かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1990年代ヒット曲

ひとすじになれない / 米米CLUB

1991_12_ひとすじになれない_米米CLUB



今回の1曲セレクトは、「ひとすじになれない」米米CLUBです。

まずはデータでーす。

・タイトル    ひとすじになれない
・アーティスト  米米CLUB
・作詞      米米CLUB
・作曲      米米CLUB
・編曲      米米CLUB
・リリース日   1991年9月21日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1991年10月7日〜11月4日付
・タイアップ:ソニービデオカセットV CM曲

2021年の1曲セレクトは、恐らくこれが最後なんじゃないかな・・・。
今年も1年間、「1曲セレクト」を読んでいただきありがとうございました。まあ、年々、書く頻度も少なくなってきましたけど、来年も一つよろしくお願いします。

ところで、昨日、ワタシメのランキング、2021年の年間チャートベスト200を公開しました。
年間1位は、優里の「ドライフラワー」。 
まあ、1年52週あったうち、49週ベストテン入りなんていう、とんでもない超ロングヒットになったわけで、年間1位も頷けるところではあるんですけどね。

ただ、、この曲、よく分かんないって方が結構いるんだよね。
曲調として派手なわけでもないし、強烈なインパクトがあるわけでもない。でも、なんで、こんな超ロングヒットになっているのかがよくわかんない・・っていう理由ですね。

確かにそうなんだよね。 例えば、BTSの一連ヒットなんかもパッと聴きはそういう所があるんだけども、BTSの場合は中毒性がある。 何回か聴くといつの間にか嵌っちゃうんだよね。
まあ、ひげだんの「Cry Baby」なんかは、それこそインパクトの塊だったりするけどさ。

これらの曲に比べると、「ドライフラワー」って曲は、今一つよく分からない・・というのも理解できたりするんだよな。

ただ、そういうよくわかんない曲が、得てしてロングヒットすることっていうのも、ときどきあるわけなのよ。

今回の1曲セレクトは、同じように、強烈なインパクトがあるわけでもないけど、ロングヒットになった曲を一つ。

米米CLUB 「ひとすじになれない」。

この曲、もちろん覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思うけど、いやー、覚えてないなぁ・・っていう方も多いんじゃないかなぁ。

今となっては、米米CLUBと言ったら、「君がいるだけで」と「浪漫飛行」の2択だけっていう感じになっちゃってて、他の曲にスポットが当たることは少ないもんなぁ。

ましてや、地味な存在のこの曲なんて、今となっては忘れられててもしょうがない。

時代的には、1991年9月リリース、今からちょうど30年前の曲ですわ。

1991年9月と言ったら、チャゲアス「SAY YES」と、槇原の「どんなときも。」が超大ヒットを続けており、 バブルガムブラザーズの「WON'T BE LONG」が、この2強に肉薄してきていた頃だ。

そんな中リリースされたこの曲。 上記3強の間隙を縫ってオリコン初登場は3位であったものの、それが精いっぱい。そこからはランクは下降線をたどっていき、1991年の年末、ちょうど今頃には、オリコン30位台まで一度落ちるのよ。

でも、年をまたいで1992年1月に入ると、オリコン10位台まで回復。 2月以降、再び30位台から20位台を行ったり来たりし、結局、1992年5月25日付まで、オリコン左ページ、つまりは50位以内をキープ。
リリース以来、8か月間ベスト50をキープするという、ロングヒットになる。

紅白で歌われたというならば、紅白効果で、年明けチャートが一時的にでも上向きになるということは珍しいことではない。 そういう曲は、未だに毎年のように出てくるしね。

でも、この曲は紅白では歌われていないし・・・。 っつうか、1991年時点で、米米は紅白には1度も選ばれていない。
・・にも関わらず、年が明けて、再浮上してきたわけよ。

まあ、確かに、今年の「ドライフラワー」に比べるとロングヒットの規模は小さいものの、似たようなヒットだったって言えるんじゃないのかなぁ。

あの時代、演歌でのロングヒットっていうのは、それほど珍しくなかったけど、ロック・ポップス系で8か月間オリコン左ページを維持した曲って多くなかったしね。

ぢゃ、なんで、こんなロングヒットになったのか?

当時のカラオケブームっていうのが、大きかったんじゃないのかなぁ・・・。なんて思うわけなのよ。

この曲、オリコンのCDセールスは地味な動きだったけど、有線チャートの動きは比較的良かったんだよね。
つまりは、飲み屋の有線なんかじゃ、よくかかっていたのよ。  

あの頃、有線発のロック・ポップス系ヒット曲って増えて来てましたからね。 ↑で書いたバブルガムの「WON'T BE LONG」なんかはそうだったし。 この1991年は、他に沢田知可子さんの「会いたい」なんてぇのは、典型的だったな。
有線で耳にした曲をカラオケで歌う。 そんな流れも出来ていたんですよ。
この曲なんかも、そんな流れの1曲だったと思う。


で、さあ、この曲、実際カラオケで歌うと気持ちいいのよ。 少し音程が取りにくいところがあるけど、米米の曲の中ではまともな曲だし。。 これは「カラオケで歌う曲を前提」にした曲なんじゃないか・・とも思えたりしてね。

個人的に、そうだったけど、あの頃、兎に角飲み会にカラオケは鉄板、必須でしたからねぇ。 この曲当時、カラオケで何回歌ったか分かんないもの、個人的に。

そういう方も多かったんじゃないのかなぁ、今の40代、50代の方の中にもさあ。

そういう時代の流れに支えられてのロングヒットだったと思うんだよね。 この曲は。

結局ね、今年のワタシのチャートの年間1位だった、優里の「ドライフラワー」っていう曲も同じ様な理由なんじゃないかなと思うんだよね。

いまの時代だったら、有線発ではなく「ようつべ」とか「TIK TOK」なんかの動画発のヒットという違いはあるんだろうけど、そういう時代の流れに支えられたロングヒットであることは間違いない訳なのよ。
それに、最近の曲としては、比較的素直でわかりやすい曲ではあるしね。

まあ、動画見て、どの程度カラオケに流れたのかはよくわかんないけど。。。。




ウーン、カールスモーキー石井自ら「カラオケで歌われること前提」のようなコメントしてたりするな

カラオケでは、Cメロの ♪ 軽く愛してるよ なんて 言えないから〜 ♪ が決まると気持ちいいのよね。 

しかし、なんじゃ、この切れ方は。。。。。。

仕切り直しに CD音源動画を




すぐ消されちゃうかもしれないけど。。。。


よろしかったらポチッと押してね。
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

もっと愛しあいましょ / LINDBERG

1995_12_もっと愛し合いましょ_LINGBERG



今回の1曲セレクトは、「もっと愛しあいましょ」LINDBERGです。

まずはデータです。

・タイトル     もっと愛しあいましょ
・アーティスト   LINDBERG
・作詞       渡瀬マキ
・作曲       川添智久
・編曲       LINDBERG   井上龍久
・リリース日    1995年11月1日
・発売元      TMC
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    35.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位
・タイアップ:テレビ朝日系「かざあなダウンタウン」エンディングテーマ曲

最近はあんまり書かなくなったけど、個人的には、あんまり他の方々の「手垢」が付いていない曲が好きなのね。
うん、リリースしたもののヒットせずに、ホントに知る人ぞ知るというレアな曲・・・というよりは、リリース当時はそこそこヒットしたものの、今となっては「死角」になっている曲ですね。
 今は多くの方々には忘れられているけど、引っ張っりだぜば、「ああ、そういえばそんな曲があったね」っていう曲。できれば、そういう曲が理想かなぁ。

ほとんどの方が知ってるなら、ここに引っ張り出してくる意味っていうのもね、薄くなるだろうしね。
逆にヒットすることなしにレアな曲は、引っかかりも少ないだろうしね。

だから、リリース当時はそこそこヒットした、 あるいは、意外とヒットした・・けど、今となっては多くの方の意識の外にあって、 引っ張ってくることで、「そういえば・・・」っていう曲が書く側としては理想だったりするんだよね。


今回引っ張ってきた曲は・・・うーん、どうなのかなぁ、、そんな「理想」の範疇にある曲なのかなぁ・・・。

LINDBERGの「もっと愛しあいましょ」。

いやー、どうなんだろう? 恐らく多くの方には、今となっては「そういえば、そんな曲があったね」という曲なんじゃないのかなぁ。 あるいは、もしかすると「そんな曲あったの?」って曲なのかなぁ。

個人的には、後者なんじゃないのかなぁ・・・。っていう気もするんだけどもね。

・・というのも、自分のチャートでは、この曲最高14位。 ベストテン入りしなかったのよ。

自分では、ずっとその頭でいたのね。 それに、この曲がリリースされた1995年頃って、LINDBERGって、ひところの勢いもなくなってきていたからさ、この曲なんてぇのは、今や知ってる人も少ないだろうなぁ・・・と思っていたんだけどさ。

LINDBERGといったら、「今すぐKISS ME」を筆頭に、90年代前半だもんね。ヒットチャート上でブイブイ言わしていたのは。

で、これを書くにあたって、改めて当時のオリコン引っ張り出してみたら、この曲、オリコン最高5位。売り上げも35万枚強も行ってたんじゃん。

Wikiによると、LINDBERGとしては7番目に売れた曲になっていたりして。 
だって、阪神の藤川球児の登場曲として有名になった、1996年の「every little thing every precious thing」の31万枚よりも売れた訳なのよね。

