1989_05_LIAR_中森明菜



今回の1曲セレクトは、「LIAR」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル    LIAR
・アーティスト  中森明菜
・作詞      白峰美津子
・作曲      和泉一弥
・編曲      西平彰
・リリース日   1989年4月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   27.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1989年5月8日〜6月26日付

「花の82年組」も、デビュー40年目に入りましたね。
来年は40周年という区切りというわけで、どうなんでしょうねぇ。やっぱり、アーティストによっては大々的なイベントとかやるんでしょうかねぇ。40周年ツアーとか。
それまでにコロナがいい塩梅に収束していればよいですが。。。

そんな82年組の中森明菜さんも、先日5月1日、40年目のデビューには、結構いろいろなネットニュースが上がっておりましたな。

依然としてリアルな活動再開の動きは見えないですが、未だに注目度は落ちないですね。 というか、それだけリアルな活動再開を待ち望んでいる方々が多いということなんでしょうね。
果たして、来年のデビュー「40周年」までには、活動再開という動きになるんでしょうか。

・・ということで、今回の1曲セレクトは、ひっさびさに中森明菜さんの曲を持ってきますか。

BUT、明菜さんの曲ってまだ残ってるんですかね。。。。

うんにゃ、まだ残っていましたぞ。

89年4月リリースの「LIAR」

おそらくこの曲で、1曲セレクトでは、80年代の明菜さんのシングルはコンプリートだと思うんだけどね。

最後まで残していた、この「LIAR」。

何で残していたか・・、やっぱ書けなかったんだよな。この曲。
いろんな意味で重くてさあ。

一つは、この曲のヒットが一段落した時に、例の「事件」を起こしちゃったでしょ。どうも、そのイメージがいまだに強い。

もう一つは個人的なことだけど、この曲がリリースされた頃に、「2浪目」がスタートしてさ。 とにかく背水の陣での2浪目をスタートさせた訳で、1年間は少し「音楽」の方はセーブしようと思ったんだよね。

・・というのは、まあ、表向きの言い訳ですけどね。

実際的なところ、この「LIAR」って曲は、曲想そのものが重かったんだよね。

時はバブル絶頂期。 みんな浮かれてた頃ですよ。

歌は世につれ、世は歌につれ・・というくらいでさ、そんなバブルの浮かれた空気を象徴をしているというか、89年の今頃の曲って、メジャー系の明るい曲がめちゃくちゃ多いんだよね。 ヒットチャート上位の半分以上はメジャー系の曲で占められていたと思う。
マイナー系の曲なんて数えるくらいじゃなかったかな。

その中にあっての、この重い曲調っていうのは、ちょっと時代とのズレを感じたわけですわ。

確かに80年代、「陽の聖子 陰の明菜」と言われたように、明菜さんらしい曲であったし、明菜さんじゃなきゃ歌えないような曲だと思った。

ただ、如何せん、時代には合ってないな・・・と。

当時のアーティストパワーから考えれば、オリコン1位は当然の結果だったろう。
けど、実際のところ、売り上げ枚数は「少女A」で大ブレイク後、最低だったわけで、同じように時代とのずれを感じてた方も多かったんじゃないのかなぁ。

如何に「陰の明菜」と言われていたとはいえ、シングルでは、デビュー曲の「スローモーション」からこの曲まで8年間、マイナー系で占められてたという所にも、飽きを感じてた方も多かったんじゃないのかなぁ。

曲としてはまったく隙が無い、完璧すぎるくらい完璧だと思う。ただ、完璧すぎるくらいなだけに、こちらとしても、ちゃんと聴かなきゃいけないな・・という気分になっちゃうんだよね。
気楽に聴けない・・というかさ。 その分、聴いてて肩筋が張るんだよね。 

こういうマイナー系な重い曲ではなく、そろそろメジャー系の曲で目先を変えても良かったんじゃないかという思いは、個人的に、この時点では強くなっていたなぁ。
肩の力を抜いた曲の方が、こちらとしては気楽に聴けるんだけねぇ・・・という思いですね。

でも、今から思えば、この曲のヒットが一段落した時に「事件」を起こしたこともからも、この曲をリリースするくらいの時期には、精神状態もかなり病んでいたのかもしれない。
もしかすると、この手の重い曲しか歌えなかったのかもしれない。

あるいは、この曲がありきで、精神を病んでしまったのかもしれない。
明菜さんのような繊細で、頑なな人は、物事をまっすぐに見てしまいがちだし、得てして感情が入み過ぎやすい。それで精神的に病んでしまったのかもしれない。

まあ、あくまで推測ではあるけど。。。。




考えてみれば、前年の「TATTOO」の時は、かなりきつめのメイクだったのに対して、この曲の時は派手さは少なくなってきていたんだよね。 スッピンとまではいかないけど、かなりナチュラルに近い。

ここからもこの曲のころの精神状態を読み取れたかもな。 まあ、今となってはだけど。。

「事件」から立ち直った、次の年1990年の、事実上の「復帰曲」となった「Dear Friends」で、シングルとしては「初」のメジャー系楽曲となるわけなんだけども、やっぱり遅かったよね。まあ、復帰曲、「大丈夫です、元気です」というのアピールするためにも、メジャー系の明るく軽い曲調になったんだろうけど。。。

明菜さんについては、あの手の、肩の力が抜けたメジャー系の曲を、「事件」を起こす前のどこかのタイミングで出せなかったのかというのが、今となっては、いつも思ってしまいますね。

結局のところ、あの「事件」が現在に至るまで尾を引いてしまっているわけで。。。


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