組だったんだろう? 服部克久氏がMCやってますね。
あ、でも、ワタシの中での原田真二氏って、このイメージなんだよね。 チリチリパーマヘアに、丸眼鏡でピアノを弾くってゆう図柄。
まさか、この番組で初めて、原田氏を見たわけじゃないよなぁ。

しかし、女の子の黄色い歓声が凄いですね。いかに当時、原田氏がアイドル的人気だったのかが分かますねぇ。
それに反して、生意気そうなコメント。
↑で急に売れなくなったのは、アーティストとして活動していくためのアミューズからの脱退が大きかったって書いたけど、もう一説は、生意気な発言から第一線から干されたというのもあったようですからね。
アミューズという後ろ盾があれば、あるいは、ここまで急激に人気が急降下しなかったのかもしれないけど。。。


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旅愁 / 西崎みどり

1974_12_旅愁_西崎みどり


今回の1曲セレクトは、「旅愁」西崎みどりです。

まずはデータです。

・タイトル    旅愁
・アーティスト  西崎みどり
・作詞      片桐和子
・作曲      平尾昌晃
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1974年8月1日
・発売元     徳間音工
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月18日〜1975年2月10日付
・タイアップ:朝日放送「暗闇仕留人」エンディングテーマ

前回の五輪真弓「リバイバル」もそうだったけど、ここのところ、初めて聴いたのはいつ、どこで出会ったのか、全く覚えていない曲が続いている。今回の曲もそうだなぁ。

西崎みどりさんの「旅愁」。

この曲、はっきり覚えているのは、1991年〜1992年のナイターオフシーズンに、ニッポン放送で半年放送されていた、「オリコンベストヒット500」で流れた時ですね。

この番組、いつかも書いたけど、1991年夏に当時コンシューマー向けに毎週発行されていた「オリコンウイークリー」の創刊600号を記念してオリコンウイークリー誌上に掲載された、当時のオリコンシングル歴代TOP500と連動した企画のラジオ番組で、半年かけてオリコンシングル売上げTOP500をカウントダウンする「壮大」なランキング番組だったんだけどね。
この曲の売り上げ58.1万枚は、1991年夏の段階でたしか301位〜400位台だったと思う。
(あいまいでメンゴ。あの時のオリコンが手元にあればよかったんだけど、30年分の膨大なオリコンウイークリーの山に埋もれてしまってマス。。。
だから、当然この番組でも放送圏内だったし、そのとき意識して初めて聴いたわけだ。

でもね・・・。

この間の五輪真弓「リバイバル」と同じなんですよね。 初めて聴いたはずなのに、メロディを聴いたとたん、「あ、これ」とめちゃくちゃ懐かしい気分になった。

初めて聴いたはずなのに、どこかで聴いたことがある。でも、どこで聴いたのかはっきり思い出せないのがもどかしい感覚。

あれから30年近くたっているんだけど、この時の感覚はいまでもはっきり覚えているな。

これは、いまでも変わらないんだけども、この曲を聴いてフラッシュバックしてくるのは、まだ、福島・いわきにいた頃の映像だ。
当時5歳だったころの私が感じていたような画像・色彩。

ということは、やっぱりあの頃(5歳当時)どっかでこの曲を耳にしていたのかもしれない。

この曲は、朝日放送のドラマ「暗闇仕留人」という、「必殺」シリーズ第4弾のエンディングテーマではあったけど、さすがに「必殺」シリーズを見ていたわけではないよなぁ。
「テレビドラマデータベース」というサイトで調べてみると、このドラマは毎週土曜日の22時〜22時50分放送とある。
さすがに5歳で22時過ぎまでは起きてなかったしなぁ。 
当時で覚えているのは、21時前のニュース。福島ではFTV(福島テレビ)ニュースだったけど、これ「うすい百貨店」の1社提供でさ。
ニュースの前に「うすいデパート」のテーマ曲が流れるの。♪デートもうすい 夢のデパート〜♪って曲、当時福島県民だった方、覚えてないかなぁ。 
あの曲が流れると、「寝る時間」っていう頭があったんだよね。そそそ21時には寝てたわけよ。
・・というか、今もあのテーマ曲流れるんでしょうかね  
福島から千葉に越して来て38年。あのテーマ曲は、未だにしっかり覚えてるんだけどね。

あー、話がずれた。。。。

この「旅愁」、いずれにしても、1974年と言う時代を彷彿させるような曲調ではありますよね。
簡単に言えばモロ「歌謡曲」。

ただ、1960年頃までの演歌調の歌謡曲ではない。 濡れているんだよね。
ストリングスをふんだんに使ったアレンジ。 特に間奏部のストリングスによる迫りくるようなトレモロは、もろクラシックを彷彿とさせる。 しかもハープまではさんだりして、至極豪華なアンサンブル。
・・・なんて書くと、いかにもヨーロッパ系のサウンドを思い起こしてしまいそうになるけど、そうじゃない。この曲は、あくまで「ジャパニーズ」スタイルなんだ。

なぜか・・。

やっぱりメロディラインが日本的なんだよね。 あからさまな4、7抜きの演歌調ではないんだけども、和のテイストを感じさせるメロディ。 日本語がメロディに乗るというのは、こういう事なんだろうという見本のような。

先日逝去された、筒美京平氏は、よく洋楽的なサウンドと言われたりするけど、70年代前半頃までは、メロディラインは日本的なものも多かった。 例えば、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」とかさ、洋楽的なサウンドに小唄調のメロディなんて言われるわけじゃない