うーむ、今となっては、そんなに売れた印象、ないんだけどなぁ。

いや、だから、この曲、個人的には好きだったのかもしれない。 ↑で書いたように、絶対に大ヒットした曲もももちろんいいんだけども、ヒットはしたけども影が薄い、 しかも「ダサい」曲が個人的には好みだからさあ。

1995年のLINDBERGの曲って、この曲の前曲「水着とBeachとBoys」もそうだったけど、ダサい曲なのよ。
90年代前半の、ラウド系よりのロックでブイブイ言わせてた頃のLINDBERGはどこへ行ったというくらい、片から力が抜けたような。。 ロックというよりはポップスに近かったかもしれない。

歌詞内容も、少し間抜けな恋愛モノであったりして。どちらかといえばノベルディ的なポップスって感じだったのよ。

そんな曲調が、初期からのファンには不満だったのか、「水着とBeachとBoys」はオリコンでもベストテン入りしなかったしさ。

あ、これは、ブレイクして5年過ぎたんで、もうシャカリキにベストテンは狙っていないんだ・・・なんて個人的には思ってたりしたなぁ。

ただ、力が抜けた渡瀬マキさんのボーカルが、なんかコミカルで「水着とBeachとBoys」は個人的には好きだった。 

で、今回引っ張ってきた「もっと愛しあいましょ」も、方向性は「水着とBeachとBoys」と同じだったしさ、今回もそれほど売れないだろうな・・と思っていたら、そこそこ売れちゃったんだよね。

うーむ、この違いが、今一つ、よく理解できないんだけどさあ。

まあ、コミカルという点では、「水着とBeachとBoys」よりも、もう一段突っ込んだような気もするけどさ。 そもそも、後年のtommy february6のような、ツンツン眼鏡に、モンキーダンスよろしく、へんてこりんな振り付け。 ほとんどコミックソングになっちゃいましたから。

テレビに結構出たのも良かったのかもしれない。そういえば、「水着とBeachとBoys」はテレビで見た記憶があんまりないけど、この曲は、結構テレビで見た記憶があるしな。

たしか「Mステ」で初めて見て、「なんだこりゃ」って引っかかような気がする、この曲。

まあ、そんな所を含めて、意外なインパクトがあったんだろうね、この曲。 その分、売り上げが戻ったのかもしれない。

ただ、あくまでカンフル剤のようなもので、人気としては、いっぱいいっぱいのところはあったんだろうね。

翌96年の「every little thing every precious thing」に続いて連続リリースされた「Green eyed Monster」が最後のベストテン入りとなり、以後は人気は低迷していく。

まあ、時代の流れというのも大きかったんだろうね。1996年って、ヒット曲の流れとして90年代の前半と後半を分けたターニングポイントとなった年でもあるしさ。 この年を境に前後ではベストテン入りメンバーも大分変ったからさ。




NHK「ポップジャム」

あれ? ♪たしかイチローが満塁ホームラン♪ っていう歌詞が ♪たしかあの選手が満塁ホームラン♪ に変わってる。。。。

さすがはNHK。この頃も「固有名詞」NGだったわけね。

山口百恵さん「プレイバックPART2」とか、松本伊代さんの「センチメンタルジャーニー」と同じだったわけですわ。

本来は ↓  






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

WHITE LOVE / SPEED

1997_11_WHITE LOVE_SPEED


今回の1曲セレクトは、「WHITE LOVE」SPEEDです。

まずはデータなのですら。

・タイトル    WHITE LOVE
・アーティスト  SPEED
・作詞         伊秩弘将
・作曲      伊秩弘将
・編曲      水島康貴
・リリース日   1997年10月15日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   184.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年10月27日〜1998年2月2日付
・タイアップ:資生堂「ティセラエンジェルドロップ」CM曲


クリスマが近づいてきましたね。 毎年この季節になると定番のようにクリスマスソングが巷・・・というか、特にラジオから流れてくるわけですが。。。
まあ、流れてくる曲は、毎年ほとんど決まっていますど。。。。
そそそ、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」に、ワム!の「ラストクリスマス」、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ハッピークリスマス」、日本勢だったらヤマタツの「クリスマスイブ」。

これらの曲は鉄板ですわな。

年によっては他の曲もかかったりするけど・・・。 去年だったらBand Aidの「Do They Know It's Christmas ?」あたりも頻繁にかかってた印象があるな。

ただ、今年は昨年までに比べると、これらのクリスマスソングがラジオから流れる頻度は、やや少ないかなぁ・・・という印象がありますね。恐らくはこれからが本番なんだろうけど。。

そもそも最近は、「新曲」としてのクリスマスソングのリリースも一時に比べると少なくなったような気がするなぁ。 一時期、20年くらい前までは、なんだぁかんだあ・・と毎年のように「新手」のクリスマスソングがリリースされていたもんだけどねぇ。

おかげで、「鉄板」なクリスマスソングは、いつまでたっても「鉄板」のままなわけで。。。

↑ で上げた曲、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」でさえ、今から27年前っすよ。1994年だから。。。


今回引っ張ってきた曲も、一時クリスマスソングとして定番だった・・・ような気がするな。

SPEED 「WHITE LOVE 」。

うーむ、この曲、今まで何回か書いたような気がするんだけどなぁ。。。
過去のアーカイブを見てみたら、どうも、まだ書いてないようなので。。。 こんな大ヒット曲を。。


リリースが、1997年10月15日ということもあり、クリスマスソングとしては、いささかフライングなリリースでもあり、厳密に言えば、クリスマスソングっていうカテゴリーに入れるのもどうなの?

・・・という気もするけど、やっぱミディアムバラードという曲調と、楽曲の曲想からそういうイメージも強いんだろうなぁ。。。

ちなみに、この曲はSPPEDとしては、デビュー5枚目のシングルであり、売り上げ枚数184万枚というのは、SPEEDの最高売り上げのシングルとなる。

まあ、まずもってロングヒットになりましたからねぇ。 
オリコンで13週ベストテン入り(うち年末年始2週集計があり)というのは、SPEEDではシングル最長のベストテン入りではなかったかな。
加えて、週間売り上げ10万枚上も、7週(うち年末年始2週集計があり)というのも、SPPEDとしては最長。
高レベルの売り上げを長期間キープすることで、SPEEDとして最高の売り上げを記録したわけですわ。

まあ、SPEEDとして勢いが上がっている時に来て年末に向けてのリリースという、時期的な幸運も重なっていたんだろうけど。

今でもそうだけど、秋も深まり年末に向けてテレビの歌番組特番も多くなるわけで、それだけ露出も多くなるからねあ、コアなファンだけじゃなく、一般の人たちにも浸透しやすくなりますからね。

加えて何と言っても「紅白」という一大イベントがあるわけで。。。

紅白効果。 紅白出演後の週に売上げが再上昇するっていうのは、あの頃だではなく、今もありますからね。
もっとも、当時の方が効果は大きかったわけで。  

当時のオリコンチャートを見ると、この曲、1997年12月22日付で一度、ベストテンから落ちてるんだよね。
でも、次の12月29日付で再度ベストテン入りを果たし、1月19日付では4位まで再浮上している。

恐らくは、紅白見て、お年玉でCD買った方も多かったんだろうね。


ただ、SPEEDの場合は、顕著な紅白効果が見られたのはこの「WHITE LOVE」だけで、次の年の「ALL MY TRUE LOVE」では、顕著な紅白効果は見られなかった。 

1997年「WHITE LOVE」で紅白に出場した時は「初出場」ということと、それ以上に人気が上昇気流だったことも大きかったんだろう。
でも、それ以上に、やっぱり、キャッチーで分かりやすい曲調が、より多くの人たちに刺さったんだろうね。

だって、当時28才。さすがにSPEEDの曲を堂々と聴くには、年かさが行ってた私でさえ、この曲は刺さったもの、当時。

でも、正直当時、堂々とは聴けなかったのよ。 少し前にも書いたけど、あの頃は、少なくとも20代後半でアイドル・・っていうのは、立派なオタクだったからねぇ。 そそそ、一般的に冷ややかな目で見られる時代だったのよ、まだ。

だから、例えば当時の会社の同僚とも、そういうアイドルのヒット曲の話もできる雰囲気でもなかったんだよね。


個人的には、ちょうどこの曲がヒットの真っただ中だった、1997年12月に、自宅PCをインターネットにつないだのよね。今からちょうど24年前ですね。


当時最速だったISDN利用で。常時接続は高くて無理だったからさあ、もちろんダイアルアップで。
昼間は従量制で通信代がかかるんで、23時以降定額になるテレホーダイ利用というのは、あの頃ネットしてた方々にはデフォルトでしたよね。

