かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年代ヒット曲

はじまりはいつも雨 / ASKA

1991_06_はじまりはいつも雨_ASKA






今回の1曲セレクトは、「はじまりはいつも雨」ASKAです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     はじまりはいつも雨
・アーティスト   ASKA
・作詞       ASKA
・作曲       ASKA
・編曲       澤近泰輔
・リリース日    1991年3月6日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    116.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:1991年3月18日〜9月2日付
・タイアップ:パナソニック「コンポhalf」CM曲

 ロングセラー。いまぢゃ、まずほとんど聞かなくなった言葉だけどね。
 いや、たしかに、いまでもロングセラーっていう単語は時々使うんだけど、そうは言っても、あっという間にチャートから消えていく大多数の曲に比べたら「ロングセラー」というだけであって、ベストテンに10週前後ランクインしている曲でさえ、昔のロングセラーという比ぢゃないよね。

 こんな状態は、90年代後半ごろから、ジワジワと見えつつあったわけだけど、ぢゃ、90年代前半はどうだったのか・・・というと、これが「さにあらず」。
 これが逆に、ロングセラーの天下だったわけだ。特にハイライトは、1991年。

 この年は、とみにロングセラーが多かった1970年代を凌ぐくらい、ロングセラーが多かった年なんだよね。
 いわいる「メガヒット」の始まりの年だったわけだけども、90年代後半以降の「メガヒット」とは、様子が異なり、たしかに初動集中型になりつつはあったものの、その後の粘り⇒ロングセラーぶりは、最近のヒット曲には全く見られなかったような感じなんだよね。

 そんな1991年のなかでも、この「はじまりはいつも雨」は、特にその粘りぶりが際立っていたよなぁ。
 なにせベストテン内に「半年」も居座ったわけだからねぇ。
 とにかく「安定」度といったら、とんでもなかったんだよねぇ。

 どうしてなんだろ? とは思うんだけど、たしかに、あの時代「カラオケ」で歌われる曲っていうのは、ひとつ大きかったんだろうね。
 ただ、今のように、まだ、情報伝達速度は早くなかったから、口コミによって広がって行ったってのは、また、大きいだろうなぁ。

 この曲、たしかにパナソニックのコンポのCMに使われていたけど、これもヒットしてからの話で、リリース時には、ほとんど、プロモーションらしいプロモーションもあまりなかったからねぇ。

 すでに音楽番組は、テレビの世界では衰退していたし、まだインターネットも無かったわけだから、タイアップがないとしたら、ラジオくらいしかメディアは無かったわけだし。。。

 ただ、そういう状況だったから、余計、「曲のデキ」が注目されていたっていうのは、あるかもしれないなぁ。


 このころのASKAの曲は、CHAGE&ASKAも含めて、ほとんどクラシックに近いんですよね。賛美歌というかね、ちょっとそれまでのポップスには無かったようなコード運びとメロディラインが特徴でしたよね。

 それと、サウンド全体のイメージというかね。どちらかというと、バンドサウンドというよりは、大編成のオーケストラ的なスケールのでかい曲が中心になっていましたよね。

 そのあたり1989年に一時、CHAGE&ASKAの活動を休止して、ロンドン生活を送った後あたりから、変わったように思うなぁ。

 それ以前、ことにキャニオンに移籍した1986年あたりからは、どちらかというと、リズム主題のロックポップスといったような曲が多かったからねぇ。

 その辺の変化に時代が付いてきた・・・って言うのが、この1991年あたりで、結局、時代を味方につけたのもでかかったかもしれないですよねぇ。

 
 たけど、この曲は難しい。キーが高いってのもあるけど、これはカラオケぢゃなかなか歌えないですよ。

 いや、このあとの「SAY YES」もそうだけどさ。メロディラインが複雑だし、コード進行も、ポップスと思えない進行の仕方があったりして、まず、音が取りにくいんですよね。

 ただ、そういうところが逆に耳新しいって言うところはありましたよね。
 さすがにイギリスに行ってただけあって、音が「濡れている」というか・・。

 「はじまりはいつも雨」っていうタイトルにはぴったりはまるサウンドなんだよね。



 個人的には、この曲がヒットしてた頃・・・・、ランキング(ヒットチャート)に本格的にのめりこみ始めたころだなぁ。  自主チャートを毎週出すようになったのもこのころですわ。
 それと、「オリコン研究会」のサークルでで頻繁に動いてた頃かなぁ。

 だから、この曲っていうと、ヒットチャート作ってたか、千葉の中央郵便局で夜中、郵便物の仕分け作業のバイトしてたころの風景が浮かんでくるんだよなぁ
バイトしてた作業場にあったラジオから、この曲、よく流れてたんですよ。

 それとともに大学には徐々に足が向かなくなってきてた頃の曲ですねぇ

 「仕事」的な考えとしても、いまのワタシの根幹的にあるような曲なんですよねぇ。




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恋人はワイン色 / チャゲ&飛鳥

1988_02_恋人はワイン色_チャゲ&飛鳥



今回の1曲セレクトは、「恋人はワイン色」チャゲ&飛鳥です。

まずはデータですよ。


・タイトル   恋人はワイン色
・アーティスト チャゲ&飛鳥
・作詞     飛鳥涼
・作曲     飛鳥涼
・編曲     十川知司 西平彰
・リリース日  1988年2月5日
・発売元    ポニーキャニオン
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  6.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位
・タイアップ:テレビ朝日系ドラマ「あぶない雑居カップル」主題歌


この間、他の方のブログをチラチラ見てたら、シングルCDリリースされたのが、ちょうど今頃・・と書かれているのがあって、ハッとしたのね。

そうだ、初めてシングルCDという形態で「シングル」がリリースされたのが、1988年2月21日。今から34年前になる。

・・・で、そういえば、あの頃のオリコンに「シングルCDリリース開始」っていう特集記事があったな・・と思ってあの頃のオリコンウイークリーを引っ張り出してみた。

・・・ありましたわ。 1988年2月29日、3月7日号オリコンウイークリー。

アナログ最後の日〜いよいよシングルもCD化〜

っていう特集記事が。。。

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いやいや、それにしても今、オリコン読むと字が「ちっちぇ」ぞ〜。 昔は全然気にならなかったんだけどねぇ。。。 ジジイになったな・・と思わずにはいられない瞬間。。。

シングルCDリリース・・・個人的には、「おー、いよいよか」と思ったなぁ。
それまでのシングル売上げ減少の原因の大元は、アルバムはほぼCD化されているのに、シングルはアナログのままだったってことだったしね。 
シングルのCD化の遅れは、それまでのCDプレイヤーの多くがシングルのCD形態だった「8cmCD」が未対応だったのが、今考えれば大きいんだろうな。
 で、「8cmCD」対応プレイヤーの普及を見据えつつ、1988年2月という、この時期のCDシングルリリースとなったんだろうね。

ただ、かくいうワタシが当時使っていたCDプレイヤーは8cmCD未対応だったんで、8cmCDを「疑似」12cmCDにする「アダプター」をつけなきゃいけなかったんだけども。。。 
本来はシングルCD1枚ずつにつけるんだろうけど、アダプター1枚300円・・と結構な価格だったんで、1枚のアダプターをとっかえひっかえ使ったりして。。。この付け替えが、まあ、面倒なことこの上なかったっていうのが懐かしい。
しかも、当時のシングルCDは、アナログが1枚700円だったのに対して、1000円と割高だったし。。。
それと難を言えば、この当時のCDって今思えば、必ずしも音質が良くは無かったんだよね。
音が高音域に偏っているうえに硬い。今聴くとキンキンするのよ。この当時のCDの音質は。その上、音量レベルも低い。

たしかにいかにも「デジタル」という感じはするけど、今考えれば、よくもまあ、「レコードを超える高音質」なんて言えたもんだよな・・・って感じますね。
正直、このころのアナログレコードの音質レベルってめっちゃいいのよ。浅香唯の「Believe Again」をアナログで聴いたとき、びっくりしたもの。

唯一のメリットは、音がレコードよりは経年劣化しにくいってことだったろうな。(実際は劣化するんだけども。。。)
まあ、そんな感じで個人的にはあんまりメリット無かったんだけども、一般的にはこれでシングルの売り上げ低迷も底を打つだろうな・・・と真っ先に思ったなぁ。 
大半がCD化されていたアルバムは、すでに全体的な売上げがV字回復してきていたし、この盛り上がりから、シングルがCD化したらV字回復するのも目に見えていたしね。

実際のその通りになり、シングルCDがリリースされるまで4年出てなかったシングルミリオンセラーも、次の年、長渕剛の「とんぼ」で達成しましたね。
もっとも、90年代のダブルミリオンからのメガヒットの時代が来るとまでは想像できなかったけど。。。。
ただ、ヒット曲の大きな変革期にあったことは間違いないですね。

あれから34年。いまやCDは衰退し、ネット配信が全盛の時代。
まあ、リリース⇒ヒット⇒衰退(世代交代) というヒット商品のサイクルは、長くて30年と言われているわけで、それから考えるとCDも衰退しても何の不思議はないんだけどね。
それよか、「アナログ最後の日」っていうこの記事のタイトルを覆して、あん時「衰退」の道を辿ったアナログが、最近復権しつつあるのは、なんとも不思議な現象ではあるけど。。。
世代交代の副産物なんだろうな。。


