かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1990年代ヒット曲

Over Drive / JUDY AND MARY

1995_06_Over Drive_JUDY MARY



今回の1曲セレクトは、「Over Drive」JUDY AND MARYです。

まずはデータでする。

・タイトル    Over Drive
・アーティスト  JUDY AND MARY
・作詞      YUKI
・作曲      TAKUYA
・編曲      JUDY AND MARY
・リリース日   1995年6月19日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   67.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1995年7月17日〜8月7日付
・タイアップ:トヨタ「カローラツーリングワゴン」CM曲

マイカーの車検、通そうか、それとも買い替えようか、迷ったんだけども、結局、今回は通してとしまった。
20年物の「初代・Wish」。そそそ、宇多田ヒカルの「Colors」がCMで使われた時のクルマだ。
展示車だったのを「新古車」として買ってやつ。走行距離も18万Kmとなり、車検の際、修理、部品交換個所も増えたし、仮に車検通しても次も同じくらいの部品交換個所が出てきそうな気もするんでね。 そろそろ車新しくするか・・・という気持ち半分。

ただねぇ、なんせ20年も乗ってきたんでね。自分の手足のように自在に動いてくれるし、なかなか離れがたい気持半分。。 
車検時に部品交換個所はあるものの、半年ごとにディーラーで点検してもらっているんで、エンジンそのものは問題ないんで判断を遅らせているってのもあるし、、今回車検を通した要因でもあるな。

ただ、次の車検は・・・・。 さすがにそれまでには車を変えたい。
18万超えてると、遠出の勇気がなかなか出ないのよ。 でも、コロナも落ち着いてきて、そろそろ長距離ドライブもしたいしねぇ。


・・ということで、今回は「クルマ」に関係した曲を一つ。

ジュディマリの「Over Drive」

オ〜マイ・ガット  この曲まだ書いてなかったんだ。。。。。

ジディマリの主な曲は、あらかた書いたと思っていたんだけども。。。。


・・・っつか、最近じゃ、このCMに使われてるし。。。

↓ コレ



初め、あれ? 聴いたことあるけど、だれの曲だったっけ・・・なんて思っていたんだけども。。。。



この曲は、ジュディマリ初のベストテンヒットですわ。

前年「Hello! Orange Sunshine」でベスト30のスマッシュヒットを出し、個人的にもこの曲でジュディマリを知ったわけなんだけども。

やっぱり、トヨタ「カローラ」のCMに起用されたのが大きかったんだろうね、事実上のブレイクは、この「Over Drive」といってもいいだろうな。

くしくも、この曲がヒットし始めたころに、ワタシもクルマ変えてたんだよ。

それまで乗ってた「カローラ供廚ら「マーク供廚法

それまで乗ってた「カローラ供廚FMが入らなかったのよ。でも買い替えた「マーク供廚FM OKだし、カーステでCD聴けるし。当時としては至れり尽くせりだったんだよね。

そんで、初めてのドライブで聴いてたFMから流れてきたのが、この曲だったって記憶してるんだよなぁ。それでのこの曲覚えていたんだよな。

ただ、ヒット時期ってもうちっと早かったような印象があったんだけどね。 そそそ1995年の5月頃じゃなかったかと・・・。

でも、実際はリリースが6月だった。1か月履き違えていたんんだよな・・・。


そうか、それで、この曲の音源、長い事手元になかった理由も分かった。

この年のちょうど今頃、当時勤務していた、某大手害虫駆除会社での、「文化財害虫防除」作業の一環として「ガス燻蒸」作業の実地研修を受けに、まるまる1週間「川越市博物館」にカンヅメになってたんだ。
それだけでなく、翌週は、この研修の成果として「佐倉市美術館」の「ガス燻蒸」作業で、また、まるまる1週間カンヅメ。都合2週間家に帰ってなかったのよ。

おかけで、当時、ヒット曲収集の拠り所としていたbay fm「パワーカウントダウンHOT30」を2週間聴けなかったはずだ。
それらの週にこの曲、ランクインしてたんだよな。

当時、「パワカン」からエアチェックした音源をカセットに編集して、個人的なヒット曲集の音源としていたんだけども、たしか、あの頃、初登場の週は、ほぼフルでかかってたんだよね。それを目当てとしていたんだけども、初登場週にあぶれて、1コーラスしかかからない週ばかり聴くことになったんだ、それがいやで、この曲、当時のパワカンから編集したカセットに入ってないんだ。。。。


たしかに、個人的に刺さらなかった曲は、カセットに入れてなかったんだけども、この曲は、そういう理由ではなかったんだよね。

むしろ、刺さった。。。 というか、↑でかいた、初めてFMでこの曲を聴いたときに、「あ、これは来る」って感じたもんな。

前年、初めてジュディマリを知った「Hello! Orange Sunshine」は、もっととっ散らかってた。
まあ、だからこそ、ある種のパワーも感じたりして、「ニューカマー」が出てきたなとは感じてたな。

けど、この曲は、まとまっているのよ。 その分、「Hello! Orange Sunshine」のようなギラギラしたエネルギッシュなパワーは感じないけど、分かりやすいし、キャッチー。 これぞ「シングル」という感じ。当たり前のように売れると思ったな。

ただ、ここまで来るとはね、オリコン最高4位というのも、そうだけども、売り上げ枚数が67万枚だったからねえ。 それまでのシングルは10万枚も売れなかったわけだから、ここまで急激にブレイクしてくるとは、当初は思わなかったな。

やっぱり、天下の「トヨタ」のCM曲として起用っていうのは、デカかったんだろうね。

いずれにしても、この曲をきっかけにして、ジュディマリもビッグバンドの地位を不動のものにしたわけですわね。




この曲を今の今まで書かなかったのは、このMVがようつべに上がるのを待ってたっていうのもあるかもな。
このMV、メンバーの後ろ姿で面白いんだよね。
まあ、このMVでなくても、この曲自体の動画が上がるのを待ってたんだよね。 ちょっとまえまで、この曲の動画、ようつべになかったんですよ。

もっとも、ここ数年、この時期になると「生業」が忙しくて、1曲セレクト書いてる余裕が無かったっていうのもあるんだけども。。。。

それにしても、YUKIさんさすがに若いな。 そりゃそうかワタシも、この時まだ25才だったんだよな。 YUKIさんは、ワタシよりも学年で言えば2つ下なんで、こんとき23才だったハズ。

改めて今きくと、いつもよりも、丁寧に歌っていたような気がする。
トヨタのCMって先にありきだったのかしらん    だから、いつもより丁寧に歌ってた? その辺はよく分からないけど・・・。 でも、好感が持てたのは事実ですね。

いわいるメロコア系のバンドに、キュートな女性ボーカルっていう形式の男女混合バンドで成功した人たちって、今でこそ、いろいろと出て来ているけど、当時は少なかったですよね。

確かに「LINDBERG」も同じ形態のバンドだったけど、ボーカルの渡瀬さんは、YUKIさんのようなキュートなボーカルではなかったし。

まあ、同じ時期にMY LITTLE LOVERのAKKOっていうキュートな声質なボーカルユニットが大ブレイクしてるけど、ラウドなバンドはないってところは、ジュディマリとは異なるしね。


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時の扉 /WANDS

1993_03_時の扉_WANDS



今回の1曲セレクトは、「時の扉」WANDSです。

まずはデータです。

・タイトル    時の扉
・アーティスト  WANDS
・作詞      上杉昇
・作曲      大島康祐
・編曲      明石昌夫
・リリース日   1993年2月26日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   144.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1993年3月8日〜5月3日付
・タイアップ:テレビ朝日系「ネオドラマ」主題歌

今年の冬はとみに寒かったですわ。個人的にエアコンの「温風」が苦手なんで、冬場は未だに「石油ストーブ」なんだけども、この冬は灯油代がいくらかかったか。。。
でも、ようやく春っぽくなってきましたね。

ただ、春っぽくなってくると「花粉症」が・・・・。 まあ、最近は、ジジイになってきて鈍感になってきたのか、花粉に慣れてきたのか、昔ほどひどい症状は出なくなってきたけど、それでも、多少は症状が出るな。 ここ数日、鼻水が。。。