考えることはみんな同じなんで、テレホーダイの時間になると、めちゃくちゃ回線が重くなったりして。。。

でも、ネットを始めようと思ったのは、当時のヒット曲や過去のヒット曲について語り合える人を探したいと思ったのが最大のきっかけだったかもしれないなぁ。

もっとも自分のランキングをネットを利用して作るためという理由もありましたけどね。
この頃になると、オリコンウイークリーに有線チャートもラジオチャートも掲載されなくなっていたからさあ。 自分のチャートを作るには、いちいち国会図書館に行ってコンフィデンスを見なきゃいけなくなっていたのよ。
さすがにそれは面倒なんで、なんとかネットで、これらの要素のランキングを作れないかということで始めたんだよね。
案の定、USENのチャートも、各ラジオ局のランキング番組のランキングもネットには出てたからね。
わざわざ国会図書館に行かなくても作れるようになったわけですわ。

ただ、そうやって作った自分のチャートをネットを使って公開しよう・・とは、まだこの時点では考えも無かった。あくまで自分用に作っていたのよ。

これを現在のように一般公開しようと思い立ったのは、もう少し後になってからですね。


あー、話がずれてきた。。。
この「WHITE LOVE」を聴くと、当時は、部屋に暖房がなかったんで、ブルブル震えながら設定したネット、なかなか設定がままならずネットに繋がらなくて悪戦苦闘したことや、初めてネットに繋がって感動した光景がフラッシュバックしてくるな。

もっとも、あの頃は、その後ネットの音楽関係の仕事に就くなんて思っても見なかったけど。。。
音楽については完全に一ユーザーだった頃ですね。
いずれにしても、個人的なネット人生に関わり始めた時の思い出の1曲なのよね。





初めにこの曲、すでに書いたつもりだったのに、まだ書いてなかった・・・っちゅうのは、やっぱ気恥ずかしさが先に立っちゃっうからなんだろうな。

だから、SPEEDの曲って、まだ、あんまり書いてないんだよな。 もっとも当時それほど聴き込む・・・という程は聴いてないっていうのもあるんだけども。

なんせ、SPEEDのメンバー全員、一回り以上年下だからさあ。
当時、新垣仁絵さん以外は中学生でしょ。 やばいよね当時28歳のおっさんがSPEEDなんて・・っていう強迫観念は未だにあるんだよね。

今は、おっさんでも一回り以上年下のアイドルの曲を聴いても、もうそういう目で見られることも少なくなっただろうけど、この曲がヒットしてた頃の「オタク」という冷ややかな目で見られるっていう感覚は、未だにあるからさあ。

それにしても、当時中学2年生だった今井絵理子さん、まさか今、参議院議員とはね。。。。 隔世の感ですよ。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

ZUTTO / 永井真理子

1990_11_ZUTTO_永井真理子


今回の1曲セレクトは、「ZUTTO」永井真理子です。

まずはデータです。

・タイトル    ZUTTO
・アーティスト  永井真理子
・作詞      亜伊林
・作曲      藤井宏一
・編曲      根岸貴幸
・リリース日   1990年10月24日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   54.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年11月12日〜1991年2月11日付
・タイアップ:フジテレビ系「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」エンディングテーマ


この間から、書こう書こうと思って、なかなか筆が進まない曲がある。
自分では、理解していたつもりなんだけど、いざレビュろうと思うと、なかなか頭の中で整理が付かない。
結局は、まだ消化しきれていないんだろうな・・・。

それが今回引っ張ってきた曲。永井真理子さんの「ZUTTO」。

この曲は、今から31年前 1990年のちょうど今頃のロングヒット。 そして永井真理子さんにとっての最大のヒットでしたわね。

まあ、あの時代大人気だった、フジテレビ系バラエティ「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」のエンディングテーマだったことも大きかったんだろうね。

なんせ、この曲と、ほぼ同時にこの番組からKANの「愛は勝つ」なんていう、ダブルミリオンが出たくらいだから、あの頃の番組の人気がうかがえる。

それなのにいまだに消化しきれていないっていうのは、31年前の今頃、個人的にあんまり真剣にヒット曲聴いてなかったっていうのもあるんだろうな。

31年前の今頃と言えば、大学1年の秋。大学生活も落ち着いてきて、ちょうど千葉の中央郵便局で深夜の仕分けのバイトを始めたころだ。
・・・それとともに、半ば昼夜逆転の生活サイクルになり始めた頃かなぁ。

朝方寝て、昼から学校に行って、夜バイト・・・なんていう生活サイクルの中で、ヒット曲まで頭が回んなかったんだよな、あの頃。

ただ、バイト先では、夜中ずっとラジオが流れてたんだよな。 覚えているのは3時ごろまで地元のbay fmで、3時過ぎるとオールナイトニッポンの2部が流れてた。
水曜日の真璃子さんと、木曜日の渡瀬マキさんのオールナイトは、よく覚えてますわ。

そんな真璃子さんとは、今facebookでつながっていたりして、なんか不思議な感覚なんだけどさ。

ただ、今回引っ張ってきた、永井真理子さんの「ZUTTO」も、あの頃よくラジオでかかってたんだよ。

だから、この曲を聴くと、あの時のバイトの風景がフラッシュバックするし、自分の中で消化していたつもりだったんだけどなぁ・・・。


ただ、今から思うと、音源はずっと手元に持ってなかったのね。 もちろん、今は、手元に音源持ってるけど。。。

なんせ31年前の事なんで記憶が不鮮明なんだけども、結局は、手元に音源を置いておきたいと思う程は刺さらなかったのかもしれない、当時は。

確かに、あの当時、この曲のようなミディアムバラード系の曲には、あまり触手が伸びなかった。

この曲だけでなく、同じごろヒットしていた森高千里さんの「雨」。この曲も当時の森高さんにしては珍しく、同じような正統派のミディアムバラードだったけど、触手が伸びなかったし、辛島美登里さんの「サイレントイブ」にも触手が伸びなかった。

うーん、どうなんだろうねぇ。

考えてみれば、当時のカラオケブームというのが、一つのネックになっていたのかもしれないな。

この手のミディアムバラードの曲って、あのころ、みんな競うように歌ってたじゃない? いや、みんなに歌われていたからこそ、ヒットしていたわけでさ。

そそそ、あの頃は、ヒットの最大の条件は、カラオケで歌われることだったからさあ。
その一番の条件として、キャッチーなミディアムバラードだったんだよね。

なんか業界の戦略に乗せられているような気がしてさあ。
天邪鬼なワタシは、そんな風潮に背を向けて、だから、あんまり積極的に聴けなかったのかもしれないな。

ただ、これを書くにあたって、譜面を見ながら再度聴いてみた。

たしかに、サウンド、特にエレピは、いかにも90年代前半な音色なんだよね。
なんていうのかなぁ、オルゴールのようなチャイムのようなコロンとした音色。 うーん、うまく言葉で言い表せないけど、最近だとJRの電車接近チャイムで使われているような。
そんなサウンドからして、紛れもなく90年代前半を彷彿とさせる。

ただ、メロディラインだけをとると、どことなく昭和な匂いがするんだよなぁ。

いつかも書いたと思うんだけども、90年代って、92年頃までは昭和へのオマージュなんだよね。全体的なヒット曲の傾向は。

チャゲアス、小田和正、サザン、ユーミン、中島みゆき、浜田省吾、長渕剛・・・・とあの頃のミリオンセラーを見ても、ずらりと「昭和」からの「大御所」アーティストが並んでいるわけで、まだ「平成」という匂いは薄かったわけじゃない?

そもそもこの頃、時代を仕掛けたビーイング系だって、90年のB・Bクーインズからして昭和的だったし、そこから派生したMI-KEは、もろ昭和のオマージュだったわけじゃん。

全体的なヒット曲のメロディラインにしてもしかりだったんだよね。 まあ、その走りは竹内まりやさんの89年の「シングル・アゲイン」あたりだったかもしれないけど。。。


昭和時代のミディアムバラード的なメロディライン。そうね。例えば欧陽菲菲さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」のような・・と言えばわかりやすいかなぁ。 あの手の昭和のエンターテイメント歌謡を彷彿させるような、メロディラインの曲。

それがこの90年あたりから復活しだしたのよ。 いわば平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」的な曲。

今回引っ張ってきた「ZUTTO」にしても、そんなメロディラインに近いような気がするんだよね。

その根底は、やっぱりカラオケなんだろうな。

昭和のエンターテイメント歌謡は、飲み屋やスナックでのカラオケが主流だった。 だから、酒の匂いとタバコの匂いがきつかった。 それは大人の匂いでもあった。

90年代前半、カラオケの主流はカラオケボックスに変わった。カラオケと言う文化は同じだったけど、飲み屋から、カラオケボックスに変わったことで、カラオケはよりカジュアルになったんだよね。

カジュアルになったカラオケに合わせて、同じミディアムバラードのサウンドもよりカジュアルになった。 それが森高千里さんの「雨」であり、この「ZUTTO」だったんじゃないのかなぁ。

今思うとそんな風にも思えるんだよね。

その後、同じような、平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は、「会いたい」、「最後の雨」、「ロード」と受け継がれ、いずれも大ヒットを記録。
いずれの曲もカラオケではなくてはならない曲という点では共通だったしね。

そんな流れの最後の大ヒットが藤谷美和子・大内義昭の「愛が生まれた日」あたりだったんじゃないかなぁ・・。

でも、これを最後に平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は下火になる。
時は1994年。 結局、これを最後に、ヒット曲界は本当の「平成」の時代に入ったってことだったんじゃないかな・・・と個人的には思うんだよね。