・・・・うう、マクラが長い。。。

ということで、今回はそんな時代の変革期にちょうど、ヒットしていた曲を一つ。

チャゲ&飛鳥「恋人はワイン色」。

この曲は、そんなシングルCDリリースが開始された1988年2月の初めにリリースされた、チャゲアス20枚目のシングルですわ。

オリコンでも16位まで上昇。まあ、いわいるスマッシュヒットでしたわな。 ただ、売上げ6.1万枚ということからもわかるように、この後90年代前半のメガヒットなチャゲアスからすると、全く持って物足りない売り上げではあるけどね。

いや、86年の「モーニングムーン」でのヒット以来、少なくともシングルでは、この曲程度の横ばい程度の売り上げが続いていたわけで。

つまりさ、堅い絆で結ばれたコアファンには支持されていたけど、なかなか浮動票を噛むヒットまでには結びついていない時期 ・・だったんだよね。この頃は。


正直、ワタシも、この当時はBGMとしてラジオから流れているのを聴き流している程度で、あまり積極的には聴いてなかったのよ、チャゲアスは。

たしかに、耳障りがある曲もあったのよ。以前書いた86年秋の「指環が泣いた」とかさ、この「恋人はワイン色」の前曲の「ロマンシングヤード」なんかは耳障り程度には引っかかってきたしね。

たた、正直言うとこの「恋人はワイン色」は、88年当時には引っかからなかった。

うーん、引っかからなかったというより、聴いてなかった・・というのが正解かもな。

前も書いたように、このころ大学受験に失敗したワタシは、音楽どこじゃなかったからさあ。
浪人が決まって、身の拠り所の確保の方が先決だったから。

だから、この頃は、音楽は聴いてなかった。。。 いや、冷静に考えるとそんなことは無かったなぁ。
↑前出のようにオリコンは毎週買い続けていたし、文化放送の「歌謡選抜」だけは聴き続けていた記憶がある。

ただ、それ以前のようにヒットのめりこんでは無かったのかもしれないな。あくまでBGMとして聴き流していたというのが正解かもしれない。

でもさ、後年、90年代に入って「スーパーベスト供廚房録されていたこの聴いたときは、地団駄を踏んだなぁ。
なんで、88年当時、もっとちゃんと聴いてなかったのか・・と。この曲とレベッカの「MOON」。

あのころ、もっとちゃんと聴いてたら88年の今頃の印象が大分変っていたかもなぁ。。。

チャゲアスのシングルって、ポニキャに移籍し「モーニングムーン」をヒットさせて以降、基本的には「攻め」の姿勢のシングルが多かったんだよね。

↑で書いた「ロマンシングヤード」なんかも、ミディアムテンポではあったけど、攻めた曲調だったじゃない

そこからみると、この「恋人はワイン色」は、同じミディアムテンポでも、落ち着いた曲調に変わったし。

88年当時は気が付かなかったけど、何かが変わった印象は強く感じたりするんだよね。
実際、この次の「ラプソディ」以降のチャゲアスは曲調ががらりと変わるんだけども。。。

これは、この時期、キーボードの十川知司氏、澤近泰輔氏を中心とした、BLACK EYESがサポートメンバーについたことが大きかったんだろうな。

それ以前のチャゲアスって、どらかといえばライブバンドの様相が強かった。 

もちろん、この「恋人はワイン色」以降もライブバンドとしてのチャゲアスは変わらなかったけども、加えて聴かせる曲の要素も加わたんだよね。メロディアスで聴かせる楽曲。

BLACK EYESというハイテクニックなサポートメンバーがついたことで、以前よりも高度でメロディアスな曲にも耐えられるようになる。


最初に書いたように時代はアナログレコードからCDへ本格的に移行した変革期だったけど、奇しくもも同じ時期に自身の変わり目、バンドしての変革の起点となったのが、この「恋人はワイン色」だったんじゃないかなぁ。

聴かせる曲という「武器」が加わったことで、それまでのチャゲアスよりも一回り大きくなった印象が強いしね。

実際、聴かせるメロデアスな曲中心になって以降、レコード・CDの売り上げも上がってくる。
もっとも、CD普及による全般的な売上げアップということもあるんだけども、それを差し引いてもそれまでよりは売り上げが伸びて来てましたよね。
最初に書いたようにそれまでは、コアファンだけに熱狂的に支持されていていたのが、徐々に浮動票もついてきたわけなのよ。

そんな右肩上がりの状況なところに、あのダブルミリオンのメガヒット「SAY YES」がリリースされる。 

この「恋人がワイン色」がリリースされてから、3年強後の事ですわ。




そういえば、ASKAのコンサートツアーが復活し、4月には東京国際フォーラムでのライブがあるとか。
ASKAも、完全復調と見ていいんでしょうかね。

そし可能ならば、チャゲとの和解、チャゲアスの復活も見てみたいとも思うんだけど、どうなんでしょうねぇ。 今は形上では、チャゲアスは解散したことになっているけど。。。



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夢芝居 / 梅沢富美男

1984_02_夢芝居_梅沢冨美男



今回の1曲セレクトは、「夢芝居」梅沢富美男です。

まずはデータです。

・タイトル    夢芝居
・アーティスト  梅沢富美男
・作詞      小椋佳
・作曲      小椋佳
・編曲      桜庭伸幸
・リリース日   1982年11月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位  
・売上げ枚数   48.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位
・オリコンベストテンランクイン期間:1984年1月16日〜1月23日付

少し前までヒットチャートは初登場週が最高位になり、あっという間にチャートから消えるという、いわいる「猫の目」的なチャートアクションが主流な時代が久しく続いた。
けど、ここ数年は、そんなチャートアクションはすっかり影を潜め、ロングヒット主流の時代が続いている。
CDからネット配信へ音楽マーケットの主流が交代し、それがロングヒットを生み出す一番の要因になっていたりするんだけどね。

不肖ながら、昨年、ワタシのランキングで年間1位になった優里の「ドライフラワー」は、1年以上もベストテン内にとどまっていたり、未だにロングヒット傾向は続いているわけで。

もっとも、ロングヒットの時代は昔もあった。ただ、違うのはヒットのスパンが、昔とは比べ物にならないくらい長くなっているんだよね。
昔は1年以上もベストテン内にとどまっていた曲なんてなかったわけで。。。そのロングヒット期間には本当に舌を巻くわけよ。

楽曲ジャンルとしても、今はロックやJ-POPでも超ロングヒットになる事が珍しくない。これも昔にはなかった傾向ですわ。

昔は、ロングヒットといったら、演歌・歌謡曲の専売特許のところがあったから。

・・・って、昨年、小林幸子さんの「おもいで酒」の時も、全く同じことを書いたような気がするけど。。。。

はい、今回もロングヒットな1曲です。

梅沢富美男「夢芝居」。

この曲リリースは1982年11月なんだけども、オリコンで最高位8位まで上がったのが1984年1月。 その長いスパンの間、、じわじわ じわじわ売れ続けた訳で、 果たして、いつ書こうか・・・というのを、ずっと迷ってたんだよね。

でも、まずは、最高位を記録したころに書こうか・・と待ってたんだけどさ。

だから、本当は1月頃書けばよかったんだけども、先月は頭回るくらいの忙しさだったんで、少し遅れちゃったんだけども。。。。


梅沢富美男氏、いまや、口やかましいコメントをかますオッサン。 レモンサワーのCMではレモンになりきってる、バラエティの大御所の一人ですわ。

最近のバラエティぶりを考えると、昔、下町の「玉三郎」、大衆演劇界のプリンスとして、おばちゃんたちをブイブイ言わせ、おひねりが乱れ飛んでたなんて、全く信じられないですけどね。

なにせ、女形をやらせたら、このヒトの右に出るヒトは居ませんでしたからねぇ。

そんな大衆演劇、下町の玉三郎に脚光を浴びたのが1982年頃だったと思う。

1982年6月から放送された、西田敏行氏主演、TBSの金曜ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」。
このドラマに梅沢氏も旅芸人役で出演し、大衆演劇の女形「下町の玉三郎」に一躍脚光を浴びたと記憶してますね。

そんな余波をかってこの年の11月にリリースされたのが、今回引っ張ってきた「夢芝居」ですわな。

ただ、一躍脚光を浴びたといっても、まだまだホンモノの全国区という所までは人気が浸透していたわけではなく、リリース当初は、レコードの売り上げは芳しくなかったわけよ。

当時ラジオ小僧だったワタシは、リリース時から、よく聴いてけどなぁ、この曲。

まあ、AM局ではよくかかってたからさあ。 この曲とか、同時期にリリースされた金沢明子さんの「イエローサブマリン音頭」とかさ 

あの頃、「夢芝居」を含め、どこか企画色の強い「演歌・歌謡曲」って結構あったんだよね。

大ブレイクしたヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」なんかも、似たような匂いを感じてたし、森進一氏の「冬のリビエラ」なんかも、毛色は違うけど、企画的だったような気がする。

あの頃、主流は聖子さんやたのきんなんかのアイドルだったけど、一方で演歌・歌謡曲も奮闘していた時期で、ヒットチャートは、結構いろんなジャンルの曲が群雄割拠してたんだよね。


