かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

あの頃のヒット1曲セレクト!

約束の橋 / 佐野元春

1992_11_約束の橋_佐野元春


今回の1曲セレクトは、「約束の橋」佐野元春です。

まずはデータです。

・タイトル    約束の橋
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系 月9ドラマ「二十歳の約束」主題歌

トレンディドラマ・・・。我々世代にとっては、80年代終盤から90年代前半にかけての「バブル」絶頂期を思い起させるキーワードの一つでしょうかねぇ。
この期間、ドンピシャで「大学生」という「青春と快楽」な時間を過ごしてきた、我々世代にとっては特にそんな思いを起こさせるんじゃないのかなぁ。。。

ワタシは・・というと、トレンディドラマが出てきた当初の2年間は、「バブル」の世の中を尻目に、「浪人」という暗黒時代を過ごし、それを抜け出した、後半も、青春を謳歌するっていう大学生生活でもなかったんで、正直、「バブル」の恩恵を受けたっていう記憶はほとんどないんだよなぁ。

まあ、今となったら、つまんない青春時代を送ったような感じもするけど。。。

ドラマも、トレンディドラマの「祖」、フジの「月9」はほとんど見てなかった。 うん、91年の「101回目のプロポーズ」くらいじゃないのかな? 見てたの。

いや、これも、最初は、面白そうなんで見ようと思ったわけじゃなくて、 夕飯後、ベッドで寝落ちしちゃって。。。目が覚めたら、つけっぱなしだったテレビでたまたまやってて、半分ぼーっとしながら見てたら、なんとなく嵌っちゃった・・・って感じだったしなぁ。

あのころは、TBSの金ドラの方が、「月9」よりは、もっと心理面を深堀してて個人的には面白かったんで見てたな。


・・・なんてトレンディドラマの話をしたいわけぢゃなくて。。。。

今回引っ張ってきた、佐野元春氏の「約束の橋」ですわな。

この曲、もともと89年リリースアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の先行シングルとしてリリースされた曲。 で、後年、92年10月期の「月9」ドラマ「二十歳の約束」の主題歌として、再リリースされたわけですな。
今回は、時期的に、その「再発」のシングルについて、ちょいと書いていこうかと。。。


アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」については、ちょっと失敗したな・・・って思うのよ。

佐野元春氏を意識したのは、中学生の頃だったか。。。 同じブラスバンドでトランペットを吹いてた、同級生で親友だったやつが、元春好きだったんだよ。

音楽的に優れてた奴とは思わなかったけども、3つ上の兄貴の影響か、ブルース・スプリングスティーンとか、明らかに私なんかよりも大人びた曲を聴いてんだよな。
で、日本のアーティストでは、元春氏だった。

あの頃から、なかなかチケット取れないといいながら千葉でのコンサートにも行ってたしな。

でも、当時、ヒット曲中心、当然アイドル中心のワタシには、元春氏の良さは分からなかったんだよな。

そもそも、いつもここで書いているように、80年代初期から中盤にかけては、いわいる「ニューウェイブ」系の音は、生理的にダメだったんだよね。

80年代の元春氏は尖がってたしね。 84年の「VISITORS」では、時代に先がけてヒップホップを取り入れたり、サウンドそのものが尖がってた。 「ニューウェイブ」系の寵児的な存在だったじゃん。

ダメだったんだよね。時代にコミットしていないとは言わないけども、時代の先端を行く「音」って。
それよりも、一歩引いて、フォーマットが確立して聴いてて安心・・っていう音楽が個人的には好きだった。うん、おこちゃまだったのよ。

はじめて、元春氏にコミットしたのは、86年のアルバム「カフェ・ボヘミア」だった思う。

それまで、あんなに時代の先端の音がダメだったのに、「カフェ・ボヘミア」で元春氏にコミットしたくなったのは、よくわかんないんだけども。。。

まあ、「VISITORS」よりは、とっつきやすいアルバムだったことはありますね。

それと、以前、ここで何回も書いたけども、86年って、個人的に時代を遡って音楽を掘りだしたころ。
そそそ、1978年以前、リアルタイムで接していなかった時代の曲を掘りだしたころですわ。
その反動だったのかもしれないな。

もちろん、最初は抵抗があったんだけども、何度もアルバムを聴いていくうちに、徐々に理解できるようになった。 理解してくると、その良さも分かった来たりしてね。
徐々に次のアルバムも聴いてみたいと思うようになった。

で、3年の時を超えて、ようやくリリースされたのが「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。

ここで、迷ってしまったのよ。 ちょうど同じころ、長渕剛氏のニューアルバム「昭和」のリリースもあってさ。

あの頃アルバム1枚3000円っていうのは、19歳だった若造のワタシにはデカかったですから。

浪人の身だったし、バイトもしてなかったから、まだ小遣いをもらう立場ったし。。なんで、まずはどちらか1枚買おうと思ったわけで。。 結局買ったのが長渕剛氏の「昭和」。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、またいずれ・・と思っていたんだけども、あの頃、他にも欲しいと思える音源が次から次と出てきて、いつの間にか立ち消えになってしまった。。

そんな時にシングルととして再リリースされたのが、今回の「約束の橋」だった。

うん、もちろん、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されていた曲っていうのは、あの頃から知っていた。

なんか、忘れ物を思い出したような気分だったな。

ただ、この曲が「月9」の主題歌に採用されたのには反発もあったのよ。

↑でも書いたように、ワタシにとっての元春氏は時代の先鋭だった。 テレビという「大衆娯楽」にはコミットしない存在だったのよ。

それがいきなり、「月9」っていう当時の大衆娯楽の極みのコンテンツの主題歌なんだもの。

いやいや、元春氏だけじゃなかったんだけどね、これの前に、浜田省吾の「悲しみは雪のように」が、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用された時も同じような感覚だったな。

80年代の「大物」アーティストが、90年代のドラマ主題歌で再ブレイクする。

初めの頃、例えば、小田和正氏が、「東京ラブストーリー」の主題歌として「ラブストーリーは突然に」が起用される・・ってころは、まだよかった。 まだ新鮮味があったから。

でも、同じような手法で、チャゲアスが、米米が、中島みゆきが、浜田省吾が、・・なんて続くとさ。。。
しかも、いずれも、80年代の自身の曲とは比較にならないほどのメガヒット。

これって良いことなの?  なんて、だんだんと、このやり方に懐疑的になってきたりしてね。

ついには、佐野元春氏もか・・・という気分だったな。

特に、浜田省吾氏の「悲しみは雪のように」とか、元春氏のこの「約束の橋」は「新曲」ではなく、80年代の再リリースだったわけだから。。

wikipediaに、

『なんで最初にこの曲に気付いてくれなかったの?』って感じですよね。『ドラマの主題歌にならないと聴いてくれないんですか?』

・・・(当時は) 怒ってました

と、元春氏のコトバが掲載されているけども、ワタシも同じような感覚だった。

もちろん、今は、「これがあったから今でも歌ってこれたのかもしれない」・・と考えているようですが。。。


結局、今考えてみると、1992年頃の音楽って、まだ「90年代」を象徴するような確固たるフォーマットが確立されていなかったのかもしれない。
・・と同時に、90年代をけん引していけるようなアーティストも、ようやく揃い始めてた頃だったしね。

WANDSの「もっと強くきみを抱きしめたなら」が大ブレイクし、 ZARDが「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」の連続ヒットで一躍注目を浴びだしたのがちょうど、1992年のちょうど今頃。

先行していた「B'z」とともに、「ビーイング系」のコマが揃い、時代を席巻するのは翌年のことですわ。

それとともに、70年代、80年代の「大物」アーティストがドラマの主題歌に・・・という機会も徐々に減っていった訳なんだよね。
70年代、80年代の「大物」アーティストや、楽曲の焼き直しによるドラマ主題歌の顕著な大ヒットは、翌年1993年4月期の月9ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌、財津和夫氏の「サボテンの花」あたりが最後だったような気がする。
・・・・あ゛、まだ大瀧詠一氏がいたか。。。。
もちろん、サザン、ユーミン、中島みゆき嬢は、その後も孤軍奮闘していったわけだけども。





余談だけども、↑で書いたように、中学校の時の元春好きの親友の話から、元春氏のコンサートは、チケットが取れない・・・ってずっと思い込んでいたのよ。

それは、大人になってからもそうで・・・、もしかしたら、頻繁にライブに行くようになった今でもそうかもしれない。

でも、そんな元春氏も、最近ではロキノン系、特に「COUNTDOWN JAPAN」には頻繁に出演するんだよね。

ずっとチケットが取れない・・と思っていた元春氏のライブを「COUNTDOWN JAPAN」で見る、80年代では、考えられなかったことかもしれないな。

実際、「COUNTDOWN JAPAN」ではこれまで何度も元春氏のライブを見た。
もちろん、30分程度のライブだけども。。。それでも昨年の「COUNTDOWN JAPAN」のラストで「アンジェリーナ」が聴けたのは、やっぱりトリ肌でしたね。


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みずいろの手紙 / あべ静江

1973_11_みずいろの手紙



今回の1曲セレクトは、「みずいろの手紙」あべ静江です。

まずはデータでする。

・タイトル   みずいろの手紙
・アーティスト あべ静江
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1973年9月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  26.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月22日〜11月5日付

清純。
世の中何かと「がさがさ」している現在では、完全に「死語」になったコトバだよなぁ。
でも、確かに、ワタシが子供の頃には、まだ、こんなコトバが似合う「お姉さん」たちはいた。
今回は、こんな「清純」というコトバそのままの曲を持ってきましょうか。