↑では、この曲は昭和歌謡的だ〜・・・と何回も書いちゃったけど、 

♪ あなたがいれた エスプレッソ〜 ♪ っていう歌詞には、新時代・・というか90年代の香りを感じたな。

 少なくとも80年代には、まだエスプレッソと言うコトバは「イマく」なかった・・というか、メジャーじゃなかったよね。
個人的に知らなかっただけかもしれないけど。。。

ちなみに、スタバが日本で初めて出店したのは1992年。この曲の2年後ですわ。
当然、1990年の今頃はエスプレッソもカフェ・ラ・テも、一般的にはまだあまり馴染深い飲み物ではなかったんだよね。カフェ・ラ・テは、カフェ・オ・レだったし。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

神様からもらったチャンス / 三浦理恵子

1992_09_神様からもらったチャンス_三浦理恵子


今回の1曲セレクトは、「神様からもらったチャンス」三浦理恵子です。

まずはデータです。

・タイトル     神様からもらったチャンス
・アーティスト   三浦理恵子
・作詞       及川眠子
・作曲       都志見隆
・編曲       渡辺格
・リリース日    1992年9月18日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  13位
・売上げ枚数    5.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

エアチェック。 
我々の年代には懐かしい響きだよなぁ・・・って方、多いんじゃないのかなぁ。
そそそ、気に入ったラジオ番組をカセットに録音した、あれですね。
で、エアチェックしたカセットから、気に入った曲を、さらに別のカセットにダビングして「マイソング集」を作ったりしてさ。

まあ、ラジオからの録音なんで、もともと音質は期待できない上に、さらに別のカセットにダビングするんで、さらに劣化しちゃってたけど、なんせ、お金がなかったからねぇ若い頃は。

そうそう、気安くレコードとかCDは買えなかったしさ。 いわんや、昨今のようなサブスクなんかなかったし。。。。

兎も角、なんとかお金を浮かせて、出来るだけたくさん曲を集るにゃラジオから曲を録音するのが一番手っ取り早い。 ってことで、ワタシもやってましたねぇ、エアチェック。

恐らく、多くは70年代とか80年代にティーンだった方が、その当時やってたと思う。でも、ワタシは結構遅くて、実は90年代に入ってからなんですわ、やりだしたの。

確か91年だったと思うけど、遅まきながらダブルカセットのCDラジカセを購入したのと、当時、地元のbay fmで放送していた、「パワーカウントダウンHOT30」というカウントダウン番組が重なって、エアチェックから「マイソング・カセット」を作る条件が整ったからなんですよね。

91年と言えば、ワタシゃ20代になっていたし、バイトもしてから、ある程度自由になるお金はあったんで、CDをレンタルすりゃ事欠かないじゃん・・・とも思えるんだけどさ。
当時、シングル1枚、1泊借りて確か150円くらいだったかなぁ。10枚も借りると1500円は取られたわけで、毎度毎度べらぼうな枚数借りるわけにもいかなかったんだよね。

しかも、あの頃1タイトルのCDの枚数ってそれほど多くなくて、人気曲はいつも全てレンタル中になってたんで、借りたいときに借りられない曲も結構あったし。。。

そういうわけで、エアチェックを始めたわけよ。 パワーカウントダウンは、毎週30位からチャート発表してたんで、毎週結構な曲数OAしてたし、毎週欠かさずエアチェックすれば、少なくとも30位以上のスマッシュヒットの曲は網羅できるわけでさ。

エアチェックから編集したカセットの中で、特に気に入った曲だけを、改めてレンタルして高音質で聴けるようにすれば、レンタル代も浮くしね。

そういうわけで、エアチェックを始めたんだけども、これが面白くてね。2001年に音楽配信の世界に入るまで、丸10年くらい続けたと思う。 エアチェックから編集したテープも50本くらいになったのかなぁ。

だからと言うわけではないけど、90年代の曲の音源はやたらとあった。 ・・というか、今でもある。
もっとも、今は手元にカセットプレイヤーがないんで聴けないけど。。。。


ただ、↑で書いたように、あくまで、もとはFMから録音したカセットを、さらに曲の部分だけを別のカセットにダビングしてあるんで、音は劣化しているし、しかも1コーラスだけっていう曲もかなり含まれている。
さらに自分が気に入った、気にいらないに関係なく、チャートに入った曲をかたっぱしから録音したんで、今となっては自分の好み外の曲も含まれているし。。。


逆にさ、あの時、エアチェックしてたからこそ、「なんだこれは・・・」と刺さった曲があったりするんだよね。


今回、引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですわ。 

三浦理恵子「神様からもらったチャンス」。

この曲、覚えている方いらっしゃりますかねぇ。

まあ、90年代アイドルファン、とか、CoCoのファンだった方は、覚えている方が多いだろうけど、一般的には、恐らくすでに「死角」に入っている曲なんだろうな。

そそそ、1989年、フジテレビ「パラダイスGOGO」から派生したアイドルユニット、CoCoのメンバーだった、三浦理恵子さんがソロでリリースした、5枚目のシングルですわ。

正直、個人的には、この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし、そもそもバンドブームの中で、アイドル自体アナクロな存在になり、いわいる「アイドル冬の時代」に向かっている時代だったしさ。アイドル⇒オタク化 してた頃じゃん。

なので、エアチェックしてなかったら、おそらくスルーしてたと思う。 

そもそも、この曲オリコンでベストテン入りしてなかったしさ。 三浦理恵子さんのシングルとしては、前曲の「Jokeにもならない恋」がオリコン10位で。これが最後のベストテン入りだったんで、人気も下降線に向かっていた時の曲だったしさ。

でも、エアチェックしたカセットを聴いてたら引っかかっちゃったんだよね。

この曲、イントロが、何気にかっこいいのよ。

イントロの初めの8小節が、16ビートのコンガのリズム。 ほとんど寺尾聰の「HABANA EXPRESS」の世界だし、続く8小節は1986 OMEGATRIBEだし。 リゾートミュージック   っていう感じで、おおよそアイドルソングっていう感じがしないのよね。

どうも、そこに引っかかっちゃったんだよね。

初めて聴いたとき、またOMEGA TRIBEみたいなグループが出てきたのかいな? なんて思ったもの。

そしたら、いきなり三浦理恵子さんの、あの「ベビーボイス」だもの。 
思わずひっくり返っちゃいましたわ。 

全体的な曲想と言えば、80年代のリゾートミュージックぽいのね。 まるで林哲司氏の世界のような。

すでに、そのフィルターを通ってきた私なんかには、なじみ深い音だし、だから刺さりやすかったのかもしれない。

ただ、リゾートミュージックにしては今一つ勢い、華やかさには欠けてたりするけどさ。

もっとも、ヘビーボイスで、パンチがない三浦さんの声質では、勢いがありすぎると埋もれちゃうだろうし、このくらいが限界だったのかもしれないけど。。。。

それと、9月中旬リリースと言う時期的に、この手の音はどうだったんだろう? もう半月早かった方が良かったんじゃないかなぁ・・・とは、当時から感じたりしましたね。

まあ、いずれにしても、この曲のイントロに、ちょっと驚いちゃったワタシなんですが。。。。




しかしさ、↑で「この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし」とか書いてる割には、三浦理恵子さんの音源は当時から持ってたりするんだよな。
この曲の前の「Jokeにもならない恋」も持ってたりするし。。。。
やっぱり、この頃始めたエアチェックの影響は大きかったんだよね。

ちなみに、あの当時のエアチェックにあたる部分が、今はSpotifyに置き換わってますね。
結局、Spotifyなどのサブスクって、圧縮音源だし、音質的にはFMよりも、やや良いっていう程度だからさ。 私にとっては音楽のメインのツールとまでは言えないんだよね。
Spotifyで昔の曲はあんまり聴かないしさ。

あくまで、90年代当時、新曲の音源をかき集めるためにFMからエアチェックしていたことが、今はSpotifyに置き換わっただけと言う感じですね。

で、今はSpotifyで聴いて気に入った曲だけを、CDなり、ハイレゾ音源でダウンロードしてコレクションにしている・・・と。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

by myself / hitomi

1996_09_by myself_hitomi


今回の1曲セレクトは、「by myself」hitomiです。

まずはデータです。

・タイトル   by myself
・アーティスト hitomi
・作詞     hitomi
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1996年8月7日
・発売元    エイベックストラックス
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  29.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「もう我慢できない!」エンディングテーマ曲

本来はメロディラインや曲想は、あんまりおもしろいとは思わないんだけども、バックで使用されている、あるひとつの楽器のフレーズ一つでグッと引き立つっていう曲がある。

まあ、そういう曲はしょっちゅうあるわけではないけど、長年ヒット曲を聴いてくると、たまたまそういう曲にも出くわすっていうレベルではあるけど。。

今回引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですね。

hitomi   「by meself」

この曲は、hitomi7枚目のシングル。1996年の秋口。丁度いまごろがヒットのピークだった曲ですね。
今から丁度25年前にある。

いやいや、そう書くと、すでにだいぶ前の曲になりますね。 
毎度毎度、書いてるような気がするけど、90年代の特に後半になると、つい最近っていうイメージが未だにあるんだけども、実際振り返ってみると、かなり時間が経っているんだよね。