そういう和洋折衷、 洋楽的なオシャレなサウンドに醤油をかけたようなメロディ⇒70年代前半の歌謡曲の本流 だと思うのね。

それを考えると、この曲はその本流な曲なんじゃないのかなぁ。

ただ平尾昌晃氏っていうのは筒美京平氏よりも、この「和風テイスト」具合がより強いんだよね。
筒美氏のサウンドはバタ臭いという表現で言われるけども、より醤油風味の強い平尾氏の曲はそんな風には言われない。
だから、今聴くとどうしても「演歌」テイストに聴こえてしまう。 というか、今だったら完全に「演歌」というジャンルに入れられてしまうだろう。
でも、あの時代は、バター風味の強い曲よりも、より醤油風味の強い曲の方が支持された。 そういう時代だったんだよね。

いずれにしても今考えると1974年と言う時代は、そんな和風テイストな「歌謡曲」が最も支持された、いわば歌謡曲全盛の年ともいえるんじゃないのかなぁ。 そもそもオリコン年間ミリオンセラーシングルが4枚も出たのもこの年が初めてだったし、
この「旅愁」が58万枚も売れたのも、歌謡曲系を中心にレコード売れ行きが好調だった、この年ならではの流れだったんじゃないかとも思えたりするんだよね。

ただ、身の丈以上に売れた後は、その反動が来るわけで、翌1975年は一転してレコード売り上げは下がる。
もっとも、この間に「歌謡曲」から「ニューミュージック」へという時代の転換も起きたわけでさ。
身の丈以上の売れ方、つまり一つのジャンルの成熟は、次のムーブメントの始まりでもあるんだよね。
歌謡曲においても、和テイストの歌謡曲よりも、よりバター風味の強い「歌謡ポップス」への転換が進んだ時代。
1974年から1975年でのヒット曲傾向の変化は、こんな転換期をよく表わした現象でもあるんじゃないかなぁ。

この「旅愁」っていう曲は、その転換期端境期の曲であり、つまりは70年台前半の和テイスト「歌謡曲」全盛期の最晩期の曲も言えるんだよね。



西崎みどりさん、この時14歳。中学2年生だって。
・・・ということは、今、まだ60才、還暦を迎えたばかりですよ。
この曲、今から46年前のヒットでもあり、今、すでに70過ぎですか・・なんていう印象もあったりするんだけど。。。。
それにしても、落ち着いていますよね。 落ち着いているというよりも大人っぽいといった方がいいのかなぁ。実家が日舞の宗家で、小さいころから芸能の道に入ったっていうこともあるからかでしょうかね。
そういえば芦田愛菜も、どことなく似たような印象があるなぁ。


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甘い生活 / 野口五郎

1974_11_甘い生活_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    甘い生活
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山上路夫
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1974年10月20日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付

筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。

そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。

野口五郎 「甘い生活」。

テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。

それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。

いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。

そう書くと、今となっては意外かもしれないな。

野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。

確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。

つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。

同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。

「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。

つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。

そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。

ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、

・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」

と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。

そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。

ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。

「甘い生活」。

いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。

この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。

ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。

けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。

でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。

そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。

この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。

ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。

そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。




1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。

野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。

でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。

で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。


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ロンリー・ウルフ / 沢田研二

1979_10_ロンリーウルフ_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「ロンリー・ウルフ」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     ロンリー・ウルフ
・アーティスト   沢田研二
・作詞       喜多条忠
・作曲       大野克夫
・編曲       後藤次利
・リリース日    1979年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  18位
・売り上げ枚数   8.9万枚

もうね、いつものマクラ言葉になってますが、「久しぶり」の1曲セレクトです。
毎度毎度、間が空いてしまってあいスミマセンと頭を下げたくなってしまいます。
相変わらずリアル仕事が忙しくて、なかなか筆が上がらない状態が続いてまして。。。
暫くは長ーい目で見ていただけるとありがたいです。

さて、長い間仕事をしてくると何もかもが上手く行く事もあれば、逆に全く上手く行かない事もありますわな。
ヒット曲も同じで、どんな大物アーティストでも、いつもいつも大ヒットするわけぢゃない。

まあ、最近は楽曲内容にかかわらず、どの曲もミリオンセラーを続けている某アーティスト見たいな方たちもいるみたいですが。。。

こと、昔、楽曲志向が高かったころは、超一線級のアーティストでも楽曲によっては、コケてしまうこともあったわけです。

今回はそんな1曲を

沢田研二「ロンリー・ウルフ」

いやいや久っさびさのジュリーですな。1曲セレクトで書くのいつ以来だろう?