振り返ってみれば、1993年春の花粉症が一番ひどかった気がする。かんでもかんでも止まらない鼻水に加え、鼻づまり、微熱が3〜4月の間ずっと続いてたなぁ。

大学4年になろうとしていた春。卒研のための所属研究室をめぐって各教授へのお願いと、就活開始時期が重なって何かと気苦労が多かった春だ。

そう考えると、花粉症っていうのも精神的なところもあるのかもな。

・・・・ということで、今回はそんな個人的に花粉症が酷かった1993年春から1曲。

WANDS  「時の扉」

うーむ、この曲未だに書いてなかったんだな。  ・・というか、過去に書いた曲アーカイブスを調べてみると、WANDSって意外と書いてなかったんだよね。

1993年の今頃と言えば、ビーイング系アーティストが、チャートを席巻し始めていた頃だ。

どうもね、ある系統のアーティストがランキングを席巻し始めると、それらのアーティストから距離を置きたくなるところが、昔からあるんだよね、ワタシ。

例えば、それ以前だったら、おニャン子関連なんかまさにそんな感じだったな。

たくさんの方たちと共有できるヒット曲が好きな反面、ヒットチャート上、あまりにそれらの系統のアーティストばかりになると、途端にいやになる。 天邪鬼ですよ。

そんな傾向が、93年の今頃には、いわいるビーイング系のアーティストに出て来てたんだよね、ワタシ。

だからということもあるんだろうけど、この1曲セレクトで、全盛期だった1993年のビーイング系の曲って、未だにあんまり書いてないんだよね。

もっとも 当時のビーイング系のすべての曲に拒否反応があったわけじゃない。
例えば、WANDSだったら、この「時の扉」の次の「愛を語るなら〜」は、一時期カラオケの十八番だったくらい好きだったし。。。

いや、ビーイング系の曲って、刺さるか刺さらないかの差が激しかったのよ、個人的に。

例えば、T-BOLANなんて、普段はあんまり刺さらなかったのに「Bye For Now」なんて大好きだったし。。

うん、全体的に見て、ビーイング系がブームだった1993年よりも、ブームが下火になりかけて来ていた、1994年の曲の方が個人的には刺さったのよ。
WANDSだったら、「世界が終わるまでは・・・」、DEEN「瞳そらさないで」、MANISH「走りだせLONELY NIGHT」、T-BOLAN「マリア」・・・。
みんな1994年の曲ですわ。

1994年ってミスチルに加えて、小室系からtrfっていう、新たな勢力が急成長してきたころ。それに伴い明らかにビーイング系の分が悪くなり始めて来てた頃だったからさ。

そうなると、なんか愛おしくなってきたりするんだよね、ワタシ。

まあ、そんなところもあったんだろう。、今回引っ張ってきた「時の扉」って曲、1993年当時は、めちやくちゃ好きだったわけじゃないんだよね、個人的には。

まあ、だから、145万枚なんちゅう、いわいる「メガヒット」になったこの曲なのに、いままで1曲セレクトで書いてこなかったんだろうけど。。。

この曲よりも、同時にリリースされたチャゲアスの「YAH YAH YAH」のほうが個人的には、何倍もは刺さってたしなぁ、この頃は。

この曲の前の「もっと強く抱きしめたなら」は、インパクがあったのよ。分かりやすいしポップだし・・・。 今となっては信じられないけど、当時の一つのヒットの法則のトレンドだった有線発のブレイクだった。

有線発のヒットというと、一見地味な印象があるけど、ジワジワ広がる口コミ効果が、ネットがなかったあの頃はデカかったからさ、有線発のヒットは。ブレイクするとロングヒットの傾向が強かった。

WANDSもそんなところからブレイクしてきたわけよ。今となってはすっかり忘れられていると思うけど。。。。

この「時の扉」はそんな大ブレイクを受けてのシングルであったんだけど、「もっと強く〜」とは異なり、初めからヒットが約束されたような曲調に、当時はやや違和感を感じたのかもしれないな、個人的に。

「もっと強く〜」は、謙虚だったじゃん。 もちろんブレイク狙いというところからそうだったのかもしれないけれど、1曲でそんなに変わっちゃうの? っていう思いもあったしな。

まあ、もっとも、ポップな「もっと強く〜」よりも、よりロックテイストな、この「時の扉」のほうが、本来のWANDSに近いんだろうけど。。 それは、後年1995年の「SECRET NIGHT」の時に感じたことなんだけどさ。 でも、93年のこの時点ではまだわからなかったのね。

だから、謙虚さが戻ってポップな曲調だった、次の「愛を語るより口づけをかわそう」は刺さったんだと思う。 うん、93年時点ではそういうポップロックな人たちだと思ってたから。

もっとも、当時のボーカル・上杉昇の見た目のヤンチャさから、違和感はあったけど。。。。






今、当時の事を振り返って、残念だな・・と思うのは、あの頃はライブに行かないヒトだったのね、ワタシ。
ブログに「ライブレビュー」なんてカテゴリー作っている今の私からすると信じられないんだけどさ。

たしかにあの時代もライブに行ってみたいっていう欲求はどこかにあった。
まだ、ネットが無く、ライブチケット言えば「チケットぴあ」なんかの店頭に並ばなきゃ買えなかった時代。 どうせ人気アーティストのチケットはすぐに売り切りだろうと、半ばあきらめてたところもあるな。実際、それまで何回か店頭販売に申し込んでは「ハズレ」が続いてたこともあったからさ。



でも、当時は大学生だったからこそ、今よりももっといろんなライブに参戦できたろうし、もっと積極的になるべきだったなぁ・・なんて、今になって思ったり。

あの時代、CDとかテレビだけでなく、実際、生で見ることで、アーティストとか楽曲の感じ方も大分違っただろうしなぁ。

この動画の観客の人たちって、おそらく、ほぼワタシと同年代の人たちだろうけど、なんか羨ましい。
今、こうしてライブ映像を見ると、そう思えるな。



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ひとすじになれない / 米米CLUB

1991_12_ひとすじになれない_米米CLUB



今回の1曲セレクトは、「ひとすじになれない」米米CLUBです。

まずはデータでーす。

・タイトル    ひとすじになれない
・アーティスト  米米CLUB
・作詞      米米CLUB
・作曲      米米CLUB
・編曲      米米CLUB
・リリース日   1991年9月21日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1991年10月7日〜11月4日付
・タイアップ:ソニービデオカセットV CM曲

2021年の1曲セレクトは、恐らくこれが最後なんじゃないかな・・・。
今年も1年間、「1曲セレクト」を読んでいただきありがとうございました。まあ、年々、書く頻度も少なくなってきましたけど、来年も一つよろしくお願いします。

ところで、昨日、ワタシメのランキング、2021年の年間チャートベスト200を公開しました。
年間1位は、優里の「ドライフラワー」。 
まあ、1年52週あったうち、49週ベストテン入りなんていう、とんでもない超ロングヒットになったわけで、年間1位も頷けるところではあるんですけどね。

ただ、、この曲、よく分かんないって方が結構いるんだよね。
曲調として派手なわけでもないし、強烈なインパクトがあるわけでもない。でも、なんで、こんな超ロングヒットになっているのかがよくわかんない・・っていう理由ですね。

確かにそうなんだよね。 例えば、BTSの一連ヒットなんかもパッと聴きはそういう所があるんだけども、BTSの場合は中毒性がある。 何回か聴くといつの間にか嵌っちゃうんだよね。
まあ、ひげだんの「Cry Baby」なんかは、それこそインパクトの塊だったりするけどさ。

これらの曲に比べると、「ドライフラワー」って曲は、今一つよく分からない・・というのも理解できたりするんだよな。

ただ、そういうよくわかんない曲が、得てしてロングヒットすることっていうのも、ときどきあるわけなのよ。

今回の1曲セレクトは、同じように、強烈なインパクトがあるわけでもないけど、ロングヒットになった曲を一つ。

米米CLUB 「ひとすじになれない」。

この曲、もちろん覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思うけど、いやー、覚えてないなぁ・・っていう方も多いんじゃないかなぁ。

今となっては、米米CLUBと言ったら、「君がいるだけで」と「浪漫飛行」の2択だけっていう感じになっちゃってて、他の曲にスポットが当たることは少ないもんなぁ。

ましてや、地味な存在のこの曲なんて、今となっては忘れられててもしょうがない。

時代的には、1991年9月リリース、今からちょうど30年前の曲ですわ。

1991年9月と言ったら、チャゲアス「SAY YES」と、槇原の「どんなときも。」が超大ヒットを続けており、 バブルガムブラザーズの「WON'T BE LONG」が、この2強に肉薄してきていた頃だ。

そんな中リリースされたこの曲。 上記3強の間隙を縫ってオリコン初登場は3位であったものの、それが精いっぱい。そこからはランクは下降線をたどっていき、1991年の年末、ちょうど今頃には、オリコン30位台まで一度落ちるのよ。

でも、年をまたいで1992年1月に入ると、オリコン10位台まで回復。 2月以降、再び30位台から20位台を行ったり来たりし、結局、1992年5月25日付まで、オリコン左ページ、つまりは50位以内をキープ。
リリース以来、8か月間ベスト50をキープするという、ロングヒットになる。

紅白で歌われたというならば、紅白効果で、年明けチャートが一時的にでも上向きになるということは珍しいことではない。 そういう曲は、未だに毎年のように出てくるしね。

でも、この曲は紅白では歌われていないし・・・。 っつうか、1991年時点で、米米は紅白には1度も選ばれていない。
・・にも関わらず、年が明けて、再浮上してきたわけよ。

まあ、確かに、今年の「ドライフラワー」に比べるとロングヒットの規模は小さいものの、似たようなヒットだったって言えるんじゃないのかなぁ。

あの時代、演歌でのロングヒットっていうのは、それほど珍しくなかったけど、ロック・ポップス系で8か月間オリコン左ページを維持した曲って多くなかったしね。

ぢゃ、なんで、こんなロングヒットになったのか?

