今回の1曲セレクトは、「言葉にできない」オフコースです。
まずはデータです。
・タイトル 言葉にできない
・アーティスト オフコース
・作詞 小田和正
・作曲 小田和正
・編曲 オフコース
・リリース日 1982年2月1日
・発売元 東芝EMI
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数 3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位
BSフジで放送された「輝き続けるオフコース」を見た。
1982年に開催された、武道館10daysライブの時の映像をふんだんに使用した、番組内容は、なかなか面白かったですね。
でもさ、ここでは、これまでも何回か書いたと思うんだけども、オフコースが全盛期だった1980年前後、個人的には、どうも、今一つ刺さらなかったんですよ、オフコースって。
生理的に合わなかったわけではない・・とは思うんだよね。いつも、どこかで気にはなっていた。
あれから40年以上たった今でもそうなのよ。 気になる気になると思いながらも、今一つ刺さり切れない。
何でなんだろうね。。。 その理由が知ることができるかもしれない・・
この番組を見た最大の理由はそこだったわけなんだけども。。。。
オフコースに刺さり切れなかった理由の一つとして、テレビに一切出なかった・・・・ということは、まあ、大きいだろうな。
あの頃、個人的にヒット曲の情報源としてはテレビがすべてだったからさ。 そそそ「ザ・ベストテン」ですね。
オフコースは当時「ベストテン」だけではなくテレビには一切出なかったんでね。曲を聴きたい、知りたいと思っても知りようがなかったわけで。。。。
でも、オフコースに刺さらなかったのは、テレビに出なかったという理由だけじゃなかったことは、ラジオというメディアを聴きだしてわかるんだよね。
初めてラジオというメディアに興味を持ち始めたのが、1981年の年末だったと思うな。
新聞のラ・テ欄を見てたら、TBSラジオの21時〜21時40分「ザ・ヒットパレード・毎日がベストテン」という文字が目に入っちゃってさ。聴きだしたら、これが面白い。
それからほどなくして、この「言葉にできない」がランクインしてきたのを覚えてるな。
月曜日の「ニューミュージックベストテン」だったと思う。
でも、刺さらなかったのよ。。 ・・というか、この曲の世界には入り込めなかったんだよ。
なんで、この曲の世界に入り込めなかったのか?
今回の「輝き続けるオフコース」で、盟友・財津和夫氏が語っていたコメントに、ハッとさせられたな。
「普通、僕らは、具体的な映像が浮かぶような詞を書きたがるんだけども、小田君の詞は抽象的なんだよね・・・」
そうだ、これなんだ。。。
オフコース、うんにゃ小田和正っていう人が作る詞の世界って、はっきりとした風景が見えない。温度感も感じない。 まるで抽象画的な感覚なんだよね。
片や曲想ははっきりしているのよ。コード進行にしても実に計算されているんだよね、論理的というか左脳的というか・・・。
すくなくとも、感情のままに綴られた右脳的なメロディではないと思う。
あたかも、コードという設計図の上に論理的に建築されたようなち密な音楽・・・という印象が強いのよ。無駄というか、遊びの部分を一切感じない。
wikipediaを読むと、小田和正っていう人は、オーバープロデュースが嫌いだったようだ。
余計な言葉、 余計な音はいらない。
言ってみれば隙間が多いサウンドということなんだろうけど、そういうった隙間⇒行間は、聴く人各々の感性で好きなように埋めて(感じて)もらえばいい。
この「言葉にできない」って曲は、その典型のような曲だと思うのよ。
必要最低限の音しか入っていない。 サウンドも歌詞も無駄が一切ない。 まさに極限までそぎ落とされたような曲。
それだけに、音と音の隙間、行間が多い。リスナー側にいろいろと考えさせるような音楽。
さすがは、早大大学院の建築科を出ている小田氏。音楽に対してもスマートなんだろうね。
偏差値が高い音楽というか。。。
そういう音楽が好きだっていう方には、オフコース・・・いやいや小田和正氏の曲は刺さったんじゃないのかなぁ。
とりわけ当時、オフコースのファンに外観からも知的とわかる女性ファンが多かったのは、そういう所もあったんだろうな。
女性は、こういう知的な音楽が好きな人が多いですから。1980年前後、当時はそういう傾向が今よりも強かったんじゃないかなぁ。
当時のオフコースのサウンドが洋楽っぽかったのも、行間が多い音楽だったっていうところが強かったんだろう。
逆に個人的に刺さらなかったのは、そこなんだろうな。
未だにそうなんだけども、もっと:下世話で頭悪そうな猥雑な音楽が好きだからさ。 サザンが好きなのも多分にそういう理由が大きいんだろうな。
何より、あの頃は「行間の隙間を埋める」ような音楽が好きだったから。
そそそ、この「言葉にできない」とは逆のような曲。
筒美京平氏が言われていたような、メロディとメロディの間の隙間を面白い、キャッチーなフレーズで埋めるような曲。
まあ、あの頃のアイドルの曲が主なんだけども、ニューミュージックにしても、ヒット曲は、そういう曲が多かったですからね。
こういう、行間を感じる曲っていうのは、あの頃は、個人的に理解できなかったんだよね。
なんか、大分固く、まじめに書いた割には、実際、この曲のチャート成績を見ると、「なんでぇ、こんなもんなんかい?」と思われるかもしれないな。
オリコン最高位 37位 売上げ枚数 3.6万枚
この間の「輝き続けるオフコース」でも言われていたことだけども、この「言葉にできない」は、前年12月にリリースされたアルバム「over」からのシングルカットされた曲ですわ。
シングル盤の方の売り上げが↑の程度に甘んじたのは、その影響なんだよね。
ちなみにこの曲が収録されている、アルバム「over」は、アルバムチャートで1位 売上げ41.4万枚(LP)の大ヒット。
ほとんどの方はアルバムで買ってる・・ということで、シングルは伸びなかったわけですわ。
その前の「We are」もアルバムチャートで1位 売り上げ46.2万枚。
アルバム20万枚セールスで大ヒットと呼ばれた時代。これだけを見ても、当時のオフコースの人気がいかにすごかったのか、人気絶頂だったのか・・というのとともに、いかにアルバムアーティストだったのかというのが分かりますな。
「We are」に続いてのアルバムが「over」。 つづけると 「We are over」 となり、これはオフコース解散を指しているんではないかと騒がれ始めていた頃。
「言葉にできない」というシングルリリースがその疑惑をより大きくさせ、にわかに真実味が出てきたように思えたのが、ちょうど41年前の今頃だった・・・ような気がするな。
実際は、オリジナルメンバーである鈴木康博氏の脱退が、このころすでに決まっており、それが、このタイトルにつながったようではあるんだけどね。
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