少し前にブログに「グローバルバイラルチャートで過去曲が上位に来ることはめでたいことなのか」ということで、半ば、昨今のシティポップス流行りを牽制するような・・というか、水を差すようなトピックスを書いたんだけども。
これ書いた本当のところは、いかにシティポップスが流行ってきているといっても、ヒットシーンのメインストリームまで昇華するのは難しいだろうなと言う、個人的な考えが大きいな。
たしかにシティポップスというジャンルの曲は音楽的には素晴らしいと思う。これは、誰にもケチをつけられない事実だと思いますよ個人的にも。
だからこそ、向こうの耳が肥えたDJには刺さったんだろうし、取り上げられたんだろうと思う。
でもね・・・。
いい曲と売れる曲は違うんだよね。
これは、筒美京平氏のコトバでもあるんだけど、ワタシも全くそう思うんですよ。
例えば、井上陽水氏の「心もよう」と「帰れない二人」の例。
この2曲のうち、どちらをタイトル曲に出そうかと迷ったという話。
業界的には「帰れない二人」を推す声が高かった。理由は音楽的なクオリティは「帰れない二人」の方が高かったから。
でも、プロデューサーの多賀英典氏は、敢えて「心もよう」を推したという。 理由は「心もよう」の方が大衆性が高かったから。そうしたところの大ヒット。
多賀氏は、筒美京平さん同様、大衆力の重要性がわかっていたから、そういう判断が出来たんだろうね。
結局さ、音楽的に素晴らしい曲が必ずしも売れるとは限らないってことですよ。それよりも大衆性の方が強いという事。
ある意味の「下世話」性と言うべきですかね。
正直、最近いわれるシティポップスっていう音楽は、音楽クオリティ的には高いけど、下世話ではないんだよね、スマートすぎるんですよ。
果たして、そういう音楽が大衆的に大きく広まっていくかというのは、疑問なんだよね。だって昔からずっとそうだったもの。急に今の時代になって変わるとは思えない。
これは、日本に限らず向こうのヒット曲にも言えることだと思うし。
だから、例えば松原みきさんの「真夜中のドア」のようにバイラルチャートでは上がってきたとしても、BTSの「Dynamite」のようにビルボード的なヒットにはなれないと思うんですよ。
なので、個人的には最近のシティポップス熱からは、距離を置こうと思っているわけなのね。
個人的には、やっぱり「下世話」な曲が好きだし、大衆的なヒット曲を追いかけていきたいと思っているんで。
ちなみに、シティポップスっていうコトバは70年代の頃からあったけど、昔で言うところのシティポップスと、今言われるシティポップスは、同じ言葉でもちょっとニュアンスは違うと思う。
70年代、80年代でいわれたシティポップスって、いわいるニューミュージックと同意語的だったじゃん。だから、守備範囲もひろかった。
けど、最近言われているシティポップスって、よりスマートな音楽に限定されてきていると思う。ニューミュージックというよりもひところのAORだよね。昔よりも狭義的に感じるんだよね。 だから、よけい大衆的なところからは離れているように感じるわけなんだよね。