かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年代ヒット曲

50/50(フィフティ・フィフティ) / 中山美穂

1987_08_フィフティフィフティ_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「50/50(フィフティ・フィフティ)」中山美穂です。

まずはデータどぇす!

・タイトル     50/50(フィフティ・フィフティ)
・アーティスト  中山美穂
・作詞       田口俊
・作曲       小室哲哉
・編曲       船山基紀
・リリース日   1987年7月7日
・発売元     キング
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 21.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年7月20日〜9月14日付

昔のビデオを見てると、意外なヒトが映ってるって事、たまにあるんだよなぁ。
そそそ、今は超一線で活躍しているアーティストなのに、その当時は全然無名で、しかも画面の端っこに映ってるとかね。
 
え? だからなんだって? ハイハイハイ、実は、今日セレクトしてきた曲の「前振り」なんですねぇ。

中山美穂「50/50(フィフティ・フィフティ)」

でも、この曲に今超一線で活躍してるアーティストなんて居たっけ?
ま、確かに、作曲が小室哲哉だったりするし、それが意外っちゃ、意外かもしれないけど。。。

実はね、この間、この曲がランクインしてた頃の「ザ・ベストテン」のビデオを見てて、「あれっ?」って思ったんだよね。

この曲のバックバンドでベース弾いてるヒト、どっかで見た事あるぞ・・・・。

いや、見間違える訳がない。 なんとなんとドリカムの中村正人氏なんだよね。
ベースの弾き方が、今と全く変わらないのよ。

そそそ、知ってるヒトは以前から知ってると思うけど、中村正人氏って、ドリカムを結成する前はフリーのセッションアーティストで、この曲の頃はミポリンのバックバンドに居たんだよね。

1987年といったら、まだ、ドリカムの影も形も無い頃ですわ。いや、正確に言えば、この曲の数か月後にドリカムの前身ユニットを結成することになるんだけど・・・。
 
もちろん、当時は、そんなこと全く知らなかったし、中村氏も全く無名だったんで、全然気にしないでこの曲を聴いてたけどなぁ。

まあ、↑で書いたように小室哲哉が作曲した・・・って方が話題になってたもんね。 正確に言えば、この曲の丁度1年前の86年夏のシングル「JINGI愛してもらいます」も小室なんだけどさ、やっぱ「Get Wild」で大ブレイクしたすぐ後のタイミングだったんで、「JINGI〜」よりは、話題性があったような気がするなぁ。
 その影響もあったのか、ミポリンにしては比較的、長期間ベストテン入りしたロングヒットになったんだよな、この曲。

 TMとか90年代の小室サウンドに馴染んでるヒトにとっては、あんまり小室っぽい感じ無いかもしれないけど・・・。
まあ、この曲の場合、小室がタッチしているのは作曲だけで、アレンジは船山基紀氏だったりするんでね。
YAMAHA、ROLAND系のシンセが多かった小室に対して、船山氏はなんと言ってもフェアライトなヒトだったからなぁ。その辺のサウンドの違いは大きかったんだよね。

ただ、この曲はシンセを使いながらも、全体的にカリブ海をイメージした中南米系のサウンドがね、ミポリンとしては新鮮だったのは確かだな。スティールパンをサンプリングしたシンセのサウンドは、軽快かつ軽ーい曲で、如何にも夏向けって感じだったしな。

50/50って書いてフィフティ・フィフティって読ませるタイトルもなんか新鮮味があって面白かったしな。





はいはいはい、ミポリンの右ななめ後ろで、ベースを弾いてる中村正人氏です。
そそそ、やっぱり、ベースの弾き方とかリズムの取り方が、今と全く変わらないんだよな。独特の風貌なんだよね。 意外にノリノリで弾いてたりして

↑の動画は、すぐ消されそうなんで、もう一つリンク



こちらも消されそうだが。。。



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ムーンライトダンス / 渡辺美里

1989_06_ムーンライトダンス_渡辺美里


今回の1曲セレクトは、「ムーンライトダンス」渡辺美里です。

まずはデータです。

・タイトル   ムーンライトダンス
・アーティスト 渡辺美里
・作詞     渡辺美里
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1989年6月1日
・発売元    エピックソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  18.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1989年6月12日〜6月26日付

今年は梅雨入りが遅いわりには、蒸しっと来る日があるなぁ。 今日なんかはまさにそんな感じ。
午前中は割と涼しかったけども、午後、晴れてきたらいきなりムシムシしてきた。。。

まあ、千葉特有の蒸し暑さというかね。 40数年前、福島から千葉に越して来た時の夏は、この特有の蒸し暑さにやられてしまったわけで。。 以来、ずっと慣れないんだけどね。。。

でも、こういう不快という特有な季節だからなんですかね。 この季節特有の蒸しっとしたイメージが湧く曲に時々引っ掛かりする。

今回はそんな曲を一つ

渡辺美里さんの「ムーンライトダンス」。

この曲は89年6月1日にリリースされた13枚目のシングル。

全体的にややきつめのリバーブがかかり、ウエットに満ちた1曲。それが恰もこの季節の靄っとした蒸し暑さにリンクする。

「ムーンライトダンス」というくらいだから、月の光の下でのダンスを表現しているんだろうけど、少なくとも、冬の研ぎ澄まされたクリアな月の光の下で・・・というイメージではない。
かといって、春先の「朧月夜」のようなイメージでもない。

梅雨の雨雲が切れた、蒸し暑いよどんだ空気の中、靄っとかすんだ夜空に浮かんだ月の光。
個人的に、この曲からイメージはそんな感じですね。

まあ、ヒットした時期が時期なんで、こういうイメージがついてしまったのかもしれない。真冬にヒットしていたら、もっと違うイメージだったかもしれない。
まあ、ヒット曲の運命なんでしょうね、これも。

この曲がリリースされた1989年は、2年目の「浪人」だった年だ。
いやね、ここでは再三カミングアウトしてるけども、高校時代全然勉強しなかったんで。。。浪人して初めて受験勉強を始めたくらいなんで。。。  人よりも遅れているのよ。

でも、さすがに2年目ともなると、おしりに火が付いた状態だったわ。あの年の今頃は、めっちゃ勉強してたもの。恐らくこれまでの人生の中で本気で勉強したんじゃないか‥ってくらい真面目にやってたな。友達付き合いがあると絶対に遊んじゃうんで、あの年は一切、外部からもシャットアウトしてなりを潜めてたし。。。

そんな訳もあって、音楽・・ことヒット曲からは、意識的に距離を置いていた頃だ。 

もっとも、オリコンの定期購読は続けていたし、ベストテンも「最終回」がアナウンスされたけども見続けていた。 そのくらいだったかなぁ。音楽と接点を持っていたのは。。。