この曲、覚えている方どのくらいいるでしょうねぇ。 
なんせ、人気全盛の頃、突然ベストテン入りを外した曲なんでね。
しかも、臨発ならいざしらず、ローテーションの定期リリースでしたからねぇ。

時期的には、今から41年前、1979年の今頃の曲だったんですけどね。
曲順から言うと、「OH!ギャル」と「TOKIO」の間のシングルですね。

さすがにジュリー第3期のオープニンングと言うべき「TOKIO」を知らないという方は少ないでしょうけど、もしかすると「OH!ギャル」は知らない方もいるかなぁ。
まあ、死角っちゃ死角なのかもしれないけど、ジュリーが化粧した、ゲイぢゃねーのかと言われた曲で、ベストテン入りも果たし、売り上げ的にも27万枚ほど売れてましたんでね。

・・ということで、ヒット曲とヒット曲に挟まれた本当に「谷間」のシングルなんだよね、この「ロンリー・ウルフ」っていうのは。

突然ベストテン入りも果たせず、売り上げも10万枚にも届かず。。という塩梅でしたから。

・・・・なんて、さぞかし当時から知ってましたよ〜・・・風に書いてるワタシも、正直、「ザ・ベストテン」しか情報がなかった、ヒット当時は知らなかったんだけどね。。

いや、もしかするとラジオかなんかで聴いていたかもしれない。でも、記憶に残るほど聴き込んでなかったのは事実ですね。

意識して聴いたのは、83年に買った「沢田研二大全集」みたいなカセットに収録されていたのを聴いてからなんだよね。
もちろん、そのころは、「あ〜あの売れなかった曲」くらいの認識はあったんだけど。

でも、売れなかったから「駄曲」だったのか・・と言えば、さにあらず。
それまでのアウトローなジュリーを彷彿とさせるような佳曲だ。
むしろ、軽いタッチのポップスだった前曲の「OH!ギャル」よりも、ジュリーらしい曲だなと感じたな。

静寂感のある少し重め曲調は、秋というリリース時期にもマッチしていたし、そういう意味では前年の「LOVE(抱きしめたい)」に近い曲調ではある。
シングルとして「尖って」いないのかというと、これまたそうではなく、それなりの尖りがあり、シングルタイプの曲でもある。

ぢや、なんで、売れなかったのか?

同じ暗めの重いバラードではあるものの前年の「LOVE(抱きしめたい)」のような華がない。
本当に「重いだけ」のバラードなんだよ。
ジャケットのそれと同じでどこまでもモノクロのイメージ。確かにアウトローなジュリーを演出するにはこのイメージでも間違いではないのかもしれないけど、今一つ引っかかりないのは事実なんだよね。

加えて、致命的だったのは「時代の流れ」だろうなぁ。

1年前の78年までの時点では、アウトローというシチュエーションでも充分行けたんだろう。ただ、78年⇒79年の間に時代は大分動いていたんだよね。

勿論78年時点でもその流れは始まっていたけど、ヒットの主役は歌謡曲からニューミュージックへという変化。 それと79年は「JAPAN AS NO.1」と呼ばれた年。7月にSONY WALKMANが発売され、音楽も含め、世の中の意識もこの1年の間に大分変化してたんだよね。

つまりさ、アウトローっていうシチュエーションも78年は「カッコよかった」んだけども、79年ではアナクロだったわけですわ。

だからなのか、この頃のヒット曲と一緒に続けざまにこの曲を聴いてみると、この曲は明らかに浮いた感じがするんだよなぁ。
浮かんでくる絵面は79年の・・というよりも75年の・・・って感じがしてさ。

うん、この曲1曲単体で聴く分には充分かっこいいんですよ。 でも何曲かまとめて聴くとやっぱり時代錯誤的な感覚なんだよなぁ。

手元に月刊・明星付録の歌本「YOUNG SONG」1982年7月号がある。この号での連載企画「82年MUSIC PEOPLEインタビュー」にジュリーのインタビュー記事が掲載されているんだけど、そのなかに

「「TOKIO」は出すのが半年遅かった。その前に「ロンリー・ウルフ」をだして失敗するんですよ。それまでにある程度、売れるという事を経験したから、じゃあ、今度はスローな曲を歌って沢田も歌がうまいと思われたくて出したのが失敗」

と、ジュリー自ら、時代の変化に気が付き、この曲のリリースは失敗だったことを認めてたりする。

スローな曲を歌って、歌がうまいと認められたい・・というのことも、まあ、確かにわからなくもないですけどね。

ただ、じゃ、このインタビューのように「TOKIO」をもう半年早く出して、それでよかったのか・・というのも、個人的にはちょっと疑問ではあるな。

あれは、1980年1月1日リリースっていう、「軽薄短小」な80年代という時代のオープニングを飾ったからこそ、より価値が上がったような気もするし。。
79年後半とはいえ、70年代に「TOKIO」ではちょっと、時期が早かったんじゃないかと、今となっては思えたりね。

・・・ということは、あくまで「つなぎ」という意味も込めて、この「ロンリー・ウルフ」って曲のリリースも、もしかすると必然だったのかもしれないな。





うーん、確かに「モノクロ」のイメージではあるけど、今VTRを見ると男の色気が凄いね。いまは、こんな、ただ佇むだけで存在感のあるアーティストって少ないからなぁ。
バックは井上堯之バンドですね。 確かバックバンドはこの曲までで、この後「オールウェイズ」に変わったんじゃなかったっけな。
↑のように、この曲のイメージはアナクロだって感じたのは、多分に井上堯之のサウンドも関係しているんだろうね。
少し埃にまみれたような骨太でアウトローなサウンドは、紛れもなくかっこいいし、誰が何と言おうとも個人的にはジュリーには、このサウンドが一番しっくり来るんだけども。
如何せん、70年代という時代を彷彿させる音なんだよね。時代の流れには勝てなかった。
この曲をもって、ジュリーのバックバンドから引退⇒解散となるわけだけど、これはしょうがなかったんじゃないのかなぁ。


