1989_03_Room_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Room」チェッカーズです。

まずはデータデス。

・タイトル     Room
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日    1989年3月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   22.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1989年4月3日〜5月8日付

どんばんわ。またまた1週間ぶりの1曲セレクトです。前回、ここのところマクラで「久しぶり」って言うのが常套句になっている・・・って書いちゃったんで、今回は、ちょっとガムバッて連週で筆を上げてみましたわ。
まあ、これが「本来」なところなんですけどね・・・。 以前は「1日1曲セレクト」って感じで平日も書いてた訳だから。。。

さて、今回引っ張ってきた曲は、チェッカーズ「Room」。

ウーム、チェッカーズなんて書くのいつ以来だ 目ぼしい曲は、すでにほぼ書いたんで、ここのところ書いてなかったんだけど、まだ、「ザ・ベストテン」時代の曲で残ってたのがあったんだな。

いや実際のところ、今回引っ張ってきた「Room」って曲、今まで何回か書こうとして書けなかったんだよな。

この曲、重いんだよね。

実際の曲調として重い。ヘヴィーなロックバラードだったじゃん。春先リリースの曲としては珍しいくらい。 

少なくとも80年代くらいまでは、ヒット曲に季節感があったからな。 春先には「春らしい」ポップな曲が主流だった。この曲がリリースされた89年もご多分にもれなかったしね。 だから、この曲の重さっていうのが、際立ったんだよな。

実際の曲調としても重いんだけども、個人的な気分的にも、この頃ヘヴィーだったんだよな。

まあ、ここでは、いままでも何度となくチラチラと書いてきたんだけども、前年88年に大学受験を失敗したワタシゃ、89年は「2度目」の大学受験だった訳ですわ。

But、それも、また失敗。

いや、実際は1校受かったんだよね。 滑り止めの、そのまた滑り止めに受けた某地方大学のKT大学に。

いや、上では「滑り止め」って書いたんだけども、本心からするとあくまで本命に向けて試験慣れするために受けたようなもので、受かっても行く気は無かった。

でも、そこしか受かんなかったんで・・・。 

都落ちしてその大学へ行くか、はたまた、もう1年浪人して本命大学をもう一度チャレンジするか。親はその受かった大学に行くものだと思っていた様だし、親の負担を考えると行った方が良いんだろうなと思いつつも・・・。
やっぱり納得できない自分が居たりして。そんな2択を迫られていた、1989年3月。

そんな時に、聴いたのが、このチェッカーズの「Room」だったんだよな。 

そんな人生の選択を迫られていた自分にとっては、この重いヘヴィーな曲調が一層堪えたんだよ。一度聴いたら、ずっと頭の中にこびりついて離れなかったんですよ。

でも考えに考えて、出した結論は、受かった大学を蹴って、もう一度本命の大学にチャレンジする事。つまりは2浪する覚悟にしたんだよ。 当然、親にはもう1年浪人させてほしいと土下座しました。

その時、頭の中でぐるぐるとなっていたのも、この「Room」だったな。

だからねぇ、ワタシにとってはこの曲は、あれから29年経っても あの重い日々を甦られせる曲なんだよな。
おそらく、これからもずっとそうなんだろうなぁ。

まあ、基はと言えば自分でまいたタネであり、現役で受験に失敗した時覚悟を持ってちゃんと勉強してれば良かったんけど。。。。どこか慢心してたんだよな、うん、ナメてた部分はある。
ちょうど、1浪し始めた頃に家にビデオデッキが来た事を幸いに、一時はビデオばっか見てたこともあったしな。

 でも、当時は第2次ベビーブームで大学の競争率は今よりもずっと高かったんだよ。
特にワタシは「生物」なんてただでさえ学部設置大学が少ない「学問」を選んじゃったんで。。。しかも折からのバイオテクノロジーブームのときで、それまでもよりも輪をかけて競争率が高かった。 20〜30倍は当たり前だったもの。 ま、実競争率は、それよりは低かったけど、それでも次の年、元からの第1志望だったT大学に受かった時は、820人受けて合格がちょうど80人。実競争率でも10倍強だった。。。
だからね、本来は甘く見ちゃいけなかったんだよ。 まあ、そんな世の中の厳しさを身に持って体験できた、良いけ経験だったけださ、今となって思えば・・・・。





うーむ、この曲、PVなんてあったんだな。 初めてPVの存在を知ったわ。
まあ80年代末になって、PV自体珍しい存在ではなくなっていた訳で、この曲にPVがあっても、全く不思議ではないんだけどね。
あ、そうそう、この当時、フジテレビの月曜深夜から放送していた「マーケティング天国」ではオリコンチャートの時にPV流してたもんね。

しかし、個人的に↑のような事があった、この曲だけども、最近は、ようやっと落ち着いて曲を聴けるようにはなってきたんだよね。

この曲へヴィーではあるけども、チェッカーズの曲としては、結構異例な曲調なんだよな。それまでのイメージとしてチェッカーズってオールディーズ的な曲が多かったわけじゃん。それは自分たちで曲を作るようになってからもそうで。
でも、この曲はジャジーなんだよな。 
だから、最初はビックリもしたし、なんとなく違和感も感じた。 でもやっぱかっこいいんだよな。4ビート気味のベースなんて、それまでのチェッカーズでは馴染みが無かったし。
 曲は鶴久氏だけど、当時のチェッカーズの一連の作品を見ると、鶴久氏のメロディセンスっていうのもなかなかのもんだったと思うんだよね。なんつうのかな、切なさというか泣きのエッセンスがあるってうかさ。いわいるキャッチーなんですよ。 マネージメントがしっかりしていれば後々ヒット曲としてのメロディーメーカーとして、もうちょっと活躍できたかもなぁ。

ただ、バンドとしてのチェッカーズは、この時期かなりメンバー間に亀裂が生じ始めてたみたいなんだよね。 そんなバンド内の確執が、この曲にも表れ始めて来ていた・・・、それがこの曲のようなヘヴィーな曲調に現れたのかも・・・とも勘ぐりたくなっちゃうんだよな。


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