今回の1曲セレクトは、「石狩挽歌」北原ミレイです。
まずはデータです。
・タイトル 石狩挽歌
・アーティスト 北原ミレイ
・作詞 なかにし礼
・作曲 浜圭介
・編曲 馬飼野俊一
・リリース日 1975年6月25日
・発売元 ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 70位
・売上げ枚数 4.5万枚
いつもは主に「ベストテン級」の大ヒット曲をセレクトしてきている1曲セレクト。
まあ、無条件でできるだけ多くの方に過去の曲を紹介するには、やっぱり大ヒット曲の方が分かりやすいしって居のが第一だと思うしさ。それに大ヒットしたって事は、それだけたくさんのヒトがその曲を知ってる・・・うんにゃ、今は記憶の外でも、昔は好きだった・・・って曲も多いと思うしね。
でも、時々、「数字上」ではとても大ヒットとは言えないような、完全に陰に隠れた曲を引っ張ってきたくなるんだよな。
今回は、そんな曲をひとつ。
北原ミレイ「石狩挽歌」。
うーむ、きっと知ってる方は知ってる・・・って曲かなぁ。
でも、恐らく、曲を聴けば、1度は耳にした事があるって方も多いんじゃないのかなぁ。
まあ、一般には単純に「演歌」のジャンル分けされてしまうこの曲なんで、「演歌・歌謡曲」っていうコトバ、文字をみただけで「スルー」してしまう方は、あまりきちんと聴いていなかったかもしれない。
ま、個人的にも、「演歌」ってジャンルの曲をこのんで聴く人じゃないんで、そっち方向の曲にめちゃくちゃ詳しい訳じゃないんだけど、それでも、時々、「引っかかっちゃう」事があるんだよな。
じつは、この曲もそんな曲の一つだったりするんですわ。
この曲がリリースされたのは、1975年6月。今から41年前の今頃の曲ですな。
・・・・と言う事は、ワタシは5才だった訳で・・・。
うーむ流石に、自ら「石狩挽歌」を聴いていたような世代ではないよな。
実はねぇ、この曲、オヤジがどっかからもらってきた、「杉良太郎全集」とかのカセットの中に入ってたんだよな。
そそ、ワタシの場合、オリジナルの北原ミレイさんじゃなくて、杉良太郎氏のカバーの方が先だったんですわ。
当時、うちのオヤジ、車の中でこのカセット、よくかけてたんだ。
ワタシ的に、最初はヤだったんだけどさ




ストリングスのトリルから、トランペットの哀愁漂う、あの旋律のイントロからして、まず、やられちゃいましたね。
どうしても耳に残るんですよ。つまり引っかかっちゃうんだよね。
ソーラン節をモチーフにした暗く重たい歌詞、それ歌詞を引き立てるような、ストリングスの対旋律。
否が応でも、絵が浮かんでくるんだよね。
もちろん、当時はPVもMVもない時代な訳だから、絵が浮かんでくる・・・といっても、脳裏に浮かんでくるってことだけど、それでも、この曲独特の世界観ってある訳じゃないですか。
そう言う意味ではもいわいる「はやり歌」と言われる曲の要素は全て揃っているような曲なんだよね。
気がついてみれば、カラオケでこの曲を歌っているワタシが居たりしてね



うん、最近はあんまり歌ってないけど、カラオケボックスが出たての頃は、結構歌ってたなこの曲。
ただ、そう言う曲ではあっても、残念ながら、レコードセールスは行きませんでしたねぇ。
オリコン最高70位だもんね。とても一般的なヒットとは言えない訳で。
結局のところ、曲は良くてもなかなか浮上するきっかけが無かったんだろうね。
オリジナルの北原ミレイさんも、この曲がリリースされるまで5年近く、いわいるヒットチャートからは遠ざかっていた方でしたし。
当時はネットがあるわけでもないし、テレビの歌番組に出るような超一流の歌手以外は、地道な営業と口コミにより曲を広げていかなくてはいけない時代。
結局は、広がり切れなかった・・・というわけだよね。
この曲が、表に出てきたのは、90年代終盤、この曲の作詞者である、なかにし礼氏が、自分の兄貴の事をつづった私小説「兄弟」のヒットによってと言うところが大きいよね。
その小説から、この曲は、子供の頃の実体験から浮かんだ曲・・・っということをカミングアウトしてからですよね。だから、表に出るまで20数年かかったわけなんだよね。
個人的には、それよりも10数年前には曲自体、知ってた訳なんだけども、ただ、それは、あくまでオヤジ゛持ってたカセットから知った・・って事でさ、偶然なんだよな。
ちなみに、ワタシが中学校に入学して吹奏楽部にはいったのは、この曲のイントロのトランペットを聴いて・・・って言うのが、意外ときっかけだったんだよな。
だって、かっこいいんだもん。 ワタシもこんなのトランペットで吹けたらなぁ・・・とかさ。



まあ、トランペットって言う希望が破れて、トロンボーン担当になっちゃったんで、その夢は叶わなかったんだけど。。。。




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