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他人の関係 / 金井克子

1973_08_他人の関係_金井克子


今回の1曲セレクトは、「他人の関係」金井克子です。

まずはデータです。

・タイトル     他人の関係
・アーティスト   金井克子
・作詞       有馬三恵子
・作曲       川口真
・編曲       川口真
・リリース日    1973年3月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  7位
・売上げ枚数    30.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月2日〜8月20日付

一昨日の山下達郎氏の「サンデーソングブック」珍盤奇盤特集。 本当に変な曲ばっかかかりましたな。 まあヤマタツ氏曰くPCが飛んだ・・・ということで、以前の珍盤奇盤特集でO.Aした曲を再度流した曲も含まれていましたが。。。
その中で、個人的に「なんじゃ?これ」って思ったのは、やっぱ沢久美さんの「ミミの甘い生活」でしたね。
いわいる「セクスゥイー」路線の曲ですよ。「吐息」が入ってる・・・っていう。しかも女性の吐息ではなく、男性の吐息と来たもんだから。。。。
さすがこのパターンはあんまり聴いたことないなぁ、いままで。  ま、だから逆に耳に残ってしまったのかも。「気持ち悪い」っていう意味で。

いまでは、コンプライアンスだぁ、PTAのママゴンからのクレームだぁ、云々、うるさいご時世と相成ってしまった・・・・からかどうかわからないけど、この手の「セクスゥイー」路線の、いわいる「淫らな」流行歌は、今ではとんと見かけなくなりましたよね。

あの頃ー1970年代ーには、こういう、学校では教えてくれない「教育的」な流行歌もいっぱいあったんですけどね。。。 ヒット曲と言えばそれが普通だったんじゃないかなぁ。

もっとも70年代も後半になるとエロというのもかなりマイルドになりましたが。(これは娯楽の多様化のよりエロも音楽に頼らなくてもよくなった部分が大きいようです)
逆に言えば70年代前半頃までは、ストレートだったんですよね。

そういう時代をリアルタイムで経験しなかった・・・いや、そんな匂いを感じてたような気もするけどね。
大人の世界って面白そうな映った記憶もあるし。だから、早く大人になりたかっあところもある。早く大人になって酒飲みたい・・と、この頃から感じてたところってあるんだよな。



・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな「大人の色気」なこの曲をセレクト。

金井克子「他人の関係」

リリースは1973年。 当時私は4歳。 幼稚園の年少組の頃で、そろそろ物心がつき始めた頃かなぁ。
でも、さすがに「大人の色気」のこの曲は、リアルタイムで聴いた記憶はない。

この曲を知ったのは、後年、「レコード大賞30周年記念」など70年代を振り返るような音楽特番でだったと思う。
あとは、やっぱり「パールライス」のCMだよね。
↓ コレ

 

これには、さすがにかなりあきれ返ったな、ワタシも。
なんか、ちょっとあくどすぎる感じがしてさ。


ところで、この曲をプロデュースしたのは、CBSソニーの名物ディレクターだった酒井政利氏っていうのは、もしかすると意外なのかなぁ。
酒井氏というと、どうしてもこの直後の山口百恵、郷ひろみ、あるいは、同時期の南沙織・・といったアイドル系のディレクターっていうイメージが先行しているところがあるから。

でも、酒井氏著の「プロデューサー〜音楽シーンを駆け抜けて〜」によると、当時、アイドル系ど並行して「アダルト路線」のディレクションも氏が行っていたとか。

以前、ここでも書いた朝丘雪路さんの「雨がやんだら」を筆頭に、坂本スミ子さん、内田あかりさん、大信田礼子さん、梓みちよさん・・・といったらアダルト女性シンガーのディレクションを同時期酒井氏が行っていたりいる。

で、共通しているのが、一度売れて、少し落ち目になった人たちを再びヒットという形でヒットさせたこと。 だから、当時酒井氏は一度落ち目になったアーティストを再生させるという意味で「クリーニング屋」と呼ばれていたらしい。

この金井克子さんにしたってそうだしね。 
なんたって、元「西野バレエ団」の5人娘の一人として、由美かおる、奈美悦子らと人気を分け、1967年からは4年連続で紅白歌合戦にも出場した経験もある方なわけでさ。

そんな熱狂も一段落し、人気も低迷していた70年代初頭、酒井氏と出会い、この曲で、華々しく復活したわけなんだよね。

個人的に、この曲を聴いたのは件の通り、大分後年になってからなんだけど、曲を聴くと嫌がおうにも当時の70年代頃の空気を感じるんだよなぁ。
70年代初頭の独特のメロディラインもそうなんだけど、サウンドですよね。 特にイントロでの低音のフルート。 この低音のフルートの音色を聴くと、いつも決まってゾクゾクしてしまったり。

フルートって、高音域では、透明感のあるさわやかさを感じたりするけど、逆に低音域の音色って、どこか淫靡な感じがしません?