当時のカラオケブームっていうのが、大きかったんじゃないのかなぁ・・・。なんて思うわけなのよ。

この曲、オリコンのCDセールスは地味な動きだったけど、有線チャートの動きは比較的良かったんだよね。
つまりは、飲み屋の有線なんかじゃ、よくかかっていたのよ。  

あの頃、有線発のロック・ポップス系ヒット曲って増えて来てましたからね。 ↑で書いたバブルガムの「WON'T BE LONG」なんかはそうだったし。 この1991年は、他に沢田知可子さんの「会いたい」なんてぇのは、典型的だったな。
有線で耳にした曲をカラオケで歌う。 そんな流れも出来ていたんですよ。
この曲なんかも、そんな流れの1曲だったと思う。


で、さあ、この曲、実際カラオケで歌うと気持ちいいのよ。 少し音程が取りにくいところがあるけど、米米の曲の中ではまともな曲だし。。 これは「カラオケで歌う曲を前提」にした曲なんじゃないか・・とも思えたりしてね。

個人的に、そうだったけど、あの頃、兎に角飲み会にカラオケは鉄板、必須でしたからねぇ。 この曲当時、カラオケで何回歌ったか分かんないもの、個人的に。

そういう方も多かったんじゃないのかなぁ、今の40代、50代の方の中にもさあ。

そういう時代の流れに支えられてのロングヒットだったと思うんだよね。 この曲は。

結局ね、今年のワタシのチャートの年間1位だった、優里の「ドライフラワー」っていう曲も同じ様な理由なんじゃないかなと思うんだよね。

いまの時代だったら、有線発ではなく「ようつべ」とか「TIK TOK」なんかの動画発のヒットという違いはあるんだろうけど、そういう時代の流れに支えられたロングヒットであることは間違いない訳なのよ。
それに、最近の曲としては、比較的素直でわかりやすい曲ではあるしね。

まあ、動画見て、どの程度カラオケに流れたのかはよくわかんないけど。。。。




ウーン、カールスモーキー石井自ら「カラオケで歌われること前提」のようなコメントしてたりするな

カラオケでは、Cメロの ♪ 軽く愛してるよ なんて 言えないから〜 ♪ が決まると気持ちいいのよね。 

しかし、なんじゃ、この切れ方は。。。。。。

仕切り直しに CD音源動画を




すぐ消されちゃうかもしれないけど。。。。


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もっと愛しあいましょ / LINDBERG

1995_12_もっと愛し合いましょ_LINGBERG



今回の1曲セレクトは、「もっと愛しあいましょ」LINDBERGです。

まずはデータです。

・タイトル     もっと愛しあいましょ
・アーティスト   LINDBERG
・作詞       渡瀬マキ
・作曲       川添智久
・編曲       LINDBERG   井上龍久
・リリース日    1995年11月1日
・発売元      TMC
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    35.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位
・タイアップ:テレビ朝日系「かざあなダウンタウン」エンディングテーマ曲

最近はあんまり書かなくなったけど、個人的には、あんまり他の方々の「手垢」が付いていない曲が好きなのね。
うん、リリースしたもののヒットせずに、ホントに知る人ぞ知るというレアな曲・・・というよりは、リリース当時はそこそこヒットしたものの、今となっては「死角」になっている曲ですね。
 今は多くの方々には忘れられているけど、引っ張っりだぜば、「ああ、そういえばそんな曲があったね」っていう曲。できれば、そういう曲が理想かなぁ。

ほとんどの方が知ってるなら、ここに引っ張り出してくる意味っていうのもね、薄くなるだろうしね。
逆にヒットすることなしにレアな曲は、引っかかりも少ないだろうしね。

だから、リリース当時はそこそこヒットした、 あるいは、意外とヒットした・・けど、今となっては多くの方の意識の外にあって、 引っ張ってくることで、「そういえば・・・」っていう曲が書く側としては理想だったりするんだよね。


今回引っ張ってきた曲は・・・うーん、どうなのかなぁ、、そんな「理想」の範疇にある曲なのかなぁ・・・。

LINDBERGの「もっと愛しあいましょ」。

いやー、どうなんだろう? 恐らく多くの方には、今となっては「そういえば、そんな曲があったね」という曲なんじゃないのかなぁ。 あるいは、もしかすると「そんな曲あったの?」って曲なのかなぁ。

個人的には、後者なんじゃないのかなぁ・・・。っていう気もするんだけどもね。

・・というのも、自分のチャートでは、この曲最高14位。 ベストテン入りしなかったのよ。

自分では、ずっとその頭でいたのね。 それに、この曲がリリースされた1995年頃って、LINDBERGって、ひところの勢いもなくなってきていたからさ、この曲なんてぇのは、今や知ってる人も少ないだろうなぁ・・・と思っていたんだけどさ。

LINDBERGといったら、「今すぐKISS ME」を筆頭に、90年代前半だもんね。ヒットチャート上でブイブイ言わしていたのは。

で、これを書くにあたって、改めて当時のオリコン引っ張り出してみたら、この曲、オリコン最高5位。売り上げも35万枚強も行ってたんじゃん。

Wikiによると、LINDBERGとしては7番目に売れた曲になっていたりして。 
だって、阪神の藤川球児の登場曲として有名になった、1996年の「every little thing every precious thing」の31万枚よりも売れた訳なのよね。

うーむ、今となっては、そんなに売れた印象、ないんだけどなぁ。

いや、だから、この曲、個人的には好きだったのかもしれない。 ↑で書いたように、絶対に大ヒットした曲もももちろんいいんだけども、ヒットはしたけども影が薄い、 しかも「ダサい」曲が個人的には好みだからさあ。

1995年のLINDBERGの曲って、この曲の前曲「水着とBeachとBoys」もそうだったけど、ダサい曲なのよ。
90年代前半の、ラウド系よりのロックでブイブイ言わせてた頃のLINDBERGはどこへ行ったというくらい、片から力が抜けたような。。 ロックというよりはポップスに近かったかもしれない。

歌詞内容も、少し間抜けな恋愛モノであったりして。どちらかといえばノベルディ的なポップスって感じだったのよ。

そんな曲調が、初期からのファンには不満だったのか、「水着とBeachとBoys」はオリコンでもベストテン入りしなかったしさ。

あ、これは、ブレイクして5年過ぎたんで、もうシャカリキにベストテンは狙っていないんだ・・・なんて個人的には思ってたりしたなぁ。

ただ、力が抜けた渡瀬マキさんのボーカルが、なんかコミカルで「水着とBeachとBoys」は個人的には好きだった。 

で、今回引っ張ってきた「もっと愛しあいましょ」も、方向性は「水着とBeachとBoys」と同じだったしさ、今回もそれほど売れないだろうな・・と思っていたら、そこそこ売れちゃったんだよね。

うーむ、この違いが、今一つ、よく理解できないんだけどさあ。

まあ、コミカルという点では、「水着とBeachとBoys」よりも、もう一段突っ込んだような気もするけどさ。 そもそも、後年のtommy february6のような、ツンツン眼鏡に、モンキーダンスよろしく、へんてこりんな振り付け。 ほとんどコミックソングになっちゃいましたから。

テレビに結構出たのも良かったのかもしれない。そういえば、「水着とBeachとBoys」はテレビで見た記憶があんまりないけど、この曲は、結構テレビで見た記憶があるしな。

たしか「Mステ」で初めて見て、「なんだこりゃ」って引っかかような気がする、この曲。

まあ、そんな所を含めて、意外なインパクトがあったんだろうね、この曲。 その分、売り上げが戻ったのかもしれない。

ただ、あくまでカンフル剤のようなもので、人気としては、いっぱいいっぱいのところはあったんだろうね。

翌96年の「every little thing every precious thing」に続いて連続リリースされた「Green eyed Monster」が最後のベストテン入りとなり、以後は人気は低迷していく。

まあ、時代の流れというのも大きかったんだろうね。1996年って、ヒット曲の流れとして90年代の前半と後半を分けたターニングポイントとなった年でもあるしさ。 この年を境に前後ではベストテン入りメンバーも大分変ったからさ。




NHK「ポップジャム」

あれ? ♪たしかイチローが満塁ホームラン♪ っていう歌詞が ♪たしかあの選手が満塁ホームラン♪ に変わってる。。。。

さすがはNHK。この頃も「固有名詞」NGだったわけね。

山口百恵さん「プレイバックPART2」とか、松本伊代さんの「センチメンタルジャーニー」と同じだったわけですわ。

本来は ↓  






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WHITE LOVE / SPEED

1997_11_WHITE LOVE_SPEED


今回の1曲セレクトは、「WHITE LOVE」SPEEDです。

まずはデータなのですら。

・タイトル    WHITE LOVE
・アーティスト  SPEED
・作詞         伊秩弘将
・作曲      伊秩弘将
・編曲      水島康貴
・リリース日   1997年10月15日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   184.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年10月27日〜1998年2月2日付
・タイアップ:資生堂「ティセラエンジェルドロップ」CM曲


