1970_12_誰もいない海_トワ・エ・モア


今回の1曲セレクトは、「誰もいない海」トワ・エ・モアです。

まずはデータです。

・タイトル    誰もいない海
・アーティスト  トワ・エ・モア
・作詞      山口洋子
・作曲      内藤法美
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1970年11月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 16位(1970年12月28日付)
・売上げ枚数   14.8万枚

2021年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。
昨年末に原田真二さんの「OUR SONG」を書いた時に「マクラ」で「来年ものらりくらりと行かせていただきます」云々と書いたのですが、そのとおり今年ものらりくらりと行かせていただこうと思います。一つよろしくお願いします。

さて、新年一発目はどうしようかなぁ・・と思ったんですが、歌詞内容と実際にヒットしたした時期がちょっとずれてる曲を持ってきましょうか。

まあ、そんな曲は探せばだいぶ出てくるとは思うんですが、個人的に真っ先思う浮かぶ曲はこの曲ですねぇ。

トワ・エ・モア 「誰もいない海」。

ウーム、我々世代だと、「音楽」の教科書で御馴染みって方も多いのかなぁ。 

今聴くと、まっすぐな歌詞、曲調のフォークソングの1曲ですね。
まっすぐな歌詞、音楽の教科書に載ってる曲ということで、ちょっと敬遠がちの方も、もしかするといらっしゃるかなぁ。
それでもヒットチャート系の立派な商用音楽の1曲である事には間違いないんだよね。 

♪ 今は もう秋 だれもいない海〜 ♪

・・・と言う出だしから、思い浮かぶ情景は晩夏〜秋ごろの、人気のない静かな海・・なんですよねぇ。
夏、あれだけ賑わっていた海岸も、秋に訪れてみると、人気も少なく静かな海。 そんな情景から、ワタシもかなり長い間、ヒットは「秋」だとばっかり思っていたんですよね。

でも、実際のヒットのピークは、1970年の年末から、明けて1971年の今頃だったりするんだよね。

うわっ、なんかイメージと違うなぁ・・・。

たしかに、今、海に行ったら、それこそ「誰もいない海」ですよ。寒くて・・・・

この曲の温度感は、夏の終わりから秋の初め頃ですよ〜。 ブルブル震えながらの「誰もいない海」ではないはず。。。

だからね、ワタシ、ずっとこの曲のヒット時期間違ってたんですよ。 絶対に夏の終わりから秋ごろのヒットだとばっかり思ってたから。

 一時期、音楽の教科書に載ってた曲を1曲セレクトに引っ張ってきてたことがあるけど、今まで残っていたのは、ヒット時期を間違って覚えてたからだよなぁ。

そもそも、リリースが11月5日なんて、秋も深まってからのリリースだとも思っても見なかったし。。。

↑で書いたように音楽の教科書にも載ってたし、いろいろな人にカバーもされたりして、大衆認知度は高いはずのこの曲が、15万枚弱の売り上げ枚数、しかもベストテン入りもしていなかったのは、一重にリリースタイミングと、ヒット時期のせいだぁ〜・・・・なんて勝手に思ってたりするんだけどね。

この曲、個人的には初めてどこで聴いたんだろう? 

1970年のリリースということは、ワタシは1歳。当然、リアルタイムではない。
まあ、音楽の教科書に出ていたくらいだから、きっと音楽の授業でなんだろう・・・と思われるのは普通だと思うんだけど、実は、この曲ははっきり覚えてるんだよな。

1976年初夏。 家族でピクニックに行った時の親父の車のカーラジオだ、初めて聴いたのは。
そんな45年前のディテール、よく覚えてるな・・と思われるかもしれないけど、この時のことは今でもよく覚えてる。
ウチは親父がドライブ好きで、しょっちゅう家族でドライブに出てたんだけどもいつもは街道のソバ屋かレストランで昼食だった。
でも、あんときは珍しく、オフクロが🍙とおかずを作ってピクニック気分で出かけんだよね。 
福島県の富岡から川内村に抜ける県道ぞいの広い牧草地にゴザをひいて、真っ青な空の下おにぎりを食べた情景、今でも覚えてますよ。
その道中のカーラジオから、流れていたこの曲、45年たった今でも忘れないなぁ。

恐らく、初めて聴いたのが音楽の授業だったら、ここまで覚えてなかっただろうけど、やっぱり家族との思い出はいつまでたっても色あせないですね。

そんな家族の思い出の地も、10年前の東日本大震災のでの、件の東電原子力発電所爆発差事故で、近年まで立ち入り禁止区域になっていましたね。
ワタシの中では色あせない思い出であっても、現実には遠い記憶になってしまったわけです。




この曲は、もともと「木島則夫モーニングショー」の「今週の歌」のために1967年に書かれた曲で、1968年 大木康子さんと言う方がシングルリリースしたけど、その時は全く売れなかったとのこと。

だから、トワ・エ・モアバージョンはカバーということになりますね。
ただ、作曲の内藤法美さんは、越路吹雪さんのダンナであったことから、トワ・エ・モアさんと同日に越路吹雪さんもカバーリリースしていたんだよね。
こちらはオリコン最高91位。

ちなみに、この曲の作詞者の山口洋子さんは、後に五木ひろし氏に数々のヒット曲を書くことになる、山口洋子さんとは同姓同名の別人だそうです。
作詞家ではなく、詩人だそうですね。

・・・っか、これ書くまで、ワタシも知らなかった。てっきり、あの山口洋子さんだとさっきまで思ってました。。。。

五木ひろし氏の一連のヒット曲を書いた山口洋子さんは7年前に亡くなってしまいましたが、この曲の作詞者である山口洋子さんは、御年87才。今でもご健在だそうです。

だけど、↑の動画のコメントを読むと、やっぱり、この曲は9〜10月の曲と言う印象がある方が多いようですね。
まさか、ヒット時期が年末〜年明けにかけて・・とは今となっては、ほとんどの方は覚えていないよなぁ。
1970〜1971年頃なんて、まだヒットチャートというものも一般的ではなかったですからね。



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