1973_11_みずいろの手紙



今回の1曲セレクトは、「みずいろの手紙」あべ静江です。

まずはデータでする。

・タイトル   みずいろの手紙
・アーティスト あべ静江
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1973年9月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  26.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月22日〜11月5日付

清純。
世の中何かと「がさがさ」している現在では、完全に「死語」になったコトバだよなぁ。
でも、確かに、ワタシが子供の頃には、まだ、こんなコトバが似合う「お姉さん」たちはいた。
今回は、こんな「清純」というコトバそのままの曲を持ってきましょうか。

あべ静江さんの「みずいろの手紙」

この曲の冒頭の

「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」

というセリフからして、清純を思わせるよなぁ。

「〜言って下さいますか」 なんてのは、今じゃ、とんと聞かなくなった言い回しなんじゃないですかねぇ。

いや、超富裕層では、まだこういう言い回しもしているのかもしれない。

でも、ワタシみたいなごく平凡な「庶民」の世界では、まず聞かなくなりましたよね。

それじゃ、この曲の世界も「超富裕層」の世界なのか・・といえば、そうじゃない。
1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいたんだよね。

少なくとも、ワタシの周りにはいたような記憶があるなぁ。

モーレツからビューティフルヘ という文化の変革期の時代。庶民の暮らしもあの当時から見ての一昔前よりは確実に豊かになった時代の流れの中で、1億総中流層時代と言われたのがこの頃ですよね。

生活が豊かになれば、言葉の様式も変わってくる。 1970年代ってそんな時代だったような気もするな。

あ、もちろん、あの頃も「がらっぱち」なお姉さんも多かったですけどね

むしろ、ワタシの周りには、そちらのお姉さんの方が・・・やっぱ多かったかなぁ。。。


そんな清純そのものなセリフに続いて、リバーブをいっぱいに利かせたAメロ。

今では、こういう効果の曲は、まず見かけなくなった。 これも1970年代前半という時代特有な効果ですよね。

どうなんだろ? こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲想っていうのは、「清純」を連想させる曲の特徴だったんでしょうかね。

例えば、この曲の前年の麻丘めぐみさんの「めばえ」なんてのも、めちゃくちゃリバーブがかかってましたよね。今聴くと、ほとんどお風呂の中で聴いているんじゃないかという感覚になってしまうくらい。

故筒美京平氏は、こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲は。色彩イメージとして「淡いみずいろ」とおっしゃっていたようだけども、まさにそんな水の中を漂っているような感覚なんですよね。

今回の曲タイトル 「みずいろの手紙」 なんて、そんなイメージそのものですわ。

そこからなぜ、清純を感じるのか?・・・・「みずいろ」っていう色彩のイメージからして清らか⇒清純 っていうイメージを思い起こさせるからなんでしょうね、きっと。


最近は、時代からして極彩色、いや、はっきりとしたカラーな世の中だと思うし、まず、こういう「淡色系」なカラーの曲に出会うことは少ない。

つまりさ、ヒット曲にしても多くの人々は、色味がはっきりとした曲を求めているんだろうな・・ってのがわかりますね。

例えば、まさに今だったら、Adoの「唱」だったり、YOASOBIの「アイドル」だったり、今のヒット曲って、みんな色彩イメージがはっきりしてるじゃない? Adoの「唱」にいたっては極彩色の極みのような印象が強いし。。。
手書きではなく、PC上で機械的に作った曲の特徴といえば、そうなんだけども必然的にはっきりとした色彩になってしまう。淡い単色系の曲は機械的に苦手なところではないか・・とも思えてしまう。

いや、出来るんだけども、スカスカな音の曲になってしまい、「今の時代」には合わない・・っていうのもあるんですかね?

でも、昔・・少なくとも70年代前半って、そういう、はっきりとした色味を求めてはいない時代だったんでしょうね。

・・・だったんでしょうね? って無責任な・・ってところだけども、ワタシゃ、この時4歳。
まだまだ物心がつかない頃だったわけで、あくまで私の記憶の中での印象では・・・ってことで、あいまいに書いちゃったんだけども。。。

・・・ってか、↑で「1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいましたよね。」とか、すでに物心ついていたかのように書いてんじゃん。。。

いやー、物心はついてなかったけども、意外と人間観察はしてたような気がするんだよね。
そう、そんな嫌なガキだったのよ、ワタシゃ。


たださ、今、昭和歌謡に回帰する人が、若者を含め増えてきているのは、実はこういう「淡色系」の曲を求めている人たちなんじゃないのかな? 極彩色な曲には疲れているという人たち。

これは、実際の世の中にしてもそうで、昭和時代に回帰しているのは、今の世の中疲れている・・という中で昭和という「淡色系」(⇒平和に見える)な時代に癒しを求めている人が増えているんなんじゃないのかな?  なんて思えたりしてね。

もっとも、昭和という時代も、ずっと淡色系な時代ではなかったですし、リフルタイムで感じた実際の世の中は今よりももっと激動だったんですけど。。。
ただ、表面的に70年代前半から中盤くらいって、不思議なことに、淡い色の時代⇒一番平和な時代 のように見えるんだよね。今の時代から振り返ると。


なんか、当初の「清純」ってところから、大分変な方向に行ってしまったけども、ワタシの中では、清純というコトバで、真っ先に浮かぶのは、この曲だったりするんですよね。





↑で、この曲は「清純」だと言い切るほど、個人的にはあべ静江さんにはぴったりな曲だと思ったんだけど、wikipediaiによると当のあべ静江さんは、

「男性に媚びたような、私が嫌いなタイプの女性の思いを綴った詞だと思ってしまって・・・」

と、当時、とにかくこの曲がキライだったようで、歌うのを封印した時期もあったとのこと。

今、当時のVTRを見ても、この曲のレコード音源を聴いても、そういうところは感じなかったんですけどね。

当の本人は、男に媚びる、80年代風に言えば言えば、ぶりっ子、カマトトぶるタイプではなかったようですね。

でも、この曲が生まれた、1973年ころと言ったら、まだまだ女性は男に尽くすものであり、当時のヒット曲も男性にとって都合がいいような解釈の曲がまだまだ多かった時代。

それは、演歌の世界を見れば一目瞭然なわけでさ。ポップスといえども歌謡曲路線寄りのこの曲なんかにも、まだ、そういう匂いが残されていたわけですね。

ウーマンリブが叫ばれ、女性解放運動が日本で本格的になったのはこの2年後。1975年になってからですわ。



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