そんなわけで、あの年の丁度今頃は、ヒット曲の動きには、あまり敏感ではなかった。

まあ、あの頃オリコンウイークリーでのチャートの動きについて、毎週かなり詳細な分析されていたんでね。とりあえずトレンド的な動きは把握できたけども、それと、実際の曲がリンクしていないっちゅうね。。。

この「ムーンライトダンス 」もそんな時期に、たしか「ベストテン」で初めて聴いたような気がするな。

正直言えば、個人的に、それまで渡辺美里さんの曲って、あんまり引っかからなかったのよ。もちろん「My Revolution」別格だったし、「悲しいね」なんかはいいなとは思ったけども。
その他の曲は、今一つスルーだった。

まあ、個人的な好み、生理的なところだと思うんだけども、美里さんのまっすぐな歌唱と、バックのポップなメロディのマッチングが、個人的には余り引っかからなかったんだよな。

でも「My Revolution」 「悲しいね」は引っかかったわけで。。個人的には小室哲哉氏と美里さんのコラボっというのは、しっくり感じたのかもしれないな。
うん、両曲とも小室氏の作品だったしね。

この辺も不思議でね。 
これもカミングアウトだけども、正直90年代の小室ブームの頃の曲って、やっぱり、今一つなのよ、個人的には。

でも、80年代の小室氏の曲は、なんかいいんだよね。 あ、これはTMは別にして。 うん、他の人に提供した曲でという意味ですね。TMに比べると、音的に素直だし変な仕掛けもないしね。

「悲しいね」以来、小室氏の作品となった、この「ムーンライトダンス」もご多分に漏れず、個人的には引っかかった。

↑に書いたように「靄の中に浮かんだ月の光」っていう、やや怪しげな絵のイメージが浮かぶし。
絵が浮かぶということは、この曲に引っかかった年いう証拠でもあるしね。






個人的に、この曲のキモは、サビ前のフレーズにあるんじゃないのかなぁ・・なんて思うのよね。
Aメロは、アーフタクトから入る小室氏独特のシンコペーション的なメロディライン。
そのままサビに入るかと思ったら、サビ前の

♪ Old Fashined Love Song for you  〜 ♪ っていうフレーズで、いきなりメロディのリズムが変わるじゃん。

初めてこの曲を聴いたときは正直びっくりした。まったく予想もしてなかったので。
個人的にはこのメロディ進行にやられたような気がするんだよなぁ、この曲については。

まあ、いずれにしても、全体的には↑で書いたような蒸し暑い、靄っとかすんだ夜空に浮かんだ月の光。というイメージではあるんですけどね。



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卒業 / 尾崎豊

1985_03_卒業_尾崎豊






今回の1曲セレクトは、「卒業」尾崎豊です。

まずは、データです。

・タイトル      卒業
・アーティスト    尾崎豊
・作詞        尾崎豊
・作曲        尾崎豊
・編曲        西本明
・リリース日     1985年1月21日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位   20位
・売上げ枚数     7.4万枚

 さすがに、「卒業」シリーズも3回目にもなると、鬱陶しくなってきたんで、そろそろオーラスに参りたいと思います。

 最後はやっぱし、卒業 / 尾崎豊

で締めたいですね。


 そもそも、尾崎を意識した・・・というか、ちゃんと聴きだしたのは、あの「事件」以来なんだよね。
 
 あの事件⇒1992年4月 尾崎豊逝去

 それ以前は、ほとんどきちんと聴いてもなかったんだなぁ。

個人的に尾崎の存在を知ったのは、1984年夏、日比谷野音で開催された「アトミックカフェ」という2日間行われた「反核コンサート」ですね。

2日間連続で出演予定だった尾崎が、初日の出演の時に、高さ7mのPAセットから飛び降りて両足骨折。 2日目の出演が出来なくなって、お詫びのしるしに白いハトを一斉に飛ばした・・って、あの伝説のコンサートですわ。

PAから飛び降りたことに関して、「なんかやな予感はしたんだけど、勢いでやっちゃった」・・と月刊・明星の記事に飄々とかたる尾崎のインタビューを覚えてるな。

でもね、個人的には、あの時は、そんな「やんちゃなアーティストがいるんだ」ってことぐらいしか気にならなかった。

個人的に本当に尾崎が視界に入ってきたのは、今回引っ張ってきた「卒業」がヒット。続くリリースされたアルバム「回帰線」がオリコン1位を獲得した直後。 オリコンで組まれた「特集」を読んでからですね。

尾崎のコンサートにきていたオーディエンスのインタビュー。いわいる後年の尾崎信者と言われたような方たちだったけど。。一様に社会からロックアウトされたような方たちで。。。

それを読んで、これは、自分とは違う世界のアーティストなんだ・・・って感じたんだよね。

 ・・そういうこともあって、以来、尾崎はずっと素通りしてたんですよ。

 そこに来ての、突然の尾崎の死。 これは、なんとなく、素通りしてたワタシにも、なぜかグサッとこころのどこかに来たものがあったなぁ。
 プラス、件のオリコンチャート研究会のリーダーが、あの事件以来どっぷりはまっちゃったんだなぁ。尾崎に。

 でもね、あれ以来、この曲をちゃんと聴くようになったのは確か。
 そして、85年当時、あれだけうっとうしかったこの曲が、すっと自分の中に入ってきたのも確か。
 7年の年月の間に、挫折を経験したり、物事を深く考えるようになってきて、やっと、この曲の意味が理解できるようになってきたんだと思うな。
 
 でも、理解すれば理解するほど、この曲の「純」なところも分かってきたな。
 尾崎の曲は、どんなに力いっぱい全力疾走してても、煽ってても、根の部分は「純」なんだよね。
 まず、もって、尾崎の曲は、ビジネスライクというところが、ほとんどと言っていいほどない。 今は、これだけ「純な心のハケ」を歌えるアーティストは、まず、いないでしょ。 いや、あの時代もなかなかいなかったと思うな。

 本当の「アーティスト」・・・・なんだよね。

 自分の心のハケを表現するのがアーティスト。プロジェクトのためぢゃない。お金のためぢゃない。
 果たして、そういうアーティストって、いまはどれだけいるんだろう?
 ほとんどは、曲作る前から皮算用してるんでしょ、きっと。。。オリコン何位とって、何万枚売ればなんぼ儲かるとか・・。ソロバンはじいてるでしょ。
 その時点で、既に「アーティスト」ではないんですよ、本当は。

 それに、歌い手が「純」ならば、聴き手も「純」なんだと思うな。だから、そういうところが「癒しに」繋がって、一見「信者」のように見えるんだよね、きっと。

 でも、普通は、「大人」⇒権力側に付くにしたがって、この辺って忘れていくもんなんだろうな。
 
 だけど、ワタシ、今、この曲が今までで一番ワカルっていうか、いまのワタシの心境、いいたいこと、そのままなんだよね。 

♪ 信じられぬ大人との争いの中で 許しあい一体何、分かりあえただろう? うんざりしながら それでも過ごした 一つだけ分かってたこと、この支配からの卒業 闘いからの卒業 ♪

