今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。
まずはデータです。
・タイトル 甘い生活
・アーティスト 野口五郎
・作詞 山上路夫
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1974年10月20日
・発売元 ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付
筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。
そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。
野口五郎 「甘い生活」。
テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。
それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。
いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。
そう書くと、今となっては意外かもしれないな。
野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。
確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。
つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。
同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。
「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。
つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。
そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。
ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、
・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」
と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。
そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。
ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。
「甘い生活」。
いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。
この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。
ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。
けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。
でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。
そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。
この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。
ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。
そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。
1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。
野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。
でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。
で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。
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74年レコ大のくだりですが、出演辞退の可能性があったのですね。
この回、五郎は対象候補(歌唱賞)から外れ、一方、宿敵(?)ヒデキは二年連続での候補入りでしたからね。テレビで見ていても悔しさが伝わってくるくらいの「甘い生活」大大大熱唱でした。
レコ大と言えば、なぜか八代さんが強くて、この回でも「愛の執念」(オリ最高9位)で対象候補枠にちゃっかりいるわけですよ。順当ならこの年はここに五郎なんでしょうけど。
「ザ・ベストテン」での五郎は、ハガキが強かったと記憶していますが、レコード売り上げが下降していてなかなか上位にいけてませんでしたね。イメチェンしてエレキギター持ったりしてましたが、ケイちゃんとのスキャンダルもあって離脱するファンが多かったのかな。もっと評価されて良いアーティストだと思いますね。
かじやん
がしました