1981_10_ギンギラギンにさりげなく_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    ギンギラギンにさりげなく
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      伊達歩
・作曲      筒美京平
・編曲      馬飼野康二
・リリース日  1981年9月30日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   81.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1981年10月12日〜1982年1月25日付

えー、今回は、まっちの「代表」的な大ヒット曲をひとつ。

ギンギラギンにさりげなく。

この曲はデビュー第4弾シングルなんだけど、 まっちのそれまでの3曲同様、この曲も不思議なリリース日なんですねぇ。

 1981年9月30日 リリース。

 なんですか、このめっちゃくちゃ中途ハンパなリリース日は。。。しかも月末ぢゃん。
 当時のリリースパターンからすると、翌10月1日リリースっていうのが当時の通常パターンだったわけで・・・。

 まあ、それまでの3曲同様、ちゃんとした理由があったですけどね。
 そそそ、オリコンチャート対策ってやつですよ。

 ハイ、1981年9月30日は 「水曜日」なんですねぇ。

 つまり、今と同様に考えると、お店には前日には、品物が届くわけで、オリコンの週間の集計期間をフルに使えるっていうメリットがあるんですねぇ。

 つまり、堂々と、「初登場1位」っていうのを鼻から狙っていたって訳ですわ。この曲の場合。

 今でも同じだけど、オリコンの場合、月曜〜翌日曜日という週間集計期間にあって、この集計期間外、1日でも前に店頭に並んでしまうと、その1日分の消化セールス分は、前週のチャートに反映されてしまうんだよね。

 この集計期間のしくみをもろにかぶった曲・・・っていったら、ピンクレディーの「カメレオンアーミー」。
 1978年12月5日リリースなんだけど、この日は「火曜日」。
 で、流通の関係で一部のお店・・・都心部の量販店・・・には前々日の「日曜日」に並んでしまったところもあって、その1日分セールス分がチャートに反映されちゃった。

 これが、この曲の初登場ランクが「88位」だった所以ですわね。で次の週は当然のごとく1位。
 今でも残るジャンプアップ1位獲得、88位⇒1位 っていう記録は、こんなカラクリがあったわけですわ。 

 ま、こういうカラクリもあって、「初登場1位」って言うのを狙うためには、「水曜日発売」とするのが、一番、効果的なんですわね。
 「水曜日」としておけば、流通上、間違っても3日前の「日曜日」に店頭に並ぶことは、まずないわけで。。
 「初登場1位」を獲得するには、一番適した曜日といえるわけだよね。

 もちろん、そのためには、それだけのアーティストパワーがなくちゃダメなわけで・・・。
 1981年当時では、こんな売り方をするのは、本当にトップのトップ・・・両手で余るくらいの人くらいしかやってなかったけど・・・。
 だから、リリースとしては、定期リリースというわけにもいかず、いつも「臨発(臨時発売)」扱いだったんですよね。当時は。

 ちなみに、同じ月・・1981年9月2日にリリースした、田原俊彦「悲しみ2ヤング」も同じパターンなんだよね。
 ただ、この曲の場合はイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」っていう、超ド級な人気に押され、初登場2位だったけど・・。

 時は流れ・・・・34年後の今日は、猫も杓子も、おおよそチャートの1位争いに関わりそうもない曲まで「水曜リリース」っていうのが通常っていのうは、当時はまったく予想もできなかったけどさ。

 まあ、まっちにしてもトシにしても、やっぱりジャニーズなわけで、考えようによっては、当時からジャニーズっていうのは、それまでの常識を打ち破るような型破り・・というか前衛的な発想でリリースを行っていたとはいえますけどね・・。


 でも、どうして、まっちの場合、そこまで初登場1位にこだわる必要があったのか・・・ってところが、まず、引っかかるんだよね。

 デビュー曲の「スニーカーぶる〜す」からして、「初登場1位ぢゃなきゃ失敗だった」っていう、担当ディレクターだった小杉理宇造氏のコメントにもありますけどね。
 これは、小杉氏の自発的な考えからなのか、ジャニーズからの圧力なのか・・・っていうのは、わかんないですけどね。

 でも、たしかに「初登場1位」にこだわっていたのは、まっちの場合確かなんだよねぇ。

 ただ、理由動向以前に、具体的にリリース日にこだわっていたの、たしかだと思うなぁ・・・。

 というのも、この「ギンギラギンにさりげなく」って、シングル第4弾だけど、それまでの3作は全て「12日」発売なんだよね。

 なんで、12日発売だったのかはさだかぢゃないけど・・

・スニーカーぶる〜す   1980年12月12日リリース
・ヨコハマチーク     1981年3月12日リリース
・ブルージーンズメモリー 1981年6月12日リリース

・・・と、ここまで、「きっちり」と3ヶ月ローテーションっていうのをまもっていたわけで、このローテーションからすると

・ギンラギラギンにさりげなく 1981年9月12日リリース

っていのうのが定番だったわけだけど・・・。

 なぜに9月30日にずらしたんだろ?