ワタシは、そういうイメージがあるんだよなぁ。夜に向かった〜・・・っていうかさ。 少なくとも夕方から夜に向かうような怪しい雰囲気を醸し出すんだよね。

そういえば、「なんでも鑑定団」の鑑定中の時のBGMも低音のフルートがメインになってるけど、個人的には同じように淫靡なイメージが浮かんだりして 

作詞は、有馬三恵子さん。大人の女性のとしてのポップスは伊東ゆかりさんの「小指の思い出」などの実績があったものの、ちょうどこのころは南沙織さんの一連のヒットを手掛けていたこともあり、その関係で酒井氏と繋がっていたわけですね。

作曲は川口真氏。  詞については、有馬女史ということはあまり驚きはなかったけど、曲が川口真氏っていうのは、ちょっと意外だった。
サウンド的に川口氏とはちょっと違うなというイメージがあったから。
たとえば山下毅雄氏とかさ。少なくとも、上記のように低音のフルートによる湿った淫靡な手触り感は、山下氏に近い感触だったんだけどね。



やっぱヒット当時の動画はなかなかないわけだよね。ということで、出来るだけ古めの動画をリンク。

ところで、「他人の関係」といったら、最初に書いたように金井克子さん本人による「パールライス」のCMもそうだけど、最近(といっても5年位前だが)は、一青窈のカバーも悪くなかったんだよな。
一見、マジメそうな一青さんが、懸命に大人の女を演じてるようで、あれはあれで味が出てたと思いますね。



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リップスティック / 桜田淳子

1978_07_リップスティック_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「リップスティック」桜田淳子です。

まずはデータでする。

・タイトル    リップスティック
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1978年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  19.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年6月19日〜7月24日付

後付けで知った曲。 こういう曲も数限りなくあるわけなんですよね。
私の場合、リアルタイムでヒット曲を聴き始めたのが、1978年9月頃だったかなぁ。 実際的には1978年11月2日に初めて「ザ・ベストテン」を見始めて以降っていうのが、より正しいんだけど。
うん、この場合、「意識して」ヒット曲を聴き始めたのっていった方が正しいかもしれん。 
もちろん、それ以前にも、なんとなく聴いてた曲もあるわけなんでね。
特にこれらの端境期にあたる1978年っていう年は、意識してヒット曲を聴き始めては無くても、なんとなく聴いてた曲も多いんだよね。
 反面後年まで全く知らなかった曲も多かったりして。。。  今回はそんな曲を一つ。

桜田淳子 「リップスティック」

いや、そう書くと結構意外がられますかね。

桜田淳子さんの1978年リリース曲の中では、代表曲と言ってもいいですし、ヒット曲評論家の間でも「受け」がいいこの曲なんでね。
でも、私は耳にしてなかったんだよなぁ。理由はよくわかんない。
まだ、積極的にヒット曲を聴いてなかった時期ではあるものの、この前曲の「追いかけてヨコハマ」は、リアルタイムで知ってたんだけどね。

もちろん、歴代の「ザ・ベストテン」のランクイン曲の一つとして知ってはいたけどさ。あくまで「知識」と知っていたまでで、曲は後年まで聴いたことなかった。。 というか、ずっと忘れてたと言った方がいいかもしれん。

再び、この曲を意識しだしたのは、1995年に刊行された「歌謡曲完全攻略ガイド」で取り上げられたのを読んでからですね。

それでも、それから実際に曲を耳にするまで、さらに何年もかかったんだけどさ

曲を実際耳にしたの、実は、いまから数年前なんですわ。。。

実際曲を聴いてみて、「歌謡曲完全攻略ガイド」で読んだ印象とは大分違ったんたんだよね。それでがっかりしたような何とも言えない気分になったりして。

「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りではもっとポップでスピード感があるようなイメージを持ってたんだよな。
Aメロ前の 例の ♪フッフッ♪ っていうコーラスも「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りでは、もっとスビート感があるのかと思ってたんで、実際に曲を聴いてちょっと拍子抜けだったんだよな。

ただ、一番感じたのは、それまで感じていた1978年の「初夏」っていうイメージとちょっと違うなってところかなぁ。

これまで自分で所有していた音源から感じる1978年初夏って、もっとロックなイメージが強いんだよね。といっても、汗臭いロックというよりは、ポップスよりのさわやかなロックっていうのかなぁ。
いかにも初夏を思い浮かばせる緑が、このころのイメージカラーなんだよね、個人的な中では。

でもねこの曲は、ちょっとこのイメージカラーからは離れてるかなぁ・・・っていうのが真っ先に感じたところでさ。

そうだ、この曲はポップスというよりも「ソウル」なんだよね。といっても、「ソウルドラキュラ」のような重くてジメっとしたソウルではなく、ディスコっぽいダンスナンバー寄りのソウル。
スリーディグリーズの「ソウルトレイン」とか、あの類に近いよね。
そういえば、スリーディグリーズといえば「にがい涙」とか、浅野ゆう子さんの「セクシー・バス・ストップ」って筒美氏が手掛けたわけで、この手のディスコ寄りのソウルナンバーって得意なんだよね。

で、いずれの曲も、なんていうのかなぁ、ヒューミディティ的っていうのかなぁ、どことなく、湿度を感じるサウンドだったりしてね。
っていっても、なかなか伝わらないかなぁ・・・。 そうね、昨日今日の関東地方の天気のような「蒸し暑さ」っていうのかなぁ。 そんな温度感を感じたりして。

この「リップスティック」にしてもそうだなぁ。

この湿度感は、筒美氏のアレンジ特有なサウンドなんだよなぁ。 良く筒美氏のアレンジはバタ臭いっていわれたりするけど、個人的にこの言い方はなんかちょっと違うなって思えたりしてたんだけどさ。そそそ、ヒューミディティ的なんだよね。

