今回の1曲セレクトは「やさしい悪魔」キャンティーズです。
まずはデータです。
・タイトル やさしい悪魔
・アーティスト キャンティーズ
・作詞 喜多条忠
・作曲 吉田拓郎
・編曲 馬飼野康二
・リリース日 1977年3月1日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 39.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1977年3月28日〜5月30日付
いやね、全キャン連っていう組織自体にも興味があるのよ。何でもアイドルとしては、初の全国組織のファンクラブっていうことで、その組織力と、団結力は目を見張るものがあったんだよね。
なんせ、あの「ザ・ベストテン」のランクを組織力で動かしちゃった「団体」ですから。
1978年4月4日。伝説となっている、当時の後楽園球場での解散コンサート。
当時、この模様はTBSで放送したんだけど、実際の放送は1時間30分枠だったんですよね。
でも、実際のコンサートは4時間やっていたようで、残りの2時間30分分はマスターテープも残っていなかった・・・・らしいんですよ、これまでは。
でも、TBSのライブラリーの奥深くから出てきたらしいんだよね。未放送分のテープが・・・。
その模様は、7年前の、解散30周年のイベントで、デジタル処理した再編集したビデオを流したらしいんだよね。
おそらく、50半ばになったいいオッサンが、「ランちゃん」「スーちゃん」「ミキちゃん」なんて叫びながら、画面に向かって紙テープを投げる様は、おそらく、今の「アキバ系」にも通じるものがあるんじゃねぇのか・・・とか思ったりして、外野としても是非、その様は見てみたかったのですが。。。
ところでさぁ、コンサートで「紙テープ」投げちゃいけなくなったのって、いつ頃からだったっけ?
37年前のキャンディーズの解散コンサートの時の紙テープの量はハンパぢゃなかったよねぇ。
うーん、松田聖子とか、80年デビュー組のころも紙テープは有りだったよなぁ。。。
たしか、紙テープの「芯」を抜かないで投げる輩が増えたんで、危なくて紙テープ禁止になっちゃったんだよね。
まあ、最近の若いアイドルファンにとっては、なんのこっちゃ? かも知れないけど・・・。
うぬー、またもや、前置きが長くなっちゃったな。
「やさしい悪魔」どぇす。
この曲がヒットしたころの状況は、ワタシもよくわかんないんだけどれも、はじめは、きっと、多くのヒトが驚いたんじゃないかなぁ。
それまで全くなかったような曲調。詞の内容。
曲は吉田拓郎氏。吉田拓郎氏とキャンディーズ。まるで接点が見えない。まるで「狼と子羊」だったりして。そんな不思議な組み合わせが時として、うまく「化学反応」を起こすこともあったりするんだよね。
フォークといったらいいのか、ポップスといったらいいのか、よくわかんないところが、この曲の面白いところだったりするから。
詞は喜多条忠氏。物の本によると、これは、当時の渡辺プロの社長、渡辺晋氏の直接の「ご指名」だったようだ。
「3曲預けるから、なんとかしてやってくれ」・・・ということで・・。
たしかに、キャンディーズも75年の「年下の男の子」、76年の「春一番」でトップアイドルの仲間入りはしていたものの、それまでは後が続かなかったのよね。
その隙間を縫って、ピンク・レディーが「モンスター」に化けちゃったわけだから、渡辺プロとしては、そりゃ危機感を感じるわな。
さぁ、こまった喜多条忠氏。。。 どうかえりゃいいのか。。。
でも、ピンクレディーは、当時の「中高生」のアイドル。キャンティーズは、大学生に受けてる。この支持年齢層の「スキマ」を狙う。
・・・っていうマーケティング的発想から・・・か、どうかはよくわかんないけど、ちょっと「小悪魔」的な、それまでのキャンティーズにはなかったような内容の詞が出来上がる。
これが、吉田拓郎氏のフォークのようなポップスのような、不思議なメロディラインにうまくのっかった。
・・・ってことで出来上がった、この曲。オリコンでは4位までしか行かなかったけど、売上げは39万枚強。
それまで最も売れた「春一番」を凌いで、この時点でキャンティーズで一番売れた曲にのし上る。(最終的には、「微笑みがえし」の83万枚ね)
だから、歌謡曲は分からないもんなんだよねぇ。
ただ、誤算だったのは、この曲のヒットのピークが過ぎ、さぁ!次のシングル・・・って時に、例の「解散宣言」が出ちゃったことだろうな。
まあ、そんな、キャンティーズにとっては、とっても「端境期」な頃の曲ってことになるね。この曲は。
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