クリスマが近づいてきましたね。 毎年この季節になると定番のようにクリスマスソングが巷・・・というか、特にラジオから流れてくるわけですが。。。
まあ、流れてくる曲は、毎年ほとんど決まっていますど。。。。
そそそ、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」に、ワム!の「ラストクリスマス」、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ハッピークリスマス」、日本勢だったらヤマタツの「クリスマスイブ」。

これらの曲は鉄板ですわな。

年によっては他の曲もかかったりするけど・・・。 去年だったらBand Aidの「Do They Know It's Christmas ?」あたりも頻繁にかかってた印象があるな。

ただ、今年は昨年までに比べると、これらのクリスマスソングがラジオから流れる頻度は、やや少ないかなぁ・・・という印象がありますね。恐らくはこれからが本番なんだろうけど。。

そもそも最近は、「新曲」としてのクリスマスソングのリリースも一時に比べると少なくなったような気がするなぁ。 一時期、20年くらい前までは、なんだぁかんだあ・・と毎年のように「新手」のクリスマスソングがリリースされていたもんだけどねぇ。

おかげで、「鉄板」なクリスマスソングは、いつまでたっても「鉄板」のままなわけで。。。

↑ で上げた曲、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」でさえ、今から27年前っすよ。1994年だから。。。


今回引っ張ってきた曲も、一時クリスマスソングとして定番だった・・・ような気がするな。

SPEED 「WHITE LOVE 」。

うーむ、この曲、今まで何回か書いたような気がするんだけどなぁ。。。
過去のアーカイブを見てみたら、どうも、まだ書いてないようなので。。。 こんな大ヒット曲を。。


リリースが、1997年10月15日ということもあり、クリスマスソングとしては、いささかフライングなリリースでもあり、厳密に言えば、クリスマスソングっていうカテゴリーに入れるのもどうなの?

・・・という気もするけど、やっぱミディアムバラードという曲調と、楽曲の曲想からそういうイメージも強いんだろうなぁ。。。

ちなみに、この曲はSPPEDとしては、デビュー5枚目のシングルであり、売り上げ枚数184万枚というのは、SPEEDの最高売り上げのシングルとなる。

まあ、まずもってロングヒットになりましたからねぇ。 
オリコンで13週ベストテン入り(うち年末年始2週集計があり)というのは、SPEEDではシングル最長のベストテン入りではなかったかな。
加えて、週間売り上げ10万枚上も、7週(うち年末年始2週集計があり)というのも、SPPEDとしては最長。
高レベルの売り上げを長期間キープすることで、SPEEDとして最高の売り上げを記録したわけですわ。

まあ、SPEEDとして勢いが上がっている時に来て年末に向けてのリリースという、時期的な幸運も重なっていたんだろうけど。

今でもそうだけど、秋も深まり年末に向けてテレビの歌番組特番も多くなるわけで、それだけ露出も多くなるからねあ、コアなファンだけじゃなく、一般の人たちにも浸透しやすくなりますからね。

加えて何と言っても「紅白」という一大イベントがあるわけで。。。

紅白効果。 紅白出演後の週に売上げが再上昇するっていうのは、あの頃だではなく、今もありますからね。
もっとも、当時の方が効果は大きかったわけで。  

当時のオリコンチャートを見ると、この曲、1997年12月22日付で一度、ベストテンから落ちてるんだよね。
でも、次の12月29日付で再度ベストテン入りを果たし、1月19日付では4位まで再浮上している。

恐らくは、紅白見て、お年玉でCD買った方も多かったんだろうね。


ただ、SPEEDの場合は、顕著な紅白効果が見られたのはこの「WHITE LOVE」だけで、次の年の「ALL MY TRUE LOVE」では、顕著な紅白効果は見られなかった。 

1997年「WHITE LOVE」で紅白に出場した時は「初出場」ということと、それ以上に人気が上昇気流だったことも大きかったんだろう。
でも、それ以上に、やっぱり、キャッチーで分かりやすい曲調が、より多くの人たちに刺さったんだろうね。

だって、当時28才。さすがにSPEEDの曲を堂々と聴くには、年かさが行ってた私でさえ、この曲は刺さったもの、当時。

でも、正直当時、堂々とは聴けなかったのよ。 少し前にも書いたけど、あの頃は、少なくとも20代後半でアイドル・・っていうのは、立派なオタクだったからねぇ。 そそそ、一般的に冷ややかな目で見られる時代だったのよ、まだ。

だから、例えば当時の会社の同僚とも、そういうアイドルのヒット曲の話もできる雰囲気でもなかったんだよね。


個人的には、ちょうどこの曲がヒットの真っただ中だった、1997年12月に、自宅PCをインターネットにつないだのよね。今からちょうど24年前ですね。


当時最速だったISDN利用で。常時接続は高くて無理だったからさあ、もちろんダイアルアップで。
昼間は従量制で通信代がかかるんで、23時以降定額になるテレホーダイ利用というのは、あの頃ネットしてた方々にはデフォルトでしたよね。

考えることはみんな同じなんで、テレホーダイの時間になると、めちゃくちゃ回線が重くなったりして。。。

でも、ネットを始めようと思ったのは、当時のヒット曲や過去のヒット曲について語り合える人を探したいと思ったのが最大のきっかけだったかもしれないなぁ。

もっとも自分のランキングをネットを利用して作るためという理由もありましたけどね。
この頃になると、オリコンウイークリーに有線チャートもラジオチャートも掲載されなくなっていたからさあ。 自分のチャートを作るには、いちいち国会図書館に行ってコンフィデンスを見なきゃいけなくなっていたのよ。
さすがにそれは面倒なんで、なんとかネットで、これらの要素のランキングを作れないかということで始めたんだよね。
案の定、USENのチャートも、各ラジオ局のランキング番組のランキングもネットには出てたからね。
わざわざ国会図書館に行かなくても作れるようになったわけですわ。

ただ、そうやって作った自分のチャートをネットを使って公開しよう・・とは、まだこの時点では考えも無かった。あくまで自分用に作っていたのよ。

これを現在のように一般公開しようと思い立ったのは、もう少し後になってからですね。


あー、話がずれてきた。。。
この「WHITE LOVE」を聴くと、当時は、部屋に暖房がなかったんで、ブルブル震えながら設定したネット、なかなか設定がままならずネットに繋がらなくて悪戦苦闘したことや、初めてネットに繋がって感動した光景がフラッシュバックしてくるな。

もっとも、あの頃は、その後ネットの音楽関係の仕事に就くなんて思っても見なかったけど。。。
音楽については完全に一ユーザーだった頃ですね。
いずれにしても、個人的なネット人生に関わり始めた時の思い出の1曲なのよね。





初めにこの曲、すでに書いたつもりだったのに、まだ書いてなかった・・・っちゅうのは、やっぱ気恥ずかしさが先に立っちゃっうからなんだろうな。

だから、SPEEDの曲って、まだ、あんまり書いてないんだよな。 もっとも当時それほど聴き込む・・・という程は聴いてないっていうのもあるんだけども。

なんせ、SPEEDのメンバー全員、一回り以上年下だからさあ。
当時、新垣仁絵さん以外は中学生でしょ。 やばいよね当時28歳のおっさんがSPEEDなんて・・っていう強迫観念は未だにあるんだよね。

今は、おっさんでも一回り以上年下のアイドルの曲を聴いても、もうそういう目で見られることも少なくなっただろうけど、この曲がヒットしてた頃の「オタク」という冷ややかな目で見られるっていう感覚は、未だにあるからさあ。

それにしても、当時中学2年生だった今井絵理子さん、まさか今、参議院議員とはね。。。。 隔世の感ですよ。。。



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ZUTTO / 永井真理子

1990_11_ZUTTO_永井真理子


今回の1曲セレクトは、「ZUTTO」永井真理子です。

まずはデータです。

・タイトル    ZUTTO
・アーティスト  永井真理子
・作詞      亜伊林
・作曲      藤井宏一
・編曲      根岸貴幸
・リリース日   1990年10月24日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   54.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年11月12日〜1991年2月11日付
・タイアップ:フジテレビ系「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」エンディングテーマ


この間から、書こう書こうと思って、なかなか筆が進まない曲がある。
自分では、理解していたつもりなんだけど、いざレビュろうと思うと、なかなか頭の中で整理が付かない。
結局は、まだ消化しきれていないんだろうな・・・。

それが今回引っ張ってきた曲。永井真理子さんの「ZUTTO」。

この曲は、今から31年前 1990年のちょうど今頃のロングヒット。 そして永井真理子さんにとっての最大のヒットでしたわね。

まあ、あの時代大人気だった、フジテレビ系バラエティ「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」のエンディングテーマだったことも大きかったんだろうね。