 究極のところは

♪ あと何度 自分自身 卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう? ♪

 なんだろうな。


 ・・・・ということは、ワタシャ、全然「大人」になっていないってことなんだろうな。。。
 まあ、未だになりたいとも思わないけどさ。
 
 少なくとも、エンタメに関わっている限りは、「大人」になったら終わり・・・っていうのが自論だからさ。
 エンタメなんて、気持ち子供だからできるんですよ。 ソロバンはじいて皮算用するようになったら、エンタメなんて終わりですわさぁ。
 でも、実際は、「サラリーマン」って言う立場だと、そういう「大人」との闘いなわけさ。いくらエンタメに関わっているっていっても。

 そういう、理想と現実のギャップの中で、一層分かり合える曲なんだろうな。この曲って。
 単に、この曲が指してる、「管理教育」っていう「学校」の中の世界だけぢゃない。実社会にも充分当てはまるんですよ。

 もしかすると、それに気付き始めてる年代なのかも。。。私らの年代って。。


 しかしながら、もし、尾崎があのまま、生きてたら今ごろはどんな歌、歌ってたんだろう? 享年26歳だった尾崎も、生きていれば今年50になったはずなんだよね。
 未だに、純な歌、歌ってんだろうな。 それとも、昨今の業界の腐った利潤争いに嫌気さして、メジャーの場からは消えてたかな?

 それでも、あの当時はデカイハコばっかで行ってたライヴも、今では場末のライヴハウスなんかでやってたりして。。
 そしたら、見に行けたんだけどなぁ・・。と、つくづく思ったりして。。。

 


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卒業〜GRADUATION〜 / 菊池桃子

1985_03_卒業_菊池桃子





今回の1曲セレクトは、「卒業」菊池桃子です。

まずは、データでっす〜

・タイトル     卒業〜GRADUATION〜
・アーティスト   菊池桃子
・作詞       秋元康
・作曲       林哲司
・編曲       林哲司
・リリース日    1985年2月27日
・発売元      バップ
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    39.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年3月11日〜4月29日付
・タイアップ:日本テレビ系単発ドラマ「卒業」主題歌


 はいっ!、斉藤由貴の「卒業」ときたら、この曲しかありませんっ・・・・という具合に、ほとんどの方のご想像通り、菊池桃子の「卒業」を持ってまいりました。

え? なんで、斉藤由貴さん「卒業」と来たら、菊池桃子さん「卒業」かって?

はい、タイトルが同じ「卒業」だから・・・。っていうのもあるけども、ヒット時期がもろ被るんだよね。この2曲。

同じ1985年3月のヒット。

恰も、ワタシがちょうど中学校卒業の頃ですわ。

だからね、中学校卒業というと、この2曲がダブルのよ。ワタシん中では。。。


ちなみに、当時、「ザ・ベストテン」のランキングを「記録」するのが、ワタシの「週課」となっておりまして。。。

同じようにベストテンのランクを記録してた「同朋」の方って、全国にゃたくさんいるんだろうなぁ。 いや、あの当時はネットなんかなかったし、周りにやってた方は誰もいなかったんで、こんなことやってるの、ワタシぐらいなんだろうなぁ・・・なんて思ってたんだけども。。。

あの頃の「ベストテン・記録ノート」をひっさびさに紐解いてみた。

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11位の「卒業〜GRADUATION〜」が菊池桃子さんで、20位の「卒業」が斉藤由貴さんですね。

こんな感じで「同名タイトル」でランクインしてたんで、菊池さんの方は「〜GRADUATION〜」って副題も書いて見分けてたんだうろねぇ。。。

いや、記憶では「卒業(斉藤)」「卒業(菊池)」って書いてたような記憶もあったんだけどね。。。


 斉藤由貴の「卒業」がミディアムアップテンポなら、こちらは「スロー」。
 斉藤由貴の「卒業」がジャパニーズアシッドなら、こちらは思っきり「ポップス」

 ・・・と、同じ「卒業」でも、かなり好対照な曲でしたね。キーが「メジャー」というところは同じだが。。
 まあ、「卒業」だもんね。お祝いの席だもんね。これ、「マイナー」キーだったら、逆に「怖い」わね。

 それと、情景的に、比較的、活発的な雰囲気のある、斉藤由貴の「卒業」にたいして、こちらは、かなり大人しめな主人公をイメージするなぁ。
 
 ただね、同じなのは、どちらも、「都会」が舞台ではないことかしらねぇ。。。

♪4月が過ぎて都会へと旅立っていくあの人の 素敵な生き方頷いた私〜 ♪

 うーん、↑で「おとなしめ」な主人公って書いちゃったけど、それだけでなく、なんとなく大人っぽいよなぁ。
 これって中学生? 高校生? 

 うーん、この時、菊池桃子16歳・・・ということは、高校の卒業ではないよなぁ。
 でも、中学生で「生き方」に頷くかぁ。。。。と思わず、ちゃちゃを入れたくなったりして。。。。

 しかし、このころはまだ、秋元氏もかなり「まとも」な詞を書いてたんですよね。いやはや、ほんとの「プロ」の作詞家っぽいですよ。ワタシも好きでしたもん、このころの秋元氏の詞は。。一方で、とんねるずの「一気」とか「青年の主張」もあったんだけどさ。。。。

 なによ、この落差は。。。って感じだよね。

 話がズレた。

 ・・・で、曲は林哲司氏。 もう、このヒトといえば、ミスター84年、85年といっていいほど、この時期、大当たりしてた作曲家ですね。ほんと、今聴くと、一発で84年ってわかるよなぁってくらい、あの時期を象徴するようなメロディですよね。
 林氏の著書「歌謡曲」にもあるんだけど、本来は「アイドル然」とした曲は好きでない・・とのことなんだよね。
 だから、この曲に限らないけど、菊池桃子の初期の曲って、他の同世代のアイドルの曲とはちょっと違うんだよね。

 特にサウンドに関しては、ほとんどニューミュージック。同じ林氏プロデュースのオメガトライブと変わらないもんね。
 
 80年代も中盤に差し掛かり、あたらなフォーマットのアイドルが出てきたなっていう感じではワタシも見てたなぁ。だから、菊池桃子のレコードは、当時からもってたんだよね。

 まあ、単純に好きだったからってのもあるけど。。

で、人気もこのころが最高調でしたねぇ。この「卒業」の39万枚が菊池桃子の最高セールス。
 おニャン子登場前夜。80年代の80年代らしいアイドルの最後の輝きの時期だった・・といえるかもね。