あべ静江さんの「みずいろの手紙」

この曲の冒頭の

「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」

というセリフからして、清純を思わせるよなぁ。

「〜言って下さいますか」 なんてのは、今じゃ、とんと聞かなくなった言い回しなんじゃないですかねぇ。

いや、超富裕層では、まだこういう言い回しもしているのかもしれない。

でも、ワタシみたいなごく平凡な「庶民」の世界では、まず聞かなくなりましたよね。

それじゃ、この曲の世界も「超富裕層」の世界なのか・・といえば、そうじゃない。
1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいたんだよね。

少なくとも、ワタシの周りにはいたような記憶があるなぁ。

モーレツからビューティフルヘ という文化の変革期の時代。庶民の暮らしもあの当時から見ての一昔前よりは確実に豊かになった時代の流れの中で、1億総中流層時代と言われたのがこの頃ですよね。

生活が豊かになれば、言葉の様式も変わってくる。 1970年代ってそんな時代だったような気もするな。

あ、もちろん、あの頃も「がらっぱち」なお姉さんも多かったですけどね

むしろ、ワタシの周りには、そちらのお姉さんの方が・・・やっぱ多かったかなぁ。。。


そんな清純そのものなセリフに続いて、リバーブをいっぱいに利かせたAメロ。

今では、こういう効果の曲は、まず見かけなくなった。 これも1970年代前半という時代特有な効果ですよね。

どうなんだろ? こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲想っていうのは、「清純」を連想させる曲の特徴だったんでしょうかね。

例えば、この曲の前年の麻丘めぐみさんの「めばえ」なんてのも、めちゃくちゃリバーブがかかってましたよね。今聴くと、ほとんどお風呂の中で聴いているんじゃないかという感覚になってしまうくらい。

故筒美京平氏は、こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲は。色彩イメージとして「淡いみずいろ」とおっしゃっていたようだけども、まさにそんな水の中を漂っているような感覚なんですよね。

今回の曲タイトル 「みずいろの手紙」 なんて、そんなイメージそのものですわ。

そこからなぜ、清純を感じるのか?・・・・「みずいろ」っていう色彩のイメージからして清らか⇒清純 っていうイメージを思い起こさせるからなんでしょうね、きっと。


最近は、時代からして極彩色、いや、はっきりとしたカラーな世の中だと思うし、まず、こういう「淡色系」なカラーの曲に出会うことは少ない。

つまりさ、ヒット曲にしても多くの人々は、色味がはっきりとした曲を求めているんだろうな・・ってのがわかりますね。

例えば、まさに今だったら、Adoの「唱」だったり、YOASOBIの「アイドル」だったり、今のヒット曲って、みんな色彩イメージがはっきりしてるじゃない? Adoの「唱」にいたっては極彩色の極みのような印象が強いし。。。
手書きではなく、PC上で機械的に作った曲の特徴といえば、そうなんだけども必然的にはっきりとした色彩になってしまう。淡い単色系の曲は機械的に苦手なところではないか・・とも思えてしまう。

いや、出来るんだけども、スカスカな音の曲になってしまい、「今の時代」には合わない・・っていうのもあるんですかね?

でも、昔・・少なくとも70年代前半って、そういう、はっきりとした色味を求めてはいない時代だったんでしょうね。

・・・だったんでしょうね? って無責任な・・ってところだけども、ワタシゃ、この時4歳。
まだまだ物心がつかない頃だったわけで、あくまで私の記憶の中での印象では・・・ってことで、あいまいに書いちゃったんだけども。。。

・・・ってか、↑で「1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいましたよね。」とか、すでに物心ついていたかのように書いてんじゃん。。。

いやー、物心はついてなかったけども、意外と人間観察はしてたような気がするんだよね。
そう、そんな嫌なガキだったのよ、ワタシゃ。


たださ、今、昭和歌謡に回帰する人が、若者を含め増えてきているのは、実はこういう「淡色系」の曲を求めている人たちなんじゃないのかな? 極彩色な曲には疲れているという人たち。

これは、実際の世の中にしてもそうで、昭和時代に回帰しているのは、今の世の中疲れている・・という中で昭和という「淡色系」(⇒平和に見える)な時代に癒しを求めている人が増えているんなんじゃないのかな?  なんて思えたりしてね。

もっとも、昭和という時代も、ずっと淡色系な時代ではなかったですし、リフルタイムで感じた実際の世の中は今よりももっと激動だったんですけど。。。
ただ、表面的に70年代前半から中盤くらいって、不思議なことに、淡い色の時代⇒一番平和な時代 のように見えるんだよね。今の時代から振り返ると。


なんか、当初の「清純」ってところから、大分変な方向に行ってしまったけども、ワタシの中では、清純というコトバで、真っ先に浮かぶのは、この曲だったりするんですよね。





↑で、この曲は「清純」だと言い切るほど、個人的にはあべ静江さんにはぴったりな曲だと思ったんだけど、wikipediaiによると当のあべ静江さんは、

「男性に媚びたような、私が嫌いなタイプの女性の思いを綴った詞だと思ってしまって・・・」

と、当時、とにかくこの曲がキライだったようで、歌うのを封印した時期もあったとのこと。

今、当時のVTRを見ても、この曲のレコード音源を聴いても、そういうところは感じなかったんですけどね。

当の本人は、男に媚びる、80年代風に言えば言えば、ぶりっ子、カマトトぶるタイプではなかったようですね。

でも、この曲が生まれた、1973年ころと言ったら、まだまだ女性は男に尽くすものであり、当時のヒット曲も男性にとって都合がいいような解釈の曲がまだまだ多かった時代。

それは、演歌の世界を見れば一目瞭然なわけでさ。ポップスといえども歌謡曲路線寄りのこの曲なんかにも、まだ、そういう匂いが残されていたわけですね。

ウーマンリブが叫ばれ、女性解放運動が日本で本格的になったのはこの2年後。1975年になってからですわ。



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あなたの心に / 中山千夏

1969_10_あなたの心に_中山千夏



今回の1曲セレクトは、「あなたの心に」中山千夏です。

 まずはデータです。

・タイトル     あなたの心に
・アーティスト   中山千夏
・作詞       中山千夏
・作曲       都倉俊一
・編曲       大柿隆
・リリース日    1969年9月1日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    42.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1969年10月27日〜12月22日付

今回の1曲セレクトは、一気に54年前の「今ごろ」まで時代を遡ります。
久々の60年代。  
いや、深い意味はないんですよ。資料の為にいつも広いている、オリコンデータブックを見てたらたまたま「中山千夏」さんに目が留まったの。

 で、ちょいちょい、見てたら、「あ、そういえば、この曲も、今ごろのヒットだったよな・・・」ってことで引っ張ってきたまでです。

いつか、書こうとは思ってたんだけどね。去年も書こうと思ってて、時期を逸しちゃって。。。



 この曲、ベストテンランクインは、10週間なんだけど、当時としては、それでも短い部類だったんですよ、最高2位まで行った曲としては。
 あっという間に火がついて、あっという間に落ちていった・・・っていう感じの曲なんですよね。

 もちろん、当時は、今のような「初動型」なんていうのは、ありえないから、下から上がって、ピークを迎え、下がるっていう「山型」チャートアクションではあるんだけど、上昇と下降のカーブが他の曲に比べると、急なわけなんですわ。

 手元に当時の、オリコンの50位内のランキングがあるんだけど、それによると、1969年9月1日リリースで、

1969年9月30日 30位、以降 ⇒16位⇒12位⇒7位⇒7位⇒4位⇒4位⇒2位⇒3位⇒2位⇒3位⇒8位⇒8位⇒12位⇒18位⇒23位⇒36位⇒48位⇒50位圏外

 うーん、これでも、当時としては、急勾配型のチャートアクションだったわけだから、当時のヒットの仕方が、いかに「ゆっくり」だったかが、分っていただけるんじゃないかなぁ。


 なんて、この曲のチャートアクションを説明する前に、中山千夏さん自体、みなさん、ご存知ですよね!?
 あれ? 、もしかして知らない? 