なんせ、この曲と、ほぼ同時にこの番組からKANの「愛は勝つ」なんていう、ダブルミリオンが出たくらいだから、あの頃の番組の人気がうかがえる。

それなのにいまだに消化しきれていないっていうのは、31年前の今頃、個人的にあんまり真剣にヒット曲聴いてなかったっていうのもあるんだろうな。

31年前の今頃と言えば、大学1年の秋。大学生活も落ち着いてきて、ちょうど千葉の中央郵便局で深夜の仕分けのバイトを始めたころだ。
・・・それとともに、半ば昼夜逆転の生活サイクルになり始めた頃かなぁ。

朝方寝て、昼から学校に行って、夜バイト・・・なんていう生活サイクルの中で、ヒット曲まで頭が回んなかったんだよな、あの頃。

ただ、バイト先では、夜中ずっとラジオが流れてたんだよな。 覚えているのは3時ごろまで地元のbay fmで、3時過ぎるとオールナイトニッポンの2部が流れてた。
水曜日の真璃子さんと、木曜日の渡瀬マキさんのオールナイトは、よく覚えてますわ。

そんな真璃子さんとは、今facebookでつながっていたりして、なんか不思議な感覚なんだけどさ。

ただ、今回引っ張ってきた、永井真理子さんの「ZUTTO」も、あの頃よくラジオでかかってたんだよ。

だから、この曲を聴くと、あの時のバイトの風景がフラッシュバックするし、自分の中で消化していたつもりだったんだけどなぁ・・・。


ただ、今から思うと、音源はずっと手元に持ってなかったのね。 もちろん、今は、手元に音源持ってるけど。。。

なんせ31年前の事なんで記憶が不鮮明なんだけども、結局は、手元に音源を置いておきたいと思う程は刺さらなかったのかもしれない、当時は。

確かに、あの当時、この曲のようなミディアムバラード系の曲には、あまり触手が伸びなかった。

この曲だけでなく、同じごろヒットしていた森高千里さんの「雨」。この曲も当時の森高さんにしては珍しく、同じような正統派のミディアムバラードだったけど、触手が伸びなかったし、辛島美登里さんの「サイレントイブ」にも触手が伸びなかった。

うーん、どうなんだろうねぇ。

考えてみれば、当時のカラオケブームというのが、一つのネックになっていたのかもしれないな。

この手のミディアムバラードの曲って、あのころ、みんな競うように歌ってたじゃない? いや、みんなに歌われていたからこそ、ヒットしていたわけでさ。

そそそ、あの頃は、ヒットの最大の条件は、カラオケで歌われることだったからさあ。
その一番の条件として、キャッチーなミディアムバラードだったんだよね。

なんか業界の戦略に乗せられているような気がしてさあ。
天邪鬼なワタシは、そんな風潮に背を向けて、だから、あんまり積極的に聴けなかったのかもしれないな。

ただ、これを書くにあたって、譜面を見ながら再度聴いてみた。

たしかに、サウンド、特にエレピは、いかにも90年代前半な音色なんだよね。
なんていうのかなぁ、オルゴールのようなチャイムのようなコロンとした音色。 うーん、うまく言葉で言い表せないけど、最近だとJRの電車接近チャイムで使われているような。
そんなサウンドからして、紛れもなく90年代前半を彷彿とさせる。

ただ、メロディラインだけをとると、どことなく昭和な匂いがするんだよなぁ。

いつかも書いたと思うんだけども、90年代って、92年頃までは昭和へのオマージュなんだよね。全体的なヒット曲の傾向は。

チャゲアス、小田和正、サザン、ユーミン、中島みゆき、浜田省吾、長渕剛・・・・とあの頃のミリオンセラーを見ても、ずらりと「昭和」からの「大御所」アーティストが並んでいるわけで、まだ「平成」という匂いは薄かったわけじゃない?

そもそもこの頃、時代を仕掛けたビーイング系だって、90年のB・Bクーインズからして昭和的だったし、そこから派生したMI-KEは、もろ昭和のオマージュだったわけじゃん。

全体的なヒット曲のメロディラインにしてもしかりだったんだよね。 まあ、その走りは竹内まりやさんの89年の「シングル・アゲイン」あたりだったかもしれないけど。。。


昭和時代のミディアムバラード的なメロディライン。そうね。例えば欧陽菲菲さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」のような・・と言えばわかりやすいかなぁ。 あの手の昭和のエンターテイメント歌謡を彷彿させるような、メロディラインの曲。

それがこの90年あたりから復活しだしたのよ。 いわば平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」的な曲。

今回引っ張ってきた「ZUTTO」にしても、そんなメロディラインに近いような気がするんだよね。

その根底は、やっぱりカラオケなんだろうな。

昭和のエンターテイメント歌謡は、飲み屋やスナックでのカラオケが主流だった。 だから、酒の匂いとタバコの匂いがきつかった。 それは大人の匂いでもあった。

90年代前半、カラオケの主流はカラオケボックスに変わった。カラオケと言う文化は同じだったけど、飲み屋から、カラオケボックスに変わったことで、カラオケはよりカジュアルになったんだよね。

カジュアルになったカラオケに合わせて、同じミディアムバラードのサウンドもよりカジュアルになった。 それが森高千里さんの「雨」であり、この「ZUTTO」だったんじゃないのかなぁ。

今思うとそんな風にも思えるんだよね。

その後、同じような、平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は、「会いたい」、「最後の雨」、「ロード」と受け継がれ、いずれも大ヒットを記録。
いずれの曲もカラオケではなくてはならない曲という点では共通だったしね。

そんな流れの最後の大ヒットが藤谷美和子・大内義昭の「愛が生まれた日」あたりだったんじゃないかなぁ・・。

でも、これを最後に平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は下火になる。
時は1994年。 結局、これを最後に、ヒット曲界は本当の「平成」の時代に入ったってことだったんじゃないかな・・・と個人的には思うんだよね。





↑では、この曲は昭和歌謡的だ〜・・・と何回も書いちゃったけど、 

♪ あなたがいれた エスプレッソ〜 ♪ っていう歌詞には、新時代・・というか90年代の香りを感じたな。

 少なくとも80年代には、まだエスプレッソと言うコトバは「イマく」なかった・・というか、メジャーじゃなかったよね。
個人的に知らなかっただけかもしれないけど。。。

ちなみに、スタバが日本で初めて出店したのは1992年。この曲の2年後ですわ。
当然、1990年の今頃はエスプレッソもカフェ・ラ・テも、一般的にはまだあまり馴染深い飲み物ではなかったんだよね。カフェ・ラ・テは、カフェ・オ・レだったし。。。



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神様からもらったチャンス / 三浦理恵子

1992_09_神様からもらったチャンス_三浦理恵子


今回の1曲セレクトは、「神様からもらったチャンス」三浦理恵子です。

まずはデータです。

・タイトル     神様からもらったチャンス
・アーティスト   三浦理恵子
・作詞       及川眠子
・作曲       都志見隆
・編曲       渡辺格
・リリース日    1992年9月18日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  13位
・売上げ枚数    5.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

エアチェック。 
我々の年代には懐かしい響きだよなぁ・・・って方、多いんじゃないのかなぁ。
そそそ、気に入ったラジオ番組をカセットに録音した、あれですね。
で、エアチェックしたカセットから、気に入った曲を、さらに別のカセットにダビングして「マイソング集」を作ったりしてさ。

まあ、ラジオからの録音なんで、もともと音質は期待できない上に、さらに別のカセットにダビングするんで、さらに劣化しちゃってたけど、なんせ、お金がなかったからねぇ若い頃は。

そうそう、気安くレコードとかCDは買えなかったしさ。 いわんや、昨今のようなサブスクなんかなかったし。。。。

兎も角、なんとかお金を浮かせて、出来るだけたくさん曲を集るにゃラジオから曲を録音するのが一番手っ取り早い。 ってことで、ワタシもやってましたねぇ、エアチェック。

恐らく、多くは70年代とか80年代にティーンだった方が、その当時やってたと思う。でも、ワタシは結構遅くて、実は90年代に入ってからなんですわ、やりだしたの。

確か91年だったと思うけど、遅まきながらダブルカセットのCDラジカセを購入したのと、当時、地元のbay fmで放送していた、「パワーカウントダウンHOT30」というカウントダウン番組が重なって、エアチェックから「マイソング・カセット」を作る条件が整ったからなんですよね。

91年と言えば、ワタシゃ20代になっていたし、バイトもしてから、ある程度自由になるお金はあったんで、CDをレンタルすりゃ事欠かないじゃん・・・とも思えるんだけどさ。
当時、シングル1枚、1泊借りて確か150円くらいだったかなぁ。10枚も借りると1500円は取られたわけで、毎度毎度べらぼうな枚数借りるわけにもいかなかったんだよね。

