かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2023年11月

約束の橋 / 佐野元春

1992_11_約束の橋_佐野元春


今回の1曲セレクトは、「約束の橋」佐野元春です。

まずはデータです。

・タイトル    約束の橋
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系 月9ドラマ「二十歳の約束」主題歌

トレンディドラマ・・・。我々世代にとっては、80年代終盤から90年代前半にかけての「バブル」絶頂期を思い起させるキーワードの一つでしょうかねぇ。
この期間、ドンピシャで「大学生」という「青春と快楽」な時間を過ごしてきた、我々世代にとっては特にそんな思いを起こさせるんじゃないのかなぁ。。。

ワタシは・・というと、トレンディドラマが出てきた当初の2年間は、「バブル」の世の中を尻目に、「浪人」という暗黒時代を過ごし、それを抜け出した、後半も、青春を謳歌するっていう大学生生活でもなかったんで、正直、「バブル」の恩恵を受けたっていう記憶はほとんどないんだよなぁ。

まあ、今となったら、つまんない青春時代を送ったような感じもするけど。。。

ドラマも、トレンディドラマの「祖」、フジの「月9」はほとんど見てなかった。 うん、91年の「101回目のプロポーズ」くらいじゃないのかな? 見てたの。

いや、これも、最初は、面白そうなんで見ようと思ったわけじゃなくて、 夕飯後、ベッドで寝落ちしちゃって。。。目が覚めたら、つけっぱなしだったテレビでたまたまやってて、半分ぼーっとしながら見てたら、なんとなく嵌っちゃった・・・って感じだったしなぁ。

あのころは、TBSの金ドラの方が、「月9」よりは、もっと心理面を深堀してて個人的には面白かったんで見てたな。


・・・なんてトレンディドラマの話をしたいわけぢゃなくて。。。。

今回引っ張ってきた、佐野元春氏の「約束の橋」ですわな。

この曲、もともと89年リリースアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の先行シングルとしてリリースされた曲。 で、後年、92年10月期の「月9」ドラマ「二十歳の約束」の主題歌として、再リリースされたわけですな。
今回は、時期的に、その「再発」のシングルについて、ちょいと書いていこうかと。。。


アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」については、ちょっと失敗したな・・・って思うのよ。

佐野元春氏を意識したのは、中学生の頃だったか。。。 同じブラスバンドでトランペットを吹いてた、同級生で親友だったやつが、元春好きだったんだよ。

音楽的に優れてた奴とは思わなかったけども、3つ上の兄貴の影響か、ブルース・スプリングスティーンとか、明らかに私なんかよりも大人びた曲を聴いてんだよな。
で、日本のアーティストでは、元春氏だった。

あの頃から、なかなかチケット取れないといいながら千葉でのコンサートにも行ってたしな。

でも、当時、ヒット曲中心、当然アイドル中心のワタシには、元春氏の良さは分からなかったんだよな。

そもそも、いつもここで書いているように、80年代初期から中盤にかけては、いわいる「ニューウェイブ」系の音は、生理的にダメだったんだよね。

80年代の元春氏は尖がってたしね。 84年の「VISITORS」では、時代に先がけてヒップホップを取り入れたり、サウンドそのものが尖がってた。 「ニューウェイブ」系の寵児的な存在だったじゃん。

ダメだったんだよね。時代にコミットしていないとは言わないけども、時代の先端を行く「音」って。
それよりも、一歩引いて、フォーマットが確立して聴いてて安心・・っていう音楽が個人的には好きだった。うん、おこちゃまだったのよ。

はじめて、元春氏にコミットしたのは、86年のアルバム「カフェ・ボヘミア」だった思う。

それまで、あんなに時代の先端の音がダメだったのに、「カフェ・ボヘミア」で元春氏にコミットしたくなったのは、よくわかんないんだけども。。。

まあ、「VISITORS」よりは、とっつきやすいアルバムだったことはありますね。

それと、以前、ここで何回も書いたけども、86年って、個人的に時代を遡って音楽を掘りだしたころ。
そそそ、1978年以前、リアルタイムで接していなかった時代の曲を掘りだしたころですわ。
その反動だったのかもしれないな。