当時、中1だったワタシだけど、そんな状況の中、演歌、歌謡曲も含め、普通に聴いてたなぁ。

なんせ好奇心旺盛な時期だったからさ。ラジオから流れてきた曲は、ヒットしてるしてない、関係なしに何でもかんでも吸収してた頃だからさあ。

そんな中、この「夢芝居」。レコード売り上げは芳しくなかったけど、ラジオを中心に少しずつ支持され、ラジオからまず飛び火したのが、有線だったような気がする。

その証拠にワタシのランキングでは、1983年1月に一度ランクインしてるんだよね。 私のランキングの各要素別のランキング表が残っていないんで推定なんだけど、まずは有線で30位以内まで上昇。

その後もジワリと支持が広がり、1983年5月5日放送分のザ・ベストテンの「スポットライト」に登場する。

ただ、「ベストテン」に出演した時にはオリコンでは100位以内に入っていない。 オリコンで100位圏外だったのに、ベストテンのスポットライトに出演したわけだから、このころメディア的には注目されていたっていうのは分かりますね。

で、ベストテンのスポットライト出演後、1983年5月23日付オリコンで76位初登場。
うーん、これを見る限り、当時はやっぱ「ベストテン」の影響力って大きかったんですかね〜。
いずれにしても、この時点で、リリースから半年が過ぎてたりする。それでも76位よ。

ここからが、また長いのよね。 83年の間、ジワジワジワと少しずつオリコンの順位を上げ続けたにもかかわらず、なかなかベストテンまで到達できず。

やっとオリコンのベストテンに到達したのが1984年1月16日付。 オリコン初登場から35週目。(年末年始2週集計含む)
1983年紅白出場っていう、「紅白効果」なところも大きかったんだろうけど、レコードリリース から1年2か月でのベストテン到達は、かなり苦労の末のベストテン到達でしたわね。

まあ、当時としてもオリコン記録という所までではなかったですけどね。初登場から35週目でのベストテン到達というのは。。。。
当時のオリコン記録としては、千昌夫氏の「北国の春」の初登場以来77週目でベストテン入りというのがありましたからねぇ。

ただ、あの頃は、佳山明夫氏の「氷雨」がリリースから5年かけてベストテン入り、同じく欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」が初めてのレコード化から4年でオリコン 首位とか、いろいろな形でロングヒット、時間をかけてのヒットっていう曲が相次いで出ていた時代だからさ。

この「夢芝居」なんかも、ロングヒット・・・ならぬ時間をかけてのヒットの1曲っていう認識が強いんだよね。

まあ、今となってはリリースから1年2か月かけてのベストテン入りといっても、そんなに時間を要しているようには感じないんだけども、リリース当時、中学1年だったのに、ベストテン入りしたころは、中学3年の目前だった、あの頃は、とてつもなく長い時間に感じたのもあるんだろうなぁ。





この綺麗なお姉さんが、今や全身黄色に塗りたくって「レモン」のかぶりもんしてるオッサンと同一人物とは到底思えないですよね。 

まあ、当時もこの綺麗なお女形と、「夢芝居」のシブい声の持ち主が同一人物とは、思えなかったけど。。。。


梅沢氏今のCMは、「レモンサワー」だけど、この「夢芝居」を聴くと、「たこハイ」が飲みたくなる私だったりします。
 いつかも書いたけど、1983〜84年当時は、チューハイブームやったやん。 田中裕子さんの「たこはい」のCMが流行ってた頃。

そんなこともあるのか、この曲と「たこはい」がリンクするるんだよなぁ、ワタシ。

当時、ワタシもたしなんでいたのよ、「たこはい」。 中2だったけど。。。。

37年前・・・・時効ということで。。。 

でも、あのころから酒なんか飲んでるから、30才くらいで痛風なんかになるのよ。。。。自業自得ですわ。。。。



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哀愁のワインディングロード / 横浜銀蝿

1983_12_哀愁のワインディングロード_横浜銀蠅


今回の1曲セレクトは、「哀愁のワインディングロード 」横浜銀蝿だぜい!

まずはデータ

・タイトル    哀愁のワインディングロード 
・アーティスト       T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・作詞      翔
・作曲      翔
・編曲      T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・リリース日   1983年12月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

今回引っ張ってきた曲は、「すでに書いたと思ってたけど、実際まだ書いてなかった曲」な曲だなぁ。

横浜銀蝿の「哀愁のワインディングロード」。

この曲、とっくの昔に書いた・・・ような気がしてたんだけどなぁ。

いつもの如く、次の1曲セレクト候補を探しつつ、昔のオリコンチャートと、自分のブログのアーカイブを見比べていたら、引っかかってきたんだよね、この曲。

うーむ、これは完全に慢心だったな。  

銀蝿としては8枚目のシングル。この曲をリリースする前には、解散を発表しており、 事実上のラストシングルだったわけなんだよね。

それもあって、「哀愁のワインディングロード」と書いて、「わかれのワインディングロード」と読ませる。

リリースは1983年12月5日。 そして、12月31日の新宿コマライブを持って解散。

果たして、ラストシングルも、それまで同様、3コードの単純明快なロックンロールで行くのかと思ってたけど、、実際は、イタリアンツイストをベースにした、G.S風なガレージっぽいナンバーだったんだよね。

デビュー時、3コードのロックンロールで、突っ走れるところまで突っ走る・・と明言していた銀蝿だけども、それまでのシングルから、少し変化球なナンバーに、当時は少し戸惑ったのを覚えてるな。

それでも、「哀愁の〜」のというタイトル通り、サビれた男の哀愁感がもろにじみ出ていて、それまでの銀蝿のシングルでも、個人的には印象に残る1曲ではあったんだよね。

少なくとも、もろコミックソングっぽかった、前曲の「お前にピタッ!」 とか、その前の「あせかきべそかきRocn'Roll run」の近田春夫氏曰く、道徳的な1曲 に比べると、カキワリが一切ないストレートな1曲だったしな。

ただ、最後の最後に来て、それまで貫いてきた単純明快なロックンロールから、少し変化球な曲調であったのは、やっぱり少し寂しかったことは寂しかった。

正直、それまで何があってもロックンロール1本で突っ走る・・と 文字通り「ツッパリ」通してきた意地はどうしちゃったの? なんて気分にもなったりしたなぁ。

まあ、考えるにロックンロール1本では限界が見えたから、潔く解散を決意したんだろうし、最後の最後に来て、少し変化球な曲調を持ってきたんだろうけど。

それでも、1980年のデビューから実質3年間で武道館満杯、オリコンアルバム1位獲得というデビュー時の公約は果たしたわけで、音楽界に足跡を残したことは間違いない。
ただ、オリコンシングル1位獲得という公約を果たせなかったのは、心残りなんだろうね。
最高は、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の3位。

それもあって、ラストシングルのこの曲には賭ける思いもあったようだけど、さすがにそこまでのアーティストパワーは残っていなかった。 シングルではデビュー以来最低の16位に沈む。


蛇足だけど、オリコンではシングル1位が取れなかったけど、「ミュージックラボ」では、82年の「あせかきべそかきRock'n Roll run」で1位をとっていたりする。
でも、「ミュージックラボ」の1位ぢゃ、満足しなかったんだろうなぁ、きっと。


デビューの1980年から、一貫してドカンに革ジャン、リーゼントという「ツッパリ」スタイルで通してきた銀蝿。 たしかに校内暴力が横行し、族、リーゼント、ツッパリが、ファッションとして一世風靡していた81〜82年頃は、このスタイルが時代の先端にあった。

だけど、時代の流れは速いわけでさ。 1983年くらいになると、このスタイルもアナクロになっちゃってましたからね。族、リーゼント、ツッパリ・・といういわいる、ブルーカラー的なファッションは、さらにエスカレートして「極悪」な世界に昇華してたし。
うん、84年の「少女に何が起こったか」あたりからの「大映ドラマ」見りゃ一目瞭然だよね。
まあ、あくまで「ドラマ・劇画」の世界ではあるけど、それでも84年くらいなると、それがイマイかったわけで。。。

だからこそ、時代の流れを見極める嗅覚がある彼らは、そんな時代の流れをいち早く察知したんだろうね。
この曲、最高16位と、デビュー以来シングル最低ランクだったけど、この順位だったら、まだまだ先もやれたはずだし、展開次第では巻き替えも図れただろうけど、潔く1983年を持って解散っていう運びになったんだろうけどね。






1983年12月31日、新宿コマ解散ライブでの「哀愁のワインディングロード 」。

まずもって、気が付くのは、女の子たちの黄色い声援。
当初、そのスタイルに共感していた、ツッパリ兄ちゃん、ツッパリ姉ちゃんたちの希望の星の存在だった銀蝿も、最後はアイドル的な存在だったことが、この映像からも分かったりする。

もしかすると、時代の流れ云々の前に、そんなファン層の変化にも限界を感じていたのかもしれないな。

まあ、1983年に一度は解散した横浜銀蝿だけども、90年代後半頃からはちょくちょく再結成もしてますけどね。昨年もデビュー40周年ということで、再結成してツアーもやってましたね。
キングレコードのお偉いさんに出世していたギターのJohnnyも参加してオリジナルメンバーがそろっての再結成になったし。


