1991_12_僕はこの瞳で嘘をつく_CHAGE&ASKA






今回の1曲セレクトは、「僕はこの瞳で嘘をつく」CHAGE&ASKAです。

 まずはデータです。

・タイトル   僕はこの瞳で嘘をつく
・アーティスト CHAGE&ASKA
・作詞     飛鳥涼
・作曲     飛鳥涼
・編曲     十川知司
・リリース日  1991年11月21日
・発売元    ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  81.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1991年12月2日〜1992年2月10日付
・タイアップ:パナソニック「オーディオ HALF コンポ」CM曲

さて、年明け1発目の「1曲セレクト」です。
・・というわけで、年初めにご連絡させていただこうと思いまして・・・。
えー、昨年は1曲セレクトも、1日当たり「3〜4曲」アップしてたんですが、今年から「1日1曲」ペースに戻そうかと思っております。
 実は、昨年アップしてた曲は、昔1度書いた曲を「ブログ移設」のために再度アップしてものでして、本来は一度に一気に移設しようかと思ったんですが、せっかくなので、少しずつ小出しに出していたんですね。
 ただ、昨年1年で、以前書いた曲はほぼ移設し終わったんで、今年からは、「1日1曲」と、当初のペースに戻そうかと思っております。
 ただし、今年の分からは、逆に以前書いてなかった、新たに書く曲がメインとなります。
これまでは80年代中心だったけど、まだ70年代とか90年代で書いてない曲もあるんでね。その辺りを今後は書いていきたいと思いますんで、今後ともよろしくお願いします。


 閑話休題。
 そーいえば、最近「ボーリング」を全然やんなくなったなぁ。いつ以来やってないだろ? 
 ムカシは、随分やったよなぁ。高校から大学・・・? いやいや、社会人になってもやってたな。
 大学のころ、ちょっとした、ボーリングブームだったことがあるんだよねぇ。 ちょうど得点計算が、「手計算」から「コンピューター」に変わって、レーンの上に表示される頃かなぁ。 うん、それが丁度1990年くらいだったんだよね。
 
 いや、あの頃は、マジで随分やった。 

 オリコンチャートの研究(!?)の自主サークル、「オリコンチャート研究会」のメンバーでは、マジに随分やったよなぁ。毎週のようにやってた気がする。都内のあっちこっちのボーリング場で。

 ピークは、1991年末〜1992年にかけてだったかなぁ。まあ、大体、「オリコンチャートの研究」の名目で集まっては、ボーリングやってカラオケ・・・っちゅうパターンが毎度毎度だったな。
 なっつかしいな。

 しかし、あれから、既に24〜25年の月日が過ぎ・・・。早いもんだね。

 え? ボーリングの腕ですか? 

 うーん・・・、あのころはねぇ、毎週のようにやってたから、スコアはホドホドによかったっすよ。 ハイゲームが204だったかなぁ。アベレージが150くらいだったと思うな。

・・・なんて、書くと、ウソウソ・・・とか思われちゃうよなぁ。
 いや、あの頃も、そう、思われてたんで、証拠に「204」取った時のゲームのスコア持ち歩いてたもんね。
 たしかねぇ、浅草の「楽天地」のボーリング場っすよ。
 
 だけど、1ゲーム「200」っていうのは、マジで難しいねぇ。その後も何回か、チャンスはあったんだけど、結局、いずれも190台までしか伸びなかったしな。少なくともターキーを2回はとらなアカン。もちろんオープンフレーム作っちゃうと、難しくなるし。。。


・・・おっとっと、ボーリングの話じゃないね。 

・・・というわけで、いっちん、ボーリングにのめりこんでた頃のヒット曲、チャゲアスの「僕はこの瞳で嘘をつく」でも持ってきますか。

 うん、そーいえば、この曲も随分ボーリング場で聴いたよなぁふらふら

あの頃、PVが見られるジュークボックスがあったんだよね。ボーリング場とかに置いてあったんだよ。
上で書いたように、あの頃ボーリング頻繁にやってたからさ。 この曲、頻繁に流れてたんだよね。

