1984_03_トレモロ_柏原芳恵








今回の1曲セレクトは、「ト・レ・モ・ロ」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル    ト・レ・モ・ロ
・アーティスト 柏原芳恵
・作詞      松本隆
・作曲        筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日  1984年2月29日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  15.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

コンピュータへの打ち込みで曲を作る。 今では当たり前の作業だけど、こんな感じで曲を作るようになったのは30年くらい前、80年代中盤頃からですよね。
 ま、実際はその以前にもY.M.Oがシンセによる打ちこみで音楽を作っていたんだけど、まだまだ限られたヒト達しかやっていなかった手法だった訳だし。
 それが、一般的になりつつあったのが80年代中盤頃。家庭用のパソコンも普及しつつあり、シンセも自動演奏用のシーケンサーも手ごろになりかけてから、って感じだったよな。

そんな状況だったんで、この間、高橋由美子さんの「Good Love」の時もチラッと書いたんだけど、80年代の打ち込み曲は、かなりカチッと作ってあるんだよね。
 それは、打ちこみの技術的にも、機材的にも発展途上で、ある意味実験的な部分が多かったこともあるよね。
80年代の技術的なノウハウと、機材の発展に加え、初めから打ちこみをメインに曲を作る、いわいるネイティヴな打ちこみクリエーターの出現によって、90年代の打ち込み音楽はより自然なサウンドに発展したような気がするなぁ。

・・・ってことで、今回は、80年代半ば、そんな「打ちこみ」音楽としてヒットチャート上位まで来た、最初の頃の曲を持って来ましょうかね

柏原芳恵「ト・レ・モ・ロ」。

ま、ここに来ていただいている、特に80年代フリークの方なら、知っている方も多いと思うけど、完全なテクノ(歌謡)ポップスでしたね、この曲は。

アレンジャーの船山基紀氏が、オーストラリアで仕入れてきたフェアライトCMIを駆使した、完全テクノポップスでしたなぁ。

「完全」とつけたのは、作詞 松本隆  作曲 筒美京平 編曲 船山基紀という、この曲と全く同じ作家陣でこの曲以前にもテクノポップスを作っていたんですねぇ。
そそそそ、榊原郁恵さんの「ロボット」ですわね。

ただし、「ロボット」の頃は、まだ打ちこみするのに時間がかかるってことで、シンセは、全て「手弾き」してたんだよね。シーケンサーは使っていなかったんですよね。

それから4年余り経ち、船山氏もフェアライト操作に慣れつつあったときにリリースされたのが、この「ト・レ・モ・ロ」って訳ですね。
 もちろん、この曲は、4年前の「ロボット」とは違い、完全な打ちこみとシーケンサーによる自動演奏。進化したんですねぇ。
 これにより、アイドル歌謡っていうジャンルにも、完全に「デジタルサウンド」が完成したって言えるんですよね。

ま、これはアレンジャーの船山氏の野望というよりも、作曲の筒美氏が70年代末から80年代にかけてY.M.Oの成功を見て、テクノをアイドルポップスに取り入れたいっていう強い願望によって実現した部分が大きいんですけどね。 うん、あくまで船山氏一人の功績じゃないんだよね。
 船山氏曰く、当時は筒美氏の「書生」でしたから・・・というように、当時の絶対的な権限は筒美氏にありましたからねぇ。 船山氏は、あくまで技術的な部分を習得し、筒美氏が作るアイドルポップスのメロディラインを筒美氏が描いたように如何に具体的にデジタル化させるかっていう役割が大きかったですからね。

ただ、この曲で、アイドルポップスのデジタル化に成功した・・・と言っても、まだまだ100%打ちこみだけによる・・・って訳じゃなかったんですけどね。
 例えば、E.Guiterは、矢島賢氏が「手」で弾いてたものだし、バックコーラスは、前年「想い出がいっぱい」が大ヒットしたH2Oの二人がやってたりね。
 ま、H2Oの二人がこの曲のコーラスをやってたって言うのは、結構有名かなぁ。

いずれにしても、今だったら、例えばコーラスは初音ミクを使ったりしたかもしれないし、ギターパートも打ちこみで充分再現できるようになったけど、当時はまだ100%打ちこみだけで曲を作るとはいかないって部分も多々あったんだよね。


でもね、じゃ曲そのものはどうだったのか・・・っていうと、正直言うと、個人的には、この曲自体には、それほど引っかからなかったんだよな。
 なんかね、如何にもデジタル的って言うのかなぁ。抑揚が少ない無機的なメロディラインとサウンドだったじゃない? 特にこの「無機的な・・・」って部分がね、逆に鼻に付いた・・・っていうのかなぁ。
 当時は、ダサイ曲・・・というか、人間味あふれる「有機的」な曲が好きだったからさ。 あ、それは今でも変わらないか。。。

ま、でも言えることは、この曲はアイドルポップスのデジタル化に向けた「実験作」だったのかもしれない・・・ってことんなですよね。だから敢えて、デジタル化したぞって分かりやすい様に無機的なメロディラインにしたのかもしれない・・ってのは後で感じた事なんですけどね。

でもまあ、この曲で、アイドルのデジタル化に成功し、一応の売り上げも記録出来た事で、ここからアイドルポップスのデジタル化に拍車がかかったことは間違いないだろうしね。
 そして、この曲では無機的だったメロディラインも、徐々に有機的なフレーズも含んできたりね。
例えば、同じ 作詞 松本隆  作曲 筒美京平 編曲 船山基紀っていう作家チーム、そして同じ船山氏のフェアライトCMIが威力を発揮した、小泉今日子の「迷宮のアンドローラ」では、切ないメロディラインも魅せたしね。
さらには、次の年のC-C-Bの大ブレイクに繋がっていったって感じだよなぁ。


曲自体とはかんけーないけど、この曲、リリースが「2月29日」なんだよね。
これまた、不思議なリリース日を設定したもんだよね。
当時は、今みたいに主に「水曜リリース」なんていう曜日縛りのリリースではなかった訳だから、「定期」のリリース日を考えれば、次の日の「3月1日」が通常だったはずなんだけどね。

でも、これで1984年は「うるう年」だったって事が分かるわな。
・・・・っつうか、うるう年は「4で割り切れる」いわば、4の倍数の年っていうのは、小学生でも分かるだろうから、1984年は「うるう年」って事はすぐにわかるか。。。。



アイドルポップスのデジタル化云々・・・と書いといて申し訳ないんだけど、どうも動画は、
「生演奏」でのアナログ的な音しか落ちてなかったもんで・・・・。
なんか、ダサい「ト・レ・モ・ロ」になっちゃたな。。。。


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