しかも、あの頃1タイトルのCDの枚数ってそれほど多くなくて、人気曲はいつも全てレンタル中になってたんで、借りたいときに借りられない曲も結構あったし。。。

そういうわけで、エアチェックを始めたわけよ。 パワーカウントダウンは、毎週30位からチャート発表してたんで、毎週結構な曲数OAしてたし、毎週欠かさずエアチェックすれば、少なくとも30位以上のスマッシュヒットの曲は網羅できるわけでさ。

エアチェックから編集したカセットの中で、特に気に入った曲だけを、改めてレンタルして高音質で聴けるようにすれば、レンタル代も浮くしね。

そういうわけで、エアチェックを始めたんだけども、これが面白くてね。2001年に音楽配信の世界に入るまで、丸10年くらい続けたと思う。 エアチェックから編集したテープも50本くらいになったのかなぁ。

だからと言うわけではないけど、90年代の曲の音源はやたらとあった。 ・・というか、今でもある。
もっとも、今は手元にカセットプレイヤーがないんで聴けないけど。。。。


ただ、↑で書いたように、あくまで、もとはFMから録音したカセットを、さらに曲の部分だけを別のカセットにダビングしてあるんで、音は劣化しているし、しかも1コーラスだけっていう曲もかなり含まれている。
さらに自分が気に入った、気にいらないに関係なく、チャートに入った曲をかたっぱしから録音したんで、今となっては自分の好み外の曲も含まれているし。。。


逆にさ、あの時、エアチェックしてたからこそ、「なんだこれは・・・」と刺さった曲があったりするんだよね。


今回、引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですわ。 

三浦理恵子「神様からもらったチャンス」。

この曲、覚えている方いらっしゃりますかねぇ。

まあ、90年代アイドルファン、とか、CoCoのファンだった方は、覚えている方が多いだろうけど、一般的には、恐らくすでに「死角」に入っている曲なんだろうな。

そそそ、1989年、フジテレビ「パラダイスGOGO」から派生したアイドルユニット、CoCoのメンバーだった、三浦理恵子さんがソロでリリースした、5枚目のシングルですわ。

正直、個人的には、この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし、そもそもバンドブームの中で、アイドル自体アナクロな存在になり、いわいる「アイドル冬の時代」に向かっている時代だったしさ。アイドル⇒オタク化 してた頃じゃん。

なので、エアチェックしてなかったら、おそらくスルーしてたと思う。 

そもそも、この曲オリコンでベストテン入りしてなかったしさ。 三浦理恵子さんのシングルとしては、前曲の「Jokeにもならない恋」がオリコン10位で。これが最後のベストテン入りだったんで、人気も下降線に向かっていた時の曲だったしさ。

でも、エアチェックしたカセットを聴いてたら引っかかっちゃったんだよね。

この曲、イントロが、何気にかっこいいのよ。

イントロの初めの8小節が、16ビートのコンガのリズム。 ほとんど寺尾聰の「HABANA EXPRESS」の世界だし、続く8小節は1986 OMEGATRIBEだし。 リゾートミュージック   っていう感じで、おおよそアイドルソングっていう感じがしないのよね。

どうも、そこに引っかかっちゃったんだよね。

初めて聴いたとき、またOMEGA TRIBEみたいなグループが出てきたのかいな? なんて思ったもの。

そしたら、いきなり三浦理恵子さんの、あの「ベビーボイス」だもの。 
思わずひっくり返っちゃいましたわ。 

全体的な曲想と言えば、80年代のリゾートミュージックぽいのね。 まるで林哲司氏の世界のような。

すでに、そのフィルターを通ってきた私なんかには、なじみ深い音だし、だから刺さりやすかったのかもしれない。

ただ、リゾートミュージックにしては今一つ勢い、華やかさには欠けてたりするけどさ。

もっとも、ヘビーボイスで、パンチがない三浦さんの声質では、勢いがありすぎると埋もれちゃうだろうし、このくらいが限界だったのかもしれないけど。。。。

それと、9月中旬リリースと言う時期的に、この手の音はどうだったんだろう? もう半月早かった方が良かったんじゃないかなぁ・・・とは、当時から感じたりしましたね。

まあ、いずれにしても、この曲のイントロに、ちょっと驚いちゃったワタシなんですが。。。。




しかしさ、↑で「この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし」とか書いてる割には、三浦理恵子さんの音源は当時から持ってたりするんだよな。
この曲の前の「Jokeにもならない恋」も持ってたりするし。。。。
やっぱり、この頃始めたエアチェックの影響は大きかったんだよね。

ちなみに、あの当時のエアチェックにあたる部分が、今はSpotifyに置き換わってますね。
結局、Spotifyなどのサブスクって、圧縮音源だし、音質的にはFMよりも、やや良いっていう程度だからさ。 私にとっては音楽のメインのツールとまでは言えないんだよね。
Spotifyで昔の曲はあんまり聴かないしさ。

あくまで、90年代当時、新曲の音源をかき集めるためにFMからエアチェックしていたことが、今はSpotifyに置き換わっただけと言う感じですね。

で、今はSpotifyで聴いて気に入った曲だけを、CDなり、ハイレゾ音源でダウンロードしてコレクションにしている・・・と。




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by myself / hitomi

1996_09_by myself_hitomi


今回の1曲セレクトは、「by myself」hitomiです。

まずはデータです。

・タイトル   by myself
・アーティスト hitomi
・作詞     hitomi
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1996年8月7日
・発売元    エイベックストラックス
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  29.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「もう我慢できない!」エンディングテーマ曲

本来はメロディラインや曲想は、あんまりおもしろいとは思わないんだけども、バックで使用されている、あるひとつの楽器のフレーズ一つでグッと引き立つっていう曲がある。

まあ、そういう曲はしょっちゅうあるわけではないけど、長年ヒット曲を聴いてくると、たまたまそういう曲にも出くわすっていうレベルではあるけど。。

今回引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですね。

hitomi   「by meself」

この曲は、hitomi7枚目のシングル。1996年の秋口。丁度いまごろがヒットのピークだった曲ですね。
今から丁度25年前にある。

いやいや、そう書くと、すでにだいぶ前の曲になりますね。 
毎度毎度、書いてるような気がするけど、90年代の特に後半になると、つい最近っていうイメージが未だにあるんだけども、実際振り返ってみると、かなり時間が経っているんだよね。

なぜ、特に90年代の曲って、時間経過が経たないんだろう? っていうのは、ずっと不思議にも思えるんだけども、結局さ、音楽の形態があの当時と大きく変わってないからなんだろうね。

あの当時もMVは存在していたわけで、あの当時のMVの多くは、いまやYou tubeでも見れるし。TVの音楽番組のVTRだって、最近とほぼ変わらない画質で見れるわけでさ。

曲想だって、そう大きくは変わっていないようにも思えるしさ。。。

多くのメディアを通して当時の曲を見ても聴いても、今と大きな変化はないんだよね。

これが昭和の曲だったら、ちょっと様相が変わるじゃん。MVは無かったし、TVの歌番組の画質だって今とは大分違う。

何よりも音楽そのものの雰囲気も違うしね。

だから、「あー、大分時間が経ったよなあ」・・・という頭になれるんだと思いますね。

恐らく、今の若いコたちに「昭和歌謡」が刺さっているのは、そういうところが大きいんだろうな。
文化、音楽形態が今とは違うっていう所がさ。

まあ、これは、あくまでワタシの「年代」的に感じる事なんで、今の若いコたちは、また違った感じ方があるんだろうけどさ。



・・・・ととと、話が脱線しましたね。

hitomiの「by mysef」。 この曲は今思うと偶然耳にした・・・ような印象があるなぁ。

あの当時、個人的に「今」の音楽との接点は、オリコンウイークリーとby fmの「パワーカウントダウンHOT30」だけだったんだよね。

既に社会人3年目で、土日も仕事ってことも多くなってきていたんで、土曜日OAだった、パワカンも聴けないことが多くなってきていた。

あの当時、今のradikoみたいな機能があればなぁ・・・とは、思うけどさあ。

兎も角も、そんなわけで、この当時になると、ヒットチャート上位の曲も、毎週すべてくまなく聴いて、すべての曲を把握できていたわけではなく、かなり「抜け」が出来ていたことも事実ですね。

そんなこともあって、hitomiの一連の曲も、すべて聴けてたわけじゃない。だから、未だに耳にした事がない曲も多いですよ。
この「by myself」も、パワカンの上位にランクインした週、たまたま聴くことが出来、たまたま
耳にしたものだったと思う。