ちなみに、1983年12月31日(土)。 私は、福島・いわきの、母方のばあちゃんの家にいた。
少し前にじいちゃんが倒れて、ばあちゃんは病院に付きっきりになったため、うちの家族3人で留守番を頼まれてたんだ。
めっちゃ寒い夜でさあ、ストーブのないコタツだけの居間で、ブルブル震えながら、家族3人で紅白歌合戦見たのを、よく覚えてるわぁ。
結局、最初から最後までちゃんと紅白見たのって、あれが最後だったような気がする。次の年は高校受験前で紅白どころじゃなかったし、高校に入ったら紅白はもういいやと見なくなった・・・以来、ちゃんと見てないような気がする。

なんで、1983年12月31日は土曜日だったのか、覚えているかといえば、次の日1984年1月1日。
ワタシと父親は、一足早く自宅に帰ってきたんだけども、帰りの車のカーラジオで、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」を聴いた記憶があるから。あの頃は元日でも放送してたんだよね。

まあ、どうでもいい事ですけど。。。。。


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ハーフムーン・セレナーデ / 河合奈保子

1986_12_ハーフムーンセレナーデ_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「ハーフムーン・セレナーデ」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ハーフムーン・セレナーデ
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      吉元由美
・作曲      河合奈保子
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1986年11月26日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   8.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

時代と折り合う。ヒット曲がヒット曲として、大きなムーヴメントとなるかならないかというところでは、重要なファクターなのよ。
不思議なもので、年が変われば、ヒット曲の色合いって毎年変わってくるんだよね。 
以前、別のトピックスで、時代とヒット曲の傾向は、螺旋階段のようにぐるぐる回っているって書いたことがある。 たしかにそうなんだけども、傾向的には似ていても、全く同じ色合いになるってことは絶対にないといっていいのよ。。必ずどこかしら違ってくるし。
まあ、それがヒット曲の進化というものなんだろうけどね。

今回引っ張ってきた曲。 いい曲なんですよ。 名バラードといっても過言ではない。

ただ、時代と折り合っていたかといえば、必ずしもそうじゃなかったんじゃないか・・と思う曲を一つ。

河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」。

この曲は、1986年11月、27枚目のシングルとしてリリースされた曲ですね。

もともとは、アルバム「スカーレット」のラストを飾っていた曲だけど、ここからシングルカットという形で、アルバムリリースから1か月後にシングルリリースされている。

当時23歳になっていた奈保子さん。 アイドルから大人のアーティストへの脱皮を図る。 
そのためには、歌詞の内容が深く、スケールな大きなバラードである、この曲は最適だったんだろうね。

アイドルから大人のアーティストの脱皮を図る。 長い事第一線のアイドルを張ってきた方たちには、必ず通る、「通過事例」なわけだけど、あの時、果たして本当に大人への脱皮は必要だったのか?

最近は、30になっても40になってもアイドルにこだわる方も少なく無いんで、今となってはそう思ってしまったりするんだけども。。。
まあ、それは、それぞれのヒトたちの考え方もあるだろうし、事務所の戦略もあるんだろうから、一概には言えないですけどね。

ただ、1986年当時、初めてこの曲を聴いたとき、個人的には何とも言えない複雑な気分になったのは、正直なところですね。


いい曲だったんですよ。 それは、喜ばしい事だったんだけども、この曲を河合奈保子さんが歌うっていう所に複雑な感情があったんだよね。

やっぱり、あの時点では、個人的な頭の中の河合奈保子さんは、「スマイルフォーミー」の頃のナハハ笑いの奈保子さんっていうイメージが強かったからさあ。

まあ、そんな「頭」だったんで、この曲がシングルとしてリリースされた時は、やっぱりショックだったんだですよ。

たしかに、同じ奈保子さんではある。けど、80年代初頭のあの奈保子さんではなくなっちゃったな・・と思えるとともに、少し存在が遠くなってしまったようにも思えたりしてさ。

まあ、それで曲が大ヒットともなったなら、諦めもついたんだろうけども、必ずしもそうとも言えなかったんでねぇ。

オリコン的に見れば、 オリコン最高位6位、売上げ8.4万枚というのは、前年秋にリリースされた「ラヴェンダーリップス」以来の好成績となる。

あの当時、CDの台頭でシングルが売れなくなってきていたことを考えれば、数字以上の健闘だったかもしれないな。

ただ、この曲以降、先が続かなかった。 楽曲の良さと、イメージチェンジということでの一時的なカンフル剤にはなったけど、持続的なものにはならなったってことですね。

紅白はこの年1986年の出場が最後となり、 「ザ・ベストテン」のベストテン内ランクインもこの曲が最後となる。(オリコンでは、翌年7月の「十六夜物語」の最高10位が最後)


結局さ、そこが時代との折り合いなんだろうな。
80年代って「軽薄短小」な時代と言われている。  まあ、本来は電化製品が軽くて薄く、短くて小さいものに「進化」していくってことに使われるコトバなんだけどさ。
ただ、これとは別に「
薄っぺらくて中身が無い」という表現にも使われていたわけよ。

実際、80年代ってそういう時代だったんだよね。 今振り返えると、あんまり中身が無い文化も多かったな・・・とも思ったりもするのね。

そのピークが1986年前後だったんじゃないかなぁ・・と。

そもそもおニャン子勢にオリコンチャートを占拠され、アイドルの粗製乱造が本格化し、歌が上手い、「ホンモノ」のアーティストよりも、シロートの方が受けた1986年。
あの年からして、「軽薄短小」にぴったりな年だったわけじゃん。

そこに来て、この「ハーフムーン・セレナーデ 」は、スケールの大きな本格的なバラードだったわけだから。 どうしても時代のカラーとは違うなぁ・・と思えたんだよね。

これが1年早かったり、逆に1年遅かったら、少し感じ方が違っていたかもしれない。
1年前1985年の秋から冬にかけては、小林明子の「恋におちて」の大ヒットでピアノの弾き語りというのも注目されていたし。 逆に1年後の1987年の秋から冬にかけて、中森明菜の「難破船」という名バラードの大ヒットもあり、スケールの大きなバラードに注目が集まってきていたところもある。

87年8月に、おニャン子の解散ということもあり、87年秋ごろになると、86年当時の「軽薄短小」なバカ騒ぎも大分沈静化して、徐々に「聴かせる」ような本格的エンターティメントな曲が受け始めて来てましたからね。

ピアノの弾き語りでのスケールの大きなバラード。

いずれも、この「ハーフムーン・セレナーデ」が持っていた要素ですわ。 そこから見ると、、タイミング的には、一番リリースしてはいけない時期に、この曲はリリースされてしまったんじゃないかと思えて仕方ないんだよね。




↑で、いろいろ書いちゃったけど、、今、改めて曲を聴いてて、どうして、この曲の後、ヒットが続かなかったのか・・・。
結局さ、この曲でイメージチェンジを図ったあとの明確な方向性が定まり切れてなかったんじゃないか・・なんて思えたり。。。

基本的には、自作自演のアーティスト方向に舵を切ったんだろうけど、この後、ヒットを続けて行くだけのキャパが、まだまだ足りてなかったのかもな。

個人的には、自分で曲を作りながらも、他のアーティストからの楽曲提供を受けながら、もっといろいろなことを吸収していった方が良かったんじゃないかと思ったりもするんだよね。

もっとも、この後ヒットチャート的なヒットは、もうご自身では望んでいなかったのかもしれないですが。。。


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ラムのラブソング / 松谷祐子

1981_11_ラムのラブソング_松谷祐子



今回の1曲セレクトは、松谷祐子「ラムのラブソング」です。

まずはデータでーしゅ。

・タイトル    ラムのラブソング
・アーティスト  松谷祐子
・作詞      伊藤アキラ
・作曲      小林泉美
・編曲      小林泉美
・リリース日   1981年10月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 50位
・売上げ枚数   8.8万枚
・タイアップ: フジテレビ系アニメ「うる星やつら」テーマ曲

昨今のアニメソンの勢いは凄まじいものがありますわな。 もう、アニソンが無いとヒットチャートが成り立たないほどの勢いなわけで。。。(←忖度)

個人的には、アニメの曲とか意識して聴くのって好きじゃなくて、アニメの曲であろうが一般のヒット曲であろうが「音楽」で聴いているんで、昔っから現在に至るまで、どうもアニメ系と限定されるとめっちゃ弱いんだよね。

・・・それもあって、この1曲セレクトでは、アニメ系の曲として意識して書いたのは、あんまりないと思う。 
もっとも、アニメの曲ということは抜きにして、一般的なヒット曲となった曲はこれまでも書いてきたけどさ。


ところで、テレビアニメの主題歌って、その昔、オリコンでは一般のヒット曲とは別集計だったのって覚えてますかねぇ。
古いチャートファンの方だったら、昔、オリコンウイークリーのチャート誌面に「TVまんが&童謡ランキング」というのがあって、テレビアニメの主題歌は、一般のヒット曲とは別にそちらに集計されていたのを覚えているんじゃないのかな?

