
今回の1曲セレクトは、「襟裳岬」森進一です。
まずはデータです。
・タイトル 襟裳岬
・アーティスト 森進一
・作詞 岡本おさみ
・作曲 吉田拓郎
・編曲 馬飼野俊一
・リリース日 1974年1月15日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 46.2万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1974年2月18日〜4月15日付
さきほど書いた、大黒摩季の「ららら」から、森進一に飛びます。。。
なに?、この落差・・・・。 でも、みなさん、ついてきてくださいよ〜。
まあ、歌っている森進一の「演歌」は、あくまで「昭和」の遺産的な保守的な匂いが強いものだけどね。
スナックとタバコの匂いと、テナーサックスがむせぶムード歌謡の世界。
上で「演歌」って書いたけど、根っこの部分は「ムード歌謡」なんだよね、これも。
個人的にはなかなか立ち入ることが出来なかった世界。だけど、なぜか遠い記憶には残っている世界。
でもさ、森進一の場合、それだけではないんだよね。実際。
「冬のリヴィエラ」・・・・。ちょっと時期的に書きそびれちゃったけど、これなんか、大滝詠一ぢゃん。ムード歌謡とは、全くかけ離れた世界とのコラボレーション。
こんな異業種コラボにも挑戦して、ちゃんと結果を残しているヒトでもあるんだよね。
それにしても、このヒトが挑戦した作曲者は多岐に渡るな・・・。その他、細野晴臣、松山千春、谷村新司、井上陽水・・・。
長渕剛に はたけ(元シャ乱Q)なんてのもいるぞ。。。
こういう挑戦は評価しなくちゃ、なんか、今回の「騒動」では、森進一をワルモノ扱いにしているヒトが多いけどさ。
・・で、こういう「異業種」とのコラボり一番最初、取っ掛かりを行ったのが、今日引っ張ってきた、「襟裳岬」ってわけだ。
演歌(ムード歌謡)の帝王とフォークの貴公子であった吉田拓郎とのコラボレーション。
これは、当時として見れば、絶対ありえない取り合わせだったわけだ。
なにせ、この曲以前には、こんな取り合わせのヒット曲は存在しないわけで・・・。
要は「ゲーノー(歌謡)界」と、「フォークニューミック界」の間には、相反する高い壁があったわけだよね。それまでは。
つまりさ、よく使う、あっち側こっち側・・・っていう垣根。
その前に、それぞれのファン層にも、合間見えないような壁があったわけで・・・。
ムード歌謡(演歌)を聴くようなヒトはフォークなんか聴かない
フォークを聴くようなヒトはムード歌謡(演歌)なんか聴かない
・・・っていう垣根ですよ。
まあ、これは、この時代から30年たった今でもまだ残っている「垣根」なんだけどさ。
だけど、この垣根を無視して、森進一に吉田拓郎の曲を歌わせたヒトがいるんだよね。
高橋隆氏。 当時のビクターのディレクターだった方ですね。
ついでに書くと、これ以前、ソルティシュガーっていうフォークグループで「走れコータロー」って曲を大ヒットさせたグループに居られた方。その後、ビクターのディレクターさんになられていたんですよね。
この方が、プロデュースした曲が、この「襟裳岬」って訳ですわ。
しかしすごいよね。発想の転換・・・っていうかさ、それまでの常識を破って、新しい物をプロデュースするって言うのは、ホントすごいと思いますよ。
まあ、結果的に成功だったから、そんなこと言えるのかも知れないけどさ。
この曲、そんなこと言われなかったら、完全に森進一の曲になってるもんなぁ。
もともとは、「焚き火」って言う曲で吉田拓郎氏が直々に歌っていたのに手を入れて出来た曲らしいですよね。
うん、その原曲の方を聴いたことあるんだけどさ、これがとってもつまらない曲なんですわ(^^;;;;; 正直言って。
うーん、ワタシだったら、絶対に「ツマンナイ」で終わっちゃうだろうなぁ。
それが、この「襟裳岬」になっちゃうわけだから、これは、アレンジの馬飼野氏のワザなんだろうなぁ・・・。
ここでもよく書く馬飼野康二氏は、ポップスの作曲、アレンジャーとして大活躍だったわけですが、氏の実兄、馬飼野俊一氏は、どちらかといえば「演歌系」のアレンジャーでしたからねぇ。
馬飼野俊一氏アレンジである、北原ミレイの「石狩挽歌」は、最高傑作だと思うんだけど、一番のキモはイントロでのトランペットの使い方なんだよね。
兎に角印象的な旋律が「北の海」をよく表現していると思うんですよ。
「襟裳岬」もそれに並ぶ傑作だと思うなぁ。
この曲もイントロ入りからのトランペットの旋律が印象的でしょ。・・というか、これがあるから曲にノメリこまさせられる・・・というかさ。
で、一番のキモがやっぱし、サビの
♪ 襟裳の春は 何もない春です ♪
の一文なんでしょうかね。
この一文に、「いやいや、襟裳の春はなんでもあるよ」って反論してみせた、っていう地元の方の声もあったそうで。
うん、まあ、そういうのどかな時代だったということも言えるかもしれないけど、それだけ説得力があった曲ということもいえるでしょうね。
オリコン最高は6位止まり。ベストテン入りも9週と当時としては、短期間のベストテンヒットだったにしては、これだけ印象深い曲、加えて、第5回日本歌謡大賞、第16回日本レコード大賞を受賞してしまった・・・てことは、それだけジワリと根強い人気を保ったって事なんだよね・・・。
ちなみに・・・当時は、日本歌謡大賞、レコード大賞共に「権威」の程は今の比では全然無かったわけですよ。
テレビの視聴率も40%以上あったわけだし・・・。
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