なぜ、特に90年代の曲って、時間経過が経たないんだろう? っていうのは、ずっと不思議にも思えるんだけども、結局さ、音楽の形態があの当時と大きく変わってないからなんだろうね。

あの当時もMVは存在していたわけで、あの当時のMVの多くは、いまやYou tubeでも見れるし。TVの音楽番組のVTRだって、最近とほぼ変わらない画質で見れるわけでさ。

曲想だって、そう大きくは変わっていないようにも思えるしさ。。。

多くのメディアを通して当時の曲を見ても聴いても、今と大きな変化はないんだよね。

これが昭和の曲だったら、ちょっと様相が変わるじゃん。MVは無かったし、TVの歌番組の画質だって今とは大分違う。

何よりも音楽そのものの雰囲気も違うしね。

だから、「あー、大分時間が経ったよなあ」・・・という頭になれるんだと思いますね。

恐らく、今の若いコたちに「昭和歌謡」が刺さっているのは、そういうところが大きいんだろうな。
文化、音楽形態が今とは違うっていう所がさ。

まあ、これは、あくまでワタシの「年代」的に感じる事なんで、今の若いコたちは、また違った感じ方があるんだろうけどさ。



・・・・ととと、話が脱線しましたね。

hitomiの「by mysef」。 この曲は今思うと偶然耳にした・・・ような印象があるなぁ。

あの当時、個人的に「今」の音楽との接点は、オリコンウイークリーとby fmの「パワーカウントダウンHOT30」だけだったんだよね。

既に社会人3年目で、土日も仕事ってことも多くなってきていたんで、土曜日OAだった、パワカンも聴けないことが多くなってきていた。

あの当時、今のradikoみたいな機能があればなぁ・・・とは、思うけどさあ。

兎も角も、そんなわけで、この当時になると、ヒットチャート上位の曲も、毎週すべてくまなく聴いて、すべての曲を把握できていたわけではなく、かなり「抜け」が出来ていたことも事実ですね。

そんなこともあって、hitomiの一連の曲も、すべて聴けてたわけじゃない。だから、未だに耳にした事がない曲も多いですよ。
この「by myself」も、パワカンの上位にランクインした週、たまたま聴くことが出来、たまたま
耳にしたものだったと思う。

そしたら、耳に刺さった・・・。  と。

まず、この曲がそれまで持ってたhitomiのイメージとは、かなり違ったこと。

個人的には、hitomiというと、この前年1995年の「CANDY GIRL」であり、「GO TO THE TOP」っていうイメージだったのね。

「CANDY GIRL」は、あの時代特有の小悪魔的ギャル。「GO TO THE TOP」は、もっと時代をさかのぼったような、80年代アイドル歌謡的。

いずれにしても、このヒトはアイドルだと思ってたわけよ。

でも、この曲では、1年前の「ギャル」な雰囲気がまるでない、大人のシンガーに変身していたからさ。

少しジャズの香りがする、大人のミディアムポップス。 

どころからともなく吹いてくる、やさしい秋口の風のような。そう。1996年の秋口というと、この曲のイメージが強いんだよなぁ。

一番、効果的だったのは、Bメロからバックに入ってくるフルートだろうな。 少し気だるいフルートの音色が、曲をアンニュイに、そしてよりシックに引き立ててくれている。

だけどさ、フルートっていう楽器は不思議な音色なんだよね。 

普通は清楚なイメージ強い。 やっぱり、フルートと清楚なお嬢様っていうイメージがぴったりするからなのかなぁ。

でも、例えば寺尾聰氏の「ダイヤルM」のようなヘビーでダークな音色にもなるし、この曲のようなアンニュイな雰囲気にもなる。

吹き方次第で、いろんな表情に変えられる不思議な楽器でもあるんですよ。

小室氏とフルートって、どうも、結び付かないし、どういう意図で、フルートを持ってきたんだろう・・・っていうのは分からないけど、この選択は効果的だったし、正解だったと思う。

個人的には小室氏の曲には、あんまりシンパシイを感じないんだけども、そういう意味でもこの曲は良かったと思う。

そんな曲ではあったから、オリコン最高7位という、この当時のhitomi最高順位だったのは納得でしたね。 ただ売り上げが前作「In The Future」の35万枚から、6万枚ほど下がったのは、ちょっと納得しがったけど。。。
まあ、「CANDY GIRL」の流れを汲み、ダンサブルな「In The Future」とは、180度変わった曲調。いわば冒険的な曲でもあったわけで、売り上げ枚数が下がるのも折り紙済みだったのかもしれけないけど。。。

それにしても、小室氏の場合、安室のように全力投入した楽曲よりも、このhitomiとか、アイドルに提供した曲の方が、力が抜け、すっきりとしていい曲が多いような気がするんだよね。

全力投球した曲はどうもくどい曲が多くてさあ。。。。。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

君がいた夏 / Mr.Children

1992_09_君がいた夏_Mr.Children


今回の1曲セレクトは、「君がいた夏」Mr.Childrenでする。

まずはデータでする。

・タイトル    君がいた夏
・アーティスト  Mr.Children
・作詞      桜井和寿
・作曲      桜井和寿
・編曲      Mr.Children 小林武史
・リリース日   1992年8月21日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数   2.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 52位

どうも、ここ何日か体調がすぐれない筆者だったりします。
朝晩になると、空咳が頻繁に出てきたり。。。。
あるいは、コロナに感染しちゃったかなぁ・・・とも思ったりもしたんだけども、熱はないし、食欲も普通にある。どうも、急性アレルギー性の気管支ぜんそくに罹ったようだ。 
先日、毎月通ってる持病の痛風の診察の際に、かかりつけ医に相談の上、気管支を広げる薬と咳止め薬はもらってきたんだけども、今一つ、よくならんのね。
しばらく様子を見て、改善しないようならば他の呼吸器科に相談しようと思っています。

・・・なんて言っている間に、今年も夏が終わっていきますな。
ここ数日、残暑が振り返したと思ったら、今日なんかは、涼しかったり。

毎年の事なんだけども、この時期になると「夏の終わり」の曲をなんか引っ張ってきたいなぁ・・とし思ったりするんだよね。

で、真っ先に浮かぶのが、件の山下達郎氏の「さよなら夏の日」だったりするんだけども。。。

でも、いつかも書いたように、今となっては、夏の終わりの超定番曲なこの曲、実は、リリースもヒットも、今の時期じゃないのよ。 リリースは5月だったりするしさ。。。

なので、「今の時期のヒット」には当たらないんで、引っ張ってこれない。。。。

まだ書いてない曲で、「夏の終わり」を彷彿とさせる曲は、他にないもんかねぇ〜。

・・・と考えてたんだけども、ありましたわ。


Mr.Children  「君がいた夏」。

いまや押しも押されぬ、超ビッググループとなった、ミスチルの記念すべきデビューシングルだ。

ヤマタツの「さよなら夏の日」ほどは、超定番ではないけども、

♪ また 夏が終わる もうさよならだね〜 ♪  というサビの歌詞から、もろ夏の終わりを象徴とする曲には変わりない。

リリースは1992年8月21日。 歌詞にそぐわず、夏の終わりのヒット曲に間違いない。

しかしね、いまや押し押されぬ〜 超ビッググループのデビュー曲を、今まで書いてなかったわけで。。。

なぜ?

理由は簡単で、今でこそ「超ビッググループ」であるミスチルも、デビュー曲であるこの曲の頃は、ほとんど無名だったからですわ。

なにせ、オリコン最高69位だからねぇ〜。

今では考えられないほどの低調ぶりなんだけども、そのくらい、まだ無名だったんだよね。

ワタシも、この曲がリリースされた、92年当時は、ミスチルの存在は全く知らなかった。

でも、そんな、まだ無名だったミスチルを、当時からNext  Breakerに推してた人がいるのよ。


何を隠そう、当時、ワタシが属していた、自主サークル「オリコンチャート研究会」でいっしょに活動していた、コバヤシ君。

彼は、サークル結成当初から先見の明があるっていうのかなぁ。兎に角、これからブレイクしそうなアーティストを掘り起こすのに長けてたんだよなぁ。 彼が、次に来るって言ってたアーティストは、それまでもほとんどブレイクしてきてたから。

あれは、確か1993年正月に、ワタシんちで、恒例のサークルの新年会を開いたときに、「今年(1993年)ブレイクしそうなアーティストは・・・・」っていう話になって、 それぞれ何人かずつ上げていったんだけども、コバヤシ君は、 迷わず「ミスチル」を挙げたのよ。

絶対に、この人たちが来るって断言したのを覚えてるなぁ。

でも、1993年頭の時点で、ワタシ、まだミスチルって知らなくてさ。 半ば「はあ?」って感じで聞いてたんだけども。。。。

コバヤシ君は当時、「日本レコードセンター」に勤務していて、白盤とかよく聴かせてくれたんだけど、その中にミスチルもあってさ。 確か2ndシングルの「抱きしめたい」だと思うんだけども、聴いてみた。

でも、あの時点では、今一つピンとこなかったんだよな、ワタシ。 カラーとして1993年っぽくなかったら。

たしかに瑞々しさはあるんだけども、少し洋楽っぽいなとは思ったのを覚えてるな。 でも、あの当時は、まだ、既存のヒット曲っぽい、分かり安いキャッチーなメロディが主流だったからさ、これは主流ではないな・・っていう思いが強かったのかもしれない。