恐らく、筒美氏が自らのアレンジする際、 特にソウルナンバーの時のややしつこいくらいの「ストリングス」の使い方から湿度感を感じるのかなとも思ったりするんだけどさ。

ただ、同じ筒美氏でも、太田裕美さんの「九月の雨」や、ジュディ・オングさんの「魅せられて」で聴かせてくれるような、いわいるポールモーリアサウンドの場合は、ソフィケートされた清涼感のあるストリングスを聴かせてくれたり。
曲調によって、全く違うストリングの使い方を魅せるっていうのも筒美氏の特徴だし、そういう使い分けができるっていうのも筒美氏サウンド幅の広さなんだよね。

もっとも、筒美氏自らアレンジをほとんどしなくなった80年代以降は、なかなかこのサウンドを聴く機会も少なくなるんだけども。

ただ、この「リップスティック」の場合、そうは言っても、件のコーラスにしても清涼感があるし、なんと言ってもサビとは全く異なるスローなイントロは蒸し暑さどころか、秋風を感じさせたりして、夏の汗臭さを払拭させていますね。
さすがに、当時トップアイドルであった淳子さんに、そこまで汗臭さを感じる曲はマズいっていう配慮なんでしょうかね。



それにしても「ベストテン」落ちは突然にやってくるなんて言いたくなるくらい、まさか、この曲が淳子さんにとって最後のオリコンベストテン入りなんて、よもや思わなかったんじゃないのかなぁ。

たしかに、20才を迎え、当時アイドルから大人のシンガーに脱皮する途中だったんだろうっていうのは、今になってみればよく分かんだよね。
 少なくとも、この曲のちょうど1年前にリリースした「気まぐれヴィーナス」と比べても、ぐっと大人っぽい曲調だしさこの曲は。

ただ、そんなアイドルから大人への脱皮っていう変化は、このヒトの場合は受け入れられにくかったんだろうね。
それだけ、このヒトの場合は根っからの太陽のようなアイドル気質だったんだろうし、永遠のアイドルをみんな望んでたんだろうな。
そこが陰と陽といわれ「菩薩」だった山口百恵さんとは違ったというわけで。。。



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水色の恋 / 天地真理

1972_01_水色の恋_天地真理


今回の1曲セレクトは、「水色の恋」天地真理です。

まずはデータです。

・タイトル       水色の恋
・アーティスト     天地真理
・作詞         田上えり PESCE CARLOS
・作曲      田上みどり LATASA FELICIANO
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1971年10月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   43.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年11月22日〜1972年2月7日付

トートツですが、ワタシは今日一体何文字書いてるんだろう?  
なんて思いたくなるほど、文章を書いてる1日だったりして。。。
午前中、この1曲セレクトで「案山子/さだまさし」書いた後、さっきまでRe:minderの原稿を書いてたのよ。で、今、改めて1曲セレクトを書いてたりする。

9日も休みあったんだからさあ、Re:minderの原稿とか、もっと余裕があるときに書けばよかったのに・・とも思うんだけど、どうもケツに火がつかないと動かないのが、ガキの頃からの欠点でして。。。

いや、でも実際のところは現実逃避っていうほうが大きいかも。
そそそ、9日間の年末年始休みも、もう終わり。明日からの仕事行きたくねー病ですよ。 まさにサンデーシンドロームの状態。 そこからの現実逃避ってところでしょうか。

テレビ見ながら「あー、仕事行きたくねー」とジリジリしているよりは、現実逃避でモノ書いてるほうがまだ気が紛れるわけなのよ。

プラス、書こう書こうと思って、少しの間ペンディングしてた曲もあったんでね。書く気になっているうちに書いとこうかってことで、PCに向かってたり。。

そのしばらくペンディングしてた曲というのは、

天地真理「水色の恋」。

うーむ、果たしてどの程度反応いただけるかはちょっと不安ですが。。。70年代前半のトップアイドル、天地真理さんのデビュー曲ですね。

かなり前に、デビュー2曲目の「ちいさな恋」は書いたんだけども、肝心のデビュー曲はまだ書いてなかったんだよな。ちょうどいい機会なんでね。

正直言って「ちいさな恋」を書いたときは、曲自体それほど知らないで書いたんだよな。 まあ、今でこそ手元に音源があるんだけど、1曲セレクトを書いたときは、音源も何もないで書いたのよ。
唯一、90年代初めにニッポン放送で放送された、「オリコン歴代TOP500」で流れた音源の記憶を頼りに何とか書いたんだよな。

そそそ、あの曲はリアルタイムでは聴いた記憶なかったのよ。 ・・・というても、当時ワタシャ2歳5か月。記憶になくても当たり前ではあるんだけども。。。

でも、この「水色の恋」って曲は、どことなくヒット当時聴いた記憶があるんだよね。
後々大人になって改めて、この曲を聴いたとき、イントロからして、「あ、これ・・・」っていう記憶の糸がつながったことを覚えてるわ。

まあ、いつ、どこで聴いたか・・・なんていうのは全く覚えてないけど。。 多分、当時住んでた、福島県いわき市の市営住宅で聴いたんだろう。 

なぜか、この曲を聴くと、夕焼けの風景がフラッシュバックするんだけども、その風景っていうのが、その頃住んでた市営住宅の裏手の広場から見た夕焼けの風景だったりするんだよな。
そそそ、夕焼けがきれいに見える立地だったんだよ、あの市営住宅。
特に秋口になると、オレンジ色の光がいっぱいに差し込んでくるような。証拠に、今手元に残る当時のアルバムをみると、夕焼け色に染まったカラー写真が何枚か出てきたりするもの。

この曲からフラッシュバックする光景は、まさにそんなカラーなんですよ。 タイトルは「水色の恋」ではあるんだけど、ワタシにとっては水色ではなく「オレンジ」色なんだよね、この曲のイメージは。