だから、キャンディ・キャンディの主題歌も、ドラえもんの主題歌も 通常のヒットチャート上には登場してこない。
一説によると、「キャンディ・キャンディ」の主題歌のレコードは100万枚上の売り上げがあり、もし、当時、一般のヒットチャートの対象になっていれば週間ランキングでさえ、ベストテン入りは確実だったっていう噂もあるんだよね。でも、実際のところオリコン上では公式記録として登場してこないのよ。



昨日、音楽・ヒットチャート面での古くからの友達と「ZOOM」ミーティング形式でおしゃべりしてて、その話題になったんだよね。

そんじゃ、いつからテレビアニメの主題歌が、一般のヒットチャートに登場してくるようになったんだっけね・・・という話で出てきたのが、 今回引っ張ってきた曲。

松谷祐子さんの「ラムのラブソング 」




この曲は、言うまでもなく、1981年からフジテレビ系で放送開始されたアニメ「うる星やつら」の初代テーマ曲ですわな。

まあ、アニメファンの方たちだったら、何をいまさら・・だと思うけど。。。。


恐らく、オリコンのシングルチャートで、テレビアニメの主題歌でチャートインしてきた曲ってこの曲が最初だったんじゃないかなぁ・・ということになったんだよね。


・・・と書くと、恐らくオリコンチャートに煩い方だったら、ちょっと待ったぁ・・だよね。

うむ、「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が1977年にオリコンチャートにランクインしているだろうがぁ・・・とお叱りをいただくだろうなぁ。

ただ、1977年の「宇宙戦艦ヤマト」の場合は、「テレビアニメ」というよりは、大ヒットした「劇場版」の「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌としてランクインしたキライが高いんで、対象からは除外して考えたんだよね。

そそそ、あの頃はアニメでも「劇場版」の主題歌はオリコンチャート対象になっていたことが多かったからさ。
これは「銀河鉄道999」を例にするとわかりやすいよね。 ささきいさおさんが歌ったテレビアニメ版の「銀河鉄道999」は、オリコンチャート対象外だったのに対して、ゴダイゴが歌った「劇場版」の「銀河鉄道999」の主題歌はオリコンチャート対象として、オリコン2位まで行ってたりするわけでさ。

ややこしいのは、「宇宙戦艦ヤマト」の場合、オリコンチャート上のリリース年月日は、1974年11月10日。 テレビアニメがスタートした時にリリースしたモノになってたりする。
つまりは、1977年にオリコンチャートにランクインしてきたものとレコード品番が同じだったってことなんだよね。
・・ということは、厳密に言えばこれがテレビアニメの主題歌として最初にオリコンチャートに登場してきた曲と言えなくもない訳で・・・。その辺の判断が難しいんだよなぁ・・・。



それじゃ、なんで、70年代当時テレビアニメの主題歌はオリコンチャート対象外だったのか・・・これがハッキリとしないのよ。

一説によると、当時アニメの主題歌は一般のレコードとは別にソノシートでの配布があった。ただ、
ソノシートは図書扱いだったため、売り上げ集計ができなかったから・・・とか。

ソノシートっていうのは、紙みたいなペラペラの塩化ビニールでできたレコード盤で、ペラペラなので割れにくいということで雑誌の付録なんかによくついてきてたんだよね。それは、レコードというよりも図書として扱われていたのよ。

あとは、当時アニメ系のレコードを主にリリースしていたコロムビアさんやビクターさんの思惑とか。。。定かではないけど、あの当時、コロムビア学芸部、 ビクター学芸部所属、制作のレコードは、オリコン対象外だった。。。 なんて、昔聞いたような気もする。 

その他アニソンは、一般のヒット曲よりも下に見られていたから・・とか。。。。

まあ、いろいろ言われてたりするんだけども、今となっては真相は藪の中・・・という感じなんでしょうかねぇ。

いずれにしても、あの頃、アニメ主題歌がオリコンチャートの対象外だったのか、対象だったのかはというのは、恐らくは、当時の各レコード会社の思惑、アニメ制作会社の思惑が複雑に絡んだ上、さらに当時のオリコンのランキング集計規定も絡んでくるんだろうけどね。
なので、一概の線引きはできないのかもなぁ。。。

そんじゃ、この「ラムのラブソング」は? 

・・というと、まずもってリリースされたのがキャニオンからというのと、キティ・フィルムという、井上陽水氏や小椋佳氏などの「アーティスト」を育てて来ていた多賀英典氏がボスの会社制作というのが大きかったんだろうね。 だから、「テレビアニメの主題歌」という古くからのしがらみに縛られず、一般の楽曲という認識で、オリコンチャートに登場してきたと言えるんじゃないのかなぁ。。







まあ、堅いことをなんだかんだ言うても、この曲のリリースが、アニソンの一般認知の広がり、それと共に一般ヒットヒットチャート対象への布石になったことは間違いないんじゃないかのかなぁ。

少なくとも、オリコン最高50位で、この当時、売り上げが8.8万枚にも達した曲は、そうそうないですよ。

この後、1983年 同じキティフィルム制作で、アニメ「みゆき」の主題歌としてH2Oの「想い出がいっぱい」がベストテンヒット。 同じく1983年 アニメ「CAT'S EYE」主題歌、杏里「CAT'S EYE」が、テレビアニメ主題歌としては初のオリコン1位獲得と、急激にアニソンの認知が広がっていくことになるわけで・・・。

いずれの曲も、ぼかあアニソンというよりは、一般的なヒット曲という目で見てますけど。。。


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悲しい夜を止めて / 河合その子

1986_11_悲しい夜を止めて_河合その子



今回の1曲セレクトは、「悲しい夜を止めて」河合その子です。

まずはデータです。

・タイトル    悲しい夜を止めて
・アーティスト  河合その子
・作詞      秋元康
・作曲      後藤次利
・編曲      後藤次利
・リリース日   1986年10月22日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   12.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年11月10日〜11月17日付

少し前から「昭和歌謡」と言うカテゴライズで、「昭和時代」にヒットした曲が、巷で流行っていたりする。
ちょっと気取って言えば「ジャパニーズ・オールディーズ」ですかね。。 手っ取り早く言えば「過去曲」なんだけど。。。

なんで、みんな過去曲をそんなに重宝するのか・・・。 個人的にはちょっと疑問に思ってたりもしたりして。。。

・・・なんて書くと、過去曲のレビューしている野郎が何をぬかしやがる・・・と思われてしまうだろうけどさ。

でも、今の曲も聴こうよ、みんな 〜(というか同世代の方々)とは、マジメに思うなぁ。



まあ、ちゃんとしたアンケートをとったわけではないけど、今、過去曲にすがる理由としては

 〆の曲に自分にあった曲がない。 ピンと来る曲がない。

っていうのが一番大きいのかなぁ・・。 それとか

◆〆の曲を知らない

とかね。 うん、昔はテレビでの歌番組が多かったからさ、テレビをつけてりゃ自然と歌が耳に飛び込んできた。街に出れば、街頭のスピーカーからもヒット曲を中心とした音楽が流れて来ていたし。
いうなれば、音楽を「受動的に浴びてた」っていうかさあ。だから意識しなくても自然と覚えられたし、体に染みついたんだよね。
でも、今は、街に音楽が流れなくなっているし、テレビの歌番組も少ない。

今の曲にもいい曲はあるのよ。刺さる曲もたくさんあるのよ。
ただ、You tubeにしてもサブスクにしても、「能動的」にこちらから探しに行かなれば、今のヒット曲にもたどり着けない。。それでなくても新しい曲を受け入れて消化するにはいうのはエネルギーが要りますからねぇ。
結局、昔聴いてた頃の曲にすがってしまう。 そっちの方が楽だし、楽しいし。。。

そんな方も多いんだろうね。

あ、これは、あくまで私を含めた同世代に方々についてであって、今の若いコが聴いてる昭和歌謡感とは全く別物だと思う。
今の若いコは、少なくとも「いつのヒット」と言う先入観、区別とかなしに、今の曲と分け隔てなく「新曲」として昭和歌謡を聴いてるからさあ。
我々の世代が感じている昭和歌謡感とは、全く別物なんだよね。


・・・なんて、敢えて、最近の昭和歌謡について持ってきたのは、そんなこと書いてるワタシ自身、「今の曲」に物足りなさを感じると、過去曲に逃げるクセは昔からあったんでねぇ。
結局、最近の昭和歌謡ブームに疑問を持っていても、人のことは言えないんだよな。

今回引っ張ってきた曲は、そんな「今の曲」に物足りなさを感じて、過去曲に逃げていた頃のヒット曲ですわ。


河合その子「悲しい夜を止めて」。

この曲がリリースされたのは1986年10月。  

だからさ、この場合の「今の曲」っていうのは、1986年10月頃のヒット曲で、当時から見て過去曲に逃げてたってことですね。

正確に言えば、個人的には、この年の3月頃までは、きちんとヒット曲を追いかけていたんだよね。
おニャン子関係のリリースも、まだエスカレートする、ほんの少し前まで。

でも、4月以降、毎週、週替わりでおニャン子関係の曲がリリースされ、チャートが席巻されてからは、ほとんど惰性で追いかけてたな。

でも、それは、ワタシだけでなく、そういう方、多いんじゃないかなぁ。
 
オリコン1位の曲がヒット曲ではなくなる日。

そんな言われ方をし始めたのも、この頃だったと思う。

一部のファンの間では、熱狂的に受け入れられる曲でも、ファン以外の第三者のヒトはほとんど知らない。

あの頃はテレビでも、まだ歌番組はある程度あった。でも、そういう状況になってきたのは、結局、あの頃「ヒットチャート系に自分にあった曲がない」ということが多かったからなんだよね。
だから聴かない。 それどころか歌番組も見ない。