 その昔、アニメ「ドロロンえん魔くん」の主題歌、歌ってたヒトですよ〜。

 ♪ドロロン ドロロン でろでろばー〜 ♪ って・・・


・・・・え? 余計にわかんないって?。。。。。


↓ コレ




ぢゃ「じゃりんこチエ」の「チエ」の声やってた方・・・って言えば、これ読んでくれてる大概の方にはわかってくれるんぢゃないかなぁ。

 こう書いちゃうと、声優さん? って思われちゃうかもしれないけど、女優さんでもあり、作家でもあり、いまでいう、マルチタレントですよね。
 1980年には、参議院全国区選挙から立候補して当選。1期6年、参議院議員も勤めてたりする。党派には属しない、いわば無所属議員の走りのような方ですね。

 だそくだけど、・・・ということは、「じゃりんこチエ」の声優やりながら、方や参議院議員もやってたってことになるね。(82年〜84年放送)

 文字通り、マルチな才能をいまも発揮されていらっしゃる方ですね。


 まあ、この曲も、そのひとつの「タレント」性を発揮した「一部分」ってところかな。
 作家ということもあり、作詞はご自身で書いた曲でもあり、シンガーソングライターの走りでもありますね。

 そういう関係で、この曲を「ニューミュージック」の走りとして、ニューミュージックに分類される方も多い。
 うん、ワタシもそういう解釈している一人ですが。。。

 ただ、曲は、当時、まだ慶応の学生だった、都倉俊一氏。この曲が実質の都倉氏の初のヒット・・ということになっている。

 曲調は、全然、後年の山本リンダやピンクレディーに書いたような、「攻撃的」な曲では全くないんだよね、これが。

 一聴すると、歌謡フォークですね。当時はフォークと言えば、カレッジフォーク、社会派フォークっていうのが、比較的アンダーグラウンド(今でいうインディーズね 略して「アングラ」)の主流だったんだけど、対して、オーバーグラウンド(いまでいうメジャーね)での流行歌としての「フォーク」っていう感じかな。

 同じ時期に、千賀かおるの「真夜中のギター」が大ヒットしてたけど、丁度同じような傾向な曲ですね。

↓ コレ




 千賀かおるの「真夜中のギター」がコロムビアから、そして、この中山千夏の「あなたの心に」がビクターから、対抗馬のような位置としてリリースされた、2大歌謡フォークって感じですかねぇ。

 ちなみに、売上げ枚数も、「真夜中のギター」が46万枚に対して、この「あなたの心に」が42万枚と、ほぼ、同じような売上げを残している。



 時は昭和44年(1969年)、もちろん、ワタシャ、まーったく知りませんよ。
 とりあえず、生まれてはいました。。。

この曲のリリースが9月1日でしょ? ワタシ生まれたのが、この年の8月19日だから、生後半月でしたわあ

 そりゃ、タイムリーで知るわけないがな〜。


 でも、なぜか、聴くと、ものすごく懐かしく感じる。うーん、これってなんでなんですかねぇ〜。

 自分ではもちろん、物心ついてないから認識してないけど、当時、テレビかなんかで、耳にしてたんでしょうかねぇ。


 初めて、認識して聴いたのは、1989年1月1日放送のフジテレビ「19××、僕たちの思い出のメロディ」かなぁ。

 これで聴いたのが最初なんだけど、ほんとに上記のように、とても懐かしい気分になっちゃったんだよね、これが不思議。

 ♪ あなたの心に 風があるなら そして それが 春の風なら〜 ♪

っていう、とっても優しいフォーキーなウタは、恐らく、タイトル知らないだけで、大抵の方は知っていると思うんだけどなぁ。

 以前、なんかのCMでも使われてたよね。

 ワタシだったら、カバーに使いたくなるな・・・って思うんだけど、そう考える方は、他にもたくさんいらっしゃるようで、いままでも結構、カバーされているんだよね。

2002年には、声優の林原めぐみ までがアニメのエンディング曲にカバーしてたりしてるもの。

 まあ、それだけ、未だにキャッチーで一般性あふれる曲であるってことだよね。

 いい曲は、いつまでたっても、世代を越えても、エバーグリーンだってことですよ。。。






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花梨 / 柏原芳恵

1982_10_花梨_柏原芳恵



今回の1曲セレクトは、「花梨」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル   花梨
・アーティスト 柏原芳恵
・作詞     谷村新司
・作曲     谷村新司
・編曲     青木望
・リリース日  1982年10月1日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

谷村新司・急逝・・というニュースが駆け巡った一週間でしたな。
個人的にも、まさか、こんな急になくなるとは考えもしてなかったし、第一報を聞いたときは、「なんと。。。」と絶句しながら、Facebookに書いたりしたんだけども。。
74歳。  
人生80年が普通になった今では若いですよ。 小田和正氏が76歳になっても現役バリバリでステージを駆け回っている姿を見たりすると、チンペイさんも、またアリスとして「武道館」に戻ってくることを期待してたワタシだったりしたんでね。

謹んでご冥福をお祈りします。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、やっぱりチンペイさんが作曲した曲を持ってきたい・・と思ってまして、まだ、書いてない曲でなんかないか・・・と探していたんだけども・・・。
ありましたわ。

柏原芳恵さんの「花梨」。

うーむ、柏原さんの「現役」バリバリの頃のヒット曲、とりわけベストテンヒットしてた頃は、あらかた書いた・・と思ってたんだけどね。。

なぜか、この曲だけ、まだ書いてなかった。。。  なんで書いてなかったのか、今一つ理由がわからないんだけども。。。。

この曲、大まかな印象を言えば、「コンパクト」。 初聴でも、引き込まれるような強力なインパクトは感じられない。
悪く言ってしまえば、小さくまとまった感じというのかなぁ。 少なくともシングルA面としては、今一つ印象が薄い・・・。そんな感じなんだよね。

だから、ついつい、これまで1曲セレクトの線に漏れていたのかもな。。。。

1982年の今頃って、あみんの「待つわ」とかジュリーの「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」、極めつけは明菜の「少女A」と、「アク」が強い、思わず引っかかってしまう曲が多かったこともあり、この手のコンパクトな「小品」的な曲は、今となっては特に死角になっていたりするんだろうね。


柏原さんって、この曲から、名前表記を「よしえ」から「芳恵」という「本名」に変えたじゃん。

うん、この曲のリリースを「期に」変更したんで、1982年10月1日からでしたよね。

そんな名前表記の変更については、それより少し前の「月刊・明星」に「私、名前変えます」って感じで出てたりしたんで、個人的にちょっと期待してたりしたところがあったんだよね。

名前を変えてのシングルリリース、いったいどういう曲になるんだろう・・っていう期待ですわ。

この曲の直前のシングルが「あの場所から」っていう、70年代のカバー曲だったじゃん。

あの頃70年代ヒットの掘り起こし、カバーブームでさ、特にアイドルがやたらと70年代の曲をカバーしていたところから見ると、まあ、その流れに乗っかったんだろう・・・・そもそも、ブレイクした「ハローグッバイ」からして70年代のカバーだし。。。

っていうことは、当時13歳のガキんちょだったワタシでも理解できたんだけどね。

だけども、いかんせん、古臭さは否めなかった。 

そのまた1曲前の「渚のシンデレラ」で、やっと独自のポップス路線をつかみかけたのに、なんで昔に逆戻りなんだろう・・・っていうのが今一つ残念だったし。。。

だから、この「名前表記」を変えてのシングルリリースに期待してたんだろうな。

作詞・作曲がチンペイさんというのも期待だった。 きっと、百恵さんの「いい日旅立ち」のようなスケールの大きな曲になるんだろう・・っていう期待もあったしさ。

でも、実際、蓋を開けてみたら、この「コンパクト」な「小品」でしょ。 

正直、肩透かしだった印象は否めなかったな。なんか残念でね。

80年デビューの「アイドル」の中でも歌唱力があった柏原さんならば、もっとスケールがでかい曲でも歌いこなせたはず・・っていう思いは、あん時もあったんだよね。

ただ、この曲の次の「春なのに」。そそそ、中島みゆきさんが提供した・・・。 あの曲が期待していた通りのスケールの曲だったわけでさ。

たしかに、曲の良さもあったことは間違いないけども、33万枚超の大ヒットになったわけじゃん。

やっぱり、柏原さんならば、この位のスケールの曲は歌えるんだよね・・・っていうのを改めて認識させられたんだけどさ。

曲のスケール感で言えば、みゆきさん以上だった、チンペイさんが、こういうコンパクトな曲っていうのが、あの当時は・・・、うーん、ちょっと納得してなかったんだよね、個人的には。


でもさ、もし・・この「花梨」をリリースする時点で、次の「春なのに」の構想があったのであれば・・・、この「花梨」はわざとコンパクトにしたんじゃないのか・・・。
今になって思えば、そんなことも考えますね。

2曲連続でスケール感を出してしまうと、あとの曲の印象が薄くなる。もし、「春なのに」の方を前面に出していこうと、あの時点〜「花梨」をリリースする前〜で考えていたならば、その直前の曲は、インパクトが弱くとも「コンパクト」な、いわいる「つなぎ」的な曲にする・・・と考えられるんだよな。

当時は先の戦略まで考えて、シングルはリリースしていたのがデフォルトだったはずだし。
柏原さんの名前表記を変えるというタイミングを考えると、この「花梨」から新たな戦略で行ったはずで。。

事実、この「花梨」から、谷村新司→中島みゆき 一曲挟んで、松尾一彦(オフコース)→松山千春→中島みゆき ・・とニューミュージック系アーティスト提供の曲が続くことになる。

そんな流れを考えると、この「花梨」という曲が、どうして、こういうコンパクトな1曲になったのかは、今となっては納得するな。

・・・とは分かっていても、チンペイさんが提供した、スケールのでかい柏原さんのシングル曲は聴いてみたかった・・・っていう思いもあるのは、正直なところなんだけどね。。。

ちなみに、↑の「一曲挟んで」っていうのは、阿木燿子、宇崎竜童、萩田光雄・・っていう山口百恵ゴールデントリオが提供した「ちょっとなら媚薬」っちゅう、もろ、百恵さんフォーエバーなアッパーロックチューンだけども。。。。 
これを聴く限りでは、この手のアッパーな曲は百恵さんには叶わない・・っていうのがわかったわけで、すぐに路線変更したのは正解だったと思うけど。。。。






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いなせなロコモーション / サザンオールスターズ

1980_06_いなせなロコモーション_サザンオールスターズ



今回の1曲セレクトは、「いなせなロコモーション」サザンオールスターズです。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    いなせなロコモーション
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳祐
・作曲      桑田佳祐
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1980年5月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CM曲

キターッ !!!

サザンオールスターズ、「茅ヶ崎ライブ」4日間開催決定!!