そういうこともあって、あの市営住宅の頃、この曲を聴いたんだろうなっていうのが想像できたりしてね。


ところでこの曲って、天地真理さん用に書かれたオリジナルの曲ではないんだよね。
原題は「小さな私」というタイトルで、のちのYAMAHAポプコンの前身、当時はYAMAHA「作曲コンクール」と言われたコンクール用に書かれ、1970年のコンクールで入賞した曲なんだよね。

当時のYAMAHA作曲コンクール資料サイト

https://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/pop2.html

を見ると、コンクールの時は天地真理さんではなく、藤田とし子さんという方が歌ったとある。 藤田とし子さん。のちに「一休さん」などの声優をやられた声優の第一人者ですよね。
ちなみに、この時、天地真理さんは、本名の斎藤マリで、同じく作曲コンクール入賞の「OTHERWISE」という外国曲を歌っている。

天地真理さんといえば、70年代前半のトップ「アイドル」というイメージが強いけど、もともとは国立音大付属高校声楽科卒のバリバリの音楽家であり、高校の頃フォークソングにも傾倒していたっていうどちらかといえば、フォーク系のアーティストだったんだよね。その影響もあり、YAMAHAの作曲コンクールでも歌っていたようですね。

その後のアイドルになってからの「ファルセット唱法」も、国立音大付属校声楽科だった頃の名残っていうのが大きかったんでしょう。

ぢゃ、なぜにYAMAHA作曲コンクールでは別の曲を歌った天地真理さんが、この曲でデビューしたのかといえば、当時若者に人気があった、TBS「ヤング720」で元タイトルの「小さな私」をうたったのがきっかけだったらしい。そのあと、当時の超人気ドラマ「時間ですよ」の隣の真理ちゃん役に抜擢され、白いギターをつま弾きながら「水色の恋」と改題したこの曲を歌ったのが、デビューのきっかけだったようですね。


ところで・・・、今の今まで、この曲はYAMAHAの作曲コンクール用に作詞 田上えり、作曲 田上みどりという姉妹によって書かれた曲と思ってたんだけども。。。件のJASRACのデータベース上では「外国曲」扱いになってたりする。
なぜに? と思ってWikipediaをみたら、作詞 PESCE CARLOS、 作曲 LATASA FELICIANOっていう外国人が記載されてたりして。 


これは如何に?  

・・・と思ってちょっと調べてみたら、確かに原曲「らしき」外国曲があったんだよね。

「Gran Hotel Vivtoria」

↓ コレ


この動画の52秒あたりから、「水色の恋」のAメロのフレーズが出てきたりする。

これは言われなきゃわかんないよ・・・と思うものの、原曲側からなんらかのクレームが入ったんでしょうね。
JASRACコードを見ても、つい最近のコード番号になってるんで、最近、何らかのクレームが入ったんだと思いますが。。。

YAMAHAさんは、昔、八神純子さんの「パープルタウン」で、同じように盗作疑惑のクレーム(訴訟)が入った時に、以後「パープルタウン」には訴訟を起こした側の原題である「You Oughta Know By Now」の明記と、作家の明記、ついでに「パープルタウン」を使用する場合の著作権料は原曲と併せて「2曲使用」とすることをあっさりと認めちゃった前歴があるからなぁ。この曲も同じだったのかもしれない。

・・・ということは、いずれにしても、天地真理さんの「水色の恋」はカバーのそのまたカバー曲っていうことになるわけですね。。。 なんかややこしいな。。。






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案山子 / さだまさし

1977_12_案山子_さだまさし


今回の1曲セレクトは、「案山子」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル     案山子
・アーティスト   さだまさし
・作詞       さだまさし
・作曲       さだまさし
・編曲       渡辺俊幸
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   13.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

先日、会社でのランチの時、同僚と昔の鉄道の話になった。 きっかけは、今の鉄道は新幹線中心であっというまに目的地についちゃうんで「旅情」がないよね。ってことからなんだけど。
昔はさ、超長距離「各駅停車」なんていっぱいあったんでさ。今じゃそんな存在あったなんて信じられないけど、上野発青森行き各駅停車とかさ。1960年代まで走ってたし。「大垣夜行」で今でも親しまれてる、東京発大垣行きは、昔は東京発大阪行き普通列車だったとかさ。
もちろん、各駅停車なんで時間はかかりますわな。上野発青森行きは24時間もかかってたりする。 スピード化が進む今では、全く悠長な話だよね。 今や上野−青森なんて新幹線で4時間かかんないんだから。

でも、そこに旅情があるのよ。

旅は疲れることにあり。

誰かの名言だけど、まさにその通りだと思うんですよ。

スピード化によって旅情がなくなったのと同時に、日本国土も狭くなったよね。 昔、ワタシらがコドモの頃は、北は青森、西は博多なんて、遥かな地のように思えたもの。 鉄道、航空機などの移動手段の発達と進化によって、日本列島もどんどん狭く感じるようになってきている。
まあ、それはそれでビジネス上はいいことなんだろうね。反面、これによって、「情緒」っていうものがなくなってきているようにも思えるんだよな。