それから、1年もしないうちに、4枚目の「CROSS ROAD」で大爆発しちゃったじゃん。

うわっ、本当に来た・・・。 ってビックリしちゃってね。

コバヤシ君の眼力は、これは凄いな・・・と感心するのと同時に、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくっていうのも、面白いかもなぁ・・・って思ったんだよね。

それまでは、あくまで、ベストテン番組を通して、ブレイクしてきたアーティストを追いかけるってだけだったからさ。

聴き方が広がったっていうのかなぁ、 次はだれが来そうっていう意識の広がりだよね。

「CROSS ROAD」が大ブレイクしたあと、改めて遡ってミスチルを聴いてみた。 恐らくそのとき初めて、この「君がいた夏」を聴いたと思う。

その時、コバヤシ君が、次はミスチルが来るって言った意味が、分かったような気がしたんだよなぁ。

当時ヒットの主流だった、誰にでも分かりやすいキャッチーなメロディ。

ただ、でも、やっぱりあの当時のカラーは感がなかった。 けど、結果的には、「次の主流」となるカラーを持ち合わせていたんだよね。

これは、ある種の勘としか言えないんだけども、 「あ、これ」っていう感覚を感じる時ってあるんですよ。 どこか懐かしいんだけども、実際的には今まで無かった新しいカラー、匂いを感じる、独特の感覚。

これを感じた時に新しい波が来るんだよね。

まあ、これは、本当に感覚的なところでしかなく、文字ではうまく表現できないのが歯がゆいんだけどさあ。

コバヤシ君って、この感覚というか嗅覚に長けてたんだろうなぁ。

不肖ながらワタシも、「CROSS ROAD」の後、遡って、この「君がいた夏」を聴いたときに、まさにそんな感覚を感じたのよ。

ぱっと聴き、どこか懐かしい感じがするんだよ、この曲。
でも、実際的なところ、この曲以前にこの曲のようなカラーの曲ってなかったんだよね。 だから、瑞々しい新鮮さを感じるし。

ただ、惜しいかな、全体的なインパクトがまだまだ弱い。 そこが今一つヒット戦線に乗らなかった要因なんだろうな。


まあ、僕の場合は、次にミスチルがくるって断言したコバヤシ君が羨ましくもあり、ミスチルのブレイクを事前に見抜けなかった自分が悔しくもあったりしたんだけどさ。

で、自分もこういう感覚を持ちたいと思ったんだよね。 

以来、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくような聴き方をしていったわけなのよ。
そういう聴き方が、後に「着メロ」のセレクターの仕事にむずび付いたわけなんだけどさ。

ただ、確証はなかったんだよね。 その後も、出来る限り「これから来そう」って曲を意識的には聴いてきたつもりなんだけども、空振りっていうのも多かったしさ。

いや、それは、今もそう。

そこそこ「あ、当たった」と思ったのは、以前書いた、平原綾香の「Jupiter」と大塚愛の「さくらんぼ」ですね。

ただ、これらの曲でさえ、ミスチルの時に感じたほどの確証っていうのは、なかなか得られなかったんだけど。。。。

でも、あれから四半世紀、この「君がいた夏」を初めて聴いたあの時と全く同じ感覚を感じた人たちが出てきた。それが実はヒゲダンだったんだよねぇ。

そそそ、ヒゲダンがまだ、メジャーデビュー前に聴いた「LADY」。 これ初めて聴いたときは「ビビビ」と電流が走ったもの。 真っ先に感じたのが、そうミスチルの「君がいた夏」を聴いたときの、あの感覚ですわ。

同時に、もしかするとこいつらは「凄いかも」と、真っ先に「キニナル曲」に書いたのを覚えてるな。

まさか、ここまでのビックバンドまで昇華するとは、思っても見なかったけど。。。。

もっとも、ミスチルだって、「CROSS ROAD」を聴き、遡ってこの「君がいた夏」の曲を聴いたときも、現在のような「超ビッグバンド」まで昇華するとは思っても見なかったんだけどさ。




だけど、あれから30年近く経とうとしているのに、この曲のメロディは、いつ聴いても切ない。
どうして、夏の終わりっていうのは、こうも切ないんだろうねぇ。

そういえば、この間だれか言ってたけど、季節の区切りとして、「〜の終わり」ってつける季節は夏だけですわ。 春の終わりとも秋の終わりともあまり言わない。 今の時期〜夏の終わりっていうのは、それだけ特別な季節なんじゃないかな・・・と思うわけなんだよね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

風が通り抜ける街へ / ZARD

1997_07_風が通り抜ける街へ_ZARD


今回の1曲セレクトは、「風が通り抜ける街へ」ZARDです。

まずはデータですよ

・タイトル    風が通り抜ける街へ
・アーティスト  ZARD
・作詞      坂井泉水
・作曲      織田哲郎
・編曲      徳永暁人
・リリース日   1997年7月2日
・発売元     ビーグラム
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   28.1万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1997年7月14日〜7月21日付
・タイアップ:JRA 夏競馬CM曲

少し遅くなってしまいましたが、梅雨が明け「夏本番」! それと共に、猛暑の到来。
皆様、お暑ございます。

つい先日の1曲セレクトで今年は長雨の夏か!? なんて書いたような気がするけど、昨年同様、どうやら猛暑の夏になりそうですね。

ヒット曲の世界でも、この曲を聴けば「夏本番」って思える曲が、昔から毎年のようにリリースされてますな。
個人的には、古くは天地真理の「恋する夏の日」(1973年7月1日リリース)、松田聖子の「白いパラソル」(1981年7月21日リリース)、岩崎良美「バカンス」(1982年7月21日リリース)、堀ちえみ「青い夏のエピローグ」(1983年7月7日リリース)なんかは、夏本番を連想させる曲だったりするな。
大体は、7月リリースのポップスですね。で、これらの曲でそれぞれの年の夏のイメージが出来上がったりしてね。

リリースローテーションから、第1四半期末月の6月リリースにも「夏」の曲が多かったりするけど、どういうわけか6月リリースの曲は、たとえタイトル「夏〜」とついても、今一つ「夏本番」を感じさせる曲は少なかったような気がする。

曲調的には、河合奈保子の「夏のヒロイン」(1982年6月10日リリース)あたりですかね。

たしかにモロ夏を感じさせるようなサンバ調のアップチューンだけど、リリース時期と1982年の長雨の影響もあって、今一つ「夏本番」の感じは出し切れなかったようなイメージがあるな。

やっぱり、6月リリースは、梅雨の時期と重なり、夏本番と言うには少し早かったし、アイドルの場合、昔はプロモーション開始・・・ラジオで曲を書けるタイミング・・・時期って早かったですからね。6月リリースの曲でも、早い曲では5月中にはラジオで流れたりしたから、まだ「夏」っていうのは、ちょっとピンぼけだったりしたんだよね。

まあ、そんなこともあって、夏「本番」を感じる曲は7月リリースが多かったんだろうな。


今回引っ張ってきた曲、ZARDの「風が通り抜ける街へ」。

この曲のリリースは1997年7月2日。  個人的には1997年の夏本番を感じさせた曲は、この曲だでしたねぇ。 この曲と、吉村由美(Puffyの片割れ)の「V.A.C.A.T.I.O.N.」。この2曲ですね。

いずれも、当時ニッポン放送の朝のワイド番組「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」でかかったのを聴いて、ビビビッと来ちゃったんだよね。

当時、千葉市内の会社に勤務してたワタシは、毎日、車通勤してたのよ。 今はFMの方をよく聴いてるワタシだけど、当時はAMオンリーの人だったんでね。

良く晴れた緑のまぶしい朝。兎に角 すがずかしい夏の朝でさ、窓全開にして、この曲を聴いたのを覚えてるなぁ。

緑がまぶしい夏の朝ってイメージは、天地真理さんの「恋する夏の日」と被るんだけども、この曲を聴くと未だにの日の朝の光景がフラッシュバックしますわ。


90年代も後半に入り、ビーイング系には飽き飽きしていたワタシだけど、この曲は一発で気に入りましたね。ビーイングの夏の曲を気に入ったのは、94年の「瞳そらさないで」(DEEN)以来だったような気がするな。共にすがすがしさから気に入っちゃったんだけども。

ただ、気になったのは、この曲、音がスカスカだった事。
それまでZARD・・・というか、ビーイング系の曲って、一聴でそれと分かるような独特なサウンドと音圧が、ほとんどの曲であったじゃん。

まあ、個人的にはそこに飽きを感じていたんだけども。。。。

この曲は、そんなピーイング特有の「音圧」がなく、音がスカスカなのよ。 サウンドはビーイング特有でしたけどね。

夏本番ということで、聴きやすさを優先したのかしらん!? そこは分からないけど、音がスカスカなのは気になった。
音数が少なかったということもあってか全体的なインパクトも薄かったし、だから、これはあんまり売れないかもな・・・とはリリース当初から思ったな。