今から考えると、いくつか、考えられるけどね。
まあ、全て主観なんだけど、

▼ブルージーンズメモリーが予想外にロングセラーになった。「ザ ベストテン」で9月17日までランクインするという3ヶ月を越えたベストテン入りをキープしたかんね。

 ・・・まあ、これは、次の「情熱 熱風 せれなーで」を考えるとあんまり現実的ではないけどね。


▼イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」っていう目の上のたんこぶがあった

 ・・・・こちらが現実的なんぢゃないかなぁ・・と穿った考え方があったりして・・・。
 事実、そのまえの週、「水曜日」リリースだったのにも関わらずトシちゃんは負けてますかんね、「ハイスクールララバイ」に。
 ちなみに、この時期が「ハイスクールララバイ」のヒットのピークで3週連続で10万枚セールスを突破してたりします。

 ま、今では週10万枚セールスなんてのは、たいしたことはないんだけど、当時としては週10万枚セールスなんてのは、夢の数字に近かったですから、それが3週連続で続いたなんてのは、ホントの「お化け曲」だったわけね。

 そこまで、セールス動向を見極めていて、欲しかった、初登場1位・・・。

 うーん、なんでかなぁ・・と思うんだけど、今、考えると、この「ギンギラギン〜」に関しては、他の曲に比べて、また、特別な思いがあったのかもなぁ・・。

 時期的に丁度、各局の音楽祭と重なる時期。そこから、歌謡大賞、レコード大賞・・・と兎角、エンターテイメントなイベントが多い時期でしたからね。
 しかも、このころは、各音楽祭の全盛期。これらの音楽祭で最優秀新人賞を狙っていた、まっちとしてみれば、この曲で是が非でも初登場1位をとって「箔付け」したいっていう考えもあったんぢゃないかなぁ・・・。

 だとしたら、不用意に、当時全盛だった、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」にぶつけて1月7日(木曜)リリースとし、初登場1位をのがしている「情熱 熱風 せれなーで」の存在もありますしね。

 ただ、この曲以降、まっちの場合 「暫く」は「末日」リリースっていうのが定番になりましたけどね。

・ふられてBAMZAI 1982年3月31日リリース
・ハイティーンブギ  1982年6月30日リリース
・ホレたぜ!乾杯   1982年9月30日リリース

「ふられてBANZAI」「ハイティーンブギ」では件の通り水曜日発売。
「ホレたぜ乾杯」と次の「ミッドナイトステーション」は、木曜日発売になったんだけども、これは、木曜日発売でも敵なし・・と踏んだからでしょうかね・・・。現に木曜発売でもどちらの曲とも初登場1位だったけど・・。

 逆に、超難関であった、次の「真夏の一秒」では、1983年4月27日と水曜リリースに戻してたりする。
 まあ、この時は敵の松田聖子「天国のキッス」も同じく4月27日リリースなんてことになってしまったのだけど・・・。
 まあ、当然、いつものパターンだったら、4月30日リリースになるところを、これでは勝てないと踏んだからでしょうけど・・・。

・・・とまあ、穿った見方ではあるけど、こんな感じで、なんでこのリリース日になったのか・・っていうのをいろいろ「想像」してみるのもヒットチャートを見る上での、面白さの一つではありますね。



なんて、曲と全くかんけーない話が続きましたが・・・この曲は、デビュー第4弾にして、初めての「ディスコ」調の、ハデハデな曲になったよね。

 それまで、「ヨコハマチーク」は別として、「スニーカー」も「ブルージーンズ」も、暗いダサめなロックだったけどさ。

 まあ、これも、上で書いたような音楽祭対策な一環ぢゃなかったのかなぁ。
 いくらなんでも、「ブルージーンズメモリー」では、いまいち、華やかではないしね。

・・・・とはいいつつ、夏に行われたいた「日本テレビ音楽祭」は、「ブルージーンズメモリー」歌ってたけど・・・。

 まあ、その辺はいろいろ考えていたんだとは思うけど、それがピタリとはまったような気がしますね。

 まあ、たしかにディスコとしては、ダサめな感じもするけど、華やかだしエンターテイメント性は、それまでの曲よりは格段にうえだったと思う。
 さすがに筒美京平、馬飼野康二コンビだけとあって、その辺はしっかりと考えていたんでしょうけどね。

ちなみに、下敷きにした曲は、イントロがロッドスチュワートの「I'm Sexy」、メロディラインは、クインシージョーンズあたりを参考にしたらしいですね。

でも、やっぱり、一般性・・・という事を考えると、この曲が一番的を得ていたんだろうな。売り上げ枚数では「スニーカーふる〜す」がダントツだけど、総合的な「ヒット」と言うところを見ると、この曲がダントツに抜きんでてるんだよね。レコード売り上げは、「スニーカー・・・」よりも20万枚以上も低いけどさ。
 
 最近は、ネットなんか見てると、「CDが売れれば勝ち」なんて、如何にもヒット曲について全て知ってる風に言ってるヒトが居るけど、そう言う事書いてるの見ると、コイツは分かってねぇなぁ・・・と思いますね。CDの売り上げ枚数と、一般浸透性を測るヒットとは違うんだよね。CD買ってるヒトだけが、その曲を支持してるとは限らないわけじゃん。
 この曲は、そのいい見本だと思いますわ。


・・・・うわ、今回は、いい気になって、ちっと書きすぎたわ。。読んでる方スイマセン。。




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