今回は、まだ新幹線も今ほど発達せず、故郷から大都会(東京)は、まだまだ遠く離れた異国の地のあった頃の1曲を一つ。


さだまさし 「案山子」

故郷の兄から、街に出た弟か妹にあてた手紙のような1曲。

♪元気でいるか 
街には慣れたか 
友達出来たか 
淋しかないか 
お金はあるか 
今度いつ帰る・・・♪

実家から遠く離れた経験がなく、家族とこういう手紙のやり取りをしたことがない私が書くのも僭越だけど、まだインターネットもなく、手紙や電報でしか故郷への連絡手段がない時代、こういった内容の手紙のやり取りは頻繁に行われてたことだろう。

そこから、実家から離れたことがない私にも情緒を感じる。

いや、実際のところは、昔、私もこういうやり取り・・・文通をやってたことがあるんだよね。

かくいう私も、生まれは福島・いわきで、中1の時に今の千葉に引っ越してきたんだけど、引っ越して来てから高2くらいまでの5年間。 いわきの友達と文通を通りしてやり取りをしていたことがあった。

その時のやり取り内容っていうのが、まさに、この「案山子」の↑のAメロの歌詞内容のようなことですよ。

もちろん、中・高生なんで「お金はあるか」なんてことはなかったけどさ

いわきから千葉まで約200Km。 今は車を飛ばせは3時間。最初に書いたようにぐっと近くなった故郷だけど、当時は、えらく遠くに来たような錯覚があったもんなぁ。

だから、実家を離れたことがない私でも、この曲の詩の内容にはグッとくるところがあるんだよね。

こういう経験をされた方っていうのも絶対に多いだろうしね。 特に東京っていう街は、今や地方出身者の集合体のようなところがあるから。
もっとも、最近は初めに書いたように日本列島も距離感は大分小さくなったし、だから今の20代、30代の若い方々はこういう感情はあまり持たないかもしれないけど。。

これも「昭和」といういい時代の一つの象徴的な風景なんだろうな。


でさ、この曲、Bメロの歌詞にこの「物語」の田舎の風景が描かれているじゃん。

1番歌詞
♪ 城跡から見下ろせば蒼く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突♪

2番歌詞
♪ 山のふもと 煙はいて列車が走る 凩が雑木林を転げ落ちてくる 
銀色の毛布付けた田んぼにポツリ 置き去られて雪をかぶった案山子が一人 ♪

めっちゃ風景的な描写の歌詞、この一節でこの風景の映像が一瞬にしてフラッシュバックする。
当時は、こんな歌詞から映像が脳裏にフラッシュバックするような風景描写的な曲って多かったんだよね。

でも、だからこそ、今ネットでこの「案山子」についてググると、ドラマ、絵本・・などなど映像的なサイトがいっぱい引っかかってくるんだろうな。

そんな歌詞に、カントリー調のサウンド。 頭の中は一瞬して地方の風景ですよ。東京や大阪などの大都会の猥雑さがなくなる。

個人的には、この曲の原風景っていうのは、絶対に東北だと思ってたの。秋田の角館とかさ。
「煙はいて列車が走る」って、蒸気機関車ですよね。 一面の銀世界の中、煙を吐いて走る蒸気機関車・・ってどうしても、ワタシの中では東北地方のイメージがあったりするんだけどさ。

But、実際のところ、さだ氏にあった、この曲の原風景って、山口の津和野だったらしいですね。
ま、たしかに、新山口から津和野間で今でも観光用の蒸気機関車が走ってるけど。。。。
そもそも、この曲の原案が浮かんだのは、大分から福岡に向かった列車の中から見た風景からだったようで・・・。

全然、東北地方ぢゃないじゃん。。。。

うーむ、やっぱり作者のイメージと、受け取り側のイメージにはギャップがあるよね。 いや、これは、受け取る側として私、個人のイメージっていうところかな

もしかしたら以前も書いたかもしれないけど、売野雅勇氏が作詞した、東京JAP「摩天楼ブルース」。
摩天楼っていうからには、西新宿が原風景だとワタシは思ってたの。
でも実際、売野氏がモチーフにしたのは横浜だった・・ということで、やっぱり全然違ったのね。

同じ地方発大都会行きの遠距離物語な曲として超有名な太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」にしても、

♪ 恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で〜 ♪

 ・・・ってあることから、田舎の舞台は西の方っていうことは想像つくんだけど、実際のところ、当時、太田裕美さんのディレクターだったCBSソニーの白川氏が北九州の筑豊出身だったんで、それをモチーフにしたようで、これもちょっと個人的には意外だったんだけども。。。

♪ いいえ、草に寝転ぶあなたが好きだったの〜 ♪

ってあるんで、もっと牧草地なところかと思ってたんだけども。。。。

こんな風にさ、実際に作った人が見えてる原風景と、受け取る側が感じる風景って全く違ったりするんだよね・・ってうのが、この「案山子」っていう曲からもよくわかったりしてね。

まあ、それは受け取る側、一人一人の生活環境、人生・・によってそれぞれ違った風景が見えてしかるべきだと思うんだよね。
今は、多くの曲にMVがついてビジュアル的に音楽を聴く時代。これはこれでいいのかもしれないけど、映像によりなんか曲のイメージが限定されてしまうような気もするんだよな。

↑で書いたようにこの「案山子」のころのような、聴く方々それぞれで見える風景が違ってくるところが本来の音楽のいいところだと思うんだけどな。




ヤバい、動画見てたら泣けてきた。
最近、すぐ涙腺緩むのよ。。。 年取ってきたせいかな。。。

ときに・・・・タイトルの「案山子」って読めない方、よもやいませんよね〜。


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