まあ案の定、 前曲「君に逢いたくなったら・・・」の64万枚から、この曲では28万枚セールスに一気にダウン。

そんなセールスの動きから、さしものZARDもここまでか・・・と思ったら、この曲の1か月半後にリリースされた「永遠」では63万枚にV字回復したわけだけど。。。

「風が通り抜ける街へ」とは逆に、ZARDの曲の中でも音圧が高い「永遠」でセールスが回復・・ということで、やっぱりビーイングには、独特のサウンドと音圧が必要なのか・・とは、当時思ったりしたな。

もっとも、「永遠」は当時、社会現象化してたドラマ「失楽園」の主題歌だったこともあったけど。。。 逆に言えば、だから、もっと売れても良かったとも思えたりもしたんだけどね。

でも、そんな不安は的中したようで、「永遠」のセールスV字回復を最後に、売り上げは下降線となったわけだけどね。




それにしても、この頃って、ZARDと、MY LITTLE LOVERが交互にシングルリリースしてたイメージが強いんだよね。

ZARDのこの曲の少し前にマイラバは「ANIMAL LIFE」をリリース。 で、この曲を挟んで、8月にマイラバが「Shuffle」をリリースしたと思ったら、ZARDが「永遠」をリリース・・・と。
両者リリース間隔が、ほぼ同じになっていたんだよね、この時期。

ZARDの「永遠」以外の3曲は、いずれもスマッシュヒット止まりということもあり、今となっては死角に入ったような曲ではあるけども、個人的にはいずれの曲も好きなんだよなぁ。

これは、スマッシュヒット止まりということもあって、未だに手垢が少ないということも含めてだけど。。。

97年の音源っていまだに、持ってる曲数が少ないんだけども、この4曲の音源は当時から手元にありますね。


で、この4曲を最後に、個人的には暫くヒット曲の世界から少し距離を置くことになるんだよね。

まあ、当時の仕事が忙しくなった事もあるんだけども、将来的なことを考えだしたのもこの頃だったと思う。
特にインターネットに急速に興味を持ち始めて、いろいろと調べ始めたのが97年夏ごろだったな。
で、97年の秋にISDN回線を導入し、インターネットにつないだのがこの年の年末。

それと共に、暫く曲を置いていたヒット曲の世界に、再びコミットすることになるんだけどね。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

夏色 / ゆず

1998_06_夏色_ゆず


今回の1曲セレクトは、「夏色」ゆず です。

まずはデータなのだ。

・タイトル     夏色
・アーティスト   ゆず
・作詞       北川悠人
・作曲       北川悠人
・編曲       寺岡呼人 ゆず
・リリース日    1998年6月3日
・発売元      セーニャ&Co.
・オリコン最高位  17位
・売上げ枚数    27.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  12位
・タイアップ:ロッテ「爽」CM曲(2017年)

仕事柄、新曲を聴いて、この曲はどのくらい売れるか・・・なんて「予測」することがあるんですね。
まあ、今は、著作権関係の仕事なんで、それほど頻繁ではないけど、以前、某C社で着メロ運用として選曲の仕事をしていた時は、新曲を聴いては、毎日のように「予測」してましたねぇ。

ネットの仕事をしている方ならば常識だと思うけども、 サイトのページの上の方にあるコンテンツほど動きがいいのね。ユーザーのつまりさ注目度が大きいわけよ。
着メロ、着うたで言えば、「注目度」が高い「ウレセン」の曲をページの上に持ってくれば来るほど、ダウンロード数の動きが倍増するわけよ。
だから、いつも、何月何日リリースの新曲のウレセンランクをいつもいつも考えていましたねぇ。

オリコンフリークならばご存じだと思うけど、「チャートバトル」っていう、いわいチャート予想企画、今でも「You大樹」(カスタマー用有料サイト)でやってるけど、あれの「実用版」ってところですかね。
なにしろ外れれば外れるほど死活問題になってくるんで、まあ、毎日が針のむしろ、胃が痛くなる日々だったんだよな。

それでも、当たる事ばかりじゃなく、もちろん予想が外れることもあるわけで。。。。

やっぱね、客観的に見ないで、自分の好みか、好みじゃないか・・・っていう「主観」が入るとダメでしたね。


新曲が売れるか売れないか。 このアーティストが当たるか当たらないか

これは、仕事として予測する以前にも、ヒット曲を聴くようになってから、当たり前のようにいつも考えてきたような気がする。特に、オリコンを読むようになってからは、顕著でしたね。

まあ、仕事として予測していた以前は、どうしても「主観」的に考えることが多いから外れることのほうが多かったですけどね。


今回引っ張ってきた、 ゆずの「夏色」って曲。

今から23年前、1998年のちょうど今頃のヒットですわ。

当時、この曲を聴いたときは、直感的に「この人たちは売れないな」って思ったんだよね。
売れても最初だけだろう・・・と。

なんせ、アコギでのフォークっぽい人たちだったでしょ。 めちゃくちゃアナクロ感を感じたわけよ。

時代は1990年代後半。世は小室ファミリーやSPEEDなどのダンス系、 はたまた、GLAY、ラルク、LUNA SEAなどのバンドサウンドの時代だというのに、めっちゃ時代錯誤だな・・・と真っ先に感じたんだよねぇ。

いや、それで素晴らしい曲であるならば分かる。 正当なフォークではないけど、山崎まさよし など独特の世界観を持っていた人たちは、アコースティックギターサウンドでもヒットを飛ばしていたわけで。 だから、アコギだから売れないというわけではなかった。

でも、この曲は、どこの「こせがれ」だから分かんない、2人組の「若者」が力任せに歌っていたわけでさ。

スタイル的には、プロと言うよりもストリートで歌っているアマチュアの匂いがプンプンだった。

まあ、実際、横浜松坂屋前でうたっていたストリートライブから大きくなってきた2人なんで、その通りなんだけども。。。。

でも、このアマチュア感がどこまでプロの世界に通じるかどうかは、どう見ても疑問だったんだよな。
アマチュア感が抜けず、消えていった人たちを、いやという程見てきていたしね。「ゆず」って人たちも、そんな風に消えていくんだろうなぁ・・・

・・・なんて思ってたわけなのよ。

そんな感じでワタシは「ゆず」って人たちを見てたんだけども、これに反して、近田春夫氏が文春で連載していた「考えるヒット」で「ゆず」の2人を大ゼッサンしてたのよ。 うん、丁度この「夏色」がリリースされたときの「評」としてさ。

具体的にどういう「評」だったか忘れちゃったけど、「ゆず」の2人対して、才能の「埋蔵量」の多さを感じる とかいう評だったと思う。

それを見て、ちょっと待てや、近田様。 このアマチュア感たっぷりこせがれの2人のどこに才能の埋蔵量を感じるんですかね・・・・。なんて、当時は憤った記憶があるなぁ。

・・・というか、80年代アナクロなフォークグループが大嫌いで、明星の「新曲激評」では、フォーク系の曲は、ほとんど、けちょんけちょんに批判していた近田氏だったからさ。

ゆずの二人に対してのこの「ゼッサン」はちょっと信じられなかったんだよね。

近田氏の新曲評について、70年代〜80年代にかけて、「気分は歌謡曲」とか月刊・明星の「新曲激評」についてはシンパシイを感じていたけど、どうも「考えるヒット」の評には、それまでもシンパシイが感じられなかったんだけどさ。

この曲程、近田氏の評と真逆に感じた曲もなかったんじゃないかなぁ。

たしかに、この曲は、オリコンでベストテン入りしなかったし、 当初はそれほどぱっとしなかった「ゆず」の二人だったんで、 そろ見ろ・・・なんて思ってたワタシだけど、3曲目の「からっぽ」で30万枚オーバーのヒットを見せると、以後、近田氏の予想していた通り才能の「埋蔵量」の多さを見つけるようになったわけで。。。。

結果的に言えば、あの時の近田氏の見立ては「あっぱれ」だったわけですよ。
悔しいけれどね、ワタシは完全に見誤っていた訳よ。

でも、この人たちが出てきたから、そのあと「19」とか出てきたんだろうな・・と思うと、やっぱりねそういう時代・・・・フォーキーなアコギサウンドの再評価な時代・・・・だったんだろうな。

そんな時代の流れを、ワタシは見抜けなかったんだけども。。。。


ただ、果たして、あれから23年がたち、こんなにも長く第一線を張れるということが、果たしてあの時点で、近田氏にも予想できたのかどうかというのは、疑問ですけどね。

・・・なんて、負け惜しみ。。。。。


それほど、才能の埋蔵量が膨大だったってことなんだろうな、この二人。
 


しかしね、「夏色」のMVは、Youtubeに上がってないんだな。
しょうがないんで、この動画で。。。。。

で・・98年当時、こせがれなこの2人を認めていなかったワタシも、もちろん、今は違いますけどね。
意識の変化の分岐点になったのは、やっぱ2004年の「栄光の架橋」だろうな。
あの曲を見せつけられたら、どうあがいても認めざるを得ないですよ。

来月から始まる東京五輪でも、ハイライトシーンには、また頻繁に使われることになるんだろうね、きっと。


ところで、先週のMステの「ゆず」北川悠人の変貌にザワザワ・・・とネット上ではざわついているようだけど、大丈夫なんでしょうかね?