1978年6月25日「勝手にシンドバッド」でデビューから45周年となる今日。 ・・・・の直前。

昨夜23時からの東京FMの「桑田佳祐のやさしい夜遊び」内で、ついに発表されましたね。

いやー、待った。

今年がデビュー45周年というのは、昨年からずっと周知されていたことであり、、絶対に、今年は「サザン」としてなんかやってくるはず・・・・と思いーの、今まで全く音沙汰もなかったんで。。。

考えてみれば、デビュー40周年だった、2018年も結局ツアーはやらずに、「ROCK IN JAPAN」にサプライズ出演しただけだったし。。。
まあ、最終的には翌2019年に全国ツアーをやりましたけどね。

今回もそのパターンか・・・と思いーの、今年の「ROCK IN JAPAN」の出演者にその名前もなかったんで。。。

いったいどうしたんや、今回はなんもやんないんですかね? 

・・と思っていた矢先、デビュー記念日直前まで引っ張ってくるとは。。。。

いずれにしても、↑で書いたように「サザン」としては、個人的に2019年以来4年ぶりのライブとなるわけなんで、もちろんチケット狙いに行きますわ。

たださあ、本当に昨夜発表された「茅ヶ崎ライブ」だけなんですかねぇ。。。

茅ケ崎球場のキャパは2万人。4日間開催なんで8万人。

これまでの全国ドームツアーでのチケットでも、「ファンクラブ」会員の私でさえ、2回に1回は「落選」なのに、どう考えても「超プラチナ」なんですけど。。。
下手すると「月の石」くらいのプレミアチケットになりまっせ。

でもまあ、冷静に考えると、昨日のラジオで「『今年』はサザンオールスターズとして全力で活動してまいります」と言ってたわけだしさ。
茅ケ崎ライブの時期と、昨年の桑田氏のソロツアーの日程を踏まえると、その後、年末に向けてツアーをやる・・・ともとれるんだよね。

まあ、発表されたわけではないんで、現状では、あくまで「考えられる」というだけだけど。。。。

なので、個人的には、もちろん茅ヶ崎ライブのチケットを応募しようと思いますが、あくまで「運試し」という感じで行ってみようか・・と。

当たれば、超ラッキー。 当たんなかったら、その後の全国ツアー開催に期待をかけて・・・っていうスタンスで行きますわ。



・・・・と、いつものごとく、前置きが長い。。。。

「いなせなロコモーション」ですね〜。


この曲は1980年5月。 8作目のシングルとしてリリースされたわけですわね。

少し前の「涙のアベニュー」でも書いたけども、 デビュー以来、テレビの歌番組はもちろん、バラエティーにも出る、ツアーもやる、・・といった肉弾戦的な活動を続けたサザンだけども、こんな活動にほとほと疲れて、1980年前半、半年間の充電期間に入ってしまったわけで。。。

その間に、毎月、5か月連続でシングルリリースを続けたわけだよね。

いわいる「FIVE ROCKSHOW」と銘打ったリリースで。

その「FIVE ROCKSHOW」で3枚目にリリースされた曲が、この「いなせなロコモーション」ですわな。

5枚のシングルの中でも、もっとも、アッパーなポップロックナンバーがこの曲。

・・・・ということもあってか、5枚の中では一番売り上げが高かったこの曲ですわ。

とはいうものの、オリコンでは、「涙のアベニュー」と同じく、最高位16位。 売上枚数は11万枚強。

何度も書くようだけども、今のサザンを基準に考えると、この1980〜1981年のサザンって、めっちゃ信じられないくらい低迷ぶりでしたからねぇ。

まあ、これも、何度も書いてきたことだけども、当時は、テレビに出てなんぼの時代。

テレビには出ないことで、売れなくなったマイナス面は計り知れなかったわけで。。。

そんな天秤にかけても、テレビの活動を切ったということは、あの時代、バンドとしてそれだけ疲労がたまっていたわけなんだよね。

ただ、個人的には、あの当時の「音楽の情報源」のすべてがテレビだったわけでさ、そのテレビに出ないってことは、曲どころか「消息」も全く知らないってことになるんだよね。

うん、いきなりベストテンから消えたからさ、サザンも終わっちゃったか・・・って思っていましたよ。「チャコの海岸物語」が出てくるまでは。。。

だから、もちろん、この「いなせなロコモーション」も、ずっと耳にしないままになっていた。

まあ、オリコンのランクからして、「ザ・ベストテン」でも、11〜20位には入っていたはずなんだけどね。 1980年の今頃って、一時的に「11〜20位」をやらないことがあったのよ。

この時期 永ちゃんの「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」が11‐20位にいたんで、「キリン」提供のベストテンでは流せないから・・とか言われたりするけども。。。

もっとも、あの時期「11〜20位」やってたとしても、耳にはしてなかっただろうけど。。。

うん、この曲をはっきりと耳にしたのは、件のTBS系ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年)ですわね。

そそそ、主題歌が「いとしのエリー」だったのは有名なところだけども、劇中歌はすべて「サザン」の曲だったし、この「いなせなロコモーション」もだいぶ使われてましたからね。

もっとも、「ふぞろいの林檎たち」は、本放送ではなく、再放送から見たんで、1984年くらいでしたかね。この曲の存在をはっきりと知ったのは。

だから、この曲を聴くと1984年ごろの匂いを感じてもいいと思うんだけども、なぜか、1980年の匂いなんだよね。
↑のように1980年には聴いてなかったはずなのに。。。それが不思議。


1980年、小学5年生の夏休み。

学校からは、子供だけでは学区内から出ていけません・・・って言われていたのに、そんなこと眼中になかった、ワタシは、チャリンコで最寄りの常磐線・泉駅に走らせた。

あの頃・・・いや、今でもだけども・・・・「時刻表」鉄でさ。 時刻表片手に、泉駅の一番端っこの空き地で、電車を見てるのが好きだった。

特に、上野⇔青森間を走っていた583系の特急「みちのく」が好きでさ。  ・・・っつうか、クリーム色と深い青色の583系の車両が好きでさ。お目当てはこれだったんだけども。。。

上りの上野行きの「みちのく」は、11時30分に泉を通過するの、時刻表から知ってたからさ。
それに間に合うように、休みの日はよく泉まで、片道40分くらいかけてチャリンコ走らせていたな。

1980年の夏の光景というと、決まって、そんな泉駅からの帰り、藤原川の堤防の砂利道をチャリンコで飛ばしていた風景ですわ。

どこまでも続く青い空にぽっかりと浮かんだ白い雲。昼下がりの白い光。むわっとした空気。土手の両脇に生える背の高いススキの群れ。個人的に感じる夏の匂いがそこにあったして。
自由だった、あの夏の風景ですわ

この「いなせなロコモーション」を聴くと、決まって、1980年夏のあの風景が浮かんでくる。
1984年の風景ではないんだよね

あの夏、どこかでこの曲聴いてたのかなぁ・・と思っちゃうほど。。。

そういえば、以前書いた、同じく「FIVE ROCK SHOW」のラスト曲である「わすれじのレイド・バック」も、きちんと聴いたのは1985年のはずなのに、浮かんでくる風景は1980年の夏だ。。

なんでなんだろう?・・・いまだに理由がよく良からないままになっていたりするな。




これ、テレビ神奈川「ファイティング80's」だそうだ。
↑で書いたように、この時期ほとんどテレビには出ていなかったサザンなんで、この「いなせなロコモーション」なんて、この当時、ほとんどテレビで歌った映像はないはずですわ。

もっとも1995年にNHKで放送されたサザン特番でこの曲歌ったからその映像はあるはずだけども。。。

これだから、テレビ神奈川って、今となっては映像の宝庫なんだよね。

ワタシも ついつい、見入っちゃいましたわ。。。
貴重だから、消されないでほしいなぁ。。。。

でもまあ、昨日の「やさしい夜遊び」でも、桑田氏が「昔の映像見るの嫌いなんだよね」とののたもうていたんで、消されちゃう可能性が高いけども。。。。

それにしても、あの頃、この曲ほど、歌詞何言ってんだか、よくわかんない曲はなかったなぁ。
コニー・フランシス、ドリス・デイ、シュープリームス・・・に、お父っつぁんと、まあ、つまりは、50〜60年代オールディーズ時代、父母の頃の色恋物語って感じの曲だよね。

もっとも、そんなこと言われても、80年当時は、個人的によくわかんないしさ。 英語っぽい発音で、何歌っているのかわかんないのは、あの頃の桑田氏のいつもことだったけども、この曲は特にわけわかんない発音で歌っていたから、一層歌詞の意味が分かんなかったりしてね。
でも、いいんだよな、この曲のグルーヴ感。 理屈じゃないんだよね・・っていうのが、もしかしたら一番わかる曲かもしれないな。




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BLOWIN' / B'z

1992_06_BLOWIN_B'z



今回の1曲セレクトは「BLOWIN'」B'zです。

まずはデータでする。

・タイトル   BLOWIN'
・アーティスト B'z
・作詞     稲葉浩志
・作曲     松本孝弘
・編曲     松本孝弘 明石昌夫
・リリース日  1992年5月27日
・オリコン最高位 1位
・発売元    BMGビクター, バーミリオン
・売上げ枚数  176.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜8月31日付
・タイアップ:カルビー「ポテトチップス」CM曲

2023年の今年はデビューから数えて「周年」アーティストが結構多いんだよね。
1998年デビュー、25周年のaiko、椎名林檎、Misha、宇多田ヒカル、藤井フミヤはチェッカーズ時代を含めると、1983年デビューなんで40周年。 1978年デビューのサザンが45周年。。。