もちろん、最初は抵抗があったんだけども、何度もアルバムを聴いていくうちに、徐々に理解できるようになった。 理解してくると、その良さも分かった来たりしてね。
徐々に次のアルバムも聴いてみたいと思うようになった。

で、3年の時を超えて、ようやくリリースされたのが「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。

ここで、迷ってしまったのよ。 ちょうど同じころ、長渕剛氏のニューアルバム「昭和」のリリースもあってさ。

あの頃アルバム1枚3000円っていうのは、19歳だった若造のワタシにはデカかったですから。

浪人の身だったし、バイトもしてなかったから、まだ小遣いをもらう立場ったし。。なんで、まずはどちらか1枚買おうと思ったわけで。。 結局買ったのが長渕剛氏の「昭和」。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、またいずれ・・と思っていたんだけども、あの頃、他にも欲しいと思える音源が次から次と出てきて、いつの間にか立ち消えになってしまった。。

そんな時にシングルととして再リリースされたのが、今回の「約束の橋」だった。

うん、もちろん、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されていた曲っていうのは、あの頃から知っていた。

なんか、忘れ物を思い出したような気分だったな。

ただ、この曲が「月9」の主題歌に採用されたのには反発もあったのよ。

↑でも書いたように、ワタシにとっての元春氏は時代の先鋭だった。 テレビという「大衆娯楽」にはコミットしない存在だったのよ。

それがいきなり、「月9」っていう当時の大衆娯楽の極みのコンテンツの主題歌なんだもの。

いやいや、元春氏だけじゃなかったんだけどね、これの前に、浜田省吾の「悲しみは雪のように」が、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用された時も同じような感覚だったな。

80年代の「大物」アーティストが、90年代のドラマ主題歌で再ブレイクする。

初めの頃、例えば、小田和正氏が、「東京ラブストーリー」の主題歌として「ラブストーリーは突然に」が起用される・・ってころは、まだよかった。 まだ新鮮味があったから。

でも、同じような手法で、チャゲアスが、米米が、中島みゆきが、浜田省吾が、・・なんて続くとさ。。。
しかも、いずれも、80年代の自身の曲とは比較にならないほどのメガヒット。

これって良いことなの?  なんて、だんだんと、このやり方に懐疑的になってきたりしてね。

ついには、佐野元春氏もか・・・という気分だったな。

特に、浜田省吾氏の「悲しみは雪のように」とか、元春氏のこの「約束の橋」は「新曲」ではなく、80年代の再リリースだったわけだから。。

wikipediaに、

『なんで最初にこの曲に気付いてくれなかったの?』って感じですよね。『ドラマの主題歌にならないと聴いてくれないんですか?』

・・・(当時は) 怒ってました

と、元春氏のコトバが掲載されているけども、ワタシも同じような感覚だった。

もちろん、今は、「これがあったから今でも歌ってこれたのかもしれない」・・と考えているようですが。。。


結局、今考えてみると、1992年頃の音楽って、まだ「90年代」を象徴するような確固たるフォーマットが確立されていなかったのかもしれない。
・・と同時に、90年代をけん引していけるようなアーティストも、ようやく揃い始めてた頃だったしね。

WANDSの「もっと強くきみを抱きしめたなら」が大ブレイクし、 ZARDが「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」の連続ヒットで一躍注目を浴びだしたのがちょうど、1992年のちょうど今頃。

先行していた「B'z」とともに、「ビーイング系」のコマが揃い、時代を席巻するのは翌年のことですわ。

それとともに、70年代、80年代の「大物」アーティストがドラマの主題歌に・・・という機会も徐々に減っていった訳なんだよね。
70年代、80年代の「大物」アーティストや、楽曲の焼き直しによるドラマ主題歌の顕著な大ヒットは、翌年1993年4月期の月9ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌、財津和夫氏の「サボテンの花」あたりが最後だったような気がする。
・・・・あ゛、まだ大瀧詠一氏がいたか。。。。
もちろん、サザン、ユーミン、中島みゆき嬢は、その後も孤軍奮闘していったわけだけども。





