1977_07_気まぐれヴィーナス_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「気まぐれヴィーナス」桜田淳子です。

まずはデータですよ。

・タイトル    気まぐれヴィーナス
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年5月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1977年6月13日〜6月20日付

個人的に、過去の「ヒット曲」を集めるのが好きで、高校生の頃からちまちまと、少しずつ音源を集めて来ているんだよね。かれこれ35年以上になりますかね。

まあ、35年やってると60年代以降現在までのヒット曲のクロニクルが出来てくるのよ。 
そんなヒット曲の変遷がわかるようなカセットの編集が昔から好きでさ。
新しい音源を買っちゃあ、ある程度溜まったら、カセットを作り直して・・・なんて、35年で何回やったかなぁ。。。

どうも、性格なのか、曲がキチンとヒットした順に並んでないと気が済まないんだよね。

だから、曲ごとにIDつけて、ノートに整理して、新たな音源買ったら、新たなIDつけて・・・整理して、カセットに録音して・・・なんて、大分やりましたね。

そもそも、お店の有線で、80年代チャンネルとか流れてることって結構あるじゃん。。80年代といってもヒット年はバラバラで流れるよね、普通。
例えば82年の曲の次に 86年の曲が来て、次が80年、次が85年の曲とかさ。
あれ、だめなのよ。ワシ。 なして、82年の次に86年の曲が来るんや・・・っていらいらしちゃたりして。。。 ちゃんとヒット順に並び替えたくなっちゃったりして。。。。

だから、時には数百曲並び替えて、音録り直して・・・なんてこともやってたな。
なんせ、アナログ作業だったからさ、2〜3日かかっちゃって、それに連休を全部潰す・・・なんてこともありましたねぇ

でも、今は、デジタル音源ファイルになったし、PCで整理できるから、だいぶ楽になりましたね。あの頃に比べると。
しかも、全楽曲の音源ファイルのアルバムタイトルタグを、例えば「ヒット曲」とかに統一してヒット順にIDをつけて管理すれば、1つのフォルダで60年代以降、現在までのヒット曲を、ヒット順で管理できる。
まあ、あくまで個人レベルだけども、ヒット曲の音源クロニクルデータベースですよ。

それでも、なんせ個人的に刺さった曲しか音源集めない悪い癖があるんでね。まだまだベストテンヒット全網羅するまでは程遠い。
やっと半分くらいですかね。。。80年代は大分集まったけども、70年代、90年代はまだかなり「抜け」がある。

音源を集めるといっても、サブスクの圧縮音源ぢゃだめで、あくまでCDクオリティ以上の非圧縮音源。加えて、極力「オリジナル」のシングルバージョン。リミックスとか別バージョンはダメなのよ。
サブスクの場合、リミックスとか、アルバムバージョンとかの別バージョンしかない曲が結構あるしな。結局、未だに頼るのはCDってなっちゃうんだよな。あるいはアナログレコード音源。
もっとも、リミックスとかアルバムバージョンの方が、シングルバージョンよりもいい曲もあるんで、最近はちょっと妥協してきたけど。。。

まあ、そんなわけで、未だに、ちまちまと少しずつ、過去のヒット曲の音源を集め続けているのよね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな最近、集めた音源の中から一つ。

桜田淳子「気まぐれヴィーナス」。

なんかさ、「最近集めた音源」の1曲がこの曲っていうのも、もしかすると首傾げたくなる方もいらっしゃるかもな。
70年代アイドルのスーパースターの一人である淳子さんの曲なわけでさ。

ただねぇ、個人的に70年代アイドル、そうね、元中3トリオの中でも、百恵さんに比べると、引っかからなかったというが大きいんだろうな。 当時から。
ちなみに新御三家のなかでは、郷ひろみ氏にも、当時は引っかからなかった。
まあ、あくまで個人的な好みという点でだけど。

だからね、最近まで淳子さんの当時のヒット曲の音源って、個人的にあんまり持ってなかったのよ。

でも、時代によって好みも合わってきたわけだしね。当時はひっっから無くても今、改めて掘り返すと、しっくりと来る曲もあったりするわけで、最近、少しずつ淳子さんの音源も改めて集めだしてたりするわけですわ。

今考えると、1977年って、いわいる「歌謡ポップス」ってほとんど聴いてなかったんだよな。
ここでも何回も書いてるけど、個人的にあの頃は「ポールモーリア」に傾倒していたし、洋楽ヒットの方が刺さってた、やな「ませがき」でさあ。 
いわいる歌謡ポップスは一段見下していたのよ、今思うと。
まあ、いわいるアイドルを見下していたオヤジの影響も大きかったんだけどね。

だから、いわいる歌番組っていうのを、あの頃我が家ではほとんど見てなかったのよ。
「8時だよ全員集合」なんかでも、ウタになると、オヤジが、裏のナイターにチャンネル回しちゃってたからさ。

だから、正直言うと、あの頃のいわいる歌謡ポップスって、ほとんど聴いてなかった。

ま、おふくろがジュリーが好きだったし、個人的にはキャンディーズとか秀樹は好きだったから、その辺は聴いてたけどね。

あとはピンクレディーか。 当時から運動音痴で踊れなかったワタシは刺さんなかったんだけども、友達の渉君(ってだれだよ? )の影響で「強制的」に聴かされていたんで、一応、曲は知ってたわけなんだけどもね。。。