先週、東京FMの「THE TRAD」




でも、これらデビュー周年アーティスト特集として特集が組まれてましたけど。

今回引っ張ってきた「B'z」、この人たちも1988年のデビュー以来、今年で35周年っていう、そんな周年アーティストの一組なわけなんだよね。

手元に、月刊「歌謡曲」 1988年11月号がある

IMG_20230617_150206

これ、個人的に当時リアルタイムで初めて買った「ゲッカヨ」なんだけども、この号に「今月デビューの新人」として「B'z」のデビュー曲「だからその手を離して」が掲載されていたりする。

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90年代に超ブレイクし、いまや国民的なアーティストに昇華した「B'z」もデビュー曲のこの曲を含めて、暫くはヒットチャートの前線に現れることはなかったんで、ずっと忘れていたんだけどさ。

後年、改めて「ゲッカヨ」を開いてみて、気が付いたりしてさ。。。



・・っつうわけで、今回引っ張ってきた曲は

B'z  「BLOWIN'」

まだ「1曲セレクト」で書いてなかった大ヒット曲・・・。探してみると、まだあるもんですね。
今回引っ張ってきた曲も、176万枚の超ミリオンセラーを記録しておきながら、まだ書いてなかったか・・・っつう曲ですわ。
うーむ、こうしてみると、やっぱ90年代の曲はまだ「抜け」が多いな。。。って感じですわな。

まあ、これにはいくつか理由がありまして。。。
「1曲セレクト」を始めた当初・・・2005年あたりは、90年代からは、まだあんまり時間が経っていなかったんで、あえて、90年代の曲は外していた。
それとYoutubeに参考動画があんまり上がってなかったから・・。

そんなわけで、90年代の曲は、まだ意外と書いてない曲が残ってたりするのよ。

でも、90年代も過ぎてから、少なくとも4半世紀は過ぎたわけでさ。今後は「1曲セレクト」での割合は多くなっていくんだろうな・・という予感。


今回引っ張ってきた「BLOWIN'」のリリースは、1992年5月。
ワタシゃ当時22才。

ここでも、これまで何度も書いたけども、あの頃は 当時結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のメンバーと遊び惚けてた頃かなぁ。

週末は、ほぼ毎週のように、歌舞伎町界隈で、今でいう「オフ会」を開いて、あの当時のヒット曲をはじめ、70年代、80年代のヒット曲、ヒットチャート談義を繰り広げてたよな。

今でこそ「昭和歌謡」としてもてはやされている70年代、80年代の曲だけども、ワシらこの頃からすでにやってたからさ、「昭和歌謡」の見直しを。

最近、「昭和歌謡」から脱却を考え始めているのも、あの頃からずっとやってきたんで、「今更」っていう気持ちと、そろそろ飽きちゃった・・っていうところもあるかもしれない。。。


でもって、夜は夜で、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーでグダグダになるまで酔っぱらっていたような気がする。。。
「オール」でカラオケもだいぶやってたよな、この頃。


若かったし、個人的に大学3年の初夏・・っていう、就職活動にはまだ少し早い時期。
学校の方は、必修科目はあらかた単位を取ってしまい、(理系だったんで)実験実習がないときは「週休5日」・・とか 、 めちくちゃいいキャンパスライフだったころですわ。

・・あ、ちなみに、22才で大学3年・・とは計算が合わない・・と思われるかもしれないですが、勉強が好きだったんで(???)、ワタシャ、ヒトよりも2年遅れているのね。。。。

ただ、あの頃の「ツケ」が今になって「痛風」ということで出てきているわけで。。。
本当は「酒」が弱い体質なのよ。でも、あの頃はそんなことも知らずに、かなりハメ外してたからなぁ。。。 後になってわかる、若さゆえの「過ち」ですわ。。。。


・・・といつものごとく、話が脱線していく。。。

えー、B'zの「BLOWIN'」ですね。

「1曲セレクト」を始める以前、まだ、自分のサイト に「CHART BBS」っていう「ネット掲示板」を載せていた頃から、読んでくださっている方ならば、わかると思うけども、自分のサイトを始めた、2000年前後って、個人的にアンチ「B'z」派だったのよ。。 

あ、これまで1曲セレクトでB'zをあんまり書いてこなかったのは、その影響もあるかもしれない。

まあ、「アンチ」になった理由はいろいろあったんだけどさ。。。


ただ、この「BLOWIN'」がリリースされた90年代の初めから中盤ごろまでは、普通にB'z聴いてたのよ。 

ま、ブレイクしてきた90年ごろは、「TM NETWORK」の二番煎じの匂いが強く、どこかうさん臭さも感じてたのであんまり好みぢやなかったんだけどさ。

前曲「ALONE」あたりから、サザンロック的なB'z独自の匂いが強くなり、俄然、良さを感じられてきたんだよね。

それを受けての「BLOWIN'」

初めて聴いたときから、「あ、これ、いい」と思ったな。

この曲からは、前曲の「ALONE」のような大陸的な「サザンロック」の匂いは感じられない。

・・・けども、ポップで、なにより分かりやすかったから。 あの時点でのシングルでは一番わかりやすかった曲だと思うな。

ポップといっても、90年の「太陽のKomachi Angel」とか「LADY NAVIGATION」のようなTM NETWORKの匂いもあまり感じない。

うん、「これ、いい」という前に、「これは売れるよね」・・・っていう予感だよね。

あの頃は「カラオケで歌える」っていう要素は、ヒット曲としては最重要ポイントだったわけでさ。

ただ、あの時点で、それまでのB'zって、カラオケで歌える曲って限られてたからなぁ。。。
まあ、B'zファンならともかく、ワシみたいな一般のヒット曲ファンとしてはさ。

その点、この「BLOWIN'」は、シャウトする部分があるわけでもなく、 サビの ♪ BLOWIN'   BLOWIN' IN THE WIND〜 ♪ からもみんなで歌えたしさ、ノレるしさ。


↑で書いた、「てあとろん'88」は、カラオケボックスではなく、客席の前方にライブハウスさながらのステージがある飲み屋でさ。他の客が歌っているところを見ながら酒を飲むっていう空間だった。
あの当時としては、普通のカラオケボックスにない曲のカラオケもおいてあるってことで、カラオケボックスで歌えない曲を歌うためによく行ってたんだよね。

余談だけども、今でこそカラオケも「通信カラオケ」になったんで曲数も飛躍的に増えたけども、92年当時はまだ通信カラオケは発達しておらず、ディスクカラオケが主流だったからさ。曲数も今に比べると大分限られていたのよ。
歌いたいのにカラオケボックスにはない・・・っていう曲もかなり多かったんだよね。
だから、「てあとろん'88」のようなカラオケバーは重宝してたんですよ

それでも、この当時、「てあとろん」でも「BLOWIN'」歌ってた人が多かった・・・記憶があるなぁ。

これらを考えると、176万枚っていう、この時点でのB'zの最高売り上げを記録したこと。
2か月間ベストテン内を維持と「浮動票」を巻き込んだような、当時としては比較的ロングヒットになったことは、納得だったんだよね。


ところで、この曲カルビー「ポテトチップス」のCM曲だったんだよね。。

なんか記憶ねぇなあ。。。とおもったら、動画が落ちてた




宮沢りえさんねぇ。。。。 うーん、やっぱり、記憶がない。。。。






なんか、すぐに消されそうなんで、一応「公式動画」もリンクしておく。1分半しかないけど。。。





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渚のファンタシィ / 酒井法子

1987_06_渚のファンタシイ_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「渚のファンタシィ」酒井法子です。

まずはデータです。

・タイトル   渚のファンタシィ
・アーティスト 酒井法子
・作詞     竹花いち子
・作曲     タケカワユキヒデ
・編曲     新川博
・リリース日  1987年5月21日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  6.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月8日付

今回の1曲セレクト、引っ張ってきた曲から、なんで今まで書いてなかったんだろう? シリーズに入るんかなぁ。。。。

のりぴーの「渚のファンタシィ」。

80年代でベストテン入りした曲は、もう、大分書いたしなぁ。この曲なんかは当然書いててもおかしくないよなぁ・・・。

・・なんて思われかもしれないな。。。

でもさ、ワタシ、のりぴーって、まだ、ほとんど書いてなかったんだよな。。。。

現状、自分のところに音源がある曲・・・をこれまで優先的に書いて来たっていうのもあるんだろうな。

そこから見ると、ワタシ、いまだにのりぴーの曲って音源、ほとんど持ってないのよ。。

なんでなんだろうねぇ・・・って、これは理由が簡単。当時、音源購入するのが恥ずかしかったから。。

今でこそ「アイドル」っていう存在って、一般認知されて、我々のような大人でさえ、躊躇なく購入できるようになったけどさ。
1987年当時は、高校生にもなってアイドルかよ・・・って思われるような時代だったのよ。

・・・って、同年代の方じゃなきゃわかんないか。。。

1987年といったら、ワタシゃ17〜18歳。高校3年。

いや、根っからのアイドルファンならば、割り切っていただろうけども、どうも、ワタシは割り切れなかったんだよな、あの頃。

あの頃、ワタシの周りでは、当然のようにみんな音楽って好きだったけども、大半はロック系派だった。アイドル系派だった友達って居なかったのよ。

中学生の頃には、大半がアイドル系派だった友達も、高校生にもなると、みんなロック系に行っちゃってたからねぇ。
前にも書いたけども、1987年、周りはみーんな「BOOWY」だった。 あとは「ブルハ」とか、「渡辺美里」。 浜田省吾の「J BOY」なんか聴いてる人も多かったな。