 そして、秋元氏は、爆弾落としにまわったわけです。


 あ、それから、この曲、日本テレビで放送された、単発ドラマ「卒業」のテーマ曲だったてことは、意外と忘れられてるかなぁ。
 私はしっかりみてるんだよね。そのドラマ。ただ、内容は全く覚えてない。アイドル特有の中身はないドラマだったような気もするが。。。。
 あ、ただ、ジャケ写で菊池桃子が着てる制服は、たしか、ドラマの衣装なんだよね。なんか、それだけは覚えてるな。。




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卒業 / 斉藤由貴

1985_03_卒業_斉藤由貴




今回の1曲セレクトは、「卒業」斉藤由貴です。

 まずはデータでっす。

・タイトル     卒業
・アーティスト  斉藤由貴
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1985年2月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    26.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年3月25日〜5月13日付
・タイアップ    明星食品「青春という名のラーメン」CM曲



 さーて、お立会い! 3月といえば、昨日も書いたけど、卒業シーズン・・・と来たら、「卒業ソング」・・ということで、いよいよ真打の登場。今日からダシオシミしないで、バンバンいきまっすよん。。。
 
 ということで、今日は、斉藤由貴「卒業」から・・・

 この曲は、不思議な感じだったよね。ジャパニーズアシッドで、真っ直ぐで・・・、一歩違ったら文部省唱歌かと思ったくらい。それだけ、斉藤由貴ってヒトは、まっすくでマジメっていうイメージが強かったんだよね。

  まずもって、イントロのシンセ駆け上がりの音色からして、ジャパニーズアシッド。琴っぽい音をベースにした音色。ちょっと、この前の年にヒットした、高見知佳の「くちびるヌード」にも使われているような・・・、あ、これは、どっちかというと、チャイニーズっぽいか。。。。 ま、いずれにしろアジアンテイストなイメージは強いですよね。
 ここからして、なんか、背筋伸ばして聴かないと・・・って気になっちゃうんだよね。なんとなく。。。
 まあ、これは、アレンジャーの武部氏の持ち味、お得意なところなわけで。。。

<追記>
ただ、あのイントロは、学校のチャイムをイメージして作られたようですね。4年前に行った斉藤由貴35周年コンサートで武部氏自ら語っていたから間違いないと思いますわ。

・・・というか、筒美氏のデモテープの段階で、あのイントロのフレーズは入っていた・・・っていうのが、あん時のコンサートで明らかになったのよ。 うん、武部氏とのMCコーナーでそのデモテープも流してくれたんで。。。

なので ↑で書いたようにアレンジャーの武部氏が考えて作ったフレーズではないようです。
武部氏は、筒美氏のデモテープからよりリアルなチャイムっぽい音にアレンジしたという感じですね。

詞に関しては、松本ブランドでワタシなんぞには、文句のつけようがないですわ。
 とにかく、このヒトの詞は、情景が浮かぶんですよねぇ。分かりやすい。しかも、言葉が簡潔でしょ。いや、だから、分かりやすいんだよね。それに3分間にドラマがあるっていうのかな。まあ、これが「歌」の基本だよね。

 メロディは筒美氏。これも、ワタシごときに文句つけられないですわ。でも、筒美氏にしては、ちょっと変わったメロディではないかなぁ・・・。

 出だしのAメロ ♪制服の胸のボタンを〜♪ などの譜割。

8分休符、8分音譜続きが得意な筒美氏にしては、ちょっと細かいというか、とっつきにくい譜割りなんですよね。平山三紀の「真夏の出来事」、尾崎紀世彦の「また遭う日まで」・・・71年ごろに結構多用していた、ちょっとR&Bっぽい譜割をジャパニーズテイストのアレンジにのせてってところですかね。
 すると、こんな、ちょっと不思議なイメージの曲の出来上がりってところなのかな。これぞ、和洋折衷のミクスチャー。70年代以降の歌謡曲の基本ですね。

 そう、この曲はアイドルポップスというよりは「歌謡曲」なんですよね。根の部分では。ただ、あんまり、「歌謡曲歌謡曲」したんでは・・・ってことで、表面上は、ポップス色に色を塗り替えたってところですかね。

 この曲、明星食品で、あのころ売り出させた「青春という名のラーメン」っていう、ちょっと一風変わったネーミングのカップラーメンのCM曲だったんだけど、初めて聴いたときから、アイドルの曲っていう感じは、ワタシの中ではあんまりしなかったもんなぁ。ほぼ歌謡曲だったですよ。イメージは。
でもまあ、それが狙いだったんろうね。

 代わりに、ジャケットは、アイドルしてますぞ〜。ぽにーてーるちゃんの斉藤由貴。
 ワタシャ、個人的には、このジャケットが一番好きですわ!




この動画もめずらしいカットだなぁ。PVのつもりで撮ったのかしら?


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バレンタイン・キッス / 国生さゆり

1986_02_バレンタインキッス_国生さゆり


今回の1曲セレクトは「バレンタイン・キッス」国生さゆりです。

 
まずは、データから〜


・タイトル     バレンタイン・キッス
・アーティスト        国生さゆり
・作詞       秋元康
・作曲       瀬井広明
・編曲       佐藤準 
・リリース日    1986年2月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    31.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年2月10日〜3月10日付



 明日は〜、バルタンデー、・・・・もとい、バレンタインデー。。。
・・・なんて書いてもう何年になりますかね。。。

どうも、最近はいまいち盛り上がらないバレンタインデーような気がしますが、またまたやって来ますね、明日。

まあ、ここ数年のテレワークで、バレンタインに出社することは少ないし、家では「ヤモメ」暮らしなんでね。 全くバレンタインとは縁遠い生活なんだけども。。。

しかし、この日になると、未だに流れますね〜。国生さゆりの「バレインタイン・キッス」

さっきもラジオ聴いてたら、何回この曲が流れたか。。。。

・・ということで、やっぱ、今回は、またまたブログの底〜のほうに沈んでいたこの曲を、またまた引っ張り上げてきましたわ。


ということで。。
 
それにしても、あまりにもオーソドックスというか、シロートっぽいというか・・・・
ほんまにワタシゃ「選曲屋さん」だったんでしょうか。。。? 

なんて思ったりもするけど。。。。 

 超ど真ん中ストレートなセレクトやね。 せめて、柏原よしえの「毎日がバレンタイン」とかセレクトしてきなさいよ・・とか、声が聞こえてきそうだけど、まあ、ええやん、今年もこの曲で行きます。。

 

・・・といってもね、あまりにも「つば」が付きすぎてて、どう書こうかなぁ・・・、逆に難しい。。

・・・あ、そうそう、考えてみれば、この曲リリースされてから、もう38年なんだよね。

38年ですよ、皆様。 信じられないですよね。 もうね、個人的な感覚から言えば、「昨日」のような感じもするんだけどねぇ。。。。

 でも、未だにバレンタインっていうと、この曲なんだもんね。あの当時からすると、40年も先に、この曲が流れているなんて全く考えもしてなかったですけどねぇ。

なんせ、この間、フジテレビの「私のバカせまい史」で「バレンタイン・キッス」1強史! なんてやってたしな。

ちょっと前のネットニュースには ↓ こんな記事があったりしたし。。。




いまや、一強「問題」になってたりするんですか!?