ジャンルの多様化ということもあった。 主流はアイドルだったけど、水面下ではインディーズと言う形で、いわいるラウド系のJ-ROCKが形成され始めて来たのもこの頃だし、ニューウェーブ系が元気になってきたのもこの頃ですわ。

ヒットチャート系の曲に頼らなくても、自分の好きなジャンルの曲を聴けばいいじゃん。そういうジャンルの多様化が加速したのもこの頃なんだよね。

そういう意味では過去の曲に逃げてるというのではなく、多様なジャンルに分散した。でも、時間軸のベクトルとしては、みんな未来に向かっていたというのが正しいかもしれないな。
いま、多くの方が昭和という「過去」の音楽に意識が向かっているのとは、その点が違うんだよね。

ただ、ワタシは、あの時点でも、意識は過去に向かっててさ。
前回のテンプターズ「おかあさん」をCDで聴いて、改めてG.Sづいたのもこの頃だったな。
G.Sを起点として60年代終盤から70年代の曲を掘り初め、中古レコード屋に足しげく通うようになったのもこの頃ですね。

逆にテレビの歌番組も見なくなってたし、ラジオのヒッとチャート系番組もあんまり聴かなくなっていた。
ちょうど、この頃、個人的にドラムに嵌っててさ。 中学生の頃、土日というと、ラジオのヒットチャート番組にかじりついてたけど、この頃、休みの日は、専らドラムばっか叩いていて、ヒットチャート系番組も聴かなくなっていたんだよね。

唯一毎週見ていたのは「ザ・ベストテン」くらいだったな。
でも、その「ベストテン」も、ランクを記録する方がメインになってきていて、肝心の曲はちゃんと聴いてなかったし。 オリコンとか明星の歌本とか見ながらの、いわいる「ながら」で見てたんで、画面ほとんど見てなかたんですわ。

だから、今、この当時のベストテンのVTRをみても、ほとんど見た記憶がないんだよな。
手元には、当時、ベストテンからメモったランキングのノートは残っているんで、確実に見てたはずなんだけども。。。。

そのベストテンも、このころ、いわいる「毛が三本」グループとTBSが喧嘩してて、おニャン子関連はベストテンには出なくなってたしさあ。

だから、今回引っ張ってきた、河合その子さんの「悲しい夜を止めて」も、当時キチンと聴いたことが
なかったのよ。

そんなわけで、この曲、オリコン1位獲得曲でありながら、1曲セレクトでも、ずっと保留してたんだよね。

でも、今はYou tubeという便利なサイトがあるからねぇ。 今回改めて引っ張ってきたわけですわ。


実際フルでこの曲を聴くと、確かに「おフランス」を感じさせる曲調ではあり、その点からすると2曲前の「青いスタスィオン」からとは同路線ではあるし、当時のその子さんの見た目のイメージにはあっていたと思う。

けど、如何せんこの曲のメロディラインは難しすぎる。「青いスタスィオン」の方がメロディラインは、まだシンプルだった。

この曲はメロディラインが取りづらい。 まあ、確かにサビの部分で転調するという所もメロディラインをとりづらくしているところもあるな。

けど、それを外しても、分かりずらいメロディラインだよなぁ。

河合その子さん。この曲の時点では、すでにおニャン子を卒業して、一人のソロアーティストにはなっていた。 恐らくCBSソニーとしても、一人のボーカリストとして期待してたんだろうな。

・・というのは、この曲を聴く限りは感じるな。

でも、この曲は当時の河合その子さんの「力量」では、ちょいと荷が重すぎたんじゃないか。
You Tubeを見ても、全然歌いきれてないし。





もっとも、この動画は「夜ヒット」のようだし。 「夜ヒット」はリリースして間もなく出演するのが普通だったから、きっとリリース間際で、まだ歌いこなしていなかったのかもしれない。

でも、そんな部分を差し置いても、果たして出し手側は、この曲くらいなら歌いこなせると思ってリリースしてたんだろうか。

もし、そうであれば、当時の彼女のボーカリストしての実力をちょっと買いかぶりし過ぎじゃなかったのか・・・。 
少なくとも、もう少しちゃんと歌いこんでからテレビには出演するべきじゃなかったのかなあ。

いま、この曲を聴くと、そんな印象を受けるなぁ。

まあ、2021年と言う今の時代だからそう思えるんだろうな。

あの頃は、「時代の流れは速い。歌いこんで・・・なんて待ってられない。 それよりも一刻も早くテレビに露出することが先決」 っていう時代だったからさ。

そういう所から見ると、80年代ってある意味乱暴な時代でもあったんだよね、今思うと。




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This Is a Boogie / 桜田淳子

1981_09_This Is a Boogie_桜田淳子



今回の1曲セレクトは、「This Is a Boogie」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル    This Is a Boogie
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      実川俊
・作曲      小田裕一郎
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 ランクインせず

テレビとヒット曲っていうのは、切っても切り離せない関係にあると思うんだよね。
人気のテレビの歌番組に出演すれば、ヒットは約束されたものと言っても過言ではないし。
いや逆か。。。。ヒット間違いなし、あるいはヒットチャートで上位に上昇してきているからテレビに出てるのか。。。。

まあ、昔は、ベストテン方式のうち番組も多かったですが、基本はプロデューサーが出演アーティストを選択する、キャスティング方式が基本だったわけで、その中からヒットが生まれるということもあったわけですわ。

でも、そんな感じで、テレビの歌番組に出演したから・・ということで、少なくともオリコン左ページ入りが高確率で約束されたのって、それほど遠い昔からと言うわけでもないようにも思えるんだよね。

昔は、歌番組にしょっちゅう出てたよね、っていう曲でも、全くヒットしなかった曲も、意外とあったわけでさ。

今回の1曲セレクトは、そんな、「しょっちゅうテレビで聴いたよな」だけど、全くヒットしなかった曲を一つ。


桜田淳子さんの「This Is a Boogie」。

この曲、覚えている方、どのくらいいるかなぁ。 

1981年9月にリリースされた、淳子さんとしては36枚目のシングル。

桜田淳子さんと言えば、スター誕生出身、中3トリオとしてスター街道をまっしぐらだった、70年代のトップアイドルですわ。

なので、よもや、オリコンの100位にも入らなった曲なんか無いだろう・・・と思いきや、この曲、オリコン100位内に入らなかったんですねぇ。

正確に言えば、 この曲以降、ベスト100に入らなくなった・・・と言った方がいいのかな。
(もっとも、2曲前の「玉ねぎむいたら」もベスト100入りしなかったけど)

さしもの淳子さんも、時代が70年代から80年代に変わり、息切れだったんだろうね。

でも、そんな風に思えるのは、後年、オリコンチャートブックなる本を購入して、淳子さんの売り上げ推移を見たからなんだよなぁ。

うん、この曲がリリースされた1981年秋から冬にかけて、この曲、テレビでやたらと聴いたんだよね。
あの頃は、秋になると各局で音楽祭が開かれてたけど、各局の音楽祭では、必ずこの曲が歌われてた記憶があるなぁ。 そもそも、この年1981年の第32回紅白歌合戦でも、この曲が歌われていたし。

ま、そういう大きな歌番組以外でも、よく聴いたのよ。

だから、個人的には、そこそこヒットしていたものと思っていたんだよね。

個人的に、この頃オリコンの存在を知ったんだけども、まだオリコンチャート自体は購入してなかったんで、後年、オリコンチャートを買うようになってから、この曲がベスト100にも入ってなかったことを知るんだけども、あの当時の歌番組への出演頻度を考えると、まさか・・・だったんだよねぇ。

逆に言えば、「出し手側」としたら、それだけ期待して、大々的にプロモーションをかけていたんだろうね。
ってことは今だったら、よくわかるな。

それだけ期待していたのにもかかわらず、大衆的には、刺さらなかった・・・ということなんだろうなぁ。

でも、考えてみれば、テレビではよく聴いたけど、ヒットしなかった曲って、この頃は、他にもあったよなぁ。 例えば、由紀さおりさんの「両国橋」とかさあ。。。

そのほか、個人的によく覚えているのは、もう少し後だけど、以前1曲セレクトでも書いた、佐東由梨さんの「どうして!?」ですね。

そもそも、紅白で歌えば、オリコンでの上昇は、ほぼ約束されたようなもん・・・。

・・・と思えたりするんだけども、それは、あくまでも80年代後半以降のことでさ、最初に書いたように、この1981年頃は、たとえ、紅白で大々的に露出されたとしても、レコード売り上げが動かなかった曲も、まだまだあったわけなんですよ。

あれだけ、大体的に露出していながら、(少なくとも)オリコンTOP100にも入らなかったのか、理由は、よくわかんないんだけどさあ。

この「This Is a Boogie」にしても、曲自体は、悪くなかったと思う。
淳子さんにしては、珍しい、4ビートのスウィングジャズ風。ビッグバンドがよく合うような。 ・・・・というか、シングルでは、この手の「50'S」以前のオールドジャズ的な曲は初めてだったかもしれないな。

作曲は、小田裕一郎氏。 アレンジは、大村雅朗氏という、もろ、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」の布陣だけど、作曲の小田裕一郎氏がこの手のスウィング・ジャズっぽい曲を書くのも珍しいような感じがしましたね。