そしたら、耳に刺さった・・・。  と。

まず、この曲がそれまで持ってたhitomiのイメージとは、かなり違ったこと。

個人的には、hitomiというと、この前年1995年の「CANDY GIRL」であり、「GO TO THE TOP」っていうイメージだったのね。

「CANDY GIRL」は、あの時代特有の小悪魔的ギャル。「GO TO THE TOP」は、もっと時代をさかのぼったような、80年代アイドル歌謡的。

いずれにしても、このヒトはアイドルだと思ってたわけよ。

でも、この曲では、1年前の「ギャル」な雰囲気がまるでない、大人のシンガーに変身していたからさ。

少しジャズの香りがする、大人のミディアムポップス。 

どころからともなく吹いてくる、やさしい秋口の風のような。そう。1996年の秋口というと、この曲のイメージが強いんだよなぁ。

一番、効果的だったのは、Bメロからバックに入ってくるフルートだろうな。 少し気だるいフルートの音色が、曲をアンニュイに、そしてよりシックに引き立ててくれている。

だけどさ、フルートっていう楽器は不思議な音色なんだよね。 

普通は清楚なイメージ強い。 やっぱり、フルートと清楚なお嬢様っていうイメージがぴったりするからなのかなぁ。

でも、例えば寺尾聰氏の「ダイヤルM」のようなヘビーでダークな音色にもなるし、この曲のようなアンニュイな雰囲気にもなる。

吹き方次第で、いろんな表情に変えられる不思議な楽器でもあるんですよ。

小室氏とフルートって、どうも、結び付かないし、どういう意図で、フルートを持ってきたんだろう・・・っていうのは分からないけど、この選択は効果的だったし、正解だったと思う。

個人的には小室氏の曲には、あんまりシンパシイを感じないんだけども、そういう意味でもこの曲は良かったと思う。

そんな曲ではあったから、オリコン最高7位という、この当時のhitomi最高順位だったのは納得でしたね。 ただ売り上げが前作「In The Future」の35万枚から、6万枚ほど下がったのは、ちょっと納得しがったけど。。。
まあ、「CANDY GIRL」の流れを汲み、ダンサブルな「In The Future」とは、180度変わった曲調。いわば冒険的な曲でもあったわけで、売り上げ枚数が下がるのも折り紙済みだったのかもしれけないけど。。。

それにしても、小室氏の場合、安室のように全力投入した楽曲よりも、このhitomiとか、アイドルに提供した曲の方が、力が抜け、すっきりとしていい曲が多いような気がするんだよね。

全力投球した曲はどうもくどい曲が多くてさあ。。。。。






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君がいた夏 / Mr.Children

1992_09_君がいた夏_Mr.Children


今回の1曲セレクトは、「君がいた夏」Mr.Childrenでする。

まずはデータでする。

・タイトル    君がいた夏
・アーティスト  Mr.Children
・作詞      桜井和寿
・作曲      桜井和寿
・編曲      Mr.Children 小林武史
・リリース日   1992年8月21日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数   2.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 52位

どうも、ここ何日か体調がすぐれない筆者だったりします。
朝晩になると、空咳が頻繁に出てきたり。。。。
あるいは、コロナに感染しちゃったかなぁ・・・とも思ったりもしたんだけども、熱はないし、食欲も普通にある。どうも、急性アレルギー性の気管支ぜんそくに罹ったようだ。 
先日、毎月通ってる持病の痛風の診察の際に、かかりつけ医に相談の上、気管支を広げる薬と咳止め薬はもらってきたんだけども、今一つ、よくならんのね。
しばらく様子を見て、改善しないようならば他の呼吸器科に相談しようと思っています。

・・・なんて言っている間に、今年も夏が終わっていきますな。
ここ数日、残暑が振り返したと思ったら、今日なんかは、涼しかったり。

毎年の事なんだけども、この時期になると「夏の終わり」の曲をなんか引っ張ってきたいなぁ・・とし思ったりするんだよね。

で、真っ先に浮かぶのが、件の山下達郎氏の「さよなら夏の日」だったりするんだけども。。。

でも、いつかも書いたように、今となっては、夏の終わりの超定番曲なこの曲、実は、リリースもヒットも、今の時期じゃないのよ。 リリースは5月だったりするしさ。。。

なので、「今の時期のヒット」には当たらないんで、引っ張ってこれない。。。。

まだ書いてない曲で、「夏の終わり」を彷彿とさせる曲は、他にないもんかねぇ〜。

・・・と考えてたんだけども、ありましたわ。


Mr.Children  「君がいた夏」。

いまや押しも押されぬ、超ビッググループとなった、ミスチルの記念すべきデビューシングルだ。

ヤマタツの「さよなら夏の日」ほどは、超定番ではないけども、

♪ また 夏が終わる もうさよならだね〜 ♪  というサビの歌詞から、もろ夏の終わりを象徴とする曲には変わりない。

リリースは1992年8月21日。 歌詞にそぐわず、夏の終わりのヒット曲に間違いない。

しかしね、いまや押し押されぬ〜 超ビッググループのデビュー曲を、今まで書いてなかったわけで。。。

なぜ?

理由は簡単で、今でこそ「超ビッググループ」であるミスチルも、デビュー曲であるこの曲の頃は、ほとんど無名だったからですわ。

なにせ、オリコン最高69位だからねぇ〜。

今では考えられないほどの低調ぶりなんだけども、そのくらい、まだ無名だったんだよね。

ワタシも、この曲がリリースされた、92年当時は、ミスチルの存在は全く知らなかった。

でも、そんな、まだ無名だったミスチルを、当時からNext  Breakerに推してた人がいるのよ。


何を隠そう、当時、ワタシが属していた、自主サークル「オリコンチャート研究会」でいっしょに活動していた、コバヤシ君。

彼は、サークル結成当初から先見の明があるっていうのかなぁ。兎に角、これからブレイクしそうなアーティストを掘り起こすのに長けてたんだよなぁ。 彼が、次に来るって言ってたアーティストは、それまでもほとんどブレイクしてきてたから。

あれは、確か1993年正月に、ワタシんちで、恒例のサークルの新年会を開いたときに、「今年(1993年)ブレイクしそうなアーティストは・・・・」っていう話になって、 それぞれ何人かずつ上げていったんだけども、コバヤシ君は、 迷わず「ミスチル」を挙げたのよ。

絶対に、この人たちが来るって断言したのを覚えてるなぁ。

でも、1993年頭の時点で、ワタシ、まだミスチルって知らなくてさ。 半ば「はあ?」って感じで聞いてたんだけども。。。。

コバヤシ君は当時、「日本レコードセンター」に勤務していて、白盤とかよく聴かせてくれたんだけど、その中にミスチルもあってさ。 確か2ndシングルの「抱きしめたい」だと思うんだけども、聴いてみた。

でも、あの時点では、今一つピンとこなかったんだよな、ワタシ。 カラーとして1993年っぽくなかったら。

たしかに瑞々しさはあるんだけども、少し洋楽っぽいなとは思ったのを覚えてるな。 でも、あの当時は、まだ、既存のヒット曲っぽい、分かり安いキャッチーなメロディが主流だったからさ、これは主流ではないな・・っていう思いが強かったのかもしれない。

それから、1年もしないうちに、4枚目の「CROSS ROAD」で大爆発しちゃったじゃん。

うわっ、本当に来た・・・。 ってビックリしちゃってね。

コバヤシ君の眼力は、これは凄いな・・・と感心するのと同時に、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくっていうのも、面白いかもなぁ・・・って思ったんだよね。

それまでは、あくまで、ベストテン番組を通して、ブレイクしてきたアーティストを追いかけるってだけだったからさ。

聴き方が広がったっていうのかなぁ、 次はだれが来そうっていう意識の広がりだよね。

「CROSS ROAD」が大ブレイクしたあと、改めて遡ってミスチルを聴いてみた。 恐らくそのとき初めて、この「君がいた夏」を聴いたと思う。

その時、コバヤシ君が、次はミスチルが来るって言った意味が、分かったような気がしたんだよなぁ。

当時ヒットの主流だった、誰にでも分かりやすいキャッチーなメロディ。

ただ、でも、やっぱりあの当時のカラーは感がなかった。 けど、結果的には、「次の主流」となるカラーを持ち合わせていたんだよね。

これは、ある種の勘としか言えないんだけども、 「あ、これ」っていう感覚を感じる時ってあるんですよ。 どこか懐かしいんだけども、実際的には今まで無かった新しいカラー、匂いを感じる、独特の感覚。

これを感じた時に新しい波が来るんだよね。

まあ、これは、本当に感覚的なところでしかなく、文字ではうまく表現できないのが歯がゆいんだけどさあ。

コバヤシ君って、この感覚というか嗅覚に長けてたんだろうなぁ。

不肖ながらワタシも、「CROSS ROAD」の後、遡って、この「君がいた夏」を聴いたときに、まさにそんな感覚を感じたのよ。

ぱっと聴き、どこか懐かしい感じがするんだよ、この曲。
でも、実際的なところ、この曲以前にこの曲のようなカラーの曲ってなかったんだよね。 だから、瑞々しい新鮮さを感じるし。