ところで おニャン子の曲って、とかく、「初動勝負」、初登場で全累積セールスの半分以上売っちゃう・・・、いまにも通じるような売れ方っていう、印象が強いけど、この曲がリリースされた頃は、まだ、そんなことなかったんだよね。

 チャートアクションも比較的粘ってたりして。この曲は、1986年2月10付けで初登場で2位だったけど、その時の週間セールスは、9.5万枚。累積セールスは、31.7万枚も行ってるから、初動セールスは、全体の3割。 まだまだ、普通のヒット曲の部類だったんですよ。

 そうね、ちゃんと「ヒット曲」って認識できたんだよね。


 このころ、例の「夕焼けニャンニャン」は、最高潮の時期で、視聴率も軒並み20%前後まで行ってたんだよね。
午後5時からの放送で、視聴率20%近くもあったんだからねぇ。
 
 つまりさ、「コア」なおニャン子ファン以外の一普通の興味がありそうなコたちも見てたってわけなんだよね。

 だから、売れ方も、「普通」のヒット曲のように、いわいる「浮動票」とよばれる、コアファン以外にも受け入れられていたんだよね。


 曲の方は、まあ、ご存知の通り、うーん、あんな感じね・・(ってどんな感じだ?)。

 ♪甘い甘い恋のチョコレート〜♪ってあるように、ほんと、甘ったるーい曲ですよね。

 ただ、個人的には、めっちゃけなすほど、悪い出来でもなかったような気はするな。
 いやいや、まだ、このころのおニャン子関係の曲は、壊れてはなかったんだよね。他のアイドルの曲と共存ができたんですよ。
 TBSとフジテレビの間もまだ、亀裂はなかったし、だから、ベストテンにも、おニャン子関係のコ達は出演してたしね。

 短かったけど、おニャン子の一番輝いてた時期って感じかな。


 んじゃ、いつから、「コア」なファンのものになって行ったか?・・・。

 やっぱし、「じゃあね」と、河合その子の「青いスタスィオン」・・・・86年3月ぢゃないかなぁ。。。


 この時期、「なかじ」がおニャン子卒業。フロントボーカルが総とっかえ・・・・。 これがひとつの転機になったんではないですかね。

 これ以後、急速に「コアふぁん」=「オタッキー」な方たちのものになっていくわけだね。
 それと共に、夕ニャンの視聴率が低下⇒一般層のおニャン子離れが進むんだよね。

 まあ、なかじの卒業とともに、一般にちょっと興味があった人たちも一斉に、おニャン子を卒業したんだろうね。
 しまいにゃ「おニャン子? オタクー」と、一般のヒトからは気持ち悪がられるようになったわけですぅ。。


 まあ、おニャン子だけではないけどね。アイドル全般的に、これを境に、「おたく化」が進むんだよね。

 80年代型アイドルも85年までのような「みんなで共有する」という形のアイドルは、ごく一部のトップアイドルだけになっていくわけですわ。




ちなみに、この曲がリリースされた時、ワタシゃ16才。 青春ど真ん中!
さぞかし、バレンタインにゃ、チョコもらってたんでしょ・・・と思う方は、、、まあ・・・いないか。

でもさあ、2/14って、ウチの高校、毎年決まって入試の日だったのよ。
当然在校生は「休み」。 
これじゃ男女共学の特権がなんもないってもんよ。。。

そんなわけで高校の時は、一回もチョコをもらってない・・・・ような気がするんだけどな。。。

まあ、もらってた人はもらってたんだろうけどな、事前に。。。 

そういう訳で、全くモテなかったワタシなのよ。。。。 

中学校までは結構もらってたんだけどね。。。。 



あ、個人的にはバレンタインといったら、「バレインタイン・キッス」の他、Tommy february6 の「Be My Valentine」も浮かんでくるな。。。 


まあ最近の曲だけど




・・と言っても11年前か。。。



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君に薔薇薔薇・・・という感じ / 田原俊彦

1982_02_君に薔薇薔薇・・・という感じ_田原俊彦



今回の1曲セレクトは、「君に薔薇薔薇・・・という感じ」田原俊彦です。

 まずはデータです。

・タイトル    君に薔薇薔薇・・・という感じ
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      三浦徳子
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1982年1月27日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   36.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月8日〜4月12日付

 久々のトシちゃんです。
うーん、このヒトの場合、もう何曲も書いてるから振りがなかなか浮かばないなぁ・・・。唐突に書いちゃいますね

 たのきんと筒美京平・・・っていったら、やっぱりマッチが最初に浮かんでくるんだけど、この曲からトシちゃんの曲も書くようになったんですよね、筒美京平氏も。

 やっぱり、トシちゃんとマッチで同じ筒美京平だと、「色」が同じようになってしまう・・・っていう危惧もあったんでしょうかねぇ。

 でも、そこは筒美京平氏。天才作曲家ですからね、トシちゃんとマッチ、そこはきちんと「色」を分けて曲作りをしていますよね。

 ことにトシちゃんに曲を提供する場合、ダンスミュージックに気合を入れているよなぁ。

 まあ、基本的「ダンスミュージック」っていうキーワードは、当初からトシちゃんの楽曲にはあるんだけど、この間書いた「恋=DO!」のように、それまではダンスというよりもミュージカルっぽいノリの曲の方が多かったわけ。

 でも、この「君に薔薇薔薇・・・」は、気合の入ったダンスナンバーだよなぁ。ブラコンとでも言いましょうかね。今聴いてもカッコいい!

 うん、そういえば、この曲以前にアイドルの曲でブラコンっぽい曲っていうのはなかったよなぁ。その辺がさすがに筒美氏。目ざといんだよね。
 この傾向は、トシちゃんから、後輩の少年隊へ受け継がれているわけで・・・。うん、もちろん筒美氏というフィルターはそのままに。

それに答えて、トシちゃん側もそれまで暫く離れていたバックダンサーの「ジャPAニーズ」とのコンビももこの曲だけ復活させたのは気持ちよかったよね。


 それと、この曲はサウンドがあの当時としては凝ってるんだよね。イントロのクラビノーバの音色にしても、スティービーワンダーのノリですし、この辺のサウンドの組み立て方はさすがに船山基紀氏かなと思いますね。

 筒美氏−船山氏ラインのサウンドの組み立てっていうのは80年代前半においては最強でしたしね。芯がしっかりしているんですよね。だからメロディラインの焦点がぶれない。
 如何にもシングルだぞ、この曲は! っていう仕上がりにしてくれるんですよ。


 この曲、「ザ ベストテン」でもいろいろな演出されたよなぁ。一番強烈な印象なのは、「君に薔薇薔薇・・・」ということで、ほんとにトシちゃんの体が「バラバラ」になっちゃう演出。