でも、淳子さんは、正直、蚊帳の外だったのよ。少なくとも私の周辺では。

そんな影響が多いんだろうな。


ただね、今、この「気まぐれヴィーナス」を改めて聴くと、当時、リアルタイムで聴いてたとして、果たして刺さったかどうか、ちょっと自信持てない。

うん、曲自体はいいと思うんだよね。いかにも夏向きのアクティブな、70年代アイドルの王道のようなポップスですわ。

たださ、サウンドとメロディラインがね。。。。 悪くないんだけど古臭いのよ。あの頃の他のアイドルポップスと比べても。

リバーブがほとんどない、奥行きがない平面的な音っていうのかなぁ。いかにも狭いスタジオに閉じこもっているような・・・。。
確かに、70年代前半の曲には、この手の奥行きがない平面的なサウンドの曲ってあったよね。 特に、コロムビアとかビクターさんなどの「老舗」レコードメーカーからリリースされた曲には。

・・・っていう音が、そのまま踏襲されているようなサウンド。

どう割り引いても、1977年という時代の、すくなくとも最先端な音ではないんだよね。

最初にかいた、自分のヒット曲クロニクルライブラリーで、あの頃のヒットを順に聴いてくると、1976年から1977年あたりかけて、特にアイドルポップスについてはサウンドががらりと変わってくるのが分かるのよ。
それだけ、当時のいわいる70年代アイドルポップスって日進月歩で成熟していたんだよね。

そんな70年代アイドルポップスが最高点に達するのは、1977年の年末から1978年初頭にかけて・・と個人的には思っているんだけどさ。

うん、77年末から78年前半にかけての、いわいるA級のアイドルポップスは、今聴いても難しい曲が多いだよね。

つまりね、この「気まぐれヴィーナス」がリリースされた頃の、他のアイドルポップスの、少なくとも最先端は、だいぶ先に進んでいた・・ようなイメージが強いのよ。

この曲がリリースされた、前年76年には「夏にご用心」、そのまた前年には「十七の夏」で、いずれも大ヒットを飛ばしていた、淳子さんだけに、これらの曲に近い路線で77年夏も大ヒットを・・・っていう狙いだったんだと思うんだけどねぇ。
時代は、それよりもはるか先に進んでいってた・・・ってわけなんだよね。

併せて、淳子さんの年齢的なところもあったんだろうな。
この年の春に高校を卒業し、19歳になってましたね、淳子さんも。

今でこそ、20代後半でも十分アイドルを張ってるのは、むしろ普通になったけども、当時を考えると、二十歳目前の19才ってビミョウな年齢だったわけですわ。

当時の世間的な目から20才を過ぎると、アイドルから大人の「歌手」に脱皮を強いられる・・・っていうのが普通だったわけで。

それは、百恵さんかせ、ちょうど同じころ「イミテイションゴールド」っていう、脱アイドルっぽい曲をリリースしてきたことからもうかがえる。

それに対して、淳子さんのこの曲は、まだ「アイドル然」としたところが強いからなぁ。

たしかに、「去年のブドウは酸っぱかったけども、今年は熟して甘いでしょ」っていう、いわいる大人の女性への脱皮を伺える歌詞がお織り込まれているわけだけども、如何せん曲がねぇ。。。。
正統派なアイドルポップスなんだよね。

太陽のような「陽」の存在。百万ドルの笑顔 

って言われた淳子さん。 たしかにアイドル真っ只中の年齢の頃は大きな武器だったんだけども、
逆に大人の女性への脱皮という年齢に差し掛かって来て、逆にどうもそれが、ある意味ネックになってきてたような気もするんだよね。

これは80年代の河合奈保子さんにも同じような印象があるんだけどさ。

その辺が影響してか、この曲、結局、オリコン最高7位。 売上げ21万枚止まりに終わってしまう。

ベストテンヒットではあるけども、前年の「夏にご用心」の36万枚(オリコン2位)、そのまた前年の「十七の夏」の40.5万枚(オリコン2位)に比べると、中ヒットだよね。


熱狂的な固定ファンは別にして、一般のユーザーの人たちはシヴィアーなんだよね。その辺は。

今は、固定ファンの分母数が、当時に比べると途轍もなくデカくなっているし、そもそも固定ファン以外はCD買わなくなっているんで、その辺りの見分けがなかなかつきにくくなったけども、当時は、売り上げ推移で、よく分かったわけなのよ、その辺りが。




・・・とはいうものの、やはり大人の女性への脱皮は必須ということで、この年の冬、「しあわせ芝居」の中島みゆき、次の年の「リップスティック」の筒美京平という新機軸で大人の女性への脱皮を図ることになる。

まあ、その時はその時で、売上げも回復し、この戦略は成功したかのように思えたけど、結局長続きしないまま尻つぼみになってしまったけども。。。。
これらの曲は一時のカンフル剤にはなったけども、あくまでカンフル剤だったわけだよね。

それだけ、当時としては、アイドルから 一人の大人の女性アーティストへの変化っていうのは難しかったってことですよね。

もっとも、淳子さん、その後は「女優」という新たなフィールドを開拓することになるんですが。。。


ちなみに、松田聖子さんが、福岡時代のオーディションで、この曲を歌ったのは有名な話ですわな。

その後、「歌まね振りまねスターに挑戦」で、事務所の大先輩である淳子さんの前で、この曲を歌ったりしてるけど。。。

↓ コレ





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村