今回の1曲セレクトは、「卒業」尾崎豊です。
まずは、データです。
・タイトル 卒業
・アーティスト 尾崎豊
・作詞 尾崎豊
・作曲 尾崎豊
・編曲 西本明
・リリース日 1985年1月21日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数 7.4万枚
さすがに、「卒業」シリーズも3回目にもなると、鬱陶しくなってきたんで、そろそろオーラスに参りたいと思います。
最後はやっぱし、卒業 / 尾崎豊
で締めたいですね。
そもそも、尾崎を意識した・・・というか、ちゃんと聴きだしたのは、あの「事件」以来なんだよね。
あの事件⇒1992年4月 尾崎豊逝去
それ以前は、ほとんどきちんと聴いてもなかったんだなぁ。
個人的に尾崎の存在を知ったのは、1984年夏、日比谷野音で開催された「アトミックカフェ」という2日間行われた「反核コンサート」ですね。
2日間連続で出演予定だった尾崎が、初日の出演の時に、高さ7mのPAセットから飛び降りて両足骨折。 2日目の出演が出来なくなって、お詫びのしるしに白いハトを一斉に飛ばした・・って、あの伝説のコンサートですわ。
PAから飛び降りたことに関して、「なんかやな予感はしたんだけど、勢いでやっちゃった」・・と月刊・明星の記事に飄々とかたる尾崎のインタビューを覚えてるな。
でもね、個人的には、あの時は、そんな「やんちゃなアーティストがいるんだ」ってことぐらいしか気にならなかった。
個人的に本当に尾崎が視界に入ってきたのは、今回引っ張ってきた「卒業」がヒット。続くリリースされたアルバム「回帰線」がオリコン1位を獲得した直後。 オリコンで組まれた「特集」を読んでからですね。
尾崎のコンサートにきていたオーディエンスのインタビュー。いわいる後年の尾崎信者と言われたような方たちだったけど。。一様に社会からロックアウトされたような方たちで。。。
それを読んで、これは、自分とは違う世界のアーティストなんだ・・・って感じたんだよね。
・・そういうこともあって、以来、尾崎はずっと素通りしてたんですよ。
そこに来ての、突然の尾崎の死。 これは、なんとなく、素通りしてたワタシにも、なぜかグサッとこころのどこかに来たものがあったなぁ。
プラス、件のオリコンチャート研究会のリーダーが、あの事件以来どっぷりはまっちゃったんだなぁ。尾崎に。
でもね、あれ以来、この曲をちゃんと聴くようになったのは確か。
そして、85年当時、あれだけうっとうしかったこの曲が、すっと自分の中に入ってきたのも確か。
7年の年月の間に、挫折を経験したり、物事を深く考えるようになってきて、やっと、この曲の意味が理解できるようになってきたんだと思うな。
でも、理解すれば理解するほど、この曲の「純」なところも分かってきたな。
尾崎の曲は、どんなに力いっぱい全力疾走してても、煽ってても、根の部分は「純」なんだよね。
まず、もって、尾崎の曲は、ビジネスライクというところが、ほとんどと言っていいほどない。 今は、これだけ「純な心のハケ」を歌えるアーティストは、まず、いないでしょ。 いや、あの時代もなかなかいなかったと思うな。
本当の「アーティスト」・・・・なんだよね。
自分の心のハケを表現するのがアーティスト。プロジェクトのためぢゃない。お金のためぢゃない。
果たして、そういうアーティストって、いまはどれだけいるんだろう?
ほとんどは、曲作る前から皮算用してるんでしょ、きっと。。。オリコン何位とって、何万枚売ればなんぼ儲かるとか・・。ソロバンはじいてるでしょ。
その時点で、既に「アーティスト」ではないんですよ、本当は。
それに、歌い手が「純」ならば、聴き手も「純」なんだと思うな。だから、そういうところが「癒しに」繋がって、一見「信者」のように見えるんだよね、きっと。
でも、普通は、「大人」⇒権力側に付くにしたがって、この辺って忘れていくもんなんだろうな。
だけど、ワタシ、今、この曲が今までで一番ワカルっていうか、いまのワタシの心境、いいたいこと、そのままなんだよね。
♪ 信じられぬ大人との争いの中で 許しあい一体何、分かりあえただろう? うんざりしながら それでも過ごした 一つだけ分かってたこと、この支配からの卒業 闘いからの卒業 ♪
究極のところは
♪ あと何度 自分自身 卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう? ♪
なんだろうな。
・・・・ということは、ワタシャ、全然「大人」になっていないってことなんだろうな。。。
まあ、未だになりたいとも思わないけどさ。
少なくとも、エンタメに関わっている限りは、「大人」になったら終わり・・・っていうのが自論だからさ。
エンタメなんて、気持ち子供だからできるんですよ。 ソロバンはじいて皮算用するようになったら、エンタメなんて終わりですわさぁ。
でも、実際は、「サラリーマン」って言う立場だと、そういう「大人」との闘いなわけさ。いくらエンタメに関わっているっていっても。
そういう、理想と現実のギャップの中で、一層分かり合える曲なんだろうな。この曲って。
単に、この曲が指してる、「管理教育」っていう「学校」の中の世界だけぢゃない。実社会にも充分当てはまるんですよ。
もしかすると、それに気付き始めてる年代なのかも。。。私らの年代って。。
しかしながら、もし、尾崎があのまま、生きてたら今ごろはどんな歌、歌ってたんだろう? 享年26歳だった尾崎も、生きていれば今年50になったはずなんだよね。
未だに、純な歌、歌ってんだろうな。 それとも、昨今の業界の腐った利潤争いに嫌気さして、メジャーの場からは消えてたかな?
それでも、あの当時はデカイハコばっかで行ってたライヴも、今では場末のライヴハウスなんかでやってたりして。。
そしたら、見に行けたんだけどなぁ・・。と、つくづく思ったりして。。。
