1977_09_ウォンテッド_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは、「ウォンテッド」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル     ウォンテッド
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年9月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    120.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月19日〜1977年12月26日付

 さてさて、1ヶ月ぶりのピンク・レディーですが、今回は、ピンク・レディー旋風真っ只中の1曲です。

 「ウォンテッド」。

 毎度毎度、ピンク・レディーの曲を書くときはこんなこと書いてるけど、この当時は、ホント、ピンク・レディー旋風はものすごかったですよね。

 手前味噌だけど、ワタシのランキング(THE HITCHART HOT30)では、1977年8月15日〜9月12日付で「渚のシンドバッド」、9月19日〜12月5日付まで、この「ウォンテッド」が1位を獲得。
 つまーり、この年の8月15日から17週間連続で、ピンク・レディーが1位独占だったわけ。

 こんな現象は、あれから38年経ちましたが、同一アーティストで17週連続、1位獲得を抜かした記録なんてのは、現在までない。恐らく、もう、今後も出てこないでしょうね。


 いやいや、そのくらい、38年前の、丁度今ごろのピンク・レディー旋風って凄かったんですよね。

 ちなみに、1977年12月12日付の中島みゆき「わかれうた」を挟んで、翌12月19日付〜1978年2月27日付まで、またもやピンクレディーの「U.F.O」が9週連続で1位獲得してるから、もし、1977年12月12日付で「ウォンテッド」か「U.F.O」が1位だったら、27週連続1位独占・・・ってこともあったかもしれない。。。。

 そのくらい、凄かったんです、あのころのピンク・レディー旋風は。


で、まあ、売上げ的には、「U.F.O」が155万枚で、ピンク・レディーとしては最高売上げを記録したんだけど、上り調子の「パワー」っちゅうのかなぁ・・・。「勢い」は、この「ウォンテッド」の方が上だったんじゃないかなぁ。
 うん、オリコン含めて、12週連続1位獲得・・・ってわけで、連続1位週数は、この曲が、ピンク・レディーの中では最長なんだよね。 ふむふむ、売り上げがトップの「U.F.O」でさえ、オリコンでは10週でしたから1位は。

 いやいや、ワタシと同世代の方々は、みーんな、踊ってたもんねぇ。
 レコードとか、月刊「明星」なんかの雑誌には、新曲が出るたび、踊りの分解図とか、載せちゃったりしてさ。

 あのころの小中学生は、ほとんど、みーんな踊ってた。

 いやいや、だから、これだけの社会現象にまで昇華しちゃったんだと思うんだけどさ。
 
 うん、あの頃の人口分布図ではさ、レコード購入メイン層である、10代後半〜20代前半の人口よりも、10代前半の方が人口多かったんだよね。

 うん、第2次ベビーブーム世代。それがワタシたちの世代。

 だから、ワタシたちの世代に火が付きゃ、異常なブームが起きる・・・ってこともある程度は予測付くんじゃないかなぁ。

 それが現実に起きたのが、ピンク・レディー旋風だったわけですよね。


 余談だけど・・・、これと同じ事が、実は1990年代前半にも起きているんですワ。

・・・・・メガヒットブーム。あれって、丁度、ワタシら第2次ベビーブーム世代が、10代後半〜20代前半のCD購入メイン層に入ってた時期なんだよね。

・・・・ということは、カラオケの影響とか、いろいろ言われてるけど、実は、起きるべくして起こった現象なんではないかな・・・とも考えられるんだよね。

 だからさー、今の音楽業界ってバカだよなーって思うんだよね。なんで、いつまでも10代後半〜20代前半ばっかり、狙ってないで、ウチらの第2次ベビーブームの世代を本気で狙ってこないのかなぁ・・・・ってさ。

 なんか、10代後半〜20代前半を狙わなきゃいけないなんていう、昔からの暗黙のルールのようなもんがあるんですかね〜。

 それでなくても今の20代以下は、年々人口が減ってってんのにさ。。。ミスミス、お客さん逃がしてるようなもんじゃん。



 さてさて、この「ウォンテッド」では、ワタシは苦い想い出がありまして・・・。

 ワタシ、このころは、まだ、「歌謡曲」に興味がなかったんだよねぇ。なんせ「ませガキ」だったから・・・。
 ポールモーリアばっかし聴いてたのですわ。

 もちろん、ヒンク・レディーくらいはしってたけど、ろくに曲は知らなかったし、もちろん、踊りなんても踊れなかった。

 たぶん、当時の小中学生の中では、かなり珍しい人間だったと思う。

 でさ、そのころ、幼稚園から一緒で友だちだった、ワタシより1つ上のワタル君ってのがいてさ。
 親同士が仲良かったから、ほんとガキの頃からしょっちゅう、遊んでた。

 そのワタル君が、大のピンク・レディーファンでさ。親とかと集まったときに、得意げにやるわけですよ。振りいりで歌を
 うん、忘れもしない、この「ウォンテッド」だった。

 で、ワタシが知らない・・っていうと、バカにされてさ〜。
よく子ども同士だと言うでしょ、「え〜知らないのぉ〜」とかさ。

 で、強制的に振りを教えてくるわけですよ。でも、ワタシ、極度の運動音痴でさ、ぜんぜん覚えられなくてねー。

 そうすると、また、コバカにしてくるわけですよ。

 そのうちに、「ピンク・レディー、なんか キライだもんexclamation ×2」なんて、すねちゃったりして。。。

 はい、ワタシのダンス系ギライは、この時から始まったわけなのです。うん、一種の軽いトラウマだね。

 そういうこともあって、誰がなんと言おうと、あの時から、ワタシャ、キャンディーズ派になったのですexclamation ×2


 まあ、それでも、あのころって言ったら、同年代では「ピンク・レディー派」が大多数だったけどさぁ。



 蛇足だけど、90年代、ワタシらが結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のリーダーだった、松永さんって方が、これまた、「超」が付くほどのピンク・レディーフリークでさ。
 よく、カラオケ屋で踊ってたよなぁ。十八番がこの「ウォンテッド」だったりして・・・。

 ちなみに、彼はオリコンでは、当時、邦楽、洋楽に混じって「ヒンク・レディー」っていうジャンルがあるって言うだけで、六本木のオリコン本社まで、「オリコン年鑑」買いに行ったなんて、ヒトでしたからねぇ。かなり気合が入ったファンだったな。
 ワタシより3つ上だったから、当時、中学1年かな。
どれだけ、ピンク・レディーが好きだったか・・・って訳ですね。


 ちなみに、そのオリコン年鑑1979年版の「レコード購買層調査」っていうデータを見ると、邦楽ポップス、邦楽ロック、洋楽ポップス、洋楽ロックっていうジャンルに混じって、ほんとにヒンク・レディーっていうジャンルがあるんだよね。

 それによると、1978年のデータでは、レコード売上げ全体に占めるピンク・レディーの売上げの割合は17.7%になってたりする。。。
 いかに、この時期のピンク・レディーのレコード売上げが凄かったか・・・ってことですよね。

 で、そのうち、小学生の購入比率が42.0%、中学生が25.0%。 つまり6割強は、小中学生で占められてた・・・・ハイ、私たちの世代に占められてた・・・ってことだよねぇ。 やっぱ第2次ベビーブーム前後世代の購買力はでかいわけです。




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