1992_06_もう恋なんてしない_槇原敬之


今回の1曲セレクトは「もう恋なんてしない」槇原敬之です。


まずはデータでしゅら。

・タイトル     もう恋なんてしない
・アーティスト   槇原敬之
・作詞       槇原敬之
・作曲       槇原敬之
・編曲       槇原敬之
・リリース日    1992年5月25日
・発売元      ワーナーミュージック
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    139.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜9月14日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「子供が寝たあとで」主題歌

コロナ禍での緊急事態宣言終了に伴い、自粛解除的なムードになりつつある今日この頃。
この影響で、今年は自粛一色の春〜初夏にになってしまいましたなぁ。
テレビのワイドショーでは、飲食業の営業自粛の他、パチンコ、ホウリングセンター、カラオケボックスなどの娯楽施設の営業自粛の場面を多く見たような気がする。

うーん、個人的に引っかかったのが、そんな場面だったんかなぁ。 特にボウリング、カラオケボックスの営業自粛を見るたびに、今から25年以上前、20代前半の頃、頻繁にこれらの娯楽施設に出入りしてた頃を思い出す。
その中でもボウリングとカラオケだよなぁ。 まさか2020年の御世がこんなことになっているとは、あの頃は夢にも思う由もなし。。。

ボウリングは、昨年、サザンの桑田氏の音頭によって一時的にブームの兆しが見られたけど、90年代前半、一時、私も嵌ってたんだよね。 テレ東の夜中にやってた「スターボウリング」なんて見ちゃって研究したりね。 あの頃月3〜4回は必ずやってたんじゃないかなぁ。アベレージは一時期160以上行ってたな。マイボウルを作ろうかと思ったこともあったしさ。
それより嵌ってたのが、やっぱりカラオケだよね。ボックスに頻繁にかよってたのは勿論だけど、
以前から何度か書いた、当時、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーを根城のようにしてたからさあ。

で、「てあとろん」が確か1時くらいに閉店しちゃうんで0時過ぎに出て、その後、ラーメンで腹ごしらえして、朝までボックスで第2ラウンド。。。こんな感じで大抵「オール」でしたね。
いや、実際は朝4時前には疲れちゃってさ、ボックス出て、大抵は近くの「マイアミ」(深夜喫茶)で始発が出るまで死んでたんだけど。。。

若かった。。。。

今回の1曲セレクトは、そんな、私の中でオールでカラオケ全盛期だった頃の「大ヒット」を一つ

槇原敬之「もう恋なんてしない」

この曲のリリースが1992年5月。 ちょうど今頃から秋口までの超ロングランヒット。
前年の「どんなときも。」に続く2曲目のミリオンセラーということで、名実ともにトップアーティストの地位を不動のものにした1曲ですな。

ただ、オリコンでは1位獲得ならず。最高位は2位。 ちょうどB'zの「Blowin'」とバッティッングしちゃったんだよな。
初動で28万枚も行ったけど、「Blowin'」がその倍も売っちゃったからな。ダブルスコアでの2位止まり。 その代わりロングヒットだったわけですな。 でも、結果的にはそれが功を制したんでしょうかねぇ。この曲、未だにカラオケでは人気高いんだよな。 


1992年。浪人なしにストレートで大学まで進んでいれば、本来ならば社会人になっていたころだ。
けど、私ゃ、勉強好き だったんで 大学はいるまで人一倍時間がかかったわけで、この年、まだ大学3年だったんだよね。

最近の大学3年っていったら、すでに就活を考える時期なんだろうけど、当時の大学3年って言ったら、まだお気軽な時期だったからさあ。 しかも大学は必修をほぼ終えて、残りは選択科目だけだったし、理系のくせに前期はほとんど実習も実験もなかったんで、週休4日なんて大学時代の中でも一番お気軽な時期だったんだよね。 まあ、そんなわけで、ボウリングに競馬にカラオケ、おまけにドライブ・・・と遊び呆けてたわけよ。

だから・・というわけでもないけど、槇原の「もう恋なんてしない」を聴くと、今でも、あの遊び呆けてた頃を思い出すな。

でもね、そんなカラオケ三昧で、新曲をいち早くカラオケで歌うことを第一にしてた私でも、この「もう恋なんてしない」はカラオケで歌わなかったなぁ。 
いや、正確に言えば、歌えなかったんだよね。

この曲、難しいんだもの。 たしかに音域が広いし、キーが高いっていうのもあるんだけど、一番戸惑ったのは「譜割」だよなぁ。

コトバの区切りをどこで取ったらいいのか、ブレスはどこで取ったらいいのか・・・わかんなくてさ。

ワタシらの親世代が難しいといっていた、それまでのヒット曲で、こんな経験はしたことなかったんでさ。 
 確かにそれまでも、渡辺美里の「My Revolution」のような小室哲哉独特の、アーフタクトから16分音符で入る、いわいる裏打ちのメロディはあった。 でも、この曲あたりからそれに輪をかけてメロディラインが難解になってくるんだよなぁ。 歌詞の文節を無視したようなメロディラインってやつですねぇ。
それがきっかけ・・というわけでもないんだけど、新たな世代が出てきたな・・・っていう実感を感じたのも確かですね。

少し前に、本当の80年代は83年4月以降のヒット曲で、それまでは70年代へのオマージュって書いたんだけど、それと似たような感覚を感じたんだよね。

つまりさ、本当の90年代の曲って、この曲あたりからって思えるんですよ。

まあ、実際この曲が出てくるまでチャゲス、浜省、米米、あるいは徳永と、80年代の「大御所」がチャートを席巻していたこともあり、本当の意味での90年代っていうのが、この時期まで希薄だったというのもあるけど。


いずれにしてもメロディラインの変革。 これは、その後、ミチスルなんかでも見られるようになったし、それは、現在のヒゲダンにも続くんだけど、その始まりは、この曲あたりだったんじゃないのかなぁ・・なんて感じるんだよね。

ま、本当は譜割が難しい曲って、もっと前からあって、私が遭遇しなかっただけかも知れないけど。

ミチスル・桜井の歌詞の文節無視なメロディラインは、何曲かは克服できたんだけども、この曲は未だにダメですね。 




いや、今聴くと、ミスチル程、文節無視のメロディラインではないし、ヒゲダンの「pretender」とかの最近のヒット曲に比べると、むしろ平易なメロディラインに感じるんだけど、28年前の戸惑いっていうのがいまだに頭から離れなんだろうな。

しかしねえ、槇原氏は、一人で作詞、作曲、アレンジまで手掛け、こんなに完成度が高い曲をつくっちゃうんだから、大した才能なんだよな。
同じ昭和44年生まれの同級生としては、やっぱ敬服するところですわ。
これでクスリ漬けにならなかったら、本当にすごいやつなんだけどね。

ちなみに、ミスチルの連中もワタシらと同級生でしたね。

それよか、オールナイトでカラオケなんていつ以来やってないだろ  コロナが収束したら、またやりたいね。
・・・ってか、今オールでカラオケなんてやったら、確実に死ぬだろうな。。。。 
20代の頃とは違うっての。。。。




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