余談だけども、↑で書いたように、中学校の時の元春好きの親友の話から、元春氏のコンサートは、チケットが取れない・・・ってずっと思い込んでいたのよ。

それは、大人になってからもそうで・・・、もしかしたら、頻繁にライブに行くようになった今でもそうかもしれない。

でも、そんな元春氏も、最近ではロキノン系、特に「COUNTDOWN JAPAN」には頻繁に出演するんだよね。

ずっとチケットが取れない・・と思っていた元春氏のライブを「COUNTDOWN JAPAN」で見る、80年代では、考えられなかったことかもしれないな。

実際、「COUNTDOWN JAPAN」ではこれまで何度も元春氏のライブを見た。
もちろん、30分程度のライブだけども。。。それでも昨年の「COUNTDOWN JAPAN」のラストで「アンジェリーナ」が聴けたのは、やっぱりトリ肌でしたね。


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みずいろの手紙 / あべ静江

1973_11_みずいろの手紙



今回の1曲セレクトは、「みずいろの手紙」あべ静江です。

まずはデータでする。

・タイトル   みずいろの手紙
・アーティスト あべ静江
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1973年9月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  26.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月22日〜11月5日付

清純。
世の中何かと「がさがさ」している現在では、完全に「死語」になったコトバだよなぁ。
でも、確かに、ワタシが子供の頃には、まだ、こんなコトバが似合う「お姉さん」たちはいた。
今回は、こんな「清純」というコトバそのままの曲を持ってきましょうか。

あべ静江さんの「みずいろの手紙」

この曲の冒頭の

「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」

というセリフからして、清純を思わせるよなぁ。

「〜言って下さいますか」 なんてのは、今じゃ、とんと聞かなくなった言い回しなんじゃないですかねぇ。

いや、超富裕層では、まだこういう言い回しもしているのかもしれない。

でも、ワタシみたいなごく平凡な「庶民」の世界では、まず聞かなくなりましたよね。

それじゃ、この曲の世界も「超富裕層」の世界なのか・・といえば、そうじゃない。
1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいたんだよね。

少なくとも、ワタシの周りにはいたような記憶があるなぁ。

モーレツからビューティフルヘ という文化の変革期の時代。庶民の暮らしもあの当時から見ての一昔前よりは確実に豊かになった時代の流れの中で、1億総中流層時代と言われたのがこの頃ですよね。

生活が豊かになれば、言葉の様式も変わってくる。 1970年代ってそんな時代だったような気もするな。

あ、もちろん、あの頃も「がらっぱち」なお姉さんも多かったですけどね

むしろ、ワタシの周りには、そちらのお姉さんの方が・・・やっぱ多かったかなぁ。。。


そんな清純そのものなセリフに続いて、リバーブをいっぱいに利かせたAメロ。

今では、こういう効果の曲は、まず見かけなくなった。 これも1970年代前半という時代特有な効果ですよね。

どうなんだろ? こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲想っていうのは、「清純」を連想させる曲の特徴だったんでしょうかね。

例えば、この曲の前年の麻丘めぐみさんの「めばえ」なんてのも、めちゃくちゃリバーブがかかってましたよね。今聴くと、ほとんどお風呂の中で聴いているんじゃないかという感覚になってしまうくらい。

故筒美京平氏は、こういうリバーブをいっぱいに利かせた曲は。色彩イメージとして「淡いみずいろ」とおっしゃっていたようだけども、まさにそんな水の中を漂っているような感覚なんですよね。

今回の曲タイトル 「みずいろの手紙」 なんて、そんなイメージそのものですわ。

そこからなぜ、清純を感じるのか?・・・・「みずいろ」っていう色彩のイメージからして清らか⇒清純 っていうイメージを思い起こさせるからなんでしょうね、きっと。


最近は、時代からして極彩色、いや、はっきりとしたカラーな世の中だと思うし、まず、こういう「淡色系」なカラーの曲に出会うことは少ない。

つまりさ、ヒット曲にしても多くの人々は、色味がはっきりとした曲を求めているんだろうな・・ってのがわかりますね。

例えば、まさに今だったら、Adoの「唱」だったり、YOASOBIの「アイドル」だったり、今のヒット曲って、みんな色彩イメージがはっきりしてるじゃない? Adoの「唱」にいたっては極彩色の極みのような印象が強いし。。。
手書きではなく、PC上で機械的に作った曲の特徴といえば、そうなんだけども必然的にはっきりとした色彩になってしまう。淡い単色系の曲は機械的に苦手なところではないか・・とも思えてしまう。

いや、出来るんだけども、スカスカな音の曲になってしまい、「今の時代」には合わない・・っていうのもあるんですかね?

