今回の1曲セレクトは、「哀しくてジェラシー」チェッカーズです。
まずはデータです。
・タイトル 哀しくてジェラシー
・アーティスト チェッカーズ
・作詞 売野雅勇
・作曲 芹沢廣明
・編曲 芹沢廣明
・リリース日 1984年5月1日
・発売元 キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 66.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月14日〜8月6日付
昨日、寺尾聰の「シャドーシティ」書いたじゃん。おそらく、あの曲書いたのに、なんで、3曲同時ベストテン入りについて書かなかったんだろう・・・なんて思った方っているかなぁ。
いや、最初は言及しようか・・・と思ったの。でも、その前に念のため・・・と思って、過去のアーカイブス調べたら、なわんと、この曲をまだ、書いてなかったんでさぁ、まずは、こっちの3曲同時ベストテン入りを書いたほうがいいのかなぁ・・・とか思ったんだよね。
ま、その曲がチェッカーズの「哀しくてジェラシー」だったりするんだけどさ。
うん、3曲同時ベストテン入り・・・って言っても、寺尾聰の場合は、「ザ・ベストテン」で3曲同時ベストテン入り・・・ってことで、厳密に言うとオリコンでは、3曲同時ベストテン入りはしてないんだよね。
うん、一番、それらしき週だったのは1981年6月8日付で
・2位 ルビーの指環
・1O位 シャドー・シティ
・11位 出航
って時でさ。ま、このとき、「ザ・ベストテン」では、3曲同時にベストテン入りさせたんだけど。。。
BUT、チェッカーズの場合は、正真正銘「3曲同時」ベストテン入りさせたからねぇ。「ザ・ベストテン」だけでなく、「オリコン」でも。
で、実際に3曲同時ベストテン入りさせていたのが、1984年5月14日と21日付けの2週間。
ちょうど、今から31年前だ。
えー、31年前〜・・・ 自分で書いててビックリなんだけど。。。自分じゃ、そんなつもりぜーんぜんないのにねぇ。
だって、すでに、オリコン読んでたし〜・・・。ほとんど、いまと変わらぬ生活をしてたっていうのに。。。
変わったのは、パソコンという便利な代物が加わったのと、当時より30Kg太ったワタシの体くらいでしょう
いや、あのころは、ホントやせてたから、ワタシ。。。たしか50Kgなかったんだから。。逆にやせ過ぎてたかも。。。 (この後、「モスバーガー」という魔物に出会って一気に太った)
なんて、そんなこたぁ、どーでもいいんだけど。。。
あのころのチェッカーズ旋風はすごかったよね。ほんと、ほんの僅かのうちに、どっからこんなに人気が出てきたんだ? ・・・ってくらいあっという間だったもんなぁ、火がつくのが。。。
だいたい、この時点から、ほんの3ヶ月前までは、ほとんど知られてなかった存在だったのにねぇ。。。
やっぱ、女性ファンっていうのは飛びつくと早いよなぁ。。。
この間、寺尾聰のとくも書いたけど、ほんと、予期せぬ出来事だったですよ、こんときのチェッカーズ旋風は。
で、この「哀しくてジェラシー」だけど、曲的には、前の2曲の「ギザギザハート〜」とか「涙のリクエスト」と方向性はそれほど変わらない。 ま、この3曲が同時に作られたっていうのもあるけどさ。
うん、その3曲の候補曲から、一番、キバツな「ギザギザハート〜」をデビュー曲に持ってきた・・・っていうのは、有名な話ですわな。
うん、だから、「涙のリクエスト」でも、この「哀しくてジェラシー」でも良かったわけですよ、デビュー曲としては。
ま、たしかに、キバツさという点では、この曲「哀しくて〜」が一番乏しかったかな。うん、悪い曲ではなかったけど、まともだったんだよね。全体的に。
そう考えると、売れた後の3曲目に持ってきたのは正解だったよなぁ、今考えると。
前2曲と方向性が同じだったんで、ファンを裏切らない・・・っていう安心感もあったろうし。。
そんないろいろなファクターがうまく絡み合って、結局3曲同時ベストテン入り・・・って言うことになったんだろうね。
ちなみに、当時、ワタシ、ドラムを始めててさぁ、チェッカーズとか簡単そうだったんで、練習してたんだけど、この曲、バスドラが大変なんだよねぇ。
イントロの頭から8分音符のバスドラきざんでたりするから、腰が痛くなったりしてさ。。。足は突っ張るし・・・。
なんか、そんな想い出が強いな、この曲には。
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