 イモ欽トリオの「回転する部屋」とならんで、未だに仕掛けがよくわかんないけど、インパクトがあった演出だったよね。

 このころは、セット演出も一番凝ってた頃かな「ベストテン」も。


当時、小学6年。「ベストテン」のランキングを毎週記録していたワタシは、当然この曲のおかげで「薔薇」という漢字を書けるようになりました。感謝!
・・・そう言う方、結構いるよね、きっと。

もっとも、今は、キーボードで打ち込みバッカなんで「薔薇」って書けないだろうな。。。ワタシ。。。







ちなみに、個人的には、このシングルのB面の「ANO ANO お嬢さん」がお気に入り。



トシのシングルではB面がいい曲も多い。まあ、だから「B面コレクション」なんてCDもリリースされるんだろうけど。。
個人的には、この曲と、2枚前のシングル「悲しみ2ヤング」のB面「悲しみよこんにちは」、「原宿キッス」のB面「真夏にドッキリ」あたりは好きだったな。

当時12歳 小学6年。まだ、迷いも疑いもなく、純粋にヒット曲が聴けた頃なんで、耳に入ってきた曲は何でも吸収出来たころだよなぁ



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涙のリクエスト / チェッカーズ

1984_02_涙のリクエスト_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは「涙のリクエスト」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル     涙のリクエスト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1984年1月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    67.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年2月27日〜6月4日付

 今まで書いてきた曲を振り返ってみると、意外と「超有名」っていう曲で書いてきてない曲があるなぁ。
 今回引っ張ってきた曲も、まだ書いてなかったんだよね・・・。
 
 ・・ということで、

 涙のリクエスト  /チェッカーズ

流石に、ここ読みに来ていただいている方は、この曲はみなさん御存じですよね〜


 この曲を最初に聴いた時のことは未だに覚えてる。
たしか、ニッポン放送の1984年1月当時、19時30分〜21時で放送していた番組だ。
 ただね、番組名が思い出せないwww

 でもね、少なくとも発売日の前に聴いてたのは確か。84年明けてすぐの頃だったと思うなぁ。

 84年が明けて、晴れて(?)「(高校)受験生」の身となったワタシは、平日は夕飯食った後19時30分ごろから夜中までラジオをかけながら勉強机に向かうのが日課になったんだよね。
 そんな矢先の出来事だったから、よく覚えてるんだなぁ、きっと。

この番組、結構「あたりそう」な曲をヘビーローテーションで毎日のように流してたのだけは覚えてる。
 この「涙のリクエスト」もそうだったなぁ。余談だけど、このすぐ後、中原めい子の「君たちキウイパパイヤマンゴーだね」にヘビーローテーションが変わって、これも大ヒットしたもんね。

 でもさ、確かにヘビーローテーションでかかっていたんだけども、それより何より、最初に聴いた時から引っかかったんだよね。この曲には。
 リリースされて、すぐに買ったなぁ、このシングル。

 
 まあ、曲的には簡単なメロディなんだけど、なんていうのかなぁ、懐かしさを感じたんだよなあ。この曲に。
 
 たしかに当初のチェッカーズの根本のところにはオールディーズの香りっていうところがあったんだけど、それがモロ出てたっていうかねぇ。オールディーズの刹那さ見たいなところがひしひしと感じたんだよねぇ。

 ただ、曲調が曲調だけに結構年上のバンドなのかな?・・って最初思ったところはあった。
 でも、まさか、当時メンバーも20歳そこそこだったとはねぇ・・・。

 でさ、何回か聴いてるうちに、また、聴きたくなってる自分がいたりしてね・・・。

「これ売れねーかなぁ・・・」とも思ってたし、逆に「いや、絶対売れる」っていう確信のようなもんも感じたりしてさ。

 この「確信の感覚」は、あみんの「待つわ」を最初に聴いた時以来だったかもしれないなぁ。
 まあ、一種のカンって言ったらカンなんだけどさ。


 だけど、案の定、来たんだよね、これが。 

リリースは1984年1月21日。ベストテン入りが2月の終わりだったから、リリースから1ヶ月かかったけどさ。

 ただ予想が付かなかったのは、一度「火」がついたら、加速が止まらない、天井知らずの「人気者」になっちゃったこと・・・。

 うん、ベストテンは予想してたけど、まさか、そのまま「ザ・ベストテン」で1位を取ってしまうとは・・・。
(ちなみにオリコンでは最高2位止まり)

 いやいや、そんな生易しいものではなくてね、空前の「チェッカーズ旋風」までもたらしてしまうとは!

 さすがにここまでは予想もしてなかったですよ。

 もちろん、曲が良かったこともあったけど、ビジュアル的にも良かったんだよね。チェッカーズフッションに髪型ね〜。

 当時、あの髪型は絶対真似できなかったもん。ガッコの頭髪検査で100%引っかかっちゃう(爆)


 それに加えて、時代が丁度、新しいヒーローを求めていたってのもあったと思う。

 確かに聖子 明菜っていう2大巨頭が時代を引っ張っていたけど、男性アイドルがやや翳りが見えてきていた時期だったし・・・。
 そこにタイミングよく、出現したのがチェッカーズだったわけね。


 たださ、もともとアイドルになるべくして出てきたヒトたちではなかったわけで、かなり戸惑ってはいただろうね・・・。

 ・・と思いきや・・・、元メンバーの高杢禎彦著「チェッカーズ」によると実際はそうでなかったらしい。

 逆に「天狗」になっていた部分が大きかったようですね。

 それが後年のメンバー同士の不和、そして解散につながって行ったようですわ。

 ちなみに、後年自分たちで曲を作るようになったのも、結局は自分たちの力を過信していたところがあったらしく、デビュー時からプロデュースしてきた芹澤氏の了解もないままだったらしい。

 つまり、黙殺だったようで、以来、芹澤氏との関係もよくなかったようですね。

 そういうこともあり、仮にこの先再結成ということがあったも、初期の頃の作品は永遠に演奏されることはないようです。

 もっとも現在にわたってのメンバー間の分裂、それ以前にドラムのクロベエ氏の死去で永遠にオリジナルメンバーでは再結成が不可能となってしまいましたが・・・。



 そんなことが全く夢の出来事であるかのようなピュアな気持ちで音楽に望んでいた時期の「涙のリクエスト」。
 だから、聴く方にも素直に刺さったんだろうなぁ。今考えると。