高3にもなって、まだアイドル系にはまってた人って、ごく少数。 

大抵、マジメで、暗くて、いつも教室の端の方にいて、友達がすくなそーな「オタク」って相場が決まってたような。。。

そそそ、あの頃でいえば「宅八郎」みたいな。。。

そういえば、あの当時、オリコンウイークリーにも「暗い子クラブ」ってオタクの集いのような書き込みコーナーがあったじゃん、あんな感じ

あ、あくまで、ワタシの周りではよ。 全国的にはそうじゃなかったかもしれんけど。。。
でも、あの後、バンドブームが本格化してきてことを見ると、全国的にそうだった・・・とみてもいいのかもしれないな。


で、アイドル系の曲を聴いてると、みんなに馬鹿にされたもん。

だから、アイドル系の曲って、少なくとも外では聴けなかった。

もっとも、家でもアイドル嫌いなオヤジが「いい年こいて・・・」ってバカにするし、、家でも聴けなかったんだけども。

まあ、個人的にも、アイドル系の曲からは、ちょっと距離を置いていたところはある。
オリコンは毎週読んでたけどね。

何分、前年の「おニャン子」旋風に辟易し、アイドルに食傷してたのは大きいですね。

それよりも、時代を遡って、それまで知らなかった曲を掘っていく・・・っていう作業のほうが面白くなってたんだよねぇ、あの頃のワタシは。

小遣いも限られていたわけだから、あれもこれも音源を買う訳にもいかず、何を削るか・・・って考えた時に、当時のアイドル系を削ったわけよ、ワタシは。

アイドル系の曲は「ベストテン」からウタの部分を録音したやつでいいや。。。って感じでさ。


そんなわけで、のりピーも、音源は当時から買ってなかった。

正直、あの当時のヒットチャート上位に行った曲でさえアイドル系の音源を集めるようになったのなんて、ごく最近だもの。
ただ、まだ、のりピーの曲まで手が延ばすることが出来てない・・・っていう状況で、いまだに音源がほとんど手元にないのよ。


もちろん、本音を言えば当時からキライではないんだけどさ。

正直1987年は、新人賞は、のりぴーの年に間違いない・・・とデビューで出てきたときから思ってましたよ。

・・・っつうか、この頃から、自分よりも「年下」のアイドルが普通に出てくるようになったんだよね。なんか変な感じだったな。
のりぴーは、ワタシらよりも1学年下になる。


デビュー曲の「男のコになりたい」も、悪くはなかったと思うけども、真の勝負は第2弾のこの曲だろうな・・というのは、リリースされる前から分かってたんだけどね。

もう、この頃になると、デビュー第2弾で売れたヒトはビッグになる・・・っていうシングスは分かってたからね。

そそそ、聖子さんにしかり、明菜にしかり、頂点を極めたアイドルって、デビュー第2弾で爆発した人が多かったから。

それで出てきたデビュー第2弾が、この「渚のファンタシィ」。

正直、悪い曲とは思わなかったんだよね、あの当時も。ただ、これでブレイクが「決まり」とも感じなかったな。

たしかに、初夏を思わせる爽快感は、コンパクトにまとまった「男のコになりたい」よりは、あの当時のアイドルポップとしては出来は良かったと思うし、ヒットしそうな予感はあった。

ただ、だからと言って、大ヒットに繋がりそうなといえば今一つ弱いのよ。なにより、フックになりそうなフレーズがないし、その分インパクトが弱い。
これでは、並のアイドルソングの域を出してないな・・・っていうイメージなんだよね。

・・かといって、それじゃ、どうすれば、もっと大ヒット狙いできたのか・・というと、今一つはっきりとした答えも出てこない。

結局のところ、のりぴーっていうタレント性のポテンシャルの大きさだったんだろうな。

たしかに、かわいらしいい、ウタも他の同期アイドルの中では、まずます巧い。
だからといって、強烈に引き付けられるカリスマ性を感じるかというと、そういうわけではないしさ。


80年代前半に確立した「80年代アイドル」の成功で、80年代後半は、アイドルの数は飛躍的に増えた。
あの頃一番重要だったのは、強烈な個性とかタレント性よりも素人性だったわけじゃん。

そそそ、となりのクラスの「〇〇ちゃん」という。。

そんなわけで、結局曲も強烈な個性とかインパクトというよりも、誰でも歌えそうな素人性の方が重要になってきてたんだろうね。

インパクトが薄い曲では、売り上げがなかなか上がらないのも当然。結局みんな、個性的で強烈なインパクトな曲を買いたくなるわけだからさ。

それを考えると、あの当時レコードが売れなくなって来ていたのも当然だと思うんだよね。

当時は、アナログレコードからCDに切り替わる端境期。 だから、レコードは売れなくなってきてたのよ。。。っていうのが今までの通説だったけども、必ずしも、それだけの理由じゃなかったんじゃないか・・・とも思うわけなのよ。

だってさ、このちょっと後、光GENJIが出てきて、明菜が「難破船」を出したころからレコード売り上げが少し回復傾向にあったわけじゃん。

底だったのは、この「渚のファンタシイ」が出た87年のちょうど今頃でさ。
ぢゃ、なんで「底」だったの? と言ったら、たしかに季節的な物もあるとは思うけども、結局は強烈なインパクトの曲が少なかったからと思うわけなのよ。

それにしても、このころ、タケカワユキヒデ氏は、頻繫に曲提供してましたね。
そそそ、ゴダイゴのボーカルのタケカワユキヒデ氏。

この年の頭には、浅香唯の「STAR」、で、この曲でしょ。 同時期に池田聡の「Jealousy」なんてヒットもあったな。 まあ、長年、他の方に提供し続けているタケカワ氏だけども、特に1987年っていう年はヒットが集中してたな、

タケカワ氏にとっては当たり年だったのか、タレントの巡りあわせがよかったのか、本気で小銭稼ぎをしていたのか・・・・理由はよくわからないけどさ。





むむむ、この曲「PV」作ってあったんだな。

PVっていっても、今でいう「Music Video」というよりは、文字通りの販促プロモーション用のVTRって感じですね。

どこで流してたんだろ? って感じだけども、そういえば、この頃、地元の新星堂にプロモーション用のモニターが置いてあって、定期的にプロモーションビデオ流してたな・・・っていう記憶がありますね。そういうレコードショップでの販促用に作ってあったんだろうな。

確かに原宿、表参道ってことで、いかにもアイドル向けのPVって感じだけども、そもそも、ビクターの「近所」だし。。。。金かかってねぇな。。。。

ただ、1987年(昭和62年)の原宿、表参道の様子はよくわかりますね。 
「昭和好き」な今の若い子には、結構刺激的なんじゃないかなぁ。。。

時折通る、学生服のお兄さん、お姉さん、きっと私らと同年代に違いない。。。
今頃は50代になっていると思われ、あれからどういう人生を送っているんだろう・・・とか。。。
余計なお世話だけど。。。。


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KNOCKIN' ON YOUR DOOR / L⇔R

1995_05_KONCKIN'ON YOUR DOOR_L⇔R


今回の1曲セレクトは、「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」L⇔R です。

まずはデータです。

・タイトル    KNOCKIN' ON YOUR DOOR
・アーティスト  L⇔R
・作詞      黒澤健一
・作曲      黒澤健一
・編曲      TOMATO CUBE  山内薫
・リリース日   1995年5月3日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   134.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1995年5月15日〜6月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「僕らに愛を!」主題歌

一聴して「うわっ、だっせえ!」と思わず笑ってしまう曲ってありますよね?

え? ないですか?

ウーム、私だけかなぁ。。。。

最近は、ヒット系の曲ってホント、よく考えられたつくりになっている曲が多いので、「だっせえ」と思える曲って少なくなった気がするけども、昔はあったんだよなぁ。。。

でも、ここでは、前から言ってきているけども、個人的には、そういう「だっせえ曲」になんか刺さるんだよね。

なんでなんだろうねぇ。。。逆に、誰が聴いても「かっちょいい」って思える曲って、あんまり刺さらないんだよな。。。。  

まあ、その辺が「天邪鬼」と思っている所以なんだけども。。。。

その「ダサさ」こそが、いわいる「売れせん」って言われるモノなのかもしれないけどさ。




・・・ということで、今回は、そんな初めて聴いて「うわっ! だっせえ!」と思った曲を一つ。

L⇔R 「KNOCK'N ON YOUR DOOR」


いやいや、ちょっとマクラで変な風に書きすぎたかなぁ。。。

前年、ポリスターからポニーキャニオンに移籍したL⇔Rだけども、個人的に、ポリスター時代の曲は正直、きちんと聴いたことがない。
だから、はっきりとは言えないんだけども、少なくとも、この曲の前、ポッキーのCFで使用された「Hello It's Me」あたりからは、そんなダサさの片りんは見えてた。

ちなみに、この場合の「ダサ」さっていうのは、メロディラインではなくサウンドですね。

例えば、「Hello It's Me」の場合は、フロアタムを多用したリズム体が、どことなくメロディラインやコード進行とシンクロしてなかったし、逆に不協和音のようにもなっていた。
その辺、昔、「Hello It's Me」の時にも書いたけんだけどさ。 
キャッチーなメロディラインなのに、そこになんかダサを感じたりしてね。

少なくともあの頃時代を席巻しようとしていた、小室系に比べるとスタイリッシュさは感じられなかったわけで。。。




そいで、この「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」は、サビのドラムの「おかず」(フィルイン)がめちやくちゃダサいじゃん。

 ♪ I KNOCKIN' ON YOUR DOOR いつもすぐせめぎ合う LONELY〜 ♪

ジャン(シンバル)   ドコドコ(16分タム)   ジャン(シンバル) ドコドコ(16分タム)〜 っていう繰り返しのフィル。

ドラムの経験がある方ならば、一度はやったことあるよね・・・っちゅう、超王道の「おかず」じゃん。


昔、1960年代のG,Sのころは、よく多用された「おかず」だけども、さすがに1990年代ともなると「ださっ」という感じで、ほとんどだれも叩かなくなったフィルインフレーズじゃん。

そんなドラムの、フィルインで、頭サビから一気に「うわっ ださっ!」って思ってしまったもの、ワタシ。。。

ただ、逆に言えば、頭サビからこのダサいフィルインのおかげで、一気に曲に引き込まれてしまったのも事実でさ。

ドラムにしろ、ギターにしろ、聴きなれたフレーズが、入ってくると、どこか安心してしまんだろうなぁ、ついつい刺さっちゃうんだよね。

結局、前曲「Hello It's Me」に引き続いて、ドラムのフレーズで曲に引き込まれた「L⇔R」って感じよ。

ただ、この2曲と、前年1994年にフロントマンの黒澤健一氏が森高千里に提供した「気分爽快」を聴く限りでは、そっち方向  ⇒1960年代G.S 志向のグループなのかな?