でも、昔・・少なくとも70年代前半って、そういう、はっきりとした色味を求めてはいない時代だったんでしょうね。

・・・だったんでしょうね? って無責任な・・ってところだけども、ワタシゃ、この時4歳。
まだまだ物心がつかない頃だったわけで、あくまで私の記憶の中での印象では・・・ってことで、あいまいに書いちゃったんだけども。。。

・・・ってか、↑で「1970年代は、まだこういう純粋なお姉さんたちは庶民の中にもいましたよね。」とか、すでに物心ついていたかのように書いてんじゃん。。。

いやー、物心はついてなかったけども、意外と人間観察はしてたような気がするんだよね。
そう、そんな嫌なガキだったのよ、ワタシゃ。


たださ、今、昭和歌謡に回帰する人が、若者を含め増えてきているのは、実はこういう「淡色系」の曲を求めている人たちなんじゃないのかな? 極彩色な曲には疲れているという人たち。

これは、実際の世の中にしてもそうで、昭和時代に回帰しているのは、今の世の中疲れている・・という中で昭和という「淡色系」(⇒平和に見える)な時代に癒しを求めている人が増えているんなんじゃないのかな?  なんて思えたりしてね。

もっとも、昭和という時代も、ずっと淡色系な時代ではなかったですし、リフルタイムで感じた実際の世の中は今よりももっと激動だったんですけど。。。
ただ、表面的に70年代前半から中盤くらいって、不思議なことに、淡い色の時代⇒一番平和な時代 のように見えるんだよね。今の時代から振り返ると。


なんか、当初の「清純」ってところから、大分変な方向に行ってしまったけども、ワタシの中では、清純というコトバで、真っ先に浮かぶのは、この曲だったりするんですよね。





↑で、この曲は「清純」だと言い切るほど、個人的にはあべ静江さんにはぴったりな曲だと思ったんだけど、wikipediaiによると当のあべ静江さんは、

「男性に媚びたような、私が嫌いなタイプの女性の思いを綴った詞だと思ってしまって・・・」

と、当時、とにかくこの曲がキライだったようで、歌うのを封印した時期もあったとのこと。

今、当時のVTRを見ても、この曲のレコード音源を聴いても、そういうところは感じなかったんですけどね。

当の本人は、男に媚びる、80年代風に言えば言えば、ぶりっ子、カマトトぶるタイプではなかったようですね。

でも、この曲が生まれた、1973年ころと言ったら、まだまだ女性は男に尽くすものであり、当時のヒット曲も男性にとって都合がいいような解釈の曲がまだまだ多かった時代。

それは、演歌の世界を見れば一目瞭然なわけでさ。ポップスといえども歌謡曲路線寄りのこの曲なんかにも、まだ、そういう匂いが残されていたわけですね。

ウーマンリブが叫ばれ、女性解放運動が日本で本格的になったのはこの2年後。1975年になってからですわ。



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【キニナル曲】Superball / TOMOO

202311_SuperBall_tomoo


今回の「キニナル曲」はこれだ!  

TOMOO「Superball 」

まずはデータでする。

・タイトル   Superball
・アーティスト TOMOO
・作詞     TOMOO
・作曲     TOMOO
・編曲     小西遼
・リリース日  2023年9月27日
・発売元    ポニーキャニオン 
※アルバム「TWO MOON」より

今年5月に参戦した、「METOROCK OSAKA」で帰りがけにたまたま見た「TOMOO」のライブ。
今時の「ライブレポ」でも、その時の模様を少し書いたんだけども気になったんだよね。

↓ コレ



その時は、まん丸お顔に、キーボードを弾きながらの歌唱。ついでに言えば、ポニーキャニオンってことで、aikoフォロワー、 うんにゃ、iroriレーベル所属なんで、どちらかと言えば、ひげだんの藤原氏っていうイメージか!?