 音楽はテクニックだけではないんだよねぇ。伝えるべき事をピュアに伝えられるかどうか・・・ここにかかってくるんじゃないかなぁ。

 いまとなっては当たり前なことと思うんだけど、そんな事を改めて気付かせてくれた曲だったと思うなぁ、この曲は。



もう、永遠に不可能となってしまった、「オリジナルメンバー」での「涙のリクエスト」です。


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クリスマス・イブ / 山下達郎

1983_12_クリスマスイブ_山下達郎











今回のセレクトは、「クリスマス・イブ」山下達郎です。


まずはデータでっす


・タイトル     クリスマス・イブ
・アーティスト     山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日    1983年12月14日
・発売元      アルファムーン/MMG/WEA/ワーナー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    180.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年12月4日〜1990年1月15日付
                 1990年12月3日〜1991年1月14日付
                  1991年12月23日〜12月30日付
                  2000年12月14日〜2001年1月4日付 
                  2013年12月5日付
・タイアップ:JR東海「クリスマスエクスプレス」CM曲


 いよいよ、クリスマスイブですねぇ。
 1曲セレクトも、昔「クリスマスソング特集」ってくらい、クリスマス曲をいっぱい書いた事があるんだけど、今年は特に書かなかったのね。 でも、やっぱクリスマスイブくらい書かないのも淋しいんで、セレクトして来ましたわ。

 山下達郎「クリスマス・イブ」
 
 なんだよ、こんなメジャーな曲かよ〜、しかも去年も書いてんじゃん・・・と思いの方もいるかと思うけど、日本のクリスマスを語る上で、この曲をはずすわけには行かないですわね。 これだけ、「エバーグリーン」になっちゃうとさ。
 
 まあ、個人的にも、どうしても、クリスマスイブとこの曲は、切り離せない。。っていうところもありますし、やっぱり、この曲を持ってきましたわ。

 チャートを長年にわたって見てきた方には、すでに「耳タコ」の事だと思うけど、この曲、もともとは、1983年6月1日リリースの、山下達郎9枚目のオリジナルアルバム「Melodies」のラストを飾る1曲に過ぎなかったんだよね。 そう、最初はシングルぢゃなかったのよ。

 しかもですよ、もともと、この曲、自分の曲用に作ったんではないんだよね。そう、今の「ヨメ」さんの竹内まりやのために作った曲なんですよ。
 
 あ、これは、意外と知られてないかな。。でも、これは、事実のようで、「Melodies」リリース時、1983年6月17日号の「オリコンウイークリー」に達郎自ら語っているから、間違い無いと思われますわ。

 ↓ コレ
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 でも、なぜか、竹内まりや 用としては、「ボツ」となってしまい、普通なら「お蔵入り」になるところを、その頃毎年12月に行っていた、中野サンプラザのライヴに歌うための「クリスマス」の曲が無かったんで、自分で歌っちゃったらしいですわね。

 とにかくさぁ、これぞ「達郎」っていう曲ぢゃないですか。うん、まあ、曲調は、パッヘルベルのカノンを参考にしているらしいから、「達郎」らしいところは、若干欠けてるんだけどさ、圧巻は、やっぱし、間奏の「カノン」の部分のアカペラだよね。

 あのアカペラ、コーラスが何層にも聴こえるけど、全部、達郎自身、1人で歌ってるんだよね。ダビングを「44回」重ねて、あの「カノン」にしたらしいっす。 さすがに、「音楽オタク」の達郎氏らしいですわ。

「時間と手間」に妥協はしない。「職人」だよね。でもさぁ、本当は、これこそが音楽の「プロ」だと思うんだよねぇ。量産することだけが「商用音楽」ではないって事ですよ。


 まあ、達郎氏の場合は、この頃になると、楽器も含めて、作詞、作曲、プロデュースと全部1人でやっちゃってたみたいだから、それほど、珍しいことではないですけど・・。

 個人的には、85年の「風の回廊」のコーラス部分が好きでねぇ、もちろんもあれも、多重録音で全部1人でコーラスやってるんだけど、その「気持ち悪さ」ったらないね(いいいみで)。 どこ切っても、「達郎氏」の声って言うのは。。。

 でもさぁ、そういう、妥協がないからこそ、いつまでも色褪せない曲⇒「エバーグリーン」に仕上がるんぢやないかなぁ。
 
 考えてみたら、この曲、モチーフとなっているのは、1980年か1981年のクリスマスって考えられるんだよね。
 もともと、竹内まりや用に書かれたっていうくらいだから、少なくとも竹内まりやが結婚前に一時活動休止する前に書かれたって言うのが無難だろうし。。。。今から約四半世紀前ですよ。

 生活様式だって随分変わったのに、いまでも、色あせないでしかも、売れ続けてるっていうのは、これは、奇跡だよね。
 っていうか、曲が全然古くならないのよ。

詞、メロディはもちろんのこと、音質に関しても、おおよそ80年代前半って気がしないもんね。

 そこには、やっぱし、職人「山下達郎」の妥協を許さない「仕事」があったからぢゃないかなぁ。

 ここまでくると、壷とか焼き物、はたまた、版画、絵画と同じ世界だよね。

 テレ東の長寿番組「開運!なんでも探偵団」の中島誠之助ぢゃないけど、「いい仕事」なわけですわ。


 まあ、本人がどの程度、納得して、もともとこの曲を作ったのかはよくわかんないですけどね。
 なにせ、もともと、他人用の曲をボツになっちゃったから、自分のコンサートで歌うために、急遽レコーディングした曲のわけだから。。。。
 
 
 それと、この曲、「売れる」までは、結構、紆余曲折、時間がかかったもんね。
 もともとは、上でも紹介したように、1983年6月1日リリースのアルバム「Melodies」の1曲だったんだけど、リリース日が示すように、別に、この曲がメインってわけでもなかったんですよ。6月1日リリースだもんね。「夏」ですよ。 どちらかといったら、シングルにも切られた「高気圧ガール」の方が全然、有名だったもんね。


 ただ、その年、83年の12月に「12インチ」シングルとして、リリースされたのが、そもそもは、「シングル」リリースとしては最初なんですよ。 このときは、オリコンで最高44位まで行ったものの、わずか2週でチャートからおさらば。。。 つまり、「全然」だったわけさ。

もっとも、この時点ではアルバムからのシングルカットという影響はデカかったわけだけども。
アルバム「Melodies」はオリコンで1位。

 
 次にシングル化されたのは、1986年11月。このときは、12インチではなく、通常のシングルで、だから、まあ、このときが「シングルカット」と呼んでも良いかな。

 ただシングルカットされた86年は、最高21位止まり。翌87年は、わずか1週のみのランクインで91位、さらに翌年88年は、最高15位と、若干ずつだけど、一般に浸透して行ったんだよね。

 で、爆発したのは、翌89年。このとき、JR東海の「クリスマスエクスプレス」キャンペーンソングに起用されてブレイク。そそそ、例の牧瀬里穂のCMですね

↓ コレ
>


このCM効果・・というか、ほとんどこのCMの効果だったと思うけど、オリコン1位まで、一気に駆け上がったってわけだよね。
 だから、ブレイクまでは、シングルリリースから3年。アルバムの1曲として、この「世」にでてから足掛け6年も擁しているんだよね。

