1976_12_ペッパー警部_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは「ペッパー警部」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    ペッパー警部
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   60.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月29日〜1977年1月31日付


えー、唐突ですがピンク・レディーでっす。
なぜに、このタイミングでデビュー曲の「ペッパー警部」なのか・・と言うと、ピンク・レディーが「初」のベストテン入りを果たしてから、丁度、39年なんですねぇ。
そそそ、オリコンで、初めて「ベストテン」入りしたのが、1976年11月29日付チャートなんだよね。 

あれから39年。ここから、ピンク・レディー伝説の始まったといっても過言ではないですな、

いや、逆に言うと、この「ペッパー警部」ってリリースは8月25日だから、リリース後3ヶ月も経ってからのベストテン入りのわけですよね。

 そう、後々、モンスター現象をおこすピンク・レディーも、最初は意外と泣かず飛ばずだったのですヨ。
ま、そもそもリリースしたビクターも最初は、売れるとは全く思っていなかったらしく、イニシャルは3千枚。当時としては最低ラインでのリリースだったようですね。

そんな訳なので、プロモーション費も潤沢に出る訳もなく、火が付くまで3ヵ月もかかったという訳なんだよね。

ま、逆に言えば、そんな状態で、よく火が付いたな・・・って感じもするんだけどさ。

 当初、ターゲットはあくまで「大人」だったんですよね。踊って歌えるっていうコンセプトはあったけど、最初から「子ども」向けに狙ったわけではないんだよね、ピンク・レディーって。

 この「ペッパー警部」だって、曲調からして、子どもを狙ったって言う感じではないもんね。

 でも、意外にも「火」をつけたのは、当時の子供だったんだよなぁ。そそそ、今のアラフィフ世代ですね。丁度ワタシ達の世代ですわ。 これは飯田久彦氏を初め、仕掛け側は、全くの意外だったようですけどね。

 ただ、言えることは、この当時のほかのアイドルからすると、曲の発想は斬新だった気はするなぁ。
 今からすると、そんな感じはあまりしないけど、まず、曲のスピード感があるんだよね。16ビートで流れるサビなんて、めっちゃスピード感を感じるもんね。 この当時のほかのアイドルの曲と比べるとさ。
 大体、16ビートを持ってきてたアイドルなんて、他にいなかったし・・・・。

 でもまあ、このスピード感とビジュアル感っていうのが、大人というより、新しい感覚をもった当時の「子ども」に受けたのは間違いないよねぇ。 仕掛けた側は、全く意外だったようなんだけどさ。

 でも、子どもに受けると、あっという間にブームになる。 うん、まあ、子どもというよりもティーンエイジャーに受けるとっていうことなんだけど、これは、昔も今も変わんない傾向ではあるよなぁ。兎に角アクティブ性は高いからさぁ。

 いやいや、子どもに受けるってことはアクティブ性が高いっていうのが見えたのは、このピンク・レディーからではないかなぁ。

 まあ、このあとのヒット曲界にいろいろな意味で影響を与えたのは周知のごとくだけど、その伝説は、39年前のオリコン11月29日付けランキングから始まったといってもいいんではないかなぁ。

 そして、イニシャル3千枚だった、この曲は、最終的には60万枚の売り上げに化けることになったわけで。。。これも伝説だろうな。


 ちなみに、当時、ワタクシはというと、ヒット曲には全く「無縁」な生活でしたねぇ。もちろんピンク・レディーなんぞ、まったく興味を示さない、「ポールモーリア命」のませガキ、というか、いやなガキでしたわ。 いま思うと。。。
 



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