 そう言えば、1992年、最初に聴いた曲もこの曲だった。当然ボーリング場で。
いやいや、あの頃、上記の「オリコンチャート研究会」メンバー、大みそかに決まって私の家に集まって「レコ大」(あの頃はまだ大晦日放送だった)と「紅白」を見て、その後、オールナイトでチャート談義するのが毎年のイベントだったんだよね。
 で、朝方までなんだかんだくっちゃベって、ヒト寝入りしたあと、決まって地元のボーリング場で一投げして、カラオケっていうのが「ルーティン」だったのよ。(体力あったよな。。。。)

で、その元日ボーリングで、最初に聴いた曲がこの曲ですわ。

だからねぇ、この曲って言ったら、「ボーリング」って連想しちゃうわけですね、未だに。



だけども、この曲は、91年10月リリースのアルバム「TREE」からのシングルカットなわけで、アルバムを先に聴いてたヒトからすると、新鮮味はなかったかもなぁ。
 まあ、そういうところもあってか、売上げ枚数的には、81万枚と、当時のチャゲアスにしては、それほど驚く数字でもなかったのよね。

 ・・・・なんて、書くと、今のCD売上げとの「格差」の大きさに、自分でも戸惑っちゃったりするんだけど。。ふらふら

 でもさ、この曲の前のシングルが、あの「SAY YES」よ。「SAY YES」の売上げが283万枚だった事を考えると、高々1/3以下だからねぇ、この曲の売上げは。 ま、その辺は、だから、シングルカットっていうところが強かったってわけよ。

 ちなみに、アルバム「TREE」の売上げは235万枚ですわ。

 「格差」というてんでは、曲調の格差も大きかったよなぁ。 

なんせ、「SAY YES」がご存知のように、あれたけのメロディアスバラードだったのに対して、この曲のスピード感と、ノリノリ感・・ときたら。

 いや、あの時代、チャゲアスほど、曲調の差が大きかったヒトたちはいなかったねぇ。

 ただ、共通しているのは、バラードでも、ノリノリな曲でも、キャッチーだってことだねぇ。
 ま、一つは、よく言われるように、あの時代の「カラオケ」対策ってのもあったんだろうけど、いま考えれば、果たして、それだけだったんかね? 
 とも思えるんだよね。

 少なくとも、「今」のこの「腐りきった」業界の体質からみると、もっと「きっちり」と「音楽」を作ってるような気がする。あの頃は。

 少なくとも、「安い」「早い」・・・みたいな、吉野家の牛丼てきな作りではないでしょ? 

 アーティスト側も本気で作っているんだよね。で、出して(マネージメント側)も、きちんとマーケティングを行ってたりする。

 その両輪の歯車がきっちりと噛み合ってたと思うんだよね。だから、あれだけのメガヒットになったんじゃないかねぇ。

ま、結局は、それも、このあたりを中心とした、2〜3年っていう、つかの間だったけど。。。


 それにしても、この曲のスピード感はめっちゃ速いんだよね。譜面を見ると ♩=210 つまりBPMが210よ。これは、めっちゃ、速いですよ。
 通常、「普通」の速さの曲で、♩=120だからさ。

  だから、この曲、譜面追いかけながら、聴いてると、時どき、どこだかわかんなくなっちゃってたりしてねふらふら 追いかけていくのが大変でさ・・・。

 ちなみに、♩=200以上で、あと、ヒットした曲って言ったら、山下久美子の「宝石」くらいなんじゃないかなぁ。
 ♪ 大好きよ 好きよ 好きよ〜 ♪ って奴。 あ、以前、ここでも書いたな、あの曲が♩=208だったからさあ。

 だから、この曲は、それよりさらにスピードが速い曲だったってこっちゃな。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村