・・・という印象は持った。




もっとも、それ以前、ポリスター時代の曲は、よくわからないので、断言できないけども、
1993年にリリースされた、ポリスター時代の「恋のタンブリングマン」を聴く限りでは、やっぱ、そうだったんじゃないか・・とは一層思えてきますね。



いや、同じ1960年代でも、G.Sというよりは、ビートルズを核としたU.Kロックっぽいですね。

キャニオンに移籍して そんな、1960年代という時代感は残しつつも洋楽から、日本のG.Sに様変わりした(させられた!?)っていうのが、この「KNOCK'N ON YOUR DOOR」であり、前曲の「Hello It's Me」だったんじゃないのかなぁ。。。

書いてるうちに、そんな風に思えてきたな。

ただ、1960年代的曲っていうのは、あの時代、1994〜1995年あたりの、一つのトレンドだったと思うんだよね。

そもそも、ミスチルがモロそうだったし。。。 

今考えてみれば、L⇔Rっていう人たちも、その流れを汲んでたグループの一つっていう志向だよね。今思うと。

メンバーのフロントマン、黒澤健一氏は1968年。弟の黒澤秀樹氏は1970年生まれ。
ミスチルとは同世代ですわ。

もっとも、ミスチルのメンバーと「同級生」(1969年生まれ)のワタシも、もろ同年代なんだけども。。。

でも、それを考えると、ちょっと納得なのかな。

考えてみれば、我々世代がマジメに音楽に興味を持ち始めたと思われる1980〜1981年ころって、G.Sの揺り起こし(リバイバルブーム)で60年代的な曲がトレンドだったわけでさ。
G.Sぢゃなくても、あの寺尾聰氏にしろ大瀧詠一氏の「ロングバケイション」だってそうだったわけじゃん。

あの頃、(ゲーノーではなく)「音楽」に興味を持ち始めてた同年代のキッズって、無意識のうちに60年代(音楽)の洗礼って受けてたと思うんだよね。

ちょうど1994〜1995年あたりって、そんな音楽トレンドが一周して、再度60年代っぽい曲がトレンドになっていたわけでさ。。。

だから、1994〜1995年ごろの音楽のトレンドを考えると、売れるべきして売れた人たちと言えると思うのよ


ただ、この「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」は急激に売れすぎたと思う。

まあ、フジの月9の主題歌ってわけで、当然のようなミリオンセラーなんだけども。。。

急激に売れすぎると、ほとんどの場合は後が続かない。。。  音楽業界の不文律だけども、結局は、この人たちもこんな不文律に当てはまってしまった感じだわな。

もっとも、前曲「Hello It's Me」が、オリコン最高10位 41万枚のヒットだったおかげで「ワンヒットワンダー」(一発屋)ではないんだけども。。。

まあ、本人たちも、このままずっと大ヒット狙い・・・というつもりもなかったんだろうしね。




なんか、さんざん「ださい」とか書いちゃったけども、L⇔Rもこの曲のあとは、サウンドが変わりつつあったんだよね。
個人的には、CDTVの1996年1月のオープニングテーマとなった、3曲後の「GAME」なんかは好きだった。 スタイリッシュでスピード感があって。この曲については「ださい」とは思わなかったもの。

一応、オリコンでも10位までは上がったけども、売り上げは16万枚のスマッシュヒット止まり。

やっぱり、売れるっていうのは、曲の良さだけでは決まらないんだよね・・・ある種のダサさと強力タイアップありきだよね・・・っていうのがよく分かったな。



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じれったい / 安全地帯

1987_05_じれったい_安全地帯



今回の1曲セレクトは、「じれったい」安全地帯です。

まずはデータです。

・タイトル    じれったい
・アーティスト  安全地帯
・作詞      松井五郎
・作曲      玉置浩二
・編曲      星勝、安全地帯
・リリース日   1987年4月21日
・発売元     キティ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年5月4日〜6月1日付
・タイアップ:太陽誘電カセットテープ「That's」CM曲

テレビの歌番組からカセットに録音するとき、ラジカセをテレビの前において録音した。
ワタシらの世代では、かなりの方がやった経験があるんじゃないかなぁ。

うん、ライン録音なんか知らないからさ、ラジカセを直接テレビの前においてさ、歌の部分だけ録音したりして。。。

録音最中に電話が鳴ったり、オヤジが「へたくそ!」なんてヤジを飛ばしたりして、それが録音されちゃっりしてさ。。。

もちろん、ワタシもやってしましたよ。ベストテンから新曲がランクインするたびに録音してさ。

録音を始めたのが1979年2月だったかなぁ。最初はコレクションするつもりは毛頭なくて、あくまで曲を覚えるためだったんだよね。 それがいつの間にか曲をコレクションするために変わったりしたなぁ。

いつかも書いたけど、あの当時、レコードは高かったんでおいそれとは買えなかったし、始めたころはレンタルもなかったし・・・。ましてやサブスクなんてあるわけがなし。。。

結局、「ヒット曲」をコレクションするには「ベストテン」から録音するのが一番手っ取り早かったんだよね。

もっとも、ラジオセの内臓マイクで録音するから、音はモノラルで音質もよくなかったし、↑でかいたようにいろいろ雑音も入っちゃったりしたけどさ。それでも当初は満足だったのよ。

ただ、中学生にもなって、みんなラジオを聴き始めると、ラジオからエアチェックし始める人が増えたんだよな。FMから録音すればそこそこ音が良かったし。。。

でも、ワタシはといえばベストテンからの録音を続けてたなぁ。

あの頃は、一つのことをやりだすと、他のやり方を考えられなかったんだよな。。。頑なというか保守的というか・・・。

そんなことをするうちに、音的にも満足しなくなってきたんだよね。

80年代も中盤になると、曲時代のデジタル化が進んで、モノラル音質だと物足りなく感じちゃったりしてきたのよ。 曲によっては、全く違った印象に感じちゃったりしてさ。


今回引っ張ってきた曲は、そんな感じで、当時ベストテンから録音して、全く満足できなかった曲を一つ。

安全地帯「じれったい」

この曲は今から36年前の1987年のちょうど今頃ヒットしていた、安全地帯15枚目のシングルですわ。

wikipediaを見ると、ブラコン(Black Contemporary)、デジタルファンクに分類されているように、エッジが立った硬質かつ鋭角的なサウンドに、タイトなビートが絡んだミディアムチューン。

かっこよく書けばよ。 

まあ、あの頃、80年代後半の軽薄短小な時代の音楽トレンドを象徴するようなサウンドの曲ですわね。

それまでの安全地帯って、玉置浩二のたっぷりとしたボーカルを中心とした、ミディアムバラードを中心としたバンドだったから、こういうエッジがたったタイトなビートの曲っていうのは、少なくともシングルでは、それまでなかったような気がするな。

確かに、それまでも85年の「熱視線」とか、86年の「プルシアンブルーの肖像」のようなややエッジがたったアップビートな曲はあることはあった。

けど、この曲ほど、ブラコンの匂いが強い、さらにタイトなビートの曲ってほどではなかったしさ。

いや、この曲が出るまでの時点では、やっぱ、バラードの安全地帯っていうイメージの方が強かったのよ。少なくとも個人的には。


だからなのかなぁ。 この曲は、ヒット当時は、理解できなかったんだよなぁ。。

そもそも、この手のエッジがキツイ硬質で鋭角的なサウンドが、あの頃は生理的に受け入れられなかったのよ。

いや、今から思えば、本当の音でちゃんと聴いてなかったのもあるんじゃないかなぁ・・と思うのよ。

そそそ、↑で書いたように、あの頃、まだ、ベストテンから録音した「モノラル」の音で聴いてたからさあ。

モノラルで聴くと、音そのものが大分削られてしまうんで、本来の曲の良しあしが伝わってこないのよ。

この「じれったい」のほんの少しあとにヒットした、C-C-Bの「2 Much I Love U」なんかは、もろそうだったな。

後年、CD音源と、ベストテンから録音したモノラル音質の「2 Much I Love U」を聴き比べると、全く別物だったもの。曲自体が。。。

この「じれったい」もそうだったと思うんだよね。 

いや、他にも当時の、いわいるニューウェーブ系といわれた曲の多くって、生理的にダメだったんだけども、そんな風に「本当の音」でちゃんと聴いてなかったんで、本当の曲の良さを感じ取れなかったんじゃないかな・・・なんて、今になって思ったりして。