そもそも「青い珊瑚礁」とはえらい曲調が違うし・・・・。

あ、でも、後年だけど、トシちやんの「エル・オー・ヴイ・愛・N・G」にしてもノリはジャズっぽ方ったもんなぁ。この手も得意だったのかもしれない。

でも、ここまでスウィングした曲調になったのは、アレンジャーの大村雅朗氏の影響が大きかったんだろうな。

大村さんも、もともとブラスでサックスをやられた方なので、この手のスウィングした、ビッグバンド風のアレンジも得意だったろうし。。。

いや、もしかすると、小田氏と大村氏のコンビで「青い珊瑚礁」の成功があったんで、きっと、この曲もヒットするだろう・・ってことで、あの当時、大々的にプロモーションを打ったのかなぁ。。。

淳子さんも、松田聖子さんも、同じサンミュージックだったし。。。。

まあ、あくまでもうがった見方での想像ですが。。。。


当時12歳だったワタシも、まだ、この手のスウィング・ジャズに触れたことなかったこともあったんで、最初は変な曲なんて思ってたんだけどさ。

兎も角、テレビでやたらと流れていたんで、自然と消化されてはいたんだよね。

その後、個人的にブラスをやったりして、スウィングの曲もやったりしたわけで、そういうフィルターを通してみると、この曲がよく面白く感じたりしてね。 だからさ、この曲をきちんと理解できたのは、後年ですけどね。





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メロディ / サザンオールスターズ

1985_09_メロディ_サザンオールスターズ


今回の1曲セレクトは、「メロディ」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル    メロディ
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳佑
・作曲      桑田佳佑
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1985年8月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   26.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月9日〜10月28日付

台風が接近して蒸し暑さが戻ってきた昨日だったけど、台風が去ってから北風になり一転して涼しい朝を迎えましたわ。ただ天気は依然として「どん曇り」。
いずれにしても、風が北風に変わると秋の気配を感じられてきますわな。
真っ青な秋空というのもいい。 けど、個人的にはむしろ今日のような北風が吹く曇天模様の日のほうが秋を感じたりしてね。

昨日も太田裕美さんの「九月の雨」がラジオから流れてきたけど、この曲のように9月、10月と言うと秋の長雨のシーズンでもあり、今日のような曇天模様の日も意外と多いわけで、こういう日の方が秋を感じるのかもしれないなぁ。

・・・ということで、この曲を聴くと、今頃の曇天模様を思い出す曲を一つ。

サザンオールスターズ「メロディ」。

この曲も「すでに書いててもおかしくないのにまだ書いてなかった曲」なんだろうなぁ。
ただ、サザンは、これまで動画落ちてなかったんで、なかなか書きにくかったんだよね。
ここに来て、ようやくyoutubeでも見れるようになったんで、今回改めて引っ張ってきたんだけどさ。

ところで、なんで、この曲を聴くと曇天模様なのよ・・・なんて、言われちゃうかもしれないけど、ま、あくまで個人的に感じるというわけで。。。

この曲がリリースされたのは1985年8月の終わり。 以前からここでも書いてきているように、この年の夏は天候不順の日が多かったんだよね。
この年の夏の記憶と言ったら、雨の中に出かけた記憶しかない。 その傾向は秋も続いたように思えるなぁ。

今思うと、80年代って、昨今のように「猛暑」だった年って、数えるほどしかないんだよね。どちらかと言えば、冷夏、かつ天候不順の年の方が多かったように感じる。 だからなのか、秋と言えば、曇天模様という記憶が多いんだよなぁ。

この曲と言って、最も記憶に残っているのは、通っていた高校の姉妹校の野球部が秋の関東大会の決勝まで勝ち残って、我ら吹奏楽部が野球応援に借りだされ、甲府まで応援に行ったことだなぁ。

あの日も雨だった。そのため試合は次の日に順延。たしか中央道の談合坂まで行ったところで引き返し、そのまま学校の寮に宿泊した記憶がフラッシュバックするんだよな。

順延になった次の日も、今にも降りそうな雲が低く垂れこめ、薄暗い日だったことを記憶してるわぁ。

あの頃、一番聴いていたのは、リリースしたてだったサザンのアルバム「kamakura」。あの時の野球応援の時も、甲府までのバスの中で暇つぶしに聴いてようと持参したウォークマンは、買ったばかりの「kamakura」から録音したカセットだったと思う。

だからなんだろうね。この曲を聴くとあの時の光景が色濃くフラッシュバックしてくるのは。

野球応援、雨、学校の寮への宿泊、 順延後の曇り空の下での応援、試合後に支給された焼肉弁当の味。

あの時の一連のいろんな光景がフラッシュバックしてくる。

そんな曇天模様の一連の光景がフラッシュバックしてくるからなのか、どうも、この曲のイメージは「灰色」なんだよなぁ、ワタシの中では。

それと、明石家さんまが出演し、この曲が流れていた「kamakura」の販促用のCMがモノクロだったイメージもあるのかもしれない

↓ コレ




でも、実際のレコードジャケットは、↑のような深紅だったじゃん。 なんかその相反するようなコントラストが、また印象的だったりしてね。


それと、同じく↑で書いたように、個人的にはアルバム「kamakura」でこの曲を聴いていたように、シングルというよりは、「kamakura」のなかの準リード曲っていうイメージが強い。

これは、ワタシだけでなく、多くの方も感じていたのかなぁ。オリコンでは最高2位まで行ったものの、売り上げ枚数は26.6万枚にとどまっている。

「kamuraka」の制作を明らかにし、先行シングルとしてリリースされた前作「Bye Bye My Love」の38.6万枚に比べても、明らかに低めの売り上げ枚数だったしね。

逆に言えば、この曲がオリコン2位まで行ったというのは幸運だったのかもしれない。
1985年9月2日付のオリコンで、5位初登場から、翌週9日付で2位に上昇にしたんだけども、その時の週間売り上げは3万3千枚。

レコード売り上げが全体的に下がっていた1985年といっても、この週間売り上げでの2位と言うのは、それほど極端に高レベルと言うわけではない。

むしろ、初動の週間売り上げ4万枚強だったのに4位止まりだった「Bye Bye My Love」のほうが不運だったといった方がいいのかもしれない。

それだけシングルでというよりは、アルバム「kamakura」でこの曲を聴いてた方が多かったってことなんだろうな。 ワタシもその一人なんだけども。

ちなみにアルバム「kamakura」の売り上げは、1985年当時、LP 60.9万枚 カセット32.0万本と、この2アイテムだけでも90万枚以上の売り上げを記録。

まあ、いずれにしても、バラード調のこの曲は、確かにキャッチーではあるものの、単独で聴いてると、意外と単調、かつ、かっちりと固まったメロディラインということもあるのか、何度も聴いてると飽きが来たりするしさ。
いかにもシングル向きという尖がったイメージ、曲全体のインパクトもやや弱いしさ。
そういう意味では、シングルというよりもアルバムの中の1曲というほうがいいのかもしれない。

ただ、アルバムの中でも、今一つ収まりが悪い曲っていうのが、大抵のアルバムではあるじゃない!?
コンセプトアルバムだったら、なおさらに。

アルバムには今一つ収まりが悪いけど、曲をシングルに切れるかと言うと、そこまでは尖がって居ないという曲。
この「メロディ」って曲は、そういう位置づけの曲だと思うんだよなぁ。

幸運だったのは、「kamakura」がサザン初の2枚組のアルバムだったってことだよね。
片方のレコード(CD)には、先行シングルでリリースした「Bye Bye My Love」が収録されているわけで、もう片方のレコード(CD)のシングルは・・・となった時に、シングルとしては尖がって居ないまでも、アルバムの1曲としては、収まりの悪いこのメロディをシングルに切った。

つまりさ、もし、仮に「kamakura」が2枚組ではなく、通常の1枚のアルバムだったら、シングルにはなっていなかったんじゃないか。

まあ、あくまでも個人的な見方だけどさ、そう思えたりもするんだよね、この曲については。


なんて、言いたい放題書いちゃったけど、「kamakura」の楽曲クオリティが全曲通して高いだけに、そう思えたりもしたんだろうな。
これが一般的なアルバムだったならば、この曲がシングルでも全然不思議ではないんだけどね。





ところで、この「メロディ」、レコードではコーラスに原坊は参加していない。
この曲がレコーディングされたころ、ちょうど「ご懐妊」されていたんだけども、妊娠中毒症にかかってしまい、赤ちゃんが危ないかもしれないということで、「kamakura」のレコーディングは途中から外れたんだよね。

ただ、キーボードパートは押しなべて録音済みであったことが幸いだったし、原坊のソロ曲「鎌倉物語」は、自宅マンションにレコーディング車を横付けしてもらい、自宅のベッドから歌ったものだったんだよね。

なので、この「メロディ」でベストテンなどに出演した時も、当時の雑誌の取材の時も「原坊」は参加していない。

代わりにこの曲のバックコーラスに入ったのは、当時、サザンと同じアミューズ所属だった、ジューシィ・フルーツのイリア。

・・・なんて、いかにも当時から知ってました・・・普通に書きましたが、実は最近知りました(爆)