 その翌年からは、みなさん、ご存知の通りで、毎年のようにランクインしてるってわけですわ。

 ただ、いえることは、その間、達郎氏自身は、とくに、この曲をシャカリキになってまで、売ろうとしていないことだね。

 周りが「お膳立て」してくれての、大ヒットなわけで・・。

 その点も、やっぱし、職人「山下達郎」の所以としているだろだよねぇ。。。


 最後に、今回のデータは、一応、最初に「12インチ」としてシングルに切られたときからのデータを合算してあります。
 ただ、オリコンの場合、CD番号がかわると、集計が変わっちゃうんで、正直、こういう、再発を繰り返している曲は、1つの曲として、集計するのがなかなか困難なんだよねぇ。 ちなみに、売り上げ枚数は最初にコレ書いた2006年当時のモノなんで、現在は変わってるんですけどね。。。まあ、その辺は、ご勘弁あれ。




【追記】最初のリリースから、今年で40周年ということで。。。
もはや、季節の風物詩の域を超え、国民の「儀式」みたいな領域に達したこの曲・・のような気もしますが。。。

この曲、何がすごいというと、時代の先見性と、その後の普遍性にコミットしていることだと思うんだよね。
この曲、アルバム「Melodies」のラストを飾る1曲としてリリースされたのが1983年6月。
・・ということは、イメージとしては、直近でも1982年のクリスマス・・だと思うんだよね。

1982年のクリスマスっていったら、まだ「家族」で過ごすっていう方が一般的だったんじゃないのかなぁ。
クリスマスケーキと、ローストチキンを買って、「家族」でパーティをするっていう。
少なくともウチはそうだった

「恋人と2人で過ごすイベント」・・・っていう形態は、まだ少なかったと思う。。

でも、この後バブルを迎え、クリスマスは恋人と2人で過ごすという形が増えてくる。
この曲の世界のように。

そもそも、1982年のクリスマスって、こんなにオシャレじゃなかったと思うし。。

それを考えると、先を見据えているな・・・と思えてしまうんだよね。個人的には。

その後、こういうクリスマスがすっかり定着し、今に至るというのは、言わずものがなんだけども。。

もっとも、世間がこの曲の世界のにコミットしていったのかもしれないけども。。。



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最後のHoly Night / 杉山清貴

1986_12_最後のHoly Night_杉山清貴






今日の1曲セレクトは、「最後のHoly Night」杉山清貴です。

まず、データでっす。

・タイトル     最後のHoly Night
・アーティスト   杉山清貴
・作詞       売野雅勇
・作曲       杉山清貴
・編曲       笹路正徳
・リリース日    1986年11月6日
・発売元      バップ
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    25.3万枚
・THE HIT CHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1986年11月24日〜1987年1月17日付


 いやいや、このところ、マジで文章下手やねー。あとで自分で読んでイヤになっちゃうねー。 
 昨夜書いた、「年間チャート」についての文章は最悪や。小学生の文章やね。 誤字は酷いし。。。
 読んでくれた皆さん、あいすいませぬ。
 とりあえず、自分で読んで「変」と思った表現と気付いた誤字は修正いたしましたです。

 「年間」でことで、ちょっと「構えた」のがマズかったかなぁ・・・というのは、「言い訳」です


 ・・ということで、本日の1曲セレクトですが、

 最後のHoly Night 杉山清貴    どえす。

 この曲は、オメガトライブを解散して、ソロになった、杉山清貴、2枚目のシングルなんだよね。
 このあいだ、菊池桃子の時も書いたけど、オメガトライブっていったら、それこそ、80年代中盤のトップバンドの1つだけど、曲調は特徴的だったよなぁ。ほとんど、どの曲も同じジャンと思わせるくらい、よく言えば統一的、悪く言えば没個性なバンドだったなぁ。
 強いて言えば、キーボードか「オメガドライブ」特有っていうかね。YAMAHAのDX7のプリセット音を目いっぱいフィーチャーしたリゾートミュージックだったわな。

 そのリゾートミュージックっていう部分は、ソロになった杉山清貴は、引き継いだわけで、だからねー、正直言うと、絶対的なワタシの好みの曲調ではなかったんだよね。
 リソードミュージックって言う具合だから、都会的で、音もスマートで、こぎれいで・・・。
 私ゃ土臭い曲が好きなんで〜って何回も書くけど・・。 

 なんんかさー、ターゲットは20代のOLです ってはっきり言ってるような音楽じゃん。これより一時代前だったら、山本達彦とか、あとは、同じ時代の角松敏生とか・・・。
 なんか、聴く人を限定しているようにも聴こえるんだよね。

 とは言うものの、ソロになった杉山清貴の中では、個人的には唯一、「あ、いいね」って思ったのが、この「最後のHoly Night」ですね。
 一言で言うと、クセのない「クリスマス用」の楽曲だものね。
 ヤマタツの「クリスマスイブ」が出てくるまでは、クリスマスソングっつったら、この曲って感じはしてたんだけどね。


 それから、ストーリーがハッキリしてるでしょ。タイトルからして、「最後のHoly Night」っつうぐらいだから、文字通り、二人で過ごす、最後のクリスマスイブっていうシチュエーションなわけですよ。
 そこで、出会った最初の年のクリスマスイブはこうだったね、去年の夏はこうだったね・・・・と、せつせつせと想い出に浸ってる・・・っていう曲ですわね。

 でもさ、普通、このテの曲って、「最後」ってことで、ジメーと重い曲が多いじゃん。
 この曲は、思いのほかサラッとしてるんだよね。明るくバイバイってことなのか、クリスマスっていう雰囲気からなのか、その辺はよく分からないですが・・・

♪Last Christmas Eve For You 本当に好きなヒトと最後のイヴは過ごしたいといったね ♪

と、文字通り、本当に好きなヒトと最後のイヴは過ごしたいんだよ〜。 って、これがね一番言いたいところなんだろうね。

 うーん、でも、よくよく考えたら、ちょっと「調子いい」んでない?

 今は、完全に女性上位な時代って言ってもいいんぢゃないかなぁと思うんだけど、もう、すでにこの頃から傾向は始まっていたんだよね。

 まあ、最初にも書いたように、ターゲットは、OLなわけで、そのへんは、都合よく書いてるんだろうなぁ・・・とか、いまとなっては、詮索したりして。。。

 あのころは、まだガキだったから、そんなところまで全然考えないで聴いてたけどねぇ。

 しかし、最近は、完璧にOLに向けた曲って、考えてみたら、ほとんどなくなった気がするな。
 まあ、OLって言葉自体、すでに「死語」に近いけど・・。

 OLに限らず、ターゲットを完全に社会人に向けた曲っていうもの自体が少なくなっているんだよね。

 こうしてみると、これも80年代っていう、無節操な時代特有の曲だったんだねぇ。




※2005年12月に書いたものの再掲載です。
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