実際、ワタシは、Mステ見てなかったんで、何とも言えなんだけども。。。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

伝説の少女 / 観月ありさ

1991_05_伝説の少女_観月ありさ


今回の1曲セレクトは、「伝説の少女」観月ありさです。

まずはデータですら。

・タイトル   伝説の少女
・アーティスト 観月ありさ
・作詞     尾崎亜美
・作曲     尾崎亜美
・編曲     佐藤準
・リリース日  1991年5月15日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  22.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1991年6月3日〜6月10日 6月24日付
・タイアップ:キリン「シャッセ」CM曲

ここんところYAHOOニュースとか、ネットニュースみてると、観月ありさ、14歳「伝説の少女」から30年・・・なんて記事が目に飛び込んできますね。
そうかあ、全然意識してなかったんで、すっかり忘れてたけど、今年は1991年から30年なんだよな。

ホント、月日が流れるのは早い。月並みな表現だけど、1991年なんてホントつい最近のように感じるけどねぇ。。。

30年前。ワタシゃ大学2年。 
大学生活にも慣れ、かといって就職のことも、まだ頭になく、一番「だらけてた」時期かなぁ。
そろそろ、大学には「実験」(理系だったもので。。。)と語学などの出席を取る授業くらいしか顔を出さなくなってきてた頃ですね  

いまでも覚えてるけど、月曜1限目の「生化学機廖1年通しての必修科目だったけど、出席を取らないことを良い事に、1年間で3回くらいしか授業出なかったもの

バイトと、ボーリングと、カラオケと、件の自主サークル「オリコンチャート研究会」、これらに没頭してたころですわ。 

週末は、ボーリング、カラオケ、それにサークル活動で、「終電」ってことも多かったんで、月曜日のしかも「1限」なんて「朝早く」にゃ、起きられるわけも無く

試験は友達から過去問を借りてびゃーっとコピーして、前日に解答を必死に暗記。
これで乗り切ったりして。。 しかもヤマが全部当たって、年間3回しか授業出なかったのに「優」をもらったりして。。  大分、チョンボしてた頃だなぁ。

それなりに「充実」(?)したキャンパスライフを送っていたわけね。

ちなみに、今も続く自主チャートの76年〜の過去チャートの作成に、平日、大学の授業がない日には、ずっと国会図書館通いしてましたね。このころ。

うむ、全く勉強もせず、遊び呆けてたわけではないのよね。

もっとも、本来の「生物」の勉強ではなく、全く畑違いの「ヒットチャート」の勉強をしてたわけだけど。。。



そんな充実したキャンパスライフを送っていた30年前の今頃。
・・・と来れば、今回の1曲セレクトは、この曲しかないわなぁ・・・

観月ありさ「伝説の少女」

なんか、30年前の今頃、さぞかしこの曲に注目してたような書き方になっちゃっいましたが・・・。

実際は、全く逆で。 正直、あんまりこの曲には深入りしてなかったんだよね。

正直、オリコンで何万枚売れて、最高位が何位まで行った・・・っていうのは、後付けて知ったような気がする。

おいおい、当時はオリコンチャートの研究をしてたんぢゃなかったのかい?

なんて言われそうだけど、あの頃の時点での「今」、つまり1991年当時のランクは、あんまり追ってなかったんだよね。
たしかに、オリコンウイークリーは毎週購入してたけど、ランキング自体は、ちゃんと見ないで眺めてたっていう感覚かなぁ。。。


過去の自主チャートを作成していたということもあり、むしろ70年代、80年代の「過去」を掘り下げてたというところが大きかったのよ、当時は。

件の自主サークル「オリコンチャート研究会」でも、当時のヒットチャートとかヒット曲を追いかけるということよりも、70年代、80年代のヒットチャートやヒット曲を掘り下げるってことがメインだったし。

1991年って、今でこそ振り返ってみると、「ラブストーリーは突然に」とか「SAY YES」などの超メガヒットに湧いた年と言えるけども。
それとは別の流れとして、平成と言う新たな時代に入り、過去(昭和)を総括するといえば聞こえはいいけど、70年代、80年代を振り返るっていう流れも盛んだったんだよね。

まあ、今となっては、これについては忘れてる人も多いだろうけど。。。 
TBSの「テレビ探偵団」が一番象徴的でしたよね。
歌番組では、例えばフジテレビの夜中にやってた「19××」とか「カノッサの屈辱」とかさ。特番でも「懐かしのアニメ主題歌」とか「アイドル〇〇年史」のような「過去」を振り返る番組。 これは、今でも続いているけど、この手の番組が出てきたのも、この頃からだったのよ。
「良き昭和」と言う時代を振り返る・・っていう番組ですわ。

あれから30年、いまだに「良き昭和という時代を振り返る」という番組が続いているのは、なんだかなぁ・・・と思ったりもするんだけども。。。 
でも、ついつい見ちゃうからなぁ・・・。あんまり強く言えないけど。。。。 
まあ、ついつい見ちゃう人が多いから、未だに続いているんだろうけどね、この手の番組。

で、個人的にも・・というか、関わっていた自主サークル「オリコンチャート研究会」としても、そういう「70年代、80年代を振り返る」と言う動きにコミットしてたところが大きかったんだよね。

確かに、当時、テレビ番組的にそういう動きが出て来ていたところもあるけど、昨今の「昭和歌謡ブーム」として70年代、80年代を振り返るというのが流行ってきているところを考えると、かなり時代を先行してたかな・・というのはあるかな。

で、今回の「伝説の少女」と言う曲。

この曲は、そんな当時の「良き昭和という時代を振り返る」という流れの延長線上にある曲だったな・・今になってみるとそんな感じがするんだよなぁ。

尾崎亜美さんっていう、70年代から活動してきていた、いわいる大御所の作品だったし。 そういうこともあって70年代的な匂いも強い作品。

90年代という新たな時代を予感させるような作品ではなかったですよね。

いや、今考えてみると1991年っていう年は、全体的なヒット曲的な流れとしてそういう時代だったんだよね。
ヒット曲としても70年代、80年代の残像を追いかけていた年・・とでも言いますかね。1990年代という新たな時代を彷彿とさせる年ではなかったんだよね。

いつか80年代を振り返って、1982年までは1970年代の後追い。本当の1980年代は1983年以降と書いたことがあった。

1990年代も同じで、個人的には、80年代末からのバンドブームが一段落し、ビーイング系が台頭してきた1992年以降が本当の1990年代と思っていたりするんだけどね。 1990年、1991年は1970年代、1980年代の後追いの時期でさ。

この「伝説の少女」っていう曲なんかは、まさにそんな匂いがする1曲ではなかったかなあ・・なんて思ったりするのよ。


曲に対して、1976年生まれ、当時14歳観月ありささんって、 今から思えば、異星人から来た宇宙人のようなイメージがあった。

超大げさな表現だけど、 いや、ホントにそういうイメージがあったのよ。 すらりとした長い脚。14歳とは思えない大人びたマスク。

ホントに14歳? って感じでしたよ。 中学生でこれはヤバイでしょ。

80年代アイドルにはなかった、90年代の新たなアイドル像っていうのかなぁ。 

それ以上に1976年生まれ、 昭和50年代生まれかよ〜 ・・・。 っていう衝撃は大きかったのよ。

昭和50年代生まれ・・っていう、「昭和年代」が、ワタシよりも一つ下のアイドルが出てきたのは、このヒトが最初だったような気がするのよ。

なんか一気に老けたような感覚になったりして・・・

昭和51年っていったら、ワシゃ小学校に上がってたぞ〜 ・・・っていうところに大きなジェネレーションギャップを感じた・・っていうのが、一番デカかったんだよね。

自分の年よりも年下のアイドルの子たちが、 この数年前からボチボチと出て来てはいたけど、正直、どう接していったらいいものか・・というのも分からなくなってきていた時期ではあった。

それまでアイドルと言えど、自分より年上とか同年代っていう人の方が多かったですからね。年下のアイドルって、どうもよく分かんなかったのよ。 「宇宙人」を扱うかのような感覚があったのね。

そんな「宇宙人」なニュージェネレーションの観月ありささんが、尾崎亜美さんっていう、70年代の「大御所」の曲を歌う。。

うーむ、まあ、前例がない事だったりするし、1976年生まれの観月ありささんが、 1976年デビューの尾崎亜美さんの曲でデビューするってこと自体、話題性があったのかもしれないけど、個人的にはあんまりピンとこなかったのは、正直なところなんですよね。

ニューヒロインと言う割には、曲的に「ニュー」なところは少なかったですし。
90年代のアイドルと言うからには、もっと斬新な新しい切り口があったんじゃないのか・・とも思ったりしたし。

個人的には、観月ありささんバージョンよりも、尾崎亜美さんが、1992年にアルバム「POINT-3」でセルフカバーしたバージョンの方が刺さったし、しっくり来たんだよね。





やっぱり、この曲は70年代の匂いの曲なんだ・・観月さんバージョンが刺さらなかったのは、ジェネレーションギャップだったんだ・・・というのが、改めて確認できたわけなんだよね。

その点から見ると、次の年1992年にリリースされた「TOO SHY SHY BOY!」は、90年代という新たな年を時代を彷彿させるような曲でしたしね。。
さすがはTK氏。時代感覚が新しい・・なんてこの時は素直に思いましたね。 





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村
記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん