1982_03_マイ・ボーイフレンド_北原佐和子








今回の1曲セレクトは、「マイ・ボーイフレンド」北原佐和子です。

まずはデータです。

・タイトル    マイ・ボーイフレンド
・アーティスト  北原佐和子
・作詞      堀川マリ
・作曲      梅垣達志
・編曲      梅垣達志
・リリース日   1982年3月19日
・発売元     テイチク
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数  6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

3月も25日を過ぎましたねぇ。 この時期になると毎年決まって、その年の「デビュー組」の動向が気になってきたりするんだけどね。
・・・まあ、最近は、3月だからってデビューする人が大量に出る訳ではないから、どうと言う事はないんだけどね。 やっぱ、一番ヒット曲を聴いていた80年代がそうだったからねぇ。3月と言うと、さて、今年の新人は・・・って気になるのがクセになっちゃってるんだよね。

で、今頃の時期に大量の新人がデビューってことで、真っ先に思いつくのが、やっぱり1982年なんだよなぁ。
そそそ、例の「花の82年組」ってやつですね。
まあ、とは言っても、実際、メインは3月デビューと4月デビューに2分されていたんだよね。

3月デビューで主だった所では、小泉今日子、堀ちえみ、三田寛子、4月デビューでは、石川秀美、早見優・・・etc、etc、etcってところですかね。
 ちなみに、この年の新人王、シブがき隊と、後に80年代アイドルの女王となる中森明菜は共に5月デビュー。
意外にも82年組の中では「後発」だったんだよね。

・・・なんて書くと、やっぱ、今回の1曲セレクトは、82年組のデビュー曲かなぁ・・なんてなるんだけど、82年組のデビュー曲の主だった所は、既に去年の今頃書いちゃったんだよねぇ・・・。

・・・と思っていたんだけど、うんにゃ、まだ残ってたぞ。。。

北原佐和子「マイ・ボーイフレンド」

そんじゃ、今回は、この曲で行きますか

北原佐和子さん、覚えてらっしゃる方も多いかな。もともとは、ソロというよりは、「パンジー」っていう3人ユニットの一人だったんだけどね。
 ・・なんて書いて、「ハイハイハイ」って思う方は、ワタシと同世代くらい。または、あの当時、アイドル好きだった方々ですよね

そそそ、北原佐和子さんの他、ボーイッシュだった真鍋ちえみさん、ブリブリブリっ子な三井比佐子さん の3人ユニットでしたね。。。

まあ、そう言っても、それほど3人で活動していたっていう印象は、ワタシなんかは少ないんだけどな。
ウタも、3人とも、それぞれソロでリリースしていた訳で、3人でリリースした曲は無いしさ。

ちなみに、3人ともオスカープロモーションという、いまや美人女優、モデルがワンサカ所属するプロダクションでモデルをしていた人たちで、まあ、それで3人まとめて売り出してやるベ・・・ってことで、「パンジー」っちゅうユニットになった訳ですね。

・・・・なんて、さぞ昔から知ってた様に書いたけど、これ今知った。。。(爆)
ほほー、そうだったんだ。。。


・・・あー、また話がずれてきた。。。。

ところで、肝心の曲ですが・・・・。「マイ・ボーイフレンド」。

やっぱりこの曲は、サビの部分ですね。

♪ マイ・ボーインフレンド マイ マイ マイ ボーイフレンド
    もう 友達でいては いけないの ♪

の8小節。

ここはいいんだよな。 「ここは」・・・というか、「ここが」というか。 
イントロからのこのサビで曲に引き込まれてしまったりして。。。
当時、このサビの部分は、よく流れてましたからねぇ、「これはいいかも」なんて思ってましたね。

たださ、正直言うと、このサビの部分だけなんだよな、キャッチーなのは。

それに続く、Aメロ、Bメロとも、なんかよく分かんないメロディが続いてたりしてね。。。。
しかも、Aメロと、Bメロの繋がりがどうも不自然なんだよね。 どこか違うところから、それぞれメロディを取ってきて貼りつけました・・・って感じで。
 あ、それは、Bメロから、サビにも戻るところもそう。

 だからさ、サビ、Aメロ、Bメロとも、イメージが繋がらないんだよな。 そんな訳で曲全体を俯瞰すると、どうも中途半端な感じがぬぐえないんだよなぁ。。

サビがさあ、キャッチーで「あ、これはいいぞ」って思えるだけに、なんとも惜しい作りだったりするんだよな。

サウンドを含めて全体に言っても、曲調そのものが古いんだよなぁ。80年代アイドルの・・・というよりかは70年代アイドルな雰囲気なんだよね。
 ま、この曲に限らず、82年のアイドルの曲は得てして、まだそんな雰囲気の曲が多かったんだよね。
だから、70年代の曲のカバー、リメイクが、この年は多かったし、それでいてそこそこ売れてたりしてね。
アナクロな雰囲気があったよな82年ごろは。

ちなみに、この曲、オリコンでは最高位25位。 
うん、そこそこいいところまで行ったんだよな。
82年組デビュー曲のオリコン実績としては、三田寛子(駆けてきた処女)が最高21位。小泉今日子(私の16才)が最高22位。それに次ぐ最高位だったわけで、この当時は人気あったんだよね。

その他、堀ちえみ(潮風の少女)が最高27位、石川秀美(妖精時代)が最高31位、早見優(急いで初恋)が最高36位、あと新井薫子さんもいたな。このヒトの「虹色の瞳」が最高45位。

・・てな感じで花の82年組と言っても、デビュー曲の頃は、まだドングリの背くらべだったんだけどさ。チャート実績としては。

 ひと足早くデビューした松本伊代は、最高9位(センチメンタルジャーニー)・・とシブがきが出てくるまでは頭一つ抜け出してたりしたけど、それを追随していた2番手が、最初は三田寛子さんだったんだよね。意外にも。。

 でもさ、82年のアイドルの曲は、まだアナクロ的な雰囲気があったとは言っても、時代は確実に流れて行ってた訳でさ、周りのスタッフを含め変わっていこうという意識があったアイドルは残った。
70年代アイドルの幻想を引きずったまま現状維持路線のアイドルは消えてった・・・・。
うん、これは、歌ってた曲を含めてね。だって、松田聖子を始め当時のA級アイドルのヒトたちは確実に時代の先を行ってましたからね。
今振り返ると、そんなサバイバルがあったような感じがするなぁ。

北原佐和子さんも、そんなサバイバルの渦中に居た一人だけど、このヒトはその後役者としては、そこそこ成功しましたからね。
いやアイドルを止めて成功だったかもなぁ。。。 なんせウタがね。。。。

というか、パンジー、3人ともウタは、チョットね。。。 特に三井比佐子さんの歌唱力は「伝説的」だったもんなぁ。。。
その辺は機会があったら、またいずれ。。。。





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