それを踏まえて、改めてレコード音源を聴くと、なるほど、たしかに「イリア」だ。。。って納得。

ただ、当時、原坊がベストテンなどへ出演、雑誌取材にも参加してなかったこと。それに加えて「kamakura」リリース後のサザン活動休止宣言から尾ひれがついて、桑田、原坊不仲説、あるいはサザン解散説・なんて雑誌に掲載されたりもしましたね。

事実は、全く違うんだろうけど、でも、結果的に、この「メロディ」と、アルバム「kamakura」リリースから、サザンは3年近くの活動休止状態に入るわけで。。。。



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太陽がいっぱい / 光GENJI

1989_08_太陽がいっぱい_光GENJI


今回の1曲セレクトは、「太陽がいっぱい」光GENJIです。

まずはデータだよん。

・タイトル     太陽がいっぱい
・アーティスト   光GENJI
・作詞       大江千里
・作曲       大江千里
・編曲       中村哲
・リリース日    1989年7月20日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    69.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1989年7月31日〜10月9日付

ここ2回ばかり、すでに1曲セレクトに書いていておかしくないのに、まだ書いてなかった曲・・ということで、曲をひっぱってきているけど、そういういみでは、今回ひっぱってきた曲もそういう曲になるのかなぁ。

光GENJI   「 太陽がいっぱい」

バブル絶頂期の1989年夏。計5週にわたりオリコンシングルチャート1位を獲得し、89年の年間チャートでも4位に輝いたこの曲を、よもや、まだ書いてなかったとは。。。。

・・・・なんてね。

でも、この曲は書いてなかった・・んぢゃなくて、書けなかったのね、今まで。

この曲、たしかに当時よく聴いた・・・いやいや、厳密に言えば、「テレビサイズ」ではよく聴いた記憶がある。 

ウラの「とんねるずのみなさんのおかげです」の急成長で、視聴率がだだ下がり、この曲の時点では、「打ち切り」が決まっていた「ザ・ベストテン」。

当時「とんねるず」が嫌いだった私は、それでも「ベストテン」は見続けていたからさ。
視聴率が下がろうが、光GENJIは毎週ベストテンには出てたから、毎週のようにこの曲は耳にしていたわけだ。 だから・と言うわけでもないけど、テレビバージョンでは耳に染みついているんだけどさ。

ただ、シングルバージョンとしてのフル尺でのこの曲の印象がまるでない。

どうなんだろうなぁ・・・。 たしかに80年代初め、あれだけあったラジオのベストテン番組も、80年代も終わりが近づいたこの頃は大分淘汰されて来て、大分少なくなってきていたこともある。

それ以前に、浪人2年目の「夏」を迎え再度、尻に火が付き始めてたワタシは、ヒット曲どこではなくなっていたこともある。 

そんないくつかの理由が重なって、ラジオのベストテン番組は、このころあんまり聴いてなかったんだよな。だから、この曲、フル尺での記憶がほとんどないんだ。

だから、今まで書けなかった・・と言うのはあるな。

ただ、もっと大きな理由としては、 この曲、未だによくわかんないんですよ。 いいのか悪いのか。
確かに、この曲を聴くと1989年夏の記憶がフラッシュバックするんだけども、それだけなんだよね。 
あの時をイメージは出来るんだけども、曲としての印象が、今一つ薄い。

今考えると、光GENJIの曲ってそんな曲が多いような気がする。 曲を聴くと、当時の記憶がフラッシュバックはするんだけども、曲内容についての細かい印象は今一つ薄いんだよね。

まあ、この曲がヒットのピークを迎えていた頃、20才となったワタシは、もうジャニーズっていう年ぢゃねーだろ・・・と意識的に離れようとしていたところはある。
だから、曲自体、突っ込んでは聴いてなかったところはある。表面的にしか聴いてなかったんで、今となっては印象に薄くなっているところはあるな。 これが当時、小学生とか中学生だったら、もっと印象は違うんだろうけどね。


それとは、丁度この曲がヒットしていた頃、当時フジテレビの、月曜深夜に放送していた「マーケティング天国」っていう番組を見始めたんだよね。
この番組、CDセールス、映画興行ランキング、テレビ視聴率、本売上げ、など、いろいろなエンターテイメントのランキングの紹介と、マーケティング的な分析を行う番組。

この頃、オリコンウイークリーでも、毎週のランキングのチャートアクションについてマーケティング的な分析を行ったページがあったんだよね。

当時、音楽だけでなく、いろいろなエンターテイメントのマーケティングについて興味があったワタシは、「マーケティング天国」は毎週VTRに録画して食い入るように見てたなぁ。

今回引っ張ってきた「太陽がいっぱい」は、↑で書いたようにオリコンでは5週1位を獲得。
これは、光GENJIとしては、「ガラスの十代」「パラダイス銀河」に並ぶ1位獲得週数となる。
(もっとも「ガラスの十代」は1週年末年始の合算ランクとなるが)

あの当時、「勢い」いうことでは、どの曲も1位を獲得していた光GENJIは飛ぶ鳥も落とす勢い・・・のように映るけど、実際のところ「パラダイス銀河」以降は、やや勢いは落ちて来ていたんだよね。
前作の「地球をさがして」では、累積50万を割ってきていたし。

そこに来て、この「太陽はいっぱい」で、ふたたびの5週1位獲得と、累積枚数70万枚近くの持ち直し。

初めは、やっぱり素直なメロディラインなのが良かったのかなぁ・・・とか思ってたんだけどけどさ。
「マーケティング天国」を見るようになって、このカラクリが分かっちゃったのよ。

当時からマーケティング的なところが興味があった方はご存じだと思うけど、「7週連続して週替わりのジャケ写リリース」ですわな。 

↓ コレ

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しかも、週替わりのジャケットにはメンバー1人ずつのメッセージ付のワンショットカードが封入してあり、7枚すべて購入すると光GENJI7人全員のカードが揃うっていう仕掛けですわ。

熱心な光GENJIファンであれば、7枚すべてのジャケ写を集めようとするわけで、その結果、オリコンで5週1位を獲得できたというわけですわ。

ちなみに、初登場からすべてのジャケ写が出そろった、リリース7週目までの週間売り上げ枚数は、

13.5万枚⇒10.2万枚⇒8.1万枚⇒6.8万枚⇒5.2万枚⇒5.0万枚⇒5.3万枚

初動週から週ごとに売り上げが落ちるのは、今も昔も変わらない現象。コアなファンもライトなファンもリリース直後に飛びつきますからね、普通。

でも、この曲がちょっと違うのは、2週目以降の落ち込みが極端に少ない事。

そりゃそうだよなぁ。毎週ジャケ写をとっかえひっかえしてリリースしていれば、毎週のように飛びつくファンもいるわけでさ、売り上げも落ちない訳よ。

ここから見ると、この曲あたりでは「熱心」な光GENJIファンは、おおざっぱな見て5万人くらいは居たんではないかな。 この数字が多いか少ないか。。。 どうなんだろう? でも、かなり減ってきていたんじゃないかと思う。

まあ、この辺のカラクリも「マーケティング天国」では、当時ちゃんと分析してたんだよね。

オリコンランキングを表から見ているだけでは見えない「ウラ」の部分っていうのが、面白く思えて来たのがこの頃ですね。

ちなみに、リリースから7週目の売り上げが、少し上がっているのは、この週にリリースされたジャケ写に封入されていたワンショットカードが「諸星」だったから。

やっぱり、なんだかんだ言っても「カーくん」が一番人気だったわけです。

でも、冷静に見るとこの売り方は、あくまでも「おまけ」の力が強いわけで、「曲の力」でここまで売り上げを伸ばしたとは言い難いんだよな。これを考えると、少し寂しくなったりしてね。

こんな「おまけ」商法は、この後、いろいろなアーティストに受け継がれ、結果的に後年のAKBグループの「握手券」に到達するわけで。。。。

そもそも、初動の売り上げを見ると、 前々作「剣の舞」が24.3万枚、前作「地球をさがして」が17.6万枚。 そしてこの曲が13.5万枚。 ・・・と初動は徐々に鈍くなってきており、その動きはこの曲でも止められていなかったわけでさ。アーティストパワー縮小の動きは明らかになってきていたんだよね。

そして、こんな危惧は、この曲の次の「荒野のメガロポリス」で、累積売り上げが26.4万枚への急落と言う結果になってあらわれる。

もっとも、この間に「ザ・ベストテン」は終了。「歌のトップテン」も間際に終了と、テレビの一時代を築いたベストテン番組の相次ぐ終了という、テレビの歌番組の縮小というのも大きかったんだけども。

今もってそうだと思うんだけども、 ジャニーズ勢はテレビの露出があってこそ「ナンボ」なんだよね。 その割をくった最初の人たちが「光GENJI」なんじゃないかな。

この曲での「おまけ」戦略は、テレビの歌番組の縮小と言う「危機」をいち早く悟っての戦略であったのか?
・・・それは、よくわかんないけども、結果的には、そんなテレビの歌番組での露出の縮小の割を食う前、最後の「光」を放ったのが、この「太陽がいっぱい」だったんじゃないかな。 
なんて、個人的には感じたりしてますね。



第20回日本歌謡大賞受賞時の「夜ヒット」ですね。
この時の夜ヒットは見てた記憶があるな。 この頃、ベストテン終了して、見る歌番組がなくなって、一時的に「夜ヒット」に鞍替えしてたような気がする。 


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