ただ、惜しいかな、全体的なインパクトがまだまだ弱い。 そこが今一つヒット戦線に乗らなかった要因なんだろうな。


まあ、僕の場合は、次にミスチルがくるって断言したコバヤシ君が羨ましくもあり、ミスチルのブレイクを事前に見抜けなかった自分が悔しくもあったりしたんだけどさ。

で、自分もこういう感覚を持ちたいと思ったんだよね。 

以来、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくような聴き方をしていったわけなのよ。
そういう聴き方が、後に「着メロ」のセレクターの仕事にむずび付いたわけなんだけどさ。

ただ、確証はなかったんだよね。 その後も、出来る限り「これから来そう」って曲を意識的には聴いてきたつもりなんだけども、空振りっていうのも多かったしさ。

いや、それは、今もそう。

そこそこ「あ、当たった」と思ったのは、以前書いた、平原綾香の「Jupiter」と大塚愛の「さくらんぼ」ですね。

ただ、これらの曲でさえ、ミスチルの時に感じたほどの確証っていうのは、なかなか得られなかったんだけど。。。。

でも、あれから四半世紀、この「君がいた夏」を初めて聴いたあの時と全く同じ感覚を感じた人たちが出てきた。それが実はヒゲダンだったんだよねぇ。

そそそ、ヒゲダンがまだ、メジャーデビュー前に聴いた「LADY」。 これ初めて聴いたときは「ビビビ」と電流が走ったもの。 真っ先に感じたのが、そうミスチルの「君がいた夏」を聴いたときの、あの感覚ですわ。

同時に、もしかするとこいつらは「凄いかも」と、真っ先に「キニナル曲」に書いたのを覚えてるな。

まさか、ここまでのビックバンドまで昇華するとは、思っても見なかったけど。。。。

もっとも、ミスチルだって、「CROSS ROAD」を聴き、遡ってこの「君がいた夏」の曲を聴いたときも、現在のような「超ビッグバンド」まで昇華するとは思っても見なかったんだけどさ。




だけど、あれから30年近く経とうとしているのに、この曲のメロディは、いつ聴いても切ない。
どうして、夏の終わりっていうのは、こうも切ないんだろうねぇ。

そういえば、この間だれか言ってたけど、季節の区切りとして、「〜の終わり」ってつける季節は夏だけですわ。 春の終わりとも秋の終わりともあまり言わない。 今の時期〜夏の終わりっていうのは、それだけ特別な季節なんじゃないかな・・・と思うわけなんだよね。


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風が通り抜ける街へ / ZARD

1997_07_風が通り抜ける街へ_ZARD


今回の1曲セレクトは、「風が通り抜ける街へ」ZARDです。

まずはデータですよ

・タイトル    風が通り抜ける街へ
・アーティスト  ZARD
・作詞      坂井泉水
・作曲      織田哲郎
・編曲      徳永暁人
・リリース日   1997年7月2日
・発売元     ビーグラム
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   28.1万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1997年7月14日〜7月21日付
・タイアップ:JRA 夏競馬CM曲

少し遅くなってしまいましたが、梅雨が明け「夏本番」! それと共に、猛暑の到来。
皆様、お暑ございます。

つい先日の1曲セレクトで今年は長雨の夏か!? なんて書いたような気がするけど、昨年同様、どうやら猛暑の夏になりそうですね。

ヒット曲の世界でも、この曲を聴けば「夏本番」って思える曲が、昔から毎年のようにリリースされてますな。
個人的には、古くは天地真理の「恋する夏の日」(1973年7月1日リリース)、松田聖子の「白いパラソル」(1981年7月21日リリース)、岩崎良美「バカンス」(1982年7月21日リリース)、堀ちえみ「青い夏のエピローグ」(1983年7月7日リリース)なんかは、夏本番を連想させる曲だったりするな。
大体は、7月リリースのポップスですね。で、これらの曲でそれぞれの年の夏のイメージが出来上がったりしてね。

リリースローテーションから、第1四半期末月の6月リリースにも「夏」の曲が多かったりするけど、どういうわけか6月リリースの曲は、たとえタイトル「夏〜」とついても、今一つ「夏本番」を感じさせる曲は少なかったような気がする。

曲調的には、河合奈保子の「夏のヒロイン」(1982年6月10日リリース)あたりですかね。

たしかにモロ夏を感じさせるようなサンバ調のアップチューンだけど、リリース時期と1982年の長雨の影響もあって、今一つ「夏本番」の感じは出し切れなかったようなイメージがあるな。

やっぱり、6月リリースは、梅雨の時期と重なり、夏本番と言うには少し早かったし、アイドルの場合、昔はプロモーション開始・・・ラジオで曲を書けるタイミング・・・時期って早かったですからね。6月リリースの曲でも、早い曲では5月中にはラジオで流れたりしたから、まだ「夏」っていうのは、ちょっとピンぼけだったりしたんだよね。

まあ、そんなこともあって、夏「本番」を感じる曲は7月リリースが多かったんだろうな。


今回引っ張ってきた曲、ZARDの「風が通り抜ける街へ」。

この曲のリリースは1997年7月2日。  個人的には1997年の夏本番を感じさせた曲は、この曲だでしたねぇ。 この曲と、吉村由美(Puffyの片割れ)の「V.A.C.A.T.I.O.N.」。この2曲ですね。

いずれも、当時ニッポン放送の朝のワイド番組「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」でかかったのを聴いて、ビビビッと来ちゃったんだよね。

当時、千葉市内の会社に勤務してたワタシは、毎日、車通勤してたのよ。 今はFMの方をよく聴いてるワタシだけど、当時はAMオンリーの人だったんでね。

良く晴れた緑のまぶしい朝。兎に角 すがずかしい夏の朝でさ、窓全開にして、この曲を聴いたのを覚えてるなぁ。

緑がまぶしい夏の朝ってイメージは、天地真理さんの「恋する夏の日」と被るんだけども、この曲を聴くと未だにの日の朝の光景がフラッシュバックしますわ。


90年代も後半に入り、ビーイング系には飽き飽きしていたワタシだけど、この曲は一発で気に入りましたね。ビーイングの夏の曲を気に入ったのは、94年の「瞳そらさないで」(DEEN)以来だったような気がするな。共にすがすがしさから気に入っちゃったんだけども。

ただ、気になったのは、この曲、音がスカスカだった事。
それまでZARD・・・というか、ビーイング系の曲って、一聴でそれと分かるような独特なサウンドと音圧が、ほとんどの曲であったじゃん。

まあ、個人的にはそこに飽きを感じていたんだけども。。。。

この曲は、そんなピーイング特有の「音圧」がなく、音がスカスカなのよ。 サウンドはビーイング特有でしたけどね。

夏本番ということで、聴きやすさを優先したのかしらん!? そこは分からないけど、音がスカスカなのは気になった。
音数が少なかったということもあってか全体的なインパクトも薄かったし、だから、これはあんまり売れないかもな・・・とはリリース当初から思ったな。

まあ案の定、 前曲「君に逢いたくなったら・・・」の64万枚から、この曲では28万枚セールスに一気にダウン。

そんなセールスの動きから、さしものZARDもここまでか・・・と思ったら、この曲の1か月半後にリリースされた「永遠」では63万枚にV字回復したわけだけど。。。

「風が通り抜ける街へ」とは逆に、ZARDの曲の中でも音圧が高い「永遠」でセールスが回復・・ということで、やっぱりビーイングには、独特のサウンドと音圧が必要なのか・・とは、当時思ったりしたな。

もっとも、「永遠」は当時、社会現象化してたドラマ「失楽園」の主題歌だったこともあったけど。。。 逆に言えば、だから、もっと売れても良かったとも思えたりもしたんだけどね。

でも、そんな不安は的中したようで、「永遠」のセールスV字回復を最後に、売り上げは下降線となったわけだけどね。




それにしても、この頃って、ZARDと、MY LITTLE LOVERが交互にシングルリリースしてたイメージが強いんだよね。

ZARDのこの曲の少し前にマイラバは「ANIMAL LIFE」をリリース。 で、この曲を挟んで、8月にマイラバが「Shuffle」をリリースしたと思ったら、ZARDが「永遠」をリリース・・・と。
両者リリース間隔が、ほぼ同じになっていたんだよね、この時期。

ZARDの「永遠」以外の3曲は、いずれもスマッシュヒット止まりということもあり、今となっては死角に入ったような曲ではあるけども、個人的にはいずれの曲も好きなんだよなぁ。

これは、スマッシュヒット止まりということもあって、未だに手垢が少ないということも含めてだけど。。。

97年の音源っていまだに、持ってる曲数が少ないんだけども、この4曲の音源は当時から手元にありますね。


で、この4曲を最後に、個人的には暫くヒット曲の世界から少し距離を置くことになるんだよね。

まあ、当時の仕事が忙しくなった事もあるんだけども、将来的なことを考えだしたのもこの頃だったと思う。
特にインターネットに急速に興味を持ち始めて、いろいろと調べ始めたのが97年夏ごろだったな。
で、97年の秋にISDN回線を導入し、インターネットにつないだのがこの年の年末。

それと共に、暫く曲を置いていたヒット曲の世界に、再びコミットすることになるんだけどね。



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