もっとも、これら、ブラコンやニューウェーブ系の音を咀嚼するほどの理解力もなかったっていうのも大きいんだけども。。。。


前回のブラピ「タイミング」の時と同じように、だからという訳ではないんだけども、今になって、この頃・・・80年代後半・・・のニューウエーブ系の曲をちゃんと聴き始めたりしてる、ワタシだったするのよ。。。 さすがに、あれから37年、その間にいろいろなヒット曲を聴き続けて、
あの当時に比べれば、この手のブラコンなどのニューウェーブ系な曲を咀嚼できるくらいの理解力はついたと思うんでさ。。。




この間のテレ朝「ニンチド調査ショー「昭和世代が伝えたい名曲・スポーツ名場面!」」の同年代で歌のうまいと思う男性アーティストで、玉置浩二氏が60代のNo.1に選ばれてましたね。

まあ、同業者のアーティストの皆さんが、こぞって玉置氏のライブに行きたがっていると聞くし、ミュージシャンも惚れる歌唱力をお持ち・・というのは、誰もが認めるところだろうな。

それは、玉置の代名詞ともいえるバラードは言うに及ばず、この曲のようなアッパーな曲でも発揮されてますよね。

ただ、個人的には、この曲を改めて聴くと、歌の巧さよりも、そのセクシーさに舌を巻いてしまいますわ。

Aメロ出足の、囁くような、ファイルセットとでも地声ともつくような声質なんて、めっちゃセクシーなのよ。

多くの方、特に女性の方にとっては、そんなフェロモンにやられちゃうんじゃないのかなぁ。

そういえば、うちのオカンも、あの当時、玉置氏の「フェロモン」にやられちゃってた一人だったりしたもんなぁ。。。

この「じれったい」っていう曲は、もろバラードの曲よりも、そんなフェロモン性をより感じるような気がするんだよね


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タイミング / BLACK BISCUITS

1998_05_タイミング_ブラックビスケッツ



今回の1曲セレクトは、「タイミング」BLACK BISCUITSです。

まずはデータどえす。

・タイトル     タイミング
・アーティスト   BLACK BISCUITS
・作詞       森浩美、ブラック・ビスケッツ
・作詞       中西圭三、小西貴雄
・編曲       小西貴雄
・リリース日    1998年4月22日
・発売元      バウンシーレコーズ
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    148.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月4日〜7月13日付
・タイアップ:日本テレビ系「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」より


ゴールデンウイーク真っ最中ですな。
今年はカレンダーの並びで最大9連休・・ということで、9連休を満喫されている方も多いんぢゃないのかなぁ。。。
ワタシは・・・といえば、本来ならばカレンダー通りで、5/1、2は出勤だったんだけども、5/1は先月休日出勤した分の代休・・・ということで、前半3連休、5/3からの後半が5連休・・・

そんじゃ、5/2も有給とっちゃえばよかったのに・・・なんて思われる方も多いかもなぁ・・。

どうも「平日に休むのは悪」っていう・・・年代的なもんもあってか、いまだに平日休むのは気が引ける。。。。

そもそも、ゴールデンウイーク、カレンダー通りに休むようになったのは、今の会社に入ってから・・だと思うなあ。。

以前いた某D社で、着メロ、着うたやってた頃は、ゴールデンウイーク明けに迫る新機種発売に備えて、新機種用の着メロファイルの準備に追われ、ゴールデンウイークも出勤してた記憶があるし。。。

それ以前、新卒で入社した、某害虫駆除会社では、この時期「シロアリ」の駆除のかき入れ時&、休みじゃなきゃ出来ないインテリジェンスビルや食品工場の衛生防除作業で、カレンダー通り休んだ記憶がないし。。。。

まあ、そんなわけで、これでも、社会人になって以来、ゴールデンウイークは一番休めているかもしれない。。。


・・・・なんて、毎度毎度、音楽とは関係のない話で始めしまった、今回の1曲セレクトだけども、いや、実は関係があるんだよな。。。


BLACK BISCUITS 「タイミング」

この曲は、当時の大人気バラエティ「ウリナリ!!」から派生した、ビビアン・スー、天野ひろゆき、ナンチャンのユニットの第2弾シングル。

まあ、96年にリリースされた、千秋、ウド鈴木、ウッチャンのユニット「ポケットビスケッツ」の向こうを張ったユニットですわな。

で、もって、「ウリナリ!!」から派生したシングルの中では一番売れたのがこの曲。

オリコンでは、ベストテン入りも11週連続と、ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」の12週連続に次ぐベストテンロングヒット。
ただし、TOP100まで広げると、「YELLOW YELLOW HAPPY」の31回に対して、「タイミング」は34回と、こちらの方が100位以内キープ期間は長い。

もっとも、これは、文字通り「タイミング」よく、年末紅白出場が決まったことによる紅白効果というところもあっただろうけども。。。

今や、一般的に広く知られたことだけども、1998年は日本の音楽史上、CDが最も売れた年、オリコンの年間ランキングを見てもミリオンヒットシングルは14作生まれている。

ただ、大まかに見ると、短期間に爆売れという初動型のミリオンヒットが多かった中、長躯ベストテンをキープしてのミリオンヒットというのも珍しかったんだよな。

この年でいうと、他にはKiroroの「長い間」が9週ベストテンをキープしていたけども、それ以上のベストテンロングランだったわけだから。。。

それだけ広く支持されたという訳で、昨年、再結成で一時的に話題になったのも、頷けることだったかもなぁ。


この曲、1998年4月22日にリリースされ、ゴールデンウイークの丁度、今頃は、ヒットチャートに躍り出たころだ。

前回、Coocoの「樹海の糸」の時と同じように、この曲を初めて聴いたのは、bay fmの「パワーカウントダウンHOT30」。 当時のカレンダーを見るとゴールデンウイーク真っ只中の5/2だったと思うな。

そそそ、会社の社用車の中で、仕事にうんざりしながら聴いた記憶があるわ。

カレンダーを見ると、あの年は、5/2から4連休、4/30、5/1を有給にすれば7連休だったはずだけども・・・。 ワタシゃ、休みは5/4の1日だけだったと記憶してるな。

そりゃ、ウンザリもするわな。。。。。

そんな中聴いた、めっちゃ楽しそうな、この曲がウラメシかったのよ。

だからということもないんだろうけども、当時は、この曲がどうにも好きになれなかった。

なんか短絡的だけども、あの当時は、そんなもんだったのよ。

まあ、それだけ、あの頃は、仕事をこなすことが精いっぱいで、ヒット曲を味わうだけの余裕が全然なかったんだよな。

逆に、ポケットビスケッツが1996年に「YELLOW YELLOW HAPPY」でブレイクしてきたときは、まだ曲を味わうだけの余裕があった。
「変な曲」と思いながらも、ついつい刺さっちゃいまして、この曲を聴けば、あの頃の情景がフラッシュバックするし、それだけあの当時、曲を聴きこんではいたんだよね。

それに対して、この「タイミング」に関しては、なんも残ってない。 
この曲を聴くと、ただ、ただ、あの頃仕事辛かったな・・・っていう黒歴史のみがフラッシュバックしたりして。。。。


いや、それ以前に、この曲、あの「Choo Choo TRAIN」をプロデュースした中西圭三氏の作曲ということもあり、ダンスナンバー色が強かったわけで、パッと聴き、あまり刺さらなかった・・・っていうところが大きいんだろうな。

ワタシねぇ、いまだにそうなんだけども、いわいる「踊れる曲」っていうのに鈍感なんだよねぇ。
あんまり刺さらない。

ワタシ自身、踊れないっていう「ピンク・レディー」以来のコンプレックス、トラウマがあるのか、いまだに、この手のダンスナンバーはダメなんだよね。

あ、もちろん、全部が全部ではないけども。 ダンスナンバーでも、メロディラインとか、コード進行、サウンドそのものに刺さる曲もあるし。。。

ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」なんかは、爆風のパッパラー河合氏がプロデュースしただけあって、ダンスナンバーというよりも、バンドサウンドに近かったじゃん。 まあ、めっちゃ「薄く」だけども。。。。その分、個人的にも刺さったんだよね。


たださ、「タイミング」の場合、ダンスナンバーだからこそ、「今」の時代に再度スポットが当たったんだろうけどね。
そそそ、昨年TikTok上では、この曲大バズリとなり、その結果、BLACK BISCUITS再結成という運びになったみたいだからねぇ。

だから・・・という訳ではないけども、今、個人的に、この曲を再度、きちんと聴きなおしているところなんだよね。

いや、この曲に限らず、あの頃、1997〜1998年にかけて、仕事の忙しさに紛れて、ちゃんと聴いてこなかった曲全体的にだけどさ。

それから、アーティスト名の「BLACK BISCUITS」は、当時のオリコンの表記から。
「ブラックビスケッツ」て書けばわかりやすなったんだけどね。。。





ヒット当時、まともに聴いてことなかったこの曲なんで、これまで、まともにMV見てこなかったわけだけども、今、こうしてMVを見てみると、なんていうかね。
全編ニューヨークでの撮影だけども、まずもってN.Yワールドトレードセンター屋上でのダンスシーンなんてのは、今見ると信じられないですね。
あの9.11が勃発するのは、これから3年半後のことですわ。


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