・・・って書いたけども、 以来、動向が気になっていたのよ。

でも、ここにきて、やはり出てきましたね。

今回引っ張ってきた「Superball」。YoutubeではMVが100万回再生突破・・・とここにきてジワリとブレイクの兆しが見えてきた。

とくに新し物好きの各FMでのO.Aは活発のようで、FM局のチャート番組では上位進出のところも出てきていたりする。

このヒトの特徴は、一見して幼顔なので、↑のようにaikoのような幼声なんだろうと思ってしまうけども、見た目によらず、声が太いところだろうな。 少し鼻にかかった声質っていうのも、ちょっと意表を突くし。。。

ヤマハ主催のコンテスト(The 6th Music Revolution JAPAN FINAL)出身。時代が時代ならば、「ポプコン」系のアーティストになっていたかもしれない・・という感じで、メロディラインもキャッチーでしっかりしているところだろうな。

そんな特徴は、今回のこの「Superball」っていう曲でも発揮されている。 以前に比べるとコンパクトで分かりやすくなったとも思う。

欲を言えば、もう一段フックになるようなフレーズがあれば、より面白いな。

後は、なんかしらのタイアップでもつけば、いつ全国区で爆発してもおかしくないくらいだとは思うんだけどね。 

見た目よりも意外と年齢が上というのが、ちょっと気になるところだけども、もう少々事務所なり、レコード会社がお金をかければ、すぐブレイクすると思うんだけどなぁ。

このヒトなんかはブレイクしないと勿体ないと思うもの。






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え? 「NOW AND THEN」って時々って意味なんですか?

The Beatles、最後の「新曲」、「NOW AND THEN」が話題になっているけど、間違ってアクセスしてくるのか、ワタシのサイト(THE HITCHART NOW AND THEN)、昨日は今年最高アクセス数を記録。。。😙😙😙


ごっつぁんです!
って言っていいのかなぁ。。。。😅😅😅
話題のBeatlesの新曲、いいですね。
・・・というか、最近の音声抽出技術がすごいっちゅうか。。。
でも、これらの技術によって、今の世の中に、Beatlesの「新曲」が聴けるとは、幸せな世の中になったものだと思いますわ。





ところで、「NOW AND THEN」って「時々」って意味だったのか。。。
・・・なんて今更ながらに気が付いた私だったりして。。。😵😵😵😵
私ねぇ、今と昔を結ぶ意味として捉えてたんだよね。。。
私のサイト「THE HITCHART NOW AND THEN」だけども、



サイト自体のコンセプトとして、過去のランクと今のランクを「線」で結びたい ・・・っていうのがあった。
うん、それまでヒットチャートって、「線」じゃなくて、「点」で見ることが多かったんで、そうじゃなくて、時代の流れに沿って線で見て欲しい・・・と。
で、サイトのネーミングをつけるとき、カーペンターズのアルバム「Now And Then」を聴いてて、「あ、コンセプトに合うコトバじゃん!」と思って パクッたんだけど。。。😵😵
どうも、本来の意味と勘違いしてたな。。。。😵😵
・・・なんて、サイト作って23年経った、今頃気がついたりして。。。(爆)
向こうの人にとっては「時々ヒットチャート」って見えるのか。。。 そりゃ、なかなか海外からのアクセスが伸びないはずだわ。。。😵😵
ただ、実際的には 「Now And Then (And Future)」と隠れたサイトコンセプトもあったのね
過去と今 そして未来をヒットチャートで結ぶという。
いや、実は、最初、サイトタイトルは、そのまま「Now And Then And Future」にしてたの。
でも、これだと長いんでさ。。。 字数的にも、コトバのリズム的にも、どうもキャッチーぢゃねぇなと思って、「And Future」は隠れコンセプトとして、削ったんだよね。

今は、完全になくなったけども、 昔、それこそ80年代の頃、オリコンウイークリーに「今、何がヒットしようとしているのか!?」っていうサブタイトルがあったの、覚えてる方はいますかね?

↓ コレ

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私がサイト始めた2000年頃は、オリコンからそんなコピーもすっかり外れてたけども、本当はあれをやりたかった。
昔のヒットチャートは「こうだったのよ」・・・だけでなく、「これから、何がヒットしそうなのか!?」 今のヒットチャートから今後を予測するっていうのをさ。。。

そもそも、個人的にヒットチャートの世界にどっぷりつかったのって、過去のランクを知りたいというよりも、「これから何がヒットしようとしているのか知りたい」・・・っていう部分が大きかったですからね。過去のランキングはワタシにとっては後付けだったのよ。

そんなコンセプトは今でも変わってないんだけどね。
どうも、最近は「過去ランキング」の方ばかりがクローズアップされるところが大きく、「今、そして未来」っていう部分は影が薄いのが個人的にはちょっと残念だな・・っていう思いはあったりしてね。。。

まあ、どう使ってもらってもいいんだけどね。

好きなものは、仕事にしたくねぇんだよ

「好きなものは、仕事にしたくねぇんだよ」ってのが気になる日清「完全メシ」のCM




これって仕事の本質かもな。。。と思う今日この頃。
ここでも何回か書いたかもしれないけど、ワシ、現在の生業は、音楽著作権関係なんだけども、本音を言えば著作権の仕事って好きな仕事じゃないのよ。
本来は、自分でもサイト持ってるようにヒットチャート屋だからさ。

15年前、これからは自分の好きなことで食っていく・・・と某Tを退社したものの、すぐ行き詰ってしまって、貯金も底をつき、途方に暮れた時に紹介してもらったのが今の仕事。

そもそも著作権のようなアカデミックな仕事をスマートにこなしていけるセンスはないのよ。
音楽関係の仕事の中でも、もしかすると一番苦手だし、本当だったら一番やりたくない仕事なのかもしれん。
某C社、D社で着メロ、着うたなどの音楽配信運用を統括していた時に、著作権業務についてはちょこっとかじったものの、実務は他の人に任せっきりだったし。。。。

でも、あの頃、食うためには、そんなことも言ってられなくて始めたわけなんだけども。。。。

本当には好きじゃないから、15年以上続いているのかも。。。 
これで成功するとか男子一生の仕事とかじゃなく、あくまで「メシを食うため」って割り切ってるからさ。
だから、やりたくない仕事も、やだな・・と思いながら続いちゃう。
もっとも、「やだ、やだ」といいながらも、著作権について「楽曲調査」っていう興味の下地があるから続いているとは思う。 好きじゃないことでも全く畑違いのことだったら長続きしないだろうけども。。。
後は、著作権の知識があれば、仮に他の事を仕事にした時もなんかの足しになるんじゃないか・・・、、そそそ、横道から何かしらチョンボできるんじゃないか・・・っていうヨコシマな考えだったり。。。。

だから、著作権を武器に今後のコンテンツ、音楽業界をよくしていきましょう・・・っていう考えは全くないです。
 そういうのは、本当に著作権ビジネスのセンスがある方にやってもらえたらいいわけで、ワタシの仕事ぢゃないと思うし。。。


逆に、昔、某C社 D社が思ったほど長続きしなかったのは、やってたことが「好きなこと」だったから・・だろうな。
音楽配信運用の仕事は自分匙加減一つでサイト会員数が増えたり減ったりする。責任が重い仕事だけども、上手く行ってるときはこれほど面白い仕事はないのよ。逆に、下火になると、これほど辛い仕事もないのが現実。
仕事でやる以上思い通りにうまくいかなくなること、やりたくないことでもやらなきゃいけないことは、絶対ある。

よく、好きなことだから、どんなに辛くなっても頑張れるというけども、それじゃ、食えなくなっても、究極、一文無しになって路頭に迷っても、好きならば仕事として続けられる覚悟はあるんですか・・・・‥と言ったら、個人的にはムリだな・・と。
それだったら、本当に好きなことは「趣味」で続けるのが一番。
メシのタネは他のことで稼ぐ。
昔、某C社のO社長に、自分のサイト持ってるのになんで起業しないの? って言われたことがあるけども、そんな理由が大きいな。

自分が表舞台に出れないのは、そこだろうな・・・とは分かってはいるけども。
今のスタンスが一番自分の身の丈に合ってると思うわけで。
無理して自分の身の丈以上のことやったとしても、いつかは絶対に無理が来る・・と。
自分で起業する人は、その辺の割り切りができる人なんだろうな。


これについては、ひろゆきも全く同じことを言ってるな。 基本、このヒトとは考えが合わないことが多いけども、